hinoatarubasyo     人間のいろいろを書いていきます。記事は上に追加されます



<人生の勉強>(2012年3月11日)


私がここで(他でもw)皆さんの体験談を載せる理由。

まず、50の坂をどうにか越えられた私が一般論として提言記事、
或いは事例を参考までに記事として書きます。

その一般論や参考記事を読んだ
30代、40代のお姉さまがたが体験談を寄せてくれます。

それを10代20代のお嬢さん達が、
自分に置き換えたりして勉強し感想を送ってくれます。

何も無いところに「考えろ」と言われてもそりゃ無理です、出来ません。
だから「考える材料」を提供しているのです。
体験談や感想を寄せてくれる皆さんのおかげで
多くの人達が助かっています。



私も若い頃やあまり若くない頃(わらい)に
人生の先輩が書いた本などを読んで大いに参考にさせてもらいました。
何も無いところに「考えろ」と言われても無理ですから
考える材料として提言してくれたり意見を書いてくれると、
人生経験の少ない人や
人生経験は多いが経験しただけで何も学ばないで来てしまった人
(実はコレが殆ど)にとってはありがたいのです。

美輪様始め沢山の人生の先輩のおかげだ、とたびたび思います。
その意見が正しいか正しくないか、そんなことは二の次なんですよ。
そういう意見を「提言」してくれることがありがたいのです。
意見は個人差が大きいし、人が何を思おうとそれはその人の勝手ですから
一つの参考意見と受け取ればよい。

でも「○○についてこう考える」という記事があれば
「○○」について嫌でも考えが及ぶじゃないですか。
それをしているのです。
だからこれらの記事の意見などを真に受けることはせずに
単なる「一つの参考意見」「それはこの人の意見」と受け取るという態度が良いです。




何度も似たようなことを書いていますが
◇正解は無数にある
◇正しいとか正しくないとかには段階(レベル)がある
◇なので何が正しいかは一概には言えない

と、いうことを頭に入れて、情報を取り込むのが良いです。




<真面目な人3>(2012年3月11日)


下の方の記事<真面目な人1>を読んだYさんから。



800の記事の「真面目な人」ですが、まさにタイムリーに

職場で同僚と「クソ真面目な人」の問題点について

話しています。

 

とても性格が良く、腰が低く(表面的)、真面目過ぎるほど

仕事熱心な同僚Aがいます。

 

彼女は契約時間外も居残ってあれこれ仕事をします。

残業以外にも早朝から出てきて、通常二人でやる仕事を

一人でやってしまいます。

 

だからと言って同僚Aは時間外分労働したという申請はしません。

でも私たちは契約時間というものがあり、時給で給料が

換算されるため、他の人は時間外に働けばその分申請し

お給料をいただきます。

 

帰る時間になってもまだ仕事をしていて帰る気配がないので

「もう時間だよ、あとはやっておくよ」

と言っても「私はいいから〜(時間外の請求はしないという意味)」

と言い、仕事を続けます。

 

同僚Bと私はそれを問題視し、直接本人にも

「それは違うよ」と諭しますが、

「私なら大丈夫、私はいいから〜」を繰り返します。

複数人で同じ仕事をしているなら、シェアして

皆が同じ情報を共有し、それぞれが同程度の責任を

負う形にするべき(役職が同じ場合、チームとして働く場合)

と思いますが、舞い上がってしまい「私がやらなきゃ!」

という思考になっている様子。でも空回り。要領が悪い。

なので残業する。

 

「私はいいから」とは本人にしてみれば

自己犠牲は厭いません。という意味なのですが、

あなたが良くても、それでは公平性が保てないし非効率的だ。

という事が分からないようです

時間外労働以外にも、自腹を切って備品を買ってきたり、

会社側や顧客の無理な要望にも応えてしまう。

ルール違反の顧客の要望(単なる我侭)も、

「だって怒ってるから」「クレームになるから」

と言って応えてしまう。

使う方にとっては都合の良い人材ですが、

同じ契約条件下で働く同僚にとっても、顧客にとっても

後々良い影響は与えないのになあ。

 

自分本位な自己犠牲精神を発揮する人の話でした。

とても良い人なんですけどね。頑固者で傲慢な一面がある。

そんなAの姿を観察していて、私もこんな面があるわ・・

と勉強になりました。



典型的な自己中心人間ですね。
人間基本は真面目であった方がいい、真面目でなきゃいかん、と私も思いますが
その「真面目」と言う言葉を自己流に無意識に解釈し
(無意識というのは、本人には解釈した自覚が無いから)
勝手に「皆のため」に仕事をしている。
居ますね、そういう人。
善人なのに、こういう人が居ると周囲はとても困る。
しかし本人には「良いこと」をしている自覚しか無い。
こういう人につける薬は無いですね。

Yさんは「私にもこんな面があるわ」と気付いたようで
相手がどうあれ、自分が何事かに気付き、
修正しつつ生きることを選ぶしか無さそうです。




<真面目な人2>(2012年3月10日)


下の記事<真面目な人1>を読んだKさんから。



<真面目な人>(2012年3月9日)を読んで以前お世話になった会社の
部長さんのことを思い出しました。

私は以前、長期間、同じ会社の同じ部署に勤務したことがあります。
その間に何人も部長が代わりました。
その中でも特に真面目な部長がいました。

その会社は社員が多く部署もたくさんあり、GWや年末年始など長期休暇の
部署の仕事をどうするかは部署ごとに各部長の裁量で決められていました。
春の異動で部長が代わると、異動してきた部長はGWが近づくとこの部署は
今まで長期休暇はどうしていたのか社員に聞いてきました。

私のいた部署は個人の仕事がきっちりと決まっていて
仕事が休暇開けに滞ることのないように、各自が休暇の間に都合の良い日、
都合の良い時間に出勤して、自分の仕事をやっておく、というのが
毎年の長期休暇の過ごし方になっていました。
異動してきた新しい部長は社員からそのように聞いて、「では今年もそのように」
となるのが恒例になっていました。




ある年の春、ある部長が異動してきました。寡黙に仕事をされる方でした。
GWが目前になっても部長からは何も休暇に関しての話はありません
なので、社員の一人が部長に休暇について話そうとしました。
社員が部長に「GWの休暇ですが…」と言った途端、部長は
「私は毎日出勤します! 休めますかっ!?」と半分怒鳴るように言われました。
あまりにピリピリした部長の様子に社員はあっけにとられた顔になり、それ以上
部長に話すのはやめました。


それは・・・真面目というよりは
◇融通がきかない
◇クソ真面目
◇生真面目
◇頭が硬い
◇バカ
の類だと思います。




その部長の事を社員の方は「真面目な部長だねぇ」と良く言っていました。
結局社員の方は毎年の休暇のように休暇の間を過ごした人と、毎日出勤した
人がいたようです。
部長は毎日きっちりと出勤されていたようです。



二年して、その部長は異動していきました。
替わりに来た部長は
「GWは休み。俺、休みたいからこの部署は休み。あ、仕事に来たい人は
勝手に来て仕事しててね。 俺、来ないけど、いいよね?」
と、自分から休暇について楽しそうに話し出しました。
そんな部長は初めてでみんなびっくりです。
「真剣に仕事して、休めるときは休まないと駄目だよ」
とにこにこしながら部長は言われました。

実際に休暇になるとその部長、来ないといいつつ突然ふらりとラフな姿で
職場にやって来て少しだけ仕事をして
「そうだ、休日出勤の皆にまずいコーヒーでもおごってあげよう」と言って、
会社の廊下の自販機の60円の紙コップのコーヒーをお盆と財布を持って
自分で買ってきてくださるのです。


部長がお盆を持つのを見て、
「それなら私が買いに行ってきます、私がみんなの席に配ります」と言っても
俺、仕事するの嫌だからコーヒー買いに行くんだー」
と言ってご自分で買いに行かれるのです。そして、ねぎらいの言葉と共に
みんなの机にコーヒーを配って、コーヒーを飲んで
「みんな頑張るなぁ。俺は帰るけど」と笑って帰って行かれる
のでした。

その部長が来て、
部署の成績が上がりました。

他の部の部長が
「この部署ってこんなに雰囲気明るかったっけ?」と驚いていました。

「俺、真面目じゃないから、休むの大好きだから」とその部長は良く言って
いました。そ
れまでの部長はいつも残業していましたが、その部長だけは
きちんと定時に仕事を終えて帰られていました。
その部長は随分仕事が速かったんです。


いい方だったな、と今でもその部長のことを時々思い出します。


その部長は
◇仕事速い
◇仕事出来る
◇人間を知っている
◇ユーモアがある
◇人間味に溢れている
◇物事を分かっている
人ですね。

自分が残業をしたら、部下は帰れないので
自分は率先して残業をせず、早く帰っていた。
実は友人の公務員のAさんもそうです。
毎日「オレはもう帰るからね=」とサッサと帰ってしまう。
休みたい時は「オレ、この日とこの日、休むからw」とどんどん休む。
Aさんの直属の上司は、毎日のように残業をしているそうです。
上司がそうなので部下は帰りづらい。

その上司、自分は爺いだからいいが
部下の中には
◇独身者なら彼女と会いたい
◇既婚者なら幼い子供を風呂に入れたりしたい
  夕飯は家族で一緒に食べたい
だろうなぁ・・・というのが、自分だって経験しているくせに
それが「分からない」のでしょう。

こういうのを真面目とは言わず
◇単なる阿呆
です。




その部長、ある日私に言うんです。

部長「俺、前の部署でセクハラって言われたんだ」
私「えっ!?」
部長「女子社員が数人で『催しで礼服に着替える機会が多いのですぐに着替えて
ここから直接ホールに行けるように部室に間仕切りをください』って言うんだよ。
(異動前、部長は総務部にいました。その会社は小さなホールがあり、
いろんな表彰式などが行われていました)
だから『着替えなんて誰もそんなもん見たくないわ、誰も見ないからそのへんで
着替えてろ』って言ったら、『酷い、どうして見たくないなんていうんですか?
セクハラです!』って言われてさー。俺、セクハラって暫く言われててさー」
私「…セクハラ部長!」
部長「やーめーてぇー」

きっとすぐに間仕切りは用意されたのだと思います。
私が、データ入力の際に西日がブラインドの隙間から洩れて夕方は少し
入力がしづらい、とぽろりと言ったら、数日後、パーテーションが隙間の前に
置かれていました。部長がすぐに発注してくださったそうです。


部下の要望に迅速に対応していますね、凄いです。


GWについては、部長は異動して数日で社員の毎日の仕事量からみて
GWは完全に休みにしても必ずいくらかは出勤しないといけないことは
社員に聞く前に判ったのだと思います

部長の自分が休まないと一部の若い社員は自分の仕事がなくても
休もうとしないことも気付いていたのだと思います。


”出来る男”ですね。

◇仕事が出来る人
◇仕事が出来ない人
というのはたしかにあります。
仕事が出来ない上司を持った部下は大変です。
全国の「仕事が出来ない上司を持った部下の皆さん」
ご苦労さまです。




真面目とか不真面目というのは無いですね。
◇低次元の真面目さ=残業をする、休まない
◇高次元の真面目さ=部下のこと、会社のことを理解している
この差ですね。




<真面目な人1>(2012年3月9日)


この話題は何度か記事にしていますが再びやってみます。

真面目というのは世の多くの人が「良い」としている価値観に合っていますが
それを検証します。
世の多くの人が「それは良い」「それは正しい」と思っている(意識的、無意識的に)が
それって本当に「良くて」「正しい」んですかね。
私は違うと思います。




結論を先に言うと
◇真面目が悪いのではなく、真面目さのレベルが低いことが問題
です。




同様に
◇正義感が悪いのではなく、正義感のレベルの低さが問題
◇親切が悪いのではなく、親切のレベルが低いのが問題
全てのことにこれが言える、つまり「○○が悪いのではなく、○○のレベルの低さが問題」
だと言えるのです。
他にも沢山有るがキリが無いので止めておきます。




世の多くの人は「真面目であること」についてはひたすら
真面目=良い、正しい
と決め付けるだけでそれ以上は思考しません。
これが「悪い」。

本人の波動を超えた真面目さは発揮出来ません。
だから本人の意識レベルが低い場合、その真面目さのレベルも低い。

低くたって真面目なんだからいいじゃないか。

と、思うかもしれないが、本人にとっては「自分は真面目さを発揮している」という
意識(或いは無意識)があるので本人にとっては良いと言える。
しかし、低い真面目さを発揮されたら周囲の人間が困る、という
当たり前のことには気付かない、思ってもみない。




低レベルの真面目さの副作用として
「自分はちゃんとやっているのに、あの人はちゃんとやってない」と思って
批判することがあります。
これが最低最悪と言えるほど、心と魂にとって悪いことなのですが
本人の意識(或いは無意識)としては「自分は真面目」なので、
そのことが「悪い」などとは夢にも思わないのです。



真面目な人はどんなに頭が悪くても思考力判断力が乏しくても
自分の価値観で相手、他人を裁断します。
その様子は少しでもモノが分かった人から見たら滑稽なのですが
当人にとっては、そのようなことは思いも寄らず「自分は正しい」「自分こそは正しい」と
思い込んでいるのです。




たとえば2ちゃんねるで他人の悪事が露見したり、日頃傲慢な人間が失敗したりすると
「さまあwwwww飯うま===wwwww」などとコメントが沢山寄せられますが
こういうのを見て真面目な人は
(なんてヒドい!)とか思うかもしれない。
でも私は他人がどういう意見を持とうとそれはその人の自由なので
こういうバカバカしいコメントを読むと笑ってしまいます。
真面目では無いのでw
というか、基本は真面目だけど低い真面目さを発揮はしない、ということです。


他人が何をしようと、その人の自由であるにも関わらず
自分の価値観をその相手に押し付けては、誤解曲解して裁断する、という「愚」。
私なども相手があまりにも迷妄状態である場合は
「そうじゃないよ」と説教することがありますが
それと、構造的には同じです。
ただ決定的に違う点がありますが説明はしません。
考えてみてね。



真面目な人は自分が真面目で有るゆえに
常に世の中、他人、相手を裁断しては批判して生きています。

批判はいけない。

のでは無いのです。

レベルの問題です。

説明するのは難しいのでここらへんにしておきます。




<自分のことしか考えない人>(2012年3月5日)


自分のことしか考えない人

と聞くと「ズルくていつも自分の利益しか考えて無い、ヒドい人、
人間性のかけらも無い人、嫌な人」を思い浮かべるかもしれませんが
そういう人もいるでしょうが、多くの人はそうではありません。

「いつも他人のことを考え、優しく親切で思いやりがある人」

の中に、「自分のことしか考えない人」がいるのです・・・というか、多いのです。




自分のことしか考えない人とは、多くの場合とても良い人です。
ただ、「自分が物事を考える範囲」が「自分の周囲に限定されていて」
それを「自覚できない」のです。

もうちょっと周囲のことを考えればいいのになあ、良い人なのに、と
周囲の人間は思いますが、当人にとって、自分が考える範囲は
「自分を中心に家族のみ」だけなのです。
そこに何の悪意も有りません。
善意のみで生きています。

だったらいいんじゃないの?

そう、いいですよ、別に悪くは有りません。
私はいつもですが「良い悪い」で話をしてはいません。
レベルの話をしています。




ちょっと観察力の有る人なら、自分の周囲に「自分(と、家族)のことしか考えない人」が
存在することが分かります。
自分のことしか考えない人の多くが善人なので
そういう人が「自分のことしか考えて無い」ことを知り、
残念に思いますが、それを自分のことしか考えて無い人に注意しようにも
いくら説明をしても多分分からないだろうなぁ・・・ということも「分かる」ので何も言いません。
言っても相手が理解しないのが分かるので無駄だからです。
下手をすれば(というか、殆どの場合)相手がそれを理解しないために
恨まれて終わります。




自分のことしか考えられない人にとって
「周囲のことも考えよ」というのは、到達出来ない境地です。
ところが、当のそういう人達は、自分達の意識においては
「周囲のことを考えている」のです!
とんだ誤解、勘違いですが、そういうレベルに有るのです。




なのでいくら説明をしても説教をしても忠告をしても
自分のことしか考えない人には、言葉は通じず、何ももたらしません。




ではいったい、どういう人が「自分のことしか考えない人」なのだろう?
一例を挙げますと、最近家族で海外に移住する人が増えているそうです。
小さい子がいる4似ん家族くらいで海外に移住するケースが多いようです。
移住する理由としては日本が
◇原発事故で放射能だらけだ
◇政治家が異常だ
◇不景気だ
◇子供にとって良い環境では無い
◇いくら働いても給料が安い
とかいう理由です。
海外は日本に比べると経済格差が大きく
たとえば日本で5百万円持っていたら現地では10倍、5千万円の価値になる。
だからその金を持って海外に行けば
ゆとりのある暮らしが出来る、という計算です。




しかし、日本はなんだかんだ言っても安全ですよね。
そういう人は安全ということを意識したことがないのでしょう。
そして「自然が豊かだ」「経済格差のお陰でゆとり有る暮らしが出来る」
という目先のことで海外に移住するのです。
この人達の意識は
日本が自分に何もしてくれない、高い給料をくれない、放射能だらけにしている
政治家が悪い、暮らしにくい、という「日本が自分に○○してくれない」というもので
自分達が日本のために何かをする、という意識はさらさらなく、
頭の中のどこを探しても無く、つまり欠落しているのです。

こういう人が「自分のことしか考えない人」の典型ですが
別にその人達が悪い人であるとか、嫌な奴である、とか、そういうことは有りません。
とても良い人達なのです。
ただ「自分のことしか考えることが出来ない」だけなのです。




昔読んだ本にこんなことが書いてありました。
「或るユダヤ人(アシュケナジーユダヤ人、つまり偽ユダヤ人)がホテル住まいをしていた。
  別にカネモチでは無いのにホテルに住んでいる。
  不思議に思った人がその偽ユダヤ人に訊いた。
  『何故ホテルに住んでいるんですか?』
  その偽ユダヤ人答えて曰く『安全だからです』」
多分、偽ユダヤ人の目論見を見抜いたヒトラーが偽ユダヤ人を迫害した後の
時代の話です。

偽ユダヤ人は「日本人は水と安全がタダだと思っている」と言っていたそうで・・・
(本当かどうか分かりません。日本に滞在した偽ユダヤ人が言っていたのかもしれません)




意識化出来ないほど安全な日本という国から
「国は何もしてくれない」という意識になって日本を出て行く
殆ど何も分かって無い、自分のことしか考えて無い人、若い人w
移住先で安全はタダでは無いということを思い知る日が来るのでしょうか?
ちなみにうちの子の同級生の子が幼児の頃、
親の赴任先の南米で誘拐されたそうです。
無事に解決したので良かったから、その後帰国して小学校に通うことが出来た。
ちょっと間違っていたら最悪の結果になっていたかもしれません。

日本人=カネモチ
幼児=誘拐し易い

となればやりますね。
私が現地人ならやります。

自分の中に悪を抱き参らせているので、悪人が考えることは予想がつくので
それを防ぐことが出来ます。
つまり「海外に安易に移住などしない」という選択をすることが出来るのです。




基本は善人で良い。
というか、善でなくてはならないと思う。
でも、善人であるだけでは知恵が無さ過ぎる。
知恵が無い場合は痛い思いをして、「自分に知恵が無いこと」を学ぶことになります。
(子供の非行や登校拒否も同じです)
知恵が無いのは仕方ないが、常に「自分には知恵が無い」「まだまだ知恵が足りない」と思って
生きないと、取り返しのつかないことになる可能性がありますよ。

まさか自分が「自分のことしか考えて無い」などと、思わないから
それをやっているのであって、それを学ぶのは大変困難ですが
いつかはそれを学ばされる日が来るかもしれません。

運命は、いくらその人が善人であっても皆、平等に扱うので
特別扱いはしてくれないから。




<他人に認められようとする人>(2012年2月9日)


他人などに認められようとするような低い意識の人を他人は認めませんから、
他人から認められようとすればするほど他人から認められなくなります。




<「普通」について1>(2012年2月6日)


人は大抵自分のやること、考えること、感じることは「普通」だと思っています。
これが自己中心です。
人は原則的に「自己中心」なので仕方ないです。
ただ、ここで低次元と高次元の人の違いは・・・

◆低次元の人(波動の低い人)は、自分が自己中心であることを知らない、気付かない
◇高次元の人(波動の高い人)は、自分が自己中心であることを知っている、気付いている

普通、「あの人は自己中心だ」という場合、
その「あの人」は、自分が自己中心であることを知らず気付かず、
自分が考えるように誰もが考え、自分が感じるように誰もが感じるのだと、
無意識に思っている。

だから自己中心であっても良い。
自覚さえしていれば、という話ね。




<「普通」について2>(2012年2月6日)


さて、通常、人は「世の多くの人の感覚」を大人になるまでに学習します。
体験によって覚えます。
(家庭での教育なども、体験の一種とします)

だから通常、人が「これは普通だ」と言った場合、
世の大方の人の考え方、感じ方と似通っているものです。
「普通」や「常識」は無いと言えば無いが、有ると言えば有るのです。
世の大方の人々が無意識無自覚に、経験と感覚によって(つまり動物的に)
「これが普通であり、常識だ」と、何となく無意識に思っていること、それが「普通」であり「常識」であります。




世の「常識人」というものは、自分で一つ一つ思考し検証した結果
「世の大方の人が常識である」とするモノ(こと)を「これは常識である」と
認定した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のではありません。
全てを経験、感覚という無意識(つまり、これが常識なのか?と思考すること無くして)によって
なんとなく「常識」だと無意識に思い込んでいるのです。
(説明が下手で申し訳ない)




世の大方の人とは何か?
考えてみました。
とりあえずココではブッチャケ、簡単に考えてみますね。
上一割と下一割を抜かした、残りの8割としましょう。
これは私がそう定義しただけです。
本当にそうなのかは検証していません。
検証できるようなものでもありません。
私の体験と感触から導き出した仮の数値です。




大抵の人(8割の人)は無意識に生きていても「世の8割」に入っていると思います。
だから「常識」と言った場合、それは「世の8割が常識としていること(もの)である」と言えそうです。
多数決の原理ですw




では「普通では無い」ケースって何?
主人の母から聞いた話ですが、主人の妹のご主人のお母さん(都内在住)の家は
真冬の今、家の暖房はコタツだけ。
ストーブもエアコンも使わないのだそうです。
そして湯沸かし器も無いのだそうです。

「貧乏なら仕方ない」

いや、金持ちなんですよ!
ご主人が残した財産があるし、年金は入るしお金に困ることはありません。



これ、「普通」じゃないですよね?
どう思います?


主人の母が呆れてこぼすので私は
「そのお母さんはお金を使わないのが楽しみであり、生きがいなんですよ」と言いました。
優先順位が
金>快適
なのです。
まぁ、或る程度のことは
金>快適
になるかもしれないが、真冬に暖房器具がコタツだけ、というのは
「普通」は不快だと思うが
この人にとっては
金>快適
なんだから仕方ない。

寒いからと言って暖房を使えば電気代、ガス料金、灯油代金がどんどん減るので
それは非常に不快だから、それなら暖房無し、コタツが有るンだからいいじゃないか、
これで充分だ、と思えば思えます、一番大事なのは「金」だから。




しかし、真冬に寒いのを我慢してまで金が大事というのは
やはり「普通」では無い、と私は思います。
だから通常、人は真冬には部屋が暖かくなるように
様々な暖房器具を使うのです。

無いようで有るのが「常識」と「普通」である。
そういう話でした。


<「普通」について3>(2012年2月12日)


上の記事<「普通について2>で紹介した主人の妹のご主人のお母さん。
真冬の今、暖房は
◇湯たんぽにお湯を入れ、それをコタツの中に入れる
と、いうものです。
これだと「湯たんぽに入れるお湯を沸かすガス代」が掛かるだけ。
凄い・・・

決して貧乏ではなく、むしろ裕福なのに。
一人暮らしで遺産と年金で何不自由無く暮らせるのに、凄いですね。

でもこういう人の価値観は
◇金が第一
になっているので、金を使うこと、出費があることが最も苦痛なのでしょう。
人の価値観はそれぞれなので、他人がとやかく言うことではなく
そういう人を見た時は(そうなんだ・・・)思って
後はその人が幸せに生きられることを祈ってあげると良いのでは。
それしかやることがありません。


まぁ、正直言うと「異常」だとは思うけどさ。



<自己中心>(2012年2月5日)


有るようで無い、無いようで有るのが「常識」と「普通」です。
人は多かれ少なかれ「自分を基準にした、自己中心」なのです。
人によって
◇めっちゃ自己中心
◇かんりの自己中心
◇普通に自己中心
◇やや自己中心
◇あまり自己中心では無い
◇殆ど自己中心ではない
◇全然自己中心ではない

この他にも様々な段階があります。




全然自己中心では無い人、聖人級の人は
思考する際には「自分はこう思うが、でも人は違う」ということはよおおおおく分かっている。
で、その「人」つまり「他人」がどう思うかを理性的に想定するのですが
その想定を遥かに超えてくれるんですよ、他人がw


たとえば「これをしたら通常はお礼を言うが、この人は言わない可能性が有るな」と分かる。
しかし、その「この人」はお礼を言うどころか怒り狂って殺すような剣幕で
聖人を襲う・・・とかね。
さぞかしこの聖人は驚いたことでしょう。
あ、私は聖人では無いけど、このようなことは日常茶飯事です。




低次元の自己中心・・・まぁそれが普通に言うところの「自己中心」の人のことですが
その人は「自分が思うように他人も思っている」と、無意識に思っていて
自分の意思に反したふるまいを他人がすれば感情的になるレベルの人です。




以上、何となく思っていることをハッキリさせるために言語化してみました。
当たり前のことを言語化しただけです。
人は何となく自分の思いを持って生きていますが、ハッキリさせることはあまり無い。
あえてやってみるのも良いのではないかな。




<分かってもらおうとする人>(2012年1月29日)


こういう人はとても多いと思う。

誰かに注意された時、言い訳する人。
言い訳では無いが説明しようとする人。



注意する人をAさん、される人をBさんとします。
Aさん=Bさんより判断力高い
Bさん=Aさんより判断力低い

とします。

AさんはBさんに注意しました。
するとBさんは
「自分を分かって欲しい」
「そういうつもりで言った(行った)のでは無い、ということをAさんに分かって欲しい」

という気持ちで説明をします。

でもAさんはBさんより判断力が高いので、Bさんが説明しようとしていることは
既に分かっている。
なのでAさんはBさんに
「そうじゃない」
「そういうことを言っているんじゃない」
「そういう問題では無い」

ということを説明しますが

BさんにはAさんの説明が理解できない。
何故ならBさんはAさんほどの判断力を持ってないからです。

この場合、BさんがAさんの言うことを理解しようと努力するべきで、
AさんにBさんの気持ち(我)を理解させようとするのは間違いです。
(ここでことわっておきますが、Bさんの気持ちなんかどうでも良い、ということでは無い。
  そういう問題を語っているのでは無い、ということですよ)




Bさんが「Aさんが注意している言葉の意味」を理解しようとしなければ
この”会話”は不毛なのです。
Bさんの「分かって欲しい」という気持ちが有るのは分かるが
(Aさんにとってはそんなことは百も承知)
そのようなことは今は、別にしなくてはならない。

今、
求められるのは
BさんがAさんの注意を理解すること
BさんがAさんの注意を理解できないが、いつか理解するつもりで聞き入れること
BさんがAさんの注意を、今は理解出来なくても、理解しようと決意すること

です。

他人(相手)に自分を(自分の気持ち、意見、言葉)を分かってもらおう、などと言っている場合ではなく
自分が他人(相手)の言うことを分からなくてはならない。




ところがコレが出来るBさんというのは殆どいません。
大抵は
「自分の言い分を聞いてくれない」
「自分の気持ちを分かってくれない」

と感情的になるだけですね。

「分かって欲しい」などとたわごと(甘えた言い分)を言っているレベルの人に対しては
Aさんは
◇説得を諦め
◇離れて行く
のが殆ど
です。
社会は学校では無いので「分からずやに教える義務(職務)」は有りません。

その結果Bさんの周囲にはAさんは居なくなります。
そしてBさんと同じか似たような波動の
B’さんやB”さんばかりになります。
これも同波長の法則です。



そしてそれがBさんにとっての「天国」です。
それが良いとか悪いとかの話では有りませんよ。
現象を述べているだけです。




<分からずやは我が強い>(2012年1月29日)


上の記事の補足です。

つまり分からずやは「我が強い」のです。
何故ならモノ(相手の言うこと)を分かるためには
自分の今の境地(判断力)では無理。
自分の今の境地を超えなくてはならない。
それは「我」があると不可能です。

自分の今の境地にしがみつこうとする意識、
自分は正しい、間違ってないと無意識に思っている境地では
モノを分かることが出来ない。

モノを分かること>自分の我を守ること

じゃないと分かることが出来ない。




モノを分かるには自分の我を折らなくてはならないのだから
現在、モノが分かってない、という事実は
その人は「我が強い」という証拠なのです。

昔、自分の子供を登校拒否にしてしまった人に
「あなたは我が強い」と言ったら相手は驚いていました。
その人はとても素直で明るく親切な良い人だったからです。

しかし、その素直さ、明るさ、親切も「その人の意識レベルでの素直さ、明るさ、親切」なのです。
それを超えた素直さ、明るさ、親切では無い。



意味が分からないかと思うのでちょっと説明します。

その程度の人が発揮する素直さとは、その人が自分で考える素直さ、
自分が「これは素直だ」と感受するレベルの素直さなのです。
それを超えるものでは無い。

モノが分かってない人が発揮する親切とは、余計なお世話、不必要なこと、なのです。
しかし本人にはそれが分かっていません。

明るいと言えば
◇表情を明るく
◇いつもニコニコ
◇良く笑い
◇何でも無いことで笑い
◇つまらないことでも笑い
◇お愛想で笑い
◇利害関係が生じないように笑い
◇挨拶をきちんとし
みたいな明るさです。


それが悪いと言うのでは無い。
そういう明るさを「明るい」と思っている、そのレベルなのだ、という話。

素直で明るく親切なのに「我が強い」んですわw

つまりそういう人は何も分からず明るい人をやっている。

「明るいんだからいいじゃないか」

何度も言いますが「良い、悪い」の話では無い。
レベルの話です。

見かけ上がどんなに素直で明るく親切であっても
物事が殆ど分からないという”事実”は
その人が今まで「自分の我を折り、分かって来なかった」証拠なのです。

この説明、分かる人にはすぐ分かり(というか、前から分かっていたことであり)
分からない人には全く分からないが
その中間の「言葉は理解出来る」が「意味が分からない」という人が多いのではないかな。




まとめると・・・
いくら態度が良くて善人であってもわからずやの人は我が強いのだ、という話。




<50の坂を越えられなかった男性たち>(2012年1月26日)


閲覧者の皆さん(推定平均年齢35歳)(女性)からのメールでは
「50代のおばさんが最悪」とのこと。
多分50代を超える世代、60代や70代はさらにヒドいと思いますよ。
でも職場や子供の学校の教師の中には60代以上の人は居ないので
その結果50代の男女への風当たりは強くなると思います。
ところで普段は「50代のおばさん」に対する批判が多いのですが
50代以上のオヤジに対する批判記事があったので掲載します。
人間観察が的を射ている25(ふうこ)さんの記事です。




「情熱惑星」 http://25jp.blog83.fc2.com/

中高年は今
2012年 01月 25日 (水) 07:00 |
先日仕事で都心まで出た帰りのこと。

私が利用する私鉄は、
乗車する時、3列または4列に並び整列乗車をする。

夕方5:30くらいの通勤時間。
4列の端に並ぼうとして、抱えていたバッグと紙袋が隣の中年男性に触れた・・
すると、その中年男性が、肘で思いっきり私をついて睨みつけた。

よろけながら、「あっ!ごめんなさい!」と、一歩脇によった。
それでも、まだ、グイグイとついてくる・・・

なんていう人だ・・・
口があるでしょ・・・と思わず彼を観てしまった・・
サラリーマン風だけれど、この人仕事出来ないな・・・なぁ~んて思いながら帰宅。

夕飯の時、思い出してその話をした。
息子曰く「相手にしちゃだめだよ」・・・
「サラリーマンだと思うけれど
変な人だったから離れて並んでいたから大丈夫よ」・・・と、私。

息子がいうには、
電車の中で、触ったの、押したので喧嘩をしているのは
ほとんど中高年だという。

「あら!まあ?!」驚きましたです。

それもしょっちゅうだという。

皆さん疲れているのですね。
疲れすぎたり、物事がうまくいかないとやたらめったら当たる人がいる。

でも、それって
相手を間違えているわね?
思うようにならないのは自分自身なのよね・・・
だぁれも悪くないわ。

そうしている自分に気がついたら悲しいだろうな・・・

私はしあわせよ・・・・よそに当たらなくていいもの。




おばさんもそうだけど本当にオヤジって社会のガンですわね。
だからオヤジ狩りに遭うのも分かりますね。

学校を出て社員になり、仕事をして結婚して子供を育てて生きてきた。
ちゃんと仕事も納税もしているので自分は「人並み」であるし「マットウ」だと
無意識に思っているのでしょう。
オヤジは女子供をバカにしているようです。
私も車を運転していて意地悪されたり凄い顔で睨まれたことがあります。
その時はあまりのことにあっけに取られて何もいえなかったのですが
今度は騒いでやろうと思っています。




でも、面倒なのでやっぱり止めておきます。
オヤジ達、そういう意識で生きていたらロクなことにはなりませんから
「仕返し」は天に任せて、自分の想念を悪化させないよう、早く気分を切り替えた方が賢いです。



「天の仕返し」と言えば今現役で働いているオヤジども。
多分彼らが年金をもらう年令になった時は「もらえない」か「減額」されているか
「支給年令引き上げ」られていると思いますよ。
彼らの想念がそこまで悪ければ、必ずやそういう運命が待っていることでしょう。

年金支給年令は現在65歳ですから、我が家は父ちゃんのアルバイト賃金と
私のアルバイトで家計を支えています。
(それでも父ちゃんが現役の頃の1/3です)
年金を満額
(30万円くらいですかね。良く知らないんだけど)をもらえるまで
コレで行かなくてはならない。
だからもし年金支給年令がさらに5歳引き上げられたら・・・多くの人は干上がりますが
現在現役オヤジどもの想念が悪すぎる場合は、そういう目に遭うのではないか、と思います。
また例外的に性格の良いオヤジ達は、これからの世は「魂の光」によって
自分に相応しい仕事、場所、地位、人間関係が与えられるだろうから
たとえ年金が無くても幸せに生きられるようになるのではないかと思っています。




オヤジどものイライラは潜在意識が「暗い未来」を感知しているからではないか、
なんてトンデモですが、思っています。
どうなるか楽しみです。
(決して他人の不幸を喜んでいるのではありませんよ。
  その時彼らが学習するかしないか、選択するわけですがそれを見たいと思っています)




<頭の働きのレベル>(2012年1月9日)


皆、頭は良いと思う。
ただ、その頭の働きのレベルが違うのだと思います。
今、テレビで「駐車料金を踏み倒す人」の番組やっていますが
その手口たるや、かなり頭が良いですw
とてもそんな手の混んだことを考える頭は私にはありまっしぇん!



皆、思いやりは有る。
でもその質(レベルやタチ)が違うのです。
自分の思いやりと似たような思いやりのみを「思いやり」であると定義し
(勿論無意識無自覚で)
自分の思いやりとは異質な思いやりのことは
◇気付かない
◇気付いても、それを思いやりとは認めない
のが大方の人間です。
あくまでも自己中心。




皆、冗談は言います。
でも、その冗談のレベルが違うのです。
自分が理解出来る冗談のみを「冗談」であると認識し
それ以外の「冗談」は理解せず、
「冗談でもそんなことを言うもんじゃない」などと、説教したりします。
かなり程度が低い低レベルであると私は思います。
世の大人(おじさんおばさん、爺い婆あ)の多くは
「冗談でもそんなことを言うもんじゃない」などと言いますが
私はそういうのに対しては「あんたこそ、そういうことを言うモンじゃない」と言いたいが
説明するのが面倒だから言いまっしぇん。




<50代のおばさん>(2012年1月9日)


今度は50代のおばさんの話です。
20代30代の人は世の中のことを学習中なのでモノが分からなくてもまだ良い。
私の意見では
40歳になったら大抵のことは分かり(日常生活のことや人間のことなど)
大抵の場合は的確な判断をすることが出来、
若い人から
(若くなくても)相談を持ちかけられたら
適切なアドバイスが出来るようになれば良い
、と思っています。
人生をマラソンに喩えたら0歳〜80歳の人生として40歳は折り返し地点です。
今まで自分が社会から受けた恩恵を今度は返して行く番です。




と、思うがそれはあくまでも理想であって現実はそうは行きません。
なので多くの若い人から「職場や地域にいる分からずやの50代のおばさん」に対する
批判が寄せられています。
それは言えると思いますよ。
若い頃から頭を使ってこなかったために思考力が殆ど無い人です。

(※この場合の「頭を使う」という言葉。
   そういう人でも自分なりに「頭は使っている」のです。
   ただしその使い方は「分からないことを分かる」とかの潜象勘を鍛える方向では無い。
   たとえば「日常生活」「得をする方法」「金を貯める方法」「人間関係を表面上巧くやる方法」
   などに頭を使っている。
   だから頭を使わない人達も自分ではちゃんと頭を使っていると思っている)




若い人はそういうおばさんを見て学習しそうならないようにしましょう。
若いうちから「思考する」癖をつけないと、
知らないうちに自分もそういうおばさんになってしまいますよ。




<愚痴がコミュニケーションとなっている人>(2012年1月10日)


またまた主人の弟の奥さんのH子さんの話です。
H子さんの実家は自営業で、H子さんはそれを手伝って来たので
外で働いたことがありません。
そして自分の実家を二世帯住宅にして住んでいるので
他人との苦労が足りない。
H子さんに言わせると実の親が分からずやで我侭なので対応が大変だ、ということですが
それはずっと前から分かっていたのだから、では何故同居したのでしょう?
と、主人の母は疑問で仕方ない。
主人の母はH子さんと会う度(たび)に、H子さんから実の親への愚痴を
何時間でも聞かされて嫌になっています。
(そういう主人の母も愚痴が多い。会話の中身の殆どは愚痴です)

同波長ですかね。

◇H子さんと実の両親とは同波長
◇H子さんと主人のお母さんは同波長



私は愚痴は言いません。
私の母も愚痴を言わない。
母は生涯に数回だけ愚痴めいたことを言ったが、それ以外は言ったことが無い。
(ま、愚痴は言わないが親戚のおばさんに電話して怒鳴っていたことは何度もある)
(私も電話でも対面でも怒鳴ります)
(愚痴と怒声、どちらがいいかな)




私は愚痴は言わないので大抵聞き役です。
人間だから愚痴りたくなるのも分かるのでOKです。
が、私はただ愚痴を聞いてるだけではなく、解決策を提示したり
結論を出したりします。
ところが愚痴を言う人は解決はしたくないし(だって、解決したら話題が無くなる)
結論を出したくない(そりゃ、結論なんて出ないが、一応の結論を出して、その件は終了させれば良いが
そういうことをしません)
他人とのコミュニケーションが「愚痴」になっているので、
自分の周囲から愚痴の材料が無くなると他人と会話する内容が無くなるので
それは避けたい、だって他人と会話したいんだから、それも「自分が主人公」の話題でね。
自分は「分からずやに迷惑を掛けられている気の毒な人間」なんだからさ、
話の相手は自分に同情するよね?
なのに69さんは同情しないし、そればかりか
「しっかりしなさい」なんて言うんだよね・・・分かってくれない、気に入らない、気分が悪い、悔しい!



あ、つい、愚痴ってしまった。






と、いうワケで私は愚痴を言いません(上の記事は例外ねw)から
愚痴を言う人にとっては一応は「有りがたい聞き役」なのです。
途中まではいいです。
私が愚痴を言わないので、言うべき愚痴が無いから
愚痴を言いたい人は自分の愚痴だけを言える。
愚痴を言う同士の会話だと、お互いに相手のことなんかどうでも良いから聞かず、
自分の愚痴を言い合って終わる。

実に不毛であります。
以前、数年間こういう態度だった人がいますが、どうやってもそこらへんを自力で悟らないので
仕方なく鋭く指摘しておきました。
その態度を変えないのなら付き合いは止める、と宣言したのです。
その人は驚き
(だって、自分では愚痴ばかり言っている自覚が無い)ましたが
分かり難きを分かったようです。
(ここで分からなくて去って行ってくれてもOKです)



私とH子さんとは年が近く気質(性格の基本の部分)が似ているので
性格は違うが気が合います。
言動と行動の中身は正反対ですが、それは趣味の違い、好みの違い、判断力の差によるもので
どうってことはありません。

しかし過去も現在も多分未来も愚痴を言い続けるだろうH子さんの人生は
勿体無いなぁ、と思います。
しかしそれを改めるのは至難の業(わざ)ですよね。
なので放置の方針です。
(たまには「H子さん、お母さんを怒鳴れば?」と言ってやりますが、H子さんはやりません。
  解決したら愚痴が言えなくなるからねw)




<50代なのにこの分からなさ1>(2012年1月10日)


上の記事のH子さんの話。

性格が良いんだから、もうちょっと物事を分かればいいのにな、と思います。
しかも50代ですよ!

この年令で二十代の人よりもモノが分からないとしたら不味いのでは?
こういう人が職場に居たら周囲の人は大変ですよね?
50代の人は自分が何も分かって無くても「分かっている」と無意識に思っている。
心の姿勢としては「自分には大抵のことは分かっている」「自分は分からないことは殆ど無い」と
思ってしまっているのです。
本当にわかっているならいいのですが、こういうことを無意識で思っているということ自体
「何も分かってない証拠」です。
50代のおばちゃんやオヤジが部下ならまだいいが、これが上司筋だったら
部下は本当に大変だと思う。
上司は自分はバカでもいいから、部下や同僚の賢さが分かれば良いと思う。



主人の母は毎年自宅で新年会を開いていました。
他県に嫁いだ娘が来てご馳走を作るのを手伝ってくれるのでやれた。
(私は料理は手伝いません。
  宴会の後の食器洗いや、魚屋に刺身を取りに行ってくれ、と言われれば
  車で取りに行くとか、そういう系の手伝いはする)


主人の母は主人の父が亡くなってからは毎年我が家で年越しをします。
大晦日からお正月まで好きなだけ我が家に泊まってもらう。


毎年の新年会は孫が小さかったので「お祖母ちゃんの家でお正月」という体験をするのには
必要だったが、今はもう孫が成長し、祖母の家に来てご馳走を食べるとかは
しなくなった。
なので数年前から義母は自宅での新年会を止めました。
私はそれでいいな、と思いました。
(他には何も考えません。私は大抵はこのように余分なことは考えないのです。
 なのでこの時も「そっか。お義母さん大変だしな」と思っただけです)



ところがH子さんの反応は私とはまた「正反対」だったようでw
義母が新年会を開くのを止めたことについて、とても残念がり
「ぜひ開いてください。皆で料理を一品づつ持ち寄りますから」と言ったそうです。
(私は知らなかった。第一、手料理って私も作るのだろうか?おいおいおい・・・
  私の許可無くそういうことを決めるか?
  まぁ、もしそうなっても作るのは主人だからいいけど)

H子さんの実家ではH子さんと姉妹が料理を一品づつ持ち寄って宴会を開くらしい。
だからこちらの家でもやれる、と思ったらしい。
しかし料理を一品づつ持ち寄れば良い、というものでは無いですよね?
◇場所
◇期日を決めて皆に通知
◇寿司や刺身などの予約〜購入
◇当日の料理
など、とても「手料理を一品持ち寄れば良い」ということでは無い。

私なら「だったらH子さんの家で新年会を開けばいいのにね」と思います。

ウチでやってもいいが、料理を作るのは主人なので主人がやりたいと言えばOKです。
でもウチでは新年には義母だけをもてなしたいので兄弟の家族を招こうという気は無い。
(普段の何も無い時なら、兄弟夫婦や他人を招いてご馳走するのはいいです。
  主人は他人にご馳走するのが好きなので。
  私も他人が来るのはOKです)
でも毎年新年会を我が家でやること、が年中行事になることは
主人は考えて無いと思うし、私も考えてない、予想外です。
もし、それを「やれ」と言われたら「オマエがやれ」と答えますが、何か?

主人の母は独り暮らしだし、年末年始はうちの子が帰省して賑やかだから
孫にも会いたいしウチの子もお祖母ちゃんに会いたいだろうから
義母には年末年始は好きなだけウチに居てもらう。
ちゃんと理由も意味も有る。




とは言え。
年末年始にウチの子達が深夜までテレビを見ながら起きているので
義母もそれには付き合いきれず、やはり独りが気楽だわ、というので
正月は3日の朝には自宅に戻ってしまいますがね。
まぁ、好きにしてください。

誰にも気兼ねせず、何をやろうと法律の範囲内ならOKだから
自分で考え、決定し、それに則(のっと)って行動してくださいな。




<50代なのにこの分からなさ2>(2012年1月10日)


上の記事<50代なのにこの分からなさ1>(2012年1月10日)の続きです。
何故か前編と後編になっているw




H子さんの実家(二世帯住宅)でも孫達が成長したのでお正月に孫が来なくなり
十年ほど前に新年会を止めた。
その時H子さんのお母さんは「もう新年会止めるからね!」と大声で宣言したそうです。
サヌキであります。
主人の母はアワなので宣言はしなくて人当たり柔らかく「・・・・というわけで来年からは新年会は止めるわね」と
控えめに通知。


H子さん夫婦(一家)は新年に行く所が無くなった。
それなら自宅で新年会を開けば良いのですが「二世帯住宅だから」という理由で
自宅に他人を招いてご馳走することは無い。
(他人を招くと自分の親が「誰を招いたか」とか「私達を招かないのか」とかいろいろ面倒なのでしょう)

(ここで気が利く親なら娘が誰を招こうと心地よく協力するところですが、そうでは無いらしい)



なのでH子さんはお正月に主人の実家に行くのを楽しみにしていたのです。
親戚とも会えるし。
私とH子さんは気質の面で同波長なので会えば楽しいんですよ。
まぁ、いつ会っても私が愚痴の聞き役だけどw

その楽しみが無くなってしまう、お正月のイベントが無くなる、と言うので
H子さんはとても残念がり、ナンとか義母に新年会を継続して欲しかったが
義母も年を取るし大変なので止めたのでした。
(正月は我が家で過ごすし)




今年の正月になってからH子さんから義母に電話が有った。
「自費で新年会を開くのでお義母さんも来てください。○日の○時から○○で開くから
  お迎えに上がります」
義母は他の子供、つまりウチの主人と娘(他県に嫁ぐ)にも同様の連絡が行っているのだと思い
「参加する」と答えた。
で、参加を表明してから我が家へ来た時、H子さんから新年会に招かれているんだけど・・・
と言うのですが、我が家にはそういう連絡は無く、知りませんでした。
義母は不思議がり他県の娘にも電話をしたら「そういう招待はもらって無い」とのこと。
では自分だけが招かれたのか・・・と納得しました。



H子さんの家主宰の「新年会」の当日、H子さんとご主人(義母の息子)が
義母を車で迎えに来た。
新年会の場所は「うどん屋」でした。
何か変だな・・・と思ったが、H子さんの息子一家も参加するし
その息子(義母から見たら孫)がそのうどん屋がいい、と言ったそうで
そうなんだ・・・と納得したのでした。
たとえうどん屋でも宴会料理が出るのかもしれないし。

現地に到着したら久しぶりに孫と孫の嫁と子供(ひ孫)に会えて嬉しい義母でした。
席に着いたらH子さんが開口一番「○○達は払わなくていいから」。
○○はH子さんの息子の名前です。
○○君は給料が安くて大変なので日頃から援助しているH子さん。
(車二台分のローンも肩代わりしている)
義母はH子さんからの電話で「自費で」というのが頭に有ったので
会費制なのかと思い、財布から2000円出した。
H子さんはいったんは「いいですよ」と断ったが、ちょっと考えて「ではもらっておきます」と
受け取った。
その間義母の息子は何も言わない。




で、この「新年会」ですが、別に宴会を予約しているわけではなく
当日、行っただけ、でした。
店で各自が自分の好きなものを選ぶ、というだけ。
うどん屋なので殆どのメニューは「うどん」です。
H子さんは「○○うどんがいいですよ」と言って自分の息子にもそれを勧めて
さっさと注文。
主人の母も「ではそれで」と同じものを注文。
結局全員で同じ○○うどんを注文。
値段は850円。

で。

それを食べて終了〜帰宅。



主人の母は今日のイベントについて、何か釈然としなかった。
何かおかしい・・・どうも、引っ掛かる・・・
狐につままれたような気持ちになり、どこか残念な気持ちもある。
そのまま寝て(昼寝)してしまったそうです。




もしH子さんが新年会に参加したいのなら
◇自分で開くべき
ですね。
方法としては
◇自宅で開けばいい
のですが、二世帯住宅で分からずやの両親が邪魔なら
◇レストランや寿司屋などの外食で
◇宴会メニューを
◇予約するべき
では?


私はH子さんが「今まで何十年も新年会を開いてくれたお義母さんの苦労に感謝するために」
新年会を「自費で」開くのかな、と思いました。
ところが実際は「どんなカタチでもいいから、行く場所が無い自分の息子一家のために
新年会を開いて、無料でご馳走してやり、あわよくばひ孫に、お義母さんからお年玉をあげるという
イベントを期待していた」のではないかと思います。
あくまでも「自己中心」「無意識無自覚で自分の利得になることしかしない」というのが
ハッキリした。
勿論前からその傾向があるのは分かっていましたよ。
私も何度かそういう目に遭ってますよw
ただH子さんにはその自覚は無いので知らないのでしょう。
私や我が家になら心無い(考え無しの)ことをしてもいい。
我が家だってH子さん一家には何もしてないんだから。

でも80歳過ぎた老人にこのような仕打ちをするのは如何なものでしょう。

うどんを食べて満腹になったこともあるだろうが、
お義母さんはショックで寝込んでしまったそうです。
ただ以前より回復がとても早い!
我が家に来て一通り喋ったら明るくなって笑ってました。
例によって私が愚痴の聞き役です。




私  「お義母さん、○○君の子供(義母から見たらひ孫)にお年玉を上げた?」
義母「やるわけ無いわよ。まだ小さいんだからもらったって本人が分からないもの」

二人で笑いました。
まぁ、そうなる罠。

私  「お義母さん、今度H子さんと話をする機会が有ったら
     『お義母さんがウチの子全員にお年玉をくれたよ。
      いくらか分からないけど、沢山もらったみたいよ』って言ってやりますよw」
(悪魔の計画)
義母「あはっは!ぜひ言って頂戴♪」


お義母さんの立ち直りがとても早くなったのは、波動が上がっているせいだと思っています。


ウチの子がもらったお年玉の金額は
◇大子千円
◇小子3千円
◇K千円
◇◎3千円
ですが、実際より「十倍」くらいに感じるように、言おうと思っています。
あははh!
楽しいです。




ま、悪魔のアジェンダはともかくとして。
50代半ばになろうとしているおばさんが、コレではねえ・・・
まさかここまで判断力が乏しいとは私も想定外でした。
私とH子さんは同じ気質で同じような地区で育ち同じ年令にも関わらず
結婚後数十年経ったらここまで差が生じる。
一日一日の過ごし方(精神の面で)の差が何十年か経つとここまで開くのですよ、という事例ね。

義母は嫁のH子は前から自己中心で我侭なのを知っていたのでまだ良いが
息子がだらしない、とガッカリしていました。
義母が「コレで」を2000円出したら「要らないよ」と言えば良いのに
黙っている自分の息子に心底ガッカリし
(金が惜しいのでは無い。物事が分からないのが残念なのです)
「まさか●●があそこまでバカとは思わなかったわ」と本当に残念そうでした。

80代の老人が学ぶにはキツい課題(現実)ですが
人間、一生学ぶのだ、という事例でも有ります。
学ぶ際には一度はショックを受けても、早く立ち直ればいいんです。
義母は数十年前よりずっと強くなっているので、嫁の私としては(楽で)嬉しいです。




<登校拒否の原因>(2012年1月9日)


子供が登校しないというのは「思考しろ」ということなので
そうなったら真剣に考えた方がいい。
登校拒否はなかなか直らないのは、親の意識がなかなか直らないからです。


頭を使わない親の子は登校を拒否りますが、そうなってもまだ
そういう人は頭を使えない。
なので「苛めっ子が悪い」「担任が悪い」「学校が悪い」「社会が悪い」と
他人のせいにします。
そうなると登校拒否は拗れ直らなくなる。
そうなると今度は「今の学校は狂っているから、登校しないウチの子は正常で
登校しているよその子は異常だ。ウチの子は繊細でマトモなんだ、と思う。
これ、実際に私が聞いた発言ですよ。
後は「いつか自然に治るさ」「はしかのようなものだ。誰でもそういうことはあるんだ」
と、今、真剣に考えさせないようにする、甘い考え。
これは周囲の無責任な優しい人、敵対したくないアワな人が言います)




<若い人>(2012年1月7日)


20代の人が物事が分からないのは普通なので堕ち込まなくていいですよ。
私は素質が悪い上に、家庭環境が悪く殆ど物事が分かりませんでした。
知能は高いのでちょっと勉強すれば良い点が取れたりしましたが
頭の良さとはそういうものでは無い、と分かっていました。



だから物事を分かる勘(潜象勘)は有ったのですが
いかんせん、それを伸ばす環境に無かった。
友人達を見ると皆さん私よりは分かっている、というのが分かった。
だから何故自分が分からないのだろう・・・と思ったが堕ち込まないのが
サヌキの良いところw

頭の中は何か分かりたいのですがそれが何なのかさっぱり分からず
家庭内ではそれどころではなく毎日無事に過ぎれば良い、という環境だったので
落ち着かない。
人並みのレベルに達して無かったと思います。

その後32歳で相似象に出あって初めて分かり方を知り、
分かるようになりました。
とは言えすぐさま何でも分かるようになるわけが無く
30代も物事を分かることは難しかったです。




モノが分かるようになったのは40歳直前くらいです。
それからだんだん分かるようになったのです。
今、20代30代の人が少しづつ分かることが出来るようになっています。
素質も良いし知能も高い(頭の働きが良い)からです。
20代の人から
「69さんが何を考えているのか全く分からず、見当外れのことを考えていた」
「69さんが何を考えているのか全く分からず、69さんの言動に一喜一憂していた」
「自分が『モノが分かった人間ならこうする』というのを勝手に考えて、演技していた」

30代の人から
「69さんの考えが全く分からない!」
という声が寄せられています。
当たり前です。
20代30代の若い人に50代のおばさんの考えなど分かるはずがありませんw
分かったらたいしたものです。




でも、そこで「分からないんだからいいや」で済ますか
「分かるようになろう」と思うか、人によって違う。
どうせ生きるなら何でも「分かって行く方」を選んだら如何でしょう?
考えて生きるも考えないで生きるも同じ一年です。
心の姿勢を変えれば人は一年でかなり違って(向上して)来ます。




<「嫌い」を自覚した人>(2012年1月2日)


ず、自覚することとして、最も一般的で誰にでもあてはまることと言えば
「自分はそれ(相手、他人、モノ、コト)を好きか嫌いか」です。
しかしこれが難しいのです。
自分が嫌いなもの(人、コト、モノ、場所など)であっても
それを「嫌い」であると自覚したら困った事態になる場合があります。
そういう時は「自覚しない方」が波風立たず、
意識しないで「我慢」すれば良いからです。
もしここで意識化してしまったらどうでしょう?
今まで自覚無く我慢していたのに、今度はそれを自覚しなくてはなりません。
そうなれば
◇自分の心は穏やかではいられない
◇意識して我慢することを選べば苦しい(苦痛が顕在化する)
◇我慢しない道を選べば、自分の行動(思考、言動を含む)を変更しなくてはならない
  しかしそれをすれば、自分の環境に波風が立つ、と思う
  →出来たら波風を立てたくない
  →でも我慢したくない
  →だったら自分の言動行動を変えなくてはならない
  →でも、それをすれば周囲に波風が立つ
  →だから行動したくない、決断したくない
  →でも我慢はしたくない
  →が、行動しないとこのまま我慢をし続けることになる
  →大変苦痛である
  →苦痛を止めたい
  →それには自分が行動しなくてはならない
  →でもそれをすると周囲に波風が立つ
  →・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  という思考の袋小路に陥ります
◇だったらいっそ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・自分の好き嫌いなど、意識化しない方が得策だ
◇なので自分の好き嫌いを自覚しない道を選ぶ
◇なのでいつまで経っても「自分が何を好きで何を嫌いか自覚できない」
◇しかしとりあえずそれで「無事」であり、一応は幸せである




なので多くの人が「自分の好き嫌い」を自覚せずに生きているのです。
それ、無意識で選んでいます。
なんたってそれを選べば自分は「無事で」居られますからね。



私のような「何をするにも『自分がそれをやって心地良いか』を優先する人間」でも
「それを好きか嫌いか」考えます。
◇それをする(選んだ)場合の自分の気持ち
◇それをしない(選ばない)場合の自分の気持ち

とどちらを選べば良いか考える。
すぐ答えが出る場合もあれば、なかなか出ない場合もある。
世の中のことで「こっちが正解」と、単純に答えが出ることは少ない。
だから考えざるを得ない。
それが思考の訓練になるし、自分にとって気持ちの良い方を選べば
その結果自分の気持ちが良くなります。

たとえば・・・
或る人とのメールのやり取りは苦痛だ。
何故ならその人達は

◇私には何ら関係の無い、読んでも意味がわからないことを延々と書いて寄越すが
  それに対して、その人は何も気付いてない。
  数年間気付くのを待っても一向に分かる気配が無いので
  申し訳ないがメール送信を止めてもらった
◇メールでの態度は大変殊勝であるが、実際の態度は違うのだ、ということが分かった。
  それでもその人がそれを理解し改善するのなら私は構わないが
  改善の気配が見られないのでそのような態度を取る人とのメールのやり取りは不毛であるし
  時間の無駄、労力の無駄であるからメール送信を止めてもらった


こういう場合、他人のお守りが好きで喜びを見出す稀有な人なら
それでも楽しいのかもしれないが、生憎(あいにく)私はそうではなく
必要なことをすることが楽しく、不必要なことをすることに苦痛を感じるので
苦痛であると私が判断した場合は、その原因を排除する方向に持って行きます。

実際に実行する際には
◇そんなくだらないこと(メール送信を断ること)をすること自体、私にとっては苦痛だが
◇無意味なメールに付き合うことも苦痛である

その二つの苦痛の「どちらがより苦痛か」を判断し決断するまで
気持ちの悪い日々が続くが、さらなる事例(だから無意味メール)を受け取って
ようやく「メールを断る」という決断を下せば、あとはその方向に行動あるのみであるから
心は晴れて気持ちが良くなる。

と、意識化(言語化)してみました。

まぁ、大抵はこういうのはそれこそ「無意識」でやっていることだと思いますが
キを入れて(意識して)やってみました。




上の説明だけが全てではありませんよ。
まだいろいろ説明はつくと思うし、この説明だけでは足りないとは思う。
しかしとりあえずは記事にしてみました。
さて、「嫌い」ということを長年意識化できなかった方からメールが来ました。
良い事例なので紹介しますね。
長年外国に住んでいる人からのメールです。




それから12月に入ってふと思ったのですが、私○○(国名)が嫌いなんだとわかりました。
自分でもよく我慢してたなと思いますが、
今まで自分で嫌いとわからなかったから仕方ないですよね。
○○の水、空気、食べ物、習慣、マナー、住環境、etc
いろんなものを我慢していたことにいまさらながら気づきました。

そうは言っても日本へ帰ってからの事もいろいろ不安はあります。
子供の(特に下の子の)日本語だとか、生活・学校に慣れてくれるだろうか、
それと実家には独り者の弟がいて私たち家族はあまり歓迎されてないみたいなので、
どう対応するかとか。

”家族にとって幸せな決断”かどうかは帰国してしばらくしないとわからないですが、
自分で幸せになる!と決めたらそうなるしかないですよね
(まるでジュネさんの本のタイトルのようです)。

ということで、今年1年は激動の年になりそうで今からワクワクしています♪



○○が嫌いと意識する、最終的には自分で気づきましたが、
それまで周りからいろいろ気づかせられるヒントも起こっていたのですよね。
第一に上の子が数年前から「私、○○嫌い」といつも言っていたこと。
その子がそう言っていたときはいつも受け流して、
自分に当てはめてみたことはありませんでした。

それから去年の10月に親友が初めて○○に遊びに来たときに、
「よくこんなところに住んでいられるよね〜、私には無理だわ」と言われたこと。
こう言われたことで、あ、私、日本人から見たらそんなに酷いところに住んでるんだ、
とちょっとわかりました。

そして12月になり気づけたというのは、数年間Pや800を読んできて、
「○○が嫌い」と意識化して耐えうる波動量になったということなのでしょうね。

そういうことですね。
「それを受け取れるまでの波動量」「それを分かるほどのレベル」というのがある。
だから、それが無いうちは、お子さんが「嫌い」と言っても「意味が分からない」。
勿論「ココが嫌い」という言葉の意味は分かるんですよ。
でも、本当の意味が分かってなかった、受け取れてないのです。
この方がキを入れて子供の言うことを聞けば分かるが
キを入れてなかったのでしょう。
世の多くの母親がそうです。
私もそうでしたよ。
ただ「聞いてるだけ」なんです。

「物事が分かる人間」になるのは時間が掛かる(数年掛かった)ということです。




ジュネさんの本のタイトルは「幸せになろう♪」です。
幸せになろうと決断すれば良い。
まず心で決める。
現実は後からついて来ます。

<嫌いなのに意識化出来ない人>(2012年1月2日)


今から10年以上前に子供の同級生の母と会話したことがある。
その人は職場の或る女のことを愚痴っていました。
非常識である、自己中心である、オトコに媚びてズルい、というようなことを言っている。
私が
「その女を嫌いなんだね?」と訊くと「嫌いじゃない」と答える。
「でも好きじゃないんでしょ?」と訊くと「うん」とは答える。

この人は性格の良い善人ですから
自分が他人を嫌いだなんて、そんなヒドいことは言いたくない(思いたくない、思うわけが無い)のです。
善人意識が意識化を邪魔しています。
でも、好きでは無い、くらいなら言える。
他人が質問してそれに答える形でなら、言える。
だって私は善人(あ、無意識で思ってるだけよ)なんだから
他人のことを嫌いだの、好きでは無いだのと、思うことすら嫌だ、
だって私は善人なんだから、無意識だけど。
みたいな?



で、その母は首が痛くて外科に通っている。
目から下の症状なので「目下」のことが原因かな、と思う。
問題の女はその人よりも年下なので当てはまる。

もっと言えば、その年下女の言うことやることに対して
その人は「賛成」したくない。
だから頷きたくない。
また、その女が居る方を見たくない。
だから首が廻らない。
首が痛いんだから、その女に対して、それからその女の自己中心やズルいところが見えない
この年下女の正体が見えない愚鈍なオトコの同僚達(許しがたい!)に対しても、
YESという態度は出来ないし見たくない。
頷けないし左右を見られない。
自分はひたすら周囲を見なくて済むように、首は真っ直ぐ前を向いている。
これは「自分はこれこの通り真っ直ぐ前を向いて生きている」みたいな
意識の現れではないかと思いました。



だからその症状を消すためにはまず
◇自分がその年下女を嫌っていること
◇年下女のズルさを分からない男の同僚のことも呆れていること

を自覚すれば、症状なんか消えますよ。
自覚しないから身体がそれを体現しているんだから。

なので私は何度も
「でもその女を嫌いなんじゃないの?」と確認しますが
その人はその都度
「嫌いじゃない」と答えるのです。
「私だったらそんなバカ女は嫌いだね」と言っても、その人は「私はその人を嫌いじゃない」と答える。
誘導してもダメw
あははh!
多分
(私は69のように心が狭くないもん)くらい思っているのではないかな?



なのでどうしてもその人は「自分が年下女を嫌っていること」を意識化出来ない。
他人の言葉を理解できない。
自分が思ったらそれが正しい、だって私はホラ、常に「真っ直ぐ」だから、みたいな
心の有り方が症状に出ているのでした。



まず、「幸せになろう」と決める。
まぁ、決めれば事態が変化するだけなので
それに対して自分の心(意識)がついていかないと
◇意識
◇無意識
の差から生じる苦痛が発生しますから、決めただけでは足りないとは思います。
とにもかくにも「自分の意識レベル(判断力、波動、波動量)を上げる」こと。
これなくしては陶酔次元であり、態度だけ真似をして不味いことになる可能性が高い。


単純なことですが、コトはそう簡単では無いということです。
それをする覚悟が出来た人だけが実行すれば良い。
つまり「自分の好き嫌いを意識化すること」を、です。
それに見合う(耐えられる)だけの波動量が無いと不味いですよ、という話。



<灯油ランタン>(2011年12月31日)


来年早々「暗黒の三日間」が来るかもしれないということで
灯油ランタンを買った私です。
送料をケチったために三つも買いました。
一つは日頃から「100%言うことをきく友人」に押し売りしました。
一つはウチで使うことにして一つ残ってしまった。
なので友人の一人に声を掛けたら
「オイルランタンなら有る」と言うのです。
もう一人に声を掛けたら
「キャンプで使ったのを持っている」と言うのです。
二人ともランタンの用意は出来ていた。。。
凄いです。

この二名は心がきれいで温厚、性格がとても良いので
何もないうちから(日月神が言うところの
「ケも無い時から知らしてある」の言葉通り)
ずっと前からそれとは知らずに準備が整っていたわけですよ。
普段から世のため人のために生きている人は
霊能力が無くてもチャネリングが出来なくても
最先端の情報を得なくても大丈夫、
ただ普通に生活していれば問題無いようになっているのです。

日月神はそういうのが
「本当の神懸かり」だと言っています。
素晴らしい。




<TさんとHさん>(2011年12月31日〜2012年1月2日)

さて、上の記事<灯油ランタン>の続きです。

上の友人のうちの一人、Nさんがランタンを買ったのは今から15年ほど前のことです。
当時男の子ばかり4人育てていたNさんは、
Nさんの友人(子供の同級生の母)であるTさんと、
Hさん(同じく子供の同級生の母)とで
子供達をキャンプに連れて行こう、という計画を立てた。

Tさんはアウトドア大好きでキャンプの達人です。
何を揃えたら良いか詳しい。
Nさんの家でもたまにキャンプに行っていたが、詳しいのはご主人だったので
Nさんの知識はTさんほどはなく、達人のTさんに教わっていた。
そして真面目にキャンプ用品を買ったり、三家族のために自分で出来ることを考えていた。
Hさんはキャンプをしたことが無かった。



或る日、TさんとNさんとHさんの三人でキャンプの日程、
行く場所その他細かいことを打ち合わせする話し合いをしました。
ところがHさんは
「私は何も分からない。何も考えて無いw」というヘラヘラとして態度をしていた。
私は何も分からないからTさんとNさんで決めてくれという態度です。

これは一見謙虚なようで、この文章を読んだ限りでは分からないと思いますが
多分謙虚ではなかったのではないか。
キャンプについてはHさんが素人で何も分からないのはTさんにも分かる。
でも、そのことと、「私は知らないから(あんた達二人で勝手に)決めてくれていいよw」
という態度は如何なものか。
いくらキャンプのことを知らなくても
◇行き先
◇日程
についてはHさんも意見を言うべきです。
また知らないながらも
◇何をしたら良いか
を真剣に尋ねるべきです。
というか、知らないのなら尚更Tさんに教わろうという態度が必要です。
でも、Hさんの態度は最初から最後まで
「私は何も知らないからw」と遊んでいるような態度。
キャンプは遊びだが、遊び半分でやれば
◇子供が怪我をする
◇子供が死亡する
危険があります。
生半かな気持ちでは出来ない「遊び」なのです。



たしかにTさんは厳しい人です。
が、Tさんは自分にも厳しいのです。

TさんはHさんの「私は知らないから(勝手に)決めておくれ。私はそれに従うから」という態度に
腹を立ててしまいました。

Hさんは物事が分からない人でしたが、そういう人に有り勝ちな
「物事が分からないのに自分は分かっていると錯覚している人」だったのです。
なお私はTさんとはトラブったとがありません。
私は分からない場合は「分からない」とハッキリ言い、相手が詳しいことなら素直に従うし(楽だし)
自分の責任の範囲を知っているからです。
計画の中心になってくれる人の苦労に対しては理解した上で感謝の念を持ちます。

理解をせず自分は何もせず

(一緒に考えない、という点でね。行く先や日程などは何も知らない人であっても、
 話合いには参加してくれないと困る。
 責任を三人で分担したい、とTさんは思う。私もそう思う)

取り決めの一つ一つに対し「私は何も知らないから」と言っていたら
腹が立つのも当然ですね。



Tさんは怒ってしまい、その後TさんとHさんとで別件でトラブルが発生し
(Tさんの怒りが具現化)キャンプの話は流れてしまいました。
正義感の強いNさんがTさんの家を訪れて説得しましたが
Tさんの決断は変わりませんでした。

と、いう話をTさんとNさんから私は聞きましたw
全く無関係の私ですが、Tさんが怒るのも無理は無いと思いました。

と、こういうことがあったんですよ、という話ね。
自分に厳しいTさんと素直なNさんはキャンプ用のランタンを持っています。
でも自分に甘く物事が分からないHさんはランタンを持ってないはずです。
その時その時に、物事に真剣に向き合える人と
そうでは無い人とは、このように差が生じます。

「起こることは何も無駄が無い」と言いますが
この”事件”に関してはそれが言えますね。
自称常識人
(勿論無意識で、ですよ)のHさんが
灯油ランタンを購入する稀有なチャンスだったのではないかと私は思います。
Hさんはトンデモも興味が無いだろうから「暗黒の三日間」も知らないはずだからです。
神はHさんに灯油ランタンを買うチャンスを作ってくれたが
「自分は間違ってない」という無意識の思いによって
そのチャンスが流れてしまったのでした。
(Hさんがそういう人であることはこの事件からだけでは分からないですね。
  しかし普段のHさんの言動からはそう言えるのです)




「暗黒の三日間」が本当に来るかどうか分かりません。
来てもいいし来なくてもいいです。
また来るとしてもその日がいつになるのか分かりません。
それに対して準備をしておき、心の平安を保つことは必要ですね。




(2012年1月2日)

上の記事を読んで

T r u t h & I n t e g r i t y ★

のrindenさんが感想を送ってくれました。

800の<TさんとHさん>についてですが、
私は、Tさんの考えに賛成です。
私の子どもが幼稚園から中学生の頃まで野外活動の集まりに参加し ていたので、
私も楽しくて活動を手伝うことが多かったのですが、
指導者や手伝う人は、どんな近場の、ちょっとした自然の中でも、
起きる可能性がある危険を頭に置きながら連れて行っていました。

実際、野外活動をする場所は、安全に整備された観光地ではないので、
真摯な気持で自然と向き合わないと、
ちょっとした気の緩みで死亡事故になりそうな場所が
そこここの遊ぶ場所の隣り合わせにあったからです。
なので、参加する親もその事を理解していないと本当に危険ですが、
そのことを理解している家族と行動するときは、
適度な緊張のなか、気持ちの良い自然を満喫できて
本当に楽しい経験ができました。



でも、中には何で野外活動に参加したかったのか分からない、
かなりちんぷんかんぷんな親もいました。
野外活動なのにリゾート気分なのか、
???なひらひら服やヒール靴でやってくる親もいました(爆)
そのような親にかぎって、すぐに誰かに頼って任せっぱなしで確認 しないし、
と思えば、何か困ったことがあればすぐに人のせいにして
真面目にやっている人に責任がないのに責任を追求したりとか、
お門違いなことをよくやっていました。
自分の子どもを妙なところでペットのように構いまくっているのに、
必要なときに自分の子どもを危険にさらしているのに気がつかない のですよね〜(呆)
なので、そんな親と一緒に野外活動をするのは、
こちらも危険度が増すので、Tさんと同じ、遠慮したいところです。



その人達とは今は縁がまったく切れましたが、
今になって思えば、いろいろ勉強させてもらったと思える相手です。
ただ、医者に一任してしまうこともHさんの件も、
相手に任せきって、自分では何も考えないのは、
もし何か起きても文句が言えない事にも気がつかない、
自らに不味いことを招きやすい人じゃないかと思いました。
できれば自分はそうなりたくないですね。

・・・と書きましたが、私は私で、当時は病院でも野外活動でも
どちらもそのような人達を不愉快に感じていても、ただそこまでで、
意見どころか、それ以上あまり深く考えませんでしたから、
ある面、その人達と大して変わりなかったかもしれません。
せめて、おかしいことはおかしいと自覚することが必要だったと、
今ころになって反省しています。



それと最後に、灯油ランタンのことです。
なんとうちにも灯油ランタンがありましたw
これがなぜ家にあるのか分からないまま、
押し入れに入れてあったですよねw

電気ランタンは子どもの野外活動の時期に購入してますが、
灯油ランタンを購入していません。
でも十数年以上前からいつのまにか
ビニールを被ったままの新品のランタンが自宅にあって、
何も使う機会が無いまま、どのように使うか知らないまま、
ずっと押し入れに入れてありました。
でも、アウトドア製品って好きだし
ランタンの形がおしゃれだったので捨てられなかったんですよね。

それが今回、飾りにしかならないと思い込んでいたランタンの使い
方も分かりました。
そのうえ、もしかしたら実際に使える機会もあるかもしれないなんて、
なんだかワクワクしますw
ほんと良かったですw

いらない物はサッサと捨てるようにした方が良いのでしょうが、
このように、なんとなく楽しくて捨てられないものの中には、
将来役に立つものもあるのかもしれないと思った次第です。

そんな感じで、灯油ランタンを買わなくてすんだという話でしたw
それでは、また♪




rindenさん感想と情報をありがとう。
このように昔は「ただ体験するだけ」「感覚的に(おかしい)(なんか変だ)(不愉快だ)と思うだけ」
だったとしても時間が経ち、その間に自分の波動量を増やすことが出来たなら
当時のことを今になって冷静に「判断出来る」。
そういうことは良くあります。




<光の12日間>(2011年12月27日)


今年の12/15から12/26までの12日間を「光の12日間」と呼ぶそうです。
ゲリー・ボーネルによれば。
ということは、つい昨日、その期間が終わったところですが
皆さんは何か変化がありましたか?
私は何もありませんでした。

ゲリー氏によればその間には
◇自分の現実を直視できず
◇自分の葛藤のために
◇現実を見たくないため
◇眠りについてしまう人が多い
◇そして眠りについた人はその間に亡くなってしまう

そうで、その間
◇意識を保っていられた人は
◇まるで超能力を得たようになり
◇意識を保てないひとを救って欲しい

とか、本に書いてありましたが、そんなことはありませんでしたね。

ゲリー氏はまた時期を間違えたのでしょうか?
ゲリー氏は過去にアカシック・レコードの情報を読み間違い
2001年がアセンションの年だ、と本に書いたことがあるようです。
アカシック・レコードを読むのは難しいそうです。

なので今回もゲリー氏は外したのでしょうか?


<楽しく生きることを選んだ人>(2011年12月27日)


結婚してン十年経った人なら分かる話題です。
ン十年じゃなくても十数年でも分かるかもしれませんが。




先日友人のSさんが久しぶりにウチに来ました。
その前にSさんがご主人ととうとう離婚することに決めた、というメールをもらっていたので
心配していたのですが元気そうです。

Sさんは二十年以上ご主人のやり方
(言動、行動など)に悩まされて来た。
Sさんは温厚ですが言いたいことも言えないくらい気弱、というわけではありません。
ご主人の我侭や理屈に合わないところはその都度指摘して来たのです。
でもいくら言ってもご主人に通じないので諦め半分でもいました。
とは言っても我慢出来ないところがあるのは相変わらずでした。



そして先日とうとうブチ切れ、ご主人に
「離婚したい」と言った。
するとご主人はとてもショックを受けてしまった。
Sさんが家を出るなら俺は死ぬとまで言ったそうです。
そして子供達を家に呼んで
「お母さんが家を出て行ってしまう(から、オマエ達お母さんを止めてくれ)」と
子供を味方にしようとしたらしい。
しかし子供達(皆成人)は賢いので「お母さんの好きにさせれば良い」という意見。
子供達は今までのお母さん(Sさん)の苦労を知っているので
お母さんの思う通りにして欲しい、というのが意見でした。
ご主人は心底ショックを受けて、Sさんが離婚を切り出してからは
とても大人しくしているそうです。

Sさんは今までもコトあるごとに自分の意見を言って来ましたが
ご主人はそれを聞かなかったのです。
今回、Sさんが離婚を切り出したことでご主人はようやく
「他人(女房)の言うことは聞くもんだ」と思い知り
Sさんの言うことをちゃんと聞くようになったそうです。
Sさんは二十数年間の「言いたいこと」を全部言ったそうです。

で、Sさんとしてはご主人にも良いところはいっぱいあるし
「ちゃんと人の話を聞けば良い」ので、それさえ実行すれば
ご主人と別れなくても良いそうで・・・
なのでSさんは今、毎日がとても楽しいそうです。



Sさんにとって「光の12日間」は
「自分が楽しいと思える生きかたを選択する期間」となりました。
Sさんは自分の状況を「薄暗い闇」から「光」に変えたのです。
本当に良かった、と思います。



<スピリチュアル・エゴ/友人は同(似)波長>(2011年12月17日)


Sさんから「お互い様な話」という件名で体験談が来ました。
多くの人にとって参考になる話だと思うので掲載します。



最近、自分の身の程を知った件がありましたので、お伝えします。
長文失礼します。


私には、大学時代からの友人Hさんがいます。

お互い、家庭環境が悪く、苦労してきた事もあり、悩みをよく話しておりました。

Hさんは、悩みの多い生活から抜け出る為に、ヒーラーの学校に入り、ヒーラーになりました。
私は、心理学を勉強したり、Pをはじめトンデモ情報を集めたりして、知識を増やして来ました。




先日、私は会社で落ち込む事があり、Hさんに話をしました。

Hさんは親身になって聞いてくれましたが、忙しいとの事で、早々と電話を切り上げました。

翌日、彼女からメールが届きました。

内容は、空いた時間を使って私に対してヒーリングをした、というものでした。

私から良からぬ感情が噴出しているそうで、いくつかのワークのアドバイスもありました。


彼女の良かれと思った気持ちは分からないでもないですが、
ヒーリングって相手の心をスキャンするような
ものです。
私は頼んでいないのに。知らないうちに、私の中に入られてしまった。

(私は、時間が掛かっても自力でレベルを上げて行きたいので、ヒーリングを頼む気も無い。
アドバイスもどこかの本やネットで読んだことがある内容ばかりで、ちょっとうんざり・・・。

悩みを話した私には彼女に対する依存心が有った、
それがこの事態を引き寄せたのですが、
知らない間に土足で他人の中に入ってくる彼女に対して腹立たしい気持ちにもなりました。




気になったので、知り合いの別のヒーラーさんに聞いたところ、
Hさんのような行為は『スピリチュアル・エゴ』と言うらしい事がわかりました。

相手の許可無しにヒーリングするのは魔界に繋がる為、
ヒーリング業界では
(別のヒーラーさん曰く)ご法度らしいのですが、
ヒーリング技術を身に着けたばかりの段階は、所謂『陶酔次元』。
ついつい彼女のような行動に出てしまう心の罠が『スピリチュアル・エゴ』
なのだと。

(※なるほど。
   何でも覚えたての頃は面白いし練習を兼ねてやってみたくなりますね。
   それと同じことをヒーラーさんがやってしまった。
   それをスピリチュアル・エゴと言うんですね)



私は意を決して了解無しのヒーリングは止めて欲しいとHさんに言ったところ、

「エネルギーを動かしていないから問題は無い。
本当の意味で自分を癒すのは自分しかないからがんばって。」と言う。
(って事は、彼女のヒーリングは私の心の覗き見でしかなかった・・・?)
そして、どこかの本に出てきた内容の羅列でアドバイス。
『引き寄せ』『ありのままの自分で良い』『そのままで完璧』云々・・・。

私もよせばいいのに「自分を癒せるのは自分しかない」と知識で知っているし
その通りだと思うので、
ヒーリングではなく自力でレベルを上げたいのだ」と、言ったところ、
気に障ったようで音信不通になってしまいました。


彼女もスピリチュアル・エゴに陥っていると思いますが、私も私ですね。
今にして思えば、今回だけやり過ごして、
今後は悩みを話さないようにする事も出来たんです。
それが大人の対応でした。
が、彼女に反発してしまって。小さなプライドにこだわった結果です。


(※そうも言えますが、言っておいて良かったんじゃないでしょうか?
   これから先、同じことは何度でも起こりえました。
   その都度Sさんは相手の言動行動に我慢しなくてはならないので
   そのような付き合いはお互いに不毛ですよね。
   今回の件は一見失敗ですが、むしろ良かったと思います。
   多分Sさんは日頃から自分の心に正直に生きる道を選んだのだと思います。
   そして、もし正直に対応した結果相手が離れて行くとしたら
   それは不毛な関係だったのだ、と言えます。
   これから先はますます自分の意識がどうであるのか、自分でハッキリさせなくてはならなくなります。
   その時に曖昧に過ごす方がつまらないし、心は喜ばないし
   時間が勿体無いです)

レベルの低い人間が同じような人間を引き寄せる良い例かと思います。
身の程を知りました。
以上です。



Sさん、体験談をありがとうございました。
Sさんのような体験をした方は多いのではないかな。
自分は
○何を好きで
○何が嫌いか
○何が心地よく
○何が不快か
○何に価値を見出し
○何に価値を見出さないか
などをじっくりと考えることは必要です。
Sさんの体験は表面上は”友人”を失うという”失敗”に見えますが
本当は違っていて、貴重な学びをしたなぁ、と私は思いますよ。




またSさんは実に賢い。
Sさんと相手が似たようなものである、ということを分かっているからです。
友人というのは何かが共通しているのでなります。
共通点の多くは年令ですね。
年令が同じか近い場合は話しが通じ易い。
しかし性格がかけ離れていれば一見話しが合いそうでも、
実は全然違う・・・ということが付き合ううちに分かってきます。

とは言えやはり或る程度年令年代が似たような者同士が付き合うことになります。
感覚が似ているからですね。
そして似たような感覚の者同士で付き合ってはいたが
だんだんお互いの価値観の相違や判断力の無さによって
トラブります。
主人の母も近所の婆さんの相手をしてあげていたのですが
その婆さんがあまりにも考え無しで自己中心なために
心の安定を失い、一時はウツ状態になってしまいました。
でも、元はと言えば主人の母が自分より10歳くらい年上の婆さんと
近所付き合いをしてあげたからです。
もし私が近所に住んでいたとしても、そういう婆さんとは付き合いませんから
従ってトラブルも生じないのです。
ウチへ来て愚痴を言う主人の母には
「私たちの年代はそういうこと(お茶呼び=誰かの家に行ってただお茶を飲んでお菓子を食べて愚痴を言う会合のこと)
 はしません。やったことが無い」と言いました。
そういう付き合い(お茶呼び)を断れば良いのに、敵対したくない仲良くしたいという
心で対応していたら、この結果(ウツを誘発)です。




人と人とがトラブルを起こす場合は、片方がそりゃ罪は重いのですが
それに乗る方にも責任は有る、というわけです。

なので友人関係のトラブルは似たような者同士の間で発生すると言える。

だとしたら、これから作る友人はなるべく高波動の人が良いのでは?
友人は自分と似た波長の人がなるのだから、
ということは自分の波動を上げるのが良いのではないかな。
高波動同士の間ではお互いに高波動なんだからトラブルは起こりません。
何かが起きても感情が拗れることは無い。
冗談も通じる(冗談に関する感受性と能力の違いは、トラブルの原因です)し。



Sさんは自力で「自分も相手と同じだった」と悟ったのだから
その点で一つポイントupしたことになります。
これからも小さな気付きとサトリを繰り返しながら行きましょう。




<判断力が無いのにスピリチュアルにはまる人>(2011年12月15日)


判断力が無いのに、好きなのでスピリチュアルにはまる人が
大変多いというか、それが殆どですね。
この場合の「判断力が無い」という言葉の意味は
「スピリチュアルなことをするのは良いし、それを好きでも良いが
 それを語るのに充分な判断力を持ってない」という意味
です。



判断力が無い・・・と言ってもまるっきりゼロ、何も無い、何一つ考えられない
分からない・・・というのではないのです。
当人にとっては「自分が分かっていること」は分かっているのです。
だから自分が分からない人である、なんて夢にも思わないのです。
だから問題なのです。
こういう人が大変多いです。

いくら頭が良くても、そういう人は「自分が分かっていることはよおおおおく分かっている」
それだけ。
自分が分からないこと、分からない分野に関しては
分からないのですが、当人は「自分が分からない」ということを「分からない」ので
自分が分からない人である、判断力に乏しいということが
分からないのです。




上の説明、皆さんにはよく分かることと思います。
いつものように理詰めで説明してみました。




さて、「判断力が無いのにも関わらず、スピリチュアルなことが好きなので
ネットで意見や情報を発信している人」の中に
だんだん不味いことになって来た人がいます。
この人に関しては阿修羅掲示板でも指摘されるほどです。
多分アクセス数が多いので目だったのだろうと思いますが。
この人は傍から見ると非常に不味いことになっているのではないかな。
或る人から意見感想が来たのでここに掲載しますね。




○○管理人‥‥

木○○彦氏の未来ビジョンについて

「木○氏は誤情報を掴まされ、発信している。」と

周囲のサイキック達とともに検証・結論付けたとし、

 

 

 

しかし、木○説である金星人に関すること、それと未来に起こることについては、

今後、私は、一線を画すことにしました。木○氏の未来ヴィジョンはあくまで

一つの参考意見として捉えます。

 

 

 

と言っていますが、いやいや、最初っから誰の意見だろうが

参考意見として受け取るべきでしょ!と心の中でツッコミを入れました。

考え方が「融通の利かない優等生」っぽいんですよね、○○管理人さんて。

頭が固いのかなぁ。男の人はこういう人がホント多いですね。

木○氏の意見は誤りで、周りのサイキック達の意見は信用丸呑みで良いのかい?

と思ってしまいます。

今に始まった事ではないけど

学のある人が固くなっておかしくなっていくのが

最近目につきます。

 

逆に、華麗な学歴や肩書きもない

普通にアルバイトしているような女の子が

頭脳明晰で意識も明るい、惚れ惚れするような人柄だったり

そういうことも目について、それがだんだんハッキリと

見えるようになってきました。



意見をありがとう。
○○管理人さんに人並みの思考力判断力が有れば
このようなことにはならないのでしょうが、いかんせん思考力と判断力が
これ(情報発信)をするには乏しい、
それを出来るレベルに達してないのでしょう。
この管理人さんのような真面目で純粋真っ直ぐな人は
簡単に騙され使われてしまいますね、低級霊や悪霊がとり憑いた人達から。
この管理人さんに心有る人が忠告をしても
自分に反対する人は、この人におっては邪霊なので忠告を聞きません。
意見をくれた方は「男性には頭が硬い人が多い」と言ってますが
同感です。
どうしても男性は頭が硬くなってしまいます。
そして男性は殆どと言っていいくらい
○女
○子供
の言うことはバカにして聞きません。
明らかにバカにする場合と無意識でバカにする場合がありますがね。



女子供から学べない男性はダメです。
そして多くの(殆どの)男性は女子供から学べません。
(女の方が判断力が有ってもそれを見る男性に、見る目感受する心
  判断する頭脳が無いので、女の判断力が見えない。
  女の中にも人並みの判断力の無いのは沢山います。
  でも判断力の有る女と無い女を見ても、その差がわからないのです)

死ぬ気にならないと(死ぬような思いをしないと)分からないのだと思いますよ。
(※死ぬような思いとは・・・
   重病、事故、事件、失業、貧乏など)




<ありがたい/幸せ>(2011年12月13日)


いつの頃からか忘れたが、半年以上前からかな?
今年の8月頃からかな?
(ありがたいなあ)
(あ〜〜〜幸せだなぁ)
と思うことが増えました。
以前にもお風呂に入ったり水道水を使う際にはありがたいとは思っていたけど
今では一日に何度も思います。

○水道の蛇口を捻るときれいな水が出ます。
  (ああ、ありがたいなあ)
○朝御飯が美味い→美味い!幸せだなぁ
○お風呂に入る→ああ気持ちいい、幸せだ〜
○家の中には私では無い、名前も知らない人達が作ったものが沢山ある。
  日用品や家電製品など全て。
   これらを作ってくれた人達、ありがとう!
○このような便利な世のなかになったのは先人たちのお陰です。
  なんてありがたいんでしょう!




キリが無いので具体例はコレで止めますが、自分の周囲には有りがたいものが溢れ
楽が出来るのは本当に幸せです。
ここまで来るのに昔の人が苦労や苦心をして
やっとここまでこぎつけてくれたのです。
これをありがたいと思わずして何をありがたいと思うでしょう?
先祖も勿論ありがたい。



と、思っていたらこういう記事を見つけました。
「宇宙のこっくり亭」→「統合意識の形成」

2011年10月28日にコルマン・インデックスのマヤ暦が終了して以来、
早いもので、もう1ヶ月以上が過ぎた。やはり、確実に何かが変わってきている。

このとき、「統合意識が形成される」というのが、コルマン博士の予測の骨子だった。
これから、知覚が拡大した人類には、一種のテレパシー能力が発達してくる。
バラバラだった人類が、「統合意識」によって結び付けられ、
ひとつの巨大な意識と化していくという。

どうやら、統合意識の形成は、着実に始まったようだ。
まだ参加している人が少ないので、規模は小さい。
気がつかない人のほうが、圧倒的に多い。

やはり、地球人類の全員が、いきなり意識を進化させるというのは無理がある。
最初のうちは、参加できる人だけが加わるしかない。
大半の人は蚊帳の外になるわけだが、だんだん参加者が増えていくことだろう。
そうなると、統合意識が大きく成長し、
より多くの人に存在を感知されるようになっていく。
  
統合意識の形成に参加している人たちには、いくつもの特徴があるという。
ひとつは、原因不明の「至福感」に満たされるということ。
もちろん、常時接続状態になるのは難しいのだが、
統合意識と接続している間は、その場の状況によらず、至福感に満たされてくる。

その一方では、体調の不良を訴える人も続出しているらしい。
風邪のような症状、微熱が出る、眠い、腰が痛い、歯が痛い、ふらつく・・・
といった症状だという。

筆者には、どちらも心当たりがある。
「至福感」というのは、しばしば起きている。
昼でも夜でも、なんだか気分が良くなってきて、すぐ眠くなる。
その一方では、過去に治療した歯が一斉にシクシク痛み始めて、
ビックリしてしまったことがあった。
これにはカナリ焦ったのだが、しばらくすると治まった。
そういうことが、実際に起きている。
 
統合意識は、ポジティブな意識だ。
これに巻き込まれた人は、ネガティブな考えが起きなくなってくるという。
まあ、これまた常時接続状態というわけにもいかないので、
まったくネガティブな考えが起きないというのも無理があるけど、
ネガティブな思考が減ってくるのは確かだろう。

まだまだ、この先の段階があるらしい。
対象物に意識を向けると、波動を心で感じ取れるようになるという。
それによって、善し悪しが分かってくるみたい。
なんだか、船井会長が大好きな、「オーリングテスト」みたいだ(笑)。
オーリングテストの場合は、
指に力が入るかどうかによって善し悪しを判断するのだが、
この場合は、波動を心で直接、感じ取るようになるみたい。
これについては、統合意識の形成が進んだ先の段階なので、まだこれからの話になる。
 
コルマン博士によれば、人々は至福感に満たされ、
「この一瞬」に意識を集中して生きるようになるという。
まさしく、ヴィパッサナー瞑想の世界だ。
ヴィパッサナー瞑想が、やけにスンナリと理解できたし、
妙にうまく行ってるな?・・・と不思議だったのだが、
これはやはり、時代の風が背中を押してくれていたようだ。
 
こればっかりは、「はい、これが統合意識です」という具合に、
目の前に出してみせるわけにもいかないのだが(笑)。
   
もちろん、結論を出すのは、まだ早い。まだまだ、先は長い・・・。



私の場合は単に(ああ、ありがたいなあ)(ああ、幸せだ)と思うだけなので
至福感とは程遠いとは思うが、
毎日なんだか楽しく幸せであることは間違いないです。

これからの世のなかが
○楽しいことがどんどん増えて
○毎日元気で
○飯が美味く
○気が合う人達と
○楽しく会話したり
○旅行したり
して過ごせるようになるといいな、と思っています。

そしてもしこれからパラレルワールドに別れていくのなら
そういう世界に行きたいもんだ、と思うのです。
そういう世界に行きたいと思っていても
本人の心が
●暗く
●愚痴しか言わず
●物事の悪い面しか見ず
●他人を羨み
●他人を妬み
●他人を蔑み
●作り笑いを浮べ
●表面上は逆らわず
●でも決して同意も妥協もせず
●あくまでも我を通し
●しかしそれを気取られないよう努力し
●毎日間違った方向に頭(思考)と神経(心)を使ってすり減らし
●心は常に苦しむ
生きかたはしたくないので、私はしませんが
何故かそういう人との縁がどんどん薄くなるというか切れていくようで
これもまた楽しい現象であります。




楽しい世界(アセンション後の世界)って何も難しいことではなくて
ただ自分が思うところの「楽しい世界」のことだと思います。

(意味が不明かもしれないが)



<過去の自分2>(2011年12月10日〜11日)


下の方の記事<過去の自分1>(2011年12月4日)を読んで
感想をくださった方がいます。




こんにちは一夢庵です。
 
最近、私も過去の自分のような人を見かけることが多いように感じています。
と言うより、
今までもこういう人は常に身の周りにいたことに気付けなかっただけではないか
と思います。
特に自分の嫌な部分、認めたくない性質を持った人は意識がシャットアウトするか、
必要以上にに批判して遠ざけていただけ
ではないかと。
少なくとも私の場合は、です。

なるほど。
昔は自分の嫌な部分を見ても
波動が低いので認めたくないから、見ることが出来なかった。
でも次第に自分の波動が上がったので
「自分にとっては嫌なもの」でも、自分を客観視出来るようになった人には
それが「見えるようになった」のでしょう。


物事が分からない人を見ていると、本当にモノが見えてないことに驚かされます。
それは過去の自分もそうだったな、、、、と思えるので腹も立ちません。
物事が分かるにつれれモノも見えるようになるのです。
潜象勘がついたと言えるでしょう。

○判断力がつく=潜象勘がつく
○物事が見えるようになる
○自分を客観視できるようになる
○自分の嫌な部分も客観視出来る
○過去の自分と同じレベル(波動)の人を見ても
  自分を客観視できる人にとっては、それは既に忌むべきものではない
○だから過去の自分と同等の人も客観視できる
という仕組みですかね。




今の時点で、周りの人からある程度気づくことができるようになってきたかと思います。
ただ、それでも何故か見るだけで心を乱されるような人もいますので、
さらに気づくべき何かがあるのだと思います。


そうですね。
人間は皆、一生学ばないと。



<有名になっておかしくなる人>(2011年12月10日)


有名になってからおかしくなる人はいます。
無名だった頃は普通だったのに有名になるにつれてどんどん妙なことになる人。
有名になっても変化しないほど、自分の意識や意志がハッキリしていれば良いのですが
そうでは無い人の方が多い、ということかな。

私の友人の知り合いに或る研究者がいます。
その人は頭がよく(一流大卒、一流企業勤務経験有り)
性格はさらに良く(無邪気で素直で正直)
好ましい人なのですが、今年の大震災後から有名になり
だんだんおかしな方向へ向かってしまいました。


その人は今でも頭は正常だし(っつうか人並み以上に良い)
性格も良いのは変りません。
ただ「心の姿勢」が変化したのです。




どのように変化したかというと・・・
この人の「説」は非常に個性的でオリジナルで面白いのですが
そこに着目されてからは、そっちの方向に進化してしまったのでしょう。
この人を知る人(私の友人)曰く
「前からブッ飛んでいたけど最近はさらに激化した」そうです。
私の友人はこの人ととは震災前は頻繁にメールのやり取りをしていたのですが
震災後、この人が注目されるようになったら
忙しくなりメールのやり取りが激減したそうです。

○私の友人とこの人とが頻繁にメールのやり取りをしていた頃=正常、ユニーク
○私の友人とこの人とのメールのやり取りが減少してから=ブッ飛んだ話しかしない

この人は無邪気な人なので「世間」が自分に求めるものは
○トンデモ話
○ブッ飛び話
なのだと思ったのでしょう。
それはそうなんです。
でも、それには
○そう考える根拠や証拠
を提示することが必要ですよね?
根拠や証拠は一切無く、ただ「自分はこう思うから」「自分はそう感じるから」というのを
根拠にして、「○○は○○なんだ」「○○したから○○だ」と、
思いつくまま語るのはどうよ?って思います。



本人は無邪気で素直な人なので「世間が自分に求めるのはこういう話だ」と
何となく思い込んだり、誤解したり、勘違いをしているのでしょう。
それはそうです。
しかしそれって「ただトンデモを語れば良い」という意味では有りませんよね?



誰かが忠告すれば良いのですが
私の友人がメールをしてもそれへの返信は滞っているらしいし
最低限のやり取りはしているでしょうが、とても忠告をするような
状況では無いらしい。



実は震災直後にこの人のトンデモ系の仕事が増えたとき
私は友人にこの人に伝えてくれるよう言っておいたことが有ります。
それは今日(こんにち)を見越しての忠告でした。
友人はこの人に伝えたそうです。
するとその人は「分かった」と言っていたようです。

それから半年以上経って、今日(こんにち)の様相を見るにつけ
やはり忠告の意味(内容)を理解していなかったのだか、と私達が理解しました。
言葉を伝えてもそれを受け取る側の思考力判断力によって
自分なりに理解するしか無いので、こういうことが殆どです。
言葉の意味(それを言う背景、事情、深い意味など)を理解出来る人は非常に少ない。




とうとう私が予想(危惧)していた通りの状態になってしまいました。
某掲示板でも盛んに叩かれているようです。
そのことをこの人は知っているそうです。
この人は大変性格も頭も良いのでそういうことは「分かる」のです。

この人の運命はどうも悪い方向に進んでいるようです。
一躍有名になってしまい、サービス精神旺盛なので
皆さんが自分にこういうことを求めているのだろうと思い
それに応えるべく、そちらの方向に努力してしまったのです。

人間だから失敗はつき物です。
なのでそれを責めはしませんが、早いとこ「正常」に戻った方が
自分のためであると思いますね。
震災以降の日々は自分の学びであったと、悟った方がいいです。
人気というものはいつか下がる(無くなる)ので
そのような実体の無いものに左右されるより
しっかりと自己を保ち淡々と学びつつ生きることをオススメします。




この人のセミナーに参加したゆみさんが日記を書いているので紹介します。
http://fune2744.blog24.fc2.com/blog-entry-121.html
非常に善意で素直で賢い人でもこうなってしまう。
地に足をつけて生きないと不味いですね。



<過去の自分1>(2011年12月4日)


Pと800の人間の話を読んで、以前とは違った反応を取れるようになった方からの報告です。
「まるで過去の自分を見せられているようだ」
「今、過去の自分が行っていたことを他人が見せてくれている」
「私も過去はああだったんだなぁ・・・と思い知らされている」
という報告が多いのですが、その一例として記事にしました。




こんにちは、お久しぶりです。
今年の春と夏に絵を何度か描いていただいたYです。

今回は、絵の依頼ではないのですが、ご報告がしたくてメールを差し上げました。
以前、絵関係で経済的に自立したい、とご相談しました。
(現在、そのための学校に通っています。)

最近、投稿サイトに作品を投稿したら、かなり上位にランクインされました。
こういうサイトは競争が激しいので、アイコンに魅力(=実力)が
なければクリックすらしてもらえません。
技術が低い投稿者の閲覧者数0〜数カウントなんてザラでしょうか。
(私もかつて経験しました。)

そのサイトはそこそこ賑わっている方だと思うので、素直に嬉しいです。
ずっと自分に自信がありませんでしたから…。いくら他人に褒められても。
まだ収入にはなっていませんが、ちょっと希望が見えてきました。
(ちなみに嫌々制作した方はあっという間にランク外でしたw
 やはり楽しくなければ心は入らないし、結果は伴わないのですね。)




以下蛇足ですが、道を進むに従って見えてくるものがあったので、
勝手ながらご報告させていただきます。
私が自信を持てないことに繋がる話ですが、
目標にしているのは本格的に何年もデッサンを学んできたような人の絵柄です。
私はまだまだだ…と自覚しているので、褒められても有頂天にならずにすみますが、
最近、同級生に嫉妬?されてるんじゃないか…と思うような出来事が
立て続けにあり、疲れてしまいました。< br>私を中級者とするなら、
初心者より同じ中級者、もしくはやや巧い初心者の人達が
はりあって来る、上から目線でアドバイスする、
私の進度(持ち込み成果)をしつこく聞いてくる、など。
(その学校は、初心者が多く、稀に中級者がいるくらい。偶にハイレベルな人がいる)

「能ある鷹は爪を隠す」の意味がようやくわかりました。

妙なトラブルを避けるためだったんですね(?)
ハイレベルの人は、概して作品を見せたがらない。進度を開示しない。寡黙。
謙虚。世間話は普通に付き合える。話せる。結果、仲良くなる。

これまで、私より少し上〜下くらいの人達の態度や雰囲気に、
違和感を感じることが多かったです。
気のせいと思っても、結局後でトラブルになる。
私は、巧い人に遭遇しても大抵嫉妬しないので(凹みますがw)、
嫉妬する&攻撃してくる人の気持ちがわかりませんでした。
嫉妬して巧い人を叩いても仕方ないので練習します。
が。



ある同級生などは、二人きりになった途端
上から目線(逆切れ付き)でアドバイスしてきました。
私が目標としている存在より技術がないし、
本人もまだ結果出してないのにアドバイスされても…。
しかも、内容は数年前から理解していることだし…。
はあ。としか言えませんでした。怒りにすらならなかった。
他者より一つ勝ってる部分があるから、その他の部分も上だ
=上から目線でものを言えるって、短絡的だと思います。
昔の自分がそうだったなあ、とは思いましたが。

別の人は
・コネ自慢してくるが、私は羨ましくない、
・趣味人なことを披露するが、同趣味の私が乗って話を広げようとしたら
 しどろもどろorスル―、
・私の知らない趣味があるというので、興味でつっこんだらしどろもどろ、
・私の絵以外の作品(その才能もプロに認められました)を見せたら沈黙して眺める、
・挙句、本人が一番自慢に思ってるらしい職業も、以前に
 私が経験済みだと知ってからそわそわしだして時間より早く立ち去りましたw

舐められてた?んだろうなぁ…。
「自分が上だ」と思っていたから優しかったのかもしれません。
割といい印象あったのに、残念です。
「小さい風呂敷を大きく見せようとして、四方を一生懸命引っ張ってる人」に
印象が変わりました。
最近、自分が「鏡」になっているような気がします
今までは、自分が他人を鏡にして七転八倒していたのに、
最近では、私が失言などした記憶もないのに、相手が勝手に
目の前で悶えているように見えるんです。
まるで過去の私であるかのような人々を、立て続けに「見せられてる」という
感じがします
。これは何なのでしょうか?



また、自分の来歴を隠しているからこそ、他人の素顔が見えてくるのだと思いました。
実は大卒ですが、有名じゃなくても「大卒」というだけで嫉妬嘲笑?してくる
バカが複数いたので、現在の学校では言いませんでした。
多分、上記の二人も大卒と言わなかったから、
自分と対等だと思ってはりあってきたのかもしれません。
大卒と知っていれば、そういう態度はとらなかったのかも…
さらに嫉妬が足されたか、卑屈になったかもしれませんが。
(大卒を鼻にかけてるような考え方で、いやですけど。)

まるで水戸黄門や暴れん坊将軍みたいだな、と思いました。
身分を隠すからこそ、見えてくるものがある。
人間観察としては非常に勉強になりましたw 辛かったけれど。
そのことを母に話したら「ようやくあんたもわかってきた。」と言われました。
今までどれだけピュアに生きてこられたんだろう…
年下女子にすら「カワイイ」って言われていた&舐められていました。
その分、バイト先で心眼のあるであろう人たちに好かれたので、
誇りに思ってもいいと思いますが。(その方達は一流でした。)



人間社会って醜いんだなあ、とやっと認識できました。
ある場所を地獄に感じて、別の新天地を天国のように感じても、
結局そこも「人間」の住む場所(=どろどろしている)のだなあ、と…。
どこまでいっても地獄。裏がある。
ならば、せめてそういう人たちとかかわらないように、波動を良くしよう。
波動をよくする必要があるんだ!(開眼!)(遅っ!!)と。

大人になると友人が作りにくくなるとはこういうことか。
友人の成功を喜べる友人って大切だなあ。と思いました。
(そういう人は私より技術が上だったり、本気で努力してる人でした)

また、これからは信頼できる人にだけ自己開示しようと。
プロの人たちは、創作に関しては概して寡黙でした。
そういう意識になれただけでも、私はプロの第一歩を歩み始められたのでしょうか…。
だったらいいな。笑



これらの一件を中々割り切れず、ずっともどかしく思っていました。
Pで「嫉妬」に関する過去ログを読んで、すっきりしましたw
なんだか浄化されたような気分です。
これらの一件で、相当私もTQ霊化しているのでは…と思いましたが、
素直に読めたのでホッとしました。
自分に照らし合わせるのは少し苦しかったですがw
ちょっと気力が戻ってきました。

ちなみに、例に挙げた二名とも
真面目に授業に出ていて努力してました。
「努力してる、そこそこできる」=偉い、という発想なのかも知れません。
私も以前そう思っていましたが、現場に入って粉々に砕かれました。
先生も、「熱く語る人ほどヤバい」(プロになれない?)と言っていました。

おそらく、プロなら努力していて当たり前。
二人は、努力するところで満足して止まっているのだと思います。



何故過去の自分のような人を見るのか・・・その理由は皆さんが自分で考えてみてね。
またそれ以外にも幾つか教訓(サトリ)を得ることが出来ます。
  SB=宇宙銀行