7 hinoatarubasyo 人間のいろいろを書いていきます。記事は上に追加されます
<介護の現場から>(2012年6月14日)
○○県のSです。
昨日は半年ぶりの夜勤でした。
介護施設で5人体制の夜勤です。
仕事をする上での基本、ホウ・レン・ソウ

「この施設では対応した人が事実を報告・記録するようになっています。」
ので 私は、これをするのは 当然 だと思っています。
なので、一緒に仕事をしたAさんが対応されていた事実
痛みの部位の確認・バイタルチェックを上司に報告するもの・記録するもの
だと思い込んでいました。
Aさん(50代 介護歴1年半)は
・そこまで気にする必要がないので報告する必要がないと勝手に判断した可能性がある
・自分は立場は下だから立場が上の私が報告するものだ
・もしくは面倒なことにかかわりたくない 責任を取りたくない もあるかもしれない。
私がAさんの立場なら、「気になったもので○○さんが・・」と他の四人に相談します。
Aさんが報告・記録していない事実を知った時、
Aさんの仕事に対する姿勢はその程度なのか とがっかりしました。
私も久しぶりの夜勤で気を回す余裕がなく
Aさんに上司に報告したかを確認し忘れていたので、
横の連絡が出来ていないということを反省しています。
今回の一件は Aさんの他の仕事振りをみても
Aさんのように 立場が下だからこの程度の仕事をしていたらいいんだ
自分で勝手に判断し報告しない人もいるのだ
仕事に対する意識の低い人もいるのだ
ということを自覚するための良い勉強になりました。
Aさんありがとう!
介護士が60人いると様々ですが、
自分の仕事に対する姿勢がこうだから相手もそうだとは
限らないということを自覚できました。
私自身も気を引き締めて頑張ります。

市の管轄の施設なので、
5人体制の夜勤は 2名が職員 3名が臨時職員という体制で、
3名の臨時職員は経験年数が違うだけで、立場は同等です。
通りが2つに分かれていて、
A= 職員1人 臨時2人(私・Aさん)
B= 職員1人 臨時1人
という風に分かれて仕事をします。
何か気付きがあれば、各自が職員に報告・記録します。
状態をみて、必要があれば職員が話し合いの上 看護士に報告します。
50代の男性のAさんは私と同じ臨時職員です。
経験年数が50代の方が1年半 と 私(20代)が7年 という違いだけです。
私は経験年数が長い短いで 上だ 下だ と思ったことはありません。
(彼はそう思っている人)
同じ立場で、同じ意識の高さで仕事に意欲的に向かいたいと思っています。
立場が同じで、「自分はこのくらいで・・・」と不必要な線引きをされていて、
ただ要領よく逃げている(今回の事例は見てみぬふりはいけないのですが・・)
Aさんの仕事に対する意識の低さ(「私は仕事をしています」というアピールは
上手にされます)が多々見えて、この程度の意識で彼は仕事をしているのだと
分かった時はショックが大きかったです。

市の管轄の施設ですので、何故か職員絶対!で職員という立場に胡坐をかい
ている人がほとんどですので、努力をしたくないAさんの気持ちもわかります。
この職場で最善を尽くし・努力している私達は、彼にとっては無駄な労力を使っている
ばかな人間だと思っているかも知れませんね。
私はそんな人間になりたくないです。
人にどう思われようと、いかなる時も最善を尽くす!人間でありたいです。
ただ単に私が真面目で要領が悪く、手抜きが出来ない人間というだけです(笑)
息抜きは必要ですがね。

P や ヤオを知らないままだったら、
後は天にお任せする
という境地までいけず、延々と悶々としていたことでしょう。
これは、私の感覚なのですが、
現在 瞑想法にこだわって瞑想をしていましたが、
もう、このこだわりもいらなくなったと感じています。
○○瞑想法 という枠の中での自己満足に終わってしまう気がします。
確かにカルマというのもあるでしょう。
カルマの解放の手段も今までは必要だった。
今は必要だと思うエネルギーに、伝授など受けなくても
誰もが必要なエネルギーに繋がれる状態になったように思います。
だからPに書かれている様に、常に自分の意識を意識する必要がある。
という所に行き着きますね。世界は実にシンプルですね。
自分を変えるのは自分なのだから。
ありがとうございました。

800がお役に立てたようで良かったです。
まだ二十代のSさんは職場の50代の男性に呆れていますが
世の中の平均値はそんなものだろうと思います。
マットウなのは例外と言ってよいくらい少ないと思う。
そのAさんは五十の坂を越えられなかった人ですね。
そういう人の方が、越えられた人より圧倒的に多いのだからまぁ、仕方ないかな。
これはたとえどんなに「良い人」でもそうです。
良い人であることと、年齢相応の知恵、波動量が有ることとは別ですからね。

ところでこれから書くことはいつものように私の単なる思い付き、直感です。
5月5日=創造神地球に降臨
5月21日=金環日蝕
6月4日=部分月食
6月6日=金星の日面通過
この期間はhttp://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51822466.htmlだそうで。
情報元:http://2012portal.blogspot.jp/
創造神による地球への介入のための窓がもうじき開きます。
創造神が地球に降臨する日は、全世界人類解放日の5月5日となります。
この窓のターニング・ポイントは
日食の5月20日です。(日本は21日)
そして、窓が閉まる日は、金星が通過する6月5日です。
この窓が開いている間、創造主は、
直線的位相べクテル・フローの直接的次元AN変換システムを介して
地球にダイレクトに光を放射し続けます。

この時間窓は、今回の事象が最も起こりやすい時間枠なのです。
但し、私たちは自由意志の宇宙に生きていますし
、光と闇との戦いはまだ終わっていませんので、
今回の時間枠で創造主の光の放射が必ず起こるという保証はありません。
しかし、この時間窓は、私たち集合体が飛躍的に進化する大きな機会を与えてくれることは間違いありません。
複雑性波動分析の結果、この時間枠は、良く周知されている12月21日よりもはるかに重要で、
これまでの歴史の中でも最も複雑な時間枠だとわかりました。
つまり、この期間は、何でも起こりうる、最も不安定で、予想不可能な期間となります。
主な国、団体、組織、企業など、必ず、何らかのリスクがあるということです。

この期間は神が待ちに待った最終局面なのではないかと思っています。
この期間を過ぎた時点からは「神はもう機嫌取りは御免ざ」の通り
大目に見るとか、今回だけは見逃すとかは「無くなる」のではないかと思っています。
私の勝手な考えですが、これからは
「正当に評価される」
「正当に厳罰が下る」
のではないかと。
まぁ、あまり本気にしないでね。

<幸・不幸>(2012年6月6日)
幸せな状況に居ながら心の中は不平不満が溜まり
爆発しそうな人もいれば
客観的に見て幸せとは言えない状況に有りながら
日々幸せをかみ締めている人がいます。
何度も書いていますが
「状況(環境)がどうあれ、それを幸福にも不幸にもするのが心」です。
事例としてTさんのケースを紹介します。

P、800ともに、毎日覗いています。
お、と思うところが度々あったのですが、
時はずるずる流れ・・・。
リストラされて、夫は1年半無職。
とっくに支給もなくなったけど、
やっていけている、生活している不思議。
ここにきて、やっと平々凡々の幸せをかみしめています。
それと、改めて認識した「感謝の気持ち」。
頭ではわかっていたけど、
「感謝の気持ち」が自然といろいろなものに沸いてきました。
そうすると、普通に生きていることのありがたさというか、
あれほど気になっていた自分の存在意味などどうでもよくなって、
ちょっと怠惰とさえ思えるのですが、
流されて生きている幸せをも感じる毎日です。

Tさん、貴重な体験をしていますね。
それが分かればあとはどんどん良くなるでしょう。
一時的な状況の悪化はTさん夫婦にそれを分からせるために
Tさん夫婦が自ら設定したものと思われます。
自分で自分に気付かせるために運命をそちらの方向に運んだのです。

愚痴っぽい人、多いですね!
或いは必要も無いのに他人を羨む、妬む、憎む、とかね。
それらの原因が有るなら分かるが、何でも無いことなのに
それを自分へのなんとか(マイナスなこと)と受け取っては
妬んだり憎んだり・・・ご苦労様です。
そういう人は心の姿勢がそうなっているんです。
まぁ、人はどのような意識を持ってもいいし、どういう生き方をしても良いと思うので
勝手にやれば良い、と私は思いますが、さぞかし心は苦しいことでしょう。
心が苦しいならまだいいが、それが身体にまで影響を及ぼすのが
「病気」です。
本人は非常に痛い思い、恥ずかしい思い、苦しい思い、恐怖を感じるわけです。
それも皆、自分が招いているのです。

病気になる人の心を診てみれば
徹頭徹尾「自分」です。
◆私は正しい、私だけが正しい
◆私は間違ったことはしていない
◆悪いのは全て相手、周囲の人
◆私の評判が気になる、私は良い人だ
◆私は認められるべきだ、
◆私の頑張り、努力、マットウさは認められるべきだ
◆それを認めない奴は変だ、おかしい
◆おかしい人、変な人、悪い人は罰を与えられるべきだ

潜在意識は自分と他人の区別がつかないそうでw
だから
◇他人の成功を祈る人は自分が成功する
◇他人の幸せを願う人は自分が幸せになる
のです。
他人の不幸を願えば(悪い人には罰が当たれ!)
自分に罰が当たり(当たるように見え)ます。

数万円〜十万円近く掛けて「幸せになるセミナー」に参加する人がいます。
でもそんなことをしなくても、今、自分の意識を変えれば幸せになります。
タダでw

<毒になる親のタイプ>(2012年5月30日)
800のわが子を食い物にする母親に出てきましたkさんの話には戦慄を覚えました。
それほどではなかった私でも心の縛りを発見します。今になって親のすり込みを感じます。
ブログにしましたのでよろしければのぞいてみて下さい。
自信の無さです
参考になることが書いてあります。

<善人の心の底>(2012年5月24日)
さて、下に延々と続いてきた<○投げ婆あ>の記事とは関係の無い記事を書きます。
「As a Smile」の「空の目」より。

(略)
ここのところ、「早くグレンとなればいいのに」と
思うことが多いです。
いつもいつも愛想笑いで取り繕い
自分を正当化するために人を悪く言い
自分を悲劇の主人公にして、同情をかい
今の自分に酔ってる人。
その愛想のよさというか、外ずらのよさで
周りからは、「いい人」「やさしい人」と思われてても
いつか、いつか・・みんながわかるときが来るってました。
「あの愛想のよさが曲者だ」という人がでてきました。
心からの笑顔とか
性格がにじみ出てる笑顔と
口だけの目は笑ってない笑顔は違うもの。
(略)
レベルが違うんだ。
私は相手のエクセルも開けるけど
相手は開けない。
下から上はわからない。
って、こういうことなんだ、と思った。
今までまわりにはわかってもらえないなーって
思うことがいっぱいあって、
やりにくかったけど
なんだか最近は、そういうことがなくなってきた。
今、まわりがどんどん振り分けられてるような気もする。
もうすぐなんだな。
世界が変わるのは。

何の話かさっぱり分からないと思いますが「As a Smile」をご覧ください。
とても参考になることが書かれています。

<○投げ婆あへの対処法>(2012年5月24日)
下の記事<我が子を食い物にする母親>を読んだ方(30代・未婚・実家暮らし)から感想が来ました。

800の○投げ老人の記事!
Kさん、なんて素晴らしい人なんでしょう。。
チューしたい。

Kさんのお母さんのような人
ウチにもいますが、似たような老人多いなぁ。
最近になってようやっと私も母の色々な呪縛から
解放されましたが‥
恐ろしいことに
「親の期待することに応えられない自分は罪を負うべきだ」
という最悪の刷り込みが最近までありました。
今でも両親から毎日のように言われますよ。
「お前のせいで苦労している、もっと協力しろ、こちらが言う前に
動け、働け、トシ取った親の生活の面倒を見て助けるのは当然だ、
それを出来ないお前はおかしい」と。からみつく呪詛みたいだw
弟には言わないんですがねぇ。
Kさんのお母さんと同じように、ウチも
弟の扱いと私の扱いは物心ついた頃から格段に違いました。
弟(30代)のことは未だに子ども扱い。
今や母も弱り切って近所に買物も行けない程です。
病院で原因不明と診断される体中の痛み、糖尿病、心筋梗塞、不眠症、その他もろもろ。
夜中にボケて家の中を歩きまわって転んだりするのですが
自分で起き上がれません。
数ヶ月前、やはり夜中に家の中でひっくり返り動けなくなっていました。
あえて手を貸してやらず遠くから見ていると
「私はこのままこうしているのかね〜」と夢うつつの状態で
ヘラヘラ笑っていた。「アンタ当然助けてくれるでしょ」と言いたいようだ。
無意識で私を試そうとしているな、パフォーマンスだと分かりました。
亀がひっくりかえったようにいつまでも埒があかないので
抱き起こしましたが全体重を預けて立つ意志がない。
「いくら他人が手を貸しても自分で立つ気がなきゃ立てないんだよ!」
と思わず声を荒げ(魂の咆哮w)ましたが
届かないんですわ。聴きたくないのでしょう。
それ以来、ボケ話や倒れ込みには放置の方針をとっております。
よし!
それでよし!
冬場それで凍死しても仕方ないのでは?
それが嫌なら「自分で歩け」と思うし
旦那が面倒を見りゃいい、と私は思います。
やりたい奴がやれ。
気付いた奴がやれ。
我が家の鉄則です。
家事も以前よりは手伝いません(最低限やるけど)。
だって私が色々やっちゃったらもっと母は動けなくなる。
辛くても自分で出来ることはやるのが良い。
にもかかわらず父は「何で手伝ってやらないんだ、お前は怠け者だ」と
言いますよ。何故私がやらないか説明しても理解出来ないようです。
恨みはないし愛情もありますが、目に見えないすがり付いてくる手を
私は可哀想という感情や罪悪感で背負うことはもうしないよ、
このゲームからイチ抜けた〜という感じです。
気付くの遅かったな‥ていうか段階がたくさんありました(^^)

この方、良いことを言ってます。
「このゲームからイチ抜けた〜」
それでいいんです。
私が住んでいる処では「いっちぬっけた〜っ!」と言います。
おたくの地方ではどうですか?
この世はゲームです。
「こんなことを言ったら笑われるんじゃないか」
「これをしないと親戚縁者になんと言われるか心配だからやるしかない」
なんてコト考えてませんか?
たかがゲームなのに?

<我が子を食いものにする母親>(2012年5月23日)
下の記事<○投げ婆あにならなかった姑>を読んだKさんから感想と体験談が来ました。
読んでみたらこれは既に○投げ婆あではなく
我が子を食いものにする妖怪変化の類(たぐい)だと思いました。
世の多くの無知な低レベルの母親は多かれ少なかれ
Kさんのお母さんと似た傾向があります。
ここまでヒドくはありませんが。
Kさんのお母さんはKさんのお兄さん(兄一人妹一人)に
老人になってからの人生を○投げしようと計画し(笑)
そのように育てたのに失敗してしまいました。
他人の私が言うのは僭越では御座いますが
「婆あ、ざまあ飯ウマwwwww」
としか言いようがありません。
ではKさんの体験談を紹介します。

<○投げ婆あにならなかった姑>(2012年5月23日)を読んで思ったことを
聞いて欲しくなりました。
>多くの人は「他人が何と言うか」を心配して生きています。
>他人からの気配りや親切を期待する人。
私の両親と兄、そのままです。
両親は兄が将来自分たちの面倒をみてくれる大事な人、と位置づけて、
兄が小さい時から兄に対して気配りや親切を、これでもか!と
してきていました。
そして、私が両親や兄に対して
「心配して気を配り親切にするのが当然」だと思っている人達でした。
ちょっと思いつくことを書いてみます。

兄が中学生の時です。母はパートに出ていました。
私が晩御飯の支度をしていましたら母が帰ってきました。
その数分後兄が帰ってきました。兄は物凄く不機嫌でした。
母はおろおろして「どうしたの? 何があったの?」
兄「欲しい本があったけど、金が足りなくて買えなかった」
母は走って財布を持ってきて「いくら? いくら足りなかったの?」
そう言って1000円渡そうとしました。兄は1000円を睨みつけています。
母は慌ててもう一枚1000円を出して「これで足りる?」
兄はひったくるようにしてお金を取り、ばたばたと足音を立てて
部屋に行きました。
兄の足音が途切れると、母は私に怒鳴りました。
「何ぼんやりしてんの! 可哀想に。欲しいものが買えなかったって
言ってるのよ! 早くちゃんとおいしいものつくってあげなさいよ!」

その時私は小学生でした。お菓子作りに興味がありました。
数日後、兄の真似をしてみました。
(無駄だと判っていましたが、確認してみたかったのです)
ある日、パートから帰ってきた母に不機嫌な顔を見せました。
母は怒鳴りました。
「何、その顔! 親が仕事から疲れて帰ってきてるのに、何よ、その顔!
そんな顔みせられたら親が嫌な気持ちになるってわからないの!」
やっぱりね、と思いました。黙って晩御飯の支度をしました。
晩御飯の後片付けを済ませて居間に行きました。
母は兄とテレビを見ていました。
母「さっきどうしてあんな嫌な顔したの〜?」
私「欲しいものがあったけどお金がたりなくて買えなかった」
母「それ、いくら?」
私「980円」
母「それ何?」
私(こんなに具体的に聞くということはお金くれる気かな?)「お菓子作りの道具」
母、馬鹿にしたように大笑い。
母「甲斐性のない子ねー。毎月小遣いあげてるのに。1000円のものが
買えないのー。恥ずかしいー。1000円も貯められないのー」
そして兄に向かって言いました。
母「ちょっと、聞いたぁ? 980円のものが買えなくて仕事で疲れてる親に
機嫌悪い顔して愚痴愚痴言ってみっともないと思わない、ねえ?」
兄は嬉しそうに言いました。
兄「お前、恥ずかしいなー。母ちゃんにそんな機嫌悪い顔したら駄目だぞぉ」
当時、兄は中学生で月に2000円。私は月に500円の小遣いでした。

兄は大人になってもいつまでも両親の大事な大事な子どもでした。
私は親と兄を見て思っていました。親が子どもをいつまでも子ども扱いしていたら
子どもは子どものままで、成長しないんじゃないか。
だから当然、将来は親を養う甲斐性なんて身につかないし、
結婚してもうまくいかないんじゃないかと。
兄が20代半ばになった頃、両親は兄の結婚相手を必死に探し始めました。
兄は見合いで結婚が決まりました。お嫁さんは両親と同居したいと言ってくれました。
私はアパートを借りて家をでました。それまでずっと家を出たいと言って
いたのですが、家事は誰がするのだ、と母に反対されていたのです。
義姉さんが同居してくれることになったら家が狭くて私のいる部屋が無くなりました。
なので私は兄の結婚式の数週間前に家を出ることができました。

私が借りたのはぼろぼろの風呂なしアパートでした(それまで貯めたお金は
母に取り上げられたので)、物凄く貧乏でしたが本当に解放された気持ちでした。
あのまま家にいたら、私は病気になっていたと思います。
母は、色んなところでお嫁さんの自慢をしていました。立派な学校を出て、
いまどき同居を望んでくれる立派なお嫁さんが家に来た、と言って。
兄が結婚してすぐに、母から義姉さんの事でいろいろと電話が掛かって
くるようになりました。
母「ねぇ、ちょっと聞きなさいよ! ○○さん、変なのよ! お昼が近くなったから
『お昼炒飯でいい?』って聞いたら『いいです』って返事するだけで部屋から
出てこないのよ! どう思う? 仕方ないから黙って炒飯作ってあげたわよ!」
私には母が変、としか思えません。
その時はさすがに「作って欲しかったのならちゃんと作ってって言わないと」
と言ったのですが、母はキレました。
「なんで私が作ってって頼まないといけないのよ!」
全部がこんな調子でした。

私、義姉さんが同居してくれると聞いたときに少し心配だったんです。
私のせいなんですが。私はもう、面倒なので親の機嫌をそこなわないように
ずっと両親が期待する良い子を静かに演じていたので
(私だったら「お昼炒飯でいい?」と母に言われたら慌てて炒飯を作りに
行きました。腹の中で怒りつつ…。そして、怒る自分を認めたくなくて葛藤してました。
獣、ですねw)
母が私の態度を当然と思っていて、同じ態度を義姉さんに期待したら義姉さんが
大変なのではないだろうかと思っていました。
母はしょっちゅう病気になったり怪我をしています。開腹手術もしています。
ある日の事です。母が電話してきました。
「あのね、気がついたのよ、○○さんと何かあるたびに、私、怪我するの」
私は、それを聞いて、母も怪我が何か意味しているのでは?と気付いたか、と
思ったのですが…
「何か恨みが来てるのかしら。怖いわ。お祓いしてもらおうかしら」
…脱力w
幸い義姉さんは強かったみたいです。結局、兄とは離婚になりました。
私からみたら、当然だと思うのですが、両親は今でも嫁が悪いと怒っています。
現在、兄はうつ病で休職しています。

母は
「○○さんが出て行って、○○さんの車もなくなったし、姿も全然みないから
近所の人は何か気付いてるはずなんだけど…、でも誰も何も一言も聞いてこない。
気持ち悪い。どうしてかしら。本当に誰も何も言わない。本当に気持ち悪い」
と言っています。自分が何でも聞きたがるから、他人もそうだと思ってるのでしょう。
両親は今になって兄は自分の面倒をみてくれないらしい…と、やっと気付いたようです。
息子は当てにならなくなったけれど今まで一人暮らしさせて楽させてやった娘がいる。
だから自分たちと息子のことは娘に○投げ、と思ってるようです。
実際に母から「あんたが家に戻ってきたらいいのにな〜」と言われました。
…知らねーよww
(というか、独り言ねー、勝手に言ってればー? という感じでしょうかw
Pや800を見てなかったら心で怒りながら表面は良い子で家に戻ってたかも。
で、病気になる)
なんか、長くなっちゃってすみません。延々と語ってしまいました。

よくグレもせず、家出もせず、病気にもならずに生きて来ましたね。
こういう人が本当に強い人です。
Kさんは実家と縁を切った方がいいな。
電話番号を変えて他の場所に引っ越したら良いと思います。
今までのことは許すとして(笑)
これからはもう嫌な思いはしないと決めましょう。
恨みもせず面倒も見ず・・・で良いのでは?
私もそれを実行しています。
父親には恨みは無いし恩も沢山ある。
だから相殺してゼロです。
本当に恨んでないんです。
でもこれから1秒たりとも嫌な思いはしないと決めたので。
それから考えない人は相手がいると喋り続け、その間は考えないんです。
一人になって初めて考える。
数年〜数十年一人で居れば嫌でも「相手がいるときよりは考える」ので
一人にしてあげるのも慈悲です。
と、私は決めた。

<○投げ婆あにならなかった姑>(2012年5月23日)
下の記事<○投げ婆あ>を読んだRさんから感想が来ました。

「○投げ婆あ」の記事は、ほんとうにその通りですね。
それで、ちょっと長いですが、
「○投げ婆あ」にはならなかった私の義母の話です。
私の亡くなった義母は、一人暮らしで鬱になってしまい、
心の問題からできないことが増えていろいろ不自由そうでしたが、
寝たきりになったわけじゃないし、こちらは隣に住んでいるので、
自分でできることはさせていました。
例えば、買いものやおかずなどの差入れ、話し相手はしていましたが、
主食のご飯を炊いたり、掃除や洗濯など、日常生活には手を出しま せんでした。
でないと日常から切り離されて、ますます自分の世界に入り込み
症状も悪化しそうでしたからからね。
義母のことで相談に乗ってくれていた民生委員の人からも、
「お年寄りは身内が心配して大事に扱うと、
かえって呆けてしまう人が多いらしいですよ。」と聞きました。
なので、私も義母が鬱なのに、できることには何も手を貸さなかっ たので、
「年寄りをほおっておいて、鬼嫁だ!!」と義母から言われるかも と思いましたが、
義母は根が優しい人だったし、もとは自立心がある人だったおかげで、
義母の話しをじっくり聞き流していただけなのに、
「あなたは天使のようだ。」と感謝されました。
義母って、どんだけ寂しかったんでしょうね・・・。
とはいえ、義母はどうしても頭が固くて鬱も回復せず、
そのまま体調も崩すし、結果、早死にしてしまって、
気の毒と言えば気の毒ですが、
それでも義母は、最後まで迷惑かけたくないという気持ちが強くて
どうしても○投げ婆あになれなかったみたいです。
なので、鬱にはなっても○投げせずにいた義母は、
そのおかげで呆けにはならなかったんじゃないかなと思いますし、
今思えば立派な人だったなと思います。

多くの人は「他人が何と言うか」を心配して生きています。
私はそこ(そのレベル、境地)から抜け出しているので平気です。
というより私の母が「他人がどう思おうと私には関係ない」と言う人だったので
似ただけですが。
常に他人の思惑を気にして生きている人は
却って他人から呆れられる場合が有るのではないか。
少なくとも私は「他人から自分がなんと思われるか、汲々としている人」のことは
相手にしません。
呆れる。
忠告してやりたいが、こういう人は思考力が乏しいから
忠告の言葉を理解しない。
何故なら「他人が自分をどう思うか」を超える境地が有ることを知らないので
いくら説明をしても、分からないからです。
しかし、無意識にこういう意識で生きていると
それは病気を作りますね。
善人ほど変な病気になっているのはここらへんに原因が有ります。
Rさんにアドバイスした民生委員は民生委員仲間やその他から
呆け老人の事例を沢山聞いているので情報を持っている。
Rさんが話しが分かりそうなのを「分かったので」正直にアドバイスしてくれたのだと思います。

もう一つ。
他人からの気配りや親切を期待する人。
他人が気を利かせて自分に親切にしてくれればいいが
「気が利かない」「親切にしてくれない」場合は心が苦しむ。
「だから親切にしてやればいいんだよ」
率先して親切を実行する人の考えはそうでしょう。
しかし親切されたい人が発言しないのに
周囲の者がそれを察知して「常に先取りをして親切にする」のは不可能です。
◆率先して親切をする人にも100%は不可能です
◆世の中には率先して親切をしない人が沢山います
ということは、親切されたい人は上の二点で心が苦しむことになる。
常に周囲の者が先取り親切を実行していると
親切をしてもらうのが当たり前になり、感謝しなくなる。
さらには自分が何も言わないくせに「周囲が親切をしない」ということで
不満を抱えて苦しむ。
ここで「ああ、私が願望を言わないからだな」と気付く、最低限の思考力が有ればいいが
それが無い人が多い、というか、「自分が発言しないくせに周囲の親切を求める人」のレベルは
自己中心、思考力無し、ですから、当然「周囲が親切にしてくれない」と
苦しむことになります。
(だいぶクドかったですね、説明がw)
だったら「他人の親切を当てにしなければ良い」「その境地(波動)を獲得すればよい」のです。
そうなれば他人が親切だろうと不親切だろうと本人が苦しむことは無い。
本人の波動を上げるのは本人しか出来ない。
波動を上げろ。
ということではないか、病気や不幸は。
どうもそのようですよ。
死にたくなければ波動を上げろ。
開腹手術をしたくなければ波動を上げろ。
幸せになりたかったら波動を上げろ。
というメッセージです。
せっかくメッセージを受け取っても、受け取る人がそれが分からないために
ヒドい苦痛を味わうのです。

本人が波動を上げない限り一生苦痛に苦しむことになるでしょう。
そうならないためにいろいろと説明するのですが
これは一段上の親切です。
しかしそれを受け取る人は「そんな親切は要らない」のです。
そういう人が欲しいのは「自分のレベルに合った親切」であって
「自分のレベルを超える親切」は要らない。
つまり
「こんなにヒドい目に遭っていながら、あくまでも自分の波動に固執する、その我の強さ」が
自分を苦しめているのでした。

放置したら死ぬ、と脅されて真剣にその意識(自分はこのレベルに留まりたい)を
変えたなら病気は治るようですよ。
言葉を変えれば「脅されなければ改めない」レベルに有ると言える。
それでも改めることが出来ない人の方が多いと思うが。

<逆走爺い>(2012年5月21日)
下の<○投げ婆あ>の情報を寄せてくださった方から。
○投げババア、は、ハゲシく笑いました。
ナイスネーミング。
対してジジイはジジイの自覚が薄く
山で遭難したりいつまでも車の免許を握りしめて
自分は絶対誰の世話にもならんと言いつつ他所様に
ご迷惑をかけるのがちょこちょこいる・・・・・
誰とは言わないが、うちの実家とか友人Aの実家とか
友人Bの実家とか、友人Cの・・・・・以下略。
自分が老人だったことを忘れて若いモンと一緒になって
いろいろやりたがる爺いばかり。
年をとったらもっと落ち着いたほうが良い。
その前に年相応の知恵を持てよ、と思います。
(※最近どこかの山でいい年こいた老人グループが
モノを知らなかったために全滅して世間を驚かせましたね)
今の老人は年齢は高いが相応の知恵を持ってない。
それなのにそれを自覚せず上からモノを言うので
若いモンには煙たがられ、バカにされます。
当然です。

高速道路に迷い込み(この時点で既におかしいが)
こともあろうに逆走する爺さんが後を絶ちません。
高速道路に迷い込んでしまったら「合流」(つまり左折)するっきゃないのですが
そこで一般道と勘違いをして右へ行こうと思って「右折」しちゃうわけです。
それがすなわち「逆走」となります。
運の悪い若者がこのような迷惑な爺いの巻き添えになって事故に遭うのは気の毒でなりません。
一例を挙げるとボケて来たので
(とは言っても認知症というわけではなく、年相応のボケっぷり、勘違いを発揮)
息子から「免許を返せ」と言われた爺さんが
「最後の運転」と決めて運転をした。
一般道を走っているまでは良かったがなんたって「最後の運転」だから
今日は思いっきり、心おきなく、運転納めをしようと
いつもより長時間運転をしてとうとう高速道に迷い込んで逆走し
他人を巻き込んで事故を起こしたことがある。
息子はさぞかし驚き「免許と車の鍵を取り上げておけば良かった」と悔やんだことでしょう。
思いやりが仇(あだ)となりましたね。

日本中あちこちでこういう頭(知性、思考力)は子供並みで心は老人ってのが生息していて家族は大変ですね。
中途半端な思いやりを持つと上のような結果になるので
息子は高度な判断力を持つことが求められます。

<○投げ婆あ>(2012年5月20日)
下の記事<拗れた病気と拗れた性格は同波長>(2012年5月19日)を読んだ
Sさんから感想が来ました。
おはようございます。
69さんはお姑さんに優しいですね。
国交断絶なおヨメさんも多いと思いますよ。
それにしても○投げな年寄りって多いんですかね(特に女性)。
友人の姑と実母もうちの姑も○投げする気満々です。
面倒でげんなりします。
で、友人の姑もうちの姑も認知症になり
専用施設で生活は職員に○投げでき、費用や
手続きなどは子供夫婦に○投げで、
ある意味望みは叶ったのでは・・・・・
依存心が強い人は病気を作り易いのかなと
姑や69さんちのお姑さんの話を読んで考えました。
病気ならあれこれ世話やいてもらえますしね。
80過ぎてボケていないのはいいですね。
他の病気を自ら作ったのはアレですが・・・・・

特に赤い文字の部分。
やはり「本心の願いは叶う」ものですね。
しかしこの「本心」ですが、多分当人は無意識で願っているのです。
自分の人生を○投げして息子一家に全部やってもらいたい。
と、ハッキリ言語化できるほどの婆さんなら呆け老人になって
介護されることは無いでしょう。
また「病気ならあれこれ世話やいてもらえる」と書いてありますが、
そうなんです。
当人の意識としては「世話を焼いてもらいたい」ので、
だから病気になったのだと思いますが、
私はもう年なんだし、自覚症状が無いんだから
そんなものは放置しておけば良いと思っているので
世話など焼かないんですよ。
で、うちの主人は世話を焼くどころか、甘えた態度をする母親を
「サッサと死んでもらいたい!」とほぼ毎日吼えているのでした。
見事にお義母さんのあてが外れたのですが
ちょうど良い具合に娘も居たのでした。
娘が県外に住んでいますが、母の一大事とばかり駆けつけて
世話を焼いているようで、お義母さんは生き生きしています。
自分が病気であることが嬉しくて仕方ないようですよ。
自分が中心人物になって注目されあれこれを世話を焼いてもらえることは
病気で開腹手術をすることに比べたら「良い」「快感」なのだと思います。
人は皆、自分が「良い」「快感だ」と思うことをすればよいので
好きにやれば良いと思います。

<拗れた病気と拗れた性格は同波長>(2012年5月19日)
義母が病気だ、検査だ、ガンではないかと騒ぐので主人がすっかり嫌になり
「おふくろにはサッサと死んでもらいたい!」などと言っている毎日ですが
検査の結果、悪性の腫瘍が見つかった。
ガンなら放置しておけば良いのですが、医師からはなるべく早い切除を勧められたそうです。
私は日頃から義母には「ガンはいじってはいけない」と言っていたのですが
ガンでは無いので切除することにしたらしい。

その前の段階で義母の検査入院に付き合ったり
退院の際には私が行って医師から話を聞いたりと最低限の協力をしていました。
(その前の話。
義母は検査に一緒に行って欲しいと私に言い出せなかったそうだ。
その期間は我が家に寝泊りしていたというのに。
毎日昼間は娘に電話をして泣いていたそうだ。
それを娘から電話で聴いて「はあああああああああああああ?」となったのは
私です。
そして「お義母さん、検査入院に付き合って欲しいならちゃんと言ってください!」
「何故遠慮しているんですか!」「必要の無いことを何故するんですか?」と
義母に考えさせようとしたが、もう80歳を過ぎているので
意味不明な笑いを浮かべるだけ。
普通の嫁なら「我が家に泊まっているくせに、毎日娘に電話して泣く」ことが
嫁にバレたら怒るのではないだろうか?
義母は私が毎日仕事をして忙しいのを見て言い出せなかったそうだが
だったら永久に黙っていよ。
そうじゃないから娘に電話をして泣くわけでしょう?
優先順位も何も、何も分かってない、ただ思った、というあやふやなことを根拠にしては
不必要な苦しみを味わっているのでした)

で、どうも義母はうちの主人に自分の人生を○投げしたいようだ。
私達夫婦を「頼りたい」と言うので「どうぞ頼ってください」と私も言いました。
が。
この、「頼る」という言葉から受ける感覚は、人によって全然違うんです。
義母が言う「頼る」は全て全部だと思う。
私達が保護者になって義母を子供のように扱うことです。
ところが私達の感覚では「頼る」とは「いつでも用事があれば遠慮なく言ってくれ」と言う意味なのです。
このように人はそれぞれ言葉の感覚、意味、定義が違うのです。
世の中で発生する齟齬の殆どはコレ(お互いの考えの相違)が原因です。

私と主人は頼まれたら自分が出来る範囲内で協力しようと待機をしている。
しかし義母は「自分の人生を丸ごと息子一家に預けたい」ようだ。
ようだ、と言うのは義母がそういうことを言わないからです。
「頼りたい」とだけ言う。
それなら「頼ってください」とこちらは答える。
でもそれは義母が思い描く「頼った生活」とは違うようだ。
だったら言語でこちらに伝えよ、と私は思う。

多くの人が「相手が何か言う前にいち早く気づいてあげること」を「良いこと」だと思っていますね?
あなたもそうですね?
でもそれ、本当に良いことですか?
相手が「こう思っているだろうなあ」と先回りをして解決してあげて
感謝されるし、誉められる「気が利くわねえ!」・・・それが好きで、快感では有りませんか?
でもそれをしたら相手はどうなりますか?
思考を止めますね?
それでいいんですか?
子供にコレをやれば
◆自立できないので登校拒否になる
◆親がウザいので反抗して、それでも親が分からない場合は犯行する
と、こんな感じ?

私はウチの子がそんなことになるのは学校の成績が悪いことよりも問題だと思うので
子供本人に思考させ発言させるよう、育てました。
が、それを老人にやるのか?
と思ったあなた、いいところに気がつきましたね。

私は老人といえども決して甘やかさないのです。
して欲しいことがあれば「言語で言いなさい」と言います。
本人が何も言わず、相手や周囲が気付いてくれるのを待ち、
気付いてくれない場合はどうしたら良いか考えればよい。
真剣に死ぬほど考えれば「素直になればいいのだ」と分かるかもしれない。
その可能性はゼロでは無い。
しかし義母はそれが出来ない。
義母は大変性格が良く素直ですが、ここで求められている素直さは
そのレベルの素直さでは無いのです。
(余談ですが、子供を登校拒否にしてしまう親は性格が良い人が多い。
素直な人です。
しかし、もしそれを解決したかったら、その程度の素直さでは解決しない。
求められている素直さはそのようなレベルでは無いのです。
これが分かれば登校拒否は一日で治る)

さて、余談が多すぎて何を言いたかったのか・・・
そうそう。
義母の病気の話です。
義母は私が語る「人は誰でもガン細胞を持っている」「ガンは毎日出来ている」
「ガンをいじってはいけない」という言葉を一応逆らわずに聴いてはいます。
でも理解はしていない。
検査で「ガンでは無いが良性の腫瘍が出来ているので早く手術した方が良い」と言われて
医師の言うことなら即座に聞く義母は手術することにした。
一般論として思考力の無い人、乏しい人は「権威ある人「自分が偉いと思う人」の言うコトだけは聞く。
だから手術することになった。

開腹手術をすると内臓が空気に触れるので、それはまずいからしない方が良い、と言う人がいます。
それもそうなので参考までに聴いておきました。

そうではなく、意味的に何故手術をするのか?
と私は考えた。
これ、切腹だと思うんです。
切腹の意味は「これこの通り、拙者にはやましいところは何一つ御座らぬ」という意味だそうです。
(それだけでは無いが)
開腹手術も意味は同じ。
「私には悪いところは何一つ無い」
から開腹するのです。
もし(あ、私、ココが悪かった!)と思っていれば
切腹(開腹手術)などは出来ない、する必要が無い。
結論を書きますと
「開腹手術をする人は、自分は悪くない、悪いのは相手、環境、周囲だ、と思っている」
と言える。
もしここで「私が悪かった」と心の底から思えば、腫瘍は消えてなくなる。
ガンも腫瘍も当人の拗れた心、頑固な心が原因だからです。

こういうコトを書くと問題だとは思うが少なくとも私の周囲で
開腹手術をする人の性格は
本当はわがままで自己中心、物事の感受の仕方が下卑た人です。
たとえ表面上がどんなに「良い人」でも。
これを読んでいるあなたが開腹手術をしたことが有るなら
あなたもそういうところがあるのです。
またガンならもっと単純なのですがガンでは無い悪性の腫瘍で
放置すると拗れる病気というのはガンよりタチが悪い。
(ガンより単純なのは外科的なこと。怪我など)
残念ながら義母はその病気と相応しい性格をしています。
凄く良い人なのになぁ・・・
私は義母にこれらのことを分からせることも出来ません。
皆さんの多くが似たようなことに遭遇していて歯がゆい思いをしていることでしょう。

<表側の世界と裏側の世界・・・パラレルワールド>(2012年5月16日)
まず表側の住人について。
たとえば他人に「良いこと」をしたとする。
親切にしたり、優しくしたり、とかちょっとしたことです。
それをされた場合
@喜び
A感謝し
Bその恩に報いたいと思う
のが表側の住人です。

ところが世の中には・・・というか、大半がそうなのかも知れないが
裏側に住んでいる人がいます。
そういう人が他人から親切にされると
@相手をバカにし
A何か裏が有るのではないかと疑い
B攻撃する
のです。
この「攻撃」とは積極的に殴る蹴るをするということではなく
親切にした相手を奴隷にする(欧米諸国の植民地政策など、主に白人がやること)
親切にした相手を殺す(アメリカが原住民を虐殺したことなど、欧米諸国では沢山あり主に白人がやること)
親切にした相手を逆恨みする(朝鮮半島の住民など)
こういう連中が居るのです。

このような者どもに道理を教えても理解しませんから
「なんだか知らんがワケの分からないことを言う目障りな奴」
と認定されて終わり。
そのせいかどうか分からないが、欧米諸国の凋落は目に見えてハッキリして来ましたね。
彼らは皆裏側に住んでいるので、同じ運命を辿ることでしょう。
自分達が出して来た波動の総決算を、今年中にやることになるのかな。
それとも来年以降に持ち越されるか、私は知らないが。

国と国との間では騙しあい陰謀陥れが「常識」となっているこの世界ですが
台湾と日本の関係は大変良好ですね。
台湾は日本統治時代に台湾のインフラを整備し、
日本語教育を授け、優秀な生徒には門戸を開いた。
日本は植民地政策は取っていない。
日本にしたのです。
だから分け隔てなく、人材を登用したのでした。
同じ目に遭いながら、てか、もっと金を遣わせながら
半島の国では日本憎しで、大変です。
逆恨みをしています。
その理由は有るのですが主に「宗主国の中国によって数千回国土に攻め込まれ
神話を持つことを禁止され、奴隷状態にさせられたが
それに逆らうスベが無かった。
中国にとって優秀で居たかったが、日本の方が良い国になった。
(これは神話を持っていたこと、地続きで無いことが幸いした)
中国は東の方の日本はこしゃくで有るが、
自分の家来の国(属国)では無いし、中国の「威光」を持ってしても
海を隔てているので朝貢にも来ないが罰することも出来ない。
実にこしゃくな国だが、いかんともし難い・・・というところ。
それに引き換え半島の国は中国の属国としての地位を有りがたがり
進んで中国さまの気に入られようとするが、
中国が属国などを一人前の国とは認定しない。
で、半島は日本が憎い、と。
大雑把に説明するとそんなところです。

どうでもいいが。
とにかく、人も国も相似象なのです。
人に裏側の人がいるように国にも裏側の国が有る。
勿論それらの国にも例外はいるが国の方針や平均値としては
裏側であると言える。
日本にも裏側の人は多いが、国としてはかろうじて表側に住んでいる
所属していると言えます。
世界がパラレルワールドに分かれて行く際には
これが重要ではないか。
表側の国は表側の波動のパラレル世界へ。
裏側の国は裏側の波動のパラレル世界へ。
「だったら日本にいる裏側の人はどうなるのだ?」
日月神はこう言ってます。
「日本に住めなくなるのぞ」と。
もし日本と台湾、トルコもか?中東諸国、東南アジアは
親切に対しては恩に報いるという人間の心を持っているので
(中東の偉い人曰く「白人は人間じゃない」)
それぞれの国内には裏側の住人を抱えてはいるでしょうが
国としては表側にこれからも進んで行くと思う。
表の国に居ながら裏側に住んでいる人は
その国には住めなくなるだろう。

もうすぐ、自分が今まで出していた波動か、いつか来る「その日その時」の波動の
総決算が為されるはずです。
どちらが偉いとか正しいとかではなく、ただ単に「波長の違い」によって
分かれるはずです。
どちらへ行こうと本人の波長の世界へ進むのだから
幸せであることは間違い無い。

たとえば※国人全てが裏側の住人というわけでは無い。
※国の人でもその人の波動に相応しい日本に住んでいる人が沢山いる。
日本人だからOKなのでは無い。
その人の波動に相応しく外国に住んでいる。
在日半島人については、良い人もいると思います。
そういう人はこのまま日本に住めるでしょう、波動が合っていればいいんだから。
別に人種や民族は関係ない。
しかし在日半島人であって日本に仇為す輩(やから)はいずれ日本に住めなくなる。

昔エドガー・ケイシーが「日本は沈むだろう」と予言しました。
たしか1998年には沈むと予言したんだっけな。
でも沈んではいません。
が。
ケイシーの予言通りに沈んだパラレルワールドも有ったのではないかと思います。
ケイシーが予言したのは「そっちの世界」だったのでは?
私達が住んでいるこの世界ではまだイルなんたれが金を握っていて
世界を支配しているようですが、もうすぐ彼らの天下も終わる、と言われています。
しかしケイシーが予言した「日本が沈んでしまった世界」の方では
イルなんたれの支配は強く、世界統一政府を完成させたかもしれない。
裏側の世界です。
ここに意識の本体が居る人は、心が裏側に住んでいるので当然
心の世界のままのせ界に属することになる。

2ちゃんねるではこちらの世界とあちらの世界を行き来する事例が沢山出ています。
1998年・・・と限らないが、今はコレで・・・に世界がどんどんイルなんたれの支配が強まる
あっちの世界に居た人が、その後の意識の変化(向上、波動上昇)により
途中でこっちの世界(私たちが住んでいる世界)に、
移動(心の本体が移動、意識が移動)したのではないか。
人間は一瞬一瞬の意識によって「自分が属する世界を選択している」らしい。
(ピラミッド予言の本より)
私もこの本と2ちゃんねるの情報、ケイシー予言が成就しなかったことなどから
「人間は意識の本体が属する世界を自分で選択している。
と言っても意識的にそれが出来るのではなく
本人の固有震動がそれをさせている。
自覚は無い。
本人の波動が上がれば高波動の世界へ
波動が下がれば低波動の世界へ、
意識の本体が移る。
本人の肉体はどの世界にも存在する。
中にはその世界は死んでしまっているかもしれないが」
ということが分かった。

意識が大事だ、ということです。

<「ありがとう」の心の姿勢>(2012年5月10日)
心の姿勢が「ありがとう」になっている人がいます。
そういう人は大抵のことが起こっても(ありがとう)と思うようになっている。
つまり(ありがとう)と思えるようなことだけが起きます。
「ありがとう」の心の姿勢とは、意図的に「ここは感謝しなくちゃ」とか無理して思うのではなく
何も意識していなくても「ありがとう」が身に憑いた状態、と私は定義します。
だから強いて「ありがとうと思おう」「感謝しよう」「感謝すべきだ」と思わないのです。
だって、普段の心の姿勢が「ありがとう」になっているのだから
そんなことを思う必要が無いのです。
既に「思うことの殆どが『ありがとう』になっている」境地である、と言っても良い。
殆どは言い過ぎかな、過半数が、でいいです。

本人が発している「ありがとう」に見合った事象がやって来ているのだ、という事例を紹介します。
「ありがとう♪見つけた!」の記事「自転車1〜3」(2012年4月27日〜5月9日)とか。
それから或る方のお子さん(成人)が自転車に乗っていて
交通事故に遭い、自転車は滅茶苦茶に壊れたのに
本人はかすり傷も負わなかった、とか。
警察官が驚いていたそうで、あと20センチ前に出ていたら即死だったかもしれないそうで。
この方も普段から「ありがとう」の心の姿勢で生きているのと
先祖供養のために系図を調べ、写経などもしていたようです。
私もこの境地にはなかなか達することが出来ませんがね。

「ありがとう」と言おう、運勢が良くなる、という教えがあったとしますよ。
で、それを知った人が「ではやってみよう」と思って
強いて「ありがとう」と思ったとする。
でもその人はそのような効果は本当は信じて無い、半信半疑です。
ご利益が有るならやってみようじゃないか、程度です。
するとどうも、有難うと思えるコトが起こらない。
で、その人は(なんだよ。全然いいこと無いじゃんかよ)と思う。
これ。
こういう人は「ありがとうの心の姿勢になってない」のです。
むしろ「ありがとう」の効果を疑い、隙有らばその理論をやっつけよう、
貶そうと思っている。
だからその心に見合った事象、つまり「全然効果ねえじゃん!」が来るのでした。
たとえばそういう人が上の事例を知れば
「だって、自転車に紐が絡まったんだろ?じゃ、悪いことが起こったんじゃん」
「だって、交通事故に遭って自転車が壊れたんだろ?命危なかったんだろ?だったらちっともありがとうじゃないじゃん」
と思える。
心の姿勢が「ありがとう」になってない人なら、そう思う。

「ありがとう」と思うことと、「ありがとうの心の姿勢になる」ことは別なのです。
ありがとうの心の姿勢になっている人は、強いて「ここでありがとうと思おう」などとは思わない。
思う前に「ありがとう!」と思ってしまっている。
これがミについた状態です。
ありがとうと思おうとするのはイの次元。
ありがとうの心の姿勢になっているのはミの次元です。

<心のゴミ屋敷>(2012年4月26日〜5月4日)
多くの人、特に女性は必要なことを考えず、不必要なことばかり考えているようです。
(※男性は必要なことは考えないが、不必要なこともあまり考えない傾向がある。
ただし、女性的な男性は女性同様、必要なことを考えず不必要なことを考える傾向がある。
また、男性的な女性は男性同様、必要なことは考えないが、不必要なことも考えない傾向がある)
勿論当人にはその不必要な考えが「不必要な考えである」という自覚は無い。
人間だから必要なことだけを考えて生きるのは不可能ですが
それにしても、不必要な考えが多過ぎて必要なことを殆ど考えられなくなっていたら
心の安定は失われ、健康では居られなくなり生活や対人関係に支障をきたします。
心の中は不必要な考えが充満していて正常な思考を妨げている。
こういうのを「不必要な考えのデパート」と喩えようかと思ったが
そんなモノは誰でも欲しがらない、買わないからデパートという喩えは相応しくない。

では何が相応しいのか?と考えたら「ゴミ屋敷」という言葉が相応しいと思った。
心(頭)の中には余計なモノは入れない方がいい。
入れない方が良いと言っても心(頭)の中には毎日毎時間毎分、余計な考えが湧いてしまう。
だからそういう時はそれを整序して掃除した方がいい、というか、しないと大変です。
心(頭)を部屋に喩えると、
◆きれいに整理整頓された部屋。
ゴミも有るがゴミ箱に入っていて、今は一応ゴミ箱に入っているが
それは捨てるための準備である。
いつか心で決着がついたら捨てることになっている。
という、きちんと片付けられている部屋に住むヒト
こういう人は殆ど居ないと思うが理想のカタチとして書いてみました。
多くの人は下のような状態だと思う。
◆部屋の中はゴミ(余計な考え、感情)が落ちている。
ゴミ箱にゴミを入れるということをあまりしないようだ。
モノは整理整頓されていなくて乱雑な部屋に住むヒト
多くの人は考えを整理整頓するとか、余計な考え、感情を捨て去るということをしていないので
このような状態なのだと思う。

さらに下の場合がさらに重症化するというか、長年に渡って掃除したことが無い場合は
◆部屋の中はゴミだらけ。
ありとあらゆるゴミが部屋に充満している。
分別などしたことが無いようだ。
考えられないようなゴミがうず高く積まれている。
大昔に使ったものがゴミとなっている。
床が見えないほどゴミだらけである。
片付けたいが、こうなるとどこから手をつけていいか、途方に暮れる。
それなのにこの部屋の住人はこの部屋の様子を「変」だとも「不快」だとも感じてないようだ。
正気なんだろうか?と、その人の顔を見るが平然としている。
物心ついてからずっとこの状態なので感覚が麻痺しているし
正常な思考力が育たなかったために、この状態に疑問を持たないようだ。
このようになってしまった人を「心のゴミ屋敷」に住んでいるヒト、と私は定義します。

<トラブルを解決出来ない人・まとめ>(2012年4月23日)
下の方の記事<トラブルを解決出来ない人>とは要するに
何かコトが起こった場合、解決方法を幾つか思いつけば良いものを
一つしか思いつかない人。
それは「決めている人」である、と言えます。
思考力が無いからそうなる。

たとえば下の記事の例の場合は
「金を返させるために、相手の良心に訴える方法、
つまり正攻法しか思いつかない。他の方法を思いつかない人」です。
ウチの主人と義母は親子なのでやはり似ていまして
金を返さない二十歳の子に対して「金を返す気」を喚起させようと
一生懸命「約束」させるわけですが、
その方法が効かない、ということを理解しない。
一度その方法を試みてもダメだったなら
今度は違う方法を試さなくてはならないのではないか。
こういうことが
◆夢にも思わない、思いつかない人
が居ます。
そして
◆相手の出方を見ながら次の手を考えられる人
がいます。

どちらの人が人生生き易いかと言えば、当然下の方の
◆相手の出方を見ながら次の手を考えられる人
でして、コトは借金取立てに限らず、世の中のことは殆どコレなんですよ、ということ。
自分が決めたらその方法しか思いつかず、あくまでもその方法を死守する、
なんて人は生きにくいだろうし、知恵が無いと言えます。
臨機応変。
何かあったら方法を瞬時に三つくらい思いつき、
その後、順次に次の手、他の手、あの手、この手、奥の手、最終手段、全面戦争・・・と
10種類くらい思いつかないと、こう言ってはナンですが、大人とは言えない。
しかし、一つのやり方しか思いつかない人ほど
自分は正しいと無意識に思っているもので。
頭が子供(思考力が子供並み)でも、心がオトナ(他人の言うことをきかない、聞いても理解しない、
他人に意見を求めない、求めてもカタチだけで、本当は聞かない・・・)つまり
「自分で何事かを決めている」のです。

トラブルを解決出来ない人は頭が硬くて柔軟に働かない。
そして思考力の無い人がする反応・・・
◆感情的になる
のです。
感情的になったら、それは「思考はしない」ということです。
主人は怒ってしまうし、義母は泣いてしまう。
反応の様子は反対に見えるが、「感情的になる」という点では
全く同じ、同レベルなのです。
このレベルではトラブルはおろか、何一つ解決は出来ません。
そしてこういう人が多いのです。

<決めている人3>(2012年3月27日)
学歴や職業の価値判断以外にも、世の大人は決めていることがとても多い。
それは今までの人生で
◇親や周囲や社会から情報を得たり学んだりした結果
です。
大抵の人は、多くの人の言動行動に無意識に従うので
大人になった頃には「決めていることがとても多い人」になっています。
勿論当人は無意識に決めているので
「私はコレコレをコウコウだと決めている」
と、自覚はしていません。
だから始末に悪い。
どんなに性格の良い人でも
「職場の新入りが異動するべき。私の方が古いからここに居るべき」
「子供は学校へ行くべき。行かないのは親の恥」
などと思っている。

果たしてそうなのか、そこでひと考えした方が良いと思う。
上のような例はまだ良性で、タチが良いので例外と言えます。
大抵は自分が勝手に決めていることについて
他人がそこから少しでも外れた言動や行動をすると
何の根拠も無いのにも関わらず外れた相手を「悪い」と責める。
これがどれほどの罪になるか・・・恐ろしいですね。
たとえば自分と考えの違う相手に対して
「バカ」
「キチガイ」
「阿呆」
「非常識」
などと思って責める。
ここで感情が入らないのならまだいいが、思いっきり
「軽蔑する」
人がいますw
そういう人ほど当人は何も知らず上の項目が当てはまっているのだ、と自覚が無いものです。
そりゃムカついたり頭に来ることは有るが
意見が違う、感受性が違うというような些細なことで
相手を軽蔑したりはしません。
私はそういう時(意見や感覚が違う時)は
(ああ、こういう風に考えるんだな)
(ああ、分からないんだな)
(ああ、こんな風に感じるんだな)
(ああ、バカだなぁ)
と、思います。
バカだなぁ、と思うだけで軽蔑しているのではないのです。
だって事実バカなんだから、バカだ、と認識するだけですよ。

思考力と判断力が乏しく感受性が鈍いか狂っている人ほど
常に相手の言動を誤解しては軽蔑をするものですが
私はこういう人のことを
(ああ、こういう風に考えるんだな)
(ああ、分からないんだな)
(ああ、こんな風に感じるんだな)
(ああ、バカだなぁ)
と、思います。
こういう人に説得は不可能なのでやりません。

私がもっと意識レベルが高ければそういう人のことを本心から気の毒に思うところですが
レベル高くないもんで(笑)呆れて放置するだけに留まっています。

とは言え。
私も自分では自覚出来ない様々な決めつけを持って生きていることは間違い無いので
それらを少しでも軽減するためにBSWを毎日飲んでいます。
身体の次元(ミの次元)に原因が有ることは頭の次元(イの次元)ではいかんともし難いのです。
BSWの助けを借りるしかありません。
(私は他のことはやらないのと、これは無料で簡単だから)

<「決めている人」を読んで>(2012年3月25日)
下の記事<決めている人>を読んで感想を送ってくれたFさん。
69さんへ
こんにちわ。
お世話になっています。
「勝手に特権意識」という人種多いですよ。
私は職人の娘で育ちましたし、夫も職人ですので
サラリーマンの中の決めつけを感じていました。
公務員・・・その中でも地方公務員はダメ・
政治家、裁判官、警察所長クラスならOKとか・・
それと学閥・・
国立はいいけれど私大はダメ・・・
国立でも○○、私大ならば○○止まりとか・・・
バカじゃないかと思うことを真剣に疑うことなく話しています。
人としてどうかは全く関係なくです・・・
呆れて口があんぐり・・・閉まりません。。
これなんですけど。
昔読んだ本の中で美輪様が
「多くの人は他人をバカにして生きている」
と書いてありました。
たとえば世間的に尊敬される職業である医師の中も
頂点が『脳外科医」で底辺が・・・なんだろう?・・・まで細分化されて
上の者は下の者をバカにして生きている、というようなことが書いてあったのです。
当時は若かったので「へえ!」と思っただけですが
その後世間を見てみればその通りでした。
そうではない人を探す方が難しいくらい、人は他人をバカにして生きているのです。
これを低次のサヌキ社会と言います。
日本は敗戦によって欧米流の低次のサヌキ型社会に転落してしまったのです。
美輪様はそういう俗物が大嫌いで(笑)
人気商売にも関わらず、言いたいことをビシバシ言って(書いて)います。
或るパーティで或る有名人が自分の子どもを連れて来たのか
何なのか本がないのでウロ覚えですが
周囲の人間がその子供をちやほやしていたら美輪様は
その有名人に
「あなたは有名人だけど、あなたの子供は他人から見たらただのクソガキですよ」
と言ったそうでw
あはっは!
見習いたいものです。
話が逸れたけど、世の俗物(8割〜9割は行きますかね)は
つまらないことを基準にしてランクを作っては
◇他人をバカにする
◇他人を気の毒がる
のです。
職業によって他人を気の毒がる人も俗物ですが、分かりますよね?
説明はしませんが。

母親は職業で人を差別しませんでしたから私もそのように育ちました。
しかし、社会に出てそれが幅を効かせていることを知りました。
今回携わっているお医者さん関係は最たるものです。
丸山ワクチンの先生が、もし、東大京大阪大出身だったら
認可されていたという話には言葉も出ませんでした。
根性が狭いです。
日本人の島国根性とでもいうのでしょうか?
恥ずかしいですね。
地域差別ですね。
くだらない人間はくだらないことを考えついては
そのくだらない価値観に則って(のっとって)生きているものです。
丸山ワクチンは
◇地方の(私はこの先生がどこに住んでいるのか知らないが)
◇たかが町医者の分際で
◇東大に逆らうか!
みたいな?
最低過ぎて言葉も有りません。
本当に一日も早くこういう考えがひっくりかえって欲しいものです。
本当に。
私の知り合いの東大出(在学中)は皆さん良い人ばかりですが
そうでは無い人も居るのだ、と知りました。
こう言っては身も蓋もありませんが
たかが高校で履修する勉強が出来たからと言って
そのことのいったい何が、偉いんですかね。
バッカじゃなかろうか。
Fさんも言ってますが、今はこういうバカが世に幅をきかせている妙な時代なのです。
その妙な時代に生きて、マットウな精神を保てるか、それが課題であります。
http://blogs.yahoo.co.jp/jun_sanchang/folder/612472.html
このサイトの
上の番頭殿悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。
番頭殿を悪く申すのでないぞ。よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。
よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、
皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、
臣民困る様な政治になるのぞ。まつりごとせなならんぞ。(2012年3月24日)
も参考になります。

今の時代は
◇自分の意識
がどのようなものであるか、が問われるのです。
たとえば丸山ワクチンの先生のことを知って
「たかが町医者の分際で思い上がるな」
と軽蔑するか
「そんなのインチキに決まってる。本物なら厚生省が認可するはずだもん」
と何も調査せず勉強もせずに決め付けるか
「この先生の研究は正当なものであり、これを使えば治るのに何故厚生省は認可しないのだ!」
と義憤にかられるか
「丸山先生は立派な研究をなさっているのに、この仕打ちは無い。先生可哀想!」
と同情するか
「一刻も早くこのような社会を直さなければいけない」
と意識を強く持つか反応は様々です。
意識のレベルには高低が有り、それは学校の偏差値とは比べものにならないほど
人間にとっては重要で有ります。
今、このことを知らない人達は気の毒です。
「気の毒できるのざぞ」(日月神示)

<決めている人1>(2012年3月23日)
何事かを決めている人、という意味です。
下の記事にも登場しています。
ウチの主人は
「借用書が無ければ金は返してもらえない」
と、頑なに決めているのですが
そのような決め付けをする人が多い・・・というか、
決め付け方の強弱は有るが、
殆どの大人は「何事かを決めている」と言えます。

「人は叶う夢を見る」に参考になる記事が有りました。
「おかあさんという生き物」
お母さんになると 「友達」が出来にくくなるって
西原理恵子さんの漫画にあって
ここ10年ほど 「本当にその通りだ」と
思うことばっかりだったけれど
ただちょっと息子がお母さんがいなくても平気になったり
お父さんといたほうが良かったり
友達と自転車に乗って夕方まで帰ってこなかったりすると
お母さんにも また 「友達」が出来る場合があって
そういう 「友達」は若いときの友達と違って
大事にしたい友達で 程よい距離で
ひと段落した時に出来る友達もいいもんだ
最近思う

赤い文字の部分です。
たしかに大人になると友達ができにくくなる傾向が有るかもしれない。
母親になるとさらに友達が出来にくくなるかもしれない。
そういう傾向は有ると思います。
母親の活動場所が家庭内に限定されることと
母親の意識が家族に限定されるからだと思う。
しかしそれはあくまでも「そういう傾向が有る」だけだから
西原さんの観察力は正しい。

ところが世の多くの母親は西原さんほど思考力が無いので
「母親になると友人は出来ない」
と意識的無意識的に思っているのです。
親戚のH子さんが今から20年ほど前に言ったのは
「みんな『大人になると友達はできない』と言っているけど
私は友達が欲しいよ」でした。
H子さんが言う「みんな」とはH子さんの周囲の女性のことです。
◇子供の学校の母親の中の親しい人
◇趣味の集まりの友人
などですかね。

ここでひと考え。
「友人ができにくい」と「友人は出来ない」とでは内容が違いますね。
しかし多くの人はそこまで厳密に思考しません。
多くの人は実にいい加減に適当に考えている。
厳密に言えばそれは「考えて無い」のですが。

私はH子さんから「大人になると友達は出来ない」という情報が有ることを知って
初めて「へえ!」と思ったくらい、この件に関しては「何も考えていません」でした。
私の意識はそういうことを考えたことが無かった。
これを無意識と言います。
この件に関しては無意識でした。

私は「大人になると友人は出来ない、出来にくい」「母親になると友人は出来ない、出来にくい」とは
思ってないので、その結果大人になってから、母親になってから友人は出来ました。
子供時代と同様、気が合う人、話が通じる人が友人になっています。
よく買い物をする店の主人とか、しょっちゅう来てもらっている電気屋さんなども友人だと思っています。
ネットの時代なのでネットで繋がっている友人も沢山出来ました。
私は大人になると母親になると「友人は出来にくい、出来ない」と思わないので
その結果友人が出来るのです。
私の意識は「友人は出来ない」と思ってないからです。
友人は出来るとも思ってなかったが
今まで通り普通に無意識に「友人は出来る」と思っていたからですかね。
その無意識に「友人は出来ると思っている」点を意識化すれば
「友人は出来ると思っている」という結論になります。
(言語化すればそういうことになる)

私は「大人になると友人は出来ない出来にくい」という決め付けが無いので
友人は出来ました。
私は普通の大人のような「決め付け」が少ないと思う。
いろいろな面で「何事かを決め付けている人(大人)」に遭遇します。
その時驚いているくらい、自分では決め付けていることが少ない。
(しかし無意識に決め付けている面は有るのだと思いますが)
決め付け=縛り
なので、その点私は普通よりも心が自由かもしれない、と思う。
そしてこれは自分で苦労して獲得した性質ではなく
母親がそうだったから、というのも原因の一つだと思う。
(とは言え、母が全てに関して自由だったわけでは有りません。
やはりたまに妙な決めつけ=価値観=を持っていました。
その奇妙な決め付けについて私は反発していたので
もともと決め付けない性格だった、と言えるかも)

<決めている人2>
ではどのようなことを人は決めているのでしょうか。
事例を挙げてみます。
◆世の中には尊敬される職業と軽んじられる職業がある、と決める。
私の弟はタクシーの運転手ですがそれを言うと(え?)と眉をしかめる人がいます。
その反応を見て(え?)と思う私です。
どうも世の中には尊敬される職業と軽んじられる職業とが有り
多くの人はそのことについて思考せず、大方の「考え」の側に立ち
生きているようです。
私がこういう決めつけに引っ掛からないのは一重に「理屈屋だから」です。
いったい世の中の人の中の、どのくらいの人数(割合でいいです)が
そういう決め付けを持っているのか、調査したわけでは無いのだから
感覚的に「世の中の多くの人の考え」という架空のモノを自分で想定して
その虚構の中で「多数派」につくなんて、根拠の無いことは出来ないのです。
自分が並外れた理屈屋で良かったと思います。

◆世の中には他人から羨望される職業が有るのだから、
そういう職業に就いている人に対しては気後れする
職業なんて「自分の好きなこと」をすれば良いと思っているので
他人の職業がナンだろうと、本人が楽しんでいればいい、と思う。
私には関係ない。
ところが世の多くの人の考えはそうでも無いらしい。
ずっと前に、ご主人が金艮行員で、本人も以前は金艮行員だという人がいました。
子供も同級生の親でした。
子供(小学生)の縁で友人として交流が有った。
或る時何かの用でその友人が住むアパート(行員寮)に行ったが
部屋が分からないので適当にドアのチャイムを鳴らし、
その人の部屋はどこか尋ねて教えてもらった。
後でその人が言うには
その寮は金艮行員寮なので、普通の人は敬遠するのに
私が平然と部屋を尋ねたので驚いたそうだ。
私は言葉の意味が分からなかったがどうも
「金艮行員というのは一般企業のサラリーマンと違って
何か特殊・・・つまり、身分的に上であるので、一般の人はそこらへんに気後れする」
というような意識を持っていることがだんだん分かって来たのです。
有りえん・・・
私は金艮行員が普通の企業のサラリーマンよりも上だとは考えたことが有りません。
金艮行員もその他のサラリーマンも同じです。
上も下も無い。
(しかし、金艮行員がこのような思考回路に陥ってしまう原因は有ると思う)
しかし、私のような考えの人はその金艮行員の奥さんの周囲には居ないようで
私のようなのは例外だったのでしょう。
この奥さんは性格が良かったが、物事が分からず後年子供に異常な反抗をされて泣いていましたw

◆異民族は差別するものだ、と決める
母は北海道生まれ&育ちなのでアイヌが居たわけです。
母が子供の頃は口の周りに刺青をしたアイヌのお婆さんが居た。
或る日電車の中でそのお婆さんに会ったので母が挨拶をしたら
そのお婆さんから「あの時は本当に嬉しかった」と言われたそうです。
お婆さんは一生、母に会うたびにその話をしたそうです。
母は世の多くの人とは違って差別心が無いので
そのお婆さんにも普通に対応していたのですが
多くの人はそうでは無いんですね。
だからよく「日本人は素晴らしい」と言うが私は違うと思っていますよ。
差別心を持っている人の方が多いし
自分が差別されたくない、非難されたくないので、積極的にではないが
差別する側につく人が殆どだと思う。

◆同じモノは持ちたくない
人が持っているもの、たとえばバッグ、靴、衣類、など目につくものは
「他人と同じものは持ちたくない」と決めている。
私はこの点もどうでも良いのです。
10年以上前に或るバッグ屋で安くて品質の良いバッグを発見。
持っていたらそれを見た人が自分も欲しいと言うので
そのバッグ屋へ行って買ってあげた。
(買い物代行)
そうやって3個くらい買ったかな。
しかし普通は「自分が持っているバッグと同じものを他人に買う」ことはしないようで
バッグ屋が呆れていたw
私は他人が何を持とうが持つまいがそんなことはどうでも良いのです。
持ち物が持ち主を超えて、人生に影響を与えるなんてことは無いと思うので
平気です。
が、世の中の人はそれは平気では無いようで(笑)
親切で買ってあげたり、情報を教える私をバカ呼ばわりする人もいましたw
あははh!
そういう人は持ち物の存在意義が自分自身の価値よりも高いのでしょう。
バカはどっちだ、と思って、この件は終了しました。

<決めている人3>
他にも沢山あるだろうがここらへんで止めておきます。
キリが無い。
このように世の大人は多くの人がそうだから、と調査もせずに
自分の空想で感覚的に「何事か」を決めている。
それで終わればまだ良いが、それを「唯一絶対の正解」のように無意識に思い
その、何の根拠も無いことを根拠にしては他人を軽蔑したり批判したりするのです。
こういう罪は最も重いと私は思う。
しかし、この重い罪を世の多くの人は知らないうちに(無意識、無自覚に)犯している。
そういう人の意識(無意識)は「自分は正しい」というものなので
ガンになったりすると「何故、この私が!」となるが
自分の意識を見ることなく数十年経てば当然ガンになります。
ガンは歪んだ考えが限界まで来た結果だということが分からない。
ガンになるような人は意識としては「善意」なので
自分の悪が意識化出来ない。
自分で「ああ、自分はこの点が悪だな」と意識出来る悪は実はたいした悪では無い。
本当の悪は「意識すら出来ない、自分では無意識に『良い』『正しい』と思っている事柄」です。
意識出来ないのだから始末に悪いのです。
意識出来れば客観視とか反省とか出来ますが
意識出来ないものをどうやって「客観視」しらり「反省」したりすれば良いのか?
だから殆ど不可能なのです。
だからガンになったら通常は治らないのです。

しかし奇跡は起こるものでガンになり身体から「殺すぞ」と命を脅かされれば
嫌でも客観視や反省の方向に行かされる。
その方向に行ける人が少ないのでだからガンは治らない。
テレビで「ガンを経験した人達」を見たが、皆さん明るく笑っていた。
40〜50代の女性が多かったと思う。
その人達はガンのおかげで意識が変り、
今日(こんにち)のように、心から無邪気に明るくなったようだ。
ということはガンだと知る前はどうだったのか?
多分無意識に自分はちゃんとやっている、と決めて生きていたのではないか。
根拠の無いあやふやなものを根拠にして
自分は正しいと思い、他人の中に自分の価値観とは違う人を発見すれば
考えもせずに軽蔑して生きて来たのではないか。
私はそういう生き方をしている人って最低最悪だと思います。
善人にもいろいろ居ますが上のようなことになっている善人は最悪ですね。
最悪のこと(心の姿勢)をしているのにも関わらずそれを「良い」と思って(無意識に)いるなんて
最低最悪です。

ガンになった人は「まさかこのアタシが」と思うらしいが
私はそう思った時点でその人は「ガンになるべき人」だと思う。
良い人が多いようですがw

<トラブルを解決出来ない人/スピンオフ記事1>(2012年3月13日)
下の記事<トラブルを解決出来ない人>から派生した
枝葉の記事です。
参考までに掲載します。

下の記事<トラブルを解決出来ない人>を読んだYさんから感想が来ました。
800の記事<トラブルを解決できない人>の
猛獣の吠えあいシーン、臨場感にあふれて素晴らしいですね。。
面白かった♪
お褒めの言葉を賜り恐縮です。
下記のように返信しました。
うちの父ちゃん(Yさんの父親)もそういう傾向があるなぁ
何かの問題について話していて、私のツッコミに耐えられなくなり
自分の論理性や整合性の臨界点(非常に低い)にくると思考停止になり
キレて吠えはじめる。「俺がこう言ってるんだからこうなんだよ!!」と。
「論理の破たんしている人とは話せません、どうぞご勝手に」とか言うと
「うるせえ!うるせえ!黙れ!」
と真っ赤になってモノを投げつけたり殴りかかってくる(ケモノ化)。
意味が無いし痛いし面倒なので最近はそのような
バカな追求はしなくなりました。
そのようなレベルの男性は、ただ受け入れて欲しいだけなんですね。
「ああそうなの、大変ね、頑張ってるね」と言ってほしいだけなんだ。
はぁ‥
最近は私の意識が変わったせいか適当に受け流すことや
慈愛の目で接することが出来るようになったです。
そしたらキレる頻度が激減(当社比)
しっかし、私も相当バカだけど、父ちゃんはもっとバカだ大学。

お忙しい中、忌憚の無いご意見ご感想を有難う御座います。
管理人としては大変励みになりました。

<トラブルを解決出来ない人1>(2012年3月12日)
主人と、義母(主人の母)のことです。
長い話なので分けて記事を書きますね。
我が家の末っ子のTの高校時代の同級生でとても仲の良い男子、Nが居ます。
Nという男子は非常に快活で明るくハキハキしていて
多分大方の人には好感が持てる人物だと思うが
お喋りでうるさいので我が家ではNが遊びに来てもあまり歓迎しない。
来るなとは言わないが、Tの好きにしろ、という感じでした。
高校時代からウチで遊び夕方になってもなかなか帰らないので
夕飯を食べて行ったりしていました。
そういうことは我が家は良くやるので。

TはNを高校時代から主人の母の家に連れて行き
一緒に遊んだりDVDを見たり、お祖母ちゃんにゲーセンに連れて行ってもらったりしていました。
私はそれを知ってあまり良いことでは無い、と思ったが
お祖母ちゃんも孫が家まで来てくれるのが楽しいのだろうから、と
放置、Tの好きにさせていました。

<トラブルを解決出来ない人2>
Nは高校卒業後仕事につき一人で暮らして自活しているので偉いなと思っていました。
今から2ヶ月ほど前のこと、Nが久しぶりに我が家に遊びに来て
Tに車の練習をさせると言って二人で出かけた。
我が家のルールとしては
◇6時=夕飯
◇7時=Tが風呂を洗いお湯を溜める
というのが有るのにTが全然帰って来ない。
なので私は何度もTのケイタイに電話をしたが
後で知ったがTはケイタイを持たないで出かけたのだった。

7時10分頃TとNは帰宅した。
私はTに「時間通りに帰宅しないこと」を叱った。
凄まじい怒り方です。
本人が勉強をしない、とかならそれは本人の自由なのでOKです。
成績が悪い、というのもそれも本人の自由なのでOKです。
しかし公(おおやけ)のこと、分担した家事を時間通りにしないというのは許し難い。
また時間通りに夕飯を食べないというのも許しがたい。
それが無理なら電話で連絡をしなくてはならないのに電話もしないし
こちらが電話をかけても出ないとは何事だ、と怒鳴りまくりました。
そして一緒に居たNにも
「門限が有る」という常識や知識が無い点を叱りました。
帰宅時刻に関して何も思い浮ばなかったという点は
社会人としてダメでしょ。
なのでNも私から鬼の形相で怒鳴られたのです。
そして「夕飯を食べていけ」と私は言いました。
Nが夕飯の支度をする前にウチに来ていたので
Nの分まで米を研いであり、おかずも作ってあったからです。
二人は台所で夕飯を食べ始めた。

するとそこへ主人が帰宅。
私は別の部屋に居たのですが主人がNに対して目を三角にして怒っている。
私が「何故怒ってるのか」主人に尋ねたら「いや、○子には関係無い」と答える。
私に関係の無いこと・・・なんだろ?と思ったが
「挨拶をしなかったから」と言うので「へえ」と思ってその場は捨ておきました。

<トラブルを解決出来ない人3>
その後Nがとんと我が家に姿を見せなくなったので
これは私が怒鳴り過ぎたかな?と思っていたのです。
ところが昨日義母がウチへ来て私と話をしていたら
Nが最近遊びに来ない、と私が言ったら義母が妙なことを言い出した。

去年の8月、TとNが義母の家に遊びに来た。
その時Nが何か早急に金が必要になったので
義母に貸してくれませんか、と頼んだそうだ。
義母はちょうど使う用があったので偶々(たまたま)10万円おろして手元にあった。
その中から6万5千円をNに貸したそうだ。

義母はNがそのうち返してくれるだろうと思っていたら
その次に遊びに来た時は「済みません今、お金が有りません」と答える。
なので「じゃそのうち返してね」と言うと「はい!」
で、次に遊びに行った時にも義母が催促すると
「あ、済みません!明日〒受けに入れておきます!」
ところが翌日そんな金は入っていません。
そういうことを何度も繰り返した挙句とうとう義母の家には来なくなった。

義母は困ってしまって孫のTに「今度N君が近所のゲーセンに来た時
お祖母ちゃんにケイタイで教えておくれ。お祖母ちゃんがそこに行くから」
或る日Tから「今Nとゲーセンにいるよ」と連絡が有ったので
義母は車で駆けつけた。
そしてゲーセンで「N君本当に返してね」と言って
指きりを三回したんだそうです(呆
もうね、ここまで聞いてて呆れ果てました。
指きりをすれば返してくれると本気で思ったのだろうか。
思ったんだろうなぁ。

<トラブルを解決出来ない人4>
そういうことで半年過ぎてしまった。
これは去年のことか今年の初めのことか私は知りませんが
以下のようなことがあったそうです。

困った義母は息子(うちの主人)にそのお金を取り返してもらおうと思って相談したら
主人は烈火の如く怒って
「貸した方が悪い!」
「そんな金は返って来ない!」
と怒鳴り散らすだけだった。
義母は「○子さんに頼んで」と言ったら、主人は
「○子に知れたらどんなことになるか分からない!絶対ダメだ」
「そんな金は奴にやったと思えばいいんだよ!」
「もう二度とその話はするな、いいな!」
金を取り返すのを手伝って(協力して、つまり「全部息子と嫁にやってもらいたい」)
もらおうと思った義母は、叱られてビックリ。
一緒に居たTも主人に
「オマエが悪い!」と怒鳴られた。
主人と義母とTとでこのことは私に内緒にしていたのでした。

<トラブルを解決出来ない人5>
だから2ヶ月ほどまえにNがウチに来て夕飯を食べていた時
主人が帰宅して目を三角にしてNを叱ったのはこのことだったんですね。
私は全然知りませんでした。

昨日義母が言うことには
義母はこれら一連のことを思うと落ち込んで涙が出て来る。
Nの親に電話をしようと思うと動悸がして震えてしまって出来ない。
そして悲しくなって泣くのだそうです。

そんなことを半年間もやっていたとは夢にも思いませんでした。
義母が私に説明をして私が質問をしたり
これからのことを話すたびにそれを聞いている主人が不愉快になって
「貸した方が悪いんだよ!」
「いいからもうその話は済んだんだ、終わったんだよ!」
「借用書も無いのに取り返せるわけが無い!」
「金はやったと思え!」
と吼えてうるさい。
なので私も
「貸した方も悪いが返さない奴の方がもっと悪い!!!」
「この話はまだ済んでないだろ!!!」
「借用書は無いんですね?お義母さん」
「でも貸したことは事実なんだから、返してもらいましょう」
すると主人が
「借用書がなけりゃ、貸したって認められないんだよ!」
「誰が認めないってんだ。
公僕(裁判所関係の人の意)がか!!!」
「そうだよ!」
「認めようが認めまいが、そんなこと知ったこっちゃねえよ!!!
貸したものはキッチリ返してもらう、それだけだ。
借用書がなけりゃダメなのかどうかもやってみなけりゃ分からないだろうが!!!」
「金はやったと思えばいいんだよ!」
「何であんな野郎に金をやらなきゃならないんだよ!!!
ふさけたこと言ってんじゃねえぞ、ゴラァ!!!」
と、猛獣の吼えあい。

<トラブルを解決出来ない人6>
勿論私は義母に説教をしましたよ。
何も考えて無い点をです。
「まさか返してくれないとは思わなかったのよ」と言うが
「お義母さん、大抵は返してくれるが100%じゃないですよね?
返さないということも想定しなくちゃ」
この他にも散々説教をしました。
義母は泣いてます。
その姿を見て(ダメだこりゃ)と思う鬼嫁・・・じゃなかった、嫁の私。
そして義母が
「正直言って○子さんにお金を取り返して欲しい」と言うので
「分かった、やってみましょう」

<トラブルを解決出来ない人7>
時刻を見たら夜の7時でした。
なので私はTに「Nの実家の電話番号を教えろ」と言いました。
そして即、Nの実家に電話をしたらNの両親は共働きで留守。
留守番のお祖母ちゃんが電話に出ました。
「メモを取ってもらえますか?」と頼んだら
「目が悪くて字が書けないんですよ(笑」と答えるので
「N君のお父さんかお母さんは何時に帰宅しますか?」
「8時には帰ります」
「では8時に電話します」

次に○○警察署に電話をして、金を返さない場合について
警察が協力するのか訊いたら
「申し訳ないがそれは民事なので出来ません。すみません」
と言うので
「そうですか」

義母にはもう家に帰ってよいと言って帰らせました。

次にNのケイタイ番号をTから聞いて電話をした。
留守電だったので
「あ、Tのお母さんだけど。
すぐ電話をおくれ。
電話が無い場合は君の実家に電話する。
んじゃよろしく」と言って切りました。

次にTに言いつけた。
「T、Nのケイタイにメールしろ。
『大変だ!とうとう母ちゃんにお金を返さないことがばれた!』
『母ちゃんがさっき○○警察署に電話していた』
『Nの住所が分からないとオレが言ったら
じゃあ、明日○○高校に行ってNの住所を調べる』と言ってた!
『○○裁判所に電話をするって言ってる』
と、書け」
「はい」

Nの両親が帰宅する8時まで時間が有ったので
インターネットで○○簡易裁判所を検索。
簡易訴訟の方法・・・面倒臭えなぁ!
しかしとりあえず電話番号をプリントアウト。
そろそろ8時になるな、と思っていたら家の電話が鳴った。

<トラブルを解決出来ない人8>
NがTからのケイタイメールにビックリして電話をかけて来たのだ。
「Nです。あのぅ、電話を頂いたのに遅くなって済みません」
「ああ、N君。いいよ、ありがとね」
「えっと話は何でしょう?」
「ウチのお祖母ちゃんにお金を借りたよね?」
「あ、・・・・はい」
「何で返さないのかな?」
「あ、はい。実は・・・」
と、くだらない言い訳が続く。
「で?いつ返す?」
「あ、はい、○○日にお金が入るんで、その日に返します」
「給料か?」
「はい、そうです」
「じゃ○○日に返してもらおう」
「はい、分かりました!」
「ウチに持って来ておくれ」
「ウチ・・・ですか?」
「そう、お祖母ちゃんの家じゃなくて、ウチ。T君のウチ。おばさんが居るこのウチ」
「はい、分かりました」

「で?
○○日の何時に持ってくる?
おばさん、その時間に家に居るようにしておくから」
「午前10時に金が入るので午後2時までには持って行けると思います」
「午後2時だな?
おばさんが時間に厳しいの知ってるよね?(オマエ怒鳴られたよな)」
「はい、知ってます」
「じゃ○○日の午後2時まで持って来ておくれ」
「はい」
「いくら借りたんだっけ?」
「たしか・・・6万円だったような」
「6万5千円だってお祖母ちゃんは言ってるよ」
「あ、6万5千円でした(笑」

「○○日の午後二時までに金が来ない場合は
君の家に電話をする」
「それはちょっと・・・親に内緒にしてるんで」
「そうかい。
でも、さっきN君の家に電話しちゃったよ。
だけどお父さんもお母さんも居なくて留守番のお祖母ちゃんが居た。
だからおばさんは8時にまた電話します、と言っちまった」
「それは困ります」
「へえ、ウチのお祖母ちゃんを半年も困らせておいて、
実家に電話されると困るんだ。
ずいぶん自己中だな」
「はい、本当に済みません」
「あれ、もう8時だ。
おばさんはやると言ったことは必ず実行する。
だからこれから電話しなくちゃならない」

<トラブルを解決出来ない人9>
「いや、それは困ります。
本当に済みませんでした」
「いくら出す?」
「へ?」
「口止め料だよ!」
「あ・・・・はい、じゃ5千円払います」
「そっか・・・安いがまあいいだろう。
じゃ今日はN君の実家には電話しない。
5千円は利息としてもらっておく。
サラ金から借りたら5千円じゃ済まないよ。
おばさんも鬼じゃないからさ(わらい)
それでいいよ」
「はい、ありがとう御座います!」

「で、もし、○○日の午後二時までに入金が無い場合は
N君の住所が分からないと訴訟が起こせないので
○○高校まで行ってN君の住所を訊く。
職員が『個人情報は部外者には教えられない』と言ったら
『簡易裁判所に訴訟を起こすので必要だ』と答える。
どういう事情ですか?と職員が訊くから、おばさんは全部話す。
住所が分かればN君の実家に裁判所から書類が郵送される。
そうすれば親の知るところとなる」
「いあ、それは・・・」
「正直おばさんも裁判なんて面倒なんだよ。
だから出来たらやりたくない。
だから約束した○○日の午後二時には必ず持って来ておくれ」
「はい、必ず持って行きます!
本当に済みませんでした」
「じゃ、頼むね」
ガチャ。

「もしもしお義母さん?
Nが○○日の午後二時に金を返すそうです。
ウチに持って来させるから。
それから利息として5千円上乗せしたから」
「あら〜〜〜○子さん、ありがとう!
さっき○子さんに話を聞いてもらってから、なんだか心が軽くなったのよ。
その5千円は○子さんにあげるわね♪」
「おお、ありがとう御座います」

<トラブルを解決出来ない人10>
まだ○○日では有りません。
本当にNの奴が金を返しに来るのか、分かりません。
返せばよし。
返さなくてもよし。
です。
返さない場合は、自分が決定したことを実行するだけです。

口止め料(利息)5千円は安かったな、もっとぼったくれば良かったとも思いますが
あまりぎゅうぎゅうの目に遭わせると
窮鼠ネコを噛む
の諺(ことわざ)通り、死に物狂いで反撃され却って不味いことになるので
空手の極意
寸止め
くらいにしておいた方が良い。
寸止めと言うのは相手の身体から数センチ離れたところで
拳(こぶし)を止めること。
しかし肘はまだ伸ばせる状態で。
たとえば
「今、肘を伸ばして無い状態で、オマエの鼻から5センチのところに
私の拳が有るのは見えるな?
もし私が肘を全部伸ばしていたら確実にこの拳はオマエの鼻に当たって
オマエの鼻骨が砕けていたのは分かるな?」
ということ。
本当は骨折させることは出来るんだけど、今は実戦ではなくて試合だから
寸止めをしているのだ、ということです。
麗しい言葉なので覚えておくと良いでしょう。

こちらも思いやりを持って、相手に逃げ場を作ってやらないとならない。
この件で言えば
○○日の午後二時に金を返済する、と約束させることです。
数日間待ってやること。
勿論それを実行し易いよう
◇それをしない場合に、こちらが打つ手
を相手にも知らせます。
また「ここまで待たせたんだから、3万5千円上乗せしてちょうど十万にしろ」と言うのも
相手を追い込むのでやりませんでした。
(チラっと頭をかすめたが)
考えさせ、選択させるのです。
執行猶予、ってわけです。
なるべく争いは避けたいので争いにならないよう、
話を持って行くこと。
相手が話し合いに応じるようならよし、
そうで無い場合は、次なる手を打てばよいだけです。
そこに何の興奮も怒りもありません。
ただ淡々と仕事を片付けるだけですよ。

<トラブルを解決出来ない人11>
さて、最初は義母から話を聞いて
「詐欺師のようなガキだな」と思っていました。
何故か途中から立場が逆転して
こちらが犯罪者のようになっているように見えたかもしれませんが
それは気のせいです。
お義母さんにお詫びの心を表す意味からも
慰謝料5千円頂いてやった、というわけですよ。
金が返ってくれば良いという問題ではありませんよね?
少しでも相手のお詫びの気持ちが加算されていれば
お義母さんも気が済むことでしょう。

義母は84歳ですからトラブルが解決できなくても仕方ないかな。
無意識で生きているからこういうことになります。
先日或る会合で会った善人の皆さんも
多分義母のように
◇優しく心がきれいで
◇世の中に悪人が居るということを忘れ
◇自分が良い人だから相手も良い人だと、考えもせずに思い込み
◇良いことをした結果
◇相手に裏切られ
◇それを解決できない
のではないかな。

Nも義母が何も考えて無いのを見抜いて金を借り
義母が何も言わなければバレないと思ったのかもしれません。
また高齢だからそのうち死んでしまうと思っていたのかもしれない。
多分そんなところです。
詐欺師の素質が充分に有りますね。
なのでそういう傾向の有る人には
なるべく初期のうちにヒドい目に遭ってもらって学習してもらおうという気持ちも有るのです。
決して「相手を脅すのが好きだから」ではありません。
ホント。

<トラブルを解決出来ない人12>
義母は高齢だから仕方ないとして、呆れるのはうちの主人です。
頭が硬く「借用書がなければ金は取り戻せない」と
ただそれだけを念仏のように唱えている。
何も解決出来ない人です。
Nが
「おじさん(うちの主人)が『一度に返せないのなら分割でもいい』と言ってくれたんで」
と言うので
「うちのおじさんがそんなバカなことを言ったのか、はあ〜(呆
だったら分割で返せや」
「あ、はい・・・済みません」

また、このことが○子(私のことだ)に知れたら
どんなことになるか、と恐れていたようだが
いったいウチの主人は何を想像していたのでしょう?
ワケが分かりません。
そりゃあまりにも話しが分からない主人に怒って
義母の目の前でボコボコにしたことは有りますが・・・
主人のレベルでは私の考えることが分からないのだと思う。
残念だけど仕方ないです。
あ、言っておきますが
苦労しているのは私の方なんですよ。
殴られている主人の方ではありません。

主人のように高学歴でも「何も分からない」「何も解決出来ない」人間はいます。
お決まりのように、そういう半端もの、出来損ないでも「自分は正しい」「自分は賢い」と思っているのです。
無意識無自覚にね。

<トラブルを解決出来ない人13>
ただ、こういう主人の無能さも吉と出たのではないかなと思います。
お義母さんが私に借金取立てを代行してもらおうと思って
息子と相談したときに
主人が怒り狂って怒鳴ったおかげで苦しむことになった。
もし義母が、8月に金を貸した後1ヵ月後くらいに「返して」とNに言ったが
返してくれなかったとする。
その時、即、私に相談をしていれば、その時点で解決してしまったのです。
それって良いことですか?
一見良いが実は良くない。
お義母さんは半年以上もやきもきして
Nに裏切られ、散々苦しい目に遭ったから勉強になったのだと思います。
もしこれで何も学ばなければ、
もっと金額の大きい詐欺に遭っていたかもしれない。
(義母は昔、催眠商法の店に毎日行っては
商品を買わずにおみやげをどっさりもらって帰ってきたりと、
なかなか楽しい性格の人でした。
それはいいが「私は他人から騙されない」という変な自信がついてしまったために
学べなかった。
だから今になって学んでいるのだとも言える)
義母には他にも思考力の乏しさや気の小ささや弱さから
トラブルを抱えて来た。
自力で解決出来ないからです。
その点についても今回の件で嫌というほど自覚した。
これって良いことですよ。

<トラブルを解決出来ない人14>
若くても自力では何も解決出来ない人はザラにいますよ。
そしてそういう人ほど、何を勘違いしているのか
トラブルが無い状態、周囲の人の素質が偶々(たまたま)良い場合には
何の苦労も無いので、自分を「マトモである」「自分こそマトモ」と誤解、錯覚している。
こういう人はいったんトラブルが起これば何も出来ず
(だって本人は普段多くの人の中で多くの人に合わせて無意識無自覚に生きているので)
義母のようにひたすら困り続け苦しみ続ける。
勿論その時の意識は
◇相手が悪い
◇周囲が悪い
というものです。
決して
◇自分が悪い(原因である)
とは思わない。

そういう人とは付き合うのはゴメンなので付き合っていません。
私の周囲には普通に謙虚な人ばかりいます。
と、思っていたら今度は義母がそんな目に遭うなんて・・・
日月神示に
「お尻を出されたら拭いてやれよ」
という言葉が有ります。
今回私がしたことは義母の尻拭いです。
日頃世話になっているのでいくらでも協力するので、それは良い。
ただし、お義母さんにもキッチリ学んでもらう。
私は本人の勉強にならない場合は手助けはしませんが
今回のことは本人が半年間も身体の具合が悪くなるほど
普段何の原因も無いのに泣いてしまうようになった、というほど
苦しんだので、ここで手助けをすることは良かったな、と思っています。
人生にはいろんなコトが有りますね。
私も勉強になったし。
(金銭トラブルは簡易裁判所へ、とか)

<トラブルを解決出来ない人15>(2012年3月13日)
で、今朝「○子に知れたらどんなことになるか分からないから
絶対教えるな」と主人が義母に言った件について
蒸し返してやりました。
主人はだんだん感情的になって来て、自分の母親のことを
「おふくろはもうダメだ。
ウチに来させるな!」
なんて言うんですよね。
面倒を抱えたくないからです。
何故か?
自分が何も解決出来ないからですよ。

主人が今年の1月、Nに
「○月○○日に、金を封筒に入れて持って来い。
おばさん(あたしのことだ)にその封筒を渡せ」と言ったら
Nは「はい」と答えたのに持って来なかったそうです。
なので私は
「相手の良心に訴えてどうする?」
と言ったら
「両親なんかに言ってないよお!」
「いや、親のことじゃなくて、心のことだよ、良心!」
「うううううううるさいっ!二度とその話をするな!」
と吼えるので、ではその話も含めて
「全ての話」をするのは止めます。
以後、二度と主人と会話はしないで
「30年間会話をしなかった夫婦」としてギネスブックに載ろうと思います。

まあ、それはジョウダンですが。
若い頃は実際に実行してみました。
主人は怒ると何日も押し黙るので、それを何度もやられた私は
(あ、そうかい)ということで
(だったら私も黙るわ)と、会話しないことにした。
数週間続いたと思います。
私はこのゲームがだんだん楽しくなって来ました。
(よおおし、記録を作るぞお!)
と、何でも楽しんでしまう。
その間、主人は日常の連絡業務他、
主婦にやって欲しいことを一切頼めず。自分が苦労しましたw
だから〜
そういうのを見越して(無言の行を)やれや、と言いたい。

本当に何一つ、人並みには分からない主人なので
家族は大変ですが、でも稼いでくれるし子供は可愛がるし丈夫だし
料理は毎日するし・・・ま、いっか、ってところ。

<トラブルを解決出来ない人16>
その程度の判断力、思考力なので、トラブル解決なんてとてもじゃないが出来ないのです。
その、判断力の低さで、モノを考えるので84歳の母親が
自分(主人)なら当然やれることを出来ないと言って腹を立てているのです。
でも考えてみてください。
義母は84歳ですよ。
一人で暮らしているだけでも偉いと思いますよ。
寝たきり老人ってわけでもないしボケてもいない。
私は義母が健康で全部一人でやっているのを素晴らしいと思います。
ただ、老人なので昔の生き方を今もしているのが問題だったわけです。
昔ならお金を貸してあげれば、喜んで感謝してなるべく早く返したものだ・・・
というような記憶、情報、それしか無い。
84歳の老人に「今の時代を理解し、それに歩調を合わせて生きろ」と言うのは酷です。
私は義母に少しづつ「今の時代のこと」を解説していますが、
分かったような分からないような、です。
ちなみに今回は「潜在意識理論」に則って解説しましたが
殆ど理解しないようでした。
老人だから分からなくて当然なので、仕方ない。

でも主人にはそういう「当たり前のこと」が分からない。
主人はとても優しく慈悲深いが、いかんせん、レベルが低い。
それが問題ですね。

また、Nから金は取り返せないかもしれない。
でも、それでも良いと思います。
こっちは出来る限り、相手にダメージを与え、嫌がらせをして
相手にも嫌な思いをしてもらう予定です。
もし期日までに返済しない場合は。

一人でけなげに生きている老人に若いものと同等のことが出来ないからと怒り狂うのは
間違っている。
お義母さんが
◇子供達の援助もなく
◇けなげに
◇一人で暮らしている
◇しかも丈夫で
◇性格が良く
◇病気にも寝たきりにもボケにもならない
ことは嫁として、大いにありがたいのです。
こんなに良い点が沢山あるのに
◇考えなしに若造に金を貸した
この一点だけを責めるという神経は理解し難い。

お義母さんは今年の正月に主人の次男一家と
「新年会」
をしたら、あまりのことに次男にガッカリしてしまったが
今回の長男である主人の仕打ちにもガッカリしたことでしょう。
また、こんなに健康で丈夫で性格が良いお義母さんでも
時代についていけないために
(義母なりの思いやりの定義から外れた人が増えているとか、そういうことです)
長く生きることが喜びではなく悲しみになっているようで
可哀想です。
(と、言っても私は情感欠如なので感情は動きませんが)
(感情が動かないタチなので、このような面倒な取立てにも協力出来るのですが)
晩年の人を「自分の価値観から外れた」「自分から見て無能だ」ということで
責めるような気持ちを起こす、という主人のその考え方には
いずれ天罰が下るでしょう。
その時家族にとばっちりが来ないことを祈っています。
私よりずっと優しい人なんだけど、思考のレベルが低いからです。
こっちも気の毒っちゃあ気の毒。

なので最初に戻りますが、万が一金を取り返せなかったとしても
義母の気持ちを分かってやり、嫁が取り立ての努力をした、ということを義母が知れば
心は満足するのではないか、と思う。
最悪の事態を想定していますが、それでも「貸す方が悪い!」と怒鳴られて終了、よりは良い。
一番大事なのは「心」だ、というのはこういうことです。

<トラブルを解決出来ない人17>(2012年3月15日)
○○日というのは今日、15日でした。
今日の午後2時に奴は来るかな、と思っていたら
今朝学校に出かけたはずの息子のTから10時頃電話が入った。
コンビニでNと会って7万円を預かった、と言うのです。
「すぐその金を持ってウチに帰って来い」と言いました。
Tが10分後に我が家に帰って来たので
娘に「お祖母ちゃんの家に電話して、お金を取りに来るよう言いなさい」と言いつけた。
Tはまた学校へ出かけた。
10分後に義母がやってきたので7万円を渡したら
お礼にと5千円を私にくれましたw
義母に学習して欲しいのでここでまた少し説教したが
内容はいつものように殆ど理解できず。
これで学ばないなら次回は救済しません。

<トラブルを解決出来ない人18>
すると今度は夕方4時に息子のTがNを連れてうちに帰って来た。
「こんにちは」とNがおどおどしながら言うので
「N君、今日は早くお金を持って来てくれたので
お祖母ちゃんにも返せたよ、ありがとう」
Nがおどおどしているので「まあ座れ」と言って座らせる。
「本当に済みませんでした。以後このようなことが無いようにします」
「そうかい」
で、Nが自分の近況を喋り始めた。
私が怒って無いので安心したようだ。
で、娘に、壁に貼ってある張り紙を見ろ、と私は小声で言う。
うちの居間の壁にはあちこちにコピー用紙にマジックで
「Nケイタイ電話」
「N実家電話番号」
「○○警察署電話番号」
「○○簡易裁判所電話番号」
を書いたモノを貼っておいたw
それを見て二人で笑った。

Nが殊勝な態度なので
「N君、そこの貼り紙はもう要らなくなったので剥がしていいよ」と言って
本人に剥がさせたw
Nはもし金を返さなかったら、
即座にここに電話が行った、ということをこれで理解したことだろう。
おばさんは決して口先だけの脅しではなく、本気で実行するところだったのだ、と悟ったに違い無い。
それでよし。
で、Nはそのまま息子のTとウチで遊んでいるので
「晩御飯は6時からだけど食べていくかい?」と訊いたら
「ご馳走になります!」と言うので三人分の※を娘に研がせた。
で、今4時50分ですがNはウチでテレビを見たりしてTと遊んでいます。
私がHPを作っている50センチ後ろでテレビを見たりゲームをしているので笑えるw

Nはなかなか帰宅しない子ですが、これからは
「N君早く帰った方がいいよ。おじさんが7時に帰って来るよ」と脅そうと思います。
うちの主人は今朝「今度Nを殴ってやる」と言っていたので
「殴りゃいいんだよ!そして警察に捕まったら何で殴ったかを説明すればいい」
と言ってやりました。

これで一件落着しました。
皆さんにはご心配とご迷惑をお掛けしました。
この記事を読んだ娘の感想は・・・「登場人物がみんな変、おかしいよ」
あははh!
笑った。 |