hinoatarubasyo     人間のいろいろを書いていきます。記事は上に追加されます



<暗黒の三日間の過ごし方>(2011年11月23日)


「人は叶う夢を見る」「不思議な占い」をしたという記事が有ったので真似してみました。




質問「暗黒の三日間が来るとしたら私はどのように過ごすでしょう?」

音のパーティー   
花畑のある野外でコンサートをします。
やがてさまざまな楽器が集まってきて、次第に大きなオーケストラになって行きます。
良い運気の暗示です。それは“集まる”という事と、
“調和する”という事がキーワードになって来ます。
音のパーティーは上昇運の象徴ですが、それは人が集まり、
集まってきた人と交流するという事によって良くなって行くと見ます。
今は一人でコツコツと努力するよりも、仕事やプライベートで人と関れるようなら、
人との関りを大切に…と言う意味です。

それによって結果的に人、お金、物、全てが集まってきて、
実りの時となり、人気や名誉も期待できる時となって来ます。
ただし人と関り、やり取りをするという事は、それだけこちらの姿勢も問われてきます。
音のパーティーはオーケストラであり、ハーモニーですから、
一人前に出すぎていては上手く行きません。

やはり自分のもっとも自然な音を出す事によって、
おのずとそれに共鳴する人達が集まり、残ってくれます。
背伸びし過ぎたり、わざと裏をかいた音を出していると、
それに共鳴した楽器が来てしまいます。
集まる事はよい事ですが、ここで無理をしていたり、自己中心的過ぎる音色があると、
本来あわないはずの人や、ライバルのような立場の人もまた、集まる事になるからです。
自分自身が他の人にとってのプラスになれれば、
今度は自分にとってプラスの人が共鳴してくれます。
また少し拡大すると、神仏や祖先への祀り、礼などが大切な時の意味にもなります。
いずれにしても前向きで素直な自分を出せるし、出した方がよい時の象意です。
なんか普段よりも楽しそうです。



<人の話を聞かない人>(2011年11月22日)


殆どの人は他人の話を正確に聞けないようです。
普通の話でも聞けないのだから
ましてや忠告など聞けない。


●無意識で生きている人(殆ど考えたことが無い人、惰性と習慣で生きている人)
●言葉を理解できない(概念を理解できない、というべきか)
●同じ言葉でも受ける感覚が違い過ぎる
●理解出来ても感情が受け入れたくない

●既に自分の頭の中に「回答」が用意されているのでそれを覆すようなことは受け入れられない
 
 (だから大人の方が言葉を聞けませんね)

こんな感じですかね。



セイシンセカイで活動している人の多くが「人の話を聞けない状態(レベル)」に有るようです。
セイシンセカイなんかやるより普通の当たり前のことをやった方がよほど良い。



<日本地図1>(2011年11月18日〜22日)

遊んでみました。
まず表を作ってから枡を埋めて作ってみた。

日本地図に見えるかな?
■の数は47都道府県分+1有ります。

<日本地図2>



<日本地図3>(2011年11月20日)

次は■を書いてみた。

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<エリ一トぉ?>(2011年11月13日)


まず、こちらをお読みください。
http://ameblo.jp/4736g/entry-11076962245.html
その最後の方で

※メルマガに関してのご注意。

”エリ一ト”だけで結構ですので、”一般人”はご遠慮ください。

何故なら・・・”選ばれし者”でないなら、できっこないからです(^^) 

意味のないことはしないほうがいい。

知らなくていいものは知らないほうが幸せだからです。

忍耐力の無い方、辿り着かなければならない方以外は

そもそもココにも辿り着けない。

そう、”その他大勢”でしかないのです。

冷たいようですが、本当のこと。

ご自身が楽しいと思うことをして”最期”まで生きてください。

・・・という訳で、ごめんなさい。

と、書いてあるのを見て呆れた。

私はしょっちゅう私のサイトの閲覧者の質が良いことを記事にしていますが
それとはちょっと違うモノの言い方です。
私は、800を見ている閲覧者の質は良い、素晴らしいとか言うが
エリ一トという言葉は使わない。
何故ならエリ一トとは狭義の意味としては
「生まれながらにして、一般人とは違う人。
高い地位に就け、収入は高く、特権を持っている人」
と定義しているからです。
日本で言うとまぁ、天皇家だけがそれに相当します。
本当は天皇家のお子さんは一般の学校へ行っているので
厳密に言うと違うが、一般庶民とは明らかに違う全て・・・という点から
エリ一ト=天皇家
としています。



また、広義の意味として「並みの人とは違い、ずっと上を行っている人」と定義します。
これは財産や職業などは関係有りません。
精神のエリ一トのことです。
ところがこのサイトの管理人さんはたかがアセンション”情報”を得ているだけの
一般人をエリ一ト呼ばわり。
これが呆れずにいられましょうか。

読者の自尊心ををエリ一トという言葉でくすぐり、良い気持ちにさせているだけに見える。
その発想は実に低次元であり、
書いてる本人が精神のエリ一トとは無縁であることが分かる。
こういう記事を読んだら意地でもこの管理人のメルマガなど読むものか、と思いますね。
私は大人げ無いのでね。




<自分の光を輝かせること>(2011年11月12日)


命=光
だと思う。

で、人によって光の色が違う、という理屈も分かる。

まはるださんが「光の世界」というコラムを書いていますが
これは20年ほど前に知っていました。
あまりにも計算や考え方が面倒なのでそのままにしておきました。
今まはるださんが分かり易く解説してくれています。




まはるださんのサイトから転載しました。
まはるださんが書いたこの表ですが、元の表は或るサイトにあります。
私が良いと思うのは右の説明です。


○○○   同じ数字を持っている人でも、どこが光ってどこが暗いかで
  人となりは違う、ということになりますね。
  8通りに分かれています。
  最近「二つに分かれてきている」ということを皆さん実感されることが
  多くなって来たのではないでしょうか。
  中間、グレーというのはなく、白か黒かに分かれるとすると、
  左の表の「A」と「B、C、D、E、F、G、H」という分かれ方をするのでは
  ないでしょうか。
  
アセンションの流れに乗るためには「A」の状態でいることを
  求められるような気がします。

  比率だけで言えば圧倒的に少数ということになりますが、
  「A」の状態であれば自分の持つ能力が存分に発揮できるということにも
  なると思うので、目指したいところではあります。
B ○●○
C ○○●
D ○●●
E ●○○
F ●●○
G ●○●
H ●●●

分かり易い説明で特に赤い文字の部分は重要だと思う。

「波動を上げろ」と言われてもいったい何をどうすれば良いのか分からないのが普通ですね。
なのであらゆる角度から説明することが必要です。
波動を上げる・・・イメージで捉える部分が大きい。
波動が見えませんからね。
イメージするための補助(目安・モデル)としてこのような表は便利です。
一つの参考として良いし、活用できる。




人間には白い人、黒い人、灰色の人とが居る、と
今から十年ほど前に或る子供が言ったそうです。
その子供には人間がどの色をしているか見えて(感じることが出来て)いたそうです。

その子供の「証言」を基に考えてみると
A=白い人=自分が本来持っている輝かせるべき光を輝かすことが出来る人
B〜G=灰色の人。輝かし方が中途半端な人
H=黒い人=輝かすことが出来ない人

となるのではないでしょうか。
これは私の意見です。



で、灰色の人の中には
○=2、●=1の明るい灰色の人から
●=2、○=1の暗い灰色の人が居ます。

毎日毎時間毎分の意識によって
選択が行われています。

たとえばXという課題が有ったとする。
そのXを
@理解する
A理解できないが理解するべきだ、理解したいと心で思う
B理解できないが理解するべきだとか理解したいと思わない


の三つの選択が有ります。
そのどれを選ぶかによって
○が●に、●が○に変化していくのではないか。
(だいぶ理屈ですが)



特別なことなどしなくても意識は毎分毎秒自分で作っているので
その質を高めることが出来れば、知らないうちに波動は上がるものです。
数年間〜数十年間、波動に変化無し、の人は
毎分毎秒の意識の質を高めることが出来ないので
こういう人が何かお金の掛かる特別なことをしても効果は望めない。
それについては下に記事を書きました。


<技術と波動>(2011年11月12日)


上の記事の続きです。



そうそう、思い出しました。
私のお客さん達のことです。
全員では有りませんよ、お客さんの中の一部分なのか
或いは大部分なのか調べてないので分かりませんが
「毎分毎秒」の意識の質を高く出来た人が多いです。
(それが出来た人はこのサイトを読むと面白いが
  出来ない人にとっては面白く無いばかりか苦痛なはずです。
  サイトPも同様。
  ハッキリ好き嫌いが分かれるようです。
  低波動の人が見るとTOPだけで気持ち悪くなるそうです)




それはともかく、お客さんの中には「意識の質を上げることが出来るようになった人」が居て
そういう人がたとえば
○チャネリング
○ヒーリング
○キネシオロジー
○占い
など、様々なことを習ったとすると
「それをやれるまでの波動を育成する、養成すること」は既にクリアしているのです。



それらの技術を教える際に重要なのは
「このことを受け取るに値(あたい)する波動を生徒に獲得させる」ということが重要です。
それをしないと「低波動なのに技術だけは持っている、鼻が高いだけの低級霊」と
なってしまうからです。
(これを魔境と言います)
だからマトモな指導者はこの点を知識や経験から知っていて
生徒のために防ぐわけですよ。
(また自分の生徒がおかしくなり、それが自分がやっていることの評判を落とすことは
  自分の事業の致命傷にもなります)

なので、技術そのものよりもまず「受け入れる心を作る」ことに
膨大な時間を割くわけです。



事例1

たとえばキネシオロジー。
これを習得するために
一日5万円
五日間
合計25万円

支払うところがあります。


べらぼうな金額ですが多分
「高額な料金を支払うことによって、受講者の意識を真剣にさせる」
意味も有ると思います。
元は取らないと、と真剣になるレベルの人が普通ですからね。
だからこのやり方(高額な料金を取る)のも仕方ない面がある。
なので悪いとは言いません。


このやり方でキネシオロジーをマスターした人が開いた
キネシオロジー講習会(参加費2万円)に参加した人の中に
私のお客さんが居ました。
講師先生が言っていることは特に目新しいことはなかったそうです。
この人は既に「情報を取り込む心の姿勢」「意識をハッキリさせること」
「心を安定させること」などをマスターしているので
ただキネシオロジーの技術だけを知識として受け入れれれば良いだけの
波動量を持っていたからです。

こういう人ならキネシオロジーの先生の25万円の講習会に参加する必要はなく
ただ技術だけを知れば良いので先生の生徒が教えている
2万円の講習会で事足りるのでした。

(※私の意見では、たとえ一日5万円取って生徒を真剣にさせても
   五日間で波動を上げることは不可能です。
   ゼロでは無いが「それを行うに値するまでの波動獲得」は無理です)




事例2

もう一つの事例。
この人はΘヒーリングの講習会に興味が有って参加しました。
するとすぐさまマスターし、先生からぜひこの上の段階のコースを受講するよう
勧められました。
一緒に受講したほかの生徒さん達にはなかなか会得できないことも
この人にはすぐ出来て抜きん出ていたからです。
この人は一度講習を受けたら(ああ、こういうものか)とサトリ
二度目は行きませんでした。

この一度の講習で会得できない生徒は
この段階をクリアするまで何度も同じようなことをしなくてはならないのかもしれない。
しかし800の閲覧者であるこの人は一度でクリアしてしまったのです。



事例3

もう一つの事例。
この人は数年前からたまに興味本位でヒーリングをしてもらっていました。
数年前に凄いヒーラーからヒーリングしてもらった時は
体感が有ったそうです。
最近(二年ほど前か?)ヒーリングしてもらった時は何も感じなかったそうです。
ヒーリングのエネルギーは上から下へ流れるらしいのと
ただ上と下という単純なものではなく、流れがピラミッド型になっていて
たとえ上でも系統が違えば下位の人にもエネルギーは流せないらしい。
もし多くの人にエネルギーを流したければ、自分がさらにピラミッドの上に行かなくてはならない。

この人は他人からヒーリングしてもらうことは卒業しました。
自分の波動が上がって来たので要らなくなったものと思われます。




何かを習う際には先生が「まず、受け入れるに値する波動を獲得させるため」に
膨大な時間と金を掛けるし(事例1)
それをしない場合は結果に差が出るし(事例2)
施術者の波動より自分の波動が高い場合はエネルギーすら来ないし(事例3)
ということが起きて来ます。


波動というのは目に見えないがこのように厳然として存在します。
波動を上げれば金が掛からなくなります。
また時間を取られることも無くなる。

自分の意識の質を上げる。
たったこれだけのことを数年間続ければこのように変化しますよ。
無料だし楽だし面白く害が有りません。



<意識レベルの一時的な変化>(2011年11月11日〜12日)


「As a Smile」のnaoさんがペンジュラムで意識レベルを測っています。
人間の心はコロコロと動きまわり一定しないので
だからココロと言うそうで。。。

naoさんが測っているのは
「普段のその人の意識レベル」ですが、
心とはコロコロ定まらない。
だから普段以上に高いときもあれば低いときもあるわけです。

高いときは「自分が好きなことをしている時」だそうです。
これは謎のチャネラーの麻緒さんが以前言ってました。
低いときは「嫌なことがあり、一時的に感情が低下(悪化)した時」です。
人間だもの、そういうことはありますよね。


naoさんがブログにそれに関連した記事を書いているので紹介します。



あるとき、ないとき。
大阪のローカルで「551」豚まんのCMがあります。

551があるときー!」・・嬉しそうに楽しそうにしている。

ないときー」・・暗く沈んでいる。

「あるときー」「ないときー」 を繰り返す。それだけのCMです。


人の感情は、一瞬であがったり下がったりするんですよね。
意識レベルの判定では「普段の。」意識レベルを訊いてるのですが

「上がった時は?」と「落ちた時は?」というのを試してみました。

もちろん、自分で。



普段の意識レベルは、「360」と出ていたんですが

「上がった時は?」 450

「落ちた時は?」  340 

私は上がっても、めちゃめちゃ上がるわけではないけれど
下がっても、極端には下がらないようです。

普段でも、「上がった時」のレベルまでいられるように
ならないといかんなーと思いました。


「目標 400ライン突破」かな。

そういえば、これも関西ローカルの有名なCM。

「目標!1427店」 と社長が叫ぶ、某薬屋さんのCMでした。

目標に達したのか、どうかはわかりません。
今でもあるのはあるが、CMはなくなったな。
子供の頃は、大阪の子供たちはしょっちゅう「目標!」言ってましたけど。

今日は、’11・11・11 だというのに
こんな記事でいいんだろうか。




人間の意識を数値で表せないという考え方も有るでしょうが
数値で表せるものは表せるという考え方が有っても良い。

出た数値はあくまでも目安として自分で受け止めれば良いと思います。
それは学校のテストの点数と同じです。

テストの結果に一喜一憂する人もいれば
全く何も感じない、反省しない人もいます。
一喜一憂する人は点数によって自分が揺れ動いてしまうような
精神の脆弱な人だと思う。
それは不味い。
また何も感じないし反省もしない人も不味い。
それではテストの意味が無い。

数値が出たらnaoさんのように淡々と受け止め
次なる目標を立て、毎日の意識に気を配り
明るく楽しく生きれば良いと思う。




<裏側の世界6(定義)>(2011年11月8日)


最初に定義するべきでしたね、失敗。
記事を書いていたら次第に考えがまとまったので定義が後になりました。



私が思う「裏側の世界」とはホーキンズ博士が提唱している
意識レベルの表で「200未満」の意識のことです。

人間だから一時的に低下することは毎日のように有りますが
○一時的に200未満になるが殆ど200をクリアしている人
と、
○通常200未満である人
とでは心の状態が違うと思います。

何故200未満で居るのか?
それはやはり感受性が狂っていること、思考力が乏しいことが原因でしょう。
だから
○感受性を上げ
○思考力を上げる

しか、200未満から脱出するすべは無いのですが、200未満の人は
裏側に生きていますから、通常の説明や忠告が通用しない傾向が有ります。
だからなかなかそこ(その意識レベル)から抜け出せないようです。
これは私が観察して得た感触です。




なので
○たまに200未満になるが通常は200をクリアしている人
には普通の言葉も忠告も通じるので、このレベルの人達は向上する可能性が有るが
○通常200未満の人
には普通の言葉も忠告も通じないので、このレベルに留まるか
次第に低下(悪化)することが考えられます。
そして実際にそのようになっているようです。

これがよく言われるところの
「人類の二極化」ではないかと思います。
この通りでは無いかもしれないが、それほど見当違いでは無いと思います。




意識レベルを判定しているnaoさんに、私は通常どの数値かを判定してもらいました。
が、たまには200を切っているよね?とはまだ訊いていません。
多分しょっちゅう200未満になっているはずです。
(一時的にカ===っとなるとか、この野郎と思うとかはしょっちゅう有ります)
これからnaoさんに判定してもらう方は、そこらへんも質問すると良いと思います。



<裏側の世界5(ガン)>


浜本氏の本によれば「ガン細胞は、正常な細胞が裏返った状態」なんだそうです。
この説明は何より怖いですよね。
ガンとは頑(かたくな)な心が現象化したものですから
それが「裏返っている」ということは
頑なな心=裏返った心
ではないかと思います。




ガン細胞は毎日作られていて、誰でも持っているのだそうです。
ちょっとした頑固な心、自分を変えたく無い心、自分は悪くなくて相手が悪いと思う心は
誰にでもあります。
これが無い人は例外的に少ないのではないかな。

しかし毎日出来ていても、それをまた自分が正常化しているようですよ。
つまりガンは自分が作り、自分が消しているのです。
笑いは最高の薬らしく、笑うと免疫力が上がるのでそれでガンが消える(正常な細胞に戻る)
つまり「裏返った細胞が直る」のです。

人間の身体は実に良く出来ているというか、働いてくれているのです。
感謝しませう。




毎日ガン細胞は作られるがそれ以上に消す力が働けば良い。
ガンを作る速度(力、低次元の意識))<消す速度(力)=笑い、楽しい生活な、高次元の意識

ガンを作る速度(力、低次元の意識)>笑い、楽しい生活など、高次元の意識
を長年続けるとガンになる。

誰でも一時的に落ち込むことは有ります。
一時的に裏側の世界に行ってしまうことがある。
そういう時はそれを自覚してそこ(その意識、意識レベル)から抜け出せば良い。



<裏側の世界4(人口比率)>(2011年11月8日)


では「裏側の世界」の住人はどのくらい居るのか?
と考えたら、やはり神が言うとおりの数値80%は居るのではないかと思います。
裏側と一口に言っても
○ちょい裏
から
○完全に裏側
まで、やはり無数の段階が有る
と思います。



これはつまり
○やや低級霊
から
○悪霊
まで居る
のではないかと。

やや低級霊の人も悪霊も「他人の話を確かめもせず、原則悪く受け取る」のですが
それによって当人の心の状態が
○やや浅いヂゴク、地獄の一丁目
から
○ヂゴクのドン底
まで様々な段階が有る、と私は感じます。



<裏側の世界3(或る事例)>(2011年11月7日)


裏側の世界について誤解されているようなのでもう一度説明しますね。

裏側の世界の住人は、表側の世界の住人が表す
○好意
○親切
○普通の言葉

を、「自分への敵意」と受け取るのです。

たとえばこんなことがありました。

或る、過去において他人からヒドい目に遭ったと、自分で称している人が居た。
なのでその人と付き合うに際しては、そのような猜疑心が沸かないよう
私は普通に接していた。
そして、過去の体験からそのような妙な思考回路に陥った人も
私が「普通に」接していれば、新たに
(全ての人が自分に対して敵愾心を抱くのではない)ということを体験し
過去の「不幸な」体験を上書きできるのではないかと思った・・・のですが、
実は違っていました。

その人は「他人がどのような態度を取ろうと」「全て自分への敵愾心の表れである」と受け取るのだ、
と、私が学習したのです。
私が「あなたが他人の言動によってそうなってしまったのなら、私がそうでは無いよ、と言うことを
体験してもらおうと思ったんだけど」と言ったら(書いたら)
その人は「それが一番気に入らなかった」ようです。
つまり私の言動が「この上なく傲慢なもの」に見えたようです。

これには驚きましたが、ああ、そうなんだ、と悟りました。


この人が今までの人生でつらいことばかり有った・・・と訴えていたのは
実はこの人が他人の「普通の」言動を裏返しに受け取っていたからだ、ということを。
これではこの人が望む「幸せ」は幻なので一生かかっても、
実現することは無いでしょう。

自分が決めた「世界」の中で王様や女王様をやっているのです。
その「決まり」からちょっとでも外れた人は、この人には「自分への敵対」と見なすのでしょう。
こういう人は実は少なく有りません。
自分の感受性が狂っているとは決して思わず
相手が自分が作った決まりから外れているのが悪い、それは自分への敵対だ、と受け取る人。

相当不幸だと思いますが、このような人の中には子宮ガンになっていた人もいます。
この人も過去に子宮ガンの疑いで検査したとか言ってました。
今、どうしているのかな、多分自分が創ったガンに犯されているのかもしれません。

男らしい男性にはこういうのはいませんが、
女のような男性の中にはこういう人がいました。
この人は運命がどんどん悪化&低下しています。
一緒に仕事をする人に対して、自分の「決まり」を変えませんから
次第に相手に疎まれて「もう、あの人と仕事をすることは無い」と言われてしまう。

裏側に住んでいる人は他人の好意、親切、普通の言葉を
裏返しに受け取るために、本来なら単純に進む話がどんどん拗れます。
このタイプの人はそういう時は「相手が悪い」と思うようですが
(だから本人は怒っているのですが)そうではなく
全てはその人が自分で創り出しているのでした。
しかしこういう人は正常な思考能力は無いので
このことに気付くことは無いでしょう。
普通の言葉を裏返しに取るくらいですから、他人が忠告しようものなら
凄まじい反応をするだけです。




こういう人が「裏側の世界」の住人であり、「裏返しの人」です。


<正しさや正義>(2011年11月6日)


私の周囲には「正義感」が強い人が多い。
本人は決して「悪いこと」をしない人です。
それは「良いこと」か?

悪いことをしない、正義の良い人に
「それは不味い」と指摘すると、当然のことながら本人は非常に当惑します。
(こんなに良いことをしているのに)
みたいな。



いや、それはそうなんですけどね。
私が言いたいのは
○正義感にはレベルが有る
○正しさにはレベルが有る
○「良いこと」にはレベルが有る

ということなんですよ。

従って○×式で「良い」「悪い」と語るのは意味が無く時間の無駄です。

(※つまり、ABCDEさんの正しさは全て違う。
   だからAさんとBさんを比べて
   A=○
   B=×
   次はAさんとCさんを比べて
   A=×
   C=○
   次は・・・と、総当たりで比較しなくてはならない。
   これ、キリが無いです。
   やる意味が無い。

   それだったら
   Aさん=60点
   Bさん=20点
   Cさん=75点
   と、点数式にした方がまだ良い。
   上のやり方より時間を取られないし、客観的に比較出来る)
  



私が周囲の人の「正義感」や「良いこと」に対してクレームをつけるのは
そのレベルがあまりにも低いからです。
「良いこと」をする人は「良いこと」をするのが目的で
そのレベルが高いか低いかなんて考えたことが無いので
そういう人が発揮する「正義感」や「良いこと」のレベルは低いから
それについて「不味い」と言ってます。
「良いこと」をする暇があったら、自分の判断力、思考力を上げた方が良い

これ(この理屈)が分かるには数年掛かる場合が有ります。
この時、すぐさま分かる人が「物分りの良い人」「頭の働きが良い人」ですが
その前にまず「素直」でないとならない。
そして頭と心の両方良い人は少ない。


<良いことをしたくて仕方ない人>(2011年11月6日)


「良いことをするな」とは言わない(言ってない)から
せめて「良いことをするまえに考えて欲しい」ですね。
それをするのは「良い」か「悪い」かをひと考えしてから
「良いこと」をして欲しい。
良いことをする人が問題なのは良いことを良いと信じて疑わないことです。
自分を疑わないから考えない。

「良いことはしても良いが、やる前に考えろ」

それが出来ないのが低次元の人で
出来る人が高次元(低次元では無い)の人です。

思いやりが沢山あり、優しく親切でも
低い親切正義正しさ(我)を発揮する人を高次元の人とは言わない。
少なくとも私は言わない。




「良いこと」をする人は「良いこと」をすることに目が眩んでいますから
(良いことをすることに対する喜びと興奮状態にある)
なかなか私が言うことを理解しない。
「良いこと」をしたければしてもいいから
最低限思考しろ、ということを理解しない。

これが悪人(性格が悪い、他人が賞賛しないことをする人)だったら
「自分は正しい」と思わないので、まだ良いのですが
善人の場合は「自分は良いことをしている」意識しか無いので
ホント、始末に悪い。


<子供を登校拒否にする親>(2011年11月6日)


上の続きです。

子供が登校拒否するタイプはこのタイプ。
つまり「低次元の善人」です。
登校拒否はなかなか直らないのは親がなかなか分かるようにならないからです。
登校拒否が治るのは早くて数年(親が数年で自分の意識を改善出来た場合)かかり
通常は10年くらいかかります。
親の意識を変えるのに10年くらい軽くかかってしまうからです。
(徐々に治って行く、というカタチ)

まぁ、親は大抵父親と母親が居てどちらかが低次元の善人の場合は
配偶者はそうでは無い場合があるので登校拒否が発症しない場合が多いのです。
(ある友人に「あなたの配偶者が、あなたのようだったら子供は登校拒否になっていたよ」と言います)
しかし夫婦が同じレベルでしかも低次元である場合は
子供は登校を拒否ってしまう。
夫婦が同じレベルなのでなかなか改善しない。
だから登校拒否は治りにくい。


以上は私が観察して得た実感で、私個人の意見ね。


<裏側の世界2(或る体験談)>(2011年11月4日)

※裏返しの世界より「裏側の世界」の方がピッタリ来ると思うので
   「裏側の世界」としました。
   そして「裏側の世界」に住んでいる人を「裏返しの人」とします。



体験談が来ました。


裏側の世界を読みました。
私も闇の世界にいたなあと思いました。
 
私は以前、●●島という島に住んでいました。
 
 
「頑張れば、努力すれば人は(島の人達は)わかってくれる。」
と、がむしゃらに9年頑張り、体も心も壊しました。
 
それから、主人が一大決心をし、島の家を売り払い
家族で本土である、○○町に引越し
しました。
 
引越して4年目、あの冷蔵庫が背中にのっているような
体のだるさはなくなり、やっと元気に働けるようになりました。

 
 
ここまでくるのに、約13年ほどかかりました。
 
現在は『命を輝かせて、最善を尽くして生きる。
嘆いて生きるより、笑って生きる。』
『物事は理詰めで考える。』を実践しながら
頑張っています。

 

1カ月程前、●●島のご婦人が、私の働くお店に買物に来ました。
 
「『Aさんが、★★(店名)に行ったら、☆☆さんがおるよ。(※この方のことです)』と、
言っとったから、どれ、一回顔を見てこんかと思って、
孫に運転させて来たわ。なんじぁ、思ったより元気そうやが。」
 
以前の私なら、また人を馬鹿にしたと逆上するか、冷や汗が出て、動悸がして
しどろもどろになっていたはずですが、
 
今回は「はい、おかげさまで、私元気にここで働いています。」
と、笑顔で答えられました。
 
ご婦人は顔がひきつり、お孫さんは私を見ようとはせず、
顔をそむけていました。
 
●●島から、うちの店にくるまでは1時間ほどかかり、それまでにいくつも店
もあります。が、それを通りこし、私を見に来たとは・・・すごい人だなあ
と思いました。
 
以前は、これから、私を見に来る人がいたら、やだなと思っていましたが
今は、たくさん、お買物して帰っていただこうとしか思わなくなりました。
 
家族と愛犬で幸せになります。
 
学びの場を与えて下った69さんに感謝です。



この方が以前住んでいた●●島の人達が住んでいる心の世界が
「裏側」で、島の人達は「裏返しの人」だったわけです。
島や田舎は昔からの血縁と因習でがんじがらめになっており
昔は日本中がそうだっただろうから、
大東亜戦争で日本が負けたのは、このようなものを破壊する意味もあったので
あれは必要だった、と思います。
私も引っ越して来て田舎暮らしをしていますがとにかく驚きました。
血縁の無い私はよそ者ですから村の因習に参加する義務は無いのでまだ良いが
この方のように親戚の中に一人異波長の人が居ると大変です。



一つ目の考え方は
この人が思う「正」や「善」と、島の人が思う「正」や「善」とはレベルが違うのです。
だからやればやるほど、周囲の人からは認められない。
「郷に入らずんば郷に従え」と言うのはこのことです。
他郷の「正」や「善」を行うことは、この土地にとっては「誤」であり「悪」だったんですね。
自分達が立っている位置から一歩も前進しないぞ、と無意識で人は決めているもので
そうなったらその人生は失敗で、下手をすると神が粉(こ)も無きようにしてしまうのですが
彼らにとっての善は「自分は変らず、したいようにすること」なのです。
それが彼らのレベルでの「正」であり「善」です。

神はこういうのを戒(いまし)めて神示を下されたわけですが
必要な人ほど「読まない」「知らない」「縁が無い」のです。
いくら必要でも波長が違うので、神示の存在と彼らとが無縁になってしまっている。




二つ目の考え方は、多分こちらの方が実情に近いと思いますが
この方は自分流の正や善を押し売りしたのでは無いと思います。
村に溶け込もうと一生懸命やったのですが
村人達は裏側の世界に住んでいるので
この方が言うことやることを全て「裏返し」に受け取り、強いて(無意識でも)誤解し
軽蔑して攻撃していたのでしょう。

そういう人は日本中にいますよ。
わざわざ誤解してまで相手を軽蔑する類(たぐい)の人です。
私も体験しました。
あまりのバカさに笑いました。
この方が住んでいたのは
偶々(たまたま)島だったので地縁血縁が濃かったわけで
日本の多くの人が陥っているレベル(だから
裏側のことよ)の典型的な姿だったわけです。



この方は9年間もヒドい体験をしたわけですが、良いこともある。
それは「定年になったらご主人の生まれ故郷に家を買ってそこに住むのが夢」という
夢を抱かずに済むからです。
この体験が無ければそう思っていたかもしれません。

もしこの体験が無くて、「定年後に島に住む」ことを実行していたら
もう家は売れない時代になったし、引っ越すことも難しくなったはずです。
また島に引っ越す前には親戚付き合いなども
熱心に真面目にやっていたかもしれませんが、
それは無駄ですよね?
島の真相を知らなければ「良かれ」と思ってやっていたことでしょう。
それは金銭と労力と時間の無駄使いであります。
だから先に島に住んだことは正解だったのです。



<裏側の世界1(裏側の世界とは)>(2011年11月3日)
(訂正有り)
※裏返しの世界より「裏側の世界」の方がピッタリ来ると思うので
   「裏側の世界」としました。
   そして「裏側の世界」に住んでいる人を「裏返しの人」とします。



下の方の記事で「反対の世界」と書きましたが「裏側の世界」のことです。
○○に反対する・・・世界では無くて「逆ですよ」「裏返ってますよ」という世界のこと。
これだけでは何のことか分からないと思うので説明しますね。




見たところやはり光の世界と闇の世界は、この世にあるようです。
光を正の世界とすれば闇は逆の世界です。
光の世界で「正」「善」と認識されているものが
闇の世界では「不正」「悪」となっているので
闇の世界のことを私は「裏返しの世界」と名づけました。




下の方の記事にも書きましたが、光の世界で「善」とされることがあります。
それは「親切」「思いやり」などですが、
これが「闇の世界」「裏側の世界」に住んでいる人にとっては
「悪」になるのです。




友人のAさんの体験談です。
Aさんの子供時代からの親友が病気になってしまいました。
その人は大変頭が良くて一流企業に就職して順風満帆だったのですが
不況のせいで数年前にリストラされてしまいました。
今まで人並み以上に努力をして来たのに
それが報われなくなってしまった。
この人は大変な努力家なので、今までは努力したらその分報われて来たので
自分がリストラされたことに大変ショックを受けてしまった。
そしてウツになり身体も病気になりとうとう倒れてしまったのです。


この親友の人は人生の中でやるべきだったことがあります。
それは「何も分からないでただ努力をすれば良いというものではない」
「物事を分かって行くことも必要だ」ということを分かること、です。
つまり「当たり前のことを分かれ」ということ。
大抵の人にはこれが出来ません。
子供時代には親や教師から「そうしろ」と言われるかもしれないが
親や教師も、この理屈を分かっている人は少ない。
つまり人生の生きかたを教えてくれる人が居ない。

教えてくれる人は少ないのだからそれは誰にでも言えることでその点は平等です。
だから「周囲に教えてくれる人が居なかった」というのは言い訳に過ぎない。
自分が求めれば必ず答えは来るもので
その人はガムシャラに仕事をするのではなく
「生きる方法」を探すべきでした。


Aさんは親友のために毎週県外の病院までお見舞いに通っています。
親友はもう身体が動かせません。
Aさんは親友の手を握り「苦労したなぁ」と声を掛けたら
その親友は涙を流したそうです。
言葉を出すことも出来なくなりただ横たわるしか無い親友を見て
Aさんも泣きました。




実は親友がこのようなことになる前に、Aさんは親友と会っています。
親友がリストラされてウツになった時、励ますために会ったそうです。
Aさんはとても明るいので、親友はAさんが居る間は自分も楽しくなって笑っていたそうですが
Aさんが帰ると「以前より落ち込んでしまった」そうです。
(奥さん談)
Aさんは自分がしたことが逆効果になっていたことを知って
ガッカリしています。



さて、私が言いたいことはここからです。
親友の人はAさんの明るさに釣られて、Aさんが居る間は楽しくなっていたが
Aさんが帰ると、「Aさんの明るさが落ち込む原因」となっていた。
つまり親友の人は「裏側の世界」に生きていたことになる。

このようにいくら思いやっても親切にしても
それを受け取る側の人が「裏側の世界」に住んでいればこのような結果になる。
Aさんが明るければ明るいほど、それを見た人が裏側の世界に住んでいたなら
Aさんの明るさをそのまま闇に転換したほどの真っ暗な意識(世界)になってしまうのです。



もし、Aさんと会話したのが正の世界、光の側に住んでいる人ならどうなるでしょう?
Aさんの明るさに引き上げられて、自分はもっと明るく楽しくなるのです。

○光の側(正の世界)に住んでいる人には光はプラスに働く
●闇の側(裏側の世界)に住んでいる人には光はマイナスに働く


と、私は思っています。
今までの人間観察から導き出した答えです。




今から10〜20年ほど前の事件。
或る処に
○とても成功した男性
●失業した男性
とがいました。
この二人は同級生で仲が良かったので
成功した男性が失業した男性を自分の会社に雇ってくれました。
そして数年経ってから、失業男性は成功男性を殺しました・・・
同級生は社長が何気なく言った一言や行動を
全て自分の感受性、、、、つまり裏返しに受け取っていたのです。



よく、こういうコトを言う人がいます。
「相手に分かるように言葉を選べ」とか
「相手の気持ちになれ」とか
「相手を刺激しないよう、気を使え」とか。
それは事実です。
しかし本当なら
闇の側にいる方が光の住人の言葉や行動を理解しなくてはならない。
それが出来ないから闇に居るのですが・・・



光の側の人がいくら言葉を選ぼうと、
それを受け取る闇の側の人は、言葉を「裏返し」でしか
感受しない、受け取らないですね。
良くしてあげればあげるほど、闇の側の人は相手に感謝するどころか
(頭では、理屈では「感謝するべき」と分かっていても)
感情が波立ち、自分の惨めさが余計強調されてしまい
(これらは相手がやるのではなく、全て闇の側の人がやっています)
心は穏やかでは居られず、それが嵩じて相手を憎み、恨むようになります。




光の側の人はそのまま単純に光の中に居るので余計なエネルギーを使わないで済みますから
大抵明るく元気で健康です。
しかし闇の側の人は入って来る光を逆転させ、闇として感受し直しているので
余計なエネルギーを使うわけだから、常に疲れているのではないか。
その状態を
「憑かれている」と呼ぶのではないか、などと考えてみました。
当たらずとも遠からずではないかと思います。




では何故わざわざそんな楽しくない世界、裏側の世界に住んでいるのでしょう?
当人の「我」がそれをさせていますね。



<パラレルワールド1・・・反対の世界>(2011年10月23日〜24日)


これから書くことは私が勝手に考えているだけで何の根拠もありません。

世のなかには親切をしてもそれを親切と思わないばかりか
「自分に対する攻撃」と受け取る人が存在します。
何でかなぁ・・・と考えて来ましたが、結論は
「心が住む世界がちがうから」と出ました。

下の図はAさん、Bさん、Cさんが住んでいる心の世界の図です。
(※意識の焦点が合っているのを●、合って無いのを○としました)

高波動−−−−−−−−−−−−明
       ●   ○   ○
    −−−−−−−−−−−−
       ○   ○   ○
    
−−−−−−−−−−−−
中くらい  ○   ○   ●
    −−−−−−−−
−−−−
       ○   ○   ○
    −−−−−−−−−−−−
       ○   ●   ○
低波動−−−−−−−−−−−−暗
       A    B   C
       さ    さ   さ
       ん    ん
  ん

高波動のAさんが示す思いやりや親切心は低波動のBさんには通じず、
それだけなら良いがBさんには「意地悪」「皮肉」などという
マイナスなイメージに変換されてしまうことがよくあります。



これが不思議でならなかったのですが
光の世界に住んでいる人の「思いやり」は
闇の世界に住んでいる人から見たら
それは思いやりではなく、自分にとっては苦痛である。
「敵対している」と感じるのです。

ここに「逆転」が起きているとしか言いようがない。

Aさんの思いやりはかろうじて波動中くらいのCさんには通じる。
或いは通じなくても言語による説得で頭で理解することは出来る。

AさんがBさんに親切や思いやりを発揮したい場合は
自分の親切や思いやりを発揮しては通じないので
Bさんが考える親切や思いやりを発揮しなくてはなりません。
Aさんが自分の波動のままの親切と思いやりを発揮すれば
Bさんにとってそれは光そのものなので
苦しく、そのような苦痛を与えるAさんを恨み呪います。


光の世界の住人と闇の世界の住人とでは
受け取り方が正反対になる、というのが私が感じた”事実”です。




Kさんから体験談が来ました。

<パラレルワールド1・・・反対の世界>(2011年10月23日)を読んで
思い出したことがあります。

数年前、某所で四日間のバイトをしました。あるイベントに関する
資料を郵送するために資料を封筒に封入するというものです。

二人一組で作業することになりました。
封筒に入れる資料を組み合わせて1セットずつ組にする人、
それを封筒に入れて封をする人です。全員で六人なので三組できました。



二日目、ある人が風邪を引いたようでマスクをしてきました。
時々かなり酷い咳をしていました。その人は30代前半くらい、その人と組んで
封筒に封をしていたのは、40代中頃の方でした。

40代の人は30代の人が咳をし始めたら手を止めて心配そうにその人を
じーーーーっとずっと見てるんです。そして、咳をしている最中に何度も
「大丈夫? ね、大丈夫? 大丈夫なの?」と聞いているのです。
(咳してる最中に話しかけられて答えられるかって!)

咳が止まったら深刻な顔で、
「大丈夫? 本当に酷い咳ねぇ。心配だわぁ」と話しかけます。
その度に30代の人はマスクをはずして
「大丈夫です。ありがとうございます。手を止めてすみません」と
答えていました。

その日は午前中、何度もそのパターンを二人で繰り返していました。



何度目かの咳の後、30代の方が
「咳をしてる間、話しかけられても答えられないので…。大丈夫です。
心配してくださらなくてもほっといてくださって平気ですから…
と遠慮がちに40代の方に言っていました。
そしたら40代の方は突然30代の方を睨みつけて怒鳴りました。
「そんなこと言ったって心配じゃないのっ!」

そして、急に笑顔になって
「ね、大丈夫? 本当に大丈夫なのぉ〜?」と…。

なんかその表情が怖かったですw

咳をしていた人は、咳が止まったらスピードを上げて仕事にとりかかるので
結局は他の組の人と同じペースで仕事をこなしていました。
でも、組んでいる40代の人はスピードをあげることなくずっと同じペースなので、
その組は封をしていない封筒がどんどんたまっていってしまう、という
状態でした。結局、早いペースの組がその組の分を手伝う形になっていました。

咳をしていた人は非常に恐縮していましたが、40代の人は
「助け合い、助け合い」と言って笑っていました。



午後から私は40代の人と席を交代してもらいました。
私が咳をしていた人と組んだのです。その人が咳をしたら私はその間、
二人分の作業をフルスピードをこなしました。私は小さい時喘息の気がありました
から咳の辛さはよく判ります。
「気にしないでね。まかせとけ!」
と言っておきました。なので、咳をしていた人が咳が収まったときも
他の組と同じだけできている状態でした。

それを見ていた40代の方は
「ちょっと、○○さん、あなた、冷たいわね、□□さん、咳して辛そうなのに!」
と大声でおっしゃりましたw

仕事が終わって咳をしていた人には大感謝されました。

思いやりと親切心って本当に人それぞれなんですね。




その40代の人には咳をしていた人を
Kさんが思いやっている姿が見えなかったんですね。
Kさんの思いやりは咳をしている人にとっては、
最適な思いやりでしたが。

40代の人には「自分と同じように、相手を思いやる方法」しか
見えないし想像出来ないし、認められない。

傍から見たらKさんの思いやりの方がこの場合は適しているのですが
40代の人から見たら「とんでも無く思いやりの無い仕打ちと映る」のでした。
このように
同じものを見ても同じ設定でも反応が光と闇の正反対になります
そして光の人が闇の人を見ると
(あ〜〜〜あ、しょうがないな。分からないんだな)と思うだけですが
闇の人は光の人を見ると感情的になり、いきり立ち攻撃します。

正反対でしょ?
Kさん、参考になる話をありがとう御座いました。




Wさんからも感想が来ました。

今日800で拝見しました 「パラレルワールド1・・・反対の世界」とても
良く理解出来ました。自分を客観視出来る様に少し成長出来ました

やはり分かる人はいますね。


<チャネラーAさんとの会話(トンデモ話とパラレルワールドの話)>

(2011年10月7日〜10月14日)
記事を差し替えた箇所があります/記事を追加した箇所が幾つかあります

Aさんがウチヘ来た


チャネラーのAさんが我が家に遊びに来て、数日泊まりました。
山の中腹と頂上付近の神社にお参りするよう、1〜2ヶ月前から
後ろの人
(未来のAさん、Aさんのハイヤーセルフ)に言われていた(思念が来ていた)のですが
Aさんはそれが億劫というか、面倒というか、考えただけで疲れるのでその声を無視していました。
するとAさんの環境がどんどん厳しくなりました。
具体的に言うと家族がAさんを監視する度合いが強くなったり
善意からの干渉が増えたり、しかもそういうことをする人は
話が通じないのでAさんはストレスが溜まる一方。
とうとう、家族と大喧嘩して家を出て来た。

そして我が家に来ることになった。
Aさんがなかなか動かないので後ろの存在が強制的に動かしたようです。


放射能


二日目、この日は10月4日で旧暦9月8日で
これは日月神が言うところの
「九月八日は良き日と知らしてあろうがな」の日ですね。
まさおのブログによれば
http://masao2010.blog111.fc2.com/blog-entry-47.html

今日のお知らせは、日月神示について一言です。それは9月8日について、
    
 「旧暦の9月8日までに何もかも用意しておけ」
 この言葉は何度も、何度も出てきます。しかし、2011年の事ではないかも、
 知れませんが、子の年真ん中に10年、子の年は2008年ですから、今年から来年にかけて、
 すべての用意を終わらせる様にしなさい。と言うことです。


ということです。
他にも沢山の人が旧暦九月八日について書いているので調べてみてね♪

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この日の朝一番で山の中腹にある神社と頂上付近にある神社に行きました。
福島第一原発事故の放射性物質が飛散した折には
この山と大きな川を隔てた県の東側にある山とが
その物質をさらに西側へ行くのを防ぐカタチで自分(山)が被ってくれたのです。
このことを知った時、私と友人の男性とで
「山が守ってくれましたね」と会話したものです。
ところがこれをしたために、我が県の山の方は
山紫水明、素晴らしい自然が放射能で汚染されてしまった。
大変残念です。

チャネラーAさんにその話をしたところ、
放射能は金で防げる(無力化、中和できる)と言うのです。
その方法は
地球の赤道を調整すること(だそうだが、よく分からなくてスマン)
Aさんはそれをしたそうです。
だから放射能は大丈夫なんだそうです。


この山の上にある神社には龍神が居て(本当に龍神を祀っています)
以前は水龍なので青かったが、或る時からパワーアップして銀龍になったそうです。


神社へ


ここ数日間こちらは天気が不順で最近まで雨だったり曇りだったりしたのですが
Aさんと神社へ行く日は朝から雲ひとつ無い良い天気で素晴らしい秋晴れとなりました。

Aさんは後ろの人
(未来の自分、ハイヤーセルフ)からこの神社にお参りするよう
言われていたので、朝から緊張していました。
神社にお参りして祈るだけなのですが。
私は運転手なので気楽なもんです。

中腹の神社は朝一番だったので他の参拝客が誰も居なくて
清清しく、Aさんはとても気に入ってました。

で、そこの参拝は無事終わりましたが問題は頂上付近の神社の方。
そこに行くにはたった3キロですが、凄い急坂の上カーブがキツい道を登らなくてはならない。
私は坂道が怖いので、行く前は
「悪いけど上の神社は行けないよ、急坂が怖いから」と、言ってました。
中腹の神社を去る時、毘沙門天の像に挨拶しました。
するとAさんが
「毘沙門天は私達の生まれ歳の守護神よ」と言うのです。

へえええ!

知らなかった。

では、この強そうな毘沙門天様に旅の無事(運転の無事、無事故)をお願いしよう、と
お願いをしました。

そして
「やはりここまで来たからには上の神社まで行こう」

上の神社=龍神さま


毘沙門天が守護してくださると(勝手に)思ったのでT字路の

←来た道を帰る、下り坂

  上の神社へ行く、登り坂→

の標識のところまで来た時(仕方ないので)→方向を選びました。
(※実はこういう時に運命を選択しているのです。
   右へ行けば右の運命、つまり神社へ行った運命が展開し
   左へ行けば左の運命、つまり神社へ行かなかった運命が展開する)


が、道が超怖かったです・・・

途中何箇所も工事しているし、対向車線には大型バスが何台も連なって来るし死ぬかと思った・・・
たった3キロなのに・・・
無事に上の神社に到着しました。
この神社は龍神を祀っています。
下は神様の名前です。

おかみ神社

そこで
Aさんはなにやら祈っていました

このお参りは中腹の神社へのお参りよりもずっと重要でした。

(※後で知ったのですがこの日に九州の玄海原発が自動停止したそうです)
   

佐賀県にある九州電力玄海原子力発電所の運転中の4号機で、
復水器と呼ばれる設備でトラブルがあり、原子炉が自動停止しました。
このトラブルで、周辺で放射線を測定している
モニタリングポストに変化はないということです。

4日午後1時40分ごろ、佐賀県にある玄海原発の運転中の4号機で、
復水器と呼ばれる設備に異常があったことを知らせる信号が出て、
原子炉が自動停止しました。
復水器はタービンを回した蒸気を水に戻す設備で、
ふだんは真空に近い状態ですが、内部の圧力が通常より上がって、
真空が保てないことを示す信号が出たということです。
現場周辺ではバルブの修理が行われていたということで、
九州電力が原因を調べています。
このトラブルでけが人はなく、
周辺で放射線を測定しているモニタリングポストに
変化はないということです。
玄海原発4号機の停止で、全国の原発54基のうち、
8割以上に当たる44基が停止していることになります。


Aさんは翌日、この日にこの事件があったことを知って新聞記事を探していました。
原発や環境問題に関しては興味があり、
各地の原発のことを気にしていたのです。
昨日Aさんは龍神様に何かをお願いしていたようですが
それも環境や、地球と人の波動が上がるようにと祈っていたのかもしれません。
ひょっとしたらAさんが祈ったことによって何かが変わったのかもしれません。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

その後、帰路につきました。
帰り道の途中から私達の車の前をパトカーが走り
そのまま10キロくらい一緒に走ったのです。
まるでパトカーが先導してくれているようで、私が
「私達はVIPかい?」と言いました。

毘沙門天が差し向けたのではないかと、私は勝手に思っています。
(おまえ達の旅はしかと守護したぞ)と証拠を見せてくれたような気がします。
Aさんは笑っていましたが、いや、マジでそう思う。
だってこの世はマトリックス
(仮想現実、ゲームの世界)だから
上の存在なら何かを差し向けることは出来るんです。


波動のこと


Aさんが言うには今年の8月27日に、こういうことがあったそうです。

人間は波動によって上へ行く人と下へ行く人の二種類います。

本当はもっと複雑なのですが図にするのが大変なので凄く簡単に説明しますね。
(実はこの緑色の半円は地球です。
  なので本当は半円ではなく、それぞれの半円は完全な円なのですがそれはここでは描いていません。
  今地球がこのように二種類になっているということ、つまりそれぞれの波動の人達がそれぞれの地球に居る。
  説明が難しいので今はコレで我慢してちょうだい)


波動1 8月27日の前まで
人類の波動は上方向に行く人と
下方向に行く人との
二種類に分かれていた


左が下方向へ行く人の魂、波動
右が上方向に行く人の魂、波動


この期間(今年の311から?)は
闇が凄かったらしい
波動2 その後
上の方に居た人が下がり(ディセンション)
下の方の人達は地球と宇宙の努力によって
一時的に上昇したため両者は一致した

この時波動の底上げが為された
低い方の波動を地球が押し上げたので
低い方が上昇できた

これが今年の8月27日で
この状態は2週間ほど続いたようだ
(※私にメールの不思議なことが起きたのは
   この期間です。
   9月9日、10日だったので
   この期間が終了する最後の日辺り)
波動3 ところがやはり
本来持っている波動によって
上を目指す人は上へ、
下を目指す人は下に引っ張られ
両者は分かれてしまう

これは8月27日から2週間ほど
経ってから始まった
波動4 そして人類は波動によって
どんどん分かれて来ている

Aさんが言うには
今(10月4日)はこのような状態だそうだ

しかしまだ少ないとはいえ
一致している部分があり
下の方を目指していた人も
心を変えれば
まだ右へ行く余地が残されている


波動5 この状態になるのはいつかな
2012年の冬至の頃ですかね
その日にはこの状態になるのかな


波動6 2012年12月の冬至近辺の後
こうなるだろう、ということです

お彼岸の変化


今年のお彼岸、9月23日。
その時に或るチャネラーが「波動が変わった」と記事を書いていたので
私はそれを引用、掲載しました。
それをAさんはずっとパソコンの不調で見られなかった。

うちへ来てその記事を見たAさんが
「これは何?」と訊くので
「ああ、それはhttp://blogs.dion.ne.jp/megumin/から引用したんだよ」と答えた。


23日からの変化

明日秋分の日よりまた大きく変化していきます。

エネルギーは更に増し統合へと向かいます。

統合へと向かうということは、より二極化が顕著になり崩壊現象が始まります。


来月より経済に於いても大きな分岐点となるでしょう。
(つまり10月から、ということ)

今回はリーマンショックどころではないと思われます。

来月はまだ序章にしか過ぎませんが、
今後来年に向けてあらゆる方がい現象
(崩壊?)が折り重なるように現れてきます。

一応今月後半も要注意です。

23日以降の変化は、大きな変化を誘発する可能性もあります。


昨日の台風に於いても、都市の災害への甘さが顕著に現れています。

いとも簡単に電車が停まり、停電し、すべての機能が麻痺します。

幾度となく警告を出しているのですが、ほとんどの方が気づいておらず、
既に都市部は相当危険な状態と言えます。


名古屋といい、東京都いい、大都市の災害に対する機能不全とも言える状況は、
予告だと考えるほうが良いと思います。

みんなが言われるよう既に沿岸部は相当危険な状態です。


何が起きるかではなく、地球そのものがそういう選択をしている以上、誰にも止めることは出来ません。

遅かれ早かれ、大きな動きがあると思います。

心のメッセージを信頼し、何か不安を感じるようであれば、すぐに行動に移してください。

光に繋がっている人々は、そのメッセージを受け取ることが出来ます。

何一つ心配することはなく、心の声に従っていれば最善の道が開かれます。


自然災害・金融危機、どちらが先に来るかはわかりませんが、
どちらも緊迫した状況には変わりありません。

(引用終わり)

Aさんが上の文章を引用した800の「奇跡の日々」の記事を読んだ時
「実は私、お彼岸の日にこの世を彷徨っていた霊を上に上げるよう、お願いした」と言うんです。
後ろの存在から
「やれ」と言われたそうで。
上のブログの記事を書いた人は
「明日23日にまた大きく変化」
前日に書いているので、これを予知していたのかもしれませんね。
つまりAさんが彷徨っている霊が浄化されるよう、上の方にお願いした。
そういう霊は地球の重さの原因となっているので。
(何度聞いてもよく分からないや)

霊能者、チャネラーは当然のことながら「自分が分かっていることしか分からない」のです。
それは普通の人間が
「自分が分かっていることしか分からない」のと同様。
だから一人のチャネラー、霊能者が全てを分かることは無く
それぞれが或る次元、或る階層を分かるとか、部分的に分かっているだけなのです。
それで良いと思いますよ、人間だから。

だから様々な説や意見の相違が有ろうと、それはそのチャネラーが感受した世界でのことなので
別に矛盾は無いし、Aさんが見たものとBさんが見たものとは違って見えるんだな・・・と
受け取れば良い。


私の意見


@まず、これだけ世のなかにアセンション情報が溢れていても
必ず有るとはまだ信じていませんが
「アセンションは有る」という前提で話します。


Aさんの家族は精神世界のことには全く興味も理解も無い。
うちでは主人は精神世界のことには全く興味も理解もありません。
変な宗教団体と精神世界の区別もつかない。
だから私は放置しています。

Aアセンションが有るとしたら(今はその最中ですが)
ウチの旦那もアセンションしたらいいな、と以前は思っていましたが
アセンションしたくない人はしない方が幸せなので、魂がそれを選んでいるのだから
それでいいのだ、とようやく腹の底から理解できました。
別に見捨てるのではなくて、それぞれの幸せはそれぞれが決めるので、それでいいのです。


Bそれからチャネラーの腕は才能の分野です。
チャネリングという才能があるだけであって、それは
「竹馬が得意」「料理が得意」「算数が得意」「スポーツが得意」
というのと何ら変わり無い。

ですよね?
でも、多くのチャネラー霊能者がここらへんを何か勘違いをしているようです。
「霊能者もチャネラーもまず、通常能力を身につけないとダメだよ」
とAさんに言いました。

Aさんは謙虚で素直なので私がこういう話をすると
神妙にうんうんと頷いていますからこういう人なら安心です。


津波犠牲者の霊1


311の大震災の時の津波の被害者が3万人も出ました。
いたましいですね。

で、Aさんが住んでいる県で様々な宗教の人達が集まって
津波の犠牲者のために祈りました。
震災の翌月のことです。
Aさんはそういうことはしないで〜と思ったが予定通り行われました。
するとその慰霊祭で救われた霊は全体の何割かだったそうです。
(4割救われたのか、4割が救われなかったのか、聞いたのですが忘れました。
  Aさんと今はメールの送受信が出来ないので確認出来ません)


すると案の定、慰霊祭の後で上へ昇れなかった大勢の霊が
Aさんの部屋へやって来たそうです。
Aさんは周りを沢山の霊に囲まれてしまい、
まとめて上へ上げたそうです。

両手を何かを救うカタチにして上へ上げ、
自分の上の存在などに
「どうか上げてください」と頼んだ。
1万人近く(以上)の霊が来たそうで、
Aさんは泣きながらぞれをやり続けたそうです。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

そんなことは私は知らなかったが、
あちこちのブログなどで「大震災の霊は皆天へ上がって行った」と書いてあった。
被災地には霊は誰も居ない、ということでした。

私の友人のMさんの友人にも霊能者が居て何度か現地へ行って確かめたのですが
彷徨っている霊は一人も居なかったそうです。
(これは震災の直後のことだと思います。
  3月中です。
  Aさんが霊を浄化したのは4月になってからなので
  時期がズレていますから、これはどういうことなのでしょうね? 
  もうちょっと時間を調べる必要がありますね)

津波犠牲者の霊2

Aさんが言うには津波の犠牲者は良い人ばかりなんだそうです。
そのほかの人は・・・
書かないでおきます。

10パラレルワールドに行き易い場所


Aさんは若い頃、身体も環境も不調で参っていた時期がありました。
(Aさんは生まれた時の記憶があります。
  子供の頃から霊やエネルギーが見えていました。
  それが嫌なのでその力を封印していたら、だんだん運勢が悪化した)

Aさんの兄弟が霊能者を紹介してくれた。
その霊能者はAさんにいろいろアドバイスをしてくれました。
人がボンヤリと無意識に行動していると、パラレルワールドへ行ってしまうことがある。


←←←←
■■■■↑
■■■■↑
■■■■↑


この図のように「曲がった先に何があるか分からないような曲がり角を曲がる時」
違う世界へ行き易い。
また

  ↑
  ■
  ↑

エレベーターのように「閉じられた箱のようなものが移動する場合」
違う世界へ行き易い。


11繋がらなかった電話


実はAさんは私の家に来る前に、ここのところ家族に対する不満が溜まり
元々身体も弱いこともあり、さらに家族と喧嘩をして落ち込んだら
波動が極端に低くなってしまった。

以前から後ろの存在に「○○山の神社へ行け」と言われていたので
(言われるというか、胸にその考えが浮ぶのだそうです)
家族と喧嘩したことだし、では今日、突然だけど○○山へ行こう、と思い立って
私が住んでいる町の駅まで来ました。
携帯電話が壊れてしまったので公衆電話を探して私に電話するのですが
何度かけても繋がらない。

その時は波動が極端に落ち込んでしまったようです。
何度掛けても繋がらないので余計焦り、ますます落ち込み
波動が下がっていた・・・と、Aさんは気付いた。
それで自分に言い聞かせました。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

電話が通じないのは今の自分の波動が低下しているからだ、と分かったのです。
それで迷った時は「最初の地点に戻る」のが良いと思ったのでそうしました。

そしてその駅に到着した時と同じことを最初からやり直してから電話したら
今度は電話が通じました。
それで予定を大幅に遅れて我が家へやって来たのです。


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Aさんの低い自分が選ぶ世界(未来)は低いものになってしまっていた。
だから69さんに電話が通じなかったのだ、と言います。
だから69の波動になるまで自分で心を高くする、と心の底から決心したから
電話が通じるようになった、と言ってます。

私の波動は高くないが極端に低くもならない。
何故ならパニックにならないからです。
物事を理詰めで考えるので大抵の女よりは冷静沈着で波動が安定している。

でも、多くの女性はAさんもそうですが、嫌なことがあると波動が堕ちる。
それなら分かるが本当は嫌なことなど起きて無いのに
それを「嫌だ」「敵対している」「悪波動を送られている」と誤解してしまう。
(あ、男性もそうですがね)
ここでひと考えできれば、そのような邪推や不安、心配は無くなるのに
そうでは無いからパニックになる。

なのでAさんに
「理詰めで考えるよう」忠告しておきました。
Aさんは素直なので聞いていました。
まぁ身体の具合が悪ければ、人の精神は落ち込むので仕方ない面もありますがね。


と、いうわけで。
波動が違うと電話も繋がらなくなるのだ、という話。
これからはますますそういうことが起こると思われるので書いておきました。

いくら性格が良くてもそれだけではダメです。
物事を理詰めで考える癖をつけておかないと
ちょっとしたことでパニックになり、その結果波動を落としますからね。


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ところで波動が違うせいか電話で会話することが困難になっている例はあります。
メールのやり取りは普通に出来ますが、電話がダメなのです。
Aさんは今回の件を考えてみました。
やはり電話は声なのでメールよりもより、その人の波動を表しているからではないかと
言っています。

そのうちメールのやり取りも困難になってしまうかもしれませんね。
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(2011年10月11日)

naoさんからメールが来ました。

私にも経験があります。
長ったらしいので、ブログで書いてみました。
よかったら見てみてください。
 
http://laugh444.blog104.fc2.com/blog-entry-133.html
 
nao

12パラレルワールドとアセンション(2011年10月7日)


パラレルワールドは無数に有る。
そのどの世界にも自分がいます。
中には「その世界では自分は死んでしまっている」かもしれませんが。
その無数の世界の中の一つに「今、自分の意識がある」のです。


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以前、こんな記事を読みました。
若い男性が書いているブログに
「この世界には意識が有るが心の無い人間が居て、
 意識も心もある人間はとても少ない。
 数%くらいだと思う。
 意識だけが有り、心が無い人間というのはまるでロボットのようだ。
 この世界は意識も心も有るたった数%の人間のためだけにある」

これ、実は当たっていると思います。
意識と心の定義が私とは違うので、そこらへんを考えまがら読んでください。



つまり、今、私達がいるこの世界の多くの人は
「ただ居るだけ」なのです。
その人達の意識(男性が言うところの心のこと)は他のパラレルワールドに存在している。
その人達が今、この世界に居るのは
その人達の写しが居るのです。




反対にその人達の世界にも私達は居ます。
でも、その世界の私達は、こちらに居る
(意識がこの世界に合っている)私達ではなく、
私達の写し、です。
だからきっとその世界に意識が合っている人から見たら
私達は
「心が無い人間」として映っていることでしょう。
お互い様です。
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これからパラレルワールドに分かれて行く、といろんなチャネラーなどが言ってますが
実は既に分かれている。
しかし、今なら「どの世界を選ぶのも自由」です。
堕ちるのも自由、上がるのも自由です。
(とは言っても心は簡単には変えられないので原則不自由です)

ところがこれから時間が進み、或る時点まで来たら
それからは他の世界への移動が出来なくなる。
それがアセンションだと思います。
本当は毎日アセンションしているわけです。
でも、その日になればアセンション
(パラレルワールドを選択すること)は完了してしまい
パラレルワールド間を移動できなくなるので、
その日を一応「アセンションの日」と決めているのではないか、と思います。

アセンションが始まる日ではなく、自分の居場所を決める最終期限がその日である、ということ。
(さらに言えばアセンションの日の後もどんどんアセンションしていくのですが
  それは自分の意識が存在している世界の中でのことでしょう。
  これは私の意見ですが)


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勿論その日(アセンションがあると言われている日)まで何も無い、ということはありません。
日々地球が波動を上げていく中で
そこに載っている私達は地球の波動上昇に合わせて上がらないとならない。
(動植物や赤ちゃんには出来る)

しかし節目の日というのがあり、「この日までに或る程度の波動を獲得しておかないと
そこで振り分けられてしまい、上がれなくなる」らしい。
(小松英星氏が提唱しています)
(通常は上がれなくなるだろうが、それは原則だと思う。
  奇跡は起きる)


だからその日までに「自分が居るパラレルワールド」を
より良いものにしておかないと・・・
それが一般的に言われている「アセンション」ではないだろうか。
つまり「地上天国」に行きたいなら
「既に今有る地上天国に自分の意識を合わせること」です。
(それはただ思えば良いというものではないだろう。
  その境地に達して無いとならない)
(もっと説明すると、「優しい」という言葉があります。
  だから人は優しくなるのが良いとおもう。
  しかしその優しさにはレベル、境地の違いがあるのです。
  私が知っている例では、全く優しくないのに自分では自分を「優しい」と言っている人が
  何人か居ました。
  そんなモンです。
  言葉と実質とはこのように乖離しているものです。
  口や頭で優しいのが大事と言っても、それと、自分が優しいこととは別物ですよ、ということです)

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人が考える天国は実に様々です。
今まで通りの世界が天国なら、その人は今まで通りの世界にこれからも住むことになる。
そういうパラレルワールドに住んでいる。

今まで通りの世界が嫌なら自分が考える天国を自分の心に作らないとならない。
或いは自分の境地をその天国にまで上げないとなりません。
既に天国的なパラレルワールドが有る、と言っても
それがどのようなものかを知らず、ぼんやりと過ごしていたら不味いのでは?
毎日を明るく楽しく生き生きと暮らさない限り、
心が暗いのに口では「天国」とか「アセンション」とか言っていても
そういう人が逝く世界は「心」の有りようの世界です。

(つまり傍から見たら地獄としか言いようがない世界ね)



暗い人に明るくなれ、と言ったり、明るくなるよう注意したら途端に
地獄の苦しみを味わうようだ。
そういう人達は明るい=地獄、なのです。
暗いのが天国の人が居るのだから、それを無理やり引っ張って来てはいけない。
日月神が
「引っ張って来るなよ」みたいなことを言ってますが
それを拡大解釈すれば、そうなります。


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まぁ、この話を始めるとどんどん長くなるのでここらへんで止めておきますが
要するに、無数の世界(パラレルワールド)が存在している。
人は意識によってそのどれか一つに住んでいる。
同じような意識の人は今この世界には数%くらいしか居ないだろう。

Aさんは今から25年ほど前にあまりにも世の中がおかしく
人心が汚れているのを知って嘆き、
上の(後ろの)存在に尋ねたそうです。
「今、この地球に心のきれいな人(と言ったのか、マトモな人と言ったのか、分からないが)
 はどのくらい居るのですか?」
するとすぐ答えがやって来て
「0.8%だ」
あまりにも少ないのでAさんは愕然としたそうです。

今はその当時よりは数値は上がっているそうです。
多分、ブログ主の男性が書いている通り数%にはなっているのではないか。


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25年の間に情報が増え、インターネット人口も増えたのは
その数値を上げるためだったのだと思います。
その使命を果たした方が世界中から惜しまれて
10月6日、天使の日、日月神が「よき日」として知らせ
「この日までにやることはやれ」と警告した日である10月4日の二日後に
やるべきことをやり尽くし人類を救い使命を果たしたその人は天へ帰って行きました。

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さて、いろいろ書きましたが要するに人は自分の波動に相応しい世界へ行く、というだけの話でした。
今まではどの世界でも瞬時に選べたが、これからは固定されてしまいますよ、という話。
単純な話です。

アセンション後はそれぞれ、自分が居るその世界で進化していくわけです。
パラレルワールドは無数に有ります。
ここらへんも日月神示には書いてあります。
「今度は魚屋は魚屋、八百屋は八百屋と、とこ永遠(とわ)に決まる」と。
どの世界を選んでもそこは「天国」ですから、それで良いのです。
暗い人に「それではいけないから」と説得して(引っ張って来て)
明るい世界に居させようとしたら、それはその人にとっては地獄ですから
やってはいけない。

言語で説得できるようなものならとうの昔にその人は境地が変っているはずなのです。
それが出来て無いということは「今、その人がいる世界こそが天国だから」です。


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アセンションは全員する、のです。
それぞれの世界で。
(その世界の中には巨大隕石=彗星が衝突して終了、という未来もあります)

13意識とパラレルワールド


10「パラレルワールドに行き易い場所」の続き。

人が無意識で行動していると違う世界へ行き易いと書きましたが
その時の意識が大切です。
無意識なのに意識とはこれ如何に。
無意識に低波動を出している場合があります。
自分では意識化出来ないが、その意識が低い場合です。
そうするとその意識と同等のほかの世界へ行ってしまう場合がある・・・とのことです。

というか、低い意識で生きていると、周囲の状況の中から
その時の自分の意識と同等のモノと響きあうのだから
やって来る事象は低いものとなるし、
自分の意識が向かう対象も同じく低いのです。

例を挙げると「自分の意識が低下している時は自分の意識を超えている人に
電話が通じなくなる」ということです。
これは「
お互いの、心が住んでいる世界(パラレルワールド)が違うために
通信が不可能になる」
のでしょう。
こいうことを書いているサイトはあまり無いと思うが、
起きた現象を理詰めで考えるとそうとしか言えない。


−−−−−−−−−−−−−−−−−

自分の意識は「上げよう」と思って上げられるなら簡単で良いが
そうはいきません。
自分の意識は自分の想念が作っています。
その想念を簡単に変えられますか?
心で何を思うのも自由ですが、実は何を思おうと思っても思えないのです。
心とはとても不自由なものです。

一朝一夕に心を変えられません。
毎日の思い、毎時間毎分の思いが大事です。

心は何でも思えるがすぐさま変らないので
(とても自由でとても不自由
「心を変えたい」「良いことのみを思いたい」とAさんのように決心しなくてはならない。
普段が大事です。
これは日本ではよく言われる言葉ですが、昔の日本人は本当に賢かったのです。
今のスピリチュアルな思想は要らないほどです。

今から心を決めましょう。
●私は毎日波動を上げて生きます
●私は想念を良くします
●私の心は最大限良い世界に住みます
など、言葉は何でも良いから決意することが大事ですね。

(まずは私が決意しないとねw)

14パラレルワールド〜「影」の人達(2011年10月8日)


上の記事12パラレルワールドとアセンション(2011年10月7日)の続き。

無数のパラレルワールドに無数の自分が存在しますが
その中の一つに、今、自分は意識の焦点を当てています。
では他のパラレルワールドの自分は何?

Aさんが言うには「それは影」だそうです。
影と言っても暗い、とかではない。
本物(意識の焦点が合っている自分)が、他の世界に映った姿、というほどの意味。
写しと言っても良い。

実はこの「本物」と「写し」という考え方は、生長の家や白光真宏会などでも言っていたと思います。
まず、あの世つまり実在界に自分の本体がある。
この世つまり現象界の自分は実在界の自分の写し(映し)である、ということ。
これと似ていますね。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

だから物事を良く観察する頭の鋭い青年が
「この世界に心が有る人間は殆ど居ない」と見抜いたのでしょう。
この世界とはその青年の属する精神世界のことです。
その青年のように頭と感性が鋭い人間は少ないので
その青年の精神が属する世界と同じ世界、同等の波動を持った人達は少ないから
「その青年と同等の世界には心が有る人間は殆ど居ない」ことになります。


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さて、ではその他の大勢の人達。
今、自分が属する心の世界とは異質な人達は?
そういう人達もこの世界には存在しています。
青年が言うところの「意識はあるが心が無い人間達」のことですが
とても多い。

というか、この世界は自分とは異波長の人間の方が多いわけだから
誰でもその世界では「自分と同じような波長の人間」は少ない。
殆どが異波長人間ということになる。
別に自分の程度が高いから異波長な人間が多いわけではありませんw


が。

やはり聖人級に高い境地の人は少なく、極悪人の境地の人も少ないだろう。
多くは「可も無く不可も無し」の生ぬるい境地にいることと思います。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

さて、話を戻しますね。

この世には自分と異波長の人は多い。
だからこの世で出会う人は異波長の人が多い。
つまり「影」や「他の世界のその人の写し」の場合が多い。
と、言える。

その人達の意識は他のパラレルワールドに生きていて
この世界には無い。
(※上の青年は彼らの行動を「ロボット人間」と言ってます)


私もたまに(こいつ、何も考えて無い)と思う人に出会います。
今から20年ほど前かな?
映画館に行ったらそういうバカップルを幾つか見ました。
普通に買い物する時はあまり気付かないが映画館などで券を買ったり
席に着いたりすると、そういう人のことが分かる。
(順番を無視した行動を悪気無く取っている様子を見て驚くとか)
なので「この世にはあのような何も考えて無い人達が存在する」ということは知っていた。
バカなんだろう、と思っていたが、まぁ、実際にバカなんだろうけど
それだけではなくて青年が言うところの「心が(この世界に)無い状態」なんですね。
私はこういう状態を「無意識」「心、ここに在らず」と言います。
同じことです。


この世界に意識(心)がなくても、発言するし行動している。
だからそれを「ロボット人間」と呼ぶ。
賢い青年が。
凄い洞察力です。


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たとえばどういうのが「写し」であるか、amanesuさんのブログで発見したので
引用します。

http://22ha8retari.blog14.fc2.com/blog-entry-280.html

チャリにまたがり信号待ちをしていました。
車が一台走ってきました。
その車が・・・なんともいえず妙でした。
車体が古いとか、汚れているとではなく、薄ぼんやりとした妙な印象を受けました。
信号が黄色に変わりました。
「信号の変り際に突っ込んでくるかもしれない、、、」と思いました。
車は信号のだいぶ手前から速度を落しました。
信号も赤になった。
「さすがに、突っ込んではこないか、、、」
待っていた信号が青に変ったのでペダルを踏み出し
半回転ほど車道に繰り出したところで
あの車がスピードを上げて突っ込んできました。

えぇ===っ!!
直前の減速は騙しかよっ!?
心拍が一拍飛ぶ程ビックリした!!

運転席の日除けを目深に下ろし、どんな面かは伺えませんでしたが、
オバサン・ドライバーが眼前を過ぎ去ってゆきました、、、
顔は見えないのになぜか のっぺり とした印象を受けました。

青信号待ちをしていたドライバー等も度肝を抜かれたのか、なかなか動き出しませんでした。


「おかしい先達は始めからおかしいぞ。」
(春の巻 第二十七帖) 

怪しい事をするヤツは始めから妖しい、、、

青は渡る、赤は止まる。人間が作った交通ルールよりも、
神が授けてくれた直感を頼りにしよう。。。と、思いました。

しかし、あのオバサン・ドライバー・・・本当に人だったのか?
顔が見えなかったから、余計にそんな風に思われる。。。

(引用終わり)

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友人に県庁職員がいます。
その友人と会うたびに、職場の人について嘆いています。
職場の人達は喋るし歩くし食うし仕事をしているが
「何も考えていない」と言うのです。

その中で友人は孤軍奮闘していますが、
これは「影」を相手に孤軍奮闘している。
その友人が住んでいる精神世界には、県庁の人達は殆ど居ないのでしょう。
一つの部署に良くて一人くらいしか居ないようです。

この友人のように高い境地の人の精神世界は高度なので
その世界に心が住んでいる(つまりその境地にいる)人は少ない。
だから同じ境地の人はあちらに一人こちらに一人、というくらいにしか存在していない。

この友人が同僚や上司を「ロボットみたいなんですよ」と言ってましたが
彼らの本体(意識がある身体)は他のパラレルワールドに存在していて
今、友人の前にいるのは彼らの写しなのでそれは言えます。

そうと分かったら目の前に居る影に対して本気で怒るのは無駄ですね。
それは彼らの写しだから。


15パラレルワールド〜皆自分である〜「影」は投影(2011年10月8日)


上の記事の続きです。

上の記事で「この世界の殆どの人は他の世界に本体が居る、写しである」と書いた。
さらに、こうも言えます。

今自分の目の前に展開している人達、事象は、自分が自分の世界(パラレルワールドの一つ)で
作り出している現象である。

つまりこの世界は自分の世界である、ということ。

夢の世界がそうですね。
夢に登場するものは全て「自分」なんだそうです。
夢の中で他人が不愉快な言動をしたら、それは「自分が自分に不愉快な言動をしている」ことだったり
「自分も他人に不愉快な言動をしている」のでもある。
夢に出てくる事物は皆、自分なんだそうです。


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では今生きているこの世界は何?
夢とは違う?

実はこの世界は現象界で、あの世の写しです。
本体は別にある。
本体が別にあるとしたら、夢と似ていますよね。
この世は醒めない夢だ、とよく言います。
「あの世の自分が夢を見ている、それがこの世」とか言います。

とてもリアルで転ぶと痛いし食べれば美味しいという点で夢もかなりリアルです。
なので夢の中で「これは夢だ」と自覚することは稀です。
(たまにそういう夢を見る人が居て、それを「明晰夢」といいます)


この世に生きている私達が「これは今、夢を見ているのだ」と
考えることはできても、本当に夢であることを分かることは難しいですね。
眠って見る夢よりさらにリアルさが増した夢である、と言えます。

つまり何が言いたいのかというと、この世界を創っているのは
自分である、ということ。
勿論私はこの言葉は頭で考えて書いているのであって
実感を伴って書いているわけではありません。
理屈です。


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この世界は夢のようなもの(夢そのもの)であり、
この世界は自分が創っているのだ、ということ。

そこに登場する人物(でも何でも)は、相手の世界の影である場合があり
本体(意識の焦点が合っている)の場合もある。

さらに、上の方の記事
11繋がらなかった電話に書いたように
自分の意識も常に変動しています。
高橋信次師はこれを「一念三千」(一瞬で三千ある世界の一つに繋がる)と言ってます。


相手も自分も意識は常に変動しているのだから
自分の世界に存在する相手は「以前は本体だったが、今は写し(影)になってしまった」ということは
普通にあるのでしょう。
お互いに波動が変化していますからね。


繋がらなかった電話の体験談は、普段は同じ(似たような)波長でも、
嫌なことや困難、心配があれば人は簡単に波動を落とすものである、という教訓話です。

波動が違えば電話すら通じなくなる世界に、今、地球が突入したのではないか。
以前はそういうことはあまり無かったのではないか。
(これは考え中ですが)


もし、その時、波動が落ちたAさんが電話して私と繋がったとしたら
それは低い次元に存在する方の私です。
Aさんは波動のことを知っているので
「低下した意識の自分がこのまま行動すれば、低いものがやってくるから」と
必死に意識を上げようとした。
「このままではいけない!」と本心から思ったそうです。
だから繋がらなかったのでしょう。
そこで無意識だったら、繋がっていた。
低いバージョンの私(写し、影)の方と電話で繋がることが出来た。
そしてそのまま低い方の私と会って、
お互いに低い同士我がままを言い合って喧嘩して
嫌な気分のところにさらに気分を悪化させていたかもしれません。


(言っておきますが私が高いのではないんですよ。
  無数の世界に私がいます。
  聖人級の私は居ないだろうが、獣次元、低級霊次元の私も居ます。
  そしてそれは皆がそうですよ、ということ。
  その様々なレベルの自分の中の「どれ」に意識をあわせるか、ということです。
  それは素晴らしい人もイルなんとかも同じ条件です。
  誰もが「どの世界に住もうと自由」なのです。

  しかし実際は「心は何を思おうと自由なのに、思えない不自由がある」ので
  ある程度自分の波動は固定していますから、その人はそこに意識の焦点を合わせている、ということですね。
  これはちょうどテレビのチャンネル選びと似ています。
  人は大抵見る番組は決まっていて、似たようなものばかり見ています。
  教育番組教養番組しか見ない人から、お笑い番組しか見ない人、スポーツばかり見る人
  アニメ専門の人、ニュースしか見ない人などがいます。
  そういう傾向がたしかにありますね。
  それと同様、その個人は大体いつもこのようなことを考えている、と言えます。
  つまり大体その人の波動はこんな感じだ、その精神世界に居る、と言えます)


だから意識する、決意するということは大事ですね。
その時ひと考えしたので選び得る世界の中でも良いのを選ぶことが出来ました。

出会う人は皆自分、という言葉は
つまり、Aさんが低い意識のままで電話が通じて出会った私は
低い意識のAさんと同じ世界にいる低い私で、私の「影」です。
影には意識がありませんから、その影はAさんの意識を投影した姿。
つまり「まさに出会う人は皆自分である」と言える。


16波動の安定、不安定(2011年10月10日)


Aさんが自分の波動が低下していることに気付いたのは普段が高いからです。
普段から低い人はそれに気付かない。
気付かないから低いのだ、とも言えます。

Aさんはよく私に「69さん(の波動)は安定している」と言います。
女としては鈍いのが幸いして私は結果的に気分が安定しているとも言えます。
図にするとこんな感じですが、これは同じ時間帯を表したものではありません。


波動の図1

赤い線がAさんで黒い線が69です。
Aさんの意識は高く崇高な境地に居るのですが
女性特有の気分のムラや繊細さによって、波動が乱高下してしまう。
上の図は先日Aさんがウチへやって来た時のように
心配とストレスによって一時的に落ち込んだ様子を表してみました。
適当ですが。


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私は黒い線です。
これはAさんとは無関係な時間帯を表しています。
低いけどあまり上がりもせず、下がりもしません。
上の方にポコっと出ているのは
「美味しい飴発見!これは美味いや!」
という程度の「喜び」を表し、それが二回有ったことを表している。

下の方にポコっと下がっているのは最近
隣の市のお祭りに参加した息子を車で迎えに行った際、
駐車場の爺いが無体なことを言いやがったので
瞬時にその市の管理者に対して怒りが湧き、波動が堕ちたことを表す。
相当頭に来たのですが20分くらい怒ったら気が済みました。

まあ、こんな下らないことで怒るって所が上の図を見れば分かるように
決して波動が高くないことを意味します。
低値安定、ってところです。

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境地が高いというのは、思考力や判断力とは関係なく
境地が高い、ということで、境地が低いというのも
思考力は判断力とは関係ない。

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私のお客さんは女性が多い。
そして殆どの方が「私より境地が高い」(藁
しかし皆さんの中にはAさんのように気分が乱高下している人がいるかもしれない。
なので私のように低値安定の人よりも
一時的に境地(波動)が低くなってしまうのです。
それは勿体無い。

それを防ぐにはやはり、堕ちないような心を創らないと。
そのためには最低限の判断力を身につけることです。
そうすれば不必要な堕ち込みは避けられます。
実際に皆さんはそのように変化しているようなので、私もお役に立てたかな。


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波動の図2

さて緑の線は「人間として最低限クリアした方が良いレベル」という線です。
私が勝手に設定しました。
私が設定したので「私はそれをクリアしている」図になっています(わらい
これを見ると私などは低値安定しているがギリギリであることが分かります。
Aさんは大いにクリアしていて余裕があるが、
気分の変動による一時的な堕ち込みが不安材料であると言えます。


ま、私が勝手に設定しているだけだからあまり本気にしないでね。

一時的な気分の堕ち込みは「思考力の乏しさ」(勝手に誤解、物事を悪く受け取るなど)が原因である
場合が多いので、まずは思考力(判断力)を上げることが大事ですね。
そうすれば誤解などによって堕ち込むことが減るか無くなります。
あとは性格的なもの。我侭が原因で堕ち込むとか、ですね。
これを治すのは困難ですが、幸いにしてお客さんの殆どが性格が良く
我侭な人はいません。
(そういう人は私とはやっていけません。
 何故なら私が我侭だからです)
←おいおい、治せ=っ!

ははh・・・

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この緑色の線ですが、今はこれで良いとしましょう。
しかしこれから先、地球の波動がさらに上がれば不味いことになります。
緑の線(人間としてクリアすべき最低レベルの線)が
私の波動の黒い線の上まで上がれば、私がヤバイ・・・相当不味い。
だから私も無い知恵を絞り、乏しい謙虚さを振り搾ってなんとか波動を上げたいなと思っているのです。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

判断力=境地
では無いのです。
判断力をつけることは「波動を落ちにくくするための頭(理屈)」であります。
だから私よりも判断力がやや乏しく、しょっちゅう私に注意されている友人のA氏の
境地は高く、高値でやや高下しています。
こんな感じです。


波動の図3

A氏は男性ですが心が有るので感動したり感激したりすることが多いので
気分がやや変動し易い様子を表してみました。
しかしこれで良いのではないかな。
というか、これが普通ですかねw

お客さんの殆どがこのタイプではないかと思っています。
ただ、波動の平均値は人それぞれです。

人間だから気分の変動はあるのは仕方ないけど
落ち込んだときの底を上げれば良いのだと思います。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

で、私が言いたいのはココからです。
チャネラーのAさんは幾つもの要因が重なり、
一時的に非常に落ち込んでしまった。
でも、普段が高いので「今、自分が堕ちている」自覚が有った。
なので必死に気分(波動)を立て直すわけです。
それを数時間の間にやれました。

一度やれたということは二回目もやれるということです。
だからたまにはヒドい目に遭った方が良いのです。
それは貴重な経験値となります。

Aさんはこれからも一時的に非常に落ち込むことがあるかもしれませんが
その時は気分(波動)の立て直し方を知っているので
次回は短期間(1時間くらい?)で、立て直せるだろうし
落ち込み方もこれほどではなくなるのではないか。
その次はもっと短い時間内で立ち直るだろうし、落ち込みの度合いも少ないと思う。

私もA氏もそれを経験しています。
経験しないと境地は分からないのです。
いくら勉強して頭に入れてもダメ。


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だからこれをご覧の皆さん。
これからもヒドい目に遭うことでしょうが(笑い
その時はAさんのように心から真剣に立て直してみましょう。
立て直そうと思わなければ立て直りません。
(超能力者の秋山氏はこれをたしか中学生頃にはやっています)
しかし、コレが出来るようになった人も沢山いるようで
「感想」のページに体験談が載っています。

17魂の重さ


上の方にパラレルワールドについて幾つか記事を書きました。
今、この世界にいる人の殆どは「違う世界、別のパラレルワールドに意識が有る」らしい。
なのでこの世に居る人の殆どはこの世に意識を持ってなくて
ただ「影」が存在しているのだ、という説。
だからそういう人達には「心が無い」と表現する若者もいます。


Aさんは「魂の重さ」という表現をしました。
これは「意識」のことです。
(例の若者が言う意識とは別です。若者が言うところの「心」がこれに当たります)
この世界に意識が無い人、つまり意識が別の世界に行っている人は
この世界においては「魂の重さが無い」と、Aさんは表現しています。


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2ちゃんねるでちょっと有名になった素人の預言者に○○さんという人がいます。
この人が或る人のことを「中身が無い、からっぽだ」と発言したので
ちょっとした騒ぎになりました。

http://yochi-yogen.seesaa.net/article/195071967.html
コレが本当なのかAさんに訊いたら、Aさんはペンジュラムで見てくれました。
すると魂の重さがない、と出た、つまりからっぽってことですね。
奥さんの方はちゃんと魂の重さはあるそうです。

弟さんの方はどうかというと・・・結果を忘れました。
皆さんもペンジュラムその他で確認してみてくださいね。


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この世界で中身がからっぽと言うと異常だ、となるかもしれないが
私はそうではないと思う。
意識が他のパラレルワールドに行っているだけだと思う。
つまりその人はこの世界に意識の焦点を合わせて居ないのだ、と思う。
波動の違いの問題なので何も心配することも驚くことも無いのではないか。
ただ、この預言者の○○さんは「こんな人間見たことが無い」と発言しているので
私が考えるような単純なことでは無いのかもしれません。

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このからっぽの人に関しては或る企業の社長が
仕切りに
「覚醒を促す!」と言ってデモンストレーションをしています。
その社長は神に使われているらしい(某ブログ主によれば)ので
意識がこの世界に無いと不味いので、呼び戻そうという神の動きが有るのかもしれない。
よそへ行ったままだと困るのかもしれない。


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もう亡くなって久しいが科学者で発明家のM木という人がいました。
この人は晩年、ペンジュラムで人間の魂や意識を測ることを研究していました。
人間は生命を持っているのでそれを第一生命体と呼ぶ。
ところがこれだけではなくて、途中から第二生命体が憑くのだそうです。

これを読んだ当時はトンデモだ、と思いましたが
今考えると、これってパラレルワールドが有る、と言う前提なら分かります。

http://www12.ocn.ne.jp/~agosu1/page018.html
人間なら誰でも持っている第一生命体は命ですね。
若者が言うところの意識です。
(気絶したり、寝ているわけではない、というほどの意味ですね)

第二生命体は意識のことで、この世界(このパラレルワールド)に意識の焦点が合っていること。
若者はそれを「心が有る」と表現しています。


この方法でM木氏は第二生命体が無かった人に第二生命体をつける、ということをしていました。
本人が「第二生命体をつけます」と意識し、宣言してペンジュラムを回すと、
憑いたことが分かるのでした。
それは「このパラレルワールドに意識を持って来させる」結果になった。
M木氏はパラレルワールドのことは考えないでやっていたと思いますが
「今、ここ」に意識を集中させることで、この世界に意識の焦点が合ったのです。

それをする必要が有ったということでしょうか。
からっぽの人に必死で自覚を促そうとしている社長さんも居ます。
だから「この世界」
(今、これを書いている世界で、お客さんならこれを読んでいる世界)
意識の焦点を合わせる必要が有るのでしょうか?
他の世界(パラレル)ではなくて
「今、ここ」に意識を合わせる必要が有るのでしょうか?
では、この世界(今、意識の焦点を合わせている、ここ)が
他の世界よりも質が良いのか、進むべき世界なのか、進むべき世界に近いのか
当たらずとも遠からずなのか理想なのか正統なのか正流なのか・・・どうでしょう?


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Aさんが「魂の重さ」に違いが有ると感受したことですが、
それはM木氏が提唱するところの「第二生命体」の有無から生じるのではないかと思います。
それをAさんは敏感に感じ取り、第二生命体が無い個人のことを
「魂の重さが無い」と感受したのだと思います。
凄いですね。


ちなみにAさんに我が家の家族を見てもらったら「全員魂の重さは有る」と出た。
つまり「意識の焦点がこの世界に有る」ということ。
Aさんが自分の家族を見たら全員か一部を除外してか忘れたが
「魂の重さが無い」と出てショック。
だから家族はAさんを理解しないのだな、と思いました。
Aさんはそれを
「魂の戦」と呼んでいますが、そう呼びたくなるのも分かります。
実際「魂の戦」です。

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(2011年10月14日)
それからAさんが私の友人と子供にペンジュラムを教えていたときのこと。
宅配便が届きました。
子供が応対したのですが「届けてくれた人に魂の重さはあるか」とAさんに訊きました。
ついでにという感じで。
するとAさんがペンジュラムで見てくれたら「魂の重さが無い」
つまり「この世界に意識の焦点が合って無い」と出たのです。
うちの子が言うには、届けてくれた女の人は存在が薄くて
なんだかとても疲れているようだった、と言うのです。
直感で「なんか違う」と思ったようです。




考えてみればこの世界(パラレルワールドの一つ)に
意識の焦点を合わせている人はあまり居ないのではないかと思います。
殆どの人は「自分の意識が赴く世界」に「意識の焦点を合わせている」のは
当然で、自分と同じ世界に意識が合って居る人と言うのは
少ないはずです。


18モノが無くなるという現象


皆さんからの「モノが無くなった」「無くなったモノが出て来た」という報告は多い。

○モノを或る処に置いたらちょっと目を離した隙に無くなった

○モノを或る処に置いたら無くなった。
  必死で探しても見つからない。
  ところが●日後に「置いた場所」を見たらそこにあった。
  そこは何度も探したので有りえない。

○モノを或る処に置いたら無くなった。
  そこは隠すような場所ではなく、たとえば居間のテーブルの上
  台所のテーブルの上など、家族全員が目にする場所である。
  数日間モノは無くなっていたが、或る日そこを見たらそこに「あった」。
  有りえない。
  家族が毎日「そこ」を見ているのだし、誰かがいたずらをしたのなら分かるが
  そのようなつまらないいたずらをする家族はいない。

○モノを或る処に置いた。
  洗濯機の中に入れて洗った。
  ところが干す時にそれが無い。
  他の衣類はあるのにそれだけが無い。
  おかしいと思って何度も洗濯機の中を探すが「無い」。
  数日後。
  それが「洗濯機の中で見つかる」。
  その数日間、毎日何度も洗濯をしていたので、それは有りえない。
  狐につままれたような感じ。

○或る処にモノを置いた。
  石のエネルギーを読む方法を生徒に教えようとして石をテーブルに置いた。
  数人がそこに居た。
  ところが全員の意識がその石からほんの一瞬離れた隙に石が消えた。
  有りえない。
  全員で呆然とした。

 
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これ、パラレルワールドですね。

●自分の意識=波動・・・(周囲の人の意識)
●モノの波動
●その世界の波動

この三つの関係からそれ(モノが消えること)が起こります。
あ、私の意見ですがAさんも同じ考えです。

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数年前にAさんから依頼されてブレスレットを幾つか作りました。
Aさんと妹さんの分です。
或る時、Aさんは妹さんと或る場所へ行った。
そこには和風の控え室があり、そこでお喋りをした。
妹さんも私が作ったブレスレットをつけていました。

Aさんは疲れたのでブレスレットをテーブルの上に置いて横になりました。
仮眠を取ったのかもしれないが私は忘れてしまった。
ちょっと横になって起きたらテーブルの上に置いたブレスレットが無い。
そこは中から鍵がかかる部屋なので誰かが忍び込んだということは無い。
部屋中を探したが見つからなかったそうです。
妹さんにもブレスレットを作ったので妹さんが取った、ということも無いそうです。
二人のバッグの中も探したそうです。

Aさんは「その時、自分の波動が堕ちていたので、自分の波動に相応しく無いモノ
つまり自分の波動を超えているモノが異次元に消えた」
というようなことを言ってました。

(※ウロ覚えです。
   無くなったのは妹さんのブレスレットだったかもしれません。
   Aさんからの連絡、指摘待ちです)


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当時からAさんは
●本人の意識=波動
●モノの波動

との関係を分かっていました。
本人とあまりにも波動が違うと、それは無くなってしまう、と。
当時は異次元に消えたのか、なんて言ってましたが
パラレルワールドに消えたのでしょうね。
つまり波長の違う、他の世界に居る「自分」の所にそれは「有る」のでしょう。




事例があります。
Aさんは病弱なのと繊細なのとで、疲れ易く波動が落ち込むことがあり
その時に「持っていたものと波長が合わなくなってしまう」。
多分和室で休む前に妹さんと深刻な話をしたのではないだろうか?
或いは妹さんの愚痴を聞いていた、とか。


○ブレスレットを注文した時のAさん、本来のAさん=高波動
○Aさんのブレスレット=高波動
               
(私は高波動では無いが、注文したAさんが波動が高いので)
○妹さんのブレスレット=Aさんより低波動?
                
(妹さんの波動に合っているので)
(※ここらへんは確認しないとなりません。後で訂正するかもしれない)



○ブレスレットが無事、Aさんの元へ届く(ここまでは問題無し)
○妹さんと会う→Aさんの意識(波動)はだんだん低下する
(妹さんの意識に引っ張られる)
○Aさんは疲れて(妹さんの影響があったと思う)横になる→意識がブレスレットから離れる
            Aさんの意識の低下と波動低下が保持される
○Aさん目覚めるが波動は低下したまま

○ここで
     
ブレスレットの波動(本来のAさんの波動)≠Aさんの波動
      なのでブレスレットは「本来のAさんの波動の世界」に「移動」(こちらの世界から見ると、です)
      ブレスレットは「最初から居た場所に有る」のですが。

 
○低下した世界にいるAさんの前からブレスレットは「消えた」

○本当はブレスレットが移動したのではなくて、Aさんが移動した

のではないかな。


Aさんはこれらを当時から分かっていました。
ただパラレルワールドとは言ってなかったが。

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と、いうわけで。
モノが消える現象、出現する現象にはこの説明、つまり
パラレルワールドに行ったから、パラレルワールドから来たから、というのが
最も納得が行くのではないか。

金粉が出現したという話は多いです。
身体にいつの間にか金粉がついていた、とかね。
固体が出現したりそれが目の前で変化したり、という話もあります。
(M木氏はそういう不思議体験を沢山しています)

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超能力者の秋山氏は本に「モノは自分に相応しい波動のモノがやってくる」と書いてます。
相応しくないものは「失くす」のでしょう。
なくなり方には「この世界から消える」というのもある。
その場合は「モノが自分と相応しい波動のパラレルワールドへ移動する」というのもある。
これは持ち主から見た現象です。
本当はモノは前から「そこ」にある。
持ち主の波動が変ったために、「目の前から消えたように見える」だけですね。
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(2011年10月14日)
モノが無くなる事例が幾つか来ています。

TTさんより。
モノがなくなる話ですが。
なくなった父親が話してくれたことがありました。
父親が若いころ、
家の中で、小さい観音様の像がなぜかぽっこり現れた、
そして、いなくなった。
そんな事があるもんか〜とずっと思っていました。
 
あれ、そういえばー、
飾り棚にいれてある小さい観音様の木の像。
夫が、若い頃おみやげにもらったものらしいのですが、
これかー。
話を聞いたときに想像したものにそっくり。
へへ、勝手にー。
なんだか、そんな思い。
父親に見せてみれば、おもしろかったなあと思っております。
(それはあなたのご主人の観音像が、若い頃のお父さんの所に
  出現したんですかね)


19元の位置へ戻る


さて。
Aさんは自分の意識が変化したら(悪化したら、低下したら)
「元居た場所まで戻れ」と言います。
悪化(低下)する前の自分が居たその位置まで戻りなさい、と。
最初からやり直せということです。

Aさんが我が家に来る前に家族とトラブルがあって
心配ごともあり、体調不良もあり、様々なマイナス要因が重なってしまい
一時的にかなり落ち込みました。
その影響で私への電話が繋がらない、という現象まで起きてしまった。
繋がらないと、私の家が分からないので、
ホテルに宿泊するか自宅まで戻るか、しなくてはならないがそれは避けたい。
電車に数時間乗ってやって来たのに「会えない」というのはあまりにも残念だ。

Aさんは駅の構内で非常に焦り、心がとことん低下した時に
(これではいけない!心を立て直さなくちゃ!
 このようなことでどうする、自分!しっかりしなさい!)と、真剣になった時
(元居た位置まで戻れ)という心の声を聞いた。
それですぐさま到着した番線に行き、そこからやり直したそうです。
それをしたら心が落ち着き、本来の自分(このパラレルワールドの自分)に戻ったので
電話したら、今度は電話が繋がったのです。

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昔読んだ本にもそのようなことは書いてありました。

ボンヤリ歩いていると、(あれ?何を考えていたんだっけ?)ということになる。
その時は「ちょっと前まで戻れ」と書いてあった。
考えていただろうと思われる場所まで、身体を戻すのです。
すると思い出す、とあった。
忘れてしまうのは「その場所」に自分の「気」を置いて来てしまうからだ、という理屈。

その著者は「気」で説明していましたが、
気=意識
なので、その考え方も間違ってないと思います。


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(2011年10月14日)

上の記事を読んだYさんから感想が来ました。

800のいろいろの「元の位置へ戻る」ですが、私は日頃からそれをやってます。
いつの頃か「何やろうとしてたんだっけ?」となったときに
やろうとしていたことを思いついた場所に戻ると、その件を思い出すことに気付きました。
(二十歳そこらの若者がそういう状態になるのはいかがなものか、というツッコミはナシでお願いしますw)

Aさんとの会話を読んで、一瞬一瞬の波動の大切さをより一層感じました。
それに伴い、自分自身への客観視の度合いが高まり、
波動が下がっているときはなぜ下がっているのか?どうすれば改善するか?
以前よりしっかりと自分と向き合えるようになったと思います。
その他にも「Aさんとの会話」の内容はいろいろと参考になります。
(個人的には放射能の件についてもっと詳しく知りたいです)
ありがとうございます^^

生きかたの参考として、若い人にもこの記事が役に立っているようで良かったです。



800の記事で、「元にいた場所に戻る」の感想を読みました。
私も全く同じで、ずっと昔から何か忘れたら元居た場所に戻っています。
2階の部屋に上がって何しに来たか忘れることが多いのですが(涙)
1階に戻ると必ず思い出します。
私の回りの人たち(家族や同僚)も、そのように言っている人が多かったです。
(やはり、同じことを皆さん仰ってますね)

20別れ道

上の方の記事上の神社=龍神さま
Aさんと山の中腹の大きな神社に行った後、目的の神社に行くつもりは無かったのに
別れ道に来た時、思い切って右折した話を書きました。


←来た道を帰る、下り坂

  上の神社へ行く、登り坂→

Aさんは10月4日に「そこで祈る」と決めていたので実行できたのですが
もし、この時、右折しないで楽な道、帰り道を選んでいたら
Aさんは神様に祈れず、運命が変わっていたと思います。
Aさん自身の運命は勿論変わるが
日本の運命も変わっていたかもしれない。

その点、私も微力ながらお手伝いできて良かったな、と思います。
(今回も前回と同じく「乗せて運ぶ」という仕事ですがw)

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実際に別れ道には道路の表示(看板)が立っていたので
(上の図の通りではありません)
文字通り
「別れ道」だったのです。

道路に看板が立っていれば「別れ道」であることが明白ですが
人生には目に見える看板が立ってない運命の「分かれ道」があります。
小さい別れ道や、大きな別れ道がある。
小さい別れ道は「今日の昼飯は何にしよう、カレーかラーメンか」というほどの規模なので良いとして
大きい方の別れ道で選べば、その後の運命が大きく変わります。


また大きな別れ道で最上の道を選ばなかったとしても
後から修正が入ることもある。
ゲリー・ボーネルの著作に、彼が少年時代に道を選ぶ際
間違った道を選んだことがあった。
間違ったと言ってもその時の彼の波動が低く、
最上の道を選べなかったということ。
波動に見合った道(運命)しか選べないようです。
しかしその後、同じことは形を変えて彼のところへやって来ます。
(具体的には、少年時代の彼に、精神的な支えや知識をもたらす人間が必要だった。
 一度目はその人物と会えず、二度目に会えた。
  一度や二度ダメでも、人との出会いは或る程度修正出来るので大丈夫。
  しかし彼の場合二度目で会えたが、もし何回も何十回もダメだったら
  出会いのチャンスを作ることがどんどん難しくなるのではないか。
  そして本当なら出会うべき人間と出会えなくなってしまい
  人生で計画していたことに大幅な変更がなされてしまうかもしれない)


修正は出来るが時間は余分に掛かります。
もうあまり時間が残されて無いとしたらあまり道に迷っているのも如何なものか。
別れ道、選択の必要の有る時、処で、最上の選択をして生きたいものです。

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これでひとまず「Aさんの話」は終了します。


誠意持っても…
襲われた大阪市バストラブル担当

読売新聞 9月26日(月)15時42分配信

 クラクションを巡るトラブルが20歳の若者を凶行に走らせたのか。

 大阪市交通局の運輸助役が26日、包丁を持った男に襲われた殺人未遂事件。
居合わせた同僚は「一瞬の出来事だった」と絶句。
逮捕現場となったJR天王寺駅前では、
通行人らが「こんな人通りの多いところで」と青ざめた。

 「お前らなめてんのか。ええかげんにせえ」

同市天王寺区の市交通局あべの北操車場事務所にいた男性職員(70)によると、
森岡泰(ひろ)臣(しげ)容疑者(20)
(大阪市生野区)は午前10時過ぎ、
事務所に入って来ると、大声でわめき散らし、包丁を振り回した。

事務所内には職員3人がいたが、森岡容疑者は
トラブル対応担当の江本聡志さん(48)の胸ぐらをつかんで振り回し、
みぞおち付近を突き刺したという。
職員の1人は「一瞬の出来事で、何もできなかった」と振り返った。
操車場近くのバス停にいた無職男性(64)は、
覆面パトカーがサイレンを鳴らして駆けつけるのを見た。
捜査員らが敷地奥のトイレに向かって呼びかけると、
男が包丁を持って出てきて、そのまま取り押さえられたという。

操車場から西約150メートルのJR天王寺駅北口近くのドラッグストア店の女性店員(32)は
「刺されてる。刺されてる」という声を聞き、店外に飛び出したところ、
店の前に、荷物台車に江本さんが乗せられて運ばれてきたという。
女性は「シャツが赤く染まり、かなりの出血だった。
命が助かるといいのですが……」と心配していた。
操車場から同駅北口までは、路上に点々と血痕が残っていたという。

大阪市交通局によると、22日に起きたクラクションを発端とする
市バスと森岡容疑者の自転車との接触事故で、
この日、同局と森岡容疑者が、壊れた自転車の賠償などについて、
同事務所で話し合うことになっていた。
同局幹部は「誠意を持って対応していても、
いきなり刺されるとどうしようもない」とショックを隠しきれない様子。
別の職員は「客から身を守るよう指導しているが、
トラブルを説明する責任もあり、対応が難しい」と話した。




その後、この被害者は死亡しました。
実に気の毒です。

以前にもこのようなことが続けて起こりましたが、その時もたしか
「地球の波動が急上昇した時期」でした。
テレビでこの事件を見たのですが、この容疑者が一方的に悪いのです。
自分が勝手に「相手が自分を攻撃している」と受け取り(感受し)
誤解して逆恨みをして「報復」したのです。

実体は何も無いんですよ。

なのに、この森岡ひろしげは、何の根拠も無く、何の罪も無いひとを
攻撃してとうとう殺してしまいました。
急激な波動上昇も関係しているのではないか。

もし今四次元が無くなっているとしたら四次元からこの世界へのちょっかいは出せないが
その人の心、魂が四次元に属していることは有る、という占いと直感による結果も出ています。
その場合は森岡の心が四次元に属しているので、
心の奥底で「自分にはもう未来が無いこと」を分かっていて
八つ当たりのような行動に出たのではないか、勿論無意識です。




また、このようにいくら誠意を持って対応しても、それを感受出来ないレベルの人には
通じないのだ、という教訓でもあります。
こういう野郎(森岡)が誠意のかけらも無いので、誠意というものが理解できないのでしょう。
そしてこういう奴は例外ではないのだ、という話。


残された遺族の方よ、ぜひとも森岡の実家を相手に
民事訴訟を起こし、莫大な賠償金を受け取ってください。




<誠実さについて>(2011年9月25日)


或る人からメールで相談を受けたので誠実に相談に乗っていました。
私からその人にメールすることは滅多に無く、
大抵その人からメールが来て、相談ごとなのでそれに意見を述べる、というカタチです。
或る時その人がぶろぐに書いた記事に対してコメントした人がいました。
理路整然としていたので(凄い人がいるものだ)と感心していたのですが
その人は対応の仕方が分からず困ってしまった。

私は「それは困るようなことではない」「コメントした人は理路が整然としている」
「好意、思いやりからやっている」と思ったのでそのまま意見を述べました。
それでもその人から何度も質問が来ます。
どうもあまり理解していないようです。
なのでその人に「あなたも以前、イセなんたらという人を信じ込んだ友人に
熱心に説得したでしょう?それと同じことを、今、コメントしてくれている人が
あなたにしているんですよ。
あなたが友人のためを思ってしたように、
コメントしている人もあなたのためを思っているんですよ。
と、考えを整理出来るよう整理しました。
(私のアドバイスは大抵このように、理路を整然とさせる、考えを整理するだけのものです。
  具体的な提案も必要ならしますが)


その人はメールで「分かりました」「ありがとうございました」と書いていたのですが
本当は分かってなどいなかったようです。

その人は理解力が乏しく私の説明を理解できなかったのです。
それならメールで「全然理解できません」と書いてくれれば良いのですが
そう書いてくれない。
(私はこれを「誠実では無い」と判断します。
  理解力、思考力、判断力の乏しい人は、このように誠実では無い言動や行動を取ります。
  何故か?
  そのことが「誠実では無い」と分からないからです)




その人は私の説明を理解出来なかったことにより、
心に打撃を受けたのかもしれません。

今度はmi×iで愚痴ります。

そこで「いや、そうじゃないだろ」とコメントされると、
そこでは反論せずに今度はツイッターでつぶやくのでした。


私は上の行動を全て「誠実では無い」と判断します。



この人は私へのメールで本当のことを書いてくれれば良かったのに、と思いますよ。
しかしその人は本当のことは書かないのでした。
それではこちらがいくら真摯に誠実に対応しても無駄ですね。
申し訳ないが、この人には「もうメールしないで」と頼みました。

相談ごとを持って来たのなら、本人がまず誠実であるべきです。

自分は相談を持ちかけたが、返って来た答えは自分が望んでいたものではなかった。
(ブログにコメントした人を私は褒めたりしたことや
 その人の意見を受け入れず、その人がもっと物事が分かる方向に生きるよう
  意識を変えるよう、意見を書いたことなど)


自分が望む言葉が返って来なかった場合、
表面上は「分かりました」と言い(書き)
裏では本音を書き、そこでも「批判」されると
また他の場所でつぶやく・・・という一連の行動を取っている限り
サトリ
(気付いて分かること)とは程遠い人生を送ることになる。

分からずやでも良いのですが、相手に対面したときに(メールでもね)
本当のことを書いてくれないのでは、時間と労力の無駄であり、
その前に相手に対して失礼である、と分からないレベルでは非常に不味いと思います。



相手に対して真摯に誠実に対応しない人というのは居るもので
そういう人は同じレベルの人と同波長ですから、そういう仲間で付き合うのが
一番楽しいのです。
誠実では無い人同士で、という意味ですよ。
ただし「誠実」という言葉の意味は、人によって違います。
同じ定義、似た定義の人同士で付き合うのが天国なので、それで良いと思います。

以上長々と書きましたが、これは「誠実」という言葉の定義、その言葉から受ける感覚の違いから
発生した異波長による不調和の話です。
定義と感覚が違うだけなので、どちらが良いとか悪いという話では無い。
ただ「違う」というだけの話です。
そこにレベルというものが厳然と存在しているのはたしかですが。




またその人のような人は常に何かに怯えているように、私からは見える。
怯えている対象は・・・実は何も無いのです。
実体の無いものに怯えているとしか言いようがありません。


物事を分かるようになれば、このようなことは軽減します。
分かり方(サトリかた)の度合いによって
「凄く軽減する人」から「少しは軽減する人」まで段階や程度は様々ですが。

だからこそ私は「心を安定させたい」「物事を分かるようになりたい」「今より幸せになりたい」
と言う人に対しては誠実に(口と腹が裏腹ではなく、正直に対応する、という意味)に対応していますが
そういう「心」が通じないほど、分からない人も現実にいます。
というか、沢山居ます。
そういう人のことは私としてはどうしようもありません。



同じように分からずやの人の場合でも
或る人は誠実に「思ったことを正直に語る」なら私も的確なアドバイスが出来るし
そういう人は私の言葉も誠実に受け止め、真摯に考えるので
必ず運命は好転し波動は上がる。



でも、相談ごとの体裁をとりながら実はそうではなく、自分の我を通したいだけの人で
正直に述べてくれない人の場合は、こちらが出すアドバイスは見当違いのものになるし
受け取る当人は最初から受け取る気などなく、
ただ賛同して欲しいだけなら、その人の運命は好転するどころか
人間として最低限必要である「誠実さ」を自らが破棄しているので
これから非常に不味いことになるなぁ・・・と思うのです。
ですが、これをその人にアドバイスしようとしても
そういう人は受け取る心の姿勢が「無い」か、或いは歪んでいるので
他人が寄越す真摯な意見も受け取れない。

そういう人が欲しいのは「自分の我をそのまま受け入れてくれる」便利な存在だからです。
だからそういう相手を探すために、
ぶろぐ→メール→mixi→ツイッターと、探し回り、結局
そういう便利な相手は居ないか、居ても自分と同波長の人だけなので
いつまでもそのレベルに居続け、そこに天国を見出すのでしょう。


それで幸せならそれで良いと思いますよ。



<狂信者>(2011年9月24日)


Kさんから。

突然ですが、「信者の敷地は穴を掘ってはいけない」 
「月に一度御札を貰いに行き家屋の外側に貼る」
宗教をご存知ですか?
 
近所にそういう宗教を信仰している方がいるのですが、
最初の教義に酷くこだわり、村営住宅住まいなのですが
下水工事をさせないそうです。 
 
山なので今まで無かった浄化槽設備をやっと整えることが出来るように
なったのですが、その人の主張でそこら辺一帯が設備設置計画が
頓挫しています。
 
草刈等も 役場の人や森林課の人が敷地に入る時は目を光らせている
そうです
 
狂信者にありがちな誰が何を言っても吼えまくる「憑いちゃってる」状態
になるので、役場もお手上げらしいです。
 
私がどうこう出来る訳ではないですが、69さんに田舎ではまだこの御時世に
こういう問題があるんですと言いたくて(低サヌキ)
 
ただ、ちょっとした用事で来た役場の人が何故かこの事をこぼしていったので、
役場の後ろの人が 「ちょっときいてよお〜」だったのかなと思ってみたりです


そういう宗教は知りません。

世のなかにはいろんなことを信心している人がいますね。
私が高校生の頃友人からこんな話を聞きました。
「三隣亡を信仰している家の子(娘)がいた。
 その信仰では三隣亡の日にはモノを買ってはいけないということだった。
 信者の娘はその日には買い物をしなかった。
 修学旅行に行った時、その子の靴が壊れた。
 (壊れたのか紐がダメになったのか、靴擦れが出来たのか忘れた)
 旅行先でとりあえず履ける安い靴を買えば良いのに
 『三隣亡だから』と言って買わないで一日中不便をしていた」


当時、世のなかにはそういう家もあるんだなぁ、と思いました。
しかし不便ですよね。
制約が多い宗教・・・というより、宗教とは人の行動を制限することによって
成り立っているのではないかと思います。
宗教は
「これをすると家内安全、金が入って幸せになり、死んでからは天国へ逝く」と欲で釣るか
「これをすると一家が不幸になり、死んでから地獄へ堕ちる」と脅すか
どちらか
です。



日月神は
「宗教の時代は終わった」と言ってます。
これだけ情報が溢れているのだから、一つの宗教を信じていれば安泰だ、ということは無く
むしろ心や行動の自由を奪うだけです。

ゲリー・ボーネルはキリスト教徒であるがために
思考が制限されてしまっているように思います。
彼は意識としてはキリスト教はダメだ、と言っていますが
それは表面のことであって、いくら否定してもキリスト教の影響から
完全に抜け出ることが出来ず苦しんでいるようです。
(それはだんだん軽減してはいるようですが)

私達日本人にはこのような宗教の縛りが無い点
新しい生きかたを受け入れるにあたっては世界のどこの国よりも有利なのです。
なのにわざわざ「欲と恐怖」のために信者になる人がいますね。
宗教によって安心したいというレベルの人です。


坂本政道氏がヘミシンクで異世界を旅する際に宗教の信者が作っている霊界を見たそうです。
信者の心(波動)がその世界を創っているのです。
しかしそれは天国(一応五次元)ではなくその途中に引っ掛かってしまった世界だそうです。
宗教は人を引っ掛けるものだ、と言えそうです。




何を思うのも自由なのに自由に慣れていない魂が
わざわざ不自由を好む様子は、私から見たら地獄ですが
そこに居る人達にとってはそこは天国なんですね。




さて、Kさんが報告してくれた信者さんの件ですが、
その様子はさながら「地獄に堕ちた人」ですね。
周囲の人達は皆、困っています。
日月神は「悪抱き参らせよ」と言っています。
その信者さんから信仰を取り上げることは不可能なので
そのままにしておくしかない。
周囲の人達が苦労を背負い込むわけです。

現に苦労しています。

どのようにこの「悪」を抱き参らせたら良いのか
周囲の人達は否応無しに考えさせられているわけですよ。
それも勉強だ、と言えますね。
私はその信者への説得は不可能なのでそのまま放置しておくしかないと思う。
下水の管を通すならその敷地を迂回すれば作れるならそうするしか無いと思います。




ちょっと話は違うが宗教の信者でなくても、「この土地は売らない」とか言う爺さんは多い。
うちのそばの道路。
10年ほど前に整備されて歩道が出来たのですが、
或る家の前の部分、数十メーターの部分は整備されていません。
その状態で10年以上経過しました。
そこだけ歩道が無いんですw

それから田んぼの中に一本道を通す場合、
何も障害が無いのに道路が湾曲していることがあります。
それなどは田んぼの持ち主が「絶対ここは売らない」とか言って反対したためですね。
そういう爺さんは日本中に居る。




<定義はいろいろ2/感受性(意識レベル)の差>(2011年9月17日)


最近或るスピリチュアルなブログで見つけた言葉。
(サイト名は忘れました)
「個人主義ではいけない」「個人主義はよくない」
と、いうようなことが書いてあったので
(いや、それは違うだろ)と、苦笑しました。



この人にとって個人主義とはどうも
◆自分勝手である
◆他人のことなどお構い無しである
◆自分さえ良ければそれで良いという、我よしである
◆思いやりが無い
◆他人と協調できない、仲良く出来ない
というもののようです。

そうですかね?




言葉に対するイメージは人によっていろいろです。
様々な段階があります。
その言葉を受けて感じることはそのまま、その人の波動です。
(言葉だけでなく、モノやコト、ヒトを見て感じることも、感じている本人の波動そのものです)



私はこう考える。
◆個人主義者とは精神が自立しているヒトである
◆個人主義のヒトは他人を思いやり親切にするが、相手の意志(意思)を尊重する
  相手が頼んでも居ないのに親切心を発揮することは原則的に無い
  時と場合を考えた上で行う
  相手のことを考えずに善を行うのは「自己中心」である
◆自分さえ良ければ良い、という考えは個人主義ではなくて
  利己主義である
◆思いやりはあるが自己中心の(そのレベル)のヒトの思いやりとは
  レベルが違うので、その波動に満たないヒトには理解できない
◆他人とは協調する
  というか、他人と協調するしないは、個人主義、自己中心とは関係無い

上に挙げた項目と説明はまだ整序されていませんが、今はこのくらいにしておきます。
私は上のサイトの管理人さんは個人主義と利己主義とを混同していると思うのですが
その人にはそこらへんの差を取れないのだと思います。




そしてそのスピリチュアルなサイトの管理人さんはそういう感受性である、ということです。
感受性=波動
ですから、そういう波動なのです。
それが悪いとは言いません。
波動に高低はあるが善悪はありません。


私のような高波動でも無い者よりも、感受性が低いようでは
とてもスピリチュアルなことを述べたりは出来ないと思うが
その人はそれを超える感受性を知らないので
(その境地に達して無いので)そういう記事を書いたと思われます。

それが悪いわけでは無いんですよ。
ヒトにはその属性として波動があります。
高いのから低いのまで有ることは事実だから良い
(この場合の良いとは仕方ない、当然だ、有っても良いというような意味)

で、そういうブログを読む側の人にも様々な段階(レベル、意識レベレ、感受性)があり
このブログの管理人さんを超えている人が読めば
(そうじゃないだろ)と突っ込むし
このブログの管理人さんを超えて無い人が読めば
(なるほどな)と感心する。
このブログの管理人さんと同程度の人が読めば
(当然だ、その通りだ)と思う。

それで良い(当然だ、自然だ、という意味の「良い」)と思う。




多くの人はここらへんのことをあまり考えないで見たり読んだりしているのですが
そこらへんを意識するともっといろいろ見えて来ます。
無意識でやってきたことを意識化してみる。
つまり脳内で言語化してみると、さらにハッキリと物事が分かってきます。

脳内で言語化したら声に出してもいいし、文章にしても良いが、しなくても良いし。
無意識で通り過ぎるところを言語化することは頭の訓練になります。
そして自分の頭の中を整理整頓出来るようになれば
常に頭の中はクリア、余分な感情思考が減ります。




ブログやサイトの管理人さんはそこまで考えて書いているのかな、どうでしょうね。
見る人が見れば、読む人が読めば(波動、レベル、判断力他を)すぐ分かられてしまうのですが
分からない人達が多いから読者はいるわけで
それで良いのだ、としか言いようがありません。


と、書いてる私も同様ですよ。
読む人が読めば、見る人が見れば即座に波動、物事が分かる能力、判断力、感受性などを
分かられてしまう。
分かられたり、知られたら嫌だから書かない、ということは私は考えてなくて(笑)
分かられたっていいや、と居直って書いてます。

読む人が他人(ブログ管理人)の振り見て
我が振り(自分の波動)を治して(上げて)くれるといいな、と思っています。




<定義はいろいろ1/広義と狭義>(2011年9月14日)


同じ言葉でも人によって意味が違って来ます。
感覚が違うし。
また抽象的な語句については、人によって定義が違うので
言ってることが違うから意見が違うんだ、と短絡してはいけない。




たとえばカルマという言葉について。

私はこの世に生きている人はほとんど皆、何らかのカルマを持っていると思っています。
持って無い人も勿論いるが例外的に少ないのではないかと思う。

でもジュネさんの定義ではカルマとは
軽いものでは無いようです。
つまりジュネさんの定義では「カルマとは重いカルマのことを言う」のだと思う。
ジュネさんはそこらへんをハッキリと文章化(言語化)していませんが。
私の感想を言えば、ジュネさんのように重いカルマ以外ならカルマは無い、とする方式の方がいいな。
だって、誰だって多かれ少なかれカルマは有るんだから、
全員有るんだから、その場合は重篤なカルマを持っている人だけを「カルマが有る」とした方が
現実的です。
この点、ジュネさんのカルマの定義は優れていると思います。

通常のカルマというのは、私のように
誰もが持っているものである、とするのが普通(一般的)です。
どちらが正しいとか間違っているという話ではなく、
定義が違うだけです。




殆どの人は「あっちが正しければこっちは間違いである」という思考回路になっているので
会話も困難になります。
つまり、片方が
●この世は善悪二元論だ、正しいものと間違っているものとがある
と思い、もう片方は
○いや、人の意識には段階があるのだ。正しい正しくないは○×式で考えるものでは無い。
  正しさ(を初め精神活動)には様々な段階があるのだ
と、それぞれ違う定義で会話をすれば、会話が噛みあいません。




人間として生まれた以上はその「定義」をより良いもの、良い高いものにしていくのが
私は良いと思っています。
この場合の良いとは善悪とは関係ありません。

質的により良いだろう、という話。



<集団のカルマ>(2011年9月12日〜13日)


ミンス党の某大臣が
「死の町」と、自分が見た感想を率直に、詩的に表現して言ったことと
「放射能つけちゃうぞ」と冗談を言ったことの「責任」を取られて辞職しました。
私は上のような発言にはなんら問題は無いと思っています。
たしかに冗談の方は面白くもなんともないが、あれは大臣になって舞い上がってしまった結果だと思う。
くだらないが責められることでは無い。

さて「死の町」とはナンだ!と、クレームつけたマスゴミと某県知事は
その町に住居を移してもらいたい。
そして
「ホラ、ボクはちゃんと生きてるでしょ?だから死の町じゃなくて生の町ね」と
身をもって実証してもらいたい。
大臣を責めるのは、それを実行してからにするべきだ。




と、いうのが私の感想です。

ところで黒海偽印は他の政党の人が言ったなんでもない言葉の揚げ足取りに
専念して何年になるでしょうか?
今の与党であるミンス党の大臣がこのような目に遭うのは
今までミンス党がそれをやって来たからです。

単純に考えて今の野党が与党だった時に、
散々ミンス党にやられたからそのお返し、意趣返しであると言えるし
これは集団のカルマなので個人はその下の次元(レベル)に属しているから
いくら個人の力量が有ろうと善意だろうと
その上の組織であるミンス党自体にカルマが有るので、
下の次元(レベル)に居る議員はその運命からは逃れられない。
(逃れるには、その組織から出なくてはならない)

今まで散々党を挙げて他党を非難してきたカルマが
立場が逆になった今、返って来ているだけの話。




なのでこれから政権がどのようになろうと移ろうと変わろうと
カルマに対するカルマのお返しが続くだけです。
これを止めるには「ただちに全員が黒海偽印を辞める」しかありません。
ゼロにする。
それしか無い。




その後この事件の真相が分かりました。
この大臣は原発反対だそうで。
原発推進派(電力会社、日本の裏にいる連中、マスゴミら)によって攻撃されたらしい。

日本の裏にいる連中に脅されたので辞めた人は
私は二人(F田と缶)知っているけど他にも沢山居るんだろうな。




<コミュニケーション能力不足の人4>(2011年9月11日)


【相手の話を聞かない】


自分を「常識がある」と思っている大人に多い。
相手の話を聞かないのです。
単なる世間話の場合でも、相談ごとでも、とにかく相手の話を聞かない。

一応耳では聞いているし内容も日本語なので分かるのですが
意味を分かろうとしない人。

こういう人が親をやると、大変です。
子どもが何かを訴えても親であるこの人は子供の言うことを聞かない。
そして自分が言いたいことを言うだけ。

会話がキャッチ・ボールだとすれば
この親は子供が投げたボールは「そんな球は受けられない、ダメだ、下手だ」と言って受けない。
ボールは虚しく遠くへ飛んで行く。
そして親は「ボールってのはなぁ、こうやって投げるんだよっ!」と
親は常に子供に何事かを教えるのだ、それが親の務めだ、みたいな感じで
思いっきり直球の剛速球を子どもに投げる。
子どもはまだ下手だし球の勢いが強すぎて
ちょっと賢い子なら避けますが、頭がいまいちの子はまともに食らって痛い思いをする・・・
みたいな。




よく閲覧者さんから相談メールが来ます。
親の立場もあり、子どもの立場もありますが両方に共通するのは
「親との会話が不可能」ということです。


●親の立場の人からの相談メールは
  子どもが口をきいてくれない、すぐ怒る、怒鳴る、働かない、学校へ行かないなど。
  これは長年親が子どもの言うことを聞かなかった結果です。
  こうなったら親は真剣になって、自分を変えないとならない。

●子どもの立場の人からの相談メールは
  親が何も理解しない、言葉が分からないようだ、くちうるさい、当たり前のことしか言わない
  などです。
  親は60代以上の場合が多いが、中には40代の親のお子さんからもメールが来ます。
  つまり、年齢では無い、ということです。




子どもの話を聞かず、それを自分では自覚できないで生きてきた人の子が
小学校の途中から登校拒否になりました。
親はそれまで生活するだけで必死で、自分のことを省みる機会が無かった。
怪我や病気、事故に遭っても、ただ「ヒドい目に遭った」と思うだけで
それが何かを訴えているとは夢にも思わなかったのです。

この人は子どもが学校へ行かない、しかも、登校しない子が
最初は一人だったのに、途中から二人になった、、、、ということで
大変ショックを受け、そこで初めて真剣になったのでした。



ひとの話を聞かない人はかなり多いですね。
なので本当はやりたくないのですが、注意をこちらに向けさせるために
私は敢えて怒鳴ることもします。
それをしないと、こちらに注意を向けないからです。
二人しか居ないし、二人で会話していても相手の話を聞かない人なんて
ふつうにいますよ。




<金が有っても不幸な人・・・続き>(2011年9月9日)


下の記事<金が有っても不幸な人>の続きです。

要するに下のお婆さんは自己中心なのです。

@自分が自己中心である
A自分が考えた「良いこと」をする
B自分が考えた「良いこと」とは
  a:二人の息子にそれぞれ家を一軒づつ用意してやること 
    (一人は自分が住んでいる家を相続させ、一人の家は買ってやる)
  b:亡くなったご主人の年金が二人分来るので、それを息子二人にそのまま渡す
     (息子の口座に入るようにする)
Cそれらはこのお婆さんが自分で考えた最高の「良いこと」




Dこれらの「良いこと」をしたのだから、当然、息子達は私の思いやりに気づくはずだ。
  これが「良いこと」であると分かるはずだ、とこのお婆さんは思う。
Eお婆さんがした「良いこと」に対する「見返り」「お返し」「恩返し」は
  このお婆さんは老人だから家事は出来ないから(やらないのですが)
  「良くしてもらっている息子」と「その嫁」がお婆さんに「良くしてくれるはず」であると
  事前のリサーチ無しに思う。
Fところが現実は、息子は特に親に恩を感じるようでもなく、
  嫁と来たら朝晩は飯を作るが、昼間は嫁とお婆さんしか居ないので
  食事など作らず、毎日コンビニで「嫁は弁当、お婆さんにはおにぎり一個」買って来るだけ。
  食事には野菜は一切使わない。
  嫁が言うには「家族が食わないから」いいんだと。
Gこのお婆さんは自分の計画が全く実現されていないので
   毎日が苦痛だし、年金は息子夫婦に全額やってしまったし(まぁ、自分のはあるが)
   悔しいし野菜は食いたいし・・・心はジゴク。


と、いうわけです。




このお婆さんは相手のことを全く見ていません。
見ているのは「自分の心」「自分の気持ち」「自分の考え」「自分の予想」「自分の計画」だけです。
凄まじい自己中心ですが、80代の老人なのでこれが普通です。

息子夫婦には息子夫婦の考えがあるのだから、
このお婆さんはそれを知る必要があったのですが、
とにかく老人は自己中心ですから、自分の考えがそのまま他人に当てはまると
無意識無自覚に思っているのです。

このお婆さんのこの日常を招いたのは、このお婆さん自身ですね。
お婆さんを説得するのは不可能でしょうね。
お婆さんに説得が可能で、これらの理屈を頭で理解できれば
この不幸は一瞬にして無くなるのですが、それは難しい。。。。



お婆さんを例に取りましたが、これは若い人にも当てはまりますよ。
誰もが無意識無自覚にこのお婆さん状態になっているものです。
頭が働く人なら、そこでひと考えしてみると良いと思います。
幸せになりたいのなら。




<金が有っても不幸な人>(2011年9月8日)


主人の母から聞いた話。

そのお婆さんは長いこと保険の外交員をやっていました。
一度目のご主人と死別し、二度目のご主人も数年前に他界。
子供は男子二人で一人と同居、もう一人はちょっと離れたところに住んでいます。

このお婆さん、長いこと働いていたので預金はあるし、自分の年金も入る。
その上二人のご主人の遺族年金が入るので
月々沢山のお金が入り
「使いきれない」そうです(本人談)



それで一度目のご主人の年金を離れたところに暮らす長男に、
二度目のご主人の年金を同居する次男にそっくり渡しているそうです。
つまり自動的に息子の銀行口座に入るようにしたのだと思います。

離れて暮らす息子には家を買ってあげたそうです。



何でそんなバカなことをしたのか、理解できないが理解はできる(どっちやねん)。
主人の母も言う通り、「お金を全額渡して、息子達に良い対応をしてもらうため」です。
お金をあげるから私を養っておくれ、面倒を見ておくれ、優しくしておくれ、
世話をしておくれ・・・という心がある。
つまり甘えているのです。




その結果・・・

同居の息子の嫁は家事は殆どしない。
(その息子の年齢は私くらいで50代半ばなので嫁はそれよりちょっと下だから50歳前後ですかね)
その家には息子の息子達二人が居る。
育ち盛りなのにその母、つまりお婆さんから見たら嫁ですが、その人は
野菜を一切買わないし、野菜を使った料理をしない。
食べるのは肉、魚、卵、それらの加工食品ですかね。

野菜を一切食べない家というのも珍しい。

食事を作るのは朝と夕方だけで昼間は主婦も休みたいのでコンビニで買ってくる。
それが、一階の居間に居るお婆さんにはセブソイレブソのおにぎり一個。
自分は二階の自室へ行き、そこで買ってきた弁当を食べている。
ついでにポテトチップスやポップコーンのようなスナック菓子を
毎日山のように買って来て食べているので、その嫁は豚のように肥え太り
ますます動きは鈍くなり、カロリーは消費せず、
腹は減るのでコンビニ弁当とスナック菓子を山のように食べる、と。
野菜を食べないので栄養のバランスも悪いからそりゃ太りますわな。




このお婆さんは野菜料理を食べたいんですよ。
だったら自分で作ればいいのにね。
でも家をタダであげて年金も全部渡しているのに、この仕打ちは無いと
怒っているだけで自分で料理をしない。
食料品を買いに行くのも自分では歩けないので嫁に車に乗せてもらうしかない。
で、店まではその嫁は運んでくれるそうですが、車の中で待っている。

私はそれでも良いと思うな、だって本人は運転手に徹しているんだし。

でも、そのお婆さんは自分は足が不自由だし、買い物カートを押すのも本当は嫁にしてもらいたいが
嫁がしないので仕方ないから自分で買い物をして車に戻る。

その繰り返しがこのお婆さんの日常です。




主人の母は優しくて温厚なので隣近所の人(お婆さん)から好かれて
毎日のように愚痴を言うために訪問を受けているのですが
そういう愚痴を聞くのも毎度毎度中身が同じで全く進歩しないので嫌になっています。
(だからウチへ来て全部喋るんですがねw)
近所のその「不幸」なお婆さんはしょっちゅう「死にたい」と言っているそうです。
そういう世迷言の相手をするのも面倒なのでしょう。




自分が子供達に「良くしてあげれば」相手も自分に「良くしてくれる」だろうと
大変、甘い見込みで財産を分け与えてしまったお婆さん。
この世代は・・・というより、全部の世代でこういう人はいるのではないかな。
勿論この世代(80代)には多いと思いますがね。
甘い期待をする人はいます。

人生を不幸にしたいなら、まず「甘えること」です。
間違いなく不幸になれます。
(とは言え、相手が甘えてくれ、と言っている場合は、素直にそれに乗ることです。
  それが出来ない人が「バカ遠慮する人」です)
甘えるべきところで甘えず、甘えてはいけない場面で甘える人。
こういうことを言うと残酷ですが、多くの人がこのレベルに有るのではないだろうか。
何か勘違いしていて、何か間違ってしまった人です。




このお婆さんの場合は、「嫁に全てをしてもらおう」などと考えたのが間違い。
お金を沢山あげれば、相手は当然自分に良くしてくれると甘い期待をしたのが間違い。
相手には相手の心(思い、考え)が有るのに、自己中心な人にはそれが分からないので
今、こうして毎日それを「分かれ」とでも言うように、体験させられているのです。



このお婆さんは沢山の年金、使いきれないほどの年金をもらっているのだから
それは全部自分が管理するべきでした。
そして相手の働き、思い、心によって金銭を払う、という方式にすれば良かった。
ひと考えするべきでしたね。




主人の母は性格も良いが頭も良いのでその点助かります。
(老人であることによる、様々なズレが生じるのは仕方ない)
55歳で運転免許を取り、自分のご主人の運転手を勤め
今では車で好きなところへ出かけています。
スケジュールはビッシリで昨日「●●へ一緒に行きませんか?」と誘ったら
「あら、これから●●のお稽古があるのよ〜、残念ね!」だと。
毎日楽しそうです。

もうすぐ84歳です。
身体で悪いところは目が悪いくらいで最近白内障の手術をしました。
健康診断は行かないそうです。

私も行かないけど。

これは今から1年ほど前かな?
「お義母さん、人間には皆ガン細胞が有るんだって。
  精密検査すれば全員ガンが見つかるわけですよ。
  それを切ったり放射線を当てたり抗がん剤を飲んだりすれば
  ガンを拗らせて治るものも治らなくなる」
と教えたら
素直なのでそういう意識で生きている。

心がとても柔軟です。



今から16年ほど前のこと。
主人の父がガンで死にました。
その前後、お義母さんはとても落ち込んでいました。
ウチへ来たお義母さんに私は心のことなどをいろいろ教えた。

そしたらその後お義母さんは
「こんなに幸せでいいのかしら」というところまで行きました。
今も毎日楽しそうです。
お義母さんに教えて良かったな、と思います。


当時義母は60代後半だったのですが頭が柔らかい人は年齢は関係無い。
却って何も知らないところに新しい知識や情報が来たのでどんどん吸収したようです。

地域でも親戚の中でもお義母さんは他の人より考えることが出来るので
皆から頼られて好かれていることも、生きがいの一つにはなっているのではないか。
最初のお婆さんのような困った人も義母を頼ってくるので無碍には出来ないので
面倒といえば面倒だが、愚痴を言う人より自分は幸せであることは間違いないので
そういう意味からも、お義母さんは幸せ者なのです。

年金は自分の年金しか入らないと思うがそれで楽しそうにやっています。
(子供が三人居ても親に援助を出来るほどの金が無い。
  というか、有る子供は援助しないし、うちは援助したいが金が無い。
  その代わりというわけでは無いが、
  毎週土日はお義母さんにうちへ来てもらって晩御飯を食べてもらっています。
  お義母さんの息子、つまりうちの主人が料理をして食べさせています。
  主人は料理をしたいんですわ)

つくづく幸せは金では買えないな、と思いますよ。

金が有るのに不幸な人がいる。
金は余分には無いが幸せな人が居ます。




<コミュニケーション能力不足の人3>(2011年9月6日)


【話を聞いてない】


態度は聞いているのですが、相手の言葉に全く注意、注目していません。
ただなんとなく聞いているだけ。
多いですね。

これには幾つかタイプがあります。

@意識が常にボンヤリしていて話に集中できない。
  夢の中のような人。

A自分の頭の中に、確固たる意見が有り、それ以外は受け入れない人。


などです。

Aのタイプは、親、老人、中年、頑固な人、信者、自信家に多いのではないかな。
Aのタイプの人に困った経験が有る人は多いと思います。

「分かろう」という気の無い人のことです。

※この「分かろうという気が無い」ということを私もやっちまうことがあります。
  個人主義なので人がどう感じようとそれについては本人の自由だ、と思っています。
  でも、事情を訊くくらいの親切心を発揮しても良かったな、と思うことがたまに有ります。
  半年から一年前のこと。
  或る人が或るチャネラーについて、率直な意見を私に送ってくれたのですが
  その時私は「そうですか、その人は特に問題は無いと思いますよ」みたいな返信をしました。
  後から考えたら「どうしたんですか?」と親身になって訊けば良かったのですが
  その時は深く質問しませんでした。
  元々アッサリしているので必要があれば相手が言う(書く)だろうと思っています。
  しかしその時突っ込んで聞いてあげた方が親切だったな、と思います。
  メールを送ってくれた方、今、この記事を読んでいたら、申し訳ないが再度その件について
  送信お願いします。




【話が理解できない】

これは大変多いです。
相手の話を聞いていても意味が分からない人のことです。

意味は分かってないのですが、相手が喋っているのは日本語なので
聞いているほうは意味を分かっていると錯覚する。
これは始末が悪い。




【仮定の話が分からない】

上の【話が理解できない】の中に入りますが
仮定の話を理解できない人が居るのです。
これを知ったのは40歳くらいでした。
それまでは高校・大学とまずまずの偏差値の場所に居たので
まさか、世のなかに仮定の話を理解できない人が存在するなどと思っていませんでした。
でも主婦になって、他の主婦と話をすると仮定の話を理解できない人が居ることに驚きました。

「もし●●だったら、△△である」

こんな簡単なことなのですが、これは抽象的思考に分類されるのだと思います。

もし●●だったら・・・の話なので、その●●がなければ、●●でないならば
次の△△はありえないのですが、それを分からないのです。

【仮定の話を延々と続ける】

これは上の【仮定の話が分からない】のちょっと違うバージョン。
サイト運営していてもたまに、仮定の話を延々と続ける人がいます。
「もし●●なら△△である」
そこまでは良い。
仮定の話だから。
ところが仮定の話なのに途中からまるで「事実」であるかのように変化してしまい
延々と話を続けるのです。
しかし仮定なんだから、まだそれは「無い」わけで、
延々と続けたり、現実のように語られても困るのではないでしょうか?


これなどはちょっとカタチが違うが【仮定の話が分からない】の一つのタイプだと言って良いでしょう。