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或るセミナー
※文中に「大本の先生」とあるのは、大本教のことではありません。
  この「行」を考案した、大本の人である、という意味です。

<或るセミナー1>(2010年4月16日)


去年、或るところで或るセミナーを開きました。
講師の先生は50歳前後の女性と、同じくらいの年齢の男性。
女性の先生の方、穏やかで真面目な方とお見受けした。

ところが、そこに出席した参加者がどう見ても意識レベルにかなりの差があった。
判断力とかではなく、心の気高さの点でかなり開きがありました。
仮にそれを白と黒で表現しますね。
私関係の人達は白でした。
私が知らない人達は黒が主流でよくて灰色、一人だけ白がいた。

※白と黒というのは、意識の明るさを色で表現しただけです。
  そういう色が見えた、ということではありません。

その女の先生は霊能者だということで、そこらへんの差が分かったかな、と思っていたらそうでもないようです。
差が見えないようでした。
(これはその時に感じたものではなく、後から調査した幾つもの証拠から導き出しました)

人柄が良くておおらかな人ならそういう差が見えない人も沢山いるので、まぁ、いいか、と思っていました。




その女先生に対する私の感想は「人柄は良いがいまいち」というものでした。
でも、そういう人も多いし、人柄が良いのだから、良いのです。
いまいちで人柄が悪い人が大勢いるので、そういうのに比べたら良い。
いまいちというのは判断力の点です。
でも、判断力というのは、意識して毎日を過ごして身につくもので
そうでは無い場合、何も知らない場合には、いくら年をとっても判断力は向上しないので
その点から見ると「普通のおばさん」でした。

でも、真面目で優しく温厚だから良い、と思う私でした。




<或るセミナー2>(2010年4月19日)


そのセミナーの後、セミナーを主催したAさんが自分のブログにその話を書きました。
その時個人情報なので、イニシャルの仮名を書きました。
するとセミナーの講師がそれを読んで「〜〜氏ではダメ。〜〜先生と書かないと、通りません」と言う。
Aさんは個人情報なので、仮名にしたが、ダメだったのか、でも変なことを言うな、と思った。
でも、個人情報が出ても良いと本人が言うんだから、では言うことを聞くか、と書き直した。

しかしその頃から講師の言うことや行動について(?)と思うことが増えて行った。
その時までは私から見てAさんは講師に対して信者をやっていました。
本人もそれを認めています。
◇霊能力が有る
◇本を出している
という二点から、自分とは違う、何か特別な偉い人のように思っていたそうです。

その証拠となる行動を私は把握していて、それをAさんに突きつけてやりました。
私「あなたは何故○○さんに自分と同じように、参加費を払えと言ったんですか?」
私「それはあなたが先生を尊敬しているので、○○さんにも自分と同じように尊敬しろ、ということではありませんか?」
私「あなたは相手が若い女性でやや社会常識に欠けている面があるので、無意識に舐めていたのではありませんか?」
私「あなたは自分が良いと思ったことを相手に従わせたのではありませんか?」
私「それはあなたのどういう心が原因ですか?」
と、どんどん質問をしました。

Aさんは自分が先生を奉っていたこと、を意識化しました(つまり、悟った)。

私「相手が霊能者なので、素晴らしいと思い他の点には目が行かず奉ってしまったんですね?」
A「そうです」
私「では何故、相手が霊能者だと奉ってしまうんですか?」
A「・・・・・・・・。」
私「相手が霊能者だろうとナンだろうと、同じ人間じゃないですか。
   ちなみに私は相手がナンだろうと自分と対等の人間だ、と思いますよ。」
A「・・・・・・・・。」
私「私には霊能者の友人がいますが、別に奉ったりしませんよ。他の人と同じです。
   私が人間を見るときは判断力と心のきれいさしか見ません。」
A「見る目が曇っていたと思います。」

私「Aさん、最低ですね。」



しかし、ま。
その先生は途中までは普通だったそうです。
セミナーの後から(?)と思うところが増えて行ったのです。
なので、Aさんの人を見る目が最初は奉っていたのはまずいが、途中からの変貌はAさんにとっては想定外。
その点は仕方ないと思います。




<或るセミナー3>


さて、その先生ですが、今までのことを総合するとどうも、そのセミナーを開いてから悪化したようです。
Aさんが言うには、その先生、一般の参加者、こう言ってはナンですが、
私から見て大変、低波動な人達には何も感じず、或るサイトから行った人達に対して違和感を感じていたらしい。

◇一般の参加者=低波動=心地よい
◇某サイトからの参加者=高波動=気分悪い
だったそうで、そういうことはもっと早く言ってくれ、Aさん、と思いました。
それなら私は皆さんに紹介などしません。
(初のセミナーの時は除いて)


だからその点からもAさんの判断力不足が分かる。
Aさんは先生と某サイトの間を取り持とうと思ったようです。
自分の手に余るのに。
そこらへんの判断力が実に低い。
なので、私から罵倒されるわけです。




さて、それは置いといて。

その講師先生が悪化したのは、どうも某サイトからの参加者が原因だというのは分かります。
その先生が低波動だった場合(これは99%低波動だと、調べがつきました)、
自分の波動を遥かに越えている人を相手にした場合、気分が悪化する。
それはこの人だけではなく、多くの場面でそういうコトがあるんですよ。
皆さんも経験があると思います。
皆さんの気分が悪化するのではなく、皆さんを相手にした、相手の方の気分が悪化するのです。
多分光が眩しくて嫌になる。
この光というのは霊的なものです。
目には見えない。

目には見えないが、表情言動行動態度から、それはハッキリ分かる。
その差が分かる人が某サイトの関係者にはとても多い。
皆さん、波動の違いをハッキリ感じ、嫌になっています。

◇自分よりも光が多い人を相手にする=嫌になる
◇自分よりも光が少ない人を相手にする=嫌になる

分かりづらいかと思いますが、お互いに嫌になるのです。




その先生は多分某サイトの関係者の光に当てられて嫌になってしまったのではないか。
何故それが分かるんだ?と言うと、Aさんがその後その先生達を相手にしたら(?)な点がどんどん見えて来た。
とても人並みでは無いそうです。
詳しい話はAさんに聞いてください。
とにかく判断力が無さ過ぎるそうです。

そしてそれはセミナーの前にはそんなに見えなかったのに、セミナーの後には見えるようになった。
セミナーを切っ掛けにして先生は光に当てられ何かが変化した。

光に当たったら良くなるのでは?と思うかもしれません。
反対です。
これについてもいつか書きますが、光に当てられると苦しいんですよ。
良く何かのセミナーで「光を当てる」とか言ってますが、あれはその光に耐えられる人でないと
苦痛以外の何者でも無いのです。
私は或る時、光を当てられて凄く苦痛だった、という人を知っています。
本人にはその意識がありません。

本人はその原因を「自分が相手に光を当てられたからだ」とは思ってない。
逆なんです。
「私は何もしていないのに、相手がヒドイことを言った」となってしまう。
これが光を当てられるということの実例です。
分かりにくいでしょ?

(「未来からの生還」という本に自分よりも低波動と高波動の魂を相手にしたら、
  両方気分が悪化した人の体験談があった。
  気持ちが良いのは「自分と同波動の人」だけだった)




その先生。
某サイトの関係者の明るい光を当てられて、何かを刺激したのでしょう。
某サイトの関係者は重いモノを持っている、とAさんに言ったそうです。
私はそれをAさんから聞いて
「おかしいな。一般の参加者の方がよほど、重いはず」と思いました。
でも、まぁ、その言葉は一般の参加者はもっと重いけど、という意味かもしれないので
とにかく私は先生と直接会話をしていませんから、そうなんだ、と一つの情報として受け取っていました。




Aさんが言うように某サイトの参加者が、先生の低波動を刺激したのかもしれません。
とにかくセミナー当日までは、私も知っていますが、先生は普通でしたから。
その後だんだん変な点が出て来たようで、先生が悪化したのはセミナーで光を当てられたからだ、というAさんの説も頷けます。




<或るセミナー4>


さて、そのセミナー後にだんだん変なことを言うようになった先生。
Aさんが言うには「地球の波動が毎日上がってはいるが、或る節目の日があり、その時大幅に上がる。
それが先生に悪い影響を与えているのではないか」とのことですが、それは言えます。

今地球は毎日光(波動)を増しているそうです。
それについて行けない魂が、光を当てられて悪化しているのです。
魂に光を当てるとは、心の奥底にある闇に光が当たるということです。
その際
@それが良い影響を与える人=普段から自分で心に光を当てることが出来る人=自分の欠点を意識化する訓練が出来る人
Aそれが悪い影響を与える人=普段から自分で心に光を当てることが出来ない人=自分の欠点を見たく無い人
の2通りある。


@の人は自力で自分の魂に光を当てようと思っていますから、地球の波動が上がり光が増せば
それは本人にとっては有り難い手助けになっています。
Aの人は自分の闇に光など当てたくない。嫌だ、見たくないのです。
なのにそこに光が当たってしまうので、苦痛で仕方ない→信じられないような思考&行動を取る→猟奇的犯罪など

極端に別れています。
が、これは本当のようですよ。




講師の先生が某サイトの関係者に対し、良くない印象を持ったのは本人が光を拒否する方だからだ、
と言えるのではないでしょうか?

私は一般の参加者、あのような暗い人達に対して違和感を感じないのは
最初は先生がおおらかで物事に拘らないからかな、という可能性を想定していましたが、
その後入った情報からどうもそうでは無い、先生は最初から一般の参加者と同レベルだったから
何の違和感も感じなかったのだ、、、、、と分かりました。




<或るセミナー5>


さて、途中までは先生を崇め奉っていたAさんですが、自分が書いたブログについて
先生から妙なクレームが来た時点で(?)と思いました。
それから先生の言動行動がどんどん(???)となって行った。
Aさんの崇め奉る気がだんだん薄れて行った。
すると先生の、Aさんに対する態度がどんどん悪化して行ったそうです。

指令が滅茶苦茶。
一般常識無し。
思い込みが激しく、事実の確認無しで、あらぬことを決め付ける。
他人の話を聞かない。なので、やることが頓珍漢。
それを指摘すると、「そうは言うけど、Aさん、あなたに前から言いたかったことがあります!」と
関係無い話題に転嫁してしまう。
論理滅茶苦茶。

Aさんは大変温厚ですが、どんどんおかしくなる先生に対しては崇める気がどんどん薄れる。
それと平行して先生のAさんに対する態度がどんどん悪化する。



或る時、或る場所で行われた行事に参加したAさんは、そこで自分の意見を正直に述べました。
その意見は普通の意見ですが、信者なら言わないような内容でした。
Aさんの意見に腹を立てた先生はAさんに説教メールを送ったそうです。
ところがAさんはたしかに自分はお調子者でおしゃべりだ。
この件については私は意見を求められたので、
「たしかにAさんにはそういう面があるので注意した方が良い」と言いました。
Aさんはその自覚があるので、反省したが、
でもそれとこれとは違うと思い、この件について何日もかけて深く考えてみた。
その結果、やはり先生の怒りの理由はおかしいと思った。


@たしかに自分はおっちょこちょいの調子者である。おしゃべりだし、余計なことも言う。
Aしかし先生が言っているのは、そういう問題では無いようだ。

Aさんは以前から先生については(何か変)と感じていましたが、この一件でそのなんとなく、が
はっきりしたのです。
ボンヤリしていたものがはっきりして来た。
ようやくイマイマにキを入れることが出来るようになった。




<或るセミナー6>


その後、Aさんは久しぶりに自分の実家の親戚、本家筋の家に挨拶に行くことがあった。
その時親戚が珍しく「ウチの屋敷神は力が強いんだよ」と言った。
今までそんな話は聞いたことはあったが、(へえ)で過ごして来たのに、その時は(お参りしてみようか)と思った。
そして先祖代々を守って来た屋敷神に手を合わせた。

その後私と一緒に或る場所に行きました。
電車に乗っている間Aさんは今までの顛末を少し教えてくれました。
その後或る霊能者と会い、意識レベルの話になった。
その霊能者が言うには(本当かどうか分からないが)私とAさんは1000あるそうです。
今、地球の波動が上がり、人類の最高が1500になっているそうです。
(これが真実かどうかは調べてみてください)

Aさんは思いついて先生の波動を見てもらったら「300」だと言うのです。
それを聞いて驚くAさん。
人類の最低限は200です。
200未満は、私ならTQ霊に分類しますよ。
それをクリアしているんだから、良いと思うな。
でもAさんはショックを受けていました。
私は今までの顛末を知りませんから300だって良いと思う、と思っていましたが。




その霊能者が言うには或る「行」を行うにはレベルが500無いとまずいそうです。
500未満の場合は、繋がる世界がまずいそうです。
500は愛のレベルですから、納得が行きます。
(その行を愛なくしてやるってのは変なんですよ。では何のためにやるの?と私は疑問です。
  多分自分の得のため、救われたいから、とかですかね。
  だったらやらない方がいいですね。
  それなら金を稼いだ方がいいですね。
  いや、この行をやると「良いことが起こる」と言うので、やるのかもしれませんがね)

愛なくしてそのような行をやること自体、私には理解し難いのですが、世の中にはそういう人もいるんでしょう。
というか、多いのでしょう。
だから一般の参加者達は一様に暗い顔をしていたわけですね。
(これは私だけの感想ではありません。体験談が幾つも来ています)


某サイトの関係者の方の殆どは500を軽くクリアしていると思うので大丈夫です。
危ないと自分で思ったら日々、精進してください。
間違ったプライドがあると、いつまでもその場(意識レベル)に居続けるので、
自分を客観視して、妙なプライドが捨て、素直になって生きてください。
それが出来ないとまずいです。




またその霊能者の人はAさんが自分では良かれと思って沢山の人に
先生を紹介してしまったことがカルマになります、と言われた。
私は二人の会話は聞いていませんでしたが、いろいろアドバイスを受けたようです。

Aさんは帰りの電車の中で、その霊能者に会えたことをとても感謝していました。
そしてそれは自分の家に代々祀られている屋敷神のお陰かもしれない、と言ってました。




<或るセミナー7>(2010年4月20日)


その後、Aさんは先生に「こちらでまたセミナーを開催したいとのことですが、私には仕事があり、
主催は出来ません」と、断ったら、何故かすんなりと止めることが出来た。
これも先祖のお陰かもしれない、とAさんは思っていました。

この時もAさんはいつもの癖を出した。
先生が、Aさんがやれないなら、他の人、Bさんに頼むといいました。
するとAさんは関係無いのにBさんに「出来ないから断った方がいい」と余計なアドバイス。
これ、Aさんは悪いと思ってないので問題です。

Bさんが自分では出来ないと思ったら、自分で断ればいいだけです。
何故Aさんは他人のことに口を挟むのか?
というか、その際、情報を与えて相手に考えさせるのなら良いのです。
が、Aさんは命令してしまうのです。
「〜〜した方が良い」tp。
それでは自分が過去に或る若い女性に対して自分が良いと思うことを押し付けたことと同じではありませんか。
その件については、電車の中で即、私から「それは余計なことである」と指摘されました。

Aさんの欠点です。

@Bさんが自分で出来るならやれば良い
ABさんが自分で出来ないなら断れば良い

それだけ。

Aさんのような良い人は、行動の基礎に「他人のため」というのがあり、それは「良いこと」に分類されていますから
なかなかそれを「ダメ」であるとは自覚できないのです。
今回のこともAさんが先生を奉り、崇め、先生のためになろうとしたことが原因なのです。
そこを悟らないとならない。

Aさんはたまに私に叱られていますが、今回はとことん、叱られました。
Aさんは神妙に聞いていました。




<或るセミナー8>


セミナーの前にAさんがお知らせの原稿を私に送ってくれましたが、
それを見たら呆れた。
「お待たせしました!!」とか、書いてある。
私はAさんに「誰も待ってないのでそのような表現は不要」と突っ込みメールを入れました。
Aさんは温厚なので「そうですか・・・」という返信。

こういう態度が心酔であり、陶酔であることを本人は知らない。
困ったな、と思いました。
Aさんは霊能力が有る人や本を書いている人に対して、無条件で心理的にひれ伏してしまったのでしょう。
感激屋なのは良いが、それは個人のレベルに留めておくべきです。
他人に対してそれをさらけ出す・・・しかも多分「良い」と思っている。
判断力の点において、かなりまずいです。

今回の件を総括した時点で私はAさんにそこらへんを指摘しました。




まず、ここで一つ知らなくてはならないことがある。
それはこのような「行」は趣味の範疇に入るということ。
趣味というのは他人から見たら「モノ好き」以外の何者でもないこと。
これをしっかりと頭に入れて行動するべきですね。
間違ってもそれを「良いことだ」「素晴らしいことだ」「他人はやってない、特殊なことなんだ」とか実質以上に思ってはいけない。

この「いけない」という言葉に道徳的な意味は無く、「事実と違うからいけない」という意味です。
そこに感情が入る余地がありません。
そこに感情を入れるレベルにあれば、まずいですね。



Aさんが年下の女性に対して「料金を払うべき」と強要した、その理由は
Aさんが先生に心酔していたので、若い女性である方にも「自分と同様に心酔するべきだ」と押し付けたこと。
これを本人は「良い」「正しい」「間違ってない」「これ以外には無い」と思っていたことが問題なのです。
私はその点を批難しました。

その女性も分からずやで低次元な面が多々ある。
しかし、それとコレとは違う問題です。
Aさんはその女性の普段の分からなさと、先生を心酔するという点を一緒くたにしてしまった、それが問題です。

それはそれ。これはこれ。

このように整序しなくてはならない。

その女性はそのセミナーの主催者なんだから、全権を持っている、と考えるのが妥当です。
でもAさんはその女性が仕事の能力が低く、単独ではロクな仕事が出来なかったので手伝ってしまった。
そして、オレは手伝ったのだから、と主催者のやり方にクチを出してもOKのような気になったものと思われます。

クチを出すなら手伝うな。

そうでしょ?

Aさんはクチを出したいがために手伝ったのでしょうか?

オレの言うことをきけ、みたいな態度になったのはそのためでしょうか?

Aさんはここでも一つ学ばなくてはなりません。




<或るセミナー9>


さて。
Aさんを苛めてばかりいられませんので他の話をしますね。

セミナーの後、記事を読んだ閲覧者の方、Tさんが「自分の家でセミナーを開きたい」とメールをくれました。
なので、私が仲介をしてAさんに取り次ぎました。
この時はまだ先生はマトモに見えたのです。

ところがTさんと先生とで電話で会話するとどうも変なのでした。
お互いに???状態です。
私はAさんから聞いた先生の、Tさんに対する感想を聞いてそれを確かめるべく、Tさんにメールします。
するとTさんは「いえ、違います。ずっと喋っていたのは先生です。先生は喋り続けて私には喋られませんでした」と言うのです。

ところが先生は「Tさんはずっと喋っていて、私に喋らせない」と言っていたのです。

私は実際の電話のやりとりを聞いてない、第三者ですから、感触だけでは決められないので保留にしておきました。

これはいったい・・・
いくら考えても分かりません。
どちら本当のことを言っているのでしょう。


間に入った私はいったいどちらの言っていることが本当なのだろう?と思いました。
Tさんはマトモなので、先生が変、という可能性はあるな、と思いました。
ところがAさんはまだ先生に心酔していたので、先生側に立っていました。
私達は中立ですが、私はTさん寄りでAさんは先生寄りでした。


このことはずっと私の頭の中に「情報」として残っていました。
それは今すぐ正しいの正しくないのと、判断できる代物では無い。
しかし重要な情報です。
このようにその時分からなくても一応情報として頭に入れておけば良いのです。
判断はもっと他の情報が集まってからで良い。




<或るセミナー10>(2010年4月21日)


私は直接先生とメールや電話のやりとりをしていませんが、Aさんは頻繁にやりとりをし、会っていました。
なので先生の変化を感じていたそうです。
先生はセミナー開催に協力した私のことも批判していたそうで、
それを聞いても別に腹は立ちませんが、私としてはその情報があれば先生の意識を測ることが出来たので
それを内緒にしていたAさんの判断力の低さに対しては、痛烈に批判しました。

Aさんは自分に判断力が無い(乏しい)ことを自覚できず、トラブルを避けるために、
自分が中間に入って上手くこの場をやろうと善意で思っていたことが、私には分かる。
しかし、問題はそんなことではありません。
上手くやる、仲良くやる、無難にやれ良いのか?
そのようなことは「真実解明」の前には全く無価値です。
そこをAさんは知らない。
単なる人の良いオヤジではありませんか。
Aさんは今回の件では沢山の学びをしなくてはなりません。


Aさんに対しても腹は立ちませんが、言われるべきことは言われるべきです。
分別が足りないくせに己(おのれ)を過信したために、沢山の人に迷惑を掛けることになった。
いくら先生が途中から変貌したとは言え、変貌したなら即刻、私に報告あって然るべき。
それが分からないようでは何をやってもマットウなことは出来ない。




さて、私は先生の変貌ぶりについては何も知りませんでした。
Aさんが全てを語ってくれていたら、情報を入れてくれていたなら、分かることが出来たのですが、それが無かった。
そんな或る日。
セミナーに参加したBさんからメールが来ました。

BさんのPC?に、或る時突然、アドレスを教えていない人からメールが来たのです。
Bさんから私の所へ「まさかその方に私のアドレスを教えていませんよね?」
私はその方の顔を見たことはあるが、アドレスなんて知りません。
変です。
しかし、もし教える人がいるとしたら、先生しかありえません。
Aさんは両方の人のアドレスを知っていますが、常識人なのでそんなバカなことはしません。
教えられる立場にあるのは先生しかいません。

その後、調べたらやはり先生が勝手に或る人にBさんのアドレスを教えていたのです。

有り得ません。。。。

私は驚き、Bさんに「先生に厳重抗議をしなさい!」と返信しました。
Bさんは即、抗議メールを送信しましたが、いまだに謝罪のメールは来ていないそうです。

私はAさんにもこの件でメールしました。
そして、先生に厳重抗議する、と69が言っている、と伝えてくれ、と書きました。
その時の文面はコレです→→→
最低最悪だ、と69がカンカンになって怒っていた、と伝えてください。
個人情報を他人に流すバカがいるか!どうしようもないズレた婆あだ、と。Bさん、ショック受けてます。


Aさんは驚き、すぐ先生の抗議のメールを入れてくれましたが、コトの重大さが分かってないようでした。
その上先生は、その件では一応「では後で謝罪しておきます」と言った後
「でもね、Aさん、あなただって・・・」と、関係無い話を持ち出したそうで、Aさんは
「いや、今問題になっているのは、勝手に他人にアドレスを教えた件なんですよ。私の件はまた別でしょう。」




先生は頭の中を整序したことが無いらしい。
頭の中は常にあっちとこっち、あれとこれとそれ、が入り交じりごちゃごちゃになっているそうです。
もう一人の先生の方はだいぶマシですが、それでも整序は出来てないそうです。

そんなコトなら何故もっと早く言ってくれなかったのでしょう?

「報告・連絡・相談」は仕事の基本じゃないですか。

私は二人の先生の箸にも棒にもかからない様子はまだよいと思う。
相手にしなければ良いことだから。
でも、Aさんが「ホウレンソウ」を実行出来ないほど仕事が出来ないとなれば、これは許し難いことです。



さんに対し、私は日頃思っていたことをメールしました。Aさんのケイタイに宛てています。
それがコレです→→→

良い展開になったと思う。A家の屋敷神の神力>橘香ドウの霊能力、だったんだね。■女史は判断力が低いので、その程度のまま、一生過ごすことになるんでしょう。何が根本的な原因か、探るのは良いことです。私はAさんの、他人を見る目の無さが原因と思うが、もっと言えば、他人に心酔してしまう傾向がある、そのことが、このようなコトを招いたと思う。何故他人に心酔するのか。Aさん、自分では心酔の自覚は無いだろうが、沖縄の聖人などへのAさんの心の態度を見ると、それを心酔、と言いますwまた、物事に感動するタチだし。陶酔の気があります。そこらへんが原因かな。

うん、自覚できているので良いと思う。それよりも今回の体験はとても貴重だった。先祖供養の方法を学べたのは大きい。橘コウドウのやり方を自分なりに解釈し、自分の直感で行えば良いことだと思うよ。その前に、一応はやり方を知っておく必要があった。基本を学んだので、後は自分の波動量まで上げた方法で実践すれば良いと思う。そうすれば、皆さんの役に立てる。今のままの■女史について行くやり方では、◎◎のお客には向いてない。それ以外の人には向いてます。これは三本線香供養と同じで、世の中には自分の波動量に合った方法が用意されているってことでしょう。そのために先祖がAさんに体験させたのだと思う。

それからもう一つ。Aさんは目に見えるもの、具体的なモノに反応するケがあります。たとえば神社巡りです。Aさんの職場に日本百名山踏破を目標にしているおっさんがいるようですが、Aさんの神社巡り、その他現地へ出向いての行などは、それと五十歩百歩ですよ。だから悪いというのではなくて、そういうモノと同じ類です、ということ。勿論日月神はたまには神社へ行けと言っているが、神社詣でをすれば良いとは行ってない。そのようなことはつけたしであり、大事なのは心だ、ということです。

追加。それでAさんは「行」が好きなので、行を行っている人と縁が出来たわけです。行は悪いものでは無く、良いものでもない。他人から見たらモノ好き、に分類されるものです、趣味の範疇に入る。趣味というのは他人から見たら全て「モノ好き」なのでね、そこんとこ了解してね。ただのモノ好きなんだから、それを間違って「これをすることは偉い」「これをすることは素晴らしい」「これは良いことだ」「これをしている私達って偉い」などと思えば、それこそがTQ。悪霊では無いだろうが、分からずやは私からみればTQなのでね。いくら善意でも。8割の方がコレに入るでしょうね。Aさんが行好きな人達と途中まで行動を共にしていたのは、観察が足りなかったことと、体験する必要があったってことでしょう。頭で分かるより、身体で体験した方が、本当の知恵がつくので、OKです。

Aさんは職場の中では心のことについて詳しいし、一般の人から見ても詳しい方だけど、それを超えるものがある、ということです。その境地をAさんは知らないので、まだまだこれから学ぶ必要がある。Aさんは、精神世界のことを知らなくて職場や世間にいればそこで充分モノの分かった人、という地位に居られたが(地位に居られたという言葉の意味は、そのままで充分しあわせだったが、という意味)その上の世界(心の世界、境地のことです)ではそうではない、ということです。その上の世界とは別にどこそこへ行く必要はなく、その場で悟っていくもの。
別にトンデモでなくていいし、精神世界の用語なんか知らなくていい。境地の話なので。

猿知恵とはなるほど。それに近いと思います。Aさんはとても賢いが、物事の表面だけをなでているような賢さです。一つ一つについて、もうちょっと深く考えないとね。と、言ってる私は何も考えてないけどw試しに、「◆◆の女の子に講習会参加費を払えと、アドバイスした件」について、考えてみて。練習に。




<或るセミナー9>に登場する、Tさんと先生との電話でのやりとりですが。
Aさんは先生と直接会うことが何度もあり、その時(あれ?)と思った。
それは・・・

先生が話しをしていると途中から明らかにスイッチが入り、別の人格になるんだそうです。
それが分かったそうです。
その人格は先生の師匠かもしれない。
確認取れていません。

なので、Tさんと電話で会話した先生が一方的に喋り、Tさんに喋らせなかったのにも関わらず
「Tさんばかり喋っていた」と先生が言っていたのは、何者かに憑依されていたので、
その間の記憶が無かったためではないか?
怖いですね。
私としてはやっと謎が解けたので良かったです。
Tさんも大変な目に遭いましたね。



そんなわけで皆さんには大変、ご迷惑をお掛けしました。
申し訳ありません。
いくら先生が途中から変貌したとは言え、もっと早く私に報告があれば良かったな、と思います。


この話はまだ続きます。
では具体的に社共はどうしたら良いか?
今、Aさんがまとめ中です。




<或るセミナー11>


次は「行」に参加した方からの報告です。


今日、「行」があったので行って来ました。

●●の処置をするのに、会場近くの神社へ行ったんですが…
お参りの後、社共した半紙を境内で燃やしたんです。
燃やすのに適当な場所がないのに、わずかにあった
(20cm四方くらいの)スペースで。
そばには竹でできた柵があって、そこで燃やせば
下手すれば失火するのは確実で、え、マヂ?と
思ったんですが、本当に火をつけて。
半紙がものすごい勢いで燃えて、その火が竹の柵を
なめて、少し燃えました。
幸い、すぐに消えましたが、万が一のための
消火用の水などの用意なし。
そもそも、神社へ許可とってないし。
(火が見えないように人垣作ってください、とかいわれたし)

…危ないってば。

その後、燃やすのは危ないから下へ降りて(神社のお社は階段を
昇ったところにあります)桜の木の下に埋めよう、ということに
なりました。桜ではなくイチョウの木の下だと思うんですが
そこでも燃やし始めて…

お社での火のこともあったので、ほかの初参加の方と
「これさー、普通に見たら放火だよねー」
「写経燃やして火事になったら、しゃれにならないですよね」
「だいたい、最近の神社仏閣って、(火災)センサー
つけているところ多いから、一発で引っかかるし」
「そもそも、入り口に「火気厳禁」って看板掲げている
ところが殆どだし」
としゃべっていたら、今回●●の処置をした(途中の)人が
「ある意味、冷静な意見だね…でも、写経を燃やして火事に
なったことは今まで一度もないっていうから」と。

…運よく火事にならなかったことが続いただけぢゃね?
今までは燃えなくても、これから燃える可能性は、いくらでも
あると思うんですが…
第一、燃やしたら燃やしっぱなしで、水はかけず、
消火の(鎮火)の確認もろくにしていないのに。

燃え方が尋常でなかったので、本当に危ないと思ったところへ
社務所の方だと思うんですが、おばちゃんが「何やっているんですか!?」と。
それに対してなにやらごにょごにょ返していたようですが(私の位置からは
聞こえなくて)おばちゃんから「そんなところで燃やさないでください、
危ないでしょ!」「許可は得ているんですか?!」と制止が入りました。
それにも関わらず、もっと隅のほうへ移動して、半紙燃やしていたので
おばちゃんが「燃やさないでください、なにしているんですか!」
「その木はご神木ですよ!!!」と少し騒ぎになりました。

制止入っているのに燃やすか普通?!
(もう二度とやりません、って一筆書かされたみたいです)

社務所のおばちゃんの、
「そりゃ、いいんですよ何を信じても。
信じることは自由です、だけどね」
という一言が、いちばんまともに聞こえました。


会場に戻った後、先生が「因縁の強い土地では
浄化をさせまいと力が働き、ああいったことがある」
とおっしゃいましたが…
そういう問題ではないのでは?
殉教者気分になるところではないのではないかと。

社共自体はいいことかもしれませんが、
やっていることは不法侵入と非現住建造物放火
にあたる可能性があると思います。
別に法律的に考えなくても、
見知らぬ人間が大勢で訪れて、許可も得ずに
境内で火つけてなんかもやしてたら、そりゃ、
すっ飛んでくるのが普通だと思うんですが…

なんか、常識ねーな、という思いと、
浄化ありきの「妄執」がものすごいなと、思いました。




この方に「掲載させてね」とメールしたら返信が来ました。

69さん


おはようございます。
掲載の件、了解です。
よろしくお願いします。

実は、◆月にも中級講座へ参加して、その時の参加者の
もつ空気、っていうんですか?それが他の方が800の記事
の中でおっしゃっているように重くてびっくりしたんです。
最前列の席に座っていたので、最初は気がつかなかったんですが、
なんか、違うなーと。
800閲覧者・関係者にはないもの、というか・・・
良い人達ではありましたけど、これは69さんの言っている
「無邪気」ではないな、違うな、と漠然と思っていて。
ああ、ボス山のボスザルとメスザルの関係かな
(先生と認められたい弟子)と思いましたが・・・
800に社共の記事が載って、参加した方が多かれ少なかれ
私と同じようなことを思っていらっしゃったので
あー、みんな同じことを思っているのか、と。

でももしかしたら、私が色眼鏡かけて物事を見ている可能性
もあるので、確認のために今回もう一度行ったんです。
初級講座、と言っているだけあってまだ毒されている人が
少ないのか、中級講座よりは重たいものは感じなかったです。
中級講座は常連さんが多いみたいだったから、気学同様
ハマって抜け出せない人が多いからかな、と思ったんですが
初級でも現実<社共の人がいたんで、
あー、こりゃだめだ、付き合いきれん。浄化と引き換えに
犯罪者になるのは割にあわないや、というのが正直な
感想です。

マットウな方の意見でした。



もう一人の意見を載せます。


講習会は、なんというか、不思議な感じでした。
ある意味、違和感だらけと申しますか・・・

開始の時間には、先生も事務局(?)の方もお見えではなかったせいもあって、
受付中に、●●氏が◇◇神社の磐座の話をしていらっしゃったのですが、
その時点から、「なんだかえらいところにきてしまった!」と思う私がおりました。

「勝手に御神域に入って、◎◎に触ってきた」というお話だったのですが、
個人的な感覚としては、触れてはいけないものには、それなりの理由があるというか、
少なくとも、「触れてはならないという人の想い」を尊重すべきではないかと思っておりますので、
研究熱心さは感じますが、それゆえにある意味周りが見えていない、近視眼的な違和感というものを感じました。

■先生のお話は、●●氏のお話よりはずいぶんと聴きやすかったのですが、
なんというか、わからないことだらけで、正直、どうしようかと思っております。

また今回、◇◇神社での実演の際に、社家の方から怒られるというトラブルもありまして、
本当に写経はするべきことなのか、どうか思案中です。

上記の●●氏のお話もそうなのですが、
神域を勝手に掘り起こしたり、神域で勝手に何かを燃やすという行為は、
常識的な行動とは捉えにくいと感じます。■□□先生も、神社やお寺との衝突があったとのことですが・・・
宗教ではないのでしょうか、ある意味狂信的だなあ、と思ったり・・・
「私はチャネラーです」といわれると、引いてしまうくらい、
見えないものを見、聞こえないものを聴く人に対して、免疫がないもので・・・

ただ、私と同じく、新幹線の都合でお早めに出られた方がいて、
その方とJRの中で少しお話をさせていただいたのですが、
そのお話をお聞きして、「社共を行うこと」そのものを行うのは、やぶさかではないという気持ちになりました。
その方は某サイト経由で或るセミナーで受講された方だそうで、××の方でした。

当方は、仏壇も神棚もある、普通の田舎家ですが、祖父の代までは宮大工であったことや、
曾祖母がお寺からお嫁に来ていたり、祖母の兄弟が仏門に入っていたり、
私自身が伶人として、神社やお寺で雅楽の演奏をさせていただいていることもあって、
普通よりは、少しだけ、神社仏閣に親しみを持っていると思います。

また、願い寺、本山、墓地も自宅から200m以内にあり、友人・知人に僧侶、神職が多いこともあって、
様々なことに対して、かなりの先入観があるようで、あるいみ当方の常識を覆されるような思いがいたしました。

般若心経と神社、あるいはお地蔵様など、神道と仏教が混ぜ混ぜになっている印象を受けたり、
■□□先生が、迦具土神様の首をおつなぎになった話や、
●●の処置に6文銭やお団子や樒が必要だったりするのか、
心にすとんと落ちなくて、さて、どうしたものか・・・というのが本音です。

我が家は浄土真宗でして、葬儀に6文銭は不要とされています。
また、墓前に食べ物を備えるのは良くないと言われています。
向こうの食事はお香だと聞いていたのですが・・・
神道で行くなら、亡くなった方は神様ですので、煮炊きしたものを差し上げるのもどうかと思ってしまいます。
どうして「■」姓なのかしら。実は狐様なのかしら?などと思ってみたり。
6文銭は作りもので良いかしら?台湾みたいだなあと、思ってみたい。

世の中には理屈では図れない事柄もたくさんあることは承知しているつもりですが、
講習でお聞きした内容を、まだ消化していないのが現状です。



この方が感じた違和感=直感、直観でしょうね。
私は鈍いのと好奇心があるので、トンデモなことも体験してみたいタチなので、
実際にやった時は「へえ」と思っただけですが、真面目な直観力の有る方から見たら、違和感だらけだったようです。
この方が感じた「感じ」を尊重したいと思います。



<或るセミナー12>(2010年4月22日)


或る方がその行を自分の地元で開催しようとしましたが、お金が無いので「止めます」というメールを送ったら
先生からこのようなメールが来たそうです。
白い文字が私の言葉です。

69さま

こんにちは、☆です。

え、えーとこんなの先生からきたから転送します。
不具合あるんで中止です、つっただけなんですが。
とりあえず取り急ぎ。

では。



大至急お電話を下さい。

あなたにこれからお話をすることと関係しているのかも知れません。

●●先生もあなた方のことを心配しております。

東京では69さんが詐欺の片棒を担いだ方のホームページを作っていたと大変な問題になっております。

そのことで、いつまでもこちらが某サイトと関係があると、(受講したいという
方を受け付けていると)、その勢力を応援することになります。

被害者は今でも夫婦別れをしたり、一家離散したり、
路頭に迷ったりと、その詐欺の行いにより人生がめちゃくちゅになった方の相方で
あった方のホームページを作って運営していた69さんに全く反省がなく、他の詐欺師と付き合っていることも知り、

これは最初にAさんから聞いていました。
或る、精神世界でお金を稼いでいる方がいます。
U氏としておきます。
U氏と一緒に仕事をしていたのが、私の友人のSさんです。
他からの情報が無いので、この方が言うことを信じると、U氏が詐欺を働いていたそうです。
SさんはそのU氏と一緒に仕事をしていただけです。
Sさんは善良なので、詐欺などはしていないと思います。

さて、私はそのSさんのHPを3年間作っていました。
Sさんが送ってくれた原稿をそのままHPにするだけの仕事ですので、Sさんの事業の運営には関わっていません。
なので、Sさんが何をしているのか分かりません。

それなのにここでは私がSさんと一緒に詐欺を働いているかのような、口ぶりになっていますね。
この件に関してはAさんが「それは違う」と何度も言ってくれたそうですが、全く理解しないそうです。
もしHPを作っていただけの私が詐欺師なら、U氏とSさんと一緒に仕事をしていた、●●先生もそうなるのでは

●●先生は、Sさんが主催するセミナーの講師を務めたことがあります。
その時、U氏と一緒にセミナーをやっているのです。
対談形式もあったかもしれません。
立派に自分がU氏とSさんと仕事をしているわけですよ。
それに引き換え、私の仕事は裏方でしかない。
そのセミナーには一度も行ったことがありません。
他人を詐欺師と言うなら、自分も詐欺師と言うべきでしょうw

しかしU氏が詐欺師というのもどうかな?と思います。
多分U氏がセミナーで喋った内容を真に受けた一部の人が変な行動を起こしたのではないでしょうか?
U氏が「もうすぐ××に△△が来る」とか「◆◆は〜〜となる」などと予想していたので
それを聞いた人の中には未来を悲観して離婚〜全財産使い果たし、などする人も居た可能性があります。


しかし、そういうU氏が詐欺師なら、世の中に詐欺師はゴマンと居ることでしょう。
失礼ながら●●先生も予言の書とこれからの天変地異を関連づけた
こう言ってはナンですが、つまらない本を出しています。
その責任は負うつもりなんでしょうか。


私は何もU氏を弁護しているわけではありません。
噂ではU氏は○|△だということで、これも本当かどうか分かりませんが、
私は別にそれでも良いのでは?と思います。
●●先生は有名な神示の研究者なので、その神が常に言っている言葉
「悪、抱き参らせよ」という言葉を、ぜひとも思い出していただき、勉強していただきたい。


この辺りで線を引こうと言ったことが先日のことです。
69さんは、こちらの会に偵察の人を送り込んでいると先日ある方に通信が入り、

そのようなことは全くありません。
第一どんな会なのか私は知らないw
知らないものに偵察隊を送ることは出来ません。
おおよそのことはAさんから聞いて知っています。
でも、いつ、どこで開催されるのかを知らない。
また、興味もありません。
もし私がモノ好きにもこのような会に偵察隊を送るのであれば、それはAさんしか考えられません。
まさか・・・Aさんのことを偵察隊と言っているのでしょうか?


それからはあの方が送り込まれた方だとわかることも多く、
自分のところで教えられるようにしたいと準備をしていることも発覚し、

ここは意味は不明ですが、その「行」を私が教えられるよう、画策していると感じているようです。
私はその「行」に関しては興味がなく、テキストも読んでいません。
暇が出来たら読もうと思っていますが、忙しいので読んでいません。


そのようなことは、昨年10月、××で行った会に初めて来た69さんが、翌日か翌々日に、

『69の方で先生からいただいたテキストをまとめて初心者に売ります』

このような文言を書いてあることをA氏が69さんのホームページから知り、

それを慌ててこちらに知らせていただいたことを思い出し、

A氏の方からその時は、「69さんに直接会って止めさせるようにしてきますから」ということを言い、
その時はA氏が69さんに注意してことなきを得たのですが、

『教える資格のないものが教えることをすると、大変なことになる』ことをA氏も
わかり、忠告したのでしたが、

ここでも私がそのような「行」を他人に教えることになっていますが、
私にはその行の方法が分からないので、教えることが出来ません。
出来たとしても、私にはつまらないことです。
私がその「行」をやろうと思ったのは身内の人のため、だけです。


日月神示の方でも、自分が出したものでもないのに、
自分が出したとして発表した人が、大変な目にあって世を去ったり、■香道先生の生きておられた時にも、
香道先生の出されたものを自分が出したものとして発表した人が野垂れ死にをしたりと、

何故、私が他人が出版したものを「自分のもの」として印刷すると思うのか不思議です。
私は或る文面については、コピーして配りましたが、その際には私が書いた、などとは言ってません。
ちゃんと出所を明らかにしています。
こう言ってはナンですが、この先生達にも著作権がありません。
他人が書いた本を基に勉強会を開いているわけです。
その時、資料(本の内容)を配ります。
だから資料を売っているわけでは無い・・・・という理屈ですかね。
先生の講演内容は「本から作った資料を棒読みするもの」でした。

著作権は侵害していないので、良いという理屈でしょうかね。


この世界の恐ろしさを知らない69さんが行おうとしていたことに対して、

その時はA氏も素人ながら、何故かそのようなことは行ってはいけないことをわか
り、69さんを止めて下さったのですが、

ここらへんも何のことだか良く分かりません。

その時、ホームページに書かれている69さんの文章を見て下さいと『69さんが勝手に
テキストの販売をしようとしています』
というA氏のお知らせに対して、

そこで見たものは、

『祈■文』というもので、
初めてホームページでこれら神聖なものか゛69さんの元で売買されていることを知り、

そのことでしたか!
それは販売しました。
最初、Aさんが代行すると言うのででは、と料金を設定したのです。
ところが、他人の分まで書いてはいけないと言うので、止めました。
そしてコピーしたものを販売することにしました。

著作権があるのは知っていましたが、その本の権利者はこの先生とは敵対関係にある、というので
その話をその方に持ちかけたら先生達の立場が危うくなりそうなので、止めたのです。
著作権を持っているのは著者の身内の方です。
だから法律的に、身内の方が著作権を相続しました。

もしこの先生が正当な著者の相続人であれば、このような面倒は起こりませんでした。
相続人でなくても、先生がその相続人の方と仲良くしていれば、コトは単純だったのです。
それをわざわざ敵対し、コトを複雑にしていたので、私達にはやりようがありませんでした。

なので、おおっぴらにしないで内々にしたのです。
料金が高め設定なのは、本気の人だけに買って欲しかったことと、
これはあまり言いたく無いが、それをしてくれる、と言ってくれた友人の経済状況が悪く、
友人の家計の足しになれば、と思いました。


それは橘■道先生が神様から大切にして守り通していけよと教えられた本来は『祈■
文』とは言わないものですが、とても大切なものが載っており、
そういわれてみれば、「『祈■文』でお馴染みの橘■道先生のお教えを伝える講演会です」という

その文には名前が無いので仮称として便宜上、つけました。
名前が無いとやりづらいので。


A氏の文章か゛、会を開くに当たってのご案内に書かれていたことを思い出し、

こうしたものが、69さんのホームページで69さんの手によって販売されていることを知り、
直ぐ69さんにて中止させなさいと、その時はそれで止めさせることが出来たのですか゛、

初めて見たHPのその時の文面には、

『祈■文の必要な方、もう少しお待ち下さい。来週になったら送れますから』という
文言が載っており、

『誰ですか、このようなことを書いているのは』

ということをA氏に問い質し、初めてifさんがこのような神をも冒涜している行い
をしていることを気付き、そこで止めることが出来ましたが、

別に神を冒涜はしていないと思います。
神が見ていたら、違うことを思ったと思うな。

本のとても小さい図を拡大コピーしたのですが、その本は当時は探せない状況でした。
やっと売っている店を発見したのはずっと後です。
だから、当時はその本は滅多に手に入らない、とAさんと私は思っていたのです。
事実Aさんがその本を古本屋で入手したのは奇跡的な幸運だった。
簡単に買える本なら本を買えば良い。
でも、その時はその本を入手するのは絶望的だったのです。
なのでこれから先、運良く本が買えたとしても、それはいつになるのか分からない状況でした。
後から売っている本屋を発見したので、「ここで買えます」と紹介しました。


その時こちらが止めることをしなかったら、今でも行っていたことを思い、

A氏は、『先生の本をまとめて69さんがホームページで売って皆さんに伝えます』
と書いた時には、

これは意味が分かりませんが、あれかな。
セミナーのテキストの要点だけを、皆さんに知らせようと思ったことだと思います。
一部の人だけが知ることが出来る状態、というのは私は嫌で、情報は欲しい人には与えられるものだ、と思うからです。
そこで無料にすると真剣さが薄れるので敢えて有料にするという面があります。
それからその行をする前に一応どのような内容なのか、頭に入れておくと後が楽だ、と思ったこともあります。
その「行」は沢山のことをしなくてはならない。
(この「行」は一個仕上げるのに1時間かかります。それを100個以上用意しなくてはならない)

なので、いつになるか分からない、セミナーに参加するのを待つ間に、かなりの仕事が出来るのです。
時間短縮という意味もあります。


さすがの私も、二日程前に生まれて初めて写経を習い、まだ何の実践もしていない身
で、しかも先生の著作権もあるものを勝手に手を付けることは言語道断と思い、家ま
で行って反対してことなきを得たのですが、

この家、って誰の家でしょう?
私の家では無いと思いますが。


祈願文の時には、気が付きませんでした。69さんが勝手に行っているので、私はそれ
を見ていただけということだったと思い、強く反省していますということをA氏から言われ、

A氏もこのような御神示によって下ろされたものに対しての認識が甘いことを知らされて、
ホームページ上で売ってはならないことがわからなかったとのこと、開いた口が塞がらなかった思いでしたが、

その時は二度と69さんがそのようなことを行うことのないように致しますということ
だったので、不問に帰した形になりましたが、

後に『祈■文』を購入した方から、『あれはAさんが69さんに言われて、墨で書
き、全国の人に送っていたのですよ』

全国の人には送っていません。
すぐ止めたので、一人だけでした。


ということを聞かされ、

『そのことは、Aさんが書いていることは、ホームページの方にも載っているのですよ』と教えていただき、
そう言われて見れば、

A氏から、『先生、私はいろいろな友人・知人に頼まれて、「祈■文」を墨で書い
てくれないのかと言われて書いているのですが、よろしいですよね』という電話が
入ったことがあったことを思い出し、

『ダメです。親が子供の為に書き写すのならともかく、よそ様の為に書いたのでは、
その人の見えない因縁を被ることとなり良いことはありません。即刻中止しなさい』

ということでA氏には中止させたことを思い出し、
その時は単に『友人・知人の為に書いています』

ということでしたが、

今から思えば、それが69さんの言いなりで書いていたことがよくわかり、

まさか。
A氏が私の言うなりになることはありません。
お願いすれば快く引き受けてくれます。
私もAさんのお願いには快く対応しています。
お互いに足りない部分を補っているだけなので、言いなりとは有り得ませんね。


教えて下さった方も、最初Aさんが書いていたのですが、途中から、墨で磨って書
いたものはダメということになり、コピーしたものが出回ることになりました。本来
はホームページで神様の大切なものを販売している69さんの良くない心掛けの詰まっ
いる「祈■文」は、どのように処分したら良いですか』
と聞いてくる方もおり、

まぁ、そういう人はそう思ってOKですが。

その時点で、A氏は『祈■文』作成に深く関与しながら、
『自分は一切知らなかったのです。69さんがやっていたこてなので、この度のテキス
トの販売を止めさせたように、あの時は強く止めさせることが出来なくて迂闊でした』

ということを言っていたことと真っ向から違っていたことがわかり、

そんなことは無いでしょう。
Aさんの言う通りです。
その文についてはAさんと相談しつつ進めていました。
途中から「それはダメ」と言われたので、止めただけです。


69さんに罪を押し付けていることも感じ何とも言えない思いになりました。

いや、そんなことはありません。
Aさんの言う通りだし。
何でこういう風に考えるのか、不思議です。


もちろん全面的に行ってはならないことをするのは69さんだとしても、
それに加担してしまうA氏の罪もあります。

行ってはならない、と本には書いてないので、行いました。
行った理由は上のほうに書いてあります。


A氏から『友人・知人の分を書いてもよろしいですか?』と問い合わせの電話が
入った時にも、回りに何人もの方がおり、

『Aさんは何を言っているのか。そういうことに関わっているよりも、一枚でも写
経を書いて処置することが先でないですか?
何かおかしいと思います』
という意見が出され、

この時点でそのような意見を言う人は居ないはずです。
皆さんはまだ何も知らない、本が無いので、そういう発想は出ないはず。


A氏の持つ働きが、

本来取り組むべきものから掛け離れていることを知らされ、これはA氏のことを回
りの方に注意して見て行くようにする為にも必要なこととなりました。

それはただの粗忽ですよ。
Aさんも私も粗忽なので、やりガチです。
本来の生き方から外れているのはどちらか・・・答えが出ています。
或る方に見てもらった結果をいずれ、記事にしますね。
その前にこの方の論理が正常かそうでないか、分かる方には分かると思いますが。


同時に昨年の10月に69さんは初めて参加して、
HPのベージにも会がありますことを掲載することとなり、

そこにお問い合わせをした方から、69さんのあまりに凄まじい毒に当たり、今回は参
加出来ませんという方が出て、

私のサイトに、私のお客さん以外の方からの問い合わせはありませんでした。
一般の参加者は先生の関係者のようでした。
あとはAさんの知り合いです。
なのでこの文も意味不明です。


それはA氏の知り合いの方でもありましたか゛、

それに先立って昨年の4月に、初めて会を行った時に、

A氏と一緒に会を主催してくれた女性のことを、

執拗にA氏は、
『誰々さんはもうこちらの勉強はしなくて良いと言っています。もう自分で出来るの
で、会に出なくて良いと言っているので、誰々さんを呼ばずに行いましょう。それに
誰々さんは誰のことをこのように言っているのです』

とA氏は誰々さんのことを執拗にこちらに知らせ、もう呼ばなくてもよろしいです
と言っていたことが、
最近になって、その方とのやり取りで、学ばなくて良い等と一言も言っていません。
大事たと思うので、教えてやってほしいとお友達に門も叩かせたし、

大変奥が深いので、

とても一度や二度ですべてがわかるものではないと思うので、Aさんは何を言って
いるのでしょう。誰さんの悪口も言ったこともないし、そうでなければ、

この道の素晴らしさを今もこうしてひとさまに伝えません。次に会がある時は参加します』

ということで、A氏がその女性か゛こう言っていますとわさわざ知らせて来た時に
は、こちらの地元の時もあれば、

富士山の聖地で御神事を行った時にも他の人も聞いていて、A氏が言ったことはそ
の時同席した方が覚えていて、

やはり、その女性からこちらの心を引き離してしまおうとA氏がたくらんだものだとわかり、

ここらへんのことは私は知らないのですが、Aさんは自分の利益よりも、他人のことを考える人なので、
ワケが分かりません。
どうなっているんでしょう。

会計上のことも、A氏が全部払ったと言っていることまで、こちらに対するアピー
ルで、その女性のことをこちらから引き離す為に言っていたことがわかり、
そうまでしてこちらに紹介したいと思った69さんも穴だらけで、A氏は、69さんに
良いように使われていることを知り

まず、穴だらけという言葉の意味が分かりませんw
Aさんが私に良いように使われていることもありません。
意味不明な言葉が続きます。


この辺りで一線を引く必要を感じ、そのように●●先生もA氏に申しました。
詐欺師と組んでいる以上、これ以上、関わってはいけない。東京の仲間達も、一度は
岡崎さんにこの話を話してあげる必要があることを感じております。

えっと・・・
Aさんは詐欺師である、最初のU氏とは知り合いではありません。
U氏の相棒で、詐欺師では無いSさんとも組んだことがありません。
というと、ここで言う詐欺師とは私のことなんでしょうか?

詐欺師の人の、友人のHPを管理していただけの私が何故、詐欺師になるのか。
これは凄い飛躍ですね。


一事が万事と申しますが、A氏の行いはあることないことを言うこともわかり

それはありません。
Aさんは有ることを自分の腹に収めてしまい、良かれと思って言わないんです。
それが問題です。


その
女性とはこうした一連の納得のいかない経緯から思い切ってお話し、
前回には、自分の用事で行かれなかっただけで、何ももう習わなくて良いなどと
いうことを言っいない、A氏のいう事は違います。ということがわかり、『主催し
た誰々さんは呼ばずに行ったら良いと思います』
皆が聞いたA氏の言葉が嘘であったことを思い、これからも69さんと組んで良から
ぬ方向に行こうとしているものに線を引く決意を致しました。役所に勤める身が危な
くなければと思っております。

Aさんの何がうそなのか、さっぱり分かりませんが。
私とAさんが組んで良からぬ方向に行く、とこの先生は思っているようですが、
その理由がいまいち分かりません。


HPからの個人指導を引き受けたのも、二度とこのようなことは69さんに行わせ
ることはしません。先生どうぞ全国の学びたい方に69さんがこのようなことがあると
言ってしまった以上、少しの間でも教えてあげてもらえませんか』

いや、これは、先生が日本中に行の拠点を作りたいのだ、とAさんから知らされていたので、
では、やりたい人がやれるよう、協力しましょう、ということで皆さんに知らせたこともあるのです。
この行をする人は日本中にいるようですが、全然広がらないそうで、
先生が拡大したいと望んでいる、とAさんから聞いたので、こちらとしては善意で協力したのですが。


ということがあり、皆さんにお伝えすることになったのですが、69さんは先生に受講
申し込みのお願いをAさんを通してつい先日もしてきているのに、

なんだろう?
受講というのは一回目のセミナーのことですかね。
それがつい先日って、、、何?
分かりません。


ホームページの方では感謝のかけらもない言動を繰り返し、最近は憤りを感じますと
いうお便りをいただくこともあり、同時に、

この先生は他人から感謝されたい、レベルなのだ、ということがこれで分かりました。
私としては受講したいと言う方を何人も先生の所へ送り込んでいるので、
これで充分協力していることになるのですが、先生から感謝されたいと思ったことがありませんが。


東京で詐欺を働いて一家を路頭に迷わせた方の相方として、皆が騙されていくのを
黙って見ていた、●●君だけは許さないと言って、大勢の人が富士の御殿場警察署に
詐欺の被害届を出してた事件の直接の被害者が仲間内にまおりますが、
皆の苦しみは凄まじいもので、その●●君のホームページを作っていた方が69さん
で、いつ何時調べられるかわからない状態ですので、

いや、だから私は●●さんに頼まれてHPを作っていただけなんですって。

この事実を知り、あなたも速やかに対処していただきたく、××に行く時、◎◎さん
の所なら、69さんは自分のベージには何かあったら困るから会合のことを載せられな
い、A氏はA氏で、よくあんな◎◎さんの所に行けますねと言ったような内容を言い、

それは無いと思いますよ。
言ったとしても、別に◎◎さんへの侮蔑ではなく、距離が遠いのに良く行けますね、と
先生の身体を気遣った発言だと思う。
想像だけど。


東京に来てもらいお話したらよろしいですよとこちらの真意を理解せずに止めたA
氏を振り払い、あなたの所に行った思いを忘れてはなりません。

Aさんは先生が遠いところへ行くのが大変なので身体を気遣っただけだと思います。

A氏からはその後、◎◎さんから山芋を送ると言われた時に断りましたと知らされ
て、あなたとの距離を二人が置いていることを思い、何があって、この度のお便りと
なったのかをあなたの方も言う義務があることを思っております。

Aさんは◎◎さんにそのようなお気遣いは無用、と遠慮しただけだと思いますよ。
Aさんは粗忽で浅はかな面があり(私も同じだけど)性質はとても善良であり、
他人の言動行動を悪く受け取ることがありません。


どなたもあなたに対してこの道を教えることは出来ません。
今お会いしておけば、暫くご自身で行えるように、間違っていることがあるかも知れ
ない思いもあり、

誰も××に行くことを反対した時に、こちらが行った思いを忘れないのならば、
しっかりとご自身の言葉で語っていただきたいことを思い、御連絡をお願い致します。
東京の仲間もあなたなことを心配しております。。



だそうです。
凄いな、と思います。

Aさんが言うには「途中から先生が変貌した」とのことですが、そんなことはありませんね。
最初から変じゃないですかw
Aさんはそういうことを逐一私に報告してくれれば良かったのですが、言葉を柔らかく変換してから
知らせてくれていたので、私も他人の言動を悪く取るタチではないので、なんとも思いませんでした。
その点、Aさんにはこのことを良く理解してもらいたい。



<或るセミナー13>


地元でセミナーを開催しようと思った方が先生と電話でやり取りをしました。


こんばんは、Tです。
えーと、どっちかっつうと「●●氏」が、ちょっと面倒かも。
良い人ではあるのですが、電話で「私が■流の総責任者だ、
私がダメだと言えば、いつでも中止に出来るんだからな」ってエライ剣幕で言われました。

いや、正統派の方は他にいますから、●●氏の言葉は事実とは違いますね。
それにしてもこの口調は何でこんなに威張っているのでしょう?
ワケが分かりません。


(「声を聴けばわかるが、あんた親不孝者だろう」とかも言われましたよー。

この人は幼少の頃仙人と何度も会っているそうです。
私が思うに、魂は仙人界に属しているのではないか。
仙人界というのは、超能力、霊能力を開発するのが好きな魂です。
人間として正流に生きていこうという界ではありません。
なので、このような当て物をする発言が出てくるわけですよ。

これはチャネラーや霊能者が、依頼者に質問されて答えるのとは違うことが分かりますか?
訊かれてもいないのにいきなり、相手に当て物をして、相手の度肝を抜き、
自分に対して平伏させるのが目的だと思われます。
このような人を相手にして、そこに気づかないA氏の鈍感さには、私も驚きます。


親が寝たきりなのに何言ってるんだろうねーと、野次馬友達と言うてましたが・笑
ヘンに孝行しなきゃ、おちおち寝たきりになんかならないよー、と思うけど、そこは
価値観の差ですかね)
なんか、門外不出の秘儀だっつーてて、広めたいんならたいへんだろうなあと思いました。
あと、「普通だったら講演は何十万の世界だから」つってました。

へえ、そうなんだ。
だから?
って言いたいですね。


■先生が最初に、こっちからは頼んでないのに「講演して下さる」って言い出したんですが、
結局、その日は本の校了があるから無理って話だったんです。
で、■先生の方が「向こうがやって下さいって言ってる」って言ったんだなあと。
来なくてほっとしましたが、●●先生。
たぶん今回のこともガタガタ裏で言ってると思います。

●●先生は一見人が良さそうな弱そうな人です。
分からなさを前面に押し出している方でした。
でも、善良なら、ま、いっか・・・・と思いました。
この●●先生を見た、セミナー参加者の方から
「あのような人を対等に扱っておられるAさんが素晴らしかった」と
感想メールが来ています。


んで、A氏はどっちかっつーと「●●信者」なんですよ。

「だった」と訂正しておきましょう。
今はもうAさんは呆れ果てています。


こういう、「生徒」だけど「信者ではない」参加者を、どう扱うか見たかったのもあります。
特に強要はされてないけど、まあ■先生も、時々目がすごい怖かったなー(笑)

ときたま「憑依」される方なので、言えてます。

んで、■先生か憑いてる先代かは、××(地名)に来たかったんじゃないかなーっていう。
故郷に錦が飾りたかったんじゃないですかね?たぶんそこが心残りだったと思うし。

■先生はその師匠に憑依されているようなので、有り得ます。

●●氏も、親御さんが××の××の方だそうなんで。
一緒に××に来たかっただけだと思うし。
何て言うか、先代も含めて「××でちやほやされたかった」んだと思います。
私、そういうときサービスしちゃうからマズイんだなー。
まあお天気よかったからそれはそれでアリかな。

まあね。
遠くから来てくれた方をもてなすのは良いことですからね。


んだから、立派な面もしょうむ無い面も誰にでもあって、より立派で無いといけない
と思ってる人は、
しょうむ無さも際立つなーと。

ま、結局どこも相応にしょむない、ってことで。
なんかわかりやすい効き目はあるんだと思うんですよ、でないとそんなわーわー言わ
ないだろうし。いちおう。



●●先生は一見とても謙虚に見えましたが、それは見えただけでしたか。
弱いとは思いましたが。
いくら神の言葉を研究していようと、それは「八通りに読めるのざ」ということで、
読む側の波動なりに読めるのです。

私はこの●●先生はAさんに嫉妬したのではないかと思います。
誰がどう見てもAさんの方が有能であり、魂の格が高いのです。
仕事は出来る、謙虚で明るく優しく面白い。
なので他人に好かれます。

勉強会へ行くと、時刻になっても先生達は来ておらず、仕方ないのでAさんがいつも早めに行って
会場を設営していたそうです。
先生方は段取りというもものが分からず、それ以前に常識が欠如しているので、
そういうのが得意なAさんがやってあげていたんですと。

私はAさんのそういう「常に誰かのお役に立とうとする」所が、相手の甘えを引き出したと思っています。
先生達が主催するのだから、先生達が責任を持つべきですね。
それを他人がやってあげたら、本人は何も学ばない。
Aさんは「他人のサトリを邪魔する人」です。
無自覚の善人がこれを喜んでやります。

そして会にはいろいろな場所から霊能力の有る人が集まるんだそうです。
そしてそういう人が一様に「この会場に凄い人がいます。」と言ってAさんを指すそうです。
Aさんの上に光があった、Aさんが光っている、と言うのだそうです。
主役の先生達がかすんでしまいます。

先生達は意識はしていないだろうが、無意識にAさんに花を持って行かれて悔しかったのではないか。



また、私はAさんがそのようなことを他人から言われてもいい気になる人では無いことを知っている。
また私も特になんの感慨も無く、話を聞くと「へえ、面白い」と思うだけです。
羨ましいとも妬ましいとも思いません。
ただ「いいな」と思うだけ。
他人は他人、自分は自分ですからね。

私とAさんは意識が大人なので(趣味は子供だけど)他人がどうあれ、
そのことによって自分の精神に影響を受けることが無いのです。
Aさんが光溢れる人であろうと、魔界の人であろうと、私が頼んだことをやってくれればOK。
また、私の言うことを理解すればOK、それだけ。



Aさんが先生達のために善意で行動したことが、全く通じないで逆恨みと猜疑心をもたれただけ、ということは情けない。
私も先生達には協力しよう、という意識でやって来ましたが、これも通じてなかったようです。
これに関しては何の感情も湧きません。
ただ、(ああ、分からないんだな)と思うだけです。



<或るセミナー14>(2010年4月23日)


さて、記事を<13>まで書いて来ましたが、書いて良かったと思ってます。
読者の方から「実は私もAさんと似たようなコトをして生きて来ました。それではいけないんだな、と分かりました」
というメールが何通も来ています。
気づけてよかったです。

また「実は私、先生と初めてメールのやりとりをした際、妙だと思ったのですが、その直感を(でも、悪い人では無いんだし)と
打ち消していました。自分の直感を大事に生きていこうと思います」
という方も多い。
下にそういう人の中の一人の方からの感想を載せます。

こんばんは。
連日ものすごい更新ですね。
楽しみに読み進めています。

今回のことで、「自分の直感は信じて良い」というのを
強く思いました。

確かに、最初から変でした<女史
やたら携帯電話のメールアドレスにこだわって
教えろ、教えろと。
私の場合、使用頻度が携帯<PCで、
PC用のメールアドレスへのメールもweb上から逐一
確認できるし、携帯はよく自宅に置き忘れるので
PCのほうが絶対早いし確実です、と何度も
申し上げても理解されない。
なんなんだ、このおなごは・・・と思ったのですが、
かなりの年齢だということと、「画像を送るのに
携帯のほうがいいと教わった」というので、
電子機器に詳しくない人が使い慣れない機器を
一生懸命使いこなそうとしているのかな、と。
善意に解釈してたんですけどねー!!!

会場運営も、なっていないというか、素人臭いというか。
開始時間・終了時間もあってないようなもので
まじめに開始時刻を守って来場した人が馬鹿をみるというか。
3月に行った中級講座は、本当に遅刻者が多かった。
遅刻者を待たずに、時刻どおりに開始する、というのは
基本中の基本なんですけど。
ただ、これも私が仕事上、講演会の運営/事務局業務
に携わっていたことがあるからそう思うのであって
一般の、しかも同好会レベルの講演会では、こんなものなのかなと。
善意に解釈していたんですけどねー!!!

自分の直感のほうが正しかった。
後付の理由は、いらなかったです。
メールでのやり取りの際の違和感にもう少し素直に
なってすぐに離れていれば良かったなとも思いますが、
確認しに行ったおかげで狂信者の実態をみることが
できたし、直感を大事にしよう、と思えたので、
私に必要な出来事だったのだと理解しています。




他の方からはこんな感想が来ています。
先生と数回会ったことがある方から。

22日の800のセミナー記事、、読みました。

先生すごすぎる……こんなにもヒドいスーパーTQだったとは…

TQ通り越してるw

 

それが見えなかった自分がふがいない。

私も一度では見抜けませんでした。
まさか、ここまでとは・・・想像を絶する(精神)世界でした。



アドレスを他人に漏らされてしまった方から。

先生からは相変わらず応答なしです。
そしてたぶん、この先も返事は来ないだろう・・・
でも、来たら即お伝えします。

で、記事読んでみました。

おおおおおおおおお・・・。汗

これ、もうTQ通り越して悪霊じゃないですか。
文面が酷すぎてまともに読みたくないです。




行をしたことがある方から。

800を久々に拝見しました。

社共の話が面白くてガツガツ見てたら
画面の見すぎで気持ち悪くなりました・・・



このように、何事も学びにして生きて行けば良いのです。
自分の経験値にすれば良い。
そこに感情が動く余地はありません。

私もAさんの「自分がフィルターにかけた情報」を信用していたのが間違いでした。
他人に「自分と同程度の判断力」を求めているので、それが悪かった。
また、セミナーの時に先生のことは「ズレたおばさんだ」とは思いましたが、「でも、良い人だろう」と思ったのと
●●先生に対しては「小物だな。でも、善人なんだろう」と思いました。
やはり、皆さんと同様、直感を軽視して、頭(理屈)で打ち消していました。
打ち消すというよりは保留にしておき、記憶させています。
些細なことは一応頭の中に「情報」として入れておき、後で他の情報証言を集めつつ、判断しています。
それが今回は他からの情報がAさんによる「悪い情報は入れないか、脚色する。良い情報の部分だけを入れる」と
いうやり方により、正しい情報が入らず、対応が遅れてしまったのでした。

この点についてAさんから私宛にお詫びのメールが来ています。



こんばんは。
改めて、ヤオの記事を読みました。
かなり、分かりやすかったです。
途中途中に書かれた69さんのコメントの通りです。
女史の言い分は意味不明で理解出来ません。

しかし、それにしても、ひでぇ〜ですね私のお馬鹿加減は。
出来る限り、情報は送っていたつもりだったのですが足りていませんでした。
というよりも、私の情報の伝達の仕方に欠陥がありますね。
私というフィルターにより、出力された情報に変な色がついてしまっていたのですね。
不必要な優しさをもって、調和を図ろうとする悪いところもあり、善の仮面をかぶっていたのですね。
調和自体は大切なことですが、あいまいな部分を残しての調和は、良くないですから。

複雑な家庭環境に育ち、自分が我慢すれば家の中が収まるからといわれ、
不必要な我慢を強いられてきたこと、そのトラウマが、まだ解消されていないのかも知れない。
自分をまもるために、無意識で、その様に振る舞ってしまっていたと考えられます。
大分変わってきた、といいますか、戻ってきたと思っていましたが、まだまだですね!

●●氏や女史にも、問題がありますが、
それより何よりも、私の判断力と思考力の無さ、そして、情報伝達の欠陥が一番問題です。
キを入れて、一つ一つ出直します。
あの様な会の運営に関わっていた自分は、ずいぶんいい気になっていたようです。
己を分かっていませんでした。
思い上がりも甚だしい。
たくさんのパンチに感謝しています。



Aさんには知り合った当初から、Aさんの思考方法の欠陥を突いていましたが、
それを本当には理解していないな、、、、と数年間思っていました。
「分かりました」という顔が明らかに「分かってない」のでしたw
しかし、分かるということは他人から指摘されて「あ、そっか、はい、分かりました」というようなものではありません。
分かるということは「それを理解できる境地に達する」ことです。

自分の理解力そのものを、そのレベルにまで上げなければ、分かることが出来ないのです。
「わかるべきこと」は今までの自分の考えの「上」にあります。
ということは自分の今までの考えを「違う」と、分からなくてはならない。
そうじゃないと、それを乗り越えて「上」に行けない。
これは今までの自分の判断力を超えなくてはならず、その前にそれをしようと心から思わなくてはならず、
人によっては死ぬより苦しいことです。
(※なので、多くの人はそれよりも癌死する方を選びます)
「分かること」・・・これが出来る人は殆どいません。

女史も●●先生もこれが出来ないレベルにあるので、私はなんとも思いませんが
その方法を知っているはずのAさんに対しては厳しく臨んでいます。
Aさんは数年掛けてやっと「一つ分かること」が出来たのでした。
大抵数年〜十数年〜数十年掛かりますから、Aさんは普通だと言えるでしょう。
(※数十年というケースは、子供時代に体験して、意味が分からなかったことを、判断力のついた大人になってから
   初めて意味などを「分かる」ことが多々ある、ということです)




もう一つ思いついたことがあります。

Aさんには陶酔のケがある。
彼が自分が良いと思った人やもの、コトに対して、心酔してしまう傾向がある。
そのようなモノには普通に接しておれば良いものを、Aさんの性向としては心酔(陶酔)してしまうのです。
本人は「陶酔次元」という言葉を知っています。
しかし、「自分が陶酔次元である」とは分からないのです。
これを「落とし穴」と言います。

さて。
先生達と知り合った当初のAさんは、相手が霊能者である、本を出している、という理由から
彼らに対して心酔してしまった。
これを陶酔次元と言います。

先生達にとっては自分達に心酔してくれる有能なAさんは大変便利な人員でした。
会場を設営してくれる、自分達が気が回らない点を、喜んで補佐してくれる、でも一切見返りは求めない。
幸いなことに●●先生は〜〜の研究家なので、その点Aさんにとっては先輩というか先生にあたる。
なので、Aさんは彼らの手足になることを喜んでいました。
嬉々として机や椅子を運び、先生達に代わって目配り気配りをしていたのです。

ここで私は言いたい。

この・・・








大馬鹿者め!

今、上の言葉が「ふと」浮かんだので、書きました。
多分チャネリングだと思います。
気にしないでください。



Aさんから先生達の下僕となって喜んで働いている様子を聞かされていた私は、Aさんに「◎◎象」を読んだらどうですか?
と提案しました。
Aさんは意外な顔をしていました。
私の提案の理由が分からなかった。
不信そうな顔をしていました。

いつものことです。

私はこういう時、(分かれば良し、分からねば良し)と思います。

その後、素直なAさんはその本を買いました。
もともと理系の方なので、その物理の本はとても面白いようでした。
私としては物理編よりも心編を読み、少しはモノを分かる人間になる方向を選んで欲しかったのですが。

その後、Aさんは心編まで読み進み、だんだん考え方が分かって来た。
そして私との会話で少しは判断力が上がったのでしょうか。
それを一年くらいやった頃かな。
もっと少ないのかな。
第一先生達との付き合いがどのくらいの長さなのか分かりませんがね。

Aさんが先生達の下僕である間は良かった。
でも、Aさんが自分の意見を持ち、先生達に疑惑の目を向け始めたら、途端に先生達の態度が変化した。
今まで便利な下僕だったのに、いつの間にか一人前のクチをきくようになったことが
許し難いのではないか?
他に理由は考えられません。

先生達が欲しいのは生徒(信者)だったのでしょう。

私は思いついてAさんに◎◎象を読め、と言いましたが、それが正解だったようです。



先生達は低次元ではありますが、あれも何かのお役目があって存在しています。
ああいう手合いの人が望むのは対等な人間関係では無く、上下関係なんでしょうね。
だから、自分を奉る相手じゃないと、会話すら出来ないのでは?
対等な相手とどうやって接したら良いのか多分分からないのではないでしょうか?

相手が自分と対等なくちを聞く場合は、自分への侮辱と受け取る人は多いです。
もし、神ごとをしていて、これに陥っているのなら、通じる相手(世界)はその程度なのであり、
高くないということはお分かりいただけますね?



いや、もっと違うことかもしれません。

Aさんは◎◎象を読み、私と会話して少しづつ変化してはいましたが、やはり先生達に喜んで協力していました。
態度は変わっていません。
しかし、目に見えない世界の方、つまり心は変化していた。
それを察知したモノがあるのではないか?

Aさんの態度の変化より先生達の態度の変化の方が先だったからです。
先生達の態度の変化を見て、Aさんが(あれ?)と思ったのです。
私は先生の後ろに憑いていて、時々憑依している存在が、Aさんの心の変化を知った。
なので、憑かれている先生の態度も変化したのではないかと思います。
まず、目に見えない世界の方で変化が起こるそうです。
この世界、現象界にその変化が現れるのは、時間が掛かります。

なので、Aさんに◎◎象を読めと言った私も恨まれるわけです。
幸いなことに(笑)私は詐欺師にされている。
表向きの理由を沢山思いついたようだし、どんどんそっちの方へ思い込みが進んで行ったものと思われます。



私は社共自体は悪いものでは無いと思うのです。
でも、その世界に入ることはピラミッドに入ることになる。
なので、危険だと思い「社共」の記事を書いたのです。

さて。社共自体は良いのでやっても良い。
でも改善の必要がある。
私はAさんに改善案を出して、と言いました。
するとAさんはまだ「●●の処置」などと寝言を言っているのです。

いったい、今まで何を学んできたのでしょう?
ここで、大本の●●の処置なんかしたら、何も変化しないじゃありませんか。
呆れて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・溜息が出ました。

今、生きている先生は大本の先生の弟子です。
その先生がおかしいということは大本がおかしいということでは?
憑依の件にしたって、××県在住の方がこちらでセミナーを開きたいと言ったら、異常に興奮したらしい。
それは大本の先生がその土地出身で、故郷に錦を飾りたい、いつか帰りたいと思いつつ死んだ、
その思いが今、果たされるというので、憑依して喜んだとしか考えられないでしょうが。
Aさんは何を見て、何を聞いているのでしょう。






Aさん、
しっかりしなさい!!


あ、またチャネってしまった。
私がチャネると何故か怒鳴り声になってしまう。

その後、Aさんは私が紹介したチャネラーから意見を聞き、
それ(●●の処置他、もとの先生のやり方踏襲)は無しと分かったようです。



<或るセミナー15>(2010年4月23日)


さて、具体的な「行」のやり方について、Aさんは私の友人チャネラーに相談しました。
すると・・・

社共そのものは悪いことではありません。
しかし、チャネラーの方の霊視によれば、女史が別の存在と繋がってしまった今、
●●の処置の際に発生するエネルギーが、
別の存在の世界に繋がってしまっているのだそうです。
これは、とても恐いことです。
チャネラーの方の霊視がすべて正しいとは思いませんが、信憑性は高いと思います。

だそうです。



<或るセミナー16>(2010年4月23日)


さて、皆さんから有りがたい情報が寄せられています。
そのうちの一人の方から。

朝一番でカモワンで
「■女史に実名やアドレスを教えてしまった人達は除念したほうがよいのか?」
を聞きました。

答えは「まあNO」で、

この場合、「まあNO」としなくて良いでしょう。
「NO」で良いと思います。
だって、「NO」なんだから。


展開は


上の三枚、左から過去・現在・未来、です。

過去:星 R (視線:死神)
現在:死神 R (視線:星)
未来:運命の輪

過去の解決カード:法皇 (視線:審判)
現在の解決カード:審判

となりました。

星と死神=■流社共の現状、
法皇と審判=69さんと800関係者
と読みました。



本人としては精一杯神事に帰依しているつもりだが、
実際は見当違いの行動をしている霊能者■女史(星R)が、
■流社共の創始者(死神R)と見合ってアレコレ話をしている。

創始者は故人なので、13番でいいですね。

全てが腐敗しきっているので、最早手のうちようがない現状。

年長者で物が分かる69さん(法皇)のところに、
写経セミナーで嫌な思いをしたお客さんが詰め寄せている。

69さんはお客さんたちに、
「みなさん目覚めなさい。私を超えた者になりなさい」と
冷静にアドバイス(視線が審判)している。

「審判」には大声で知らせる、という意味もありますから、この解釈で良いですね。

このことで、既に■流社共からの悪影響は解消されているようだ。

ここまでが過去〜現在ですね。
そしてここからが未来です。
「運命の輪」が出ています。


これから先どうなるかは、全く各個人の選択による。
度を越えた物質欲や、目に見えない物へ陶酔している者は、
そのまま陶酔し続けるだろうし、
69さんがアドバイスするように『それらを超越した存在になる』ことができれば、
もはやこのようなことには惑わされないだろう。


と解釈しました。

やっぱり除念、必要なかったです。

良かった(ほっ)



<或るセミナー17>(2010年4月24日)


さて、私の友人でチャネラーの人がいます。
その人に意見を訊きました。



社共に関しては私もよくはわかりませんが、次の考え方をしています。
パワー(慈愛)は、相反するエネルギーを寄せつけない一方で、フォースはその 相反するエネルギーを引き寄せます。
つまり、楽しく、ビデオをみたり音楽を聴いたりしながらするときの集中力はリ ラックスの中でのもの。
一方、半紙に相対し一心不乱に書き写す作業の中はどこか力が入りまさにプラス のフォースそのものです。
当然、マイナスのフォースを呼び込むと思います。
こどもの夏休みの工作と同じで向き合い方一つで、その作品に込められたエネル ギーがまったく違うのと一緒。

私はその社共についての方法は知りませんがもし、受講者に緊張を与えるものな ら、
おそらくフォースがはたらくでしょうし、リラックスを得られるものならパ ワーを呼び込むと思います。
ジュネさんや高橋信次氏の供養の基本姿勢がパワーだと思います。
パワーである慈愛のレベルは500だったと思います。
社共は方法論に過ぎず、他の方法が見つけられればそれをなさればよいのではな いかと思っています。
500であっても社共の基本姿勢にパワーでなくフォースが出てしまうような方は 向いていないのかもしれません。
何に対して社共をするのか、今どういう状態の自分が社共しているのかが見えな い自分では難しいです。

また、漢訳の経文は、発動すればことば自体は光りますので、その光を求めて 寄ってくる以上は、
意識レベル500以下では難しく、500以であってもパワー不足
で中途半端な光らせ方では寄せる一方で防ぎきれないようにも思います。



正直申しますと、■氏がなさっていることは、闇の力が相手であり、それこそ命 がけの行動です。
怖がる必要はありませんが、この闇の力を侮ると命取りになります。
おそらくどこかの時点で、対応しきれない闇を扱ってしまったのだと思います。
というのは、最初はそれなりのハイレベルの守りがあったようです。
が、今は、それが別のものに変わっています。
社共のあとになにか儀式をなさいますよね?

(これが●●の処置です)

辿ると10時の方向マイナス領域にながれていくので外宇宙だと思います。

少なくとも或るセミナーでの社共をなさったときには外宇宙とは繋がってはいなかったと 思います。
人は獲得した境地を保持すること自体が試練です。
すでに参加なさったかたがたの中で疑問に思った方は個別に対応されてはいかが でしょうか。

今の状態が悪いからといって悪いと思っていなかった過去の時点まで遡ることは
むしろ、必要のない不安を拡げるにすぎないように思います。
法の不遡及の原則というのがあります。
Aさんがお一人が■氏の清濁併せ呑む形でよいのではないでしょうか。

今後の社共は各自でなさるようにというのはいかがでしょうか。
ただ、なぜ、集ってやらないかの説明は必要かもしれません。
おそらく、いろいろ自分で買い揃え、個人でもいいからやりたいという方々はす くないのではないかそのように思います。



目的をはっきりさせたほうがよいと思います。
社共は一人でするにしても注意が必要なものであることは事実です。
観光地の寺は観光客相手に社共の場を提供しています。
観光ならば、気分も日常から離れ、「ハレ」の状態で明るい気持ちです。

供養という観点でなく社共という文字を単純に書き写す作業、
むしろ書道のよう な自己啓発的観点で詰めてみては如何でしょう。 

■氏はあくまでも供養が主眼だったように思います。
ここの部分さえ、かぶっていなければ、社共の会を持ったところで影響はないと 思いますが。
学生時代の話ですが、実験心理学の授業で、ひたすら、ほんとうにひたすら、
友 人は、えんどう豆を一粒づつ、右から左へピンセットで移す作業をしたそうで す。

私の眼にはこの光景と社共の光景はよく似ています。
普通の書道は一文字を何度も練習しますが、写経の一文字はえんどう豆一粒と同 じではないでしょうか。
つまり宗教的意味合いを一切抜いてしまいなされば、問題はないように思いま す。

「私は○○分間、リラックスしながら集中力をやしなう練習を行ないます。」
何度も申し上げますが、私はまだまだ半端な人間なので撃てば響くような言葉も 申し上げられません。
ただ、もし、自分が自宅で社共をするとしたら、こんな文言を自分に言い聞かせ ると思います。



私は仏道は生きている人間のためのものだと思っています。
ですので、亡くなられた方々の対応において、血族でない者がかかわることの危険性をご存知だったはずで、
おそらく油断があったのではないかと想像します。

「●●の処置」についてはよくわかりません。
普通の方はこうした儀式はやめられたほうがよいのではないですか?
不安はご自身の弱さでもあり、感じる時点で違った意味合いが生じますので、
と にかく、少しでも疑念や不安があればおやめになることだと思います。

また、やっていていやな感じがすれば社共そのものもやめたほうがよいです。
集中力ならば経文でなく五十音図を書いたりエンドウマメの器間移動でもよいわ けですから。



<或るセミナー18>


もう一人、自分でカモワンを引いた方がいます。
「ありがたや」のうり姫さんです。

質問内容は「社共をしても良いか?」
答え「YES!!」



全て正位置なので、完全にYESです。

(※私も過去にカモワンで占っていました。結果は「OK」でした。
  なので社共自体は良いものだと思います)



社共そのものは悪いものではなく、しても良いのです。
だから、沢山の人、特に年輩で他に何もやることが無い人がやっています。
墨の香りが良いし、落ち着いて1時間ほど書道をするのは、精神に良い。
それが先祖九曜になるのだとしたら、もっと良い。



何でもそうですが、組織に入ると組織の上の方からの影響が来ます。
ヘタをすると既に死んでいる方からの影響もあります。

会社などは、TOPから影響があるそうです。
そしてTOPは既に死んでいる、先代社長達の念というか影響があり、霊団を形成しているそうです。
宗教団体などは、これは「あなたを信じます」という前提ですから、影響はさらに強いでしょうね。
信者は教祖の霊の影響下にあり、だんだん顔まで似てくるそうで・・・・
   
これは集団に所属して安心したい人には良いのでしょう。
でも個人で自由にやりたい人なら、そのような集団に入るのは苦痛なのです。
好きな方を選べば良いと思います。
  
今、話題になっているアセソショソですが、自由な魂は自由な世界へ逝くが、
或る思想に凝り固まっている人は当然のことながら、そういう世界へ逝く。
しかし、これも魂が選んだことなので、好きな道を逝けば良いと思います)



<或るセミナー19>


或る方が良いことを教えてくれました。
社共を教えたお婆さんが
「私が死んだら棺桶にお経を入れておくれ」と言ったそうです。
そうすれば火葬の際に燃えますから、これは良いアイディアです。
お婆さんがそうしてくれ、それが一番の九曜だよ、と言っているので、
それを実行することは故人の意思を尊重していることになり、良いことです。

そういう使い方もある。

また、先祖を調べて行くうちに
(ああ、こんな方が先祖に居たんだな。今まで知らなかったけど、有りがたいな)と思った方がいます。
これ、とても素晴らしい気づきでは無いでしょうか。

先祖代々の墓へ行っても、いちいち故人の名前など、確認して一人一人に感謝の念を送ることはしません。
なので、戸籍謄本を取って、一人一人の先祖身内達の名前を確認しながら、
感謝の念を持てば、それは相手に届きます。
霊界にいる、その人達は受け取っているはずです。

普通は名前を知らない、存在を知らない先祖のことなど考えもしませんから、
社共の準備のために、子孫が先祖を調べ、そして「有りがたいな。ありがとうございます」と感謝の念を
その人に送ることは、これだけで既に九曜になっていますよ。



その上にその方達のために、と子孫が真心を込めて九曜しようとすれば、
それが悪いはずは無いのです。
なので、カモワンの結果は誰がやっても「先祖九曜は良いことだ」と出るのでした。



社共をすることは子孫と先祖が向き合う手段の一つだと思います。
子孫は先祖に感謝の念を持ち、先祖も子孫に感謝の念を持ってくれます。
なので、特に●●流などと、特定の方法を取らなくても、やれる時にやれる方法でやれば良いと思う。

つまり、●●の処置などはしなくて良いので、自分なりにやれば良いと思います。
書き溜めたものは誰か身内の方が亡くなったら、棺(ひつぎ)に入れてあげれば良いのでは?
亡くなった方と(ついでに)先祖のために。



<或るセミナー20>(2010年4月25日)


怒りは湧かず呆れるだけですが、多くの人がこのような者のために迷わされるのはまずい。
すると或るアイディアが浮かびました。
「ふと」それをやりたくなった。
なので、それをやることは可能か、チャネラーの方に訊いてみました。
黄色い文字がチャネラーの言葉です。



社共の件ですが、やはり先代の■がジゴク界に居るのが原因ではないかと思います。
弟子の××に懸かっているのは先代としか言いようが無い。
弟子の方が何かというと「今、先代の■先生がここにいらっしゃいます」と言うそうです。
なので、元の方を何とかしようと思って、こういうことを念じてみたけど、どうでしょう?

ジゴクに居る(に、決まっている)先代■を、私の守護存在である不動明王が見つけ、
つまんで地獄の岩やの穴に押し込んで石で蓋をする、、、、というものです。

☆★☆さん(霊能者)が過去に或る人のことを「69さんはその人の額にお札をつけられる」と言ったが
私はその人は別に放置しておいても良いので、やる気になれなかった。
しかし、今回は先代の弟子があまりにもヒドい状況なので、まずは先代の動きを封じたいです。

これ、可能ですかね?

私もよくわかりませんがどうでしょうか。
思いが道にかなったものであれば可能だと思うんです。

うん。
先代■には、何の恨みも怒りも無いんです。
ただ、成仏しないで弟子の身体を使って、思いを遂げようとしているのが、
周囲にとって迷惑なので、止めてもらおうと。
気の毒だけどw


「69さんはその人の額にお札をつけられる」というのなら、
お不動さまが岩屋に閉じ込め蓋をするよりも先に、
結局、その額にお札を貼り付けたのでは?

たしかに先代の方の意識は、最初は真っ直ぐストンと落ちるので
マイナス領域にいて更に他と繋がっていたと思うんですが、
(※意識は真っ直ぐ上へ向かうのが正流。横へ流れたり下へ向かうのは、
   魂がそういう世界を志向している、そういう世界に住んでいる、というような意味だと思う)

今は、ゼロポイントではないでしょうか。
生きていれば自力でゼロポイントでも試行錯誤を繰り返しながら成長もするのが人間。
この場合はこの地点におかれやがて回収されていくらしいです。
期間はお札を貼ってから49日後かもしれないです。
もしかしたら亡くなったとは思っていなかったのか。

どうなんでしょうね。
自覚が無いのかな。

去年ト△ラウツ山で老人達が遭難したでしょ?
あれに付いていたガイドの一人に、「山を登る」という意識だけになったモノが取り憑いていたそうです。
なので、現状がどうあっても、憑かれた人の意識が、「登り続ける」「歩き続ける」というものになってしまったようです。
死霊が生きている人間に取り憑いて、良いことは何もありません。
死んだとか生きているとかの、意識が無いのではないかな?先代の方。

ああ、そうか。
ただひたすら・・・・
なんだか気の毒。
でも先代の方、69さんの念力で解放されるのでは?



それからね。
■(先代の弟子=おばさん)と、明しんじの研究家(ただの貧乏おやじ)、この二名は夫婦のようです。
似たもの同志なんですよ。
Aさんは彼らの三角形に取り込まれようとしていたようです。
しかし、Aさんもそれほど陶酔ではないので、一部では醒めていたので、
それが夫婦の気に入らなかったんでしょうね。

この夫婦のことも、私は念の世界で、ちょこっとやってみました。

まず、私の大きさですが、先代に対するのと同様、彼らよりずっと大きいです。
私が人間の大きさとすると、■先代もこの夫婦も、大きさは身長10センチくらいです。 
で、私は先代はジゴクの岩やに閉じ込めたが、この二名はつまみ上げてね、
何故かそこは中華料理屋なんですよ。
そこの厨房に置いてある、青いポリバケツ、生ゴミ入れね、
ここに二人を放り込みました。
  
あははh!

で、すぐ蓋をした。

死にはしませんよ。

しかし彼らの本体の方はどこかの中華料理店の生ゴミ入れにある、ということにしました。

(そういう光景が浮かびました)
(ウチの生ゴミ入れタッパーに入れてもいいんだけど、いくらなんでもこれは残酷なのでね、止めました)
(私って慈悲深い〜)


だからこれからは、彼らから生ゴミの異様な臭気が漂うはずです。

可笑しいでしょ?

そうした69さんの明るさがすごいなって思います。



やっちゃいました。
そう、念の世界(思いの世界=異次元)で。
これで悪さをしなくなればいいんだけど。

彼らが生ゴミバケツから出るには、勝手に他人にアドレスを教えられちゃった方へ、先生が謝罪すること。
そうでは無い場合、彼らはいくら風呂に入っても原因不明の生ゴミ臭気が身体から漂うことでしょう。



<或るセミナー21>


今日、社共をやろうとしていた方からメールが来ました。
なんでも先生から異常に興奮した電話が掛かってきたので、応対に苦労したそうです。
内容は<或るセミナー12>と同じです。
女の先生の方、社共を申し込んだ人に片っ端から電話しているようです。
迷惑掛けているようで済みません。




ところで、Aさんに「自分を自己分析しなさい」「そうじゃなかったら付き合い止める」と非情なメール送った私ですw
別に意地悪ではなくて、Aさんは今、とことん自分の思考と行動を観察する必要があります。

それから社共の先生達は毎月某所で勉強会のようなものを開いています。
そこで、たまに講師を務める方がいます。
Aさんは先生よりもこの方、仮にTさんとしますね、Tさんと気が合う。
Tさんは賢いので先生達の勉強会に呼ばれて自分の考えを述べてはいますが、
信者の態度は取りません。
あくまでも中立でして、或る程度の距離を置いて付き合っています。

私はAさんに「Tさんに今までのいきさつを話しておいた方が良い」とメールしました。
AさんはTさんに電話をしたら、意外なことが分かりました。

実はTさんも女の先生の変貌ぶりに気づいていたそうです。
某所で行われた「行」の直後からおかしくなったそうです。
(この「行」にはAさんも参加していました。そこでAさんが自分の本心を語ったら、それが悪いと
  先生から叱られたそうです。
  Aさんとしては別にそこまで言われるほどのことでは無いし、どうも変だ・・・と気づく切っ掛けになりました)

このTさん。
霊感が強い。
この「行」の後に開催された勉強会に参加しましたが、
その時この女の先生の言動行動がおかしくなっていることが分かった。
男の先生、●●先生も制御出来ない状態だったそうです。
Tさんが言うには「憑かれているね」「背後にいるのは先代だろう」ということ。
Aさんは「私もそう思っていました」



何故この「行」の後で、この先生がおかしくなったのか。
原因は幾つかあり、複合していると思いますが、その一つに、或る出版社から取材があった、とことも原因ではないかと。
或る雑誌に載るそうです。
雑誌に載るのは嬉しいな、、、、で終わるならそれは正常ですが、
そうでは無い場合がある。

先生は多分憑かれています。
背後にいるのは先代ですね。
先代の人格(幽霊)というよりは、先代の「思い」「念」だと思うのです。

先代の人は多分生涯認められず有名にもなれず、学歴はなく、家庭は崩壊・・・しかし、自分がやっていることに関する
自負心はあったのでしょう。
その思いが弟子に取り憑いているのだと思う。
なので先代の人には罪は無いし、憑かれている方にも罪はありません。
ただ、「憑いてる」「憑かれている」状態なのです。

善悪では無い。

でも、それは生きている人間としてみたらどうよ?って、ことですね。



先代の方は才能があったが、それは世間的には認められず
(本を出したんだからいいじゃん、と思うが、それでは満足しなかったんでしょう)
弟子、生徒(信者)を集めたい、大きくしたい、有名になりたい、という思い(念)があり、
それが弟子が語っていると以前はそばに来ていただけだったのが、その行の後からは
弟子の身体を借りて語るようになったのではないか?
(いや、その前から弟子の身体を借りて語っていたようです)
(でも、勉強会でもその状態になるほどに悪化した、と言える)

或る出版社から掲載の話があったことによって、先代がとても喜んだ・・・これは弟子である先生が喜んだことと同じ。
一心同体ですから。
雑誌が出ればその記事を読んだ全国の読者が、その行をするでしょう。
そうなれば先代の願望が実現する。

(これは由々しき問題です。
 私達は前もって先生達の正体を知ることが出来た。
 しかし雑誌で知った人達にはそれが分からない。
 気の毒です。
 私達がこのように前もって知ることが出来たのは、天が味方してくれたのだ、とも言えます)

そんなわけで「行」の後の勉強会では女の先生は興奮して、男の先生が制御出来ない状態だったと、
TさんはAさんに教えてくれました。



今、このように「悪化」などしている場合ではないですよね?
そんな暇は無いはずです。

落とし穴はどこにでも空いています。



<或るセミナー22>(2010年4月27日)


このサイトは私のお客さんの中でとりあえずマットウな人だけを選んで教えています。
「とりあえず」というのは、人というのは三年ほど付き合ってみないと、正体は分からないからです。
しかし、三年も待っていられないのと、ネットだけの関係では全ては分からないので、
一応マットウだと思える人に教えています。
なので私のお客さんの中にも、判断力が低い人はいます。

たとえば「級☆木学」に関して。
あれは別に特定の方を批判したものではない。
批判のように見える記事は、私の知り合いからの情報で、あくまでも一つの事例として載せています。
いや、正直言いますと、来た情報はもっと凄いのです。
あまりの内容なので、敢えて伏せている面もあります。
それなのに私のお客さんの中に特定の人への非難、批判と取る人がいる、と知り驚きました。
名前も押さえてあります。

そういう問題ではありませんよね?
それが分からないほど判断力が低いことが最も問題です。
今は過渡期なので中にはそういう人も紛れ込んでいる。



社共の先生も根は善良だと思います。
相方の先生も善良なんですよ。
見るからに善良そうです。

でも、問題はそこでは無い、ということがお分かりいただけますか?

何が問題なのでしょう?

そう、判断力の低さですね。
(と、こういうコトが理解出来る人だけに読んでいただきたい)



理詰めできちんと考えることが出来れば、何をやろうと何も問題は無いのです。
Aさんが私からこっぴどく叱られたのは判断力が低いからです。
そしてその自覚が無いからです。



私のお客の中にも様々なレベルがあります。
殆ど物事が分からない人も多い。
それは他人から言われて「はい、そうですか」と分かるようなものではない。
そういう人にもこのサイトを教えてしまっています。
(教えた理由は上に書きました)
考え無しで先生に教えた、その結果が自分に帰って来るのですがそれも学びです。

しかし、それは本人の責任の範囲内ですね。
先生に考え無しでこのサイトを教えた方は、私に申し出てください。
何故、それをしたのか教えてください。
期限は今月いっぱい(5/30)とします。
申し出が無い場合、目の前が暗くなるようなことがある、と伝えておきますね。



<社共考>は一般論であり、別に社共を批判するものではありません。
良く読んでいただくと分かりますが、私は社共は危険だ、やらない方が良い、などとは書いていません。
先祖九曜の基本は「子孫が明るく生きること」であるという、高橋信次師の言葉を書いただけです。
その言葉を現実に当てはめたら、こういうことですよ、と事例を挙げて説明しただけ。

それを読んで先生はどうも社共への批判、自分への批判と受け取ったらしい。
それから慌てて社共を自宅で開催した方に<或るセミナー12>のようなトンデモ無いメールを送ったようです。



整理してみましょう。

@社共に関する一般的な考察をした
Aそれを読んだ、社共の先生が感情的になった
B社共する人に興奮してメールした
Cその人が私に教えてくれた
Dその内容のあまりの低次元ぶりに、これはまずいと思ってここに記事にした
Eそれを先生が読んだ
Fもっと慌てて誰彼構わず電話とメール
Gその情報が私に入り、ここに掲載
H先生ドツボにはまる

こういうことです。

もし、この先生に判断力(思考力)があれば「なるほど、先祖九曜というものは、基本はそうだね」と「分かる」ので
上の箇条書きで言えばA以降は「無い」のです。
ところがこの先生には判断力がありませんから、そこで「分かる」ことをせず、
感情的になってさらに事態を悪化させた。



これが「光を当てられた状態」です。

本人に判断力が無く(乏しく)、知恵が無い状態を古来から「暗い」と言います。
漢字で言えば違う字を書きますが、変換されませんので、今はこれで我慢を。

知恵の光が無い(乏しい)状態を「暗い」と言うのです。

そこに知恵をつけるために光を当てます。
光を当てるとは懐中電灯で照らす、ということではなく、「意識化出来ない点を意識化させること」です。
自身の頭が悪くて暗いので、自力では意識化出来ない場合、
他人や事象がそれを行うことがあるが、それは大変苦しいものなのです。
(※この場合の事象とは、本人に気づかせるため、悟らせるために、運命が一見悪化したようになること。
   たとえば、病気、事故など)



今、地球の波動がどんどん上がっているそうですね。
波動が上がる=光が増す=明るくなる
地球の波動についていければOKだそうです。
地球は半次元上がる。
動植物、人類はそれについて行きさえすれば良い。
心が素直で明るく無邪気=生まれ赤子の心
ならOKです。

ところが、人間は、赤ちゃんや子供以外は、全員無垢な心ではありません。
高橋信次師によれば、奥の心を想念帯というものが包み込んでいる。
想念帯とは、自分が生まれてからこの方、身につけてしまった、汚れ穢れのことだそうです。
それをきれいにしなくてはいけない。
それには反省しか無いそうです。
私も反省は苦手ですが、その代わり自分を客観視は出来ます。
非情なほど客観視しますので、感情と、良い悪いの判断つきの反省はしていませんが、
感情が入らず、良し悪しの判断も関係ない、客観視をしているので、これでも良いと思います。

(相似象は道徳的な面がありません。
 物理なので、良い悪いが入る余地が無い。
 なので、私のような情感欠如人間にはピッタリだったわけです。
 情感欠如と言っても感情が無いわけでは無い。
 感情的になる場面となるべきではない場面とがきっちり分かれているだけです)



まぁ、それはともかく。
私のお客さんの多くは自分で自分に光を当てることが出来るようになりました。
そうでは無い人も沢山いますよ。
でも方法は教えてあります。

しかし多くの一般の方達にはその方法が分かりません。
知らないし。
なので、このサイトは誰でも読めるわけではありません。
ワケが分からない人が読めば、上に書いた通り「9☆木学を批判している」「社共をやっている私を批判している」と
誤解するだけなのです。
なのでこのサイトは原則的に
●自分で分かることが出来るようになった人
●自分で分かることが出来るようになりたいと決めた人
に教えています。

そうでは無い人が見た場合、社共の先生のように光を当てられ、それが苦しくなり却って精神が悪化します。



閲覧者の方からこのような感想が来ています。

こんばんは 69様 Kです
 
いや、工ッセソスやら社共絡みで大変な時に
かえってすいません。
怖いですね 単なるお人よしって人間でないものに
まで利用されちゃうのかなと思ったりしました。
見えないところで戦いや、落とし穴はいっぱいある
ので、ますます知識を得 直感を信じるという所を
磨いて行こうと思いました。
 
ぱーで使えない集まり略してPTAみたいな事について
考えていられるってありがたい事なのかも。丁度総会
があって色々思うところありましたが、面白く見れるように
なってきてトンデモのおかげかなと思います



Kさんのようにどんなコトでも学びに変換して行ければOKです。



<或るセミナー23>(2010年4月27日)


さて。
「地球がどんどん波動を上げている」という言葉をあちこちで見ることがあると思います。
それと「今、人類が二極化している」という言葉も沢山目にしていることと思います。

@地球が波動を上げる
A人類が二極化している

これ、関係ありますね。



明るい考えの人には暗い考えの人が考えていることが分かりません。
その反対に暗い考えの人から、明るい考えの人が考えていることが分からない。

考え、と書きましたが、「感じ方」と言っても良い。
つまり感受性に差があるのです。
その差は縮まるどころか開いている。

一方は光を目指し、一方は闇を目指す。
本人は光と思ってないし、闇とも思っていません。

どういうことか?

明るい人は明るい光を見て別に眩しいとは思わない。
だって自分と同波長なんだから、それが「普通」なのです。
普通なので、特に眩しいとか暗いとか意識しません。
他人から見て「明るい」と思われようと本人にとってはそれが普通なのです。

暗い人は暗い周囲に埋没していますが、本人にとっては別にそれを暗いとは思っていません。
何故ならそれが彼にとっては「普通」だからです。
他人から見て「あの人は暗い」と思われても、本人は別に何でもないのです。
暗いので視界が悪く、物事が殆ど見えなくても、本人にはそれしか見ようが無いので、それが普通です。
本人が見えているモノだけを元にして、想像したり憶測でモノを言ったりしていますが、
本人にとっては、それが想像であり、憶測である、ということが理解できません。
それを自覚していないからです。



社共の先生達は私とAさんが先生のお役に立つように、協力していたことが見えず
却って私とAさんとでも彼らの儲けを横取りするつもりだ、と思ったようです。
これは複数の方からの証言を取り付けてあります。

私とAさんはそのようなコトは考えたことがありませんが、彼らから見たらそうなのです。
彼らは大変暗いので(これは性格が暗いということですが、その原因は頭が悪いことです)
何を見ても、自分達を基準にして想像と憶測、邪推で判断していたようです。

日月神が「慢心と取り違え、怖いのぞ」と言ってます。
●●先生は神の予言の書を研究しているのだから、この言葉をご存知のはず。
(しかし、知ると分かるとは違うので、こういうことになります)



Aさんも私も人のために良かれと思ってしたことがこのような結果になり、
皆さんには大変ご迷惑をお掛けしました。
どうも済みませんでした。



さて。
その先生達の記事が雑誌に載るようです。
多くの人がこの先生達を信じて憑いて行くことでしょう。
この出版社はそういう事情を知らないので、罪は無いと言えば無いかもしれないが、
たとえ知らなくてもカルマは作る。
気の毒できるのぞ・・・とは神の言葉。

そして■先生と同波長の方達は別に彼らを暗いとも思わず、同レベルで楽しくやって行くことでしょう。



<或るセミナー24>


さて、私は何度も「ピラミッドに入るな」と警告して来ました。
このピラミッドを会社組織のように思った人がいます。
そうでは無い。
見えるものではありません。
心の問題です。

何度も説明しているのでヘトヘトになりそうですが、また説明しますね。

人間、死ぬとあの世へ行く。
昔出口王仁三郎が霊界へ行った。
ジゴク界へ逝ってみたら、そこには「坊主宗教家、教師、医師」ばかりだった。
これはどういうことでしょう?

教師と医師は波動を上げるチャンスが無かった、と言える。
彼らは威張って仕事をすれば良いので、学ぶチャンスが無かったのでしょう。
勿論、中にはそれでも学べる人はいますよ。
しかし大方の教師と医師は学べないのです。
(実はアルツハイマーになるのはこういう人が多いようです。
  知識はあるが知恵が無い人です)

坊主宗教家がジゴクに多いわけ。
それは特定のモノを信じているから、そういう世界に居るのです。



出口師でなくても同様のことを言っている人は多い。

ヘミシンクを使ってあの世を探検している坂本政道氏がそうです。
モンロー研究所ではあの世をフォーカスレベルで現しています。
フォーカス23=囚われの世界。物質界への囚われから居る世界
フォーカス24〜26=信念体系領域。同じ信念、同じ価値観、考え方を持っている霊が形成する世界。

これらが所謂ジゴクのようです。

なので、坂本氏が見た世界は出口師が見た世界と矛盾はしません。
また、ゲリー・ボーネル氏も狂信者はアセンション出来ないと言ってます。
これらは皆同じことを言っています。



意識のピラミッドは、フォーカス24〜26に当たります

会社組織のようなところに所属するのは良いが、考えが所属しなければ良いのです。
もし、会社の意識にどppるい浸かってしまうと
その意識は死後のフォーカス24〜26に相当し、そこから抜け出るのが容易ではなくなるからです。
だから
「(意識の)ピラミッドから出なさい」と言ってます。



社共は良いと思いますよ。
カモワンで見ても「良い」と出ますからね。
でも、失礼ながら常軌を逸した方が作った信念体系に、正気の人が組み込まれる理由はありません。
だから、私は記事を書きました。

正気の人がそれを読めば
「その通りだ。私は書き方を教えているだけだから、それで良し。ぜひともそういう心構えでやって欲しい」
と思うことでしょうね。
ところが、そうではありませんでした。
この先生から異常に興奮した電話及びメールが逝った方が何人もいるようです。
だったら、直接私に抗議して欲しいですね。
何故、それをしないのでしょう?

何を怖がっているのでしょう?

何か怖いですかね?私。



■先生に不用意にサイトを教えてしまった方から「私です」とメールが来ました。
正直でよろしい。
どうも騙されたようなカタチで教えてしまったようです。
ウソまでつくんだな、この人は。
まぁ、いいでしょう。
この人は正直に言ってくれたので、責めはしません。



しかし、良かった。
実はもし、申し出が無い場合、生ゴミでは済まないと思っていたのです。
この三人の方には・・・・・・(以下略)・・・・・・・していただこうと思っていました。
幽体のレベルでやります。
しかし、ま。
面倒なのでこのままでもいいや♪

しかし、これから先、さらにこちらに対して面倒なことをするようであれば、
この性格ですから何の感慨も無く、実行するのみ、ですかね。
しばらくは生ゴミ臭にまみれていてくださいな。



<或るセミナー25>(2010年4月28日)


この先生(女)に、このサイトを教えてしまった人がもう一人いました。
この行に関してM|×|で知ったそうで、そちらから申し込んだそうです。
その方も平謝りしていましたが、正直に申し出てくれたことだし、責めません。
私も「ここは絶対内緒ね」とはどこにも書いてないのでね。
いいです。
でも、このサイトは普通の方が来るとこの先生のように発■しますから、教えない方が良い。

私の某サイトからだけではなかったのです。
この行について、M|×|で信者を集めているようです。
ということは、某サイトからこの行を知った方はラッキーだったのでは?
だって、このように先生の正体を知ることが出来たのだから。
それもAさんがお人よしを発揮したからです。

もし、Aさんがお人よしを発揮しなかったら、M|×|経由で行をすることになっていたかもしれません。
さらに、雑誌にも載る予定ですから、そちらから行を知ったかもしれない。
このようにこの行を知る道は幾つもあります。
たまたま某サイトでこの行を紹介したことが、この行の真実を知ることに繋がったので
あながち悪いことばかりだったとは言えません。
却って良かった面もあります。



この行を始めた方から、先生の常軌を逸した電話やメールに関する情報が幾つも来ているので
その都度「変なモノを教えちゃってゴメンね!」と、私が謝っていますが、
その方達の中で怒っている人は一人もいません。
むしろ良い学びをした、Aさんには感謝している、という言葉をもらっています。

●一方は、いくら思いやりを持って協力しても、それが分からず、邪推し逆恨みする人
●一方は、明らかにこちらの落ち度であるにも関わらず、良い学びをしたと感謝する人
これ、どう思いますか?
同じ人間です。

いや、今は同じ人間だ、と言っておきます。
未来は分かりません。



<或るセミナー26>(2010年4月28日)


こういうメールをもらいました。

なんだか大変、社共の事で賑わってますね。
 
実は私のところにも、先日■先生から「東京の事件の事で…」というタイトルでメールが来てました。
「事件の事でご不満致してます。」との事。
 
何のことかわからなくて、すぐ連絡してみましたら、
詐欺事件が起きてて被害に遭われてないか?と尋ねられました。
この時は、800の社共に関しての記事は全然知らなかった
(というか見る余裕が半月ほどなかった)ので、
とりあえず情報として聞いとこうと思い話を聞きました。
 
そしたら、先生はかなりの興奮した状態の上、早口でしゃべるのであんまり聞き取れなく、
状況も登場人物もほぼわからない知らない人ばかりなのにドゥワーーーーとしゃべり続けるんです。
かなり異常な感じでした。

 
内容は、記事に出てたような事を言っておりましたが、
聞いててなんでそうなるんだろうっていう展開、考えが多かったような気がします。
(上にも書きましたが、状況がわからないのと早口でしゃべられたのでちゃんと呑み込めておりません)
 
一番強く言っていたのは、社共の話題の事、祈願文の事、
69さんの事、M氏の事、詐欺の片棒の事、、、、でしたね(汗)
被害者の集まり云々はおまけ程度に話してました。
社共の話題の件に関しては、信者らしき人が親切にも教えてくださったそうです、
ホント親切な方がいて良かったですねって感じです(イヤミ)。
 
一方的に話されてて「私はこんなにも69さんに被害を受けている」
と言わんばかりの内容でした。
私は一応「大変でしたね、気分が悪かったでしょう」と気を遣ってみました。
普段はこんなこと微塵も言いません、同情心があれば別ですが・・・。


 

そしたらご本人は、これも勉強ですから〜大丈夫と気持ちが楽になったかのような感じで言ってましたが、
話してる最中は、かなり興奮されてたのでよほど不満だった?んだろうと思います。
 
とりあえず、私は69さんとは密に連絡を取り合う仲ではないこと、
最近インターネットをする時間がなかったこと、
800で話題になっていることを知らなかったことを伝えるとなぜか安心しておりました。


 

実は紹介してもらってから思ってたんですが、自分には社共は合わないな〜と思っておりました。
でも69さんに社共を紹介していただいた手前、無碍にできないと思い社共をしながら状況を観察し、
どうにかいい方向に向かないかなと考えておりました。
昨年末に先生が××に立ち寄るということで会うことになったんですが、
やたらと講演会の話ばかりで、××で是非させてほしいとお願いされました。
私は、そういう事を主催するとかをしたことがないのと、苦手なのでお断りはしてました。
今年入ってから何回か社共の事で質問があったので聞こうと連絡をとると、
質問の答えはなく講演の話だけで終わるような事がありましたので???と思ってた事もありました。
しかも、××に知り合いがいるという事で車で送った際には話の途中で居眠りもされて、
ハァーーー?(@Д@;)でした。一言あってもいいだろう!と。
 
神社やお寺の敷地内で燃やすっていうのも、??ではありましたね。
他人ちで火遊びするようなもんですよね。

 

実際のところ、しばらくは社共をしてたんですが、
途中なぜかできなくなったんで(状況や自分の気持ちが向かない等)
またやろうと思うときがくる日までほったからしにしておりました。
 
そしたら、(先生に言われるまで気づきませんでしたが)800で話題になってるし、
先生は先生でおかしく?なってるし・・・。
 
これも経験、体験しときな〜的に今回の事があったんじゃないかなと思ってます。

 

社共をしてからは色々と思ったこと願ったことが叶ったりしました。見事に。
 
しなくなったからというもの、一見して悪い事が重なりました。
今頃??の派遣切り、犬の緊急手術(無事生還です)主人のスピード違反(罰金多し)
数え上げたらキリがないですが、一見したら出費がかさむ〜という嫌な事ばかりですが、
イイ事の前触れと思うような展開じゃないかなと思っております。
(一つ一つはそれぞれ意味があることで、社共が原因とは思ってないです)
 
社共をしたときとしなくなってからの状況を比べてみると、
したときは欲望が叶いやすいように思えます。実はパチンコの勝率が高かったのも一つ。
しなくなってからは、勝率はグンと下がりました(汗)。
それ以外にも欲からでた願望は叶わないことは確かかなと思います。
 
社共自体良い事だと思いますが、
そこに供養という願望が入ると願いが叶いやすい=闇と繋がりやすい?状況になるんかなと思います。
で、今そのカルマの解消をしてるんかな〜と勝手に解釈しておりますが・・・、
出費がかさむ点においては、ですが。

この方にもご迷惑をお掛けしました。
どうも済みません。



<或るセミナー27>


さて、こういう情報が来ています。
これはヤバそうです。


先日、社共の先生からの連絡があった日と次の日なんですが、
(その日の晩)ウトウトしてた時にハッキリと見えたんです。
怖い顔した人物が。
我修院達也がベースの顔立ちで、目がギョロっとしてとても大きく、
口はすごく大きいそんな人がこちらをずっと見てる、、、っていう映像なんです。
 
気分悪かった〜。
 
なんか夢かもと思っていたんですが、昼間に目が疲れたと目を瞑ってたら
やっぱりどーーんとあらわれたんです。
かなりのリアルさで。
 
直接、関係あるかわからないですが、なんかあるのかと勘繰りたくなるような出来事でした。
 
他の方はこういう事似たようなことはないんでしょうか?

それは師匠の念ではないかと思います。
(本当にゴメンなさいっ!)
それは、■の師匠だと思う。
顔は似ているか似てないか分からないけど。
自分でキネシオロジーなどで調べてみて。
あなたはその存在と繋がってしまったね。
アファメーションした方が良いと思うよ。
 
↑どうりで、へんな寒気が止まらないんですね。
 
 
社共にとりかかる手前の先祖の事を調べてた時、
先生にお知らせするためメールを打っていたら寒気が酷くておかしいと思ってたんです。
 
先日の電話といい、69さんにメールで報告してる時も、今も。
 
繋がってしまったということは、私も同次元でいたということですね。
 
いや。そちらへ意識を向け、受け入れる体勢になれば、
それは許可したことになるので、誰でもどんなレベルの人でも、そういう存在の影響は受けると思います。
それが「ピラミッドに入る」ということです。


ある意味、社共をしてからは願望叶いまくりなんておかしい。早く気づくべきでした。
だから、気づかせるためにうちのわんこが犠牲?になったんですね。

飼い主のことを大好きなペットが身代わりになってくれる、という事例は沢山あります。
動物は喋れないので、日頃の感謝をそのような形で表すらしい。
けなげですね。


(前々から病気がちでしたが、急に症状がでるなんておかしかったんです。)
主人の違反は、主人への気付かせだから気にしないんですが(汗)
(悪い事が一気に来る前なんですが、自分の殻がやぶれたな〜スッキリって時があったんです。
そしたら1週間もたたないうちに、派遣切り、わんこ手術、違反と来たんですね。
派遣の方は時間の問題だったんでいまさら感があるんですが、
わんこに関しては病名は違えど、同じ手術を親戚の姉がしてるんでびっくりでした。
なので何かあるなと思ってたら…先生からの連絡です。そして800では話題騒然!)
 
とにかく、反省です(泣)

 

ミクシィに師匠と思われる写真がありました。
似てはないですが、変貌したら…の顔なのかもしれません。
でも、明日朝に自分なりに調べてみますね。
 
・・・アファメーション、簡単でいいですか?
 
私、◎◎はもう二度と、先祖供養を目的とした社共はいたしません。
なので、社共の創始者、及び弟子、関係者とも連絡をいたしません。
そちからの干渉、連絡も不要です。
私、◎◎は信者ではありません、今後も信者になるつもりも毛頭ございません。
ですので、どうぞ私以外の信者を大事になさってください。
もし今後、半ば強制的に社共を薦めてくるような事がありましたら、
その時は関係者もろともある山の崖崩れで生き埋めの刑となります事を承知なさってください。
これで、私◎◎と■流写経とは御縁がなくなりました。
私は私の道を歩みますので邪魔はしないでください、そちらはそちらでがんばってください。
 
こんな感じで良いでしょうか?
 
い、いいと思います(驚
山のがけ崩れっていったい・・・
ま、いいか。


あと、69さん、Aさんに対しては迷惑かけられたなんて思ったことないですよ!
 
色々と最前線で活動されてるので頭が下がる思いです。
 
サイト内ですが、色々と教えていただいてます。
69さんにはメールさせていただいてるおかげか直接気付かせていただくことばかりであります。
 
本当にありがとうございます。
 
ちゃんと成長してるか、理解できてるか気になるところですが、
今回の事も勉強させてもらってるので恨みにも思ってませんよ〜
 
あともう一つ、サイト内の暴れん坊な発言はいつも楽しませてもらってます。
こういうの結構すきなんで!
 
 
ありがとう!



<或るセミナー28>(2010年4月28日)


上の方の体験談を読んだら、これは捨ておけないと思いました。
なので、今日絵を描きました。
それはコレです。



映画「アバター」に出て来るナヴィのようですが、私の守護存在である不動明王の絵の部分です。
この絵は常軌を逸した人達を封じるために描きました。
効くかどうか分かりませんが・・・



それから念は来ているようなので、盛り塩をお勧めします。
塩の量は分からないのですが、30グラム〜50グラム〜100グラム。
直接会ってしまった上の方などは多めにしたら如何でしょう?
使った塩は食べられないし風呂にも入れられません。
そのまま捨ててください。

模様の無い白い皿に、塩を盛ります。普通に置けば良いと思う。
整形する必要はありません。
塩の下に「自分の名前、家族の名前」を書いた紙を置きます。
これでとりあえずは良いと思う。



<或るセミナー29>(2010年4月29日)


昨日盛り塩を紹介したらさっそく実行した方がいます。


69さん
 
おはようございます。
社共の記事、すごいことになってますね。
 
掲載されていた方法で盛り塩やってみました。
家族と私の名前を書いた紙の上に塩を盛った
瞬間、肩が「スッ」と軽くなりました。
 
・・・来てたのかよ>念 orn
 
ここ数日、どうにもやる気が起こらず
モチベーションが下がる一方だったのですが、
急速に回復傾向です。
 
何人かの方へ一方的な電話orメールが来ている、
ということだったので、手ぐすね引いて待っていたんですけどね。
別方面から来ちゃった。やれやれです。
盛り塩方法の掲載、ありがとうございます。



この先生、平気で電話&メール出来る相手と、出来ない相手が居るようです。
私も上の方同様、待っているのですが、全然来ません。
私と直接会話すれば私が詐欺師では無いことや、先生の業務を邪魔しようとしたのではなく、
協力しようとしたことを伝えられるのにね。
変ですね。

実はAさんが前からこの先生に対して疑問に思っていたことがありました。
それは
「先生は、相手によって態度が違うのは何故か」ということです。
しかし疑問には必ず答えが来ますね。
先日、私はAさんを友人チャネラーに会わせました。
Aさんはこの行と、先生達に関する疑問をチャネラーに質問しました。
すると
「先生が相手によって態度が違う」のは先生は相手そのものではなくて、相手後ろに居るモノを見ているからだそうです。
先生は一応Aさんを尊重しているようです。
(なんたって、このAさんはいろんな霊能者などから「あなたの後ろに居るものは凄い」と言われているのです)

ところが、Aさんでは無い人に対する、この先生の態度を見ているとどうも相手をバカにし軽んじているように見えた。
これがとても不思議だったそうです。
その疑問は、チャネラーさんが解いてくれました。



だから、先生の、この行をした人への態度も分かれているわけですよ。
●或るタイプの方には、相手に喋らせないくらい早口でまくしたて、メールはびっしり書いて送る
●或るタイプの方には、何も言わない。

上の情報を寄せてくれた方のような、「来るなら来い!」と、待ち構えているような魂が強い人には
先生、何も出来ないようです。
反対に「この場は相手を怒らせないよう、丸く収めよう」とする心優しい魂の方には言いたい砲台。
それならいっそ全員が「来るなら来い!」体勢を取れば良いのでは?

この一件は「強くなれ」という教訓も含んでいますね。

これを読んだ或る方から「では私の魂は弱いんですかね」というメールが来ましたが、違うと思いますね。
優しいので、先生が甘えたのではないでしょうか?



<或るセミナー30>(2010年4月29日)


さて、祈願文(仮称)も、創始者がいまだに成仏していないとなると、問題です。
良く確認しないで販売したことをお詫びします。
本当に済みませんでした。

祈願文をどうしたら良いか?という質問が来ているので、それは燃やしたら良いと思います。
庭でも台所でもいいから、燃やす。
それで良いと思います。

また、社共したものをどうしたら良いか?ですが、
私は或る方が「近所のお婆さんが、私が死んだ時棺桶に入れておくれ」と言って、
とても安心していた・・・と報告してくれたので、思いついたことがあります。

書いた社共は身内の方が亡くなった時、棺桶に入れてあげたら良いと思います。

また、既に亡くなってしまった方のためには、本来なら棺桶に一緒に入れて燃やしていたはずなのですが
時間が経ってしまいました。
でも、あの世には時間は無く、気持ちだけがある。
なので、「あなたの葬儀には間に合いませんでしたが、これから燃やしますね」と言って
庭でも台所でもいいから燃やせば良いと思いますよ。
その時誰々の九曜のために、今、燃やします、ということをはっきりさせるために、
半紙に相手の名前と出来たら生年月日(分からない場合は無くても良いと思う)を書いて
それを一番上に置き、あとの社共をその下に重ねて一度に燃やすのはどうでしょう?
本当ならあなたの葬儀の時、これをしたかったのですが、間に合いませんでした。
なので今、九曜のために燃やしますね。
私に九曜をさせてください。
どうかあの世の良いところへ行けますように。

と声に出しても念じても良いので、それをやるってのはどうでしょうね?
私は身内の人のために、これをやるつもりです。
どなたか、この方法で良いか、キネシオロジーやカードで調べてみてください。
その結果を私に教えてください。



「Truth&Integrity」のrindenさんが先祖供養について占いました。
参考にしてください。
「先祖供養の意味について」  http://playfulness999.blog54.fc2.com/blog-entry-50.html#blogcomment



<或るセミナー31>


「とんぱ。」のみつきさんが占ってくれました。

800のの「或るセミナー30」にあった祈願文(仮称)などの処理について、
トンパタロットを引いてみましたのでご連絡します。

まず、


■祈願文の処分方法

・800に書かれていた通り
 庭や台所で普通に燃やせばよい→YES
------------------

☆card18:白鹿に乗る神

「まだら模様の白鹿に乗る神は、
出会いと恋を運んでくる」


運気は上々、
ことに人間関係に素敵な出来事が相次ぐ予感です。
白鹿に乗る神の名はリュールー。
この神が手元のカードに現れたなら、
運気は今、収穫の時に入ったことを示します。
これまでの頑張りや影の努力が、
ついに報われるのです。

でも、逆に言えば、
今日まで大して努力をしてこなかった人には、
特に福はもたらされません。
前向きに頑張り続けてきた人だけに、
素晴らしい出来事が起こる、
というわけです。
その素晴らしい出来事とは…?
身近な友人や家族からの嬉しい知らせや
誘いと言う形でやってくるでしょう!

万が一、
あなたや家族の誰かが不調で苦しんでいたのなら、
徐々に快方へと向かうでしょう。
良い医者の噂を聞いたら訪ねてみて。
また、効果的な治療法を誰かから
教えてもらえるでしょう。
人の言葉を素直に受け取ることが大切です。


みつきさん、ありがとう。



<或るセミナー32>


社共を家族ぐるみで実践した方から。

そういえば夢のはなしですが、今回の写経の講座をやめようかどうしようかと悩んでた時に、
ああ夢だなと思って見た夢が、
「暗い農家っぽい日本家屋で、怖い妖怪っぽい人達がうろうろしながらあちこちで話をしている、
力がなくて目立たない私は、二階へ続く階段の陰に隠れてこわごわ様子を伺っている」
というものでした。
「まさしく今の状況がそうだから、これ以上は無理〜潮時っ」ということなんだろうな、と取りやめた次第です。

あと、写経のことを危ぶんでた父(自分の事では失敗多し)に、写経をやめるよ!と言ったら
「そうか」つってましたが、「話を聞いてくれる時の父の声」でした。
飲んでるとか、ぐるぐる回ってる時はダメなんだけど。

…そういや私が無理な希望的観測でいろいろ失敗するの、父親に似てるんです(笑)
その分、変わった経験も多いんですが
(父は仕事でイラクに行った時、イラク国旗対して帽子を脱がなかったんで銃剣を突きつけられた事があります…)。

今回、味方を信用してもいいよ〜とか、思ってたより愛されてるよとか、
そういうことも分かりましたです。

意味深な夢ですね。
情報ありがとう。



<或るセミナー33>(2010年4月30日)


さて、いろいろ書いて来ました。
皆さん情報ありがとうございます。
私の粗忽が原因で良かれと思って皆さんに「祈願文(仮称)」を販売してしまい、申し訳ありませんでした。
当時やりようが無かったとは言え、早まったな、と思います。



また社共ですが、私は個人的に身内の分をやろうとは思っていましたが、
皆さんにも教えたのは、その行については古銭が必要なのです。
それはネットで高い値段で売買されていて、買えるなら良いが殆ど買えない状態です。
で、先生が古銭を沢山持っていまして、或る筋から入手しているようですが、
行をしたければそれが格安で買えるのです。
これも早めに買わないと将来は手に入らなくなることが予想されたので、
皆さんにも教えることにしました。

その時カードで「この行はして良いか」と訊いたら、YESだったこともあります。
ただし、「先生はマトモか?」とか、根掘り葉掘り訊けば良かったのですが、そこまで気が回りませんでした。
これ迂闊でした。

また、社共をすると「良いことが起きる」とは先生の言葉で、実は私はこの言葉に、ちょっと
違和感を持っていました。
自分の運が良くなるとか、そういうことは考えていなかったので、それが目的ではないのにな、と思いました。
でも、その時(初対面)は先生はマトモに見えたので(実際、まだその時はマトモだったらしい)
まぁ、世の中にはいろいろな意見があるので、いいや、と思っていたのです。

と、このように大抵のことを良い意味に解釈してしまう傾向があり、
しょっちゅう失敗していますが、しかし考えてみれば、この体験をしなければ
「何がどう」悪いのか、が分かりません。
なので、体験することになるのだと思います。
申し訳ないのは、その体験に皆さんを巻き込んでしまったことです。
なので、再三こうしてお詫びしているわけです。



ところが被害者である皆さんが、一様に「この体験から学んだ」と言ってくれるので助かります。
今日は夢を見た方からメールが来ました。
800→「夢1」→MYさん(2010年4月30日)に、MYさんの感想としてこう、書いてあります。

二極化が進む中で、波動の上昇についていけずにこれからも多くの人がふるい起されていくのかと思いました。
また、私が夢の中で発症するかしないかについては結論が出ていませんでした。
一見、良いことをしても、その動機やそのあとの心がけが重要なんだと思いました。
心の在り方次第で『良い行い』も墜ちてしまうものだと。


その通りだと思います。



先生についてですが、この先生は邪悪な人ではありません。
男性の●●さんも全然邪悪では無いのです。
ただ、物事が分からない人達なんです。

物事が分からない、判断力が乏しいので、推理したことは邪推になっているし、
論理性は欠如していて、思考が滅茶苦茶なのです。
なのでいくら性質が良く善良でも世の中を見る目がおかしくなっているので運命もおかしな方向に進みます。
運命は自分が感受する方向、思う方向へ進みますからね。

50過ぎてこれでは呆れますが、世の中にはいくら年齢を重ねても知恵が無く、
若い人よりモノが分からず、若い人から叱られているいいトシこいた大人はいます。
彼らは相似象を知らず、また相似象は秘密でも何でもなく、ちょっと頭を使う人なら
誰でも分かる当たり前のことですが、そういう人がそもそも殆ど居ないので、
普通の人がモノを知らなくても当たり前であり、何ら責める理由はありません。



Aさんについては、やはり「行」が好きで、やるタチです。
本当に大事なのは見えるものではなく、心だ、と再三私が書いていても、
それを読んでも本当には意味が分かってないのでしょう。
読んでないか、読んでいても字面だけを追っている。
だから、あっちの神社こっちの神社、あっちで行、こっちで行と忙しく動き回る、それが面白いというレベル。
Aさんは心がきれいで優しく明るく有能ですが、それと、「物事が分かる」こととは全く別物なのです。
それを今回Aさんは、皆さんを巻き込んで初めて悟ることになりました。
皆さんのお陰です。

今回の件は先生と●●先生のコンビ、私と、Aさん、三者三様に「良いこと」をした結果
却ってまずいことになった、という事例でした。
Aさんは多分生まれて初めて考えて反省したし、私はいつものように冷静に客観視(感情入らず)出来ました。
先生達は多分何も悟らないでしょう。



殆どの人は「良かれ」と思って行動しています。
ただ、そこで判断力が乏しいとこのような結果になります。
という教訓を得ました。

もう一つ。
Aさんが私の家に来て行をやる会場が見付からないと言ったこと。
なので本来なら他人がやるべきことに、私が協力する羽目になったのですが、
これは言い訳ではありませんが、どうも「上」の方が仕組んだような気がしています。
一連の経験をさせるため、そして先生達の正体を分からせるためのことだったのではないかという気がしてなりません。
もし、ここで正体を知らなければ、この「行」は別に秘儀では無いので、遅かれ早かれ出あっていたかもしれません。
その時、意志が弱ければ取り込まれていたかもしれません。

そして素直に参加した皆さんも、私と同様貴重な学びをしたようです。
やはり体験してみないと分からない世界がある、ということです。
しかし夢に変なモノが出て来たり念が来ているのを感受した方もいるので、魔除けの絵を描きました。
友人チャネラーがそれを見て「ちゃんと魔除けをしている」とのことなので、安心してください。
(青い不動明王が浮かぶので描いたら、それは実際にどこかの寺に有るお不動さんだったそううです)
彼らの邪念はどこへも行けないよう、封じ込めたので邪念を出すと自分自身に戻ってくるようにしてあります。



と、いうわけで去年発生した”問題”はここで一応カタがつきました。
皆さん、去年からお騒がせしました。
本当にゴメンなさい。



<或るセミナー34>(2010年5月1日)


さて。
「人は鏡」という言葉があります。

これ、大抵の人はいまいち浅い意味で捉えているようです。
「他人は自分の鏡なのだ。だから相手を見て『嫌だな』と思うところは自分にもあるのだ」というような意味です。
それは有るでしょう。
無いとは言わない。

でも、それではあまりにも浅い。



私が思う「人は鏡」という言葉の意味は、
「他人を見て、自分が思うこと、それを見れば『自分が分かる』」というものです。
分かりづらいかもしれませんが、理解してください。



たとえば女の先生について。
この先生はAさんのことを「有ること無いこと他人に言う人だ」と断じています。
そうでしょうか?
私は逆に「有ることも『無い』ことにしてしまう。それは他人と他人が争わないよう、摩擦を避けようとしたからだ」と思います。
皆さんの意見はどうですか?

私がAさんを叱ったのはこの点なのです。
(他にも沢山Aさんに対してはまずいことがあると思いますが、その中の一つ、という意味です)

同じAさんに対する感じ方が先生と私では全く違いますね。
先生は「U氏と一緒に仕事をしていただけのSさんを詐欺師呼ばわりして、そのSさんのHPを頼まれて作っていただけの
私のことまで詐欺師呼ばわり」していることは、「有ること無いこと一緒くたにしている」のではないかな?

もう一つ。
先生はAさんに対して「今度使うので『行』の製品を18枚用意してください」などと頼んでいたそうです。
Aさんが「それは無理です」と言うと「では書けるだけでいいです」と言ってくれたそうですが、
実はこの『行』の製品は「一枚作成するのに1時間掛かる」のです。
それを18枚書いたら18時間必要です。
実際には18枚ということは無く、数枚だったようですが、数枚=4枚としても「4時間」です。
先生平気で他人をコキ使っていませんか?

その先生が「Aさんは69さんにいいように使われている」と邪推しています。
つまり、自分がAさんをいいように使っているので、他人もきっとそのようにしている、と思い込むのでしょう。

これが「人は鏡」です。



人は自分が感じるよう、思うよう、考えるように、他人を「見る」のです。
だから他人を見てどういう感じ方をしたか、に本人の心が表れているのです。



私とAさんは「喜んで他人に協力する」「他人がどうであろうと自分に関係無い場合は気にしない」
「人間は少しづつ悟っていくものだ」「悪い人は殆ど居ないので基本的に人を信じる態度」など似ている点が沢山あります。
なので、女の先生と男の先生がまさかそれほどヒドい意識でいるとは思ってもみませんでした。
これも「人は鏡」です。
そのように感じる、思う、考える、ということなので、それが実際にそうなのか、とは別な話です。

お分かりいただけたでしょうか?


<或るセミナー35>


実は或るセミナーが終わってから、参加者の一人、Bさんがあるチャネラーに質問していました。
セミナーの講師の先生について。
するとそのチャネラーは「その先生はあまり良い(高い)ものと繋がっていない」ようなことを言ったそうです。
チャネラーが「69さんは、その先生をどのように評価していますか?」というようなことを訊いたので
Bさん「いまいち、と言ってます」と答えたそうです。
チャネラーは「そうでしょう」と答えたようです。

その話をBさんから聞きましたが、いまいちという表現は曖昧です。
何がどういまいちなのか、分かりません。
この先生はややズレた面が有るので私はその点を「いまいち」と表現しましたが、
私は霊的にまずい、という意味の「いまいち」という意味では言ってません。

しかし、チャネラーさんはそういう意味で「そうでしょう」と賛同したのか違うのか、
伝聞なので、私には分かりません。
私が質問者ならその時細かく訊けたのですが、そうではなかったのでこのことは有耶無耶になっていました。

でも、このチャネラーが先生達のことを「良い(高い)ものであるとは言って無いようだ」という情報は私に入りました。
しかしその情報も曖昧で済みません。
「良くない」のか「高くない」だけか、ちょっと分かりません。
高くないのだとしたら、それは分かりますが、
社共自体がそれほど高度なものでは無いからだ・・・と、解釈しました。
ここでもまた「良い方に解釈」しています。
これは私の癖のようです。



とはいえ、チャネラーさんの情報は大いに参考になりました。



このように、情報があってもそれを確認することが出来ないために、情報があやふや、曖昧なままで終わる、ということがあります。
その時は確認できません。
これは構造上、そうです。
(※どういういことかというと、そのチャネラーに確認するためには、私がセッションを依頼しなくてはならない。
   でも、そのセッションは大変人気が有るので、今訊きたいと言っても訊けない)



そして、それから5ヶ月ほど経って、今、このように殆どのことが明らかになりました。
「或るセミナー」の時点では何も分かりませんでしたが、5ヶ月経ったら隠れていたことが明るみに出て来ました。
先生は誰も何も批判していないのに、恐れと疑い、不安から「自分で曝け出す」ということをしました。
これは日月神が

『時が来たら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来るぞ、
神の臣民はづかしない様にして呉れよ』


(磐戸の巻 十八帖)


『愈々日の出の守護と相成ったから
物事誤魔化しきかんのぞ』

(アメの巻 第十二帖)


と、言っていることが成就している証拠の一つです。
「コトコト2280!!」より)



人はだんだん自分で白状するようになる。
自分に、させられる。
これは多分、その人の「上」の存在が当人にさせるのだと思います。
白状させて皆に知られるところとなって、当人に「反省」「分からせる」ためではないか?
そうでもしないと当人は自分の何が悪いのか自覚することが出来ません。
一見失敗のように見えますが、これは「上」の計らいであり、慈悲心です。



<或るセミナー36>(2010年5月4日)


チャネラーの方から盛り塩の方法を教わりました。
皆さんも参考にしてください。



盛塩の下に入れる名前ですが、
家族に憑き人らしき人物がいる場合は、
その名前だけ別に書いて盛塩をしたほうがよいようです。

器がないのでティッシュペーパーを3枚ほど重ね、
名まえの紙はテッシュペーパーの間に入れて塩を置きました。

だいたい、
動物霊や不浄仏霊が憑いているとき、
塩がコロコロと丸く固まる
ようです。
自然乾燥で塩の水分が蒸発するのですが、
何もないときは、全体から水分が抜ける感じで、
乾燥しても塊(かたまり)にはならないようです。

仏間を浄化するときにやはり塊ができて、
完全に浄化できるまで1ヶ月ほどかかりました。
塊のできた塩は南側の窓辺で、
先をすこし折った線香を脇に線香立てで1本立て
成仏を太陽にお願いしましたが、
もし、恐怖心や嫌な気持ちなどあれば、
そのまま白い紙に包んでゴミとして捨ててよいと思います。

塊になるかならないかを判別するので、
塩をおく時は山盛りにしないで塊が無い状態にしておくとわかりやすいです。
もしかしたら我が家族だけであって他のお宅は違うかもしれないです。
一応ご報告しますが、
疑わしいご家族をお持ちの方に試していただいてみてくださいね。




塩は成型しない方が良いようです。
(※我が家では怖いDVDを見るので、テレビのそばに盛り塩をしています。
   なので場所を取らないよう、成型していますが)

サラサラっと皿に盛っておくと、何かがいる場合は塩がかたまりになるので、それで「居る」ことが分かる。
塩はそのまま袋から出して置いてください。

器はもう一人のチャネラーさんが言うには
「模様の無い白い皿」が良いそうです。
盛り塩に使った塩は穢れているので、風呂にも入れられない。
そのまま捨ててくださいとのこと。
上の方法の通り、先を折った線香を立てて燃やすのも良いでしょう。



<或るセミナー37>(2010年5月5日)


或る方が一連のことについて感想を送ってくれました。


ひと段落ついたのにまた社共の話題ですみません。
もろもろの対応お疲れ様でした。
恐ろしい目にあってる方がそんなにいるなんて、鈍感っていうのは
ある意味恐ろしいですね。
先生は丁寧な態度で変な要求もしてこなかったので。
祈■文もやっていたので、昨日燃やしました。
盛り塩もしてみました。
69さんに教えてもらって社共の記事を読んだときに自分の殻が
メリメリってはずれた感じがして、まさしく憑きものがとれました^^
 
この問題はある意味噛めば噛むほどじゃないですけど、考えれば考えただけ
たくさん気づけますね。
楽なほうにすぐ流されますけど、できるだけたくさん気づけるよう
考える訓練にします。
 
私も人と違う自分でいたい欲求が強いし、信じ込むのは危険だと
某サイトで読んでいても、どこか真剣に考えていなかったと分かりました。
どんなに勧められても、やると決めたのは自分なので、よく吟味することが
ほんとに重要ですね。
日月神示を読み始められたし、教訓も得られたんですから
かえって関わっていてよかったと思います。
ほんとに教えてもらってありがとうございました。



このサイトをご覧の方は一部を除いて、意識レベルが高い人が多い。
なので、上の方の感想とほぼ似たような感想が沢山来ています。

世の中にはいくら真心を持って接しても、それが通じないばかりか、他人の言葉が理解できず
物事を曲解して常に邪推している人がいます。
「世は八分通り獣の入れ物」(日月神)だそうで、こういう人を獣の入れ物、と言います。

80%が獣の入れ物なんだから、獣の入れ物になっちゃっている人は珍しくなく、
そっちの方が多いくらいなので、居ても良いと思うんですよ。
でも、指導的な立場に居る人がそれではダメなのではないでしょうか?
しかし、そもそも獣なので、「他人から崇められたい」「尊敬されたい」「命令したい」という気持ちが強い。
というか、そういう人だから獣の入れ物なのですが、そういう人に限って「他人を指導しようとする」。

獣なので言ってることは支離滅裂。
最低限の常識も無い(他人のアドレスを勝手に第三者に教えてしまい、それを指摘されても、何が悪いのか分からないなど)
このような手合いは何もこの先生達だけではありません。
「精神世界で仕事をしている人達の99%は偽者」だそうです。
これは精神世界系の出版社に勤務していた人の意見です。

偽者という言葉の意味は
【霊能者の場合】
@霊能力が有る、と言いつつ、本当は無い
A霊能力は有るが、幽界と繋がっている
B目的は金儲け

【セッションする人の場合】
@低次元
Aあちこちから寄せ集めた知識と情報(U氏はこれに当たりそう)
B判断力低い
C目的は金儲け

【精神世界で権力を揮(ふる)っている人】
@低次元
A目先が変わったモノに飛びつき、皆さんに紹介する
B目的は金儲け

金を儲けても良いと思います。
日月神も「金がよけら金を拝め」と言ってます。
精神世界で霊能力やチャネリングなどでお金を儲けても良いと思いますよ。
ただし、繋がっている世界(幽界か霊界か)が問題です。
変なモノと繋がるのは本人が変(低次元)だからで、あの世のモノは本人の波動に惹かれてやってくるだけなので
あの世のモノには罪は無いと思います。



となると、やはり本人の意識が大事である、ということになります。
それ(行など)をする際に
@我れ良しでは無いか、自分の利益のためにやっていないか
A信じ込んでいないか、崇拝してないか、同情していないか
B自分の意識は中道か、考えが偏ってないか、先入観を持ってないか、偏見を持ってないか
C多くの人のためになるか、

など、を見ないと。

故・高橋信次師は、凄い霊能力を発揮していましたが、彼は霊視状態に入る時
自分の意識を見たそうです。
上に書いたようなことを毎回チェックしていたのです。
高橋師くらいになれば意識が高いところで安定するので、いちいちチェックする必要が無いくらいなのですが、
そういう人(高い人)ほど、自分の意識を見ていたのです。

反対に低い人は自分の意識を客観視は出来ないので、常に無意識無自覚で「良い」と思っているので
間違っても、自分の意識をチェックしません。



<或るセミナー38>(2010年5月5日)


私がAさんに対して「この・・・・・・・大馬鹿者め!」と罵ったのは、
Aさんがいくら良いことをしても自分の意識を見ることをせず、無意識無自覚に「良いこと」をしていたからです。
つまり「何も考えないで良いことをしていた」。
いや、自分では考えているんです。
でも、それは考えていることにならない、ということ。
こういうのを「善人の自己中」と言います。

もし、このレベルにあるなら、それは「何もしてはいけない」レベルです。
(※相似象ではこれを
「徳ニ、三ならば動いて凶ならざる無し」と言います)



Aさんは数年前に私と知り合ってから、一見自分が向上したかのように錯覚していた。
最初の頃に私が見かねて出した課題を意味が分からず、理解もせず数年経ってしまった。
Aさんはこの数年、何も学んでいない。

本人の意識としては、自分はいろいろなことを分かって来た、というのかもしれないが、
それはどうでも良い、小さいことばかりです。
それは悪いとは言わない。
しかし良いとは言いません。
良くも悪くもない。
毒にも薬にもならない。

そういうことを数年間掛けて一生懸命動き、自分では何かずいぶん進歩したかのように錯覚していたのだとしか
言いようが無い。
Aさんは、最初の頃から一歩も進んでいない。
だから私は呆れて罵ったのです。
まぁ、罵らなくてもいいがこれはAさんへの思いやりです。

Aさんは同じ場所をグルグルと数年間、精力的に動き回っていた。
でも、それは本当には「良いこと」とは言わない。
悪くは無いので・・・というか、他人には関係ないので、誰もそれを指摘しない。

だから今回のようなコトを経験してとことん思い知る羽目に、自分で追い込んだのだ、とも言える。
もし今回のことが無ければ私もAさんについては面倒臭いので一度指摘したことを、
全く学んでないからと言って何度も分かるまで指摘するかといえば「しません」ね。
だって一度で分からない人に、何故無関係な私が嫌な思いをしてまで指摘しますか?
それに一度は指摘してあるんだし。
分からずやの相手は面倒なので本当にしたくないんですよ。



いや、他人から指摘される前に自分で気づかなくてはならないのです。
なので「いつか自分で気づく」のを待っていました。
だから徒(いたづら)に時間が流れて行きます。
Aさんのような人が最も「サトリから遠い」人です。
(※善人ほど何も悟りません。だって「悪い事」なんかしないもんね)
(※この場合の善人というのは、先生達もそうですね。自分の意識、自覚としては「悪人」では無い。
   無意識に自分達を「善人」と思っているので、「無意識無自覚の善人」です。
   自覚としての善人なので、では客観的に彼らが善人かというと、それはまた別です)




なので、もし今回のことが無かったらAさんは最後まで「分からなくてはならないこと」を分からず、
毎日楽しく過ごしていたことでしょう。
それでもいいと思いますが。

さて。
これをご覧の方の中にも、多分Aさんのように、分からなくてはならないことに気づかず
毎日を「自分が分かる範囲内で」楽しいことをして時間を過ごしている人がいると思います。
Aさんが絡んだ一連の出来事を読み、ぜひ、参考にしていただきたいと思います。



<或るセミナー39>(2010年5月6日)


しかし良く考えてみれば一つの命題を悟るまでには、数ヶ月〜数年〜十数年〜数十年掛かるので
Aさんが一つの命題を三年弱の間、理解出来なかったとしても、これは平均値かな。
あははh!
ゴメンゴメン!
つい、罵ってしまったw



本当に罵りたいところは別にありました。
それは・・・
@初対面の方
A初対面の霊感、霊能力の有る人
B付き合いが長い人
の誰からもAさんの人間性、人徳は素晴らしいと言われているのに、
愚にもつかないなんとか霊憑きの人を奉ったことです。

Aさんは謙虚なので、誰のことも尊敬尊重しているようですが、
それではいけないってことです。
「お人よしではならん」と、たしか日月神も言っていたはず。
神が
「この神示を疑え」と言っているのは、神ですら疑うことをせよ、と言っているんです。
ましてや人間なんて、疑いに疑って証拠を集め、
その上で「この人はマトモ」「この人にはTQ霊は憑いてない」と判断するべきですね。
相手を尊重しつつ、でも常に冷静に相手を観察しなくては。
Aさんの悪い点は情緒に流される点です。

以上、素晴らしい人間性の方が陥り易い問題点を紹介しました。


<或るセミナー40>(2010年5月12日)


さて、社共ですが、やはりそれをすると先代の方と意識の点で繋がってしまう恐れがあります。
先代の方のやり方はやらない方が良いと思います。
なので、普通の社共をお勧めします。

人はなかなか意識を集中できません。
なので亡くなった方がたへの感謝の気持ちなど思えば済むことなのですが、これがなかなか難しい。
なのでそれが出来ない人のための「行」ではないかと思います。

この「行」で大事なのは社共よりも、亡くなった方に対して、自分が思っていることを言語化することなのです。
だから言語化だけすれば良いのですが、その前に写経をするということは、
社共したものは処理しなくてはならない、その処理が「行」なのです。

つまり、亡くなった方への感謝の言葉を述べなくてはならない状況を作るのです。
それが社共。
としか思えません。

でも、それ(亡くなった方への感謝)は大事なことです。
自分が書き溜めたものを処理する際に、なくなった方へ感謝の言葉を述べる。
(書いてしまったのだから、それはやらざるを得ない)
この、感謝の言葉を述べることは、つまり自分の身体にある、亡くなった方の念の浄化であり、
異次元にいる亡くなった方への供養になる。



なので社共は「普通の社共」で良いと思います。
一般的に流布している方で良い。
これは私の意見です。

「社共は良いものですか?」と占うと「YES」と答えが出ます。
なので悪いものではありません。
ただ、先代の方と繋がってしまうのが嫌な方は、普通の社共を行えば良いと思いますよ。





<Aさんから事後報告>(2010年8月12日)


69さんへ

 お世話になります。
69さんをはじめ、多くの皆さまに、ご迷惑と御心配をおかけしており ました「社共に関する一連の出来事」について、
先日、或るチャネラーのセッションを受けましたので、その概要を報告 させていただきます。

@ 約2年前に或る社共の修法に出会い、この春に決別したが、その関係者について?
 ・T女史は洗脳されていて、別の存在から指令されて動いているようである。
 ・本人に中心部(魂)が無いので、或る種の契約を結び、魂を預けたものと思われる。
 ・T女史は、いろいろな存在と繋がっているが、或る男性(師匠)の霊との繋がりが強い。
 ・社共自体は悪いことではないが、儀式に問題があると思われる。

A 関係者の生霊やそこに憑いている悪しき存在が私の処に来ていたらしいが、 今はどうか? 
 また、その頃、実家の屋敷神様や守護霊様にかなり助けてもらったと感じてい ます。
 その点についてもどうでしょうか? 

・ 彼等との決別、そして生き霊や悪しき存在からの関与等については、本人の 意識だけではなく、
 ご先祖や宇宙存在からの強い守護があったということは間違いない。
・ 私は非常にパワーを持っているらしく、様々な存在が利用しようと寄ってくるようだ。
 (持っているいろいろなパワーを利用されてしまうところであったらしい)
・ しかし、集合意識(ご先祖や宇宙存在など)が強く守護してくれているので大丈夫である。
 (もちろん、彼等に頼っているだけではいけませんが)
 ・これからも、愛と調和に心を向けていくことが大切です。
 ・今、エネルギーの状態はニュートラルに戻ったばかりであるが、これから上昇に向かう。



 また、昨年10月、69さんを巻き込んでT市で講座が開催されたこ とについてはその時点では、
T女史は未だ洗脳され切っていなかったのかもし れませんが、
彼等とその背後のいる存在に光を当て、明るみに出して広く知らし めるという意味があったようです。



 さらに、解読の途中、何やら邪魔が入っているので、
一旦通信を切って再度繋いでくださいと○○○さんから言われてので、その通りに改めて繋ぎ直しまし た。
なんと、お経を唱える男性の声によって、解読が妨害されていたとのことでした。
これは、T女史の師匠であると思われますが、やはり、TQ霊と化していたのですね。
ちなみに、「その存在による私への障りはありますか?」と訊ねたところ、
それらを感知し守護する敏感な存在に守られているので心配は無いとのことでした が、困ったものです。



終わりに、この度の一連の社共の騒動に、多くの方々を巻き込んでしまったことにつきましては、
ひとえに私の判断力不足による未熟さが引き起こしてしまったことと深く反省をしております。
誠に申し訳ありませんでした。
本来であれば、ご縁をいただいた皆さんお一人お一人に、連絡をしなくてはならないのですが、
この場をお借りしてお詫びさせていただきますことをお許しください。
 また、今回の一件については、皆さまから直々に、厳しい批判や指摘の言葉を浴せられても止むを得ない状況でしたが、
今日まで暖かく見守っていただいてきたことにつきまして、心から感謝申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
 私は、今回のことを教訓に、そして深く肝に銘じ、より一層、思考力と判断力の向上に努め、波動量を高めていきたいと考えています。
今後とも、ご交誼を賜り、ご指導ご鞭撻をいただけますよう宜しくお願いします。
 まだまだ厳しい暑さが続きますが、皆さまの益々のご健勝とご活躍を心から祈念しております。
それでは失礼します。


<カモワンで見てみました>


さて、Aさんは時間が無くてチャネラーに自分のことしか訊いていないようなので、私がカモワンで訊いてみました。

■創始者のT氏(故人)は成仏しましたか?
●NO
■T氏の提唱する社共をした、某サイト関係者にT氏から影響はありますか?
●YES
■T氏の霊が某サイト関係で、社共した人に影響していますか?
●YES
■T氏は社共をしただけで、処置をしていない人に影響を与えていますか?
●YES
■宣言することによってT氏からの影響を外すことが出来ますか?
●NO
■私が描いた絵によってT氏は封印されましたか?
●YES
■では某サイトの関係者は大丈夫ですか?
●YES

と、出ました。
封印された霊が電話を妨害することは出来るんですね。
全くAさんは面倒なことをしてくれたものです。



本当にやたらなことはしない方が身のためですね。
「君子危うきに近寄らず」と言いますね。
マトモな人は興味本位でこのようなことにクビを突っ込んだりはしません。
私が悪いのはAさんがやっていることなので、Aさんがサニワするべきなので、当然していると思っていたことです。
Aさんはしていたのでしょう。
その結果「これは良いものだ」と判断していたのです。

しかし最初は「良いもの」だったそうです。
途中から女史が豹変したのです。
なので、Aさんもそれは予測できなかったので仕方ないかな、と思います。
私も粗忽なので、皆さんに迷惑をお掛けしました。
どうも済みませんでした。



<まとめ>


ただ社共をしただけなのに、T氏からの念が来ている、ということ。
考えたら分かりました。
T氏は通常の社共ではなく、自分流の社共を広めようとしていました。
(霊能者の助言で開発したそうです)
T氏の思いとしては純粋だったのだと思います。
自分が間違っているとは思っていなかったのでしょう。

しかし、通常の社共では無く、自分流の社共を広めたいという、その心根には
「自分」を先にする気持ちが有った。
なので、本当のところは「自分の我を通す」のが目的だったのでしょう。
なので死んでから成仏などは出来ず、弟子に取り憑いているのでしょう。

弟子とその配偶者の方は、こう言ってはナンですが、殆ど思考力が有りません。
低級霊というのは意識が低級なのです。
考えていることが低級なだけです。
悪意が有る人とも無い人もいます。
が、普段考えていることが低級で、思考力が無い場合、本人は「良い」と思っても、
周囲から見たら「悪」である場合が多いということはお分かりいただけますね?



話が逸れました。

何かを行う時、「皆のため」よりも「自分」を先にすれば、それは「我良し」なのです。
なので通常の社共が天の方向、菩薩の方向に向かうとすれば、
自分を先にしたT氏の社共は「T氏の世界」に繋がっています。
だから、ただ社共をしただけでもT氏の影響下に入ったことになるのでしょう。



Aさんは自分が持っている大きな光によって守られました。
皆さんも、自分の光を増して低級なものが近寄らないよう、影響を受けないよう、一層精進してくださいね。
実に面倒な展開になりましたね。

私はどうなんだ?と言われたら「あ、全然平気です」と答えます。
もともと低級霊などには動じないので、平気です。
皆さんもきっと光は大きいはずなので、そんなに心配することは無いでしょう。
ただ、徒に心配し不安になれば、付け込まれるかもしれません。
(この言葉の意味は、何か悪いことが起こった時、T氏のせいにすれば、そのようになる・・・ということです。
 影響を認めなければ何でもありません)
一にも二にも自分の光を増すことです。



このように世の中の「悪」というものは、本人が自覚して行っているものならまだ良いのです。
たとえば
窃盗、強盗、苛め、などです。
そうではなく、本人が「良い」と思ってやっている「悪」の方がずっと多く厄介なのです。
本人に「悪」の自覚無く、欲(社共を皆のために広めたい)が有れば、死んでから四次元を彷徨い、自分に忠実な弟子に取り憑くことになる。
だから、やはり判断力を増すしか無いのだと思いますよ。



<感想>(2010年8月13日)


Uさんから感想が来ました。


私はT女史達は窃盗団と同じだと思うのです。
 
目に見えない世界の事(先祖供養)でお金をとる。
 
勿論ジュネさんだって目に見えない世界のことで仕事をしていますが、
そのレベルにない、ただの社共を書いた紙で供養したという安易なビジネス。
十分に犯罪レベルだと思います。
ただ、私も信じて行ったわけですから今さら愚痴る事はよくないと思っています。
 
誰だか忘れましたが言っていたのですが、見えないものがみえるって精神病予備軍だそうですね。
 
病の人が生きていくために始めたビジネスだとしたならば、排除は必要かもしれません

なるほど。