nisshoku  

”奇跡の日々”では
毎日のように起こる小さな”奇跡話”(不思議)を
載せていきます

<集団の表情4>(2012年3月7日)


一緒に行った友人Aさんが、この件について非常に優れた記事を書いているので紹介します。



http://blogs.yahoo.co.jp/jun_sanchang/folder/612472.html

口と心と行と三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろが。



【ひとこと】
 先日、横浜で「ワソタ”ラー」の集会が開催されたので、友人と二人で参加してきました。
主な目的は、どのような人たちが主催していて、どのような人たちが参加し、
そこで、どのようなやり取りが行なわれるのかについて、自分の眼で確認してこようというものでした。
その時に感じたことを、私見を交えて報告したいと思います。

 東日本の人を対象にしていて、青森や宮城、福島など遠方からも参加していました。
主催者は3名の男性でしたが、彼等はかなりマトモそうな人たちでした。
本を出版していたり、ホームページも立ち上げていて、その分野では先導的な人たちです。
参加者は24名でしたが、ご多分に漏れず、ほとんどが女性で、80歳代の人もいました。
ちなみに、男性は、主催者の3名と常連と思われる2名、そして私だけでした(笑)
前日も開催されたので、合わせると50名くらいの人たちが集まったことになります。

 ご存じだと思いますが、まず、「ワソタ”ラーとは何ぞや?」について記しておきます。
主催者の人たちの定義によれば、「ワソタ”ラー」は、
他の惑星と地球の両方に、魂の席を持っている人なのだそうです。
(普通の地球人は地球にだけ席があるが彼等は両方に席を持っている)
言い換えると、「ワソタ”ラー」とは、地球と人類の進化のために奉仕することを願って、
地球へ生まれ変わって来た「他の惑星の魂」を持つ人々のことなのですね。
 ちなみに、あくまでも個人的な見解ですが、私は次のように考えています。
「地球人は、みな宇宙人であり、誰もが他の惑星に魂の故郷を持っているのではないか。」

あるチャネラーの方の鑑定によれば、私事で恐縮ですが、
地球上で250回以上も転生しており、それでいて、
魂の故郷は、大犬座にある某惑星らしい。とってもトンデモな話ですけど(笑)
定義に差違があるのだと思いますが、このあたりは今後の課題にしておきたいと思っています。
参考までに、彼らのことがまとめてあるサイトを2つ紹介しておきますね。
@ 金星からのメッセージ 
http://www.messagefromvenus.jp/theme/itibu7syo.html
A オイカイワタチ 
http://oikaiwatachi.jp/



 さて、参加した方々はどのような人であったかといいますと、
私の受けた印象ではありますが、心は清らかでありながらも、
苦悩を抱えている暗い表情の人が多かったように感じました。
明るくて波動の高そうな人は、数えるほどしかいなかったです。
とはいえ、誰にでも苦悩はありますし、
ノーテンキな私にも、もちろんあるわけですが(笑)

具体的にいいますと、彼女たちの口から出てくる言葉の大部分は
愚痴や不要な価値観にとらわれて思い悩んでいる現状を吐露しているというものでした。
例えば、将来生じるかも知れない家族や親戚を介護することに思い悩む人。
さらには、立派な大人になれない自分に焦燥感を抱き不安になっている人もいました。
従前の常識や価値観を疑うことなく無意識に受け入れ、それらに囚われてしまっているのです。

某サイト「P」の勉強会と比較すると、非常に大きな差があることを実感しました。
「人類のカルマを背負っているから苦悩が多い。」といった見方もあるようですが、
やはり、本来の与えられた役割や使命を果たすのであれば、遅くとも現時点においては、
不要なモノはそぎ落とし、相応しいレベルにまで波動が高まっていなくてはならないのではないかと思いました。

いずれにしても、主催者側の人は、
多くの苦悩を抱えてながら過ごしている「ワソタ”ラー」たちに対して、
如何にして判断力や波動を高めるかというコトを示せないでいるようでした。
日頃から「P」にご縁をいただいている私としては、そこの違いを非常に痛感しています。



 ちなみに、集会のサブタイトルは、「マコトを語る・・・」というものだったのですが、
「自分は真とはどういうことなのか分からない。」と発言された年配の方がいました。
なので、「マコト」ということについても、ちょっと記しておきたいと思います。

 毎度お馴染ですが、広辞苑や大辞林などの辞書には、次のように記されています。
事実の通りであること。うそやいつわりでないこと。ほんとう。偽り飾らない情。
人に対して親切にして欺かないこと。いつわりのない心。人に対してよかれと思う心。
まごころ。真実・誠意・真情。

辞書に記されていることも然りではありますが、日月の神は、冒頭で紹介したように、
「口と心と行と三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろが。」と、明快に仰っています。
さらに、別の箇所でも次のように仰っています。
「心に誠あり、口にまこと伝へるとも実行なきもの多いぞ。
 偽りに神の力は加はらない。偽善者多いのう。」

 すなわち、意(心・想念)と口(言葉)と行(行い・行動)を一致させることなのですね。
私は、これらの中で特に気をつけなければならないのが「意(心・想念)」だと思っています。
参加者されていた方々は、いずれも心が綺麗(清らか)で天使級の宇宙人だと思うのです。
もちろん、私と一緒に参加した友人も綺麗な心なのですが・・・ 単なる妄想かあ〜!(滝汗)

しかしながら、天使級の心の綺麗な人にありがちな落とし穴もあるので要注意なのですね。
 私たちは、ある行為をなす時に、自分の思いが正しいものである思い込んでいる、もしくは、
そのように思い込ませたうえで、行為に及んでいることがあるのではないでしょうか。
 善行為だと信じて行なったとしても、それが己の小我による場合には悪行為になってしまう。
要するに、他人から良く思われたいとか、見栄や体裁、権威、エゴなどに拠っていたり、
無意識のままに受け入れている常識や慣習にとらわれていたり、
陶酔次元に陥っている場合などは、一見、善行為のようにみえたとしても、
悪行為となってしまうのではないかと思うからです。

さらに、相手方とって真に必要なコトであるかということを感受せず、
自分の思いだけで判断し、行為をなしてしまうと、
それは自分勝手で自己本位の悪行為になってしまうわけです。
天使級の綺麗な心を持った人にありがちなことであり、特に注意する必要がありそうです。
いずれにしても、論語の「郷原は徳の賊なり」という言葉が、そのことを良く示しています。
なかなか大変なコトだと思いますが、「徳の賊」にならないよう努めていきたいものです。



 ところで、「ワソタ”ラー」の人たちは、いったいどのようにして、
天の神様からのメッセージを受け取っているのかについても知ることができました。
どうやら、メッセージが聞えたり、ビジョンが見えたりするのではなく、
「心にフト、言葉が湧きあがってくる」のだそうです。霊聴とか霊視とは異なるのですね。
しかも、好奇心(だったかな?)などを抱くと言葉を受け取れなくなってしまうのだそうです。
それを聞いた私は、受け取ったメッセージが本当に神様のものなのか、
はたまた、巷に溢れている低級霊によるものなのか、
どのようにサニワ(審神)しているのかについて訊いてみました。

しかし、彼等は、特にサニワということはしていないということでした。
ただし、本当の神様からのメッセージであるか否かについての判断は、
それが、自分のお役の範囲のモノ(身の丈に合ったモノ)であるかを見極めることであると言っていました。
確かに低級霊は、奇跡をみせたり、分不相応な大きなことをさせようとするのかも知れません。
なので、彼等のしていることも、サニワの一つなのではないでしょうか。

最後に、何度も諄くサニワの必要性を説かれている日月の神の言葉を一つ紹介しておきます。
「心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。
 神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。
 サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。
 馬鹿正直、まことの道見失ふことあると申してあらうが。」


以上、とりとめのない内容になってしまいましたが、集会参加の報告に代えたいと思います。




秀逸な意見です。
やはり使命感だけでやれるものでは無いと思います。
そういう使命を持った自分の波動を上げていけなければ
頭の先だけで使命感を理解し、それが出来てない自分に焦燥感を感じて
却って不味い結果に陥ってしまうのではないだろうか?
焦燥感は抱かないとしても「何を」「どう」やれば良いのか
「まことの心で」と言われても何がマコトなのか、そこから理解しなくては
自分本位の「良いこと」を思い、実行するだけではないか。
それでも良いとしましょう。
私はそれでも良いと思う。

しかし、それならどうして参加者が苦悩に満ちているのだろうか?
ワンダラーは「のんきに生きよ」と説いているのにのんきな人など
私とAさんくらいしか居なかったではないか。

心のきれいな、世のため人のために生きることを選んだ人達が
あまりにも迷っているので、そのことを「勿体無い」と思った私でした。




<集団の表情3>(2012年3月6日)


下の記事<集団の表情1>と<集団の表情2>の続きです。

会合に参加した人達は大変善良な心のきれいな人達でしたが
いかんせん、意識が悪いというか、暗い、低い。
せっかく良い素質を持ちながらそれではモッタイナイなぁ、と思うのです。

そういうのも学びだ。

その通りです。
だったら、すぐさま学んで次の課題に行けば?と、言いたい。
いつまでも(悩まなくて良いことを)悩み続けるというのは、
時間の無駄。
そりゃ体験にはなりますよ。
だからなるべく短期間で学べ、と私は思うのです。




そしてそういう、自分の問題を解決(或いは心情的に解決、折り合いをつけること)が出来ないのに
「人類のために生きる」という使命感に燃えているのでした。

有り勝ちなことです。

まずは自分を知り、自分の周囲のことを解決するのが先だ、と私は思うが
皆さんは善良で心がきれいなので、自分のことを後回しにしているのでした。
しかし、まずは自分の意識を高めないと、周囲のためにならないのでは?

意識レベルの考え方をすれば、高い波動は低い波動の人が生み出す
マイナス想念(波動、エネルギー)を相殺してしまうようです。
(「パワーかフォースか」より)
だったら、まず「自分が高波動人間」に成り、
その結果周囲の低波動を相殺するという仕事をすれば良いのだと思います。
仕事と書いたが特に何をする、ということはなく、
ただ自分の高波動を保ち、話を聞く人には話しをし、
自分が出来ることをして、毎日明るく楽しく過ごせば良い。




その会合の主旨は「のんきに生きる」というものなのですが
のんきな人は私と友人のAさんくらいでした。
そして私達は明らかにその会合では浮いていましたw

主宰者は良い人だし知性も有るが、それと、会員(だからワソ夕”ラ一)を導く作業は別物で
やはり使命感を持たせるだけではダメだと思いました。
使命感というものは、受け取る側のレベルに成り下がります。
だから皆、勝手に自分が思うところの使命感に燃えて生きている。

それでも良いだろ?

それでも良いです。

ただ、無用な悩みに時間を取られエネルギーを消費するというやり方には
賛成しかねる。
こういう会自体悪くは無いが良くも無いと感じました。



まぁ、表情が不自然なほど生き生きとしていて何かにとり憑かれているような
会合よりは良い。
その点はマトモだと思いました。



ところで、来るべき日、それはスペースシップに乗る日なのですが、
その日には暗黒の三日間が起こり、天から光が降りて来て
光の玉が出現するのでそれに入れば良い、という説もあります。

言う人によっていろいろなのは、それぞれの人が自分が感受出来る範囲内で
感受するしか無い。
だから情報はいろいろあっても良いとおもう。
危ないのは「コレコレでなくては救われない」と決めつけることです。
ゲリー・ボーネル氏などは「宗教の熱心な信者」について危惧しています。
信者は自分が決めた方法で無いとそれに乗ることは無いからです。



私は何でも信じ込むことが無く、全ては参考にしています。
心は中立ですが、それは「何があっても即座に対処出来る自分」にしておきたいからです。




<集団の表情2>(2012年3月6日)


下の記事<集団の表情1>の続きです。

来るべき「地球大変動の時には周囲の人達をスペースシップに乗せる」という役目を持った
ワソ夕”ラ一なのに、頭の中は自分の悩みでいっぱい・・・というのでは
如何なものでしょう?
たとえばこういうことで頭の中がいっぱいで、
混乱している人が多かったです。
◆=参加者の悩み
◇=それに対する私の意見
です。




◆家族の介護をしたいが仕事が忙しくて時間が無い。
  介護をしてやりたい、引き取ってやりたいがそれが出来ないのが申し訳ない(と言って泣く)
◇介護は出来ないのだと割り切って、良い方法を考えれば良い

◆世の中には偉い人が居る。現在若い人は悩み自殺未遂をする人がいる。
  中には自殺してしまう人もいる。
  自殺してしまう若い人の中に、将来偉い人になる可能性が有る人がいるはずだ。
  それを考えると悲しい(と、言って泣く)
◇まず「偉い人」とは何か?
  その定義は?
  そこから考えた方が良い。
  地位があり金が有る人を偉い人と思っているのか居ないのか。
  そこらへんがあやふやなので、根本があやふやであり、
  これではまとまった思考は出来ない。

◆一緒にワソ夕”ラ一として数年間付き合って来た友人が
  最近霊能者と知り合ったら、話が噛みあわなくなった。
  私に対して言った最後の言葉が「呪ってやる」だった。
◇波動が変化して付き合う相手が代わるということは、普通にあることで
  このサイトをご覧の皆さんなら経験済み。
  (波動が違ったんだな)と理解して、その友人のことは手放せば良い。

◆一生懸命働いて生きて来たら数年前に大きなガンになった。
  それで考えを変えた。
◇良くあることです。
  ガンになる前に気付くべきだったが、今それを言っても仕方ないかな。

◆うちの子は他の人を押しのけていくような子では無い。
  でも、それではこの社会では生きにくい。
◇そういう個性なんだ、と認めるしか無い。
  また、見かけ上の良いこと(目立つことなど)よりも
  心(波動)に目を向ければ(潜象勘)良い。
  親がそれを分かり、安定しないと子供が揺らぐ。

◆311の大地震の後に爆発した施設に関係する会社の社員です。
  今回のことはとても申し訳なく思っている。
  しかし私達は一生懸命やっている。
◇普通、その会社(でんりょくとしせつの両方の会社の関係者が居た)の社員を恨む人は居ない。
  批判しているのは経営陣が自分のことしか考えない点、です。
  誰も一般の社員を批判しては居ないのだから、一般の社員がそれを苦しむのがおかしい。

◆最近交通事故に遭った(と言って泣く)
◇何かを気付かせようとしているのだろうから、早急に自分の意識を見た方が良い。



ざっと挙げてみましたが総じて「無い悩み」を「有る」ものとして余計なことを考えては
悩んでいるのです。
「今、この時期にその状態なのか?」と呆れます。
こういう状態はサッサとクリアして、新しい意識を獲得していないとならないのではないか?
Pのお客さんなら、そのような心(波動、意識)の場所からはとうに離れて
大抵のことは理詰めで解決できています。
理詰めで解決できない場合は、「この件は解決できないのだ」と理解して
晴れ晴れとした表情になっています。



この会合は愚痴を言う会では無いのですが、参加者の女性たちは
論理的に話すことが出来ず、心に浮ぶまま思うままにただダラダラと語り続ける。
いったいいつ結論が出るのか、何を言いたいのか分かりかねる。

しかしこれが普通ですかね。

以前登校拒否の親の会に参加したことがあります。
友人が誘ってくれたので行ってみたら、親(父も母も)たちの語り方は
◇テーマが無い
◇結論が無い
◇終わらない、終わるかと思ったら続く

語り方でした。
それを聴いて私は(これじゃあ何も解決できない)と思ったのでした。
それと全く同じ語り方を今回の会合で聴いて驚くとともに
ややがっかりしました。

自分の、こんな簡単なことすら解決できないでいて人類のために働く?
いったいどうやって?




主宰者側の男性達は語り口が理路整然としていました。
男性が女性の愚痴を聞く会になっていた感が有ります。
同じ女性として大変残念です。




<集団の表情1>(2012年3月5日)


魂の故郷は宇宙の星にあり、今、地球に生まれて
地球人が払うべきカルマを肩代わりし、
来るべき日にはスペースシップに乗れる人を増やすべく
日々を生きている人達・・・ワソ夕”ラ一というそうです。

そのワソ夕”ラ一の会合に参加して来ました。
ワソ夕”ラ一の自覚が全く無いのですが
もう20年もの付き合い(機関紙を購読しているだけ)なので
いったいどういう人がワソ夕”ラ一なのか、興味が有ったので
見て来たというわけです。




最近ワソ夕”ラ一になった(笑)友人のAさんと一緒に会合に参加したのですが・・・
主宰者はマトモでなかなかの人達でしたが
一般の参加者(機関紙を購読、本を読んでいるだけ)の人達の発言は
こう言ってはナンですが、普通の主婦の愚痴のようで。

なんだかなぁ・・・

友人のAさんは様々な会合に参加しています。
Aさん曰く「Pの会合の人達が一番表情が良い、波動が高い」



このワソ夕”ラ一の会合で語られたことはPでは多くの人が
解決済みか、理屈を理解していることばかりでした。
善意なのは分かるが、やはりそこに「知性」「論理」「理詰め」「判断力」という視点が無いと
こうなってしまうのだな、と私は学習したのです。

判断力を上げろ、感受性を研ぎ済ませなどは
遠回りなようで「正解」に近づくためには必要な手段であると私は思います。




<意識レベルにおけるアセンション>(2012年2月9日)


「異視点からのメッセージ」より。



「意識レベルにおける次元上昇とは何か」
http://blog.goo.ne.jp/tomoterutohsaky/e/e02e4046e5763eb931d486d8f540da87

「意識レベルにおける次元上昇とは何か(後編)」
http://blog.goo.ne.jp/tomoterutohsaky/e/8c33043bf3b68736838c888d482ab757




これらの記事は参考になります。
また、ここで言う「意識レベル」とは数値とは関係ありません。
肉体次元なのか魂の次元なのか、というような定義だと思います。




<静観氏3>(2012年2月7日)


静観氏にセクハラされた人のサイトを読むと、
ああいうことをされても仕方ないというか、あまりにも考え無しだということが分かります。
そりゃ気の毒ですよ。
気持ち悪いし。
でも、何故ああいうことをされてしまったのでしょうね。




ぱとりさんが書いた記事が優れているので紹介しておきます。
http://goldenwheatfield.blog10.fc2.com/blog-entry-226.html



さて、静観氏にセクハラされた若い女性は何故、セクハラされる羽目になってしまったのか。
理由は幾つかあります。

◆他人を崇めてしまったから。
  人は皆平等なんだから、個人を崇めるのは止めた方がいい。

  この女性、信者タイプですね。
  信者タイプなので教祖のような人を持ち上げ、そういう人と関われることを喜び
  少し(沢山?)自慢でもある。
 
◆静観氏の若い女好きは側近や追っかけの人は知っていたのではないか。
  だからこの女性を静観氏と二人きりにする、という暗黙の了解が有ったと思う。
  生贄(いけにえ)、人身御供(ひとみごくう)です。
  婆さんではその役目は出来ないので、若い信者さんに巧いことを言って
  静観氏と二人きりにしたのだと思います。
  そしてそういうコトが出来るスタッフ(現地スタッフか何か知らないが)
  は、有能である、みたいなのが有ったのではないか、と思います。
  
  そういうのを「良い」と思ってやっている連中が居るのだ、ということですかね。



他にも理由はありますが、ここでは書きませんから自分で考えてみてね。




<静観氏2>(2012年2月4日)


一昨日の小林卍観氏の記事を読んで、引っ掛る事がありましたが、
尚もイライラは取れず。。。
 
69さんにメールを差し上げた、分ってもらおうとする人の記事にも関連する事でした。
 
小林卍観さんにセクハラを受けた方のブログの中に、
“う■し会”と言う言葉が散見され、あれ?っと思っていました。
 
先程、そうだそうだと、ネットで“うた■会”を検索した所、
“仙道Eガ会”がヒットしました。
 
まさに、これが核心でした!
 
近所の●屋さんの奥さんは、最近何故か色々と引っ掛るようになりました。
前は、優しく親切で温厚な方でしたが、
最近は、講演会の講師を頼まれたりと、表に出るようになり、
付き合う層も、お子さんの関係で芸能界にも通じるようになり、
近所の顧客を蔑ろにしているのでは?と思えるような態度が続きました。
 
まあ、私が自己顕示欲が強く、僻んでいるのかも知れないと思い、
モヤモヤとしているところでした。
 


運動不足、閉じこもりが嵩じて、体が辛くなっていた所に、
件の薬局の奥さんが講演会で知り合ったという、ヨ力”の先生に講習会を開いてもらう。
と言うことで、●日がその、第二回目だったのです。
 
参加する人たちも、奥さんも何かザラつくし、私の我儘だ。いや、波長が違ってしまったんだ。
と、悶々と日を送っていました。
セクハラの記事から、そのEガの先生が、小林卍観に繋がっていた事が見つかりました!
それが、仙■ヨガのヒットでした。
 


やっぱり、“■たしヨガ”は“う■し会”から来ている名称だったんだ。
配られたプリントに、“うた■ヨガ”とあったのです。
●屋の奥さんは、“ありがとう”を言ってしあわせになろう♪と、洗脳されてしまったから、
違和感を感じ始めたんだ。。。
 
其処まで繋がりました。
 
明らかに波動がおかしいです。
“講演会に出て来た♪”と言っていたのは、恐らく、そちら関連の物だったんでしょうね。
その頃から、人が変わってしまいました。

 
ヨガは、お蔭様で、それ自体は体が楽になりました。
でも、2ヶ月に一度参加しても、違和感を抱えたまま、其処に染まることなく、
離れて行くんだと思います。
最低半年は続けてくれ。と、ヨガの先生は1回目の時に仰っていましたので。。。
 
もう大丈夫です。
スッキリしました。




水に墨汁を一滴垂らすとそれが広がって行くのと同じく
妙な波動が一滴入るとそれに汚染される人が広がっていく、みたいな感じですね。
汚染される人にとってはそれは汚染では無い。
楽しくて生きがいのあることなのではないでしょうか。

いろんなのが出て来ますね。
人は自分の波動と近いものを「良い」「心地よい」と感じます。
自分と異波長のものを「悪い」と感じる。
だからここで「良い」「悪い」を言っても解決はしません。
それぞれが自分の波動と等しいものを「良い」と感じて
生きているのだから。




<静観氏1>(2012年2月1日)


小囃子静観という人がいました。
去年亡くなったようです。




その人は「ありがとう」を言うことによって自分の人生を良くする、というスローガンの下
本を出したり講演会をしたりして精力的に活動していました。
その人がまだ寿命と言えるような年令は無いのに亡くなったと知り
(へえ)と思った私です。




ブッチャケ言うと「ありがとう」と言えばなんでも解決、好転するような
単純な、まるで「念仏を唱えればOK」みたいな、教えについては
私はなんだかなぁ・・・と思います。
中世だったらそれで良い。
だって民衆は難しいことを知るチャンスが無いんだから。
でも現代ですよ。
その気になればいくらでも最先端の情報を得ることが出来るのに
何で今、念仏?はあああああああ?
とは思うが、でもそれが良いというレベルの人にとっては理解出来るレベルの思想(教え)なんだから
「良い」と思っていたのです。



今から16年以上前のことかな。
或る出版社に勤務していた人から聞いた話です。
その出版社に静観氏がちょくちょく遊びに来ていたそうです。
その会社に居た年輩の女性従業員=50代のおばさん=は静観氏が来ると
「私あなた嫌い。気持ち悪いからもう来ないで」
と言っていたそうです。


このおばさんは、その話を教えてくれた人が言うには
特殊な感覚=霊的能力があるみたいなことを言ってましたが
私は違うと思う。
このおばさんは「通常能力」の持ち主です。
おばさんは社会経験、人間経験豊富なので
全員では無いが、普通の人〜ちょっと気が利いた人なら
「一瞬で人を見抜ける」のです。

このおばさんは静観氏の気持ち悪さを一瞬で見抜き
「この会社には来るな」と言い渡していたんですね。
でもその会社の社長以下、男の社員は誰も静観氏の本質を見抜けなかったのでした。
男ってホントだめよね〜



なので
http://www.hair-lr.com/spiritual/blog.cgi?page=2&field=%e3%81%84%e3%82%8d%e3%81%84%e3%82%8d
という記事を読んでも意外だな、とは思いませんでした。
当然だと思いました。


15年以上セイシンセカイで本を出版したり講演会を開いたりしていたオヤジの
本性がネットの時代となって隠せなくなったのだ、と思います。


また私はこのブログ主さんのことを全面的に支持はしません。
個人を崇拝した時点で「陶酔」と認定しています。
陶酔次元で生きていれば、このような結果になるのは当然です。
同情もしません。
この管理人さんはこのような体験をすることによって学んだのだ、としかいいようが無い。




とは言え。
小林静観はスケベだな===!と思いますよ。
エロ爺いです。
気持ち悪い===!
このようなモノが本性を隠せない時代になったことは良い傾向です。




<意識レベルの違いによる齟齬(そご)>(2012年1月31日)


意識レベルは人それぞれです。
そして人は「自分の意識レベルで、物事を感じ、考え、判断」しています。
人は「自分の意識レベルを超えるモノは理解できない」のです。
何故ならその境地に達して無いから。
分かるためには「その境地」に達しなければならない。
しかし、それは簡単では無い。




意識レベルが低い人がいました。
その人とメールのやり取りをすると、どうも話しが噛みあわない。
私にとってその人は「お荷物」で、その人にとって私は「変」だったのですw
「69さんは私の言うことが分からないんだ」
「69さんは分かってない」
「69さんはおかしい、間違っている」
と思っていたそうです。
その人が私を「変」と思っている間は意識レベルは低く
そして殆ど上がらなかったのです。

その後、その人は大変な苦労をしました。
多分数年間やっていたと思います。
そしてようやく「分かり方」を分かることが出来るようになった。




その人は本気で「分かりたかった」んですね。
だから時間は掛かったけど最終的には「分かり方」が分かるようになりました。
その人自身のために良かったな、と思います。




<意識レベル630の境地4>(2012年1月31日)


私が「意識レベル630の境地」という記事を書いている理由は
そのレベルに達して無い人には想像もつかないか、
或いは想像はつくが、それは頭の中にある理屈に留まっているだけで
心はその境地に達して無い場合、参考にして欲しいからです。
私も自分では高いと思っていませんで、日々(あああ!またやっちまった!)とか
過去の失敗や保留にしていた事項に関して、今判断をしているところです。
(ああ、何てバカだったんだ!)
と、毎日のように思っています。
これで落ち込まないのが低次のサヌキ(反省心に乏しい)だからです。




このサイトをご覧の皆さんの中の殆どが私より素質は良いです。
だから分かり方さえ分かればすぐにも意識レベルを上げることが出来ます。
日本人の平均値640をクリアすることも出来ます。
だから焦らずに、毎分毎時間、自分の意識を見る、ということを続けてください。
一年後には素晴らしく上がっているはずです。




さて、では「意識レベル630の境地」の事例を一つ書きますね。

「パワーかフォースか」にちょっと書かれていますが
「ホームレスに対する感覚(態度)」みたいなのがあります。
それについて語ります。


人が「これは良い」「これは良いことだ」「これをすることは良いことなのだ」
と、思うのはあくまでも「自分の意識レベルにおいて」なのです。
これを理解して欲しい。
人は自分より下のレベルの人が「良い」としていることを見ても
それを「良い」とは感じない、思わない。
同様に自分を超えるレベルの人が「良い」としていることを見ても
それを「良い」とは感じない、思わないのです。




人は「自分のレベルのことを最も『良い』と感じる」のだ、ということを知ってください。





さて、また話が脱線しました。
ホームレスについて、でしたね。
皆さんはホームレスを見た時、どう感じますか?
◆嫌だ、嫌いだ(嫌悪)
◆汚いから関わりたくない
◆社会の害虫だ、排除するべきだ

これらの意識は「意識レベル」はどのくらいでしょうね?
200未満だということはたしかですが、調べてみてね。




上のようなのは論外ですが、ではこういうのはどうでしょう?
◆可哀想
◆同情して感情が動く、胸が締め付けられる、泣ける
◆何か恵んであげたい

と思う人はいますか?
これ、そう思うレベルの人にとっては「良いこと」です。
でもそれを超える人から見たら「いまいち」です。
悪いことでは無いんですよ。
だって誰がどう見ても「良いこと」だもん。
でも、いまいちなんですよ。


実例を挙げますとSさんという女性(当時二十代子持ち)がいました。
その人の家の近くにある公園にホームレスが居たそうです。
Sさんはホームレスが可哀想なので缶入りのジュースか何かを恵んであげた。
当時、幼児のお子さんとともに。
多分、無意識ですが「可哀想な人にはこうして恵んであげるんですよ」と教える意味もあったのではないか。
ところが缶ジュースをもらったホームレスのおじさん、
次回会った時はSさんの子供にパンをくれたそうです。
Sさんは驚いてしまった。
そしてパンをもらわずに子供を連れて逃げ帰った。
ホームレスのおじさんはとても悲しそうにしていたそうです。
その時何か言ったと思う。
忘れてしまったが多分「俺は乞食じゃないぞ」とか、だろうと思います。
ワケあってホームレスをしてはいるが他人からのお恵みで生きているのではない、と
いう意味だったのではないか。

私はSさんからこのような報告を受けて暗澹としました。

SさんはSさんのレベルなりに「良いこと」をしたのですが
その上のレベルを知らなかった。
Sさんがこの一件で何事かを悟らなければ、そのレベルのままで生き続ける。
それを思って暗澹としたのです。




ではどうすればいいんだ?

それは意識レベルによって「良いこと」は違ってくるので一概には言えない。
でも物事には上には上が有るのだ、と思って生きた方が良い、ということを言いたいのです。
Sさんにとっての良いことは「ホームレスにモノを恵む」というものでした。
しかし「その上が有るんだよ」という話。




さて、タイトルの<意識レベル630の境地>です。
私がホームレスを見たら、こう思います。
◆過酷な環境で生きていられて偉い、と感心する
◆何か協力出来ることがあれば協力する
 
 (Sさんは一方的に自分が「良い」と思うことを実行・・・相手に善意を押し付けましたが
   それは協力では無い。
   協力とは、主体になる人の意志が存在する。
   その主体の意志を受けて、他人である私が、自分が出来る範囲内で協力する、というものです。
   相手を尊重しています)

◆この人達に幸い多かれと祈る
 
 (ホームレス自身が●●したい、という意志を明白にしない以上
    自分には協力することが無いので大抵はしないが、とりあえず相手のために祈ることは出来る)

◆友達になりたいな、と思う。
  そしてどういう生活をしているのか興味もあるので聞いてみたい。
  あくまでも対等の関係になりたい、と思う。

こんな感じです。

実際にはホームレスと関わる場面が少なく、目撃しても時間が短いために
具体的に何かをするチャンスは有りませんから、「祈る」ことしか出来ませんが。




意識レベル630を超えるレベルの人ならまた違った意見が有ると思いますが
それはそれで「良し」とします。
当たり前ですがw




<意識レベル630の境地3>(2012年1月29日)


意識レベル630の境地って「全然高くないじゃん」と思った方が多いと思いますが私もそう思います。
至って「普通」です。
だから「日本人の典型をモデル化した場合は、意識レベル640になる」んですね。
私はまだ平均以下です。



ただ私は暗い想念があまり無い。
物騒なことはしょっちゅう考えていますが、それによって心が暗くなる、落ち込むということがありません。
物騒なことも自分のためではなく「世のため、人のため」に考えているのです。

◆自分の得になることより、相手や社会全体のためになることを考える

◆自分の損得は考えないしどうでも良いが、相手や社会全体にとって害悪になるコト(もの、人)に対しては
  「あってはならない」と考える


なので想念は悪いが暗くない、明るい、のですw

◆社会にとって害悪になる連中に対しても怒りは湧かないが、責任を取らせようと思う

多分もっと意識が高まればそういう連中に対しても「本人は分かってないのだから責任を取らせるということは
考えず、彼らにも良い待遇を与えよう」とか思うのだと思う。
私はそこらへんがまだ意識が低いので「彼らには責任を取らせ、学習してもらおう」と思っていますが
その意識がまだまだぢゃな、ということは分かります。
分かるがその境地には達してません。




東日本大震災で被災した方達が国や県、東■を恨まず
運命を受け入れている様子を見るとその境地は非常に高いことが分かる。
個々の差は有ることは勿論ですが、この場合も「平均値」を見れば
◇国や自治体を恨まず
◇原発を導入した連中を恨まず
◇運命を受け入れ
◇国民からの支援に感謝し
◇不便、不自由を受け入れ
◇苦難に耐えている

私はこの境地には達していません。




だから意識レベル630って「高くない」んです。
自分に足りないところ、自分がまだ分かってないところを探し出し
一つ一つ悟りながら波動を上げて行かなくてはなりません。
私もまだまだです。




<意識レベル630の境地2>(2012年1月26日)


下の方の記事<意識レベル630の境地1>(2012年1月23日〜24日)の続きです。

naoさんの判定が正しいという前提で書きますね。
naoさんの判定で意識レベル630と出た私ですが
これでも「日本人の”典型”(平均)をモデル化した人」には達していません。
まぁ、それでもいいです。
630の境地を参考までに書いてみます。




◆誰かを100%気に入るとか支持するとかが無い
  従って誰かのファン、というのは無い

◆好きな人と嫌いな人はいるが、その差はあまり無い
  しかしそれ以前に周囲に嫌いな人が居ない

◆嫌いというよりは面倒だ、と感じる

◆他人に対して怒りよりがっかりを感じる

◆なので「他人をがっかりさせない自分」になった方が人生楽ですよ、ということを
  皆さんに教えてあげたい

◆怒る前に(怒ろうかな)と考える

◆悲しくて泣くことが無い
  泣くのは「人類っていいな」と感動した時と、
  テレビなどで泣いている人を見た時、つられてもらい泣きする時くらい

◆世の中の流行を見るのは楽しいが、自分がそれに乗ろうとか乗らなくてはとか
  乗り遅れたくないとは思わない

◆スポーツや芸能、文化などの有名人をマスコミがもてはやすのを見てもなんとも思わない

  
良いとも悪いとも何も思わない、感じない
  感想は(へえ、そうなんだ)
  自分とは無関係だ、と思う
  彼らなりの流行や、価値観を楽しめばいいや、と思う(祝福して手放す)

◆他人が羨ましくない

◆他人より勝ろうと思わない

◆他人と会話して話しが噛みあわない時は原因を考える
  大抵は「意識レベルの違い」から来る感受性と定義の差が大きいことが原因だ

◆他人を説得しようと思わない
  意見は言うが相手がそれを理解しない場合は、放置する
  いつか本人が気付いて分かればいい、と思う
  勿論一生気付かなくてもそれで良い
  本人の好きに生きれば良いと思う

◆例外的に「親切心」を発揮して説得、説教、叱咤、罵倒するw


◆それに対して相手が理解しない場合は放置の方針に切り替える
  やや残念だが(ああ、この人には分からないんだな)と、私が分かる


◆大抵機嫌が良い

◆大抵、何となく楽しい

◆ただ、ウキウキワクワクすることは無い
  (バシャールがワクワクすることをせよ、と言うが自分はワクワクしないのでつまらないな、と思う)

◆街を行く人を見る時、一生懸命働いているのを見る時考えることは
  (一般国民を働かせ、自分達は何もしていない連中が居る)こと、
  そして(そういう連中)に対する怒りは湧かないが「正すべきだ」と思う
  連中のことは殺した方が良いとは思わないがひたすら「早く正されるべきだ」と思う
  
◆街で働いている人、特に屋外(おくがい)で働いている
  道路工事、駐車場係り、宅配便、〒配達の人達に対しては
  見るたびに(ありがとう)とお礼を念じている


◆人の価値を学歴、職業、年収で測る人がいるが、そういう人に対しても
  別に怒りは湧かない
  ただ(ああ、分からないんだな)と思う

◆自分と異なる他人の意見を(ああ、この人の定義ではそうなんだな)と思う
  
◆事実では無いことについては怒りが湧く(ので、自分でもいまいちだな、と思う)
  (事実では無いこと、というのは、誰かが事実無根の主張をした場合、
    それに対して「事実では無い」という意味で怒りが湧く)

◆あ、そういうワケでたまに怒ってますw

◆怒りは比較的早く収まる

◆他人に対して(〜〜だったら良いのに)と、要求することはあまり無いが
  ウチの旦那に対しては断固要求する(点がいまいちだな、と思う)


◆子供の人生は子供が決めろ、と思うので進路や趣味については干渉しない
  (子供本人に出来ないことは協力するが恩に着せない)

◆面白いこと、可笑しいことが大好きで、よく笑い転げる
  (先日の日曜日、うちの旦那が午後6時45分に「寝るぜ」と言って布団に入ったので
    可笑しくて笑いが止まらなくなった。
    いくら何でも早過ぎるだろ)


◆どんなモノ、コトからも「可笑しさ」「面白さ」を引き出しては笑いの種にする

◆我が家では「どれだけ阿呆なことを言えるか」「どれだけバカなことが出来るか」で
  人間の価値を決めている(じょうだんです)
  その点、
長男は他の家族を大きく引き離し、十数年連続TOPの地位を保っている
 
 しかも天然でw

◆失敗もする・・・・・・・・・・・・・・・・・っつうか、多い

  
ほぼ毎日失敗をしているが、比較的短時間で立ち直る



とりあえずこんなところで。
総合すると「淡々としている」のですが、決して「冷血」ではなくしょっちゅう「感動」しています。
感情はあまり上下しないのですが、感情が無いわけでは無く笑うことが多いです。
私が笑っちゃうようなところで多くの人が感情を害しているのを見ると
苦しい人生を選択しているのだな、と思います。




<意識レベルが上がって良かった、という体験談2>
(2012年1月24日)


Kさんの体験談です。

69さんこんばんは naoさんに意識レベル判定

経過と最高最低値を判定して頂きました

 

 

まずは「経過」から

 Pに出会ったのは4年半ぐら前ということでしたので

 

  

  20071月(出会う前) ・・ 175

 

  20081月        ・・ 230

 

  20101月        ・・ 360

 

  20111月        ・・ 390

 

 

Pに出会う前は、200 に届いていなかったようで

出会ってからは飛躍的に上昇していったようですねー

 

やっぱりPにたどりつく前は獣次元でしたわ(冷汗

去年の11月に判定してもらったときは 350でした

そのあとさんのことなどメールでビシバシ指導いただきましたり

勉強会に参加したりで現在また少しは上がったようです(嬉

 

(普段の意識レベル) ・・ 390

 

(最高値)        ・・ 410

 

(最低値)        ・・ 340

 

と、なりました。最低値でも大きく下がっていないようです。

どんな時に最高値になるんだろー・・と思いをめぐらせると・・

 

「料理」という言葉が浮かびました。

まったく何も関係ないかもしれませんが、お料理好きなんかしらー・・と

勝手に思ってしまいました。

 

食いしん坊なので料理は好きですが

夫婦二人住まいなのと二人の料理の好みが

正反対なので困ります今日は一人なので好みの

御雑炊で幸せです

最近昔より起きている事に意識を

向けて少しでもいろいろ考えようと言う

姿勢になっているようです

まだまだのレベルですが今年はもっと

上がるようにがんばります。

有難うございましたこれからもよろしく

お願い申しあげます。(礼  K


自分の好きなことをしていると意識レベルが上がっているようです。
そういうことはホーキンズ博士は書いていませんが
意識レベルの定義も、博士とは違うのかもしれません。

この「意識レベル」はあくまでもnaoさんの判定によるものだということをことわっておきます。



<意識レベルが上がって良かった、という体験談1>(2012年1月24日)


意識レベルをペンジュラムで測っているnaoさんから。


今朝、一番にPにいくとカウンターが4999997でした。
 
「あ、おっしー!!」
 
と思いながら進み、次にTOPにいったとき 5000002でした。
 
その時に、
「ああ、誰かキリ番ふんだラッキーな人がいるなー
 その人、今頃はうれしそうに管理人さんにメールしてるだろうなー・・」
と思い顔がほころびました。
 


で、800にいくと「630の境地」の記事で
「他人のラッキーを素直に喜ぶ」とあったので
 
まだまだ630には程遠いですが
1つでも当てはまってうれしかったです。
 
それと、今ちょうど対人関係のことでいろいろ考えることがあり
他の項目でも完全には当てはまらないけど
「そうありたい。」とか「そうあるべきなんじゃないか」と思っていたところで
そのままの考え方でいいんだ、と答えを頂きました。
 
いつもこうして、Pや800で自分がたまたま考えたり
体験していることが記事となって解説されるので
私にはとてもありがたいです。
 


それから、嫉妬もないです。あまり人をうらやましいとかも思いません。
 
この前、友達が「自分が仲の良い友達が別の人と仲良くしてたらどう思うか?」と
聞いてきました。
 
私は「仲がいいんだな。」と思うだけです。
その友達は「私はさびしいし、嫉妬する」と言ってました。
私がそんなこと考えもしない、というと
その友達は私が無理してると思ったようで、不思議そうな顔をしてました。
嫉妬する人は、嫉妬しない人のことはわからないんだなと思いました。
 
思えば、意識レベルが175の頃は
嫉妬も妬みもありました。
いつも人をうらやんでいたように思います。
 
そして嫉妬や妬み嫉みがとても悪い感情だと気づき
そこから出たいと思ったことが、きっかけだったように思います。
 
あんな苦しい境地へはもう戻りたくないです。



naoさん、正直に書いてくれてありがとう。
意識レベルは「境地」なので、上げようと思って勉強をしても上がるようなものではありません。
情報を取り込むことは必要ですが、その情報だけでは意識レベルは上がらないのです。
だから現代ではそういう代物、つまり努力に見合った結果が出ないもの、というのは
評価されない、敬遠される、理解されない、ので
誰も気付かないし知らないし見向きもしません。
大事なことが隠れているのが現代です。


naoさんは今、意識レベルが430だそうです。
430というのは「賢い、意義、理性、理解、抽象」のレベル。
naoさんは3年以上前には「他人の言葉を理解せず、怖がりおどおどしては
良くない頭を使って、余計なことを考え、さらに事態を悪化、混乱させる」という
レベルにいました。
正直に書いちゃいますが。

なので当時の私はnaoさんとは一緒に仕事が出来ないので
一緒にやることを断りました。
その後、下の方の記事<或るチャネラーの意識レベル>の表にあるとおり
上がったようですが。
意識レベル310の人が「他人の言動を理解しないでおどおどと怖がる」ことは無いと思うので
当時のnaoさんはそのレベルに達して無かったと思う。
200未満だったのではないか。
これでは一緒に仕事は出来ません。
他人の言動をいちいち誤解しては虚像を作り出して怖がる・・・というのでは
無理です。




仕事をするのを断った時はかなり残酷だと思いましたが
仕事をするのに最低限の理解力の無い人とは一緒にやれないのは当然です。
なので、断ったことが「吉」と出るか「凶」と出るか分かりませんでしたが
仕事のために断りました。
今思えばそれが「吉」と出たのではないかと思います。
naoさんとは最近やっと「対等にメールで会話」出来るようになりました。
以前は会話になりませんでした。



ただ、意識レベルが上がった、と言って手放しでは喜べないと思う。
波動量が多い、意識レベルが高い人でも
何故かマイナスの領域・・・つまり低級なんたら・・・の方に行ってしまう人は居ると思いますから
浮かれることなく、地道に生きるしかないです。
ちょっとでも
◇慢心
◇増上慢
が出たら即、不味いことになります。

常に(今、自分が考えていること)を自覚して生きていきましょう。



あ、人間だから不味いこと、悪いこと、物騒なことを考えてしまいますが
いいんですよ。
そういうことを考えたら(あ、今、超物騒なコト思った)と自覚すればいいんです。
何も考えないで「善行」する”善人”より、ずっとマシです。




<善人の意識>(2012年1月24日)


「善いこと」をする人は「善いこと」をすることが目的になっています。
それをすることによってどのような「悪影響」が発生するかなんて
「夢にも思わない」点が最低最悪というか、なんというか・・・
なので私はそういう「善人」の人にそこらへんのことに気付いてもらおうと
いろいろ言いますが、そういう善人ははなっから「自分は善いことをしているのだ」という
無意識の意識が有るために、他人の言葉を理解しません。
これでは意識レベル400未満なのではないか。




200をクリアしているから良いと言えば良い。
でも一生そこに留まる気が有るのなら、の話。
もし、波動を上げたいと思うなら、この「善人意識」を突破しないと無理ではないか。




<意識レベル630の境地1>(2012年1月23日〜24日)


naoさんの判定が正しいという前提で書きますね。
naoさんの判定で意識レベル630と出た私ですが
これでも「日本人の”典型”(平均)をモデル化した人」には達していません。
まぁ、それでもいいです。
630の境地を参考までに書いてみます。

◆他人と自分を比較する場合は、相手がどれくらい物事を分かっているか、
  という観点で比較する。
  そして相手が分かる範囲内で語るか、それを超えて語るか、思考する

◆相手が私が語る内容を理解するかしないか、それは分からない。
  でも言っておかなければならないことは言う。
  それによって相手が離れて行こうと、事態が拗れようと構わない。

◆相手に好かれることについては興味が無い。
  それよりも本当に相手のためになることを優先する。
  相手のためになること>相手に好かれること

◆自分への評価に対しては「どうでも良い」
  各自が自由に感じれば良い。
  
◆好かれるために、自分の意思を曲げない。
  たとえば「ここで○○をすると嫌われるから、相手に好かれたいから、それをしない」
  ということは無い

◆自分を実際以上に良く見せたいと思わない。
  実際を見てもらえば良い。
  それについて他人がどう評価しようと、興味が無い。
  人はそれぞれが自分の感受性のままに評価すれば良い。

◆それに対して私も自由に評価する。
  誰に遠慮がいるものか

◆何かの制約のために心が不自由になることがない

◆他人を羨ましいとは思わないので嫉妬しない

◆他人の成功やラッキーは素直に喜ぶ

◆他人の失敗については「何が原因か」を考えるが感情は動かない

◆夢や希望が有る人を応援したい

◆商売繁盛したい人を応援したい

◆被災地の人には勇気を持ってもらいたい。
  自分がやれる範囲内では協力する

◆感謝されたいと思わない

◆それより相手の波動が上がることを望む


◆社会の弱者についてはなんとかしたいと思うがまだ実行していない

◆自分が得をすることより他人が繁栄することが嬉しい
 
 (店で自分が得をするような買い物をするより、店の売り上げを上げてやりたい)

◆差別心が無い

◆差別する人を(ああ、分からないんだな)(バカだな)と思うが憎まない

◆あのバカ女、バカ野郎をいつまでも恨まない憎まない(記憶は有る)


◆自分と違う意見の持ち主を嫌わない、憎まない

◆自分が悪い考え、不味い考えを持っていることを自覚している




(2012年1月24日追加分)

◆過去に知り合ったあのバカ女、バカ野郎のことを「失敗しろ!」とは思わない。
  が、(あのような意識では多分ガンが再発しているのではないか)と思う。
  そこには「ざまあみろ」という気持ちは無いが、「可哀想に」という気持ちも無い。
  何も無いw

◆分からずやを自覚しないで感情的になった人達については
  特に何の感慨も無いし、興味も無い

◆社会的に不正なことをしている連中についても怒りは湧かない
  が、連中のせいで多くの人が苦しんでいるのなら、連中は拘束されるべきだと思う
  そういう連中のことを気の毒だとは思わない

◆○○に負けたくないとは思わない
  勝負に興味が無い

◆分からずやでタチが悪い人が牙をむくことがあるが
  本人の好きに生きれば良いと思う
   説得する気は無い

◆この世はリセットしなくてはならないと思う




ざっとこんな感じです。
皆さんの中には今年中にこのレベルを超える人が沢山出て来ます。
皆さんは素質が良いので波動の上昇の仕方が著しいからです。




<Pさんの意識レベルの変遷>(2012年1月21日)


Pさんのブログに興味深い記事がありました。
意識レベル判定 その2
これによればPさんはサイトPに会う前は
意識レベル200未満を低迷していたようです。
でもサイトPに書いてある記事を読み
先輩閲覧者の鑑定を受け、かなり頑張ったらしい。
その結果、数年間で意識レベルが
175→380
まで上がった。
私はPさんを知っているのでこの数値は妥当であると思います。



Pさんは私の子供くらいの年令なのでとても若い。
若い人は大人(35歳過ぎの人)のような価値判断や”常識”が無いので
それらが邪魔をしないために分かることについては有利である、と言えます。
但し。
若ければ誰でも分かっていけるかというとそれは「違います」が。




Pさんがたった数年で200未満(ケモノ次元)から
380という楽天家レベルになれたのは
一重(ひとえ)に「素直」「謙虚」「素質の良さ」の賜物(たまもの)です。
私達大人(50代)はこういう若い人からその心の姿勢を学ぶべきですが
現実では50代のオヤジやおばさんは自分が若い人から学ぶなどとは
夢にも思わず、偏った程度の低い、自分勝手な”常識”で若い人の芽を摘みます。
心したいものです。




<H子さんの意識レベル>(2012年1月14日)


定の人物の意識レベルを本人の許可無く公表していますが
H子さんて誰?と、皆さんは知らないだろうからOKとします。
悪口とかではなくて参考の一つにして欲しいのであえてやってます。
自分の意識レベルを公表するのも、同じ理由からです。
と、書いても理解出来ないレベルの人は存在する。
物事は自分の波動を超えては受け取れない。
自分の波動なりにしか受け取れない(理解できない)からです。
皆、自由に自分の波動なりに世の中を見て生きれば良い、と思います。



さて。
心がきれいで正直。
性質がとても良いH子さん。
naoさんに判定してもらったら
220でした。
やはり、200はクリアしていました。
意識レベル200というのは「許認・実行可能・勇気・肯定・能力です。
悪くは無いです。
H子さんの意識は、私から見たら
◇愛情たっぷり
◇素直
◇正直
◇真面目
◇努力家
◇裏表無し
総合すると「非常に良い性格」ですが
◆自己中心→相手を責める→愚痴しか言わない
◆我侭
◆気がつかない、気付かない
◆自分(自分と家族)のことしか考えない、悪気は無し
◆殆ど理解力無し
という欠点もあります。



自己中心になる原因はやはり「物事が分からないから」です。
何も分からない子供は自己中心でしょ?
分かってくるにつれてだんだん自己中心から脱却出来る。
分かれば分かるほど自己中心ではなくなる。
だから「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」と言うのです。

物事が分からない人ほど「自分は正しい」と無意識に思っています。
観察すると分かりますね。
H子さんも「自分の考え、決定は正しい」と、無意識に思っています。
それでとても妙なことをしているのですが、それが妙であると自覚できない。
何故なら「思考力、判断力が殆ど無いから」です。

でも、この人は性格が良くて素直なので私は好きですよ。
また、周囲にこういう人は沢山いるわけですが、素直で正直、裏表が無ければOKです。
思考力の無い人とは付き合わない、ということは有りません。



<スピリチュアルと意識レベル>(2012年1月14日)


下の記事に関連して。
スピリチュアルをやればやらないよりは少しは意識レベルがそれなりには上がると思う。
ちょっと説明します。

Aさんという人の場合。
スピをやっていないとする。
その時の意識レベルが400とします。
Aさんがスピをやれば(何でもいいというわけでは無いが)
意識レベルが500に上がるかもしれない。

Bさんという人の場合。
スピをやってない時は200だった。
でも、スピを学んだら300になった。
上がったとしますよ。

次。
Aさんがスピをやらない場合は400です。
Bさんがスピをやっても300です。

何が言いたいかというと、「スピをやれば皆が同じように高くなるわけではない」
「スピをやっている人がやってない人より低い場合は普通にある」という話です。

思考力が乏しい人は「スピをやれば意識が上がる」と錯覚するがそうでは無い、ということです。
スピなど無縁でも意識が高い人は多いのです。
スピというのは趣味であって、それをやったからと言って
素晴らしくも偉くも無い、上質でもないのです。

モノ好き。

です。

意識レベルが低い人ほど、境地が低く思考力も乏しいので
ここらへんを錯覚、誤解しているように見える。
まずはそこから理解し、悟り、本当の意味でスピリチュアルになった方がいいです。




<或るチャネラーの意識レベル>(2012年1月13日)


私が10年ほど前から知っているチャネラーがいます。
(ジュネさんではありません)
善良な人ですが、10年近く前から私の話をきちんと理解していない、と私は感じていました。
良い人、という括りならこの人は私の10倍〜100倍は良い人です。
しかし判断力、思考力の点では乏しいと言える。
私は5年ほど前からはこの人にセッションは受けていません。
今回naoさんにこの方の意識レベルを測ってもらいました。

 
◎◎さんの意識レベルです。
 ・10年前・・240
 ・5年前・・・330
 ・1年前・・・410
 ・現在・・・・420
 
となりました。



う〜〜〜ん。
特別高くもなく低くもなく、まぁ良いとは思います。
が、精神世界で10年も前から仕事をしていてもこの数値です。
もう一人、最近精神世界で仕事を始めた人の意識レベルを紹介します。
それはnaoさんの意識レベルですが。
naoさんが自分のブログに書いていたのでそれを掲載します。

http://laugh444.blog104.fc2.com/blog-entry-179.html

新しいメニューにある「経過」という形で
自分のをやってみました。

2006年に「数字のメッセージ」から辿りつくと言う
ホントに偶然。

しかも、しばらくは「数字のメッセージ」しか知らず
TOPページに行ったのは、かなり後でした。

「ええー!ここに数字もメッセージがある!!」って
びっくりしたことを覚えてます。

Pに出会う前、7年前は・・


意識レベルは 
175 でした。


あららら・・・


でも、自分でも納得です。
ウツに近い状態でした。

自分の中でうごめく何かにモンモンとして
すごく苦しかった頃です。

そんな時にPに出会い、
人間のはなしを必死で読みました。

それまで「なんとなく」なことが、
はっきりとわかったり、へー!だったり。

毎日Pに通う日々。
その間には、いろいろな鑑定なども受けました。

自分の本質や、
それまで抱えてたトラウマと向き合うことで
嫌いだった自分が少しづつ好きになれました。

それでも歩みののろい私は
1歩すすんでは2歩さがる感じ。

なかなか成長しませんでした・・

一旦はネットからも、Pからもすべて切り離して
生活環境や人間関係なども、変えました。

そして、もう一度1から「人間のはなし」を読み直すことにしました。

それが3年前。 310 でした。


数ヶ月前に、はじめて自分で意識レベルを判定したとき

360 だったのですが、
意識レベルの判定のメニューをはじめて2か月ちょっと


今回あらためてやってみると、430 になってました。


(そんな急に上がるんか?)

と、翌日再度やってみました。

やっぱり 430 


私の当面の目標は愛がいっぱいの 500 

もっともっと勉強しなくっちゃ。




           10年〜7年前    5年前    3年前    1年〜数ヶ月前    現在
◎◎さん        240            330       −−−    410           420
naoさん        175            −−−     310       360           430

nao
さんのように過去には問題を抱えていても途中で意識を変えれば
いつでも先輩に追いつき、追い越せる、という事例です。
意識レベルというものは他人が操作できない。
あくまでも本人が上げていくしかない。

ことわっておきますが、この表は意識レベルの変遷を分かり易くしたものでしかありません。
この表を見て(競わせるつもりか)とか(勝ち負けをつける気か)と思うなら、
そういう人は「そういう精神世界を生きている」としか言いようが無い。
なのでどうぞ、ご自由にw

意識レベルの個人差は大きい。
そして分かっていける能力の差も大きい。
自分には自分にちょうど良い進歩の仕方があり、それを遂行すれば良い。
他人と比較しても意味は無いのだ、ということを上の表から感受出来れば最高です。




<日本人の意識レベル3>(2012年1月11日)


今の世界の人の意識レベルの平均値と日本人の意識レベルの平均値を
naoさんに出してもらいました。


全人類の平均値は 360
日本人は       640
 
念のためにYES/NOでも確認しました。



念のために、昨日と今日、二回測ってもらいました。
これによれば、日本人の平均値は640という値(あたい)が出ました。
相当高いです。
世界の波動も上がっているんですね!
やはりあちこちのサイトで「気付く人が増えています」「楽天的に考える人が増えています」
「世界は光の方向に進んでいます」「世界に先駆けて変るのは日本です」
と書いてあるのは本当だったんですかね。

私は上のような感覚的な言葉は個人の感受性の違いによっては
全く違った結論が出る点と、どうとでも受け取れる言葉というのは
あまり参考にできないのですが、
身体を使った潜在意識からの回答なら信じられます。




日本人の多くは意識レベルが200未満ではないかな。
これも調べてみないと分かりませんが。
意識レベル200未満の人と釣り合うのは高いレベルの人です。
日本にいる数少ない高レベルの人達が
日本人の意識レベルを上げているのだと思います。




また、再度書きますが「平均値」が640と出てもその数値の人が多いとか
居るとかではありません。
例外的に高い数値の人達が数人〜数十人居て、
平均値を上げているだけだと思います。
勿論どのレベルであっても高まる人が居ます。
今、ネットが発達しているので、こういうこと(意識レベルや判断力、心のことなど)に
興味が有る人は数値が上がっているのだと思います。
精神世界のことを学べば学ばないよりは良いかな、と思います。




<意識レベルは上げられる2>(2012年1月11日)


数値は上がる。
下の方の記事<意識レベルは上げられる1>に登場するAさん。

自力で考えられず、他人からの指摘を受けて考えている間はあまり上がらなかったが
(3年間で20)
途中から「自分で考える」ことが出来るようになってからは
半年で30、次の半年で120上がった。
急激に分かるようになった=波動が上がった=意識レベルが上がった。
他人から答えを教わってそれを「知る」のではダメなんです。
(そりゃ少しは上がるし、他人の意見を聞くだけ良いと言えるが)
自分で悟らない限り、意識レベルは上がらない。



だから素直に他人の指摘を受けることは大前提ですが、自分で気付き分かることが
大事ですよ、と言いたい。

半年で120上がるのだから今300台の人でも一年後には240上がるとしたら
素晴らしいと思いませんか?
それでいけば二年後には日本人の平均値を越します。
素直に生きていれば上がります。




<日本人の意識レベル2>(2012年1月10日)


或るサイトの記事より。

日本人の意識レベルはとても高い

ホーキング博士が測定した意識レベルでは、
世界中の全ての人の平均は206ポイントと言っております。 
2009年の1月に測定してみますと、これが203ポイント です、
この数年で3ポイントほど低下しております。 

驚くことに日本人の平均を測定してみますと、軽く600ポイントをクリアーしております。 
そして2009年の1月はこれが618ポイントです。 
日本人の女性の方が男性より 17ポイントも意識レベルが高いです。 
(日本人男性の50歳代以上の方が足を引っ張っているようです)

何故、日本人はこのように意識レベルが高いのでしょうか?  

次のような理由が考えられます。

  1. 日本語を使っている (あ・い・う・え・お の母音ベース 、 日本語は言霊として最強)

    • 右脳をつかっている

    • 特に女性はおしゃべりさんが多い

    • 言葉に出すと大きな力となりますので、前向きなこと、ポジティブなことを言いましょう

  2. 単一民族・単一言語 

  3. 日本文化 (八百万の神、和「調和」、農耕民族、以心伝心)

  4. 古代・レムニアのDNA (アカシックレコード・リーディングのゲリー・ポーネル氏から )





<日本人の意識レベル1>(2012年1月9日)


下の記事<日本人の意識レベルの平均値>の内容は分かりにくかったので
補足記事を書きます。

日本人の意識レベルの平均値と言っても、個人の意識レベルを足して総和を出し
それを日本の人口で割ったものでは有りません。
こう考えてみたらいかがでしょう。

日本人一人一人の総和が「日本人」のイメージ(レベル)を作っている。
その人は「意識レベル600」(数年前)なのです、ということ。
日本人は海外から見たら
「曖昧」「優しい」「親切」「真面目」「勤勉」「おとなしい」というイメージがありますが
それに加えて「意識レベルは600に達してます」という意味です。
イメージなのでそれから外れている人も多いわけですが
それでも日本人の平均値では「優しく真面目」と言えるのと同様
意識レベルが200未満の人が多くても、日本人は「意識レベルは600です」と言える
のではないか。

そんな感じです。

私もホーキンズ博士がどのような考えで「日本人の意識レベルは600である」と出したのか
(いや、エハン氏が出しただけかもしれないが)
知りませんが、そんな風に考えたらどうかな?と思いました。



なので日本人のイメージの意識レベル的側面は「600」ですから
世界一高いのは言うまでもありません。
でも、それに達してない人の方が圧倒的に多いのも分かります。
だから「私は平均点に達していません」という感想が来ていますが
日本人のイメージである600には達していません、という意味ではそうです。

説明が難しいのですが、こんなところで。




<日本人の意識レベルの平均値>(2012年1月9日)


下の記事で私の意識レベルの数値が630と出て
意外なほど高かったので驚いた(1巨大へえ!)という記事を書きましたが
実は
日本人の意識レベルの平均値は、今から多分5年前で既に600に達していました
(エハン・デラヴィ氏のキネシオロジーによる)
どうやって平均値を出したのか、それはホーキンズ博士が知っています。
私は知らない。
意識レベルの数値は「log」なので、数字が一つ増えるごとに「0(ゼロ)」が一つ増える。
つまり「桁」が一つ増えるのです。
だから平均値を出す計算も単純に出したものでは無いと思いますが。



日本人はこのように元々の素質が良いので、困難(経済的な困難や天変地異など)があると
むしろ「気を引き締め」ることが出来るし「人との絆や自分の意識を再確認する」習性があります。
だから困難があればそれに対応して意識を上げていけるのです。
この様子は「或るレベル以上の個人が、困難を克服したり、他人から注意を受けたりして
さらに波動を上げることが出来る」ことと、相似象です。

なお、世界の他の国では意識レベルの平均値が200を切っているらしいので(数年前のデータ)
困難があると意識がさらに悪化して心がヂゴク化するので、社会の様相もヂゴク化します。
この様子も意識レベル200未満の個人が困難に遭うとさらに意識レベルを下げることと相似象です。



と、いうわけで630と出た私の数値ですが、
今の日本人の意識レベルの平均値は630くらいにはなっているのではないか。
つまり私などは「やっと平均点」が取れている、という状態で
決して「抜きん出て高いわけではない」のです。

そりゃそうです。
自分でも「私のどこを、どう見れば高波動なのだ?」と不思議です。
私は自分を「平均的」で「普通」だと思っているので
やはり「私は平均点だったか」と思っています。
いえ、全然残念ではありません、ホント。




世の8割の人は「愚痴、不平、不満、怒り、悲しみ、恐れ、妬み、うらやみ、やっかみ、恨み・・・」
などの低い境地にいると思う。
(「世は八分通りケモノの入れ物」という日月神の言葉より)
ただ高い波動の人は低い波動(200未満)の人達が作るマイナスを相殺
(打ち消す、平均して数値を上げるしているらしい。
(※「意識レベル」の表を参照のこと)
なので高い数値の人は少ない人数でも多くの200未満の人のマイナス数値を緩和している。




下の記事にも書きましたが<意識レベルは上げられる>のです。
400台、500台は高いと思うかもしれないが、
それって「日本人全体」を「典型的な日本人」とした場合、
意識レベルは600ですから、まだそれに届いてないことになる。
だからまだまだ向上(波動上昇)の余地はあります。
また、波動が高くても本人の志向が正流では無い場合
脇道(闇)に向いている場合があります。
それは思考力の乏しさが原因だと私からは見えます。
だから境地が高いだけではやはり不味いと思う。
波動が高い人が簡単に堕ちるということは普通にあるんですよ。
それは自分の意識を見られない(客観視できない)理詰めが通じない、
話が分からない、他人の言うことが理解できない、
自分は理解できていないのだ、と自覚出来ない・・・ということなどが原因ですから
そうならないよう、自分の意識を見、客観視して生きていくしかありません。




<意識レベルは上げられる1>(2012年1月8日)


ホーキンズ博士の意識レベルの本では
生まれてから数ポイント上げるのも至難の業、みたいなことが書いてありますが
私の考えでは意識レベルは「上がる」と思います。
naoさんは
意識レベル=波動量
としています
が、私もそれらは似たようなものだと思っています。



波動量なら「上がります」。
それ(波動)を感受出来る人限定で上がります。
相似象は日本人向けに書かれているしカタカムナは日本の超古代文明(多分ムー)と合致する。
日本人のみが相似象の考え方を会得して波動を上げられる。
勿論異民族もそれなりに学び、波動を上げることは出来ますよ。
でも系統だてて言語で説明出来るのは日本語だけです。
外人は残念ながら「良く分からないものを、自分の感受性で感受する」しかない。
それは可能です。
外人、日本語を喋れない、というハンデを持ちながらも、
自分の波動を上げることは可能です。
ただしそれはよほど素質の良い人に限定されるでしょう。
(※たとえば相似象の本に何度も例として出てくるゲーテ。
   彼は何かを悟っていたが、ハッキリと分かることは出来なかった。
   でも彼はその「何か」がある、と感受できることろまで自分の波動を上げていたことはたしか)




ホーキンズ博士は「波動を上げることは殆ど出来ない」みたいなことを本に書いていますが
上げられるし、その方法を私達は知っているのです。
世には様々な思想や科学などの知識情報が溢れていますが
相似象はそれらと矛盾しません。
何故なら次元が違うからです。
相似象はそれら、無数の思想や科学を「これはどれくらい信憑性があるか」分かるための
考え方であるし、それらを学ぶ際に「分かる自分を作るための唯一の方法」です。




下の方の記事に例として挙げたAさんについて調べてみました。
また
As a Smile 〜笑顔のまんま〜のnaoさんに調べてもらいました。



AさんがPにやって来たのは今から6年前です。
その後何度も会い、会話しています。
途中までAさんは物事が分からず、ずっと低迷していました。
勿論本人にはその自覚はありません。
自分ではそれが「普通」だし心地よいのです。
数年間、その様子を見ていて「自発的な向上は不可能である」と見定めたので
喝を入れることにしました。

赤の他人ですから、どうだろうと良いのですが
Aさんは何かを求めているようだし、わからずやのまま自覚なく行動することは
まぁ、それでもいいし、いつか自力で悟るかもしれないので
放置でも良かったのですが、例外的に「思いやり」を発揮することにしたのです。
(※誰でも思いやりを持っているのです。そのレベルが違うのです)



具体的にはAさんが本来なら自力で気付くべきところを代わりに指摘しました。
それまで何度も「これは分かるかな」と例題を出していましたが
あまり分かる様子もなく、頭の中は(???)であるのが私には分かっていました。
しかしこれから先も今までのようなことを続けても、少しは向上するかもしれないが
捗らないな、と判断したのです。
Aさんは「思ってもみない」指摘に驚いていましたが
そんなのはAさんを超える波動の人から見たら「当たり前」のことであって
思ってもみないことでは無いのです。
上のレベルの人にとってはそれは「常識」となっています。
Aさんにとってそれが「常識」では無い、ということは
Aさんはまだそのレベルに達してない、ということです。

こういうのが「境地」です。

波動量の一面に「境地」というのがあります。
心が大きくなり波動も高くなるのですが、では思いやりが大きくなり
優しくなるのか?というと「違う」と思います。
思いやりの「レベルが高い」のです。
優しさのレベルが違う。
低い人から見たら途方も無い。
考えが分からない。
というか、一見「何てヒドいことをするんだ!」状態になる場合があります。



だからそれより下のレベルの人から見たら、それは「思いやり」には見えない。
意地悪や言いがかり、異常な言動としか映らないかもしれない。




通常、この方法(面と向かって指摘)で波動が上がることは稀です。
だって本人が自分の波動を上げないなら、上のレベルからの思いやりは
思いやりには見えない、感じないからです。
だから波動は簡単には上がらないのです!

多くの人は自分の波動を守ろう、その境地に居続けようとする「我」が有りますから
不可能なのです。




低いレベルの人にとっての思いやりとは「低いレベルの思いやり」なのです。
それを超える「思いやり」は思いやりには見えないし
自分より下のレベルの人の「思いやり」も思いやりには見えない。
自分のレベルに固執すれば、「自分と同じレベルの思いやりしか、思いやりとは認めない」のです。
そしてこれが普通です。


(※では上の人が下の人の思いやりを見たら、どう思うか?
   それは「ああ、これでもこの人は『思いやりを発揮しているんだな』と、思うのです)

(※冗談も同様です。
   つまらない冗談を聞いた場合、「ああ、これって冗談に聞こえないが、この人にとっては冗談なんだな」と
   思う、分かるのです。
   よく、「そういうことは冗談でも言ってはいけない」と言う人がいますが
   こういう人の意識レベルがどれだけ低いか、分かりますか?
   ここで理詰め(整序)で考えてみてね。
   そういうコトをハッキリ分かるのも頭の訓練になります)




さて、話があちこち飛びました。
そういうわけでAさんの意識レベルの変遷を紹介します。


・Pに来る前(6年前まで)・・・360
・3年前 ・・・380

2年前にずばり指摘!
・1年前 ・・・440
・半年前 ・・470
 
ちなみに現在を再度調べたら 590 でした。

naoさん、ありがとう。

分かり方を分からない期間のAさんの波動は徐々に上がってはいるが
Aさんが何も考えて無い、分かってないことを指摘された後は
急激に波動が上がっています。
図にすると分かり易いと思います。

いったん分かり方を分かれば後は自力で「自分は何かを気付かないとならない」
「この状況から自分が学べることは何だ?」と考えていけるので、時間の質が変わり
私が放っておいてもレベル(波動)は上がる。


ただ、このやり方は一か八か、というギャンブルです。
もしAさんが私から厳しく指摘(キツい口調で叱られること)に対して
◇もう嫌だ、69とは縁を切る
と思えば、それで終了したのです。
Aさんは
◇そうか!全く気付かなかった。私はいったい何をしていたんだろう!
   69さん、教えてくれてありがとう!
と思ったのでその後、波動を上げられるようになった。




私は他人から理解されたい、好かれたい、という境地は超えて(卒業して)います。
尊敬されなくてもいいし、バカにされてもいいです。
そういうことには興味ないのです。
自分の我に固執し離れていく人はいますよ。
そういう時は(あ〜〜〜あ)と思うだけです。
またかなりのわからずやの相手もしますが別にバカにはしません。
わからずやであること自体は別にいいです。
友人達も皆さんわからずやだし。
でも大事な友人です。

分からずやであって、それを自覚せず、私の前では良いことを言い
陰では違うことを言っている人に対しては
「それは止めろ」と言い、そういう人のために時間を割くことは無駄なのでやらないだけです。
そういう人が考えを改めて向上して私と対等に会話出来るほどになったら歓迎します。

対等という意味ですが、人間と人間なので人は誰でも対等だと思っている。
しかし最低限相手の言うことを理解しないと、その会話は対等では無いのではないか。
判断力が低くてもいいから、分からないなら分かろうという意識になって
対等に会話しようよ、という意味です。




私の子供くらいの年令の人の判断力は勿論私には叶いませんが
対等に会話していますよ。
私は相手が分からずやであってもそれだけで「相手をバカにする」という
200未満のレベルでは無いのでね。
(ああ、まだコレは分からないんだな)と、思いつつ情状酌量しつつ
会話することがありますが、それが普通ですよ。
多くのことは大目に見て、そのうち分かるようになるのを待つ。
或いは例外的に、見過ごすことは止めてズバリ指摘する、という感じです。


自分の意識レベルの向上の経過、変遷をnaoさんに調べてもらうのも良いと思います。
ペンジュラムは出来る人はいると思いますが
naoさんの判定は安定しているし、信憑性が高いのでお勧めします。




<境地の例>(2012年1月8日)


マトモな社会人なら「相手を叱る時は第三者が居ないところで」というのが
常識になっていると思います。

私はこれを検証します。


まず上の方法を考えたのは「人間」である、ということ。
どっかのワケ知りのオヤジが考えたのでしょう。
オヤジ集団と言っても良い。
オヤジ内での「常識」だと思う。

しかし、果たしてそれが「一番正しい」のか?
それ以外には無いのか?
これって一見良いけど、意識レベル的にはどうよ?

ということ。



上のことなど知っている。
しかしこれ以外の方法を「敢えて取る」場合があります。
セイシンセカイでちょっと名が知れたオヤジが
「第三者がいる席で、或る人物の数年間のことをコキ下ろした」という報告を受け取っています。
それを知った私はそのオヤジは並みの人では無いと思った。
そしてそういう方法を取らざるを得なかった事情も察した。
そういう手段を取れるオヤジ、凄い・・・と。



私も敢えて「第三者がいる席」である人をこっぴどく叱ることがあります。
それには理由がある。
その境地に達してない人には理解できないことです。

多くの人の賛同、共感を集める人は冒頭の処世訓のようなことを
「正しい」とするレベルの人です。
そのレベルを超える人からは「俗物」と思われるが
世の中の平均値がそれ(それ以下、未満)なので
それが「正しい」とみなされる。

そしてこのような境地(多くの人の賛同を得るレベル)に居る人はそれで安泰です。
Aさんなどはその境地だったのでしょうね。
最初360だったらしい。
それって200未満から見たら「素晴らしく高い」境地です。
それでもいいんです。
一生そこに居れば良い。




でも、それでじゃあ嫌だ、と思うなら上げて行けば良いと思います。
誰も頼んでないし、それは勝手にやることですが。




また、この例のように「世の常識」というものは「多くの人の理解、賛同、共感を得るレベル」です。
それが一番正しいとか良いというわけでは無いのです。
素直で何も考えない人はそういう処世訓を「最も正しい」と受け取ってしまう。
そうでは無い、ということです。
そういう処世訓などたかが「そこらへんの企業のオヤジ達」が
ちょっと「巧い考えだ」という感じで作ったものですよ。
その程度の波動なんですよ。
だから私達は「その程度なのだ」と正当に理解すれば良いのであって
間違っても「これが一番正しいんだ」「これしか正解は無いんだ」「これが常識なんだ」なんて
思ってはいけない。
一つ一つ「そうなのか?」と検証する必要があります。



とは言え。
そういう理詰めが好きな人だけがやればいい。
理屈は嫌いという人はしなければいい。
しかしそういう人であっても「これが常識なんだ!」と、有るか無いか分からない”常識”を
振りかざす「愚」はやらない方が自分のためです。




<意識レベルにマイナス領域がある?>(2012年1月7日)


肩透かしを食らったカタチの「暗黒の三日間」です。
あのサイトの管理人さんは大丈夫なのか、naoさんに訊いてみました。
大丈夫ですか?
と訊いたわけではなくて「意識レベル」を訊いてみた。
すると
500と出たそうです。
レベル500は「愛のある」「恩恵」「愛」「崇敬」「啓示」の境地です。



さて。
では意識レベルが高ければ大丈夫なのか?という話。
実は或るチャネラーの人が「マイナス領域がある」と言ってます。
意識のレベルは高いが、暗黒と繋がっている人、という意味です。
ホーキンズ博士の考えではそういうのはありませんが
これ、言えてる場合があるのではないかと思います。

実は


・69さん    630 
・Aさん     590 
・Bさん     540  
・Cさん     430  
・Dさん     410
・Eさん     380 

この中に「悪霊が憑いている」と或る人(複数)の判定が出た人がいるのです。

私はそれらを総合しながら、或るチャネラーが言う通り
たとえ意識レベルは高くて心が平和で楽しく楽天的であっても
繋がっている世界が暗黒(マイナス領域)の人も居るのではないかと考えているところです。

naoさんの判定ではプラスとかマイナスとかは出しません。
それは他の人に判定してもらわないとなりません。
私もまだ考え中の案件なので、とりあえずここに書いておきますね。




<意識レベル判定をカモワンで確認してみた>(2012年1月4日)


去年の10月にnaoさんに意識レベルを判定してもらいました。

・69さん    630 
・Aさん     590 
・Bさん     540  
・Cさん     430  
・Dさん     410
・Eさん     380 

と出てビックリ。
「1巨大へえ!」
(1巨大へえ!=1通常へえ×10)でした。
予想以上の高さに驚きました。



意識レベルというのは「境地」だと思う。
その境地に至らないとそれがどんな「境地」なのか
皆目分からないし想像もつかない、という精神の世界のことです。

下から上は分からない
理解できない
想像もつかない


ということ。
これは分かりますよね?




下の境地から上の境地のなど推し量ることなど出来ないのです。
下の境地の人が上の境地の人のげんどうや行動を見ると
理解できない。

理解出来る場合は、上の境地の人が下の境地の人に分かり易く
噛み砕いてやっている。
下の境地の人でも分かるよう、分かる箇所だけを提示している。
下の境地の人に上の境地は分からないのだ、と悟り(諦め)
下の境地の人に分かる範囲内で語る。
優しいがこれをすると下の境地の人は上の境地が有ることを知らず
そのままのレベルに居続ける。
下の境地の人にとっては向上が望めない。
(※上に引き上げてやろうとするのも、そのままでいいよ、というのも
   両方思いやりです。
   思いやりにもレベルとタイプがある。
   人間は皆、思いやりを持っている。
   自分に理解出来ない思いやりなんか思いやりではない、とするのは
   かなり低次元ですが、世の多くがこのレベルにあることはたしか。
   世の多くのやり方を選ぶか、小数派のやり方を選ぶか、
   本人の自由です。
   また上の境地にあるからと言って、イコール少数派である、ということもありません)


この場合下の境地の人が自分の境地を上げない限り
上の境地の人が言いたいことは分からない、理解できない。
理解できないのだから誤解する。
しかも自分は誤解をしているとは自覚できない。
それがその人にとっての頭打ちだからです。




上の意識レベルの一覧表で
Aさんは69より下に位置しています。
Aさんは他人から見て分かり易い思いやりを発揮しますから
人間が出来ているように見えます。
しかしそのことと、意識レベルの高低は「別物」です。
Aさんの思いやりのレベルに関しては
私も放置の方向を取っていましたが、そういう人は問題を起こさず
(たとえ問題を起こしても本人の意識ではそれは「善」なので気付くことが出来ない)
従って「この事態をなんとかしよう」というアイディアは浮ばない。
その結果、ずっとその位置(意識レベル)に居続けることになるのです。

数年間観察した結果、向上の切っ掛けは無い、と判断しました。
そこに至るまでに小さい事柄を幾つも指摘しましたが
善人であるために心の根底が無意識に「自分は正しい」状態なので
根本的な改善、つまり「心の姿勢を変えること」が出来ない、と判断した。

判断した結果
◇放置
◇改善
の二つの手段を私は取ることが出来ました。
Aさんが自然に自発的に改善の方向を選べないと判断したので
外からの刺激を与えることにしました。
それは見かけ上「鋭い指摘」「説教」「叱咤」であります。
通常の言い方で分からない場合は、このような手段を取ることも止むを得ず
私も実に面倒で嫌な思いをすることになります。
(ホントなら他の人やってもらいたいです)




それでAさんに厳しく指摘するわけですが
それによって
◇嫌になって離れていく
◇そこで踏ん張り分からない境地を分かろうとする
の、大きく分けて二つの結果が予想されました。
Aさんは非常に苦しい思いをしながらも「分かって行く方向」を選びました。

それが数年前のことです。
(1年前だったかな)

それを切っ掛けにしてAさんは初めて「分かる」「悟る」「境地を上げる」
ことが出来るようになりました。
それまでの生きかたとは質が変ったのです。
後は自力で向上(意識レベルを上げること)をし続けていけば良い。



と、このように厳しく指導する、という思いやりを発揮出来るのが
意識レベル630かもしれないなあ・・・と思っています。

たとえ多くの人から理解されなくても、本人の心境はそんなもの(多くの人の賛同、ファンの存在)など
どうでも良い。
迷っている人に道筋をつけることの方が、私としては面白い。
Aさんへの指導のように面倒臭くて出来ればやりたくないことでも
その結果Aさんの意識(心の姿勢)が変ることの方が私には嬉しいのです。
(その反対に離反して行く人もいます。
 でもそれはその人が自分にとっての幸せ=自分の境地を上げないこと
  を選んだ結果なので、その人にとっては幸せで気持ちよいのだから
  それも良し、とします。
  こう言ってはナンですが、別に残念ではありません)


私は人気者になりたくもないし理解してもらおうとも思わない。
誤解する人は自分の意識レベルで世の中を見ては誤解しているので
それは私の責任ではありません。
人は皆、自分が理解出来るものしか理解出来ません。
自分に理解出来ないことを理解するためには
自分のレベル(意識レベル、判断力)を上げなくてはならない。
誰もがそれを出来るわけではなく、出来る人はとても少ないのです。
その素質を持って生まれても方法を知らないので、出来ないからです。
出来るのは多分100人に一人だと思います。
(自分に分からないことを分かるには非常な苦痛を伴います。
  そんなコトやりたくないです)




また、分かるには通常の素直さとは次元の違う素直さが必要です。
態度が素直な人は居ますよね?
でも、その程度の素直さでは間に合わないのです。
本当に心から(芯から、真から、神から)素直でないと
「自分に分からないことを分かること」は出来ません。
その心の姿勢になり、目の前の表面上のことを自分の判断力で
良いの悪いのと判断し(誤解し)て生きて行くような
頭の先だけの賢さでは間に合わない。
頭など悪くて良い。
本当の意味で素直にならないと。
その状態はカモワンで言えば愚者であり、阿呆です。
阿呆にならなければ分からない。
自分では分かってないのに分かっていると誤解して生きて行けば
一生かけても何も分かることは無い。




下から上は理解など出来ないのですが、世の多くの人はそれを知らず
自分の判断力、自分の感覚の方が正しいと思ってしまう。
そうなったら向上は望めない。
心の姿勢が阿呆では無いからです。
(※ちなみにカモワンタロットは主人公である愚者=自分は何も知らないのだと分かった人
   が辿る精神的な向上の道筋です)




Aさんの意識レベル590は或る時点での意識の大幅な変化の結果だろうと思っています。
Aさんの普段の努力、不断の努力、「向上する」という決意の結果です。
私はそのお手伝いを少々してみました。

Aさんは一度悟るという体験をしていますから
これからは自力で(自力で気付かない場合は、他人からの指摘で)向上して行ける。
Aさんは半年後に再度naoさんに判定を依頼してみると良いと思う。



Aさんは「良い悪い」のレベルは超えましたが
まだ「分かって欲しい」という心や
「良いことを盛んにする」という問題が有ります。
(※「良いこと」に特化した人は向上は難しいです。
   何故なら「良いこと」をするだけで満足してしまい、考えないからです。
   「いや、ちゃんと考えてますよ!」と答えるなら、それでもいいでしょう。
   その上の境地の話をしているのですが、それが分からずあくまでも
   今の自分の境地に居続けるならそれでいいんです。
   誰も「向上してください」と頼んではいません。

  
自分が一番気持ちの良い生きかたを選べば良いだけです)



「良いの悪いの」というレベルに居ると「良い悪い」を超えたレベルの人の言うことが理解出来ない。
それが境地の違いです。
私が語ることをいちいち「良い悪い」で考えている人が居ますが(というか、多いと思うが)
そういう視点(つまり、この視点ってのが境地ですよ)で見て(読んで)いれば
私の言うことが分からないはずです。
(※たとえば大震災に際して、それに便乗して品物を売り、売り上げから被災地に寄付する人を
   いまいちである、と書けば「でも、それは良いことですよね?」という感想が着ます。
   私は一度も「悪いです」と、書いていません。
   行動にはレベルがあるのだ、と言っているのですが
   その境地に達してないと分からないのです。
   被災地に寄付するのは良いことに決まっています。
   そのやり方のレベルを上げなさい、低い境地の「良いこと」に安住すれば
   良いことをした、という意識しかない。
   従って何も考えない。
   だからその境地に居続けますよ、それってもし向上したいのなら
   そのような方法を選ぶのは不味いですよ、という意味です)
(※上のことを最小限の言葉で悟る人がいます。
   説明されて分かる人がいます。
   説明されてもまだ分からない人がいます。
   これが境地です)




さて、何事も他人の言うことを鵜呑みにしない私です。
naoさんの判定が合っているのかを今日確かめてみました。


奇跡7カモワン2

左から過去、現在、未来で、最小限の三枚が正位置で出ました。
視線で繋がっていますから時間の経過は無く「今」のことです。
法王=先祖霊
愚者=69
節制=守護天使

69は何も考えず阿呆状態で人生の旅をしている。
それを見守る先祖霊と守護天使。
69だけでは人生の旅を行くのは難しい。
人には誰でも先祖霊と守護天使(存在)が憑いているのですよ、
だから明るく無邪気に生きなさい、と言っているかのようです。


私を表すカードとして
◇自分は何も知らない分からないことを悟った存在である愚者
◇人生を歩む主人公である愚者
が出たことは興味深い。
カモワンは訊いたこと以上のことを答えてくれます。
そして上の結果は私だけではなく、
皆さんにも当てはまる、一般的な普遍的な答えでもあります。
人は誰でも愚者であり、精神の旅を続けている(そのために生まれて来る)
それを常に守っている存在が居るのだから
安心して旅を続けよ、その態度(心の姿勢)を取り続けなさい、と言っているかのようです。
多分そうです。




<意識レベル判定を活用する1>(2012年1月4日)


上の記事<意識レベル判定をカモワンで確認してみた>(2012年1月4日)の補足。


・69さん    630 
・Aさん     590 
・Bさん     540  
・Cさん     430  
・Dさん     410
・Eさん     380 

と出ましたがこれが完全な答えだとは思っていません。
あくまでもnaoさんの判定による数値です。
出た結果の真偽を私がカモワンで占いましたが
勿論この答えも絶対だとは思っていません。
全て、参考と捉えています。




が、ここでは「出た数値が正しい」ということを前提に語ります。
意識レベルで私よりも下である、と出た方が5人います。
しかし私はそれらの人のことを「ダメだ」などと思わないしバカにしません。
この「バカにする」という意識はホーキンズ博士の表によれば175です。


他人をバカにする人はまず心の姿勢に「バカにする」というのがある。
心の姿勢が「他人をバカにするモード」になっているのです。
そして
こういう人は良くてレベル175(嘲笑)悪くて75(軽蔑)ですから
本人は判断力は乏しく、見るもの聞くものをきちんと正当に理解できない。
殆どの場合、「誤解しては相手(第三者)をバカにする」のです。
そういう人、いませんか?

私がそれらの人(200未満)を相手にする場合
相手が勝手に誤解しては私をバカにしているようですが
そういう場合、怒りがわくことは無くただ(ああ、バカだなぁ)と思います。
(※ここで、相手をバカだと思うことと、相手をバカにすることの違いを感受してね)
(※とは言え、判断力が低いと上の説明の、差が取れないが)




さて、私は相手がどうであれ、バカにはしませんが
たとえば意識レベル590のAさんを見て(ああ、コレが分からないんだな)と思います。
Aさんの分からなさが分かる、見える。
限界が見えるのです。


上の表では最後のEさんに関してはまだ「分からなさ」は見えていません。
会話したことがありますが、それでも「分からなさ」は今のところは私からは見えません。
それは「見える場面」に遭遇していないからです。
なので私はEさんが「どこまで分かっているか」をまだ知ることはありません。
付き合うに際して「この人はどこまで分かるのだろう?」ということを
考えながら付き合うことは無い。
何かの拍子に「見える」んですよ、ということをことわっておきますね。

たとえばDさんはブログを持っているので私から見て
意識レベルが分かります。
Bさん、Cさんとは会話して分かりました。




また、会ったことが無い、個人的に知り合いでは無い場合でも
ブログなどを読めばその人の「分からなさ」は見えます。




<意識レベル判定を活用する2>(2012年1月4日)


下の記事<意識レベル200以下の人>(2011年12月29日)で述べた、
200未満の人達に200を超える人達に通用することを説いても
心の姿勢が
「嘲笑(175)」
「怒り(150)」
「失望、否定(125)」
「軽蔑(75)」
「非難(50)
」「復讐心(30)」
「嫌悪(20)」

の人達には通じない。
そして勝手に感情的になり(怒り、悲しみ)相手を軽蔑したり非難したり攻撃します。
実に面倒臭いです。




上のような反応は「境地」です。
だから行動や言動を見ただけでは分かりません。
相手の境地を見るには情報が必要です。


たとえばXさんと言う人がいます。
その人はブログを運営していました。
メールのやり取りもしましたが、文面からは「非常な分からなさ」が見て取れた。
しかし良い人だし、向上しようとしているようだし
そういう場合は、それで良い、少しづつ着実に進んでいけば良いので
それでOKでした。

ところが或る人からその人の「真相」を聞かされてビックリしました。
Xさんの文面からだけでは私は情報が足りないので分からなかったが
真相は全く違っていたのです。
情報を送ってくれた人からは「69さんなら分かると思いました」と言われたが
(メールでね)
いやいやいやいやいや!
ブログとメールだけでは分かりませんよ。
それらで分かるのは「表面に出している、分からなさ」だけです。
裏表が有るとか非常にプライドが高いとか、そういうことは分かりません。
表に出していることから推理するしかないのです。
その方には「私は霊能者じゃないので、ブログやメールから判断するしかないので
分かりませんでした」と答えておきました。




さて、
人間として最低限クリアしておきたいのが意識レベル200です。
ここをクリアしない人の意識は低く、話も気持ちも逆に受け止めるようなので通じません。
以前<裏側の人>という記事を書いたが、200未満の人は裏側の人である、と
言って良いでしょう。
思いやりも話も通じない人達です。

と、書くと「それが悪いというのか!」みたいな反応をする人達のことです。
誰も「悪い」なんて言って(書いて)無いのですが
自分が「良い悪い」で判断している上に自己中心ですから
相手も「良い悪い」を言っているのだ、と勝手に思い込むレベルです。
こういう人は本当に自滅するんですよ。
いくら頭が良くても、です。




私のお客さんの殆どは多分200をクリアしているのではないか。
そうでないと私が書く記事について、いちいち勝手に誤解しては感情を害し
攻撃したり、愚痴を言ったりするからです。
(実際にそういう人はいる。
  本人は意識を変えようとはしない、というのが特徴です。
  裏側に居る人は自分の意識を見られないので、事実上無理です)

殆どのお客さん(閲覧者)は200をクリアし
310(希望、意欲、楽天的)以上にいると思います。
そして600を超えている人もいると思います。
700となるとマスター、アバターレベルだと思うので滅多に居ないと思いますが。




<意識レベル200以下の人>(2011年12月29日)


このサイトをご覧の皆さんの意識レベル(ホーキンズ博士による)は
最低でも200を超えているのは勿論、400近いか400を超えていると思います。

しかし世の多くの人は200未満ではないか。
心の中に
◆不安
◆蔑み
◆怒り
◆恐れ
◆妬み、羨み
◆悲しみ
◆絶望
◆恥
を抱えて生きているようです。



大変ですよね。
でも、そういう人はそういう状態が「普通」なのです。
そういう人に「その状態では苦しいでしょ?だったら心を変えましょう」などと言えば
大変な反作用が返ってくるのがオチです。
そういう人は愚痴しか言わないので
愚痴を言うのはさぞかし苦しかろうと、親切心を発揮して助言しますが
そういう人は「愚痴を言うこと」が他人とのコミュニケーションの唯一の手段なので
それを取り上げられることは本人にとっては
「自分の存在意義を無くされた」
「自分の価値観をゼロだと判定された」
みたいな意識になり(勿論当人にとっては無意識ですが)
感情的になり、動物次元をむき出しにします。

しかしこういう人がこの世では「普通」ですかね。
一番多いレベルだと思います。



こういう人って私が思うように「レベル200未満」なのか、調べたくなったので
「Viva!(ビバ!)」のぱとりさんに占ってもらいました。
とりあえずその典型とも言えるひとをモデルにしましたが実はこういう人はどこにでもいます。
だから一般論として受け止めてください。
この記事をご覧の皆さんの周囲にもいるはずなので、彼らがどのような意識状態なのか
そしてこれからどうなっていくのか、知るための参考にしてください。




「たとえ愚かでも、心が明るければ正常のうちに入るだろう」ということで、
naoさんに倣って「普段の意識レベル」で占ってみました。


*************************************

 質問:今の●●さんは普段の意識レベルが200以上あるか?
 答え:NO (2枚逆位置)

                 過去      現在      未来

奇跡7カモワン

  ☆カードの展開 (R=逆位置) 

   過去:愚者 R
   現在:運命の輪
   未来:正義 R


  ☆カードの配置 (矢印=カードの視線)

   審判 R ← 愚者 R  運命の輪  正義 R

   神の家 ←  皇帝          悪魔


  ☆展開の解説

   過去位置の『愚者 R』はその名の通り「愚か者」であり、
   「移行できない」という意味も持ちます。
   これは、
   「●●さんの普段の意識レベルが200以上ではなく、
    意識レベルを向上させるための知恵も持たないので、
    200以上に移行したくとも移行することができない」
   という意味でしょう。

   『愚者 R』の視線カード(関心事)として、『審判 R』が出ています。
   これは「知らせに気づかない」「天啓を受け入れない」などのことを表し、
   「●●さんが意識レベル200以上に移行できないのは、
    天からの『あなたは変わらなければならない』というメッセージを
    受け入れていない(受け入れられない)から」
   ということがわかります。

   さらに『審判 R』の解決カードとして、『神の家』が出ています。
   このカードは「衝撃に耐え、天意を受け入れる」という意味ですから、
   やはり「自分が間違っていた」という「衝撃的事実」を受け入れない限りは、
   ●●さんの心に平穏が訪れることはないでしょう。

   また、『愚者 R』の解決カードとして、『皇帝』が出ています。
   『愚者 R』が「夢見がち」であるのに対して、
   『皇帝』は「徹底的なまでの現実家」であり、それに加えて、
   『皇帝』の視線カードは先ほどの『神の家』ですから、
   まるでカードたちがこぞって●●さんに
   「いい加減にこの現実を見なさい」と忠告しているようです。

   現在位置には『運命の輪』が出ています。
   これは現在が「運命の分かれ目」であり、
   「まだ今ならばやり直すことができる」という救いの示しでもあります。

   ただ、この『運命の輪』の回し手(向かって右)の位置に、
   未来位置の『正義 R』がきていることから、
   残念ながら●●さんはこのチャンスを活かせないか、
   むしろ今より悪化する傾向にありそうです。
   なぜならば『正義 R』は「判断力不足であること」や、
   「浮き沈みの激しすぎること」を表します。
   ですからこの先も、自分自身によって、
   ●●さんの意識レベル(心)はジェットコースターのように上下運動することでしょう。

   『正義 R』の解決カードとして、「隷属」を示す『悪魔』が出ていることから、
   浮き沈みの激しい心のバランスを取る解決策のために、
   ●●さんは何かに「隷属」しようとするでしょう。
   「何か」というのは、「とりあえずの安心をくれる何か」です。

   意識レベルでは、「奴隷状態」を意識レベル125と定めています。
   意識レベル125にある言葉を使うなら、
   それは、常日頃から「あなたは間違っている」と相手を『否定』し、
   「あなたはわかってくれない」と『失望』し、「わかってほしい」と『切望』し、
   心はいつも叶わない『欲望』に満たされる…という境地ではないでしょうか。




ぱとりさん、ありがとう。
いつもながら素晴らしい腕前です。
現在の位置に「運命の輪」が出ているので
「今が波動を上げる(最後の)チャンスです」と言ってますね。
しかしせっかくのチャンスも生かせないようで気の毒です。

naoさんが意識レベルを調べていますが
「私は意識レベル400をクリアしていますか?」という質問の仕方なら
カモワンでも答えられますね。
YESならそれでよし。
NOなら「どこを改善したら良いか」までカモワンは答えてくれますから
ぱとりさんに訊いてみるのも良い方法だな、と思います。




ここでゲリー・ボーネルの「光の12日間」の内容を紹介します。
その時までに葛藤を手放さない場合はどうなるのか、書いてあるので
とても参考になります。

http://www.garybonnell.jp/pdf/light12daysupdates.pdf




<人は皆超能力者>(2011年12月27日)


皆さんのお宅にも要らないものが沢山有ることでしょうが
我が家にも要らないものが沢山有ります。
なので「昨日買ったばかりのほぼ新品の本」でも
一度読めば良いのでもう要らないから皆さんに差し上げようとプレゼント企画をします。

その他にも何度かプレゼント企画をしていますが不思議なことが有るんです。
プレゼントは「早い者勝ち」の場合が有ります。
で、そんな時「自分が一番だろう」と、通常は思わないと思うのですが
当籤する人は「自分が当たると思っていた」と言うんです。
当たる前に自分の当籤が「分かっている」ような口ぶりですが
それが当たっているので驚きます。




人は皆超能力者なのです。
下の記事<ゲリーの本>にもそのようなことが書いてありますが
これを当てたKさんもこのように書いています。


ありがとうございます!
今回、当たる予感がしました

皆さん、凄い・・・



<ゲリーの本>
(2011年12月27日)


ゲリー・ボーネルと坂本政道の対談本をプレゼントします。
重要なことが幾つか書いてあります。
先着一名様に差し上げます。
件名「ゲリー」で本文には「〒住所氏名」を書いてメールください。
今までに何か当たった方も応募出来ます。終了しました




<月食以降>(2011年12月15日)


私は鈍いので何も感じないのですが12/10の夜11時頃から始まった
月食の時から「明らかに以前とは違う」と感じている人が何人もいるようです。




天体は物理の法則の通りに運行しています。
でもそれは単なる物理現象では無いと思います。

天体の性格や動きや位置関係から世界や国、個人の運命を読み取れるのだ
という前提で占星術が生まれました。
天体の動きは単なる物理現象以上の意味がある、というのが
考えの基本にあります。
そして私が思うに、これは当たっていると思います。




話を天体に戻します。
天体の性格や位置などは何かを表現しているのでしょう。
日々平凡な何も起こらない時の天体の位置も重要ですが
日食や月食など、大きなイベントの時は国や世界などに関する重大な意味を持っているのではないか。
イベントとして。
その前とそれ以降とでは明らかに何かが変るのではないか。

勿論個人の単位でも大きな節目となります。



皆さんから月食の日(12/10)を境にして
何かが変ったという報告が幾つも寄せられているので
やはり天体の運行と波動と世界、国、個人の運命とは何か関係が有る、と
思っているところです。




<メールが届かない>(2011年12月12日)


「奇跡の日々6」で、波動が違い過ぎるためにメールが届かなくなる事例を挙げましたが
あれ、本当に届かなくなる場合が有るようです。




私の友人にQさんという人が居ます。
そしてQさんから製品を買ったZさんという人がいます。
その人はQさんをとても気に入り、頻繁にメールを送っていたようです。
ところが或る日からQさんからの返信が途絶えてしまった。

Zさんは思考力に乏しい人で殆どの物事を悲観的に捉える人なので
Qさんから無視されたと思っているようです。
そして挙句の果てにはQさんを呪い、三串〜や追っ田〜でQさんの悪口を盛んに発信しているそうです。

私はそれを知り、Qさんに申し訳ないことをした、と思いました。
ZさんにQさんを紹介したのは私だからです。
なのでQさんに会ったら「変な人を紹介しちゃって済みません」と謝ろうと思っていました。
先日Qさんに会ったのでお詫びを言うとQさんはそのことを全く知りませんでした。
というか、Qさんの所へはZさんからメールが来てないのだそうです。
Qさんはケイタイを使用しているのでメールが来たら即効で返信をしています。
私がメールをしても即効で返事が返って来ます。

なのでZさんからメールが来ていたら返信しているはずなのだそうです。
でもQさんのケイタイにはZさんからのメールは「来て無い」と言うのです。
Qさんはそのようなことでウソを言う人ではありません。
ウソをつく必要も無いことだし。




これ、どういう現象でしょうね?

多分ZさんからのメールはQさんに届いてないのだと思います。
何故か?
波動が違い過ぎてしまったので、そこにどのような物理現象が起こっているのか知りませんが
異波長のメールは届かない世界に突入した・・・のかな?




<暗黒の三日間/ルーン占い他>(2011年12月10日)


「Viva!(ビバ!)」のぱとりさんが「暗黒の三日間」について
ルーンとカードで占っているのでここに紹介します。




「どうなんだ暗黒の3日間」



<アセンションは今年中?>(2011年12月5日)


アセンションは今年の12月28日だ、と書いているブログが有ります。
http://blog.goo.ne.jp/minoris_2010/e/f34a624d2e0d97749448b4f8b93b489a

マヤ暦とは、シリウスからもたらされたものであり、
この3600年の間、有効だった地球と銀河の暦であった。

それは、約3600年ごとに、
二ビルが太陽系を巡っていることに関係している。

3600年ごと、二ビルが太陽系を通過する度に、
太陽系の惑星群は、軌道の変化、地軸の移動といった大変動を経験し、
太陽系の全惑星が、混乱から秩序を回復して、安定軌道を運行するまで、
新しい暦は不明となる。

3600年ごとに、地球の一日、一年が変わる。


地球は、二ビルの強い引力を既に受けており、
来年から、正しい暦が(変動の為に)不明となる。
(来年から地球の一年は365日ではない。)

そのために、正確なマヤ暦は、
今年2011年の年末で終わっている。

そし同時に、宇宙の非常に不思議な秩序によって、
この期間に、地球は、
銀河の中心より放射されているフォトンベルトに入る。

マヤの暦(シリウス・銀河暦)は、
この二つの大きなサイクルの終焉を、クロスさせて、
終わりの日として設定された。

通称云われているところの、2012年12月21日は、
正確な「マヤ暦の終わりの日」から、ほぼ一年ずれている。

また、カール・コールマン博士は、その日を
2011年10月28日としているが、
これは、非常に近かった。
しかし、正確には、2ヶ月ずれている。

正確な「マヤ暦の終わりの日」は、
2011年12月28日
 であった。
(古代マヤ人に直接確認した。)


そして、この約一週間後に、「暗黒の3日間」がある。

この3日間は、じっと家に居るしかない。
外出したり、友人知人を助けることは実質無理だろう。

家で、静かにろうそくを灯して、
なごやかに、できれば、
頭が錯乱したり、混乱したりしている多くの方々のために
静かに祈ってほしい。
(外は激しい騒乱状態になる)

飛行機もなるべく避けていただきたい。
(運行中の飛行機も、フォトンベルトに入った瞬間から
 電気系統が止まり墜落する。)

3日間後に、太陽が見え、明るく、
何事もなかったような地球の毎日が始まる。

自分が、未来を見た時、そこに見えたのは、
1 4 1 7 という数だった。

2012年1月4日から 2012年1月7日までの
3日間、私は、「暗黒の3日間」が来ると予言する。


2012年1月上旬、すべての方々に、
「暗黒の3日間」のための準備をするよう要請する。



「アセンション」というブログのこの記事にもそれらしいことが書いてあります。
http://cecye.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/part-3-9630.html

2011年1月 3日 (月)

現在、少しスケジュールが早まって、2011年末頃までに、
そこそこ大きな次元上昇が起きる可能性が高まってきている Part 3

3、現在の地球では、さまざまな時空的な混乱の経緯から、
未来の知識やテクノロジーが、いつでも活用可能な状況になっているので、
もし、それらが公開された場合には、現在の地球は、
そのまま素晴らしいユートピア世界に変貌してしまうことになる

 第三には、これも、現在の時点だと、ほとんど夢物語のようにしか聞こえないのではないか、
と私は思うのですが、先ほど述べたような地球独特の時空間の状況の経緯により、
実は、現在の地球というのは、これから未来に起きうる、ほぼすべての未来の出来事と、
それから、そうした未来に開発されるスーパーテクノロジーのようなものを、
そうした秘密地球政府というか、政府の裏にある秘密機関のようなところは、
もうすでに、ほぼ何でも知っているし、また、
いつでも活用可能な状況になっている、ということなのです。

それゆえ、これは、現在、ハイテク企業や研究機関などで、
日夜、一生懸命、研究や開発に取り組んでおられるような人々にとっては、
まさに夢の技術、というか、逆に言うと、現在の仕事を、
ほとんど不必要にしてしまうような、とんでもない技術の数々になってくるのですが、
そうした知識や技術を、この地球上で、すべてオープンにしてしまうと、
その時点で、現在の地球は、ほぼそのままの形で、ほとんど働かずに、
夢のような楽しい毎日が過ごせる、素晴らしいユートピアのような
世界に変貌してしまうことになる、ということなのです。

 ところが、こうした、さまざまな秘密の公開は、それは、
即、前々から述べてきたような闇の勢力に属する人々にとっては、
全く好ましくないような話ばかりになってくるので、それゆえ、
現在、こうした闇の勢力に属する人々のマインドコントロールを、
いかに早く解き、そして、できるだけ、多くの人々を、
光の勢力の一員に取込んでゆくか、というような光と闇の戦いにおける最後の駆け引き、
というか、猛烈な思想戦争のようなものが、現在、
人類の歴史の水面下においては、非常に活発に行われている、ということが言えます。

このように、現在、非常に活発な光と闇の戦いが行われているので、
はっきり言って、まだ、完全に確かな未来の状況というのは、
ほとんど何も言えないような状況ではあるのですが、
しかしながら、もし、近い将来、こうした光と闇の戦いにおいて、
光の勢力が、闇の勢力に対して、かなりの勝利を収めることができた場合には、
これは、本当に、それほど遠い将来というわけではないのですが、
現在の地球人類にとっては、ほとんど夢の知識や、
夢の科学技術のようなものが、すべてオープンになって、
瞬く間に、地球全体が、夢のユートピア世界になってしまう、
というような未来のシナリオも、実際、かなりの確率で、現実味を帯びてきている、ということなのです。


 このように、これは、かなり厳しい条件ではあるのですが、
もし、こうした三つの条件がクリアーされた場合には、
すべての人類にとって、より良い形でのアセンションが実現すると共に、
そうした未来のアセンションの影響によって、
2012年の末ではなく、2011年の末ぐらいまでに、
そこそこ大きな次元上昇が起きる可能性が、
現在、高くなってきている、ということが言えるのではないか、と私は考えております。