hinoatarubasyo     人間のいろいろを書いていきます。記事は上に追加されます



<コミュニケーション能力不足の人2>(2011年8月31日)


整序していませんで思いつくまま書いているので
<コミュニケーション能力不足の人1>と内容が重複しています。




【結論無し・無目的】

この人はいったい何を言いたいのかな?と思って聞き続けるが結論が無い。
だからその結果【脳内ダダ漏れ】的会話になるわけです。

話し方の分類ですが、これは或る人の話し方をいろいろな角度から見たもので
「同じもの」を対象にしている、ということを理解していただきたい。
Aさんは【脳内ダダ漏れ】だが、【結論無し・無目的】に喋るということは無い、というのではなく
Aさんの話し方は思考していない結果【脳内ダダ漏れ】であり【結論無し・無目的】であり、
【相手の話をすぐ引き取って自分の話をする】のです。
そのように考えてください。


つまりコミュニケーション能力不足の人は無自覚に
これらのこと(の中から幾つかを)やっちまってますよ、ということ。
全体的に会話の能力が低い、ということです。
問題の会話を全てする、ということでもな、人によってダダ漏れはするが、
他人の話を引き取ることはしない、とかはあります。



さて、【結論無し・無目的】に戻ります。

この人の話には結論がありません。
(だから脳内ダダ漏れになる)
結論は何だろう?と思って聞いていても一向に結論に達しない。

主婦にいますね。

男性にもいます。

総じてお喋りな人です。

私はやっと分かりました
(自分なりに結論を出しました)
こういう人は「喋ることが目的」なのです
だから本人としては喋りゃあいいんだから、話の内容に結論が無くても良いのです。
話すことが目的だからね。




こういう人がいろいろ喋るので私はその話題に対して、自分なりの「結論」をその都度出しますが
相手はそんなのは聞いちゃいません。
その人は結論を出すために話すのではなくて「喋る」のが目的ですから
他人の話は耳では聞いていても、意味を捉えるとか理解するというところまでは達して無い。
話に結論が有る、ということを理解していない、思ってもみない。
ただ、喋るだけ。




相手に聞く耳が有るなら、と一応は私の意見を言っておきます。
「さっき私は結論出したよね?その話はそれで終了したけど?」
これを言うのは例外的に親切であることを分かれば良いのですが・・・
しかしこういう話し方(結論無し)をする人は、話を真剣に聞くという心の姿勢は無く、
専ら「自分が喋る」ことに意識が集中していますから、
つまり大変な自己中ですから、「結論は出たよね?」という私の言葉を聞いても
それが意味するところを理解しません。


こういう人との会話には実りが無くひたすら時間の無駄なので
相手がこの点を改善するか、私がこういう人と会話をしない方向に持って行くか
選択することを迫られています。
とは言え、そんなに真剣に選択するわけでは有りませんがねw



【相手の興味の無い(関係無い)話をする】

コミュニケーションの基本「相手の身になる」ことが出来て無い人がいます。

こういう人も「自分が喋るのが目的」です。
だったらせめて「相手が興味を持っているか、関係ある話をすれば良い」のですが
自己中心なのでそういうコトを思いつきません。
ひたすら自己中心に「自分が興味の有ること、自分に関係すること」を語ります。




こういう話し方をしている人の話を、
「この話はいつか、私に興味の有る、私に関係する、私が面白いと思える、話になるのかな」と
思いつつ聞くわけですが、一向にそういう方向に行きません。
いつまで聞いていても全くその兆候が見られない。

話している本人は「聞き役」を得てとても楽しそうですが、
私は「自分に興味も関係も無い話」を延々と語られるので全く面白くありません。




【相手が知らないことを話す】

上の【相手の興味の無い(関係無い)話をする】の典型。
分類としては【相手の興味の無い(関係無い)話をする】の中に入る。

こういうことありませんか?

数人で会話している。
そのうちの二名(何名でもいいが)が「あること」について会話が弾んでいる。
その「あること」は、他のメンバーは知らないし興味も無い。
そりゃ会話していれば「あること」についてお互いに知っていたことに気付き
楽しくなるだろうが、そのことと、「あること」を知らないメンバーがそれを聞いても
自分には関係無く、興味も無ければ、「あること」についての話は早々に切り上げて
全メンバーに関係の有る話に切り替える・・・ことが出来ない。

「あること」を知っている二名はこの話題について延々と語り続けるわけです。
それを聞かされる、「あること」には全く興味の無いほかのメンバーにとっては
実に退屈な時間です。

私の体験談を書きますと、ずっと前、まだ独身か、結婚して間もない頃の話。
友人数人と会った時、その中の二名が「都内某所の某店」について話を始めた。
しかし盛り上がっているのはその二名だけでそれを聞かされている残りの私達には
何のことやらさっぱり分からないので全く面白くありません。
私はこの時(ああ、関係の無い話を延々としてはダメだな)と、サトリました。
このうちの一名は物事が分からないのに、自分ではその自覚が無い人だった。
相手は忘れたw
多分片方の人と同じか、或いはマシな人間であったが相手がその話を続けるので
仕方なくその話題に付き合っていたのか、分かりません。
(止めようと思っても相手がいることなので、それをブッタ切って「もう止めよう」と言える人は殆ど居ない)




要するに
コミュニケーション能力の低い人とは「自己中心」で「判断力は乏しく」低波動の人のことですよ、
ということ。
だからここは「皆さん、自己中心を辞めて判断力を上げ、波動を高めましょう」と言えば良いのです。
しかし、そうでは無い場合、これこれこのような困ったことになっていますよ。
と、親切に解説しているわけですよ。
「波動を上げなさい」と言われて(読んで)「コミュニケーション能力が上がる人」
ならここで私が書いているようなことは必要ありません。
でも、読んだだけで分かる人は殆ど居ないために、こうして解説しているわけです。



【毎回同じ話題】

会うたびに同じことを言う人がいます。
主に家庭、地域、子供の学校関係、職場のことなどです。

その話をしてもいいんですよ。

でも、そのことと、聞いている私と何の関係がありますか?

私の場合、一度聞いたことに対しては自分なりに結論を出します。
「これこれこうだから、こうなるのであって、ゆえに、こうなり、従ってこうである」と。

だから結論は出ています。

勿論話し手の人には結論は出ていませんが、私は「その件」に関しては結論を出したのです。
したがってその件についてはこれ以上の会話は無用であります。



これは対面の会話に限りません。
メールのやりとりも同じです。
例を挙げましょう。

その人は毎年同じ悩みをメールで送ってくる。
それに対してアドバイスをします。
するとお礼を言い(書き)分かったと言い(書き)ます。

一年後。
また同じ悩みを書いて寄越します。
それに対してアドバイスをします。
するとお礼を言い(書き)分かったと言い(書き)ます。

一年後。
また同じ悩みを書いて寄越します。
それに対してアドバイスをします。
するとお礼を言い(書き)分かったと言い(書き)ます。

一年後。
また同じ悩みを書いて寄越します。
それに対してアドバイスをします。
するとお礼を言い(書き)分かったと言い(書き)ます。

(一年後というのはおよその期間で、実際は半年間くらいのこともあったかもしれません)
これは実際にあったことですが
この人には悩みを解決する気は無いのだと、鈍い私もやっと悟りました。
この人の目的は「自分の気持ちを聞いて(知って)欲しい」
それが目的。
会話の方法が
@悩みを言う
A聞いてもらう(共感してもらう、理解してもらう、慰めてもらう)
B満足する=決して改善しない=何故なら改善したら会話できなくなる)
無自覚でやっていることは間違い無いと思います。

そういう人はそれで良いと思いますよ。
(良い、という意味は好きにすれば良い、という意味)
でも、それに付き合うのは面倒です。
付き合ってあげたい人と付き合うのが幸せです。

またこういう人は殆ど進歩しません。
何も全員進歩するべきだとは私だって思わないので、進歩無し、変化無しで良いと思います。
ずっとその境地に居続けることがこの人にとっては幸せなのだから。
しかし私はこういう人に対して貴重な時間を割くことはしません。
一年に一度くらいだったので私も気づくのが遅れました。
悩みを書いてくるのでこちらとしても真摯に相手をしてあげたいと
その都度対応して来ましたが、どうも相手は真剣ではなく
「ただ語りたい」だけだったようです。



さて、今度は対面の場合。
私が毎回結論を出しているのに、それを聞かず
再び会う時はまた最初から同じ話をするのです。
これは相手の話を真剣に聞いてない証拠ですね。
真剣に会話しない人との会話は面白くないので出来れば打ち切りたいです。


こういう人は「相手がどのような話題を欲しているか」という視点が全く無いのです。
あくまでも自己中心。
まずはそこから治さない限り、表面上の会話の方法や技術をいくら学んでも
それは頭の先に知識としてつくだけで根本的には何も変わっていませんから無駄です。

よく「話し方」の本が売られていますが、そういう技術の本を読み、
知識を入れても本人の性格が自己中なら改善は難しいかな。

それにしても、私は会話の下手な人に対して改善点を指摘するのですが
それで治った例は殆ど無い。
これが治ってもあれが治らないとかね。
無料で指摘しているので「価値無し」と思われるのかもしれません。
いっそ有料にしようと思います。
一時間5000円で承りましょうかね。

金が掛かるとなれば真剣になる人がいるのでねw
世のなかの様々なセミナーの料金がべらぼうに高いのは、そういう理由もあります。
無料だと真剣に聞かないが高額だと、元を取りたいという意識が働きその結果真剣になるから。




<「良いこと」と信じて疑わない人>(2011年8月27日)


下の下の記事<「良いこと」と「分かること」>(2011年8月21日)の関連記事です。



事例を挙げましょう。
今から20年以上前のことです。
私は友人と子供連れで或るところに電車で行きました。
都内の駅で電車を待っていた時、友人は目の前にいた幼稚園児か
小学校低学年の女の子に、自分が持っていた飴を一個あげました。

(あ)

と、思った時は遅し。
既に相手の女の子に渡していました。

私は咄嗟に友人の顔、女の子の顔、女の子の母親の顔を見ました。
すると案の定

友人=良いことをしたので満足顔
女の子=良いのか悪いのか分からないという無表情
母親=鬼の形相


(あああ!やっちまったな!)




私は三人の顔を見た後、再び友人の顔を見ましたが
満足顔をしているのです。
友人は目の前にいる母親の顔を見ていないのでしょうか?
いや、目の前に居るんだから、見ないはずは無い。
見たけど、何も感じないようです。




私は友人に忠告しました。
「やたら子供にお菓子をやっちゃダメだよ」
すると友人は
自分がした、良いことにケチをつけられたと思ったのでしょう
「信じられない」という顔をして次に悲しそうな顔をしました。
「あのお母さん、怒ってるよ」
友人は母親を見たのですが、この母親が怒っているように見えないのか
見えても目の前のこの顔をどう解釈して良いのか分からないのか、
私には分かりませんでしたが、それでもまだ
(あああ!私はやっちまった!失敗した!)
と、いう表情にはならない。
ひたすら
(全然何を言っているのか分からない)
(何故私がこんなことを69に言われるのか分からない)
(私は良いことをしたのに何故貶されるのか分からない)
(何で69さんはこんなこと言うんだろう?)

みたいな、ぼうっとした顔をしているのです。



私だって出来ればこんなつまらないことはしたくありません。
「当たり前のことが分からない人に、コレは当たり前なんだよ」と教えることほど
つまらなく面倒なことはありません。
相手が自分より年下で十代、二十代ならともかく私の同級生なんだし。




私の忠告を聞いたら一度で(あ、そっか!)と、分かって欲しい。
なのに友人の態度は
「私が良いことをしたのであって悪いことなんか全然していないんだから
 私を責めないで欲しい。
 そういう意地悪を言わないで欲しい。
 もっと優しくなって欲しい」

というような態度と表情なのです。



私としては「一度忠告すること」すら、本来不必要なことなのに
それを相手が一度で理解せず、なおも我を張るのに付き合うことは
大変面白くなく労力を消費するし時間の無駄である、という思いが倍増しています。

この時私がなおも相手を説得しようとしたのか
この時点で諦めたのか記憶が無いのですが
多分諦めたのだと思います。
分からない相手を説得するのは大変面倒なのでね。

友人は最後まで
「自分を分かってくれない」とでも言いたそうな変な表情をしていました。
(この後、この人の子供は二人とも登校拒否になり、一人は高校中退しています)



さて、この時の「女の子の母親」が何故鬼の形相をしていたのか
分かる人には分かり、分からない人には分からないのでしょうね。

最低限の推理力と想像力、つまり潜象勘が無いと非常に不味いことになりますよ、という話でもあります。



記事を読んだTさんから体験談が来ました。

<「良いこと」と信じて疑わない人>を読んで思い出した事があります。
母の事です。

私が高校生の時です。先生からある催しに参加するように言われました。
夏休みに研修所に県内の高校生が50人ほど集まって、ある学科の集中講義を
受けるというものです。
主催者側から高校に「各校から数人ずつ参加するように」と連絡が来たそうです。

スケジュール表をもらいました。二泊三日です。初日は午前中に研修所に
着いて、昼食は研修所の食堂で食べることになっていました。
母にスケジュール表のコピーを渡しておきました。

出発の朝、台所に行ったら母は海苔巻きを作っていました…。
なんで海苔巻き?きょうは何か行事のある日だったっけ?と思ったのですが。

母は海苔巻き3本分を大きなタッパーに入れて、胸を張ってにこにこして
私に差し出すのです。
「ほーら、朝早くから手間ひまかけて海苔巻きを作ってあげたよ〜。
お昼に他の学校の人や先生たちに食べてもらいなさいよ。買ってきたんじゃなくて
お母さんがわざわざ早起きしてつくってくれたんだとちゃんと言わないと駄目よ」
私はびっくりです。
「…昼は研修所で昼食がでるからいらないんだけど」

今度は母がびっくりした顔になって
「え? なんで喜ばないの? なんで気に入らない顔してるの?
あのね、昼食がでるのにね、わざわざ手の込んだ海苔巻きを持って行くのが
いいんじゃないの。○○さんのお母さんは凄いねぇ、とみんなほめてくれるよ!」

なんじゃこりゃ…でしたw


こういうお母さん、多いんですかね?
子供としては非常に困りますね。

Tさんが非行少女にならなかったのが奇跡です。



「Viva!」のぱとりさんから、情報と感想が来ました。



ぱとりです。
<「良いこと」と信じて疑わない人>(2011年8月27日)を読んだ感想です。


↓そのついでにですが、「子供にやたらお菓子をあげてはいけない」の参考になる記事です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5305294.html

******

ほんと、母親に限らずですが、

「私は間違いなく良い人だ。
 なのになぜ、こんな困った状況になっているのだろう?」

って人、多いですね。

もっと書くと、

「私は今まで、私よりも意識や判断力が低い人にたくさん苦労させられてきた。
 私は可哀相だった。私は一つも悪いことなんかしていないのに運命はひどい。 
 世の中いろいろ間違ってる。苦労させられる。
 それでも私はめげないで、
 私よりも意識や判断力が低い人をたくさん助けてあげてきた。
 そんな私は優しい、とても良い人だ。
 私は他人よりなんでもよく知っているから、
 他人に教えられることなんかない。
 ましてや、年下に忠告されるなんてことはありえない。」

みたいなことを、無意識無自覚で思っている人。

こういう人は気の毒だけども、もう何を言ってもほとんどの場合、だめなんですよね。

だから、こういうタイプの母親を持った子供は、
母親に何かを求めることを早々にやめて、
まず自分が精神的に自立するのを目指すべきですね。

おそらく、その行程を味わうために、自分でそういう人生を選んだんだろうし。

そこで自分を被害者と思い始めたら、不幸まっしぐらですよね。

*****

この間印象的だったのが、
ものすごく思いやりがあって、優しくて、

「皆楽しくやりましょう、困っている人は助けてあげましょう」

ってことを常に言ってる、ほんわかした雰囲気の人が、

「むかつく人がいたので、たんすの角に小指をぶつけるように呪ってやった」
「規模の小さな呪いにするのは、自分に返ってくるから」

ってぽろっとこぼしてて、超どす黒いものを感じてびっくりしたことです。


こんなふうに世の中は、
「まさか自分が加害者になっているとは思わない人」ばかりです。

でもまあそれはそれとして、
「世の中そういうものなんだな」と、楽観するわけでもなく、
絶望するわけでもなく、淡々と思う今日のこのごろです。

だって、自分だって、

「私は間違いなく良い人だ。
 なのになぜ、こんな困った状況になっているのだろう?」

って無意識無自覚で思っていたせいで、結構な目に遭ったり、
周囲に大変な迷惑をかけたりしたことがあるのだから、お互い様だと思うんです。
(今だってその傾向が完治したわけではないだろうし。)

『どんな人の中にも悪がいて、闇がある。私の中にもある。
 「それはそれ」として受け入れること』

と最近特に意識しています。

きっとそれが悪抱き参らせることなんでしょうね。

ぱとり



赤い文字の部分、驚きましたね!
私でも思いつかない呪いを善人の人が考えつくってのが凄いです。



<カルマ>(2011年8月24日)


友人のAさんの職場に国からの天下りというか、出向というか、
そういう人が居るんですと。
で、その人は大変理不尽なことを言うので部下が大変な目に遭っているのだそうです。
Aさんは職場のために正論を言いましたが、
一言言うと相手は激昂し、却って悪化するのだそうです。
Aさん困ってしまいました。




その上司と派手にやり合った後、Aさんは腰に異常を感じた。
心と身体の関係を本で調べてみたら、なるほどと思うことが書いてある。
Aさんは自分の意識を第三者の立場に立って見ることにしました。
すると自分にも不味い点があることが分かった。
すると腰の違和感はすっと消えた。




私はここで身体が健康なら良い、なんて言うつもりは無いのです。
言いたいのはここからです。

どう見てもその上司の言い分、意識、心構えは悪い。
そのおかげで部下はヒドい目に遭っている。

これって実に理不尽だよね?

ですが、視点を変えてみましょう。




その上司の部下ですが、若い人はいません。
皆さん職場では若い人を指導する立場(上司)に居ます。
つまりその人達は「上から叱責される」ということは無いのです。
(ここで、叱責の理由が理に適っているか、いないかは問題外ですよ)

国から来ているその上司が一番悪いのは当然ですが、
部下にもなんらかの気付くべきことが有るのです。
現にAさんは気付きました。
「このオレも良かれと思って部下を叱責したことがある。
 それって正しい正しくないを別とすれば、行いだけを見れば『同じこと』だったな」
と。
間違っている人は自分が間違っていると思って間違いを犯しているのではない。
当人はそれを
「良い」「当然だ」「当たり前だ」「これは正しい」と思ってやっているのです。
いかに間違っていようとも、当人の意識としては、いや、無意識ですが
「オレは正しい」と思っているのです。



Aさんはここまで気付いたので、身体の不調が消えたのですが
他の人達、国から来た分からずやの上司に怒鳴られた部下
(その職場では皆さん、部下を持っている偉い人)
大抵身体に不調を抱えているのでした。



私はAさんに言いました。

「Aさん。
 そのオヤジども(職場では偉いが、国から来た野郎に怒鳴られている人達)は
 通常なら他人から叱られるということが無い。
 それは本来払わなくてはならないカルマを、この国から来た上司に怒鳴られ
 理不尽な目に遭うことによって、払っているんだよ。
 この上司が居なかったら、誰もそのカルマを払えないんだ。
 皆さんのカルマを払うために、この上司が存在しているのだとも言える。
 だから一見悪いことのように見えるが実はそうではない」

「国から来た上司の部下に当たる偉い人達はそうやってカルマを払っている。
 で、全員がそれぞれのカルマを払い終えたらどうなると思う?」

「今度は国から来た上司に、自分が出した悪想念・低波動が一気に返ってくる」

「それはいつかと言えば、その上司の部下がカルマを払い終わった時だ」

「その時は、この上司は激しい人なので病気というカタチは取らないだろう。
 もっと激しいカタチになるだろう。
 具体的には怪我。
 手足を失うような重篤な怪我とかね。
 そういう波動を出している人に相応しい(同等の)ものがやってくる」

「その日を楽しみに待つのは
『悪の気』(bu  日月神)だから待ち望んではいけないが
 それは必ず来る」




自分が出した波動の答え(結果)は時間差を経てやってきます。
普段の思考、言動、行動が大事である、という話です。
昔の人はここらへんを長年の経験から感受していたので
「日頃の行いが大事」と言ってますよね。
昔の日本人は本当に賢かったと思いますよ。



と、いうことは・・・
私が一番大変じゃん!(驚愕


<「良いこと」と「分かること」>(2011年8月21日)


世のなかには「良いこと」をしたい人が多いですね。
でも、良いことをする暇が有るなら、分かる人になれ、と言いたいです。

しかし、分かる人になるには時間が掛かるから、
その間は良いことが出来ないじゃないか、というのなら
「しても良い」とは思いますよ。

でも、その時は「良いこと」をすることを「良いこと」だ思わないほうがいいです。
「わからずやの自分はまだ良いことをするレベルには達してない。
  でも、良いことがしたくてたまらないから、仕方なく今『良いこと』をしているのだ・
  申し訳ないが、『良いこと』をさせてください」
と、分かった上で良いことをすると良いです。


<コミュニケーション能力不足の人1/事例2>


800の記事、笑いました。
脳内漏れてる、私です。
昔からうっすうら自覚ありましたが
結婚して夫からハッキリ指摘されました。
そのときはカ〜〜っときましたが思い当たることだらけで
ぐうの音も出ませんでした。
そして大変恥ずかしかったです。

感想の人、小学生でわかるってスゴいですね!
同じタイプが引き寄せられるので、私の友人も
似たタイプが割と多くて自分すっかり埋もれてました。
夫は全く違うタイプなので、指摘してくれてありがとうです。



配偶者が気付いて指摘してくれるといいですね。
夫婦があまりにも似た波長の場合は、お互いに気付かないことがある。
また、夫婦があまりにも物事が分からない場合も、お互いに気付かない。
この方は自分でも書いてますが、ご主人が指摘してくれて良かったです。



<コミュニケーション能力不足の人1/事例1>(2011年8月19日)


下の記事<コミュニケーション能力不足の人1>を読んだ方から
「沈黙は金」という、大変参考になるメールが来ました。


話を吸い取って自分の話題にすりかえる、私も小学生の時ににやっていました。
ある日、意気揚々と話す友達の話を自分の話題にすり替えた時、
友人が悲しそうな顔をした瞬間にあ!これはダメだなと気づきました。

凄いですね。
小学生で気付くなんて。
相当な感受性の持ち主です。
私などはやっと15年ほど前に近所のおばさんが、他のおばさんと会話していたのを聴いて
分かったのです。
皆さん、凄いですね。


外国人が日本に長く居すぎた…と実感するとき
http://labaq.com/archives/50779932.html?__
18. 母国の両親と電話中に父親に
「どうしてぶつぶつと文句でこちらの話しをさえぎるのかね」と言われるとき。
日本人は相手の話しが終る前に話し始めることで有名

↑とありますが、これはよく外国人の友人に日本人って・・という話題の時に指摘されました(苦笑)。

売れっ子ホステスさんほどしゃべらないと言いますが、
会話しないのではなくて相手の話をサポートするのが上手なんですよね。

そうなんですよ。
それから考えない人ほど喋りますね。
考えないで喋り続ける。
自覚できる人はした方が良いです。



<コミュニケーション能力不足の人1>(2011年8月18日)


コミュニケーション能力不足にはいろいろあります。
種類分けして説明してみます。




【脳内ダダダ漏れ/自分の話ばかり】

とにかく延々と喋る。
内容は喋っている本人しか知らないことなので、それを聴いても何も面白くないが
この話がいずれ、聞き手にも関係のある話になるのかもしれないと思い、
聴き続けるが、結局最期まで、そういうことは無い。
徹頭徹尾、喋っている人にしか分からない。
自己中心の典型。

相手がこの話題を聞いて楽しいか楽しくないか、興味があるか無いか、調べないで延々と語るというのは
大人のすることではないが、こういう話方をする人は多い。



【脳内ダダ漏れ/話題がどんどん変化して結論が無い】

上の話手が、上と同時に行う。
その話は延々と続くが、話題はどんどん変化して行き、結局結論は出ず
ただ喋っているだけ。
話題は連想ゲームのように展開する。
たとえば・・・
暑いね→夏だなぁ→夏子という同級生が居た→テニス部員だった→テニスの王子様ってマンガあるよね?
→マンガは好きだなぁ→本より好きだ→本と言えば最近読んだ本はコレコレだ→
そこに書いてあったんだけど、人間の脳には爬虫類脳があるんだって→爬虫類、嫌いじゃないです
→蛇だって可愛い→蛇といえば金運ね→金運upを祈願したい→どの神社がいいかな→
神社と言えば最近お寺で法事があってね→親戚が集まったんだけど→従姉妹が結婚したのね
→今の結婚式って昔と違うのね!→相手の人はどこそこにの人なんだって→どこそこには行ったことないけど
行きたいなぁ→行くなら飛行機がいいかな→ずっと前に飛行機で沖縄に行ったことがある→
沖縄の料理は好きですか?→沖縄の酒といえば泡盛→でも日本酒の方がいいな→・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いったいどこに着地するのか!

と、このように延々と話が続くが、いったい何を言いたいのかさっぱり分かりません。
いったい何を言いたいのだろうと待っているのですが、結論なんか無いのです。
こういう話方をする人は多い。



【相手の話をすぐ引き取って自分の話をする】

これも大変多いです。

相手が何かを話出すと、即座に自分の話をする人。
相手の話に相槌を打つ代わりに自分の話をするのです。
たとえば・・・

相手が「来月フランスに行くんです」と言うと「私も行ったことがある!」
相手が「うちの子供が手足口病になっちゃって」と言うと「親戚の子もなりました!」
相手が「私は公務員で」と言うと「伯父さんが公務員です!」
相手が「親戚に東大生がいます」と言うと「東大じゃないけど、東京の大学に通っている子がいます!」
相手が「実は私、痔なんです」と言うと「私も痔です!」
相手が「実は私、宇宙人なんです」と言うと「私も魂は宇宙人だと言われました!」


相手が何を言おうと、その話を自分のことにして引き取らないと気が済まない人。
こういう人も大変多いです。
これ、会話じゃないですよね?
でも、本人には自覚が無いのです。
子供や老人田舎の人に多いです。




通常なら相手が「来月フランスに行くんです」と言ったら
「あら、いいですね。フランスのどこへ?」と訊くのですが、そういう質問をしようとは夢にも思わない。
相手が「フランス」と言ったら「自分も」と返さないと気が済まない人。
これは別に張り合っているのではないのです。
そういう会話の仕方しか「知らない」のです。
通常はこのように会話が弾むのではないだろうか?


相手「来月フランスへ行くんです」
本人「あら、いいですね。フランスのどこへ?」
相手「はい、パリです」
本人「いいですね!ルーブル美術館がありますよね?」
相手「はい。そこへ行こうと思います」
本人「あら!それは素敵。ルーブルは一日では全部見ることが出来ないくらい展示物は多いし、広いらしいですよね」
相手「そうなんですかね。では3日くらいかけて見ようかな」
本人「ツアーじゃないんですか?」
相手「ツアーです。でも、パリ5日間というコースなんです。殆ど自由行動です」
本人「へええ!それは面白いです。今はそういうのが流行りなんでしょうか」
相手「いや、なにぶん海外旅行は滅多にしないものですから」

本人「お一人で参加するんですか?」
相手「女房を連れて行こうと思ってます」
本人「あら♪奥さん幸せね♪」
相手「いやぁ・・・ははは・・・会社がまとめて休みを取れって言うもんだから」
本人「それはいいですね。良い制度です」
相手「管理職がそれをやらないと若いモンがやれませんから」
本人「まぁ、そうですか。良い上司ですね。『上司にしたい人物像』そのものですね♪」
相手「いやあああ・・・はっはh!照れますなあ!」
本人「気をつけて行ってきてくださいね」

相手「おみやげ買って来ますよ、何がいいですか?」
本人「あら!そんな申し訳ないわ」
相手「いいんですよ。ルーブルの情報も教えてもらったし。何がいいですか?遠慮しないで言ってください」
本人「本当に?悪いわぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・じゃエルメスのバッグを一つ」
相手「では楽しみにしていてください♪」

    (この男性はエルメスがいくらするのか知らないのでした。
      パリで奥さんと喧嘩しなければいいが・・・・)



だいぶお世辞が混じっていますが、普通はこのような展開になるのではないですかね。
エルメスのバッグもゲットできたし。



なのに
相手「来月フランスへ行きます」
本人「私も行ったことがあります!
    フランスのどこそことどこそことどこそこに行きました!

   
 そしてこれこれこのようで、ああしてこうしてこうなってああなって、どうなった?」
相手「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

と、いう話を始める。
相手にはお構い無し。
自分が語りたいことだけを語ります。
時間は無制限で留まるところを知りません。

これを会話とは言いません。



【発展のしようが無い受け答え】


上の例と似たようなものです。
実例を挙げましょう。

昔、或る高校の校長になった人がいました。
その人と、私の友人がある会合で一緒になりました。
その校長は私と友人が出た高校に赴任して来たのです。
自分の出身高の校長と会った友人は言いました。

友人「私は(あなたが今校長をしている)その高校の卒業生です」
校長「そうですか」


はい、会話終了!


これが実話ということが情けないです。



私が友人の立場だったら、その校長に関係ありそうな話をしますね。
たとえば・・・
私  「先生。先生は校長らしくないですねw」
校長「何故?」
私  「以前、高校校長会のお手伝いをしたことがあるんですが、校長先生ってはげが多いですよねw
     で、皆さん大抵でっぷり太って中小企業のオヤジって感じです。
     でも先生は髪の毛ふさふさだし、やはり音楽の先生だけあって芸術家の雰囲気ですよ♪」
校長「え?そうかい?そうかなぁ!あはは!(と、まんざらでも無い風)」



私  「実は私、この高校の卒業生です」
校長「そうかい!今は何をやってるんだい?」
私  「専業主婦ですよ。教員免許持ってますが」
校長「それは勿体無いなぁ!教科は何?」
私  「○○です」
校長「どうかね、非常勤でウチに来るかい?」
私  「え?いいんですかぁ?」
校長「来年度から頼むよ」
私  「ありがとう御座います!」


とかさ。

かなりお世辞が入ってますが、これで来年度からアルバイトが出来るってもんです。



まぁ、上の例は極端ですが、このように
会話というものは
◎自分のことだけ喋るのではなく
◎相手の話をよく聴き
◎相手と言葉をやりとりし
◎相手が興味有る話題を
◎相手の身になって喋る
のが基本
ではないだろうか?



会話の能力が乏しい人はそこらへんをよくよく自覚し改善した方が良いですよ。
まぁ、原因は自己中なんだけどね。
他にもコミュニケーション能力不足のタイプはあると思いますが、今はこのくらいで。
この記事を書いたのは、これをやっている人には殆ど自覚症状が無いのです。
だから気付いて治しましょうね、という話ね。



<チャンスを逃さず>(2011年8月15日)


今までうちに来た人については、やんわりと注意することもあります。
が。

●少しづつ指摘していくやり方

を取る場合が多いです。
それは
@まだ若いので時間的余裕がある
 
 (若い人に対しては「頭を使え!」と指導することが多いです)
Aあまりにも分からない部分が多いのだが一度に指摘しても逆効果になる
Bこれから何度も来る可能性がある距離に住んでいる
などの場合です。

しかし上記の場合とは違う場合、つまり
@或る程度の年齢であるので、今治さないと不味い
Aあまりにも分からない部分が多いのだが、なるべく気付いたら指摘する
Bそれは遠い場所に住んでいるので滅多に来られないから
  このまま一年放置するのは勿体無い
場合です。




先日遠いところからはるばる我が家にやって来た人がいました。
お子さんもいる主婦の方ですが、ご主人はいません。
なのでこのチャンスを逃さないよう、指摘出来ることはしました。

遠まわしにやんわり言っても、大抵の場合は通じないのです。
なので単刀直入ズバリ指摘して、その件について真剣になってもらいました。
これは苛めではなく(見掛け上は限りなく苛めですが)
このチャンスを逃したらこの人はまた数年間このままでいることが予想されたからです。




まず目に見えること(耳で聞こえること)を指摘し、それについて真剣になるよう迫ります。
今まで意識すらしなかったことについて、「考えよ」と迫られることは
驚きであり苦行であります。
しかし、このチャンスを逃せばこの人は数年間この位置(境地)に居続けることが分かるので
容赦せずに意識改革を迫りました。

これ、人格改造セミナーに参加してもここまで個人に関わってくれないだろうし、
ここまでやってくれないと思いますよ。
そして法外な費用を取られますね。
(3日間で10万円、とかね)
でも、ウチに来る方は皆さんお客さんなので「アフター・サービス」として
無料で行っています、実に私って良心的であります。

決して苛めではありません。
たとえ
「引っ叩くよ!」と怒鳴っても、それは苛めではなく、サービスの一環であります。



実際、多くの人は「どこから手をつけて良いか分からないほど、分からない」状態です。
でも、手をつけられるところから始めないと、何も出来ませんから、
チャンスを捉えて意識改革を迫るのです。


先日の方も大事なことを幾つか悟り、意識が変わりました。
以前より余分な思考と感情が減り、心が軽くなったようです。
(解決した分はね)
これからは我が家で体験したことを基にして、なるべく自力で悟っていくことをお勧めします。




と、いうワケで。
うちの主人もお客さんが来るのを歓迎していますから、
「ヂゴクの特訓」を受けたい方は覚悟しておいでください。
家事を手伝うことが条件です。


<50の坂>(2011年8月15日)


そうじじょうでは「50の坂を超えられない」と言います。

人間、生まれてから50年も経つとこの世で生きるにあたって
知らないことや分からないことが殆ど無くなります。
生活する上で緊急に分からなくてはならないことなどが殆ど無くなる。
今流行りのものについては
そのようなものは要らない、関係ない、下らない、とすれば学習しなくて済みます。

若い人達は今この世のことを学んでいるのでここまで傲慢な態度はしませんが
私が見たところ男女ともに30代になると、50歳過ぎの中年のように
「この世に知らないものはない」「分からないことは無い」と
無意識にそう思っているもので、心の老化は30歳から始まるのではないかと思っています。




まぁ、そのようなことは個人差が大きいのでね、全員には当てはまりませんよ。
そして50歳を過ぎていても分別臭くならない人も存在します。
それが「50の坂を越えられた人」です。
かなり少ないです。




かくいう私はこの年齢になってもまだ精神が落ち着かず、
ちっとも落ち着いた中年にならないのです。
(新月生まれです。この時期に生まれた人は一生大人にならないそうで・・・)

でも、通常は50歳を過ぎた人で、それまでの生活に満足していたり
他人から見て非難されるような生きかたをしてこなかった、と自覚している人ほど
頭が硬くなり、無意識に「これでいいのだ」とバカボンのパパのように思っているのです。


そういう人は自分の子供が引きこもり(登校拒否)をしていても
「本人が悪い(本人に原因がある)」と思っていますから
そういう事態は改善も解決もしないわけですよ。


家族に問題があっても親戚に問題が生じても、
そういう人は決して自分が原因であるとは思わないのです。
だって、「自分は正しい」と無意識に思っているからです。
(たとえ実態がそうでなくても、それは当人には関知できない)



このような状態になった人のことを「50の坂を越えられなかった人」と言います。
その人がどんなに「良い人」でも、です。
今、若い人達はこのような「大人」「中年」「おじさん」「おばさん」にはならないよう、
常に意識をして生きることをお勧めします。



<分かりたい、と言いつつ分からない人>(2011年8月13日)


分かりたいと言っていながら、ちっとも分かるようにならない人。
数年間同じ場所
(境地、レベル、心の状態)をグルグルと回っている人がいます。
いる、というより「多い」ようです。

「分かりたい」と言うので「では」と、分かるためのお手伝いをしている人が居ますが
その人達をガッカリさせている人が、
「分かりたい」と言いつつちっとも分からない人です。



分かりたいなら変わらなくては分かることは出来ません。
理由は自分で考えてみてね。



<目が開(あ)いたら夢が具体的になった>(2011年8月9日)


新聞、テレビへの意識は、開眼しました、半世紀かかりました。
新聞、テレビをずーっと信じていました。
自分の感覚も頼りですよね。
新聞に、キャリアウーマンの記事が連載されているときがありました。
もちろん私は専業主婦でしたので、
仕事ができる人はすごい、の意識でしたが、
じゃ、子供はちゃんと育ったか、教えてよー、の思いにかられたのでした。
子供は、ちゃんとわかってくれる、は大人の言い訳、
子供はさみしいに決まっている。
でも、また最近は、それも、その子の道か・・・って思うようになりました。

サトリが進んでいますね。
まず、事象に対して「それは良くない」と批判的な意見を持ったが
さらにサトリが進んだら「それもいいか」と受け入れることが出来るようになった。
サトリはこのように振り子のように正反対に揺れながら進みます。
順調な証拠です。


子供の成長とともに、私も第二の成長しているみたいで、
学校とはなんぞや、息子が小学生になってから考えるようになり、
教育とは先生とは市とは国とは・・・。
そして、今の子はかわいそうだー、救いたい、と通信大学教育課程に意気込んで入りましたが、
結局は、高いところから見ているだけだった、
現実は、現場は、想像以上に変なところでした。

頭であれこれと考えていたが、現実を体験してもっとよく分かった、ということですね。
このように頭だけで考えるのと、現実を体験することとは違います。
やはり考えが正反対になったようですが、それで良いと思います。


1年間、補助という形で小学校にパートに行って、問題がたくさんあるのがわかりました。
こりかたまった今の日本の教育は、ちょっと勉強しただけでは変えられません。
自分の非力もわかったけど、現場でがんばっている優秀な先生もいた。
いい担任の先生に当たるのも運、変な先生に当たるのも運、と思っていたときもあったけど、
今は運じゃなく、勉強させられているんだなあとわかります。

以前はそれを「当たり・外れ」と捉えていた。
つまり「良い・悪い」「○か×か」という思考回路だった。
でも、そうでは無いのだ、ということをさとりました。
○×式では無い、ということです。
これを悟ることが重要です。
まだまだ○×式の思考回路の人が多いです。


1年のパートが終わったら、教師になりたいという思いはすっかりなくなりました。
自分の知識も試す事ができたし、子供と接して楽しい思い出もできた、
教育に関して自分としては思い残すことはない、と。
変にあっさり終わりました。

心が満足しましたね。
何でもそうですが、夢を叶えてみたらたいしたことなかった、ということが多いです。
そのためにも、具現化することは良いと思います。
たとえば大学へ行かない人は大学ってどんなに凄いところなんだろうと夢を持ったり
大学に対して気後れしたりしますが、だったら大学に入ってみればいいんですよ。
え?
と思うはずです。
大学に入らず劣等感を持ちその裏返しをする人は多い。
だったら入るのは簡単なんだから入ってみれば良い。
(勿論現実的に簡単ではありません。
  でも、それよりも、心の姿勢を変える方がずっと困難です。
  それに比べたら楽ですよ、という話です)


息子の大学受験は、全部息子任せで大丈夫でした。
自分で勉強を始めたし(遅かったらしいですが)、塾も行かず、
親としては、ご飯とお風呂の時間を守る、
参考書代を渡すだけでした。

親は自分が出来ることをすれば良い。
子供も自分が出来ることをすれば良い。
大抵の親は、「自分がするべきことと子供がするべきことの区別がつかない」
だから、問題が起こります。

(最近、自宅に放火した男子高校生がいましたが、ああいうことになります)


そして、今は、おみやげ物屋さんをしたいとなぜか思うようになりました。
せっかく観光で来てくれる人に、思い出になるようなお土産やさん。
そして、地元の人の集える場所にもなればいいなあ、
RHM+さんの古代服は、店員さんにぴったりだー。
かりよんさんのアクセサリーを販売したいなー。
と勝手に妄想は膨らんでいます。(笑)
その前に、○○屋で資金稼ぎをしたくて、準備中です。

夢が具体的になって来ましたね。
この方が自分の夢を一つ一つ現実化して来たからです。
@沢山の選択肢の中から、一つ一つ体験したので、体験したものは選択肢から外れた
Aなので迷うことが減った
B様々な体験から少しづつ悟った
C心がクリアになり、狭まった選択肢から、心から望むものが浮き出て来た
D様々な仕事や体験をすることによって、達成感と自信が湧いた
E新たな目標に向けて準備が整った
という感じですかね。


この方の夢は具体的な目標になり具体的なものがハッキリしています。
(制服やアクセサリーなど)
視覚化しやすいですね。
視覚化出来れば叶います。
もっと言えば、味覚、聴覚、触覚などもありありと想像出来ると良いです。
言葉なども想像できますよね?
みやげものやの名前なども毎日考えて決めておくと良いと思います。
いったん決めたものを何度でも変えていいんです。
想像を楽しみましょう。



<鏡の法則〜自分が切り離したものを見ることになる>(2011年8月2日〜4日)


お久しぶりです!2年間、仕事をがんばってきたんですが、頭がフラフラするくらい疲れて
きたので、仕事を辞め、しばらくのんびりすることにしました。勉強会も参加したかった
のですが、ダンナの実家に帰るために今回は見送りました。Sさんは出席すると聞いたので
後でいろいろ報告を聞きたいなと思っています。

 

ところで、最近気づいたことがあったので報告します。
 
私は以前、ママさん付き合いでやたらと意地悪な人にめぐり合うことが多かったんです。
主人もワガママだし、気がつけば周りは自己中な人ばっかりでした。もちろん、やさしくて
親切な人もいなかったわけではありませんが・・・
 
何かが違う、こんな生活はイヤだと思って、いろいろ精神世界を調べていくうちに、Sさん
から某サイトを教えてもらいました。それから自分なりに波動をあげようと努力した結果、
確かに環境は以前より良くなりました。しかし、何かが決定的に足りないんだよな・・・という
思いが漠然と胸の中にありました。

 

そんな中、なんとなくはじめたツイッターで、ある文章に出会いました。誰かが津留晃一さん
という方の言葉を取り上げたものなんですが、「宇宙が陰と陽の二極で完全であるように、
あなたも善と悪の二極を同時に持って完全なのです。悪はあなたの内側にあります。悪も
あっていいのだとあなたが受け入れたとき、あなたに大安心が訪れます。あなたの内なる
悪を100%認めたとき、あなた自身が完全なる1つに統合されます」というものです。
 
また、これは誰からの引用か忘れましたが「あなたがイヤだと自分から切り離したものは
強大な力を持ちはじめます。なぜなら完全な存在であるあなたから切り離されたものは、
あなたと同じく大きな力を持ち始めるからです」といったようなつぶやきもありました。
 
そこで私はハッと気づいちゃいました。意地悪なママ友達は、私が自分から意地悪な部分
を切り離していたからこそ現れていたんだ、と。ワガママなダンナは私の中にある自己中を
切り離していたから現れていたんだ、と。私は、子供の頃からワガママを押し殺して生きて
きました。自分さえガマンすればうまくいく、と思っていました。だから、意地悪だったり、
身勝手な人が許せなかったんですね。自分とは別の生き物(笑)と思っていました。
 
なので宇宙は、意地悪で身勝手な人を私の周りに現すことで、「あなたの中にもそういう
部分がありますよ〜。」と教えてくれていたんだろうと思います。いままで全く気づかなかった。
意地悪な人は外側にいるから、自分を守らなくちゃ、と必死でした。でもよく考えてみれば
もしも前世が本当にあるとしたら、私は過去世で間違いなく、人を殺したり、モノを盗んだり、
誰かを陥れたりしたことがあったはずなんですよね。なのに、そこを切り離して善の部分
だけを認めようとすることは、自分を半分にするのと同じことなんだ、と気づいたんです。
 
善と悪を統合すればいい、って言葉は前にも聞いたことがあるし、頭でわかっていましたが
こういうことだとは気づいていませんでした・・・。かなり痛い気づきではありましたが、自分の中
でかなり大きい出来事だったので報告します。世の中の動きもなんだかあわただしいですね。
常にニュートラルを保って乗り切っていきたいです。



素晴らしいサトリを得ましたね。
「他人の中に嫌なものを見る場合は、自分の中にもある」
「自分の中にもその嫌な部分があると認めれば、その嫌なことは嫌ではなくなる」
と、いうことですね。
これ、日月神が言うところの
「悪、抱き参らせよと申してあろがな」ですね。



上の記事を読んだRさんから。

800の「いろいろ4」の鏡の法則の記事、とっても勉強になりました。
私もとても腑に落ちました。
今までのこと、納得がいきます。
 
この記事に出会えて本当に良かったです!
69さんと記事の方に感謝感謝です。
 
これから仕事にいってきます。
 
ありがとうございました!

これ、掲載させてね。

載せてくださってありがとうございます。
まはるださんの「自分の嫌な面に向き合う必要がある」という
占い結果の後にこの記事に出会えたのも、すごいなあと。
 
目の前にあったのですね。
 
掲載、ぜひしてください♪

他にも数人の方から同様の感謝のメールが届いています。


<感覚の違いは大きい>(2011年7月26日)


人はその見掛け(ルックス)よりも中身の方がずっと違いが大きい、という話。



とりあえず対象を日本人に限定します。
そして「物事を分かるレベル」をざっと100段階としましょう。
サヌキかアワかの違いがあるのでさらにそれぞれの段階を二種類に分けます。
するとざっと200通りの感覚の違いがある、、、、、
これはあくまでも、「そのように基準を設けた結果」です。




自分の「物事分かるレベル」と等しい場合と、
上一段、下一段はまぁ、理解出来る、と定義します。
実際にそこまでなら苦痛なく想像がつきます。
が、それを超えるものそれに満たない場合、
つまり自分を中心にして上二段下二段になると、
やや想像が難しくなる。
でも、その場合、「相手を理解しよう」「相手と親和しよう」というアワを発揮すれば
難易度高いけど、理解できないことはありません。




と、いう感じでアワを使って相手を(相手の性格、境遇、事情など)を思いやり
斟酌すれば、理解不能では無い。



ところが相手と自分の感覚がかけ離れている場合は
想像を絶するのです。
ここで想像力や思いやりが必要となります。
しかし、低次元の人の場合は、相手を理解するために
自分の考え(我)を折るということは通常しませんから
ろくに考慮もせず即座に「理解不能」と裁断してしまう、、、、、という場合が多いのではないでしょうか。



感覚が違うのだ、ということをお互いに理解しあう方向にいかず、
自分の主張だけを振りかざすレベルは実際に居ます。
が、そういうレベルの人こそ、低次元なのです。
低次元の人ほど自分の間違いに気付かないので、
自分を正しいと思い、主張します(サヌキの場合)
或いは「わかってくれない」と嘆きます(アワの場合)。
これ、両方低次元です。



<写経の効用>(2011年7月21日)


下の記事<導かれる人>の方から。



「800」の記事読みました。

記事を読んで、写経が何で運命を好転させるのか考えて見ました。

あの写経の良いところは、先祖調べをすることがいいんだと思います。
私系・主人系それぞれ過去にさかのぼれるだけさかのぼった戸籍を集めて
初めて知るご先祖さま達の名前を見ていくと、
皆さんも生前は私達と同じように喜んだり悲しんだり怒ったりと、
それぞれの人生を暮らしていた姿を想像すると楽しくて、
私達家族に到ったご先祖さま達の人生に感謝の気持も湧いてきます。
すると、写経が身近な知っている人の幸せを願って書いている気が
しました。

また、素晴らしい人、とんでもない人、いろんなご先祖さまがいた
と思いますが、
自分達に繋がってきた人達の生き様を受け入れることは、
結局自分の人生を肯定することにも繋がると感じました。
なので写経はご先祖さまのためでもあり、自分のためにもなることで、
私としては写経が良かったと言うよりも、先祖への考え方を変えて
くれたから
それで人生も好転したんじゃないかと思えました。

なので、写経をする理由が先祖の祟りが怖いからとか、
供養しなければ子孫に災いが起こる、
自分に害が来ないように成仏して欲しい〜と願ってするならば、
かえって写経なんてしない方がいいように思います。
(実際のあの写経の先生は、無意識だったと思いますが、
 そちらの祟り系で怖がらせる方に流れがちだったように思います。)



私も同感。
そういう人なんだと思う。
あの人は本当に「○○をしないと、コレコレこのように悪いことになる」という
思考回路だった。
何に対してもそうだった。
物事を良く考えるということが出来ない。
その発想が暗く低い・・・つまり低級霊だよね。
私は、年齢的なこともあり、ああいう人は珍しくないので
個性かと思って好意的に見ていたが違いました。
暗い発想しか出来ない人は、低級なのだ、と私も学習しました。
あの体験をして良かったと思います。




先祖の加護も、私としては先祖のために般若心経を書く行為をした
からではなく、
写経がきっかけでご先祖さまに近づくことができたこと、
ご先祖さま達の生き様を愛おしむ気持に繋がっていけたから
ご先祖さまも『そうか、そうか♪』と助けてくれたんじゃないかな
と思ってますw




そうだと思います。
写経をした人から運命が好転したとしか思えない報告が幾つも来ているからです。
真心が故人に通じたのだと思います。

いろいろ大変なことがあったが、写経はして良かったのです。
でも、あの先生に憑いて行くのは不味いので
途中で離れることになり、最高のカタチになりました。

写経を世話してくれた人が写経の一連のことを或るチャネラーに訊いたところ
あの写経の会、騒動は私とその方との上の方で話をつけて行ったそうです。
つまり表面上は騒動と混乱でしたが、そうではなかったということ。
写経及び先祖供養(家系調べ)は必要だったが
あのままあの先生達に憑いていくのは不味かったので
写経を勧める人=友人
先生に憑いていくのを阻止する人=私

という役どころで、上の方で企画したのだと思います。

この世に生きる私達にはそういうことは分からないから
目に見える現象だけで判断しがちですが、
人間には分からないこと(縁や計画、未来)があるのだ、ということですかね。




「この大バカものめ!」なんて怒鳴って悪かったなw



はは・・・



<導かれる人>(2011年7月20日)


守られる人、と言ってもいいでしょう。
同じことです。


N田A子さんはその著書で何回も
「東京から出なさい。故郷へ帰りなさい」
と警告しています。
東京、三浦半島、他が危ないそうです。
多分地震と津波が発生する。

しかし東京が危ないと言っても、勤務地が東京なら
簡単に仕事を辞めるわけにはいきません。
出ろと言われても出るわけにはいかない。

しかし、東京や三浦半島から出る方向に運命が進む人がいます。
不思議なことですね。
下に実例を紹介します。




私の兄は横浜に住んでいるのですが、
少し前に急に思い立って長年勤めていた会社を辞めてしまいました。
そして、この兄はなんだかんだで、
今月末にこちらの九州に戻ってくることになりました。
不整脈が原因の脳梗塞を2回経験し、その度自分で救急車を呼んで
後遺症もなく復帰するという強運に恵まれた兄です。
会社を辞めた理由を聞くと放射能や大地震の影響だけとはいえなくて、
でもその衝動的ともいえる行動に、
妙な動物的直感が働いているんじゃないかと思えましたよw



兄の引っ越し先は、うちの隣の義母が住んでいた空き屋です。
なので家賃はしばらく(ずっと?)ほとんど無し。
兄が引っ越してくる事が決まってから、
私の方も自宅や隣のいらない物を大量に捨てたり片付けたりと、
身辺整理の背中を押してくれているようです。
こんな後押しがないとなかなか片付けなんてできないから良かった
ですが、
今まで放置していた分、たいへんです(苦笑)
ほんと、なんでこんなに溜め込んでいたんだろうと驚きますね。
でも兄も心機一転できるし、私も片付けができたりと
良い流れじゃないかしら〜と、単純ですが自画自賛してますw


この方の自宅の隣にご主人のお母さんが住んでいた家があります。
お義母さんは去年あたりだったかな?
亡くなりました。
この方はお義母さんには生前よくしてあげていたようです。
亡くなってからは空き家になった隣の家の面倒を見たりしていました。
だからこの方のお兄さんが住む家が無いというとき
ご主人が快く空き家を貸してくれたのです。




お兄さん、関東から出られるんだ、良かった。
しかも最も危ない三浦半島近くの
横浜からw

神が守っているね。
守護神。
先祖。

面白いな。

これ、実例として、記事にしていいかな?


ご主人の兄じゃなくて、
あなたのの実の兄ね?
なのにお義母さんの家にタダで住めるんだね?




神も先祖も守ってますよね〜w

兄も我慢したり嫌な思いをしながら20年以上勤めていた会社を辞めて
先行きの不安よりも開放感の方が強いと言ってました。
こちらに引っ越してきた後は、再就職先を探す予定ですが、
独り身だし家賃もいらない分、なんとかなると思えるようです。

私も自分の親の家を何も言わずに義兄に使わせてくれる優しい主人
に恵まれて、
先祖の守りがついてるな〜と思いますw

例の写経の先祖調べのおかげで
癖だらけで優しいご先祖さま達を知ることができて
ご先祖さま達の生き様をより身近に感じるようになりました。
今の流れは、そんな日々一生懸命生きていたご先祖さま達の
徳の貯金で生きてるなとつくづく思えます。




写経はやって良かった、というわけですね。
写経の先生は異常でしたが、写経そのものはやって良かったのです。
写経をした方の運命は良い方向に転換しています。




<考える二十代、考えない四十代>(2011年7月1日)


昔はモノごとが単純で、覚えなくてはならないことが少なかったが
現代は、昔の・・・江戸時代と比べればざっと100倍以上は覚えるべきことがあるのではないかな。
子供〜二十代は、その「覚えるべきこと」を覚えている最中、
すなわち学習する期間です。
二十代はおろか三十代になってもまだ覚えるべきことがあります。
だから40歳未満の人は日々、学習中であると言えます。
江戸時代なら15歳で一人前と見なされたのですが(男子の元服は大体15歳)
現代はその倍の時間が掛かるし、さらに日々覚えるべきことが増えている状態です。



40歳にもなれば大抵のコトはそれまでに情報として一応は入っています。
勿論深く狭く、ではなくて広く浅く、ですが。
だから一応40歳になると、世の中で「知っておかなければならないこと」の
殆ど(しかし100%ではありませんよ、90%くらいですかね。
勿論この数字の中には「知らなくても良いこと」「どうでも良いこと」は入っていません)
を「知っている状態」になれます。
あくまでも「通常は」の話です。

難しい話ではありませんよ。
こういう時はこうするモンだ、という世間の情報が蓄積されている、というだけの話です。
たとえば「真夏の炎天下に、車の中に幼児や乳児を入れたままにして、夫婦でパチンコするとまずい」
とかいう、常識的な情報です。




その、「知っていること」と「分かること」とは別物、だということはお分かりですね?
40歳になるまでに、40歳になってもまだ「自力で考えることが出来ない人」は多いというか、
実はそれが殆どです。
40歳の人の殆どは「知っている」だけです。
決して「分かっている」わけではない。

さて、20代の人は、物事を知りません。
何故なら「今、それを覚えている最中だから」です。
情報量は40歳の人に比べれば圧倒的に少ない。
その20年の情報量の蓄積は膨大なものです。

でも、それは「知識」「情報」だけの話ね。
考える20代の人は40歳の人に比べて少ない情報を、
知恵を使って最大限に思考の材料としてことが出来ます。

対して考えない40歳の人は「ただ知っているだけ」の状態です。

この差は分かりますね?



つまり、初々しいが何も知らない20代の人が
世慣れた40歳の人を知性(モノ分かり)の面で軽く超えるのです。
それが、モノを考えない40歳の人には見えないし、分からない、感受出来ないのです。
そしてモノを考えない40歳の人は「今までずっと考えて生きて来たが40歳になった途端
考えなくなったよ」ということでは無い。
「今までの人生で考えたことなど一度も無かった」のに
「自分ではそれを『考えている』のだと、無意識無自覚に思い込んで(とは言え、その自覚無し)
来たのです。




現在、モノを考えない40歳の人は今まで一度も思考らしいことはしてこなかったのに
自分では思考してきた、という自覚しかない。
思考力が無いので、そこにも気づかないのです。
ここまで分かりますね?




さて、実はこの話に20代と40歳の人を例に挙げましたが
別に40歳に限ったことではありませんよ。
50歳、50代のおばさんの多くが殆ど何も考えず、
みようみまねで模倣して生きて来たのです。
自覚無しに。

今、モノを覚えている最中の30代の人も、
モノを覚えるのに精一杯で、物事を考えなければ
「何も考えない40代」に当然なります。

自分はまだ30代だから大丈夫・・・ではありません。
今、考えないと自動的に「考えない40代」になるのです。
そしてそこから先は「考えない50代」になり「考えない60代」になります。




若いうちは周囲も大目に見てくれるが40代になって「モノが分かりません」状態では
周囲のモノの分かった人は大いに呆れます。
善意の人がなんとか分からせてやろうと努力しても
それを「余計なお世話」と受け取るのが普通です、だって「自分に分からないことがある」という
自覚が無いのだから。

これは30代にも言えることです。
そうなっている人は居ますよ。
頭が柔らかく謙虚な子供のうちの、二十代に物事を分かる訓練をするべきだったが
頭がどんどん固くなって来た30代40代になると、
二十代にとって簡単なことがとても難しくなります。
(私はそうじしょうを32歳から始めました。まだ頭が柔らかかったのかもしれない)



知っているだけなのに「自分は大抵のことは分かっている」と錯覚している40歳以上の人は
分かり方を分かった二十代の人達に瞬時に見透かされ呆れられ、相手にされなくなります。
その時「自分が原因だ」と謙虚に分かるか「何を生意気なガキめ」と感情的になるかが分かれ目です。
しつこいようだがこれは三十代にも言えることですよ。
五十代なら言わずもがな、当たり前です、若者から呆れられ相手にされません。




そしてどの年代にも少数ながらモノの分かった人達はいます。
そういう人は60代、70代、80代であってもモノが分かります。
たとえ最新のインターネットのことを知らないし、情報が無くても「分かる」ことが出来る。
洞察力があるから。
まぁ、滅多にはいませんがね。
そういう老人の一人である「予言する婆ちゃん」の洞察は鋭いです。
婆ちゃんは「今の若いものがこれからは上に立つ」ようなことを言ってますが
既に頭が固くなっている三十代は当然除外されます。




子供に学べる大人に、今からでもなりましょう。
遅すぎることはありません。


<コミュニケーション能力>(2011年6月29日)


コミュニケーション能力が乏しい人がいます。
幸いなことに私のお客さんにはそういう人は殆どいませんが、
世のなかを見てみれば、コミュニケーション能力が乏しい人の方が多い。
通常、ひとはコミュニケーション能力を獲得していない。



当たり前のことですが、書いておきます。
お喋り≠コミュニケーション能力大
大人しい人≠コミュニケーション能力大


お喋りな人は相手の話をよく聴けない場合が多いです。
先日も私の話を聴いてない人と会話したので、
怒鳴ろうと思ったが止めておきました。
この人は「自分が喋ること」が最優先で、「他人(相手)の話を聴くこと」が二の次になっているのです。
こういうお喋りな人は多い。

またメールでの会話でも同じことが言えます。
自分が言いたい(書きたい)ことは書くが、
相手が書いていることを理解する能力に欠けている(乏しい)人がいます。
こういう人は、勝手に拗れて去ってくれるので良いのですが。



<素敵な笑顔の人>(2011年6月24日)


素敵な笑顔の人が今まで二人だと思っていたら、思い出しました。
うちの子が中学生の時私はクラス委員というPTA役員をしました。
或る日、中学校で授業参観の後で学級会をすると言うので
私が司会者をしました。

その時、クラスに残っていた母親が十数人居たと思いますが
皆さんの表情は灰色でした。
曖昧な笑顔などは良い方です。
仏頂面、引きつった笑顔、薄ら笑い、無表情・・・
その中に一人輝く笑顔の奥さんがいました。

私の発言を唯一理解していた奥さんです。
他の人は上に挙げたような、顔をしていました。



その奥さんの苗字を忘れてしまったが、
その家の子はその後進学校に進み、その後は大学へ進学したと思います。
(知らないがその高校へ行けば殆ど大学へ進学するので)

その奥さんとはその後スーパー・マーケットで一度会ったきりです。
その時、その奥さんは親しげに話しかけてくれました。
その後は会ってません。




輝く笑顔は、何もセイシンセカイで何かをしている人に限定されていません。
この奥さんのように普通の主婦でもいくらでも輝けます。
自分を分かり、子供をよく育て、人の話をきちんと理解出来る人は
輝けるのだ・・・という話。


<素敵な笑顔と曖昧な笑顔の差>(2011年6月21日)


下にいろいろと言いたい砲台書きました。
あくまでも私が今、思っていることを書いただけなので
これが真理とか真相とか真実とかそういうものではありません、念のため。
あなたが考える際の一つの参考にしてください。




さて、素敵な笑顔と曖昧な笑顔の差とはなんでしょう?

私が思うに・・・
○曖昧な笑顔の人=物事が分かってない、何を感じているのか何が好きなのか
              どうしたいのか、分かってない

と感じます。
○素敵な笑顔の人=上の人よりは判断力は有り、自分がやりたいことが分かって来ました。
              でもまだ心に余計な思いが有ります。

ついでに
○輝く笑顔の人=素敵な笑顔の人と比べると、心に余計な考えや気持ちが無い。
            自分が好きなものがハッキリ分かり、それをやれている。
            好きなことをやれる環境を作るだけの判断力がある。

と言えます。

判断力については、輝く笑顔の人も「普通」にあれば良いと思います。
私が知っている人達も判断力の点では「普通」です。
特に判断力に優れている必要はありません。



私のサイトからリンクしているサイトの管理人さんの中にも
○曖昧な笑顔
の人はいますよ。
でもそれでも良いです。
自分の状態が現在、曖昧であることを分かっていればOK。

○素敵な笑顔
の人もいます。
まだ心の中に余計なものがありますが、それを現在認識している最中のようです。
方向性としてはこういう人は「輝く笑顔」に向かって進んでいる最中です。
時間は掛かるけど、順調に行けば輝く笑顔になれます。
時間の問題です。




と、こんな感じです。

自分が何者か、何が好きで何が嫌いか、何をしたいのか、分からない人は
曖昧な笑顔をしてとりあえず微笑みを浮かべていればいい、、、、と、無意識に思っているのか知らないが
そういう顔を見ると私などは(あ〜〜〜あ)と、思いますが、
それでも本人が自分の意識をハッキリさせたいと望むなら、OKです。
協力もします。



<笑顔が輝いている人>(2011年6月20日)


このサイトで過去に、<笑顔が輝いている人>という記事を書いたんだか
それとも他の記事の文中で「笑顔が輝いている人がいます」と書いたのか
もう分からなくなっていますが、私が今まで出会った女性の中で
笑顔が輝いていたのはチャネラーのジ◆ネさんと鏡を作る人・・・くらいです。


笑顔が素敵な人は多いです。

でも、笑顔が輝いている人は少ない。

もっと言うと笑顔が輝いている人は全身輝いています。
私はオーラは見えないので、それは「そう感じる」だけですが。

笑顔が輝いている人と、笑顔が素敵なだけの人人の違いは
○笑顔が輝いている人は、自分のやりたいことを見つけ、それをやれる環境にあり
  (環境を作り)それをしている人

○笑顔が素敵な人は、心がきれいで性質が良い人


です。

だいぶ違います。

質的に違うし、境地にも違いがあります。
それを全身から発しています。


<気持ちの悪い笑顔>


上の文章<笑顔が輝いている人>を読んで・・・
(あ〜〜あ、アタシなんか笑顔、輝いてないもんね・・・)と、暗くなるより
もし、自分もそうなりたかったら、そうなれば良いと思いますよ。
つまり
○自分が本当にやりたいことを見つけて、それが出来る環境を作り、それをすること
です。

殆どの人はこうではないか。
●それをしたいが、やれる環境に無い。それは××のせいだ、と思う、恨む。
●それ以前に「自分がやりたいこと」が分からない。
のだと思います。

多くの人・・・多分殆どの人は自分の顕在意識と潜在意識がちぐはぐになっているようです。
そう見えます。
たとえば・・・「結婚したいのに出来ない、誰もいない」と思っているが、
本当は「結婚したくない、だって面倒だもん」と思っている。
でも、それを意識化出来ないので、いつまでも結婚できず、
表面の意識では結婚したいので、それで「不幸」を感じる人。

自分の本当の気持ちを知るのが先です。
(そのためにチャネラーや占い師に訊くことも良いと思います)




頭と心がちぐはぐで矛盾しまくって生きて居る人が「対人の時は笑顔で」と
思っていても、その笑顔は実に不自然で気持ちの悪いものとなりますよ。
そして世の中にいる勘の良い人(自分に正直に生きている人)から
一瞬で見抜かれてしまいます。

そういう人が取る反応には
○気持ち悪い笑顔の人にそれを悟らせようとする
○気持ち悪い笑顔なので付き合うのをやめる
○気持ち悪い笑顔だが何も言わない、放置


<曖昧な笑顔>


気持ち悪い笑顔の人に分類されるかもしれないが
ただワケもなく笑みを浮かべるというのもある。

最近主人の母が、笑うところでは無いのにそういう顔をしていたので、
(あ〜〜あ、何も分からないで生きているんだな)
(とりあえずココは笑っておこう、という自己保存の手段だな)
(そんな曖昧なワケの分からない笑いをする必要は無いのにな)

と、ガッカリしました。
この場合は80歳越しているので、どんな笑顔だろうと
これかの人生そのものが短いので良いのだ、仕方ないのだ、と言えるので
どうでもいいです。


ただ、こういう曖昧な笑顔を浮かべていると、
周囲にいるモノの分かった人からは本気では相手にされませんから。

<場違いな笑い>


次は場違いな笑いについて。
場違いで意味の無い笑いを繰り返す人がいます。

有るチャネラーの対面鑑定を受けて、途中で「帰ってください」と言われたお客がいる。


対面鑑定という場面で、意味の無い場違いな笑いを
最初から最後まで繰り返していたお客に対して、このチャネラーは黙っていても良かったのですが、
お客さんに何かを悟らせようと思ったのかもしれません。
もしそうなら、物凄く親切なチャネラーです。
自分の儲けを度外視しているわけですから。




私もそういうことがありました。
ある会合で、意味もなく笑っている人がいました。
私は
(なんだこの女・・・)と思っていたが
他にも人がいるし、その場で説教するのもナンだし・・・
まぁ放置しましたが、その人にとってはそういう場でバカ笑いを続けることが
「明るい」性格の現れであるとでも思っていたのだと思います。

この人は他の面でも分からずやを発揮していました。
結婚はしたいが彼氏も出来ない。
(出来ても続かない)
これでは続かないと私は思うのですが、本人にはそれが分からない。
だってこんなに「明るい」のに・・・
あ〜〜〜あ。
これも気の毒です。



表面の思いと自分では気付かない願望との差が激しい人です。
つまり潜在意識と顕在意識の間に想念帯と言うのがあるのですが
そこが生まれた時はまっさらできれいなのに
生きていくうちに汚れてしまうのです。
全員汚れます。
でも、その汚れ方には個人差が大きい。

場違いに意味もなく笑う人は、今まの人生で想念帯が汚れるような
経験が多かったのですっかり汚れてしまった。
なので素直に生きることが出来なくなった。
なので場違いに笑って自分を敵ではありませんよ、と周囲にアピールするのですが
それをキモチワルイと感じる人はいるし
(その場でそう感じたのは私の他に一人)
後の人、特にその人を誘った人は、その人を「とてもよい人」と言うだけで
何も分かってないようでした。
(その後、この人もやはり、意味の無い笑いをする人と同じくらい分かってない人であることが判明)
(でも、その人は心を向上させたいと言うので私が見捨てることはありません)


<いろいろな笑い>


以上、笑いについて幾つか記事を書いてみました。
思いつくまま書いたので整理されていません。
適当に読んでください。


一口に「笑顔」と言ってもいろいろあります。
人間の波動は全てに出ます。
笑いにも勿論出ます。
笑う=良い
と思っているレベルの人の笑いは、そのレベルです。

それを良いとか悪いとかは言いません。
ただの物理です。
そのレベルの笑いが良いと思えば、そういう人脈が出来ます。
そこに居るのが幸せです。
同波長です。




幸いなことに私の周囲には意味不明の笑いをする義母はいますが
これは放置するとして、他にはいません。
友人にはそういう妙なコトをするレベルの人はいません。

本人は何も分からないレベルで、
でも周囲とうまくやるために笑っておこう、というレベルの人の笑い。
私はそういう笑顔を浮かべる人に対して能面のような顔で応対しますが、何か?



それから素敵な笑顔の人。
こういう人は想念帯の汚れがきれいになって来た人、と言えるかもしれない。
とにかく「曖昧な笑顔」「場違いな笑顔」のレベルからは抜けています。
心がきれいな人です。

その人達は自分がやりたいことを発見中で、それが出来るような環境を作っている最中です。
応援しています。

好きなことが見付かり、それに集中出来るようになれば
いつのまにか笑顔が素敵な笑顔から、輝く笑顔に進化していることでしょう。
それも楽しみです。

今の所、笑顔が輝いているのはジュネさんと鏡の人だけ、と言っておきます。
私はお客さん全てにまだ会ってないのでね、会った人から感じたことを書きました。



<感想>(2011年6月20日)


記事をupして1時間も経ってないのに感想が来ました、早っ!

800の「意味のない笑顔をする人」を読んでたら

TVでちょうどホリエモン収監のニュースをやっていて、

ホリエモンのお付きの男性たちが、お揃いのTシャツ着て

まさにその意味のない笑顔をしていておかしかったですw

 

ああいうキモい男たちを周りにはべらすホリエモン‥

わざわざモヒカンにして注目されたいホリエモン‥

収監前にマスコミに密着取材させるホリエモン‥

(群がるマスコミや衆人もどうかと思うが)

 

檻の中でちょっとでも素敵な人に成長できればよいですね(棒読み)

そういうコトですね。

普通の家庭の主婦が意味の無い笑いをしていると
子供が不味いことになる。
会社員なら・・・・・・・・・・・・・不味いことになる。
企業家でも・・・・・・・・・・・・・不味いことになる。

そういうコトです。



<損な人>(2011年6月19日)


よく、ちょっと頭が働くレベルの人が言う台詞。

「あなたは(他人から誤解されるという点が)損な人だ」


これ、そうですかね?


私は


「他人を誤解する人の方が損な人」だと思っていますが。


<典型的な自己中/自分はOKだが他人はダメ>(2011年6月17日)


http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0928/351047.htm?from=popin

自分はOKだが=自分は「それ」をしてもいいが
他人はダメ=他人が「それ」をするのはダメ、認めない



<朗報>(2011年6月12日〜14日)


写経をした方に朗報です。

写経をしたHさんは、先祖供養のために系図を作りました。
自分で戸籍を取り寄せて作ったのです。
それから1年半・・・
Hさんはまるで何かに守られているように物事が上手く運び、心の状態も最高のようです。

「星舟庵〜せいしゅうあん〜」のゆみさんに訊いたら
「先祖がHさんを守っている」とか言っていたのだっけな?
Hさん、この記事を読んだらそこらへんの話をもう一度してください。
古いメールはどんどん削除しているので、こちらには無いのでお願いします。




写経と先祖供養自体は悪いはずがありません。
ただ、TQ霊憑きの人が仲介しているのが問題なのです。
だから皆さんも
写経の手本の文字の蜜を密にしたのを蜜に直して写経することは良いと思います。
つまり普通の写経をすれば良いのです。

その後は祈りながら(故人を念じながら)
「○○さんのために供養します」とか言いながら燃やせば良いのではないでしょうか?
写経の枚数は自分で決めれば良いと思うし。
あの写経のやり方は規定や制約が多くて面倒です。
あの連中の言うことをきかなくてはならない理由は全く無いので
自分でオリジナルでやれば良いと思いますよ。




こんにちは。Hです。
 
 
800のHPで先祖供養が、
今の自分達に返ってきているという記事を読みました。
 
 
私が自分で書いた写経を供養という形で燃やしたのは、
確か去年の夏だったと思います。
 
 
実家の母と庭先で、一斗缶に入れてゴンゴン燃やしました。
その時に私の両親のご先祖、旦那の両親のご先祖に対して、
「どうか何かの役に立ててください」
と思いながら燃やしたと思います。
 
 
 
今もですが、私はお墓参りには特に重点を置いていません。
行ける時は行きますが、無理をしてまでは行かないというか。
 
 
父方のお墓参りに至っては、小学校卒業後、一度も行っていません。
隣の県なので行くことは可能なのですが、
足が伸びません。
 
 
 
今回の写経や先祖供養をすることによって、
「あぁ、お墓参りが絶対に必要というわけではないんだなぁ」と確信しました。
 
 
世間一般ではお墓参りする事が良い事と言われていますが、
そうではないですね。
心でご先祖様たちの事を考えるだけで、
その祈りのような思いは届いているような気がします。 
 
 
 
下記は星舟庵のyumiさんから、
「孫の手」の事を鑑定をしていただいた時の結果です。
色を変えて原文をそのまま添付しました。
 
**************************************************************
  
 

ご先祖からのメッセージは来ていますか?

 

 

【樹虫】吉 ‥‥‥‥ 胡蝶が木陰に遊ぶ

 

「樹下に眠れば、いつか胡蝶となって夢に遊び、我が身は眼下に

横たわる。さては胡蝶こそ本来の姿で樹下の私が幻か。

裏か表か夢かうつつか。」

 

 

 

○この卦はあの世とこの世の境が曖昧とか、どちらも行ったり来たり、

とか、あの世の存在のメッセージの意味もあるようです。

なので答えは「YES」です!

 

Hさんへなのかご主人へ、なのかおみくじだけでは

分かりませんが、占っている時にイメージが降りてきましたので

お知らせします。

 

「助かっている」「感謝している」

 

言葉ではないんですが、イメージが頭に入ってきました。

 

ご先祖さまはお二人に感謝しているようですよ。

孫の手が行方不明になったのも、ご先祖のメッセージでしょう。

「孫(Hさん夫妻)の手が必要だ」というそのままの意味かと思います。

 

直接メッセージを伝える手段が分からず、

一生懸命伝えたくて「孫の手」を隠したのではないでしょうか。

「孫」と言ってもメッセージを発しているご先祖が祖父さん祖母さんに

限らず、もっと前の先代のような感じがします。

 

この方の魂はもう浄化されているようですよ。

 
 
*********************************************
 
 
Hさん夫妻は普段から「まるで何かに守られている」ような不思議なラッキーが起こるそうです。


<なんだかなぁ・・・>(2011年6月4日)


さてさて、或るランキングでTOP争いをしている二つのサイト。
一位は悪名高い伊●●山道で、二位は方法先生です。
方法先生のブログを見ると言葉は柔らかいしマイナスなことは一切書いてないし温厚で良いと感じます。
で、方法先生は開運グッズも販売しています。



私のお客さんが或る開運グッズを買いたくなったのだそうです。
まとまったお金が入ったので、買ってしまおうか、と言うので、
私はその品を見ないで
「買っちゃえ♪」と言いました。
で、どんなモノか見てみたら・・・これは要らないのではないか?といいような代物でした。
しかも値段が
10万円−1円でした。
私はその方に
「これは要らないのでは?」と言いました。
するとその方も、要らないなぁ、と思い、私にその絵を描いてくれ、と言うのです。
はい、了解。



で絵は画像が無いと描けないので検索したら・・・ありましたよ。
方法先生のと同じですが、小さいのが1円でオークションに出されていた。
で、方法先生の所にも小さいサイズのが売り出されていて
それは1万2千円でした。。。。。。そっちが売れてしまったので、
その方は残った10万円-1円の品を買おうとしていたのですね。



この先生、
1円で手に入るものを1万2千円で売っているのです。

商売とはそういうものだ、と思えば思えなくも無いです。

何をどんな値段で売ろうと商店主の自由です。

で、お客さんがその値段で買うならそれでも良いのです。

だから
オークションで1円で買える品物を、方法先生の処で1万2千円で買ってもそれはお客さんの勝手です。
というか、そのお客さんはネットで探せば同じものが1円で買えることを知らないのでしょう。
だから先生の処で買う。

はあああああああああ・・・




私は画像を検索したら1円で売っていたので、
お客さんの代わりにオークションで競り落とすことにしました。
幸いなことに競争相手は誰も居ませんでした。

で、私は面白がってその品を1円で競り落としお客さんに送りました。
(出品者から直接送ってもらった)
品物の値段は
品物1円+送料950円+振込み手数料数十円=1000円です。

1万2千円の品が1000円で買えました。
良かったです。
お客さんも品物が欲しかったので喜んでいました。
私は絵を描かずに済みましたw
良かった良かった。




のですが、方法先生に対する目が変化したことは事実です。
大変柔和で温厚、悪いことは一つも書かない人ですが
それは「商売が目的」なのでしょう。
お客さんの波動が上がるように、とかそういうのは無し。
ひたすら自分の商売が繁盛すれば良いのではないかな。
それでもいいんですよ、だって商人なんだから。

それを知った上でその店で買い物すれば良いと思います。
1万2千円で売っている品がネットで1円で買えるということを知らない人が
有り難がってお客さんになっているのだと思います。
でも、それでも良いのでしょう。
本人が満足ならw



<虚像に怯える人>(2011年5月31日〜6月1日)


巨象に怯えるのなら分かるんです、だって、こっちに突進して来たら怖いし。
でも、虚像に怯える心理っていったい・・・




虚像とは「本当は無いもの」です。
それなのにそれを怖がる人が居ます・・・というよりは、そっちの方が多いかな。

友人が公務員です。
で、その友人の周囲の殆どの人、特に友人よりも上司筋に当たる人が「虚像に怯えている」そうです。
友人は中間管理職です。
だから上司の上の上司、その上の上司がいます。
友人は一番上の上司に対しても「人間対人間」という態度をしています。

ところが友人の直属の上司やその上の上司は、一番上の上司の前では
「絶対ミスが無いよう」にと思うからなのか、緊張しているのだそうです。
勿論TOPが言うことに意見を言うとか、感想を言うとか、ましてや反論するとかは出来ません。
だって、キンチョウしているから。
何故緊張するかといえば、TOPが怖い。
何故TOPが怖いのかと言うと、TOPの考えが分からないから。。。。ではないか。




このTOPというのは国から来ている人です。
頭脳はとても優秀です。
しかしそのことと、物事が分かることとは別です。
でも殆どの人は頭脳が優秀であることと物事が分かることとは分けて考えることが出来ません。
私の友人はそれが出来ます。
まぁ、それ抜きにしても、もともと誰に対しても公平な態度を取れる人なのですが、
それに「そうじじょう」を知ったので、思考の裏づけが出来るようになり、
ますます「人間は皆平等」がハッキリと認識できたようです。




友人は直属の上司とTOPのところへ行きますが、直属がカッチカチに緊張している様子を見て
ガッカリしているようです。
でも、上司はそのような自覚は無いはずなので、そこへ「緊張しなくていいんですよ」と言っても
相手は理解しないのが分かるので、友人は何も言いません。
孤独ですねw

でも、TOPの人には「この人は話しが分かる」と感じ(感じなくてもやるのですが)
言いたいことを言っていたそうです。
するとTOPも面白がって友人にいろいろ考えていることを話すのだそうです。


周囲の人と話が通じないし感性もかけ離れているので
ガッカリする毎日を送っている友人ですが、組織のTOPとは心が通じたようです。
このTOP、今年の異動で国に帰ってしまいました。
帰る前に友人に「今度一緒に飲もう」と誘ったそうですが、
異動直後に起きた震災でそれどころではなくなりました。

ちなみにこの元TOPの人は被災地の道路復旧を任されて活躍しているそうです。



私の友人からしたら、この元TOPの人ほど話が通じて面白い人は居ないのですが
周囲の人達は肩書き経歴で人を判断するせいか、元TOPに打ち解けるなどとんでもない、
前に出れば常に緊張しているだけだったようです。
本気で怖がっていたようです。

この友人怖いものは無いようでw
同波長のせいか私も人を肩書き経歴で怖がるようなことは無いのですが、
世のなかの多くの人は虚像に怯える心のレベルにあるのだな、と思いました。




これほどの大物(某自治体の某部門のTOP)では無いのに
私にさえ怯える人がいます。
●不味いことを言わないようにしよう
などと思うあまり、却って不味いことを言ったりやったりしているのです。
ガッチガチに緊張してメールくれる人もいます。
凄い丁寧語で書かれているんですw
そういうのを読むと(あ〜〜〜あ)と思います。

普通の態度をしていれば良いのに、勝手に頭の中で妄想が膨らんでいるのでしょう。
それは当人が好きでやっているのだろうし、
私が「あなた緊張していますか?」と確認することは通常無い。
緊張するのもしないのも当人が選んだ態度(方法)なので、こちらとしては変えるなんておこがましい。
当人が気付いて改善すれば良いことだし。


私にメールをくれる人で対等に会話出来る人は多いです。
冗談言うし、突っ込みいれたりしています。
そういう普通の態度が出来れば良いとは思うが
自分で不自由を選んでいるのも、それも自由だなぁ・・・と思います。
「だって69さんはずっと年上だから、何を書いていいか分からない。
  何が失礼に当たるのか分からないから緊張しますよ」と思う人がいるかもしれないが
私が対等にメールで会話している相手は、ウチの子供くらいの年齢の人ですよ。
だから年齢の差が原因では無いですね。

本当に勝手に妄想して怖がる人がいます。
これもこちらとしては何ともやりようがありません。




と、上の記事を書いたらメールが来ました。

こんばんは!
800の虚像に怯える人…私もです。
知り合って、相手の人柄が掴めてくるまでは勝手にビビってます。
あと、自分とはタイプの違う人に対しても出方がつかめずビビってます。
自覚しているし、普通にしてればいいのですがなかなか直りません。
(今は「怖ええええええ」と「怖がる必要ないやん!」がせめぎ合ってる感じです。)
勝手にビビってるとか相手に失礼だなあ…とつくづく思うのですが。
判断力のなさゆえかなあ、と思います。

そうです。
たとえば年齢が高い人、オヤジやおばさんなどは、
体験を積んでいるので世のなかのことで知らないことは無いと
無意識無自覚に思っているので、大抵のことにはビビりません。
私が例に挙げたオヤジ達は「自分が知らないところ(国、省庁)から来た
自分が知らない学歴(自分は東大出てない、自分の周囲にも居ない、という意味)の上司に対して
どのような態度を取ったら良いのか分からないからビビっているのです。

でも、それを言ったら「世のなかの人を、殆ど自分は知らない」のだから
理詰めで考えれば「全員知らない」のだけれどそういう人達にまでビビることはしません。
この場合は
■高学歴
■国から来ている
■上司
という、自分に想像出来ないレベルのところから来た人なのでビビってしまったのでしょう。
こういうことになるのは思考力が無いからです。

私の友人は思考力が有るので
■相手が何であれ、同じ人間だ
■話が通じる相手ならなお良い
と、思っているので相手がどこから来ようと普通に対応出来るのです。




と、誰に対しても普通に接することが出来る人を、他人は「自信家」「自信があっていいわね」などと評しますが
そうでは無いのです。
相手に対して普通の態度をすることは別に自信の為せる技ではありません。
自信が有るからではなくて、余計な思いが無いからなんですよ。
(※無私だから、余計な考えや思いが無いのです)
(※しかし多くの利口者の人達には、無私のレベルは想像出来ない、感受出来ません)
(※だから、無私の人を傍から見ると、「自信家だ」「自信があっていいね「ずいぶん自信があるね」と感じるのです)
(※私に言わせると、こういう考えってずいぶん汚いな、と思います)
(※でも、そういう考えの人の方が圧倒的に多いのです)


そのこと(頭や心に余計な考え、思いが無いこと)が、心に余計な思い、頭に余計な考えが有る人から見ると想像出来ない。
つまりそういう人は「頭に余計な考えがあり、心に余計な思い(感情)が有ること」が
普通になっているのでそれを自覚できないのです。

だから、自分とは違う、頭や心に余計なモノが無い人を見ると
「あの人は頭や心に余計なモノが無いのだ」と分かることが出来ない。
だって自分の中に余計なモノが有ることを自覚できないのだから
人間なら誰でも世界中の人達が「頭と心に余計なものがある」と無意識に思っているからです。

はああ・・・・書いていて疲れます。




私も、この友人と同じようなもので、頭と心に余計なものがありません。
全然無いとは言いません。
余計なものが、平均値より少ないと思います。

余計なものが有る人は「コレを言ったらバカにされるのではないか」「コレを言ったら相手が怒るのではないか」と
想像してはビビっているのですが、そういう余計な考えが無いのです。
何故ないのか?
そんなコトを考える暇があったら他のことを考えたいからですが、
理詰めでそう考えた結果、頭と心に余計な思いが無くなったのではなくて
気付いたらそうだった・・・という感じです。
そして後は意識して自分の頭と心から余計な考え、思いが減るように進んだ結果です。
元々その傾向(余計なコトを考えない)があったが、さらにそちらの方向に進んでいる、という意味です。



友人の体験談(職場の殆どの人は余計なことを考えているようだ)とか、
私の体験から、世のなかの多くの人は頭と心に余計なものを沢山抱えて生きているようです。
こういう生きかたをしていると、直感は鈍り(だって自分の心に正直では無いから)
判断を誤りまくるのでさらにビビることになります。
心は常に安定せず、相手次第で、あっちへうろうろコッチへうろうろ・・・と
定まりません。

自分が一番大事なので、その自分を脅かすモノに対しては
恐怖心を抱くし、攻撃されないために、前もって攻撃する、ということもします。
ご苦労様です。
(※攻撃については、或るタイプは実際に攻撃し、或るタイプは何でも無いことを攻撃された!と感じます)
このような意識で生きていると生きているだけで疲れ果ててしまい
直感も第六感も勘も働かない。

或る人がブログに書いていたが「これからは直感や霊感がないと生きていくのが難しい」
たとえば先日北海道で起きた列車事故。
あの時直感が働かない老人達は車内アナウンスの通り本気で座席に腰掛けていたそうです。
で、若い人が窓から逃げ出したので後をついて行って助かったのだそうです。
もし、列車に若い人が居なければ老人達は全滅しました。
(※東北では、小学校の校庭に集められ、整列点呼されていた小学生。
   その中で津波が来るのを発見して逃げた子だけは助かりました。
   先生の言うことを聞いておとなしく整列していた子は助かりませんでした)




それは良いとして、自己保存だけが人生の目的になっている人が実に多い。
所謂(いわゆる)「利口者」のことです。
日月神は
「利巧出すなよ」とか言ってます。
■自分は相手から攻撃されたくない
■少しのミスもしたくない、だってバカにされたくない
■相手から嫌われたくない(だから、反対しない、嫌なことは言わない)
その結果、こういうバカなことを考える人の頭の中を、賢い人に見抜かれて
■人間として対等では無い、と判断されてしまう
のですが、そこまでの思考力はビビる人にはありません。

こういう人は何故、優秀な国から来たTOPの人と、
あいつ(アタシの友人のこと)が仲良くやっているのかが理解できない。
だからTOPはその他大勢は本気で相手にせず(仕事だけの付き合いにして)
話が通じる、私の友人とは「友人付き合い」を望むのです。




だいぶ話が逸れました。

虚像に怯えているレベルではこれから先、かなり不味いですよ、というのが結論ねw
心を生まれ赤子の如く、素直に単純にして生きましょう。




感想が来ました。

ちょうど昨日深い気づきがあって、エゴや闇のエネルギーっていうのが、虚像だとはっきり分かりました
シンクロしてる感じですね。
自分の使命は終わったって感じです。
後は、洗脳が自然に溶けていくってことだと思います。
なんか楽しいですねヾ(@⌒ー⌒@)ノ

そうそう、「エゴ」ですね。
簡単なことを複雑にするのも、虚像に怯えさせるのもエゴの仕業です。
この方、鋭いです。
私が長々と書いたことを一言でまとめてくれました。



<陶酔次元>(2011年5月26日)


精神世界に興味が無い人達の方がマトモだと感じます。
何故なら精神世界に興味のある人の殆どが陶酔次元だからです。
精神世界に興味が無い人達も殆どが陶酔なので
その点では精神世界に興味がある人と違いは無いように思えますが、
精神世界に興味がある人で陶酔次元の人(つまり、殆どの人)は
それプラス困ったことを引き起こす傾向があります。




或る精神世界の人が自分のブログに「家族にワクチン接種をさせる」と書いてあるのを見た人が
ちょっとガッカリした、とメールをくれました。
なので「精神世界に居る人の殆どが陶酔次元なのだよ」と教えてあげました。


そして、相手が陶酔だから付き合わないとか、ダメだとか言っていると
精神世界で「ダメでは無い人」はほとんどいなくなるから
その場合は
「悪抱き参らせよ」の心で対応するのが良いのでは?と提案しました。
陶酔する人は陶酔次元という言葉とその意味を知らないので陶酔しているのです。
勿論そういう言葉を知らなくても陶酔しない人は例外的に居ます。



さて、悪抱き参らせる、ですが、
 
前にもお話したことがあるピアノの先生が、私から見ると超陶酔次元で、
教室を他に変えようかどうしようか1年近く迷っています。
でも、子どもへの教え方は悪くなくむしろ良い。
それにいろいろ便利なのですw
 
一昨日メールした●●の機械はその先生のお母さんが持っていて、
便利に使わせてもらってるし、
個人的に入手しにくいブツもこの人を通じて入手できるし。

陶酔の人だから、「これが良い」と思えば高価なものでも買います。
だから陶酔のおかげであるとも言えます。


だから悪抱き参らせるってな感じで・・・とも思うのですが、
ど〜も「自分は特別である」という思いがヒシヒシと伝わってきて
たまに、あ〜いやだな〜もうウンザリと、我慢が出来なくなっちゃうんですよね。
そこに私の感情が動くということは、
恥ずかしながら私の中に何か「私だって特別になってみたい」とかいう思いがあるってことなんでしょうか。

この人には自分を特別視するところは無いと思います。
ただその人は、先生を見ていて、先生が自分を特別視しているのが分かるのでウンザリしているのだと思われます。
そういう人(自分を特別視する、先生のような人)は精神世界好きの中に沢山いるのではないでしょうか?


そんな先生ですが、先生先生と崇拝してる保護者(陶酔次元)も数多く・・・・
逆にそんなトンデモ話ばかりしている先生に反発してる保護者(トンデモを全く受け入れない)も多く・・・
だから発表会などでみんなが集まる場所に行くと、とっても疲れます・・・
波動がグチャグチャで。
先生は良い波動をみんなに伝えることを目指しているようですが、普通のピアノ教室より悪いと思います。

その先生の波動に見合ったモノがその場を支配しようとしているので
異波長の人達が苦しいのだと思います。
同じになってしまえば楽しいのだと思う。
(その先生の崇拝者のように)




その先生も今は陶酔ですが、そのうち方針を転換するかもしれず。
また、この先生のお陰で精神世界に興味を持つ人が出て来て
その人達が自力でもっと面白いこと、自分に合っていることを探せるようになる
切っ掛けを作るかも知れず。
何がどうなるか分からないので、よしとしましょうw


このように「悪抱き参らせよ」と言う言葉には様々な意味があります。
自分が完璧では無いのに相手に完璧を求めるのは悪ですよね。
それを自覚する必要もありますね。



<自己中婆さん>(2011年5月25日)


人間は低次元であればあるほど、自己中ですよね。
自己中を自覚し自己中から抜け出すことが波動を高めることである、と言えます。
波動が上がれば高次元に近づきます。




若い人と老人とを比べると、やはり老人の方が自己中の傾向があります。
そういう世代なのでしょう。
国のことを疑わず、一生懸命働いて来た世代です。
頭の中はとても古くガッチガチに硬い。
お上に逆らうなんて思ってもみない。
と、いう傾向があります。
(若い人の中にもそういうのがいます。 
  親世代の価値観とおりに生きてしまった人達です)


私より若い人が頭がガッチガチに固いのを知って驚くことがあります。
個人差は大きいので一概には言えないが
年齢別世代別による大まかな傾向というのはたしかにあります。




それより若い世代が老人になっても、今の老人とは同じではありません。
受けて来た教育は違うし、育った社会が違うので、頭の構造、心の有り方が違う。
だから私が年をとっても今の老人のようにはならないのです。
それは皆さんが年をとっても今の老人のようにはならないのと同様です。

世代ごとの塊(かたまり)を想定してみる。
各世代に共通する心や頭、行動のあり方の特徴が見られます。
これ、占星術でも言えます。
地球より外側の外惑星の影響は長期間に及ぶので
その期間(十年〜百年単位)に生まれた人達に共通するモノがあるのです。



以上の理由から今の老人は自己中心の傾向が有りますね。
相手をするのは大変です。
老人の相手をする職業の人達には頭が下がります。
そういう人達は老人になってからいきなりワケが分からなくなったのでは無いのです。
若いときからそのような傾向が有った。




私が若い頃聞いた話。
当時二十代だった私が同級生から聞いた話です。

友人の母親と、母親の友人の会話。

友「アタシの知り合いの農家の人が嫁さんを探しているんだけど、オタクの娘さん、どう?」
と、言って
●家はタダでもらえる
●親と同居しなくていい
●農業は手伝わなくて良い
という条件を挙げ
友「こんないい話、無いわよ!」
と、勧めるのだそうです。
  
母「ウチの娘は農家の嫁は務まらないわよ。
   お宅にも娘さん居るじゃないの。
   そんないい話ならお宅の娘さんが
   その家にお嫁に行けば良いんじゃないの?」
友「嫌よ、そんなの。農家の嫁だなんて!」
母「・・・・・・・・・・・・・・!!!」


と、こういう会話をしたと言って、このお母さんが怒っていたと言うのです。

こういう自己中心を平気で自覚無く発揮する世代(昭和一桁)がいました。
この世代は若い頃はマトモで年をとってから急におかしくなったのではなく
それまでの人生でも自己中を発揮し、
今でも(80歳前後〜80歳以上)発揮しているのです。


<愚痴言う人の相手をする時>(2011年5月25日)


上の話の婆さんは悪気が無いので余計始末に悪い。
私も体験しました。



今から10年以上前のこと。
主人のお父さんが病気になり入院。
残りの寿命が数ヶ月、と医師から言われたので、お義母さんがとても落ち込み
会えば私達にお義父さんの愚痴を語るのです。
愚痴しか言わない。
毎度毎度愚痴を言う。
まぁ、いいけど。

或る時私も「○○さん(私の夫)も、コレコレこうですよ」と言ったら、お義母さん
「でも、それは、○○が居てくれるからこうやって生活出来るんだし」ですと。



えっとですね。



「それならお義母さんも同じですよね?
  あのお義父さんが居てくれるので生活して来られたのだから、同じでは無いですか?」

●お義母さんはお義父さんのおかげで生活できた
●私も主人のおかげで生活できた
●私は主人の愚痴を言ってはいけない、とお義母さんは言う
●つまり、誰かのおかげで生活できたのなら、その誰かの愚痴を言ってはいけないらしい

【結論】それならお義母さんもお義父さんの愚痴を言ってはいけない

となるのですが、多分論理的に説明してもクチポカンとなるだろうから
説明は諦めました。
その代わり、お義母さんの話を親身になって聞くことも止めましたw
それ以後適当に相槌を打つか相槌そのものも打たないか、
私は私の思考回路でやりたいようにやっています。




この時、優しいアワ嫁なら相手をしてやるのでしょうが、
残念ながらサヌキ嫁なので「意味の無いことはしない」のです。
そして方針を変える時は瞬時に変えます。
自分の心の平安、平和のために、何を為すべきかを考え、それにのっとって行動します。

それから愚痴を聞くこともしますが、一度聞いた愚痴に対しては
私は「提案」「提言」「意見」を言います。
それを相手が聞いて改善せず、何度も同じことを繰り返す場合は、
「向上の気持ち無し」とこちらが理解し、愚痴を聞く作業は終了します。

愚痴を言う人は老人世代に限りません。
本人は解決するつもりが無い。
解決したら話題が無くなるので、解決してはいけないのです。
だから何も解決せず、会話の話題は愚痴だけになり、それを聞いてくれる人を探します。
私のようなサヌキ人間でもアワ量が有る場合はある程度までは聞きますが、
上に書いた通り、相手に解決の気持ちが無いと見切れば、終了します。

優しいアワ人間にはそれが出来ないとは思うが。
(アワでも低次元であればあるほど、ワケが分からないので、相手に改善の意志があるのか無いのか
  そのようなことを考えることもありません)

(そしてこのような低次元のアワ人間自身も愚痴を言いますw)

かくして愚痴を言う人は、言う人同士で同波長で集まるのです。
(ブログに愚痴を書く人がいます。
  人間だもの、たまにはそういうことがあっても良い。
  しかし毎度毎度愚痴を書いていると、そこには愚痴の相手をすると見せかけて、自分はもっと大変だと
  愚痴を言う人が集まり、愚痴ヂゴクになっていきます)
(たまにそうなりかけているブログを発見するので、一度だけダメモトで管理人さんに注意します)


それに対して注意する人もたまには居るでしょうが、多くの人は
「言っても無駄」であると知っているので、何も言いません。
気付かれないよう徐々に離れて行きます。




サヌキ人間は「言わずに居られないタチ」なので
聞く耳が有るなら聞け、とばかりに「それはいけない」と理由を添えて

相手が理解すればよし理解せず離れて行くならそれもよし、と一度だけ忠告します。


<愚痴しか語れない人>(2011年5月25日)


愚痴を言う(書く)人は、それが愚痴であると分からないでやっている。
そのくらい、低次元(思考力無し)なのだ、という話。

本人に自覚が無いので大変なんですよ。

会えば毎回同じ話題で愚痴を言う人がいました。
私はその都度「この話の結論、目的は何だろう?」と思って聞くのですが
数年間聞いていて特に結論も目的も無いようだ、と私が結論を出し
「二度とその話題を語ってはいけない」と言いました。
その後もその人は「慣性の法則」通りに同じ話題をつい、語り私に怒鳴られる始末でしたw

愚痴を言うことがその人の習性となってしまっているのです。
だから改善するのは本当に大変なのです。
会話自体が愚痴っぽい人というのは居るもので、
語ることは殆ど愚痴ですから、愚痴を言うなと言われると語ることが無くなるのです。

愚痴しか語れない人は頭の中、思考回路が「いかにして愚痴を語るか」になっている。

そこに「愚痴を語ってはいけない」と禁止事項が来れば何も語れないのです。



自分が語りたい(だから愚痴をね)のに、冷たい人が「愚痴を語るな」と言います。
愚痴以外に語るモノが無いので、つまりは「何も語るな」と言われているに等しいのです。
恨みますよね。
低級霊です。




この時、
●愚痴を言ってはいけないんだな、と悟る
●愚痴を言いたい(あ、自覚無いですが)から、語るなと言う相手を恨む
という二つの方法がある。
どちらを選んでもOKです。



<粗忽と分からずやの違い>(2011年5月21日)


●分かっているのに、勘違いをするのが「粗忽」
●分かってないのが「分からずや」。説明しても分かることが出来ない


たとえば靴の左右を間違えて履く人が居たとする。

●粗忽な人はそれを他人から指摘されたら「あ!またやっちまった!」と、すぐ自分の間違いを分かることができる
●分からずやの人はそれを他人から指摘されても、これのどこが間違っているのか分からない

たとえば車の中に幼児を置き去りにする人が居たとする。

●粗忽な人は、今日は子供連れで買い物に来ていたことを忘れている。
  勿論「車に幼児を置き去りにしてはいけないこと」は重々知っている。
●分からずやの人は、車に一人幼児を置き去りにすることをなんとも思ってない、悪いとは思ってない。
  他人から「子供を車に置き去りにしたらダメでしょ?」と言われると、その理由が分からないので
   心外に思い、感情的になる場合がある。


上の例は私ではありませんよ。
まさか。
いくら私でもそこまでの粗忽はやりませんよ!
でも、これくらいなら普通にやってます↓

●新婚旅行先の九州で。
  駅のトイレに入ったら「何故か」そこには男性が沢山いた。
  皆が私を変な目で見ているし、とても感じ悪い。
 
 (何で男ばかりなんだろう?おかしいな〜)と、思いつつ用を足した。
  出てから入り口の表示を見たら「男性用」と書いてあった・・・嗚呼・・・




このように一見、同じことをしているのですが、中身が違う。
見分け方は

●粗忽な人は他人から指摘されると、即理解し御礼を言う=粗忽者
●分からずやは他人から指摘されると
  @理解は出来ないが素直に聞く
=単なる分からずや
  A理解出来ずプライドを傷つけられたと思い、感情的になる
=これを「ばか」という

ところ。


私などは毎日のように皆さんから
○サイトへのリンクが切れてます
○画像が有りません
○誤字脱字が有ります
○載っているリンク先は違います
○それは事実と違います
○もっと良いのが有ります
と、教えてもらえるので毎日御礼を言いまくってます。




かなり前の体験談。
或るサイトの管理人さんが「トリネコ」と書いていたので
「それは正しくはトネリコでは?」と教えたら、気分を害したようで(笑)
「トリネコとも言うからいいんです!」みたいな返信有り。

そりゃ言うだろうさ。

でも、それって俗語スラング言いまつがいの範疇ね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%82%B3
まぁ、これを使っても誰かが死ぬわけでは無いし、実害は無いから良いと思う。
この管理人さんには一生”トリネコ”を使用していただきたいものだ。



間違った言い方が流布して、そちらを使う人の方が多くなればそちらが正しいと思われて来る、という
いつものパターンです。
これを
「悪貨は良貨を駆逐する」と言います。
ちなみに駆逐(くちく)です、クツイでは有りません。

このように間違ったことをしている人は、それを「間違い」であると認識出来ないからしているのであって
認識していたら最初からしないのです。



この例のような単純な話ならいいが、コトが単純では無い場合、見えにくい場合に
他人から指摘された際に、即理解するならその人は分からずやでは有りません。



<自分勝手な価値観を持つ人>(2011年5月20日)


下の方の記事、<足ることを知らない人>(2011年4月11日)の主人公Qさんがまたまた主役です。

先日ウチへ来た主人の母がこぼすことこぼすこと・・・5回以上同じことを言ってました。
こういう話です。




義母の兄弟のPさんが亡くなった。
県外に住んでいるので、こちらに居る親戚は皆、老齢でもあるし香典は郵送することにした。
こちらにいる親戚が亡くなった時も、当時存命だったPさんは遠いので行けないからと、
香典を郵送して来たので、今度はこちらも同じことをする、ということで兄弟の意見が一致した。

こうしたことは親が存命の場合は親が行う。
だから子供は直接は関係ないのです。
(地方によって違うとか、家庭によって、環境によっても違うとは思うが)
でも、親の世代のことなので親が決定すれば、それで良い、と私なら思う。
主人も同様です。
ありがたいことに親が生きていてくれるので、私達子供が出る幕は無く、
それが本当にありがたい。
お義母さんいつまでも長生きしてね!
(これは別に義母をコキ使おうってのでは無いのですが・・・)




で、丸く収まるところだったのに、何故かQがそれを嗅ぎつけたのです。
なんという鋭い嗅覚でしょう!
Qの性格を知っているせいか、Qの親ですらQにはこの件(Pさんの葬儀)のことは教えなかったのですが、
どこからか嗅ぎ付けてQは烈火の如く怒る。
「親戚がこんなに沢山いるのに、誰も葬儀に出ないなんて、なんて薄情なんだ、冷たいんだ!」
と、怒っているのです。

ここでひと考察。

○Qの親は兄弟の長子なので、一族の責任はこのオレにある、とでも思っているのかもしれない

○こちらから誰か出席しなければ、こちらの親戚が全員「冷たい奴ばかり」だと思われるのが嫌だ

だと思うのですが、
○過去のこちらの人の葬儀の際には、Pさんも「遠いから」と言って香典は郵送したのにそれを知らない
という理由もあり、知らせないのは別にQをないがしろにしているのではなく、
思いやってのことなのだ、ということに考えが及ばないようです。



それでQは親戚の中でも話易い親戚に電話を掛け、
自分の親への愚痴を長々と喋ったそうだ。
主人の母のことは自分の親の味方だとでも思っているようで
(義母は普段からQの親を温泉に連れて行ったりして面倒を見ている)
一切連絡は無い。

Qの、自分の親への不満は凄まじいらしい。
何でも親はQより、兄のRを好んでいる点が許し難いらしい。

えっとですね・・・

Qって60歳超えてます。

十代の子供や二十歳そこそこの子供の話では有りません。




○自分(Q)というものが居ながら何故親はオレをコケにするのか?
  (これは誤解ですね。
   親世代のことなんだから、子供を巻き込むのは面倒だし、可哀想だから、と思えないのでしょう)
○オレ(Q)より、母ちゃんはRが気に入っている、このオレがこんなに面倒を見ているのに!
   (だって兄のRは遠い所に住んでいます。なので親には経済的な援助しか出来ないのでは?)




誰もQに「いや、それは違うな」と意見する人が居ないのです。
誰かがQに「ちょっと来い」と言って説教すれば良いし、そうでなくても突っ込み入れれば良いのに
誰もそれをしないのです。
だからQは「まさかこのオレが間違っている」だなんて夢にも思わないのです。

一番偉いのが自分になってしまっているのです。




百歩譲ってそれでも良いとしましょう。
他の人より高い判断力と思考力を持ち、心が広く、話が分かるならそれで良い。
私も周囲にそういう人間が居たら、とても嬉しいですよ。
たとえば友人のA氏のようなのが居たら、私は大歓迎します。


ところがQは一生懸命やってはいるが、思考力が乏しいために
単純な話を複雑にするだけで、迷惑千万。

私がQと対峙したらQが何か言うたびに突っ込み入れるのですが、そういうチャンスも有りません。
溜息が出ますね。




Qが決定的におかしい矛盾している点が有ります。
それはQは兄への敵愾心からなのか、何なのか分かりませんが、
今は無職で金が有り余り、暇と金を持て余しているのだから兄の家(かなり、遠いです)へ
遊びに行けば良いのに行かないことです。

あれ?

「親戚が行かないなんて薄情だ」と言っていたのは誰だっけ?




このQのように、思いつきと感情と感覚だけで発言したり行動したりする人を
誰も信頼しません。
大事な話など持ちかけません。
それを当人は分からないのです。

還暦過ぎてコレではしょうがないですね。
そうじしょうでは「五十の坂を越えられる人は少ない」とありますが、Qはそれです。
年齢相応の知恵や分別が無いのです。


皆さんの周りにもこういう人、居ませんか?
こういうのが上司だったら面倒ですね。
Qはとても心優しいアワ人間です。
アワだから良い、ということは無いのです。
判断力が有り、心の知恵を持った人、心が広い人が良いのです。
どんなに善人であろうと物事が分からない自己中人間は周囲が持て余します。



<他人を認めない心理>(2011年5月2日)


2ちゃんねるにスレッドを立てた人を「釣りだろう」と言って揶揄し攻撃する人がいますね。
見ているとスレ主を
○応援し、賛成し、擁護する人
○貶し、反対し、攻撃する人

と、半々のように感じます。
(数えたわけでは無いのですが感触として)



つい最近立てられた「タイムスリップしたことあるけど、話をきいてほしい」というスレッドでも
○賛成派
○反対派

とが現れ、賛成派の人の応援にも関わらずスレ主である「1」さんは消えてしまいました。
ROM専門の私としては大変残念です。


この件に関して「星舟庵〜せいしゅうあん〜」のユミさんが占ったので引用します。
「知らないことを知りたくない人」(2011年5月1日)という記事です。
ここでは画像は載せないので、画像を見たい方は「星舟庵〜せいしゅうあん〜」までどうぞ。



知らないことを知りたくない人

下の4/30の記事の2ちゃんオカルト板のスレッドの件ですが、
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1303810886/l50

スレ内で「釣りだろ」という反応が増え、1さんはいなくなってしまいました。
1さんを名乗る人が「釣りでした」発言をしていますが、成りすましと思われます。

1さんが気の毒ですね。
現実でも、不思議・オカルトな話などは信じない・否定する、
といった反応がまだ多いと思います。
徐々に変わってきていると感じますが‥

検証やサニワはとても大事ですが「お前は偽物だ」とハナから否定されては
沈黙してしまうでしょう。




不思議な話や、にわかに信じられない話をバカにしたり否定する人たちは
どういった意識があるのか?占ってみました。


【海虫】凶 ‥‥‥ 杖をなくした按摩


「按摩の杖は両目の代わり。大事な杖を手放したら、慣れた道でも歩けない。
人の助けを借りないと、家に帰ることさえ難しい。」


○人は見たいモノしか見ない。それ以外の事は見ようとしていないし、
認識したくない(出来ない)のだと思います。
時には疑うことも身を守る術となりますが、杖(他の意見・情報や手助け)がなければ、
これからの世は渡っていくのが困難かもしれません。
「そんなことあるわけない」と真っ向否定するよりも、素直に聞いてみれば
お互いに新しい可能性や道が開けることもあると思います。



◆≪1さんを「釣り」だと発言した人たちは1さんに嫉妬している?≫


【日虫】凶 ‥‥‥ 水を離れた魚

「水中に遊ぶ魚が、元気良く水面に踊っていたのは良かったが、
勢い余って岸に出てしまい、日に照らされては最早万事窮す。」


○嫉妬というか、誰かの主張を看破・論破することに喜びを見出しているような様子が
見えます。「自分は騙されないぞ」という意識なんでしょうか。
それって「自分は騙されるかもしれない」という考えの裏返しですよね。

未知の領域や、自分が何か分からないものを盲信してコントロールされてしまう事への
恐怖心があるのだと思います。
(宗教アレルギーに似ている)

なので、1さんがいなくなり、「嘘だった」という偽の結末が出たことで、
スレッド内に「やっぱり!ほっ♪」とした空気が流れたのもそのせいでしょう。


基本的に人は変化や未知を怖がるものだと思いました。




なるほど。
私がやるとただおみくじを引くだけになってしまいますが、
ユミさんの場合はおみくじを引いているだけではなくて、おみくじの絵から何かを感受し絵解きが出来るところが凄い。

「1」さんはスレッド内の心無い人達(変化を恐れる人達)によって排除されてしまったようです。
同じ2ちゃんねるのオカルト板に「婆ちゃんの予言」と言うのがあり、
婆ちゃんが近未来を予言、予知していますが、そこには希望が持てることが書いてあります。


2ちゃんねるに書き込まれたもの。

:本当にあった怖い名無し :2011/02/02(水) 16:55:36 ID:ratEI6t50 (11 回発言)
631 :本当にあった怖い名無し:2010/12/11(土) 07:07:42 ID:cbZzQTc70
俺の隣家のバアちゃんが昔人気を博した占い師だったらしい。
んで昨日、面白い話を聞いた。超人に関することかも知れないので要約して書いてみる。


今年(2010年)はこれまでの行いが全て結集、結合して表に現れた年。
個人、団体、国を問わず、清算の年になったはず。
今年悪いことがあった人は来年以降更なる覚悟が必要になる。
今年良いことがあった人は来年以降もっと大きな喜びがある。

来年(2011年)以降はその結果を反映して多くのものが逆転し始める。
少数だったものは少数であればあるほど前に出て
多数だったものは多数であればあるほど後ろに下がる。

そうした中で、社会や時代から抜ける「新たな人々」が増え始める。
それは、お金であるとか、娯楽であるとか、情報などといったもの。
そして彼らは真に必要なものを既に学んでいるか、気付いている。
また、長い間味方も存在しないまま虐げられ続けてきたので本当の強さを持っている。
彼らがお互いに存在を確認し始めた再来年頃に、現代が終わって未来が始まる。

来年(2011年)、貨幣経済の代わりになるものが生まれ始める。
徐々にそれの有効性が広まっていくが、それは5年後より先の話。

上の予言の中で

来年(2011年)以降はその結果を反映して多くのものが逆転し始める。
少数だったものは少数であればあるほど前に出て
多数だったものは多数であればあるほど後ろに下がる。

また、長い間味方も存在しないまま虐げられ続けてきたので本当の強さを持っている。
彼らがお互いに存在を確認し始めた再来年頃に、現代が終わって未来が始まる。


の箇所は、心無い人達によって排除されてしまった「1」さんのような人達にとっては福音ですね。



<タイムスリップした人>(2011年5月2日)


上の記事に関連して。
2ちゃんねるにタイムスリップした体験談を基にしてスレッドを立てた人がいます。
「1」さんとしておきます。
それについて、賛成反対のコメントが寄せられました。
「星舟庵〜せいしゅうあん〜」のユミさんが記事を書いているので紹介します。

http://fune2744.blog24.fc2.com/blog-entry-60.html



<目指すは「普通」>(2011年5月2日)


友人のAさんから聞いた話です。
Aさんの知り合いに凄い霊能者がいます。
その方はお金は充分有るので、霊視相談の際にはお金は要らないのですが、
その霊能者は伊勢神宮に献金するために小額のお金を取っているそうです。
その霊能者が目指すのは「普通」なんだそうです。

ま、そうです。

私も普通の人間ですが、目指すのは「普通」ですから。



<書く行とモーニングページ>(2011年4月28日)


書く行というのは、私がモーニングページを簡単にしたものです。
下の記事の方から。

「モーニングページ」じゃ、多分すぐ挫折してたと思います。
制約が多すぎて、無理。
私には、「書く行」のほうが断然合ってますね。


はい、モーニングページには様々な決まりがあります。
それをやれる人がそもそも少ないのではないか。
それをやれるほどの人(意志が強い人)なら最高ですが

私のように意志が弱く努力が嫌いな人怠け者の人すぐ断念する人には向かない。
あ、この報告をしてくれた方がそういう人だ、ということでなくて(慌
仕事や家事で忙しい方には書く行のほうが向いてます、ということね。

「書く行」は私に出来ることなら世の中の95%の人が出来る、というくらい
ハードルを低くしてあります。
誰でもできます。



<書く行で自分の本心を知った人>(2011年4月21日)


自分では意識出来ない心の奥底にある、気持ちや考えを知った人がいます。
Qさんとしておきます。
その人は長い間、自分の本心に気付かず、勤務先などでも良い方向に進まず数年間(十数年間?)やって来た。
ところが私が「毎日文章を書いてみれば?」と提案したら、素直に実行したところ
すぐさま、自分の本心を発見し、愕然としたそうです。
それに対する私の返事から始まってます。




>良かったね!
>
>書く行の効果がこんなに早く出るとは素晴らしいです。


はい、ありがとうございます。
これは、これからも続けていこうと思います。

書く行をしよう、なんて普段なら思わないです。
なんせ、ブログを毎日更新するのがとかく面倒で・・・
毎日書けるのか?とそちらのほうが心配でしたけど、
案外書けるものですね。



最初、
過去の出来事に対して自分が怒っていることにすら
気がついてなかった
んですけど、自分がものすごく怒っている
ことに気がついて
、その後にそれが嫉妬から来ていて
さらに
その嫉妬は傲慢さのなせる業、という認識が
できつつあるところに今います。
傲慢は、甘えでもあるのかな。



Qさんはまず取っ掛かりを発見した。
そして「では何故自分はこう思ってしまうのだろう?」と考えて
その原因を探った。
すると、真の原因が出て来た。
しかし、それについても「では何故自分はそう思ってしまうのだろう?」と考えたら
さらにその奥にある、真の原因を発見した。
次に、さらに「でも、何故自分はそう思ってしまうのだろう?」と考えたら
そのまた奥にある、真の原因を発見した・・・ということですね。
このように、表面に見えるものの奥には原因が隠されている。
そしてその隠された原因の奥に、さらにその原因が隠されているものです。
こうしてどんどん「真の原因」を探していくこと、
心の奥深くを探ることを助ける作業が「書く行」です。



「書く行」は本当はモーニングページと言います。
でも、これだと「朝書くもの」となってしまう。
現代人は忙しいので朝その時間が取れない場合が多いので
本当なら朝書いたほうが良いとは思うが、次善の策として「いつ書いても良い」と、
私がアレンジしたものが「書く行」です。
これならいつでもOKです。

自分の問題は自分で発見するのが一番良い。
他人が「あんたの問題はコレコレです」と教えてくれても、
その答えを自分が理解出来なければ、意味が無い。
(数年後に分かる場合もあるが)
それより自分で発見したほうが気付きの練習にもなるし、良い。




自分の過去の出来事(トラウマ)は、結局自分のダメさが招いたこと
である、と以前とはまた違ったとらえ方で認識したんですが・・・
20代の頃、もう少し賢かったらもう少し違った展開になったのになあ、
と残念に思うことしきりです。
まあ、それは今だから言えることで、当時はおバカなりに
一生懸命ではあったんですけど、今の1/10でも知恵が
あればなあ、と・・・
過去はどうにもならないので、これからに生かすしかないんですけど。



7つの大罪とは、よく言ったものだと思います。
すべてがうまく?構成されるようになっていて、
1つだけの感情が突出して表れているわけじゃないんだなあ、と。

嫉妬は、体力消耗しますね。
気がついたからいえますけど、余計なところに神経使うから。
念も、本人が望む望まないに関わらず、相手に
飛んじゃうんじゃないでしょうか。
私も、飛ばしちゃってたのかなあ・・・飛ばしていないと信じたい。

Pさんの親戚の男の子が嫉妬から大量の
念を飛ばしているのも、なんかうなずけます。
若くてパワーがある分、半端ないんじゃないですかね?

そのままのノリで歳をとったら、いろんな意味で枯渇して
しまうと思いますけどね。

あ、だから運勢悪くなるのか。




その通りですね。
運は悪化する。
体調も悪化します。
病気になるでしょうね。
それは全て自分が今までに出していた、悪想念が自分に戻って来た結果です。
念の仕組みを知らない人が普通ですから、
知らないで多くの人がコレをやっているわけです。
恐ろしいことです。




と、いうわけで。
自分の問題は自分で発見しましょう。
そのために「書く行」があります。
やり方は
○毎日書く
○思いついたことを片端から書く
○推敲無しでどんどん書く
○書いたら直さない
○筆記用具で書いてもいいしPCに打ち込んでもいい
◎これを3ヶ月間行う



参考になるサイト↓こちらはモーニングページ
http://ribbit-ribbit.net/2009/09/24/tanka-148/
http://ameblo.jp/saname/entry-10485764459.html
http://harumisong-africannightpart2.blogspot.com/2010/01/blog-post_22.html




書く行は時間を限定しない、筆記用具に拘らないということで、かなりラフに、実行し易くなってます。
(モーニングページを私のような意志が弱い怠け者用にアレンジしたのが「書く行」です)
朝、筆記用具で書けるならそちらのほうが潜在意識が出て来易いと思います。
これを続けていると潜在意識がどんどん出て来るので
心の問題は解決の方向に向かい願望も実現する・・・という理屈。



<明暗>(2011年4月12日〜13日)


nicoさんの「En”Dolphin”」の記事にこんなことが書いてありました。
4月3日の記事です。

インターネットでいろいろな情報を拾っています。
本当にいろいろな視点、捉え方があるものです。

ある霊能者の言うことには、
今、多くの人がテレビやネットの情報で不安を増大させ
自ら闇をつくりつつあるそうです。危険だそうです。
テレビやネットの情報でどうしようもなく心配になる人は
見ないほうが良いようです。
私の友人にも、地震後本当に暗くなっちゃってる人がいます。
テレビニュースに釘付けになっちゃうんだとか。
自分で、心が弱いなと感じると言っていました。




そうなんですかね、世間の「普通・平均値」って。

いえね、私の所に皆さんから寄せられるメールは全て明るい内容ばかりなんです。
笑っちゃうほど明るくて元気で可笑しいです。
中には原発から数十キロのところの人や
それよりは遠いがかなり近い方
(震度が大きな地震が頻繁に起こっている地区)からメールが来ますが
本当に元気で明るいんです。
まぁ、その人達は避難所で生活しているわけでは有りません、自宅にいますが。
でも停電だし放射能は来るし水道水は怖いから飲めないし・・・
でも元気。
これには敬服します。
その上、ネットで見つけた情報を送ってくれるし。
それをやっている余裕がある?と思いますが、凄いです、その生命力w




でも、世間の平均値は原発から遠く離れているのに暗くなっているそうで・・・
そういう人に外から
(つまり他人が)「あなたが暗くなる必要は無いんですよ」
説得してもほぼ無駄ですね。
不安や心配は理屈でなんとかなるものではないからです。
心が奥底から明るく前向きならどのような事態であろうと、暗くはならないのです。


私はといえば200キロちょっとのところに住んでいますが
普段通りの生活をしていて、以前と同じです。
家族全員そうです。
離れて暮らす主人の母もとても元気で普通にしています。
(昆布水を飲む、太ももに「彗星」と書くこと、BSWなど実行しています)
(太陽光で使える懐中電灯などを、私がネットで買ってお義母さんに渡してます。
 お義母さんは素直なのでトンデモなことを喜んで受け入れてます)
(つまり、私達はこの事態を楽しんでいるのです)

離れて暮らす子供達も普段通りです。



あ、別に自慢ではありませんよ。
私達が元気で居ないと被災地の方達を支えることが出来ないでしょう?
だから普段通りに生活をし、いざという時は力になる準備
(物心両面)をするしかありません。
自分達が住んでいる地区に何も起こってないのに暗くなっている場合では無い。

その点閲覧者の皆さんは素晴らしいです。
何も言うことは有りません。
「あなたはそのままで良い」です。



当のnicoさんから詳しい情報が来ました。

こんばんは。
 
800の記事になってるのを読みました。
テレビやネットの情報で暗くなるって話。
 
本当にそうなんですよ。
皆さん結構暗いです。
 
暗さにもいろいろあって、
@テレビ(ネットはやらない)の暗い情報を鵜呑みにしてザワザワしてる人。
 ネットをやらないので受け取る情報は浅いと思うのですが、
 あの瓦礫の山や原発の煙や被災者を見ると
 どうしようもなく辛くなり不安になるそうです。
   →地震後、身体に影響が出ている。私の知り合いはぎっくり腰になった。30代で。 
 
Aテレビの情報は全く信じずネットで情報を拾うが、
 ハープにやられている!!とか関西以南に逃げろ!!とかいう
 スピリチュアル系(予知系?)の人が発信する暗い(暗いというと語弊があるけど)
 情報を信じ込み、
 でも越智啓子さん的ぶっ飛んで明るい情報はまったく受け付けず
 真剣に策を講じている人。
   →こういう裏情報を知るようになってから日が浅い。
    私の知り合いはスピ系を標榜しているわりに、
    地震後、今のうちに食っておこうといって太ったりする・・・
    どうなんだそれ。
       
B自分で情報を集めないが、周りの人から聞く情報で
 なんとなく漠然と不安な人。
   →とりあえず水を買いだめしたりする。
    周りの様子を見ながら、周りに合わせた行動をする。
    私の知り合いは、水を2L×6本×10箱が玄関に積んであります・・・
 
知り合いであって友だちではありませんw
この人たちに共通することは、
携帯で緊急地震速報をキャッチできるようにしてあること。
もちろんそうじゃない人もキャッチできるようにしているでしょうが。
 
あの緊急地震速報、私としては止めてくれという感じです。
もちろん必要でしょうが、
あのイヤ〜な音を聞くと瞬時に意識がどん底に下がる気がします。
アノ音を聞いてから感じる揺れは、実際の揺れ以上な気がする。心理的に〜。
 
いろいろなタイプがいるものだ、と観察しています。
そりゃ私だってあの日以降大揺れしたら、ひぃぃぃぃぃと瞬間的に暗くなりますので
人のことは言えませんけどね。

なるほど。
解説巧いです。




わはh!
こりゃ面白い。
追加記事にしよう。
 
解説、的を射ていて秀逸だ。
nicoさん賢いなぁ。

あはは、賢かったらチャリティしないですw
 
もう一つあった。
C金の力でウラ情報を掴んでる、と思っているセレブ。
 原発200キロにいるのに、爆発後すぐに関西以南に避難。
 金の力で掴んだと思っているウラ情報をご親切に平民に教えてくれる。
 「あなたも避難したほうがいいわヨ」と。
 関西以南で明るく暮らしているようですが、
 コレって暗いですよね?
 
 
個人的には実際もう、
地震の原因がなんであっても、
ふってくる雨に何が入っていても、
今後原発などうなっても、
問題はそこではないのではないか?
と思えてなりません。

同感です。
「そういうコトじゃない」ってことですね。

完全に多重の篩いにかけられていると感じます。
どんどん篩いの目が細かくなっていく。
イコール、そうとう研ぎ澄まさないと乗り越えられないことが今後ある、
イコール、今のは序の口かも!?
 
ああーなんてときに日本に生まれてきたのか〜。
 
と、思いますが、
地球のどこかでは、こういう類のことが日常茶飯事な国もいっぱいあるわけで。
劣化ウランのせいで多くの子どもが白血病にかかり命を落とす国もあるし、
粉ミルクを飲んで赤ん坊が死ぬ国もあるし、
長い間空爆に怯えながら眠る国もあるし、
子どもがストリートチルドレンとなり地下の下水管で寝、ねずみに顔をかじられて
傷だらけという国もあるし、
5,6歳の子がゴミの山で働いて、作業車に引かれても誰にも気付かれないなんていう国もあるし、
 
・・・・こう考えると、この地球は本当に病んでいるのですね。
遠い国の話ではなかった。
世界中の痛みをわが身のこととして知る、私にとってはチャンスです。

うん、目のつけどころが良いと思う。
やはり日本は世界一成功した国だと言えそうです。
世界が羨ましがる国ですね。
その国が世界でも無いほどの国難に遭ってます。
日本がこれを乗り越えるか否かによってこれからの世界、
地球の未来が決定すると言っても過言では無いですね。

それを成功させるために、私達は生まれて来たと言っても良い。

日月神も何度も「お役目ご苦労」と日本人に言ってますよ。
「神でも出来ないこと」をやるために生まれて来たようです。
本来なら今までの歴史上の聖人や教祖になれるほどの御霊(みたま)が
普通の市井(しせい)の一般人として生まれて来ているそうです。



<足ることを知らない人>(2011年4月11日)


またまた「親戚悪口シリーズ」で恐縮です。
うちの旦那の従兄弟の話。
借りにQとします。

Qは会社経営者の娘と結婚して、その会社の子会社というか、支社のようなところの責任者になった。
社長なのかな?
Qの奥さんは社長の娘なので独身の頃から、父親の会社で働いています。
子供が出来ても生まれても子育て中でも働けるのです。
で、長年働いているし身内だし・・・で給料高いです。

Qは婿です。
奥さんには男の兄弟が居て(一人か二人か忘れた)勿論父親の会社(本社)を手伝って来た。
父親は最近引退したようで、息子が後を継ぎました。
(息子は一人、ということにしますね)



その会社の本社の営業成績は悪い。
でも、Qがやっている支社の成績は良い。
支社が出した儲けを本社が分けてもらっているというか、
支社あっての会社のような感じです。
(支社というよりは、○○部門、と言ったほうがいいかもしれないが)

なのに本社の社長の給料は支社の社長、つまりQの給料より多いのが
気に入らないようです。
前社長の息子だから、という、それだけの理由で
実際に利益を出しているのは俺なのに、この俺よりも給料が良いとは何事だ、という感じ。




そんなわけでQはその会社に入社した時から、会社の批判ばかりしていました。
理不尽だから・・・
でも、Qの奥さんは社長の娘で正社員、若い頃からずっと働いて来たので女であっても給料が高いのです。
パートのおばさんとは違います。
給料の桁が違う。
Qはそこも考えるべきですが、いや、考えてはいるのでしょうが
それに関しては「働いているんだから当然」と思っているのでしょう。




入社してから30年以上、文句しか言わなかったのではないかな、と思います。
数年前にQはこの会社を辞めました。
しかし経営者側なので退職金が出なかったらしい。
(そうなんですかね!経済には疎いので私にはそこらへんのことが良く分からない)
退職金が出ない、と言ってQはさらに文句を言っていたそうです。
でもQが会社を辞めた理由は・・・
不況になって会社の経営が傾いて来たので、倒産したら経営側が責任を取らなくてはならないので
早めに逃げ出すのが目的だったらしい。
だから今のうちに辞めておきたい、ということらしい。

それから奥さんはまだ会社に勤務しているし、奥さんは役付きでは無いから
退職金はもらえるんです。
パート従業員ではなくて正社員だし。

しかしQは退職金が出ないということで非常に憤慨していたということです。
パート従業員や普通の社員のことを考えたら、気の毒でそういうことは思えないと思うが
そこらへんについては自分がいかに恵まれているか、考えないのでしょう。




○倒産した時責任を取らされる(全財産を取られる)のは嫌だ
○でも退職金がもらえないのは嫌だ
○奥さんはまだ勤務している
○奥さんが辞める時は退職金はもらえる
○夫婦で、良い条件で働けたことについては感謝しない
○婿だから苦労しないで支社長になれたことには感謝しない
○婿でなかったらこのような良い待遇は受けられなかったことには気付かない
○いや、婿の俺が居たからこそ、会社の業績が上がったのだ、全ては俺の手柄だと思っている
○それなのに、本社の無能な社長が俺より給料が良いのは許せない、オマエ(本社の社長)は利益を出してないだろ!
  と、毎日思い続けて30年以上
○夫婦して他の従業員よりずっと恵まれていることについては感謝しない

それで、30年以上、毎日文句タラタラ、奥さんの男兄弟を無能と罵り
奥さんの父親を恨み、憤懣やるかたなく過ごして来たのです。

こういう心の態度で数十年過ごせば病気になると思うが、実際病気だそうです。
病名は忘れました。




こういう人にいくら論理的に説得しても無駄なんですね。
何を言っても自分なりの理屈で返して来ることが予想されます。
頭で理屈を理解しても心が納得しないのです。
全ては心の持ち方ですね。




うちの旦那の母が、こういう事情をQの親から事情を聞いたそうですが
「でもQちゃんはいくらもらっていたの?」と訊いたら
「月給80万円」だそうです。
それを聞いた義母は途端に同情心が吹っ飛びました。
「80万円だって!それを聞いたら嫌になったわ」ですとw




Qは心優しく良い人です。
常に周囲を気遣い明るく楽しくなるように心を配っています。
親戚が集まっても同じ年齢のうちの父ちゃんが黙って酒を飲んでいるのに
Qは一人で皆を笑わせているんです。

しかしQの心の姿勢は・・・
常に周囲を羨ましく思っているようで、発言の内容は「○○はいいよなぁ」というものが多い。
常に他人と自分を比べては、相手が勝っているように思いその点を羨んでいる。
そしてそのまま口に出す。
たとえば・・・
○学歴。○○ちゃんは良い高校〜大学を出ているが俺なんて三流大だし・・・
○年収。○○ちゃんは良いところに勤めていていいよな、俺なんか・・・
○家庭。○○ちゃんは子供が沢山いていいよな、うちは一人しかいない・・・
とか、キリが無い。
あ、上の○○ちゃんてうちの旦那のことです。
うちの旦那は笑って酒を飲んでますがね。
Qはきっと「そんなことないよ、Qちゃんは・・・」と言って欲しいのだろうと思います。
私は面倒だから言いませんが、普通の日本人なら躍起になって、Qを激励しますね。



しかしQは夫婦共稼ぎで何十年もやって来て、子供は一人。
沢山稼いで支出は少ないのだから、預金は莫大なものになっていると思いますよ。
しょっちゅう夫婦や家族で海外旅行をしているし。
羨ましくないけど。
うちなんか子供が多いから金なんかありゃあしません。
そういうところにはQは気付かないのです。
自分が見たいモノしか見ない。
かなり偏ってます。



Qはアワ男ですね。
アワが悪く出ているのがQです。
アワが悪いのではなくて、アワの出方が悪い。
アワにもサヌキにも良い悪いは有りません。
(私の弟のうちの一人がそうです。同じです。常に誰かを羨ましがり、自分を情けなく思っている)
(もうちょっとさっぱり出来ないものか、と思うがそれが出来ないから、そうやって生きているんでしょう)
(気の毒だが、それが本人のやり方であって、他人には変えられないのです)

(他にもいますよ、こういうアワ男。常に愚痴を言っている人)



面倒臭え奴だな、と思います。
こういう人はどんなに良い目に遭ってもわざわざ足りない面を探しては嘆くのです。
こういうのは本人が心の底から思いを変えない限り、一生それを続けます。
かなりおかしな心の態度なので修正
(不幸のことです)が入ると思うんだけど、
それで気付けばラッキーですが・・・

こんなに恵まれているのにあえて「不平不満」を探し出しては不幸を嘆く人。

こういうのって欲が深いというよりは、何か自分自身に満たされないものがあり、
その欠乏感を埋めるために、具体的なモノ(金銭など)を求めるのではないか。
サヌキなら仕事をやれば数字に出るので達成感を得ることが出来るが
アワなタチの人は数字や具体的なものでは満足できない。

多分Qが欲しいのは前社長と今の社長からの感謝の言葉(念)ではないか。
君のお陰で我社は助かっている、という言葉とかね。
それが来ないので「何故来ない!」と怒っている。
月給や年収というのは、Qにとっては「社長からQへの感謝の表れ」ではないか。
だから本当は金ではなく、「心」(相手からの感謝)が欲しいのだと思う。
Qの中では「自分の認められ方=年収」となっているのではないか?
(※相手から感謝されたい場合は、まず自分が感謝することなんですがね。
   相手から認められたければ相手を認めることです。
   それが出来ないのに相手にはそれを求める。
   それは「自分がこれだけやっているのに」という自分なりの理屈が先立つからです。
   つまり突き詰めれば「我」(が)です)




そして怒り方がアワなので愚痴となって表現されている。
その前にサヌキなら自分がやりたいことをやり、
数字に出た時点で達成感を得て満足しますがね。
つくづくアワ人間って厄介だなと思います。


何度も言いますがアワが悪いのではないんです。
アワな人は心について学ばないとこういうところに陥ってしまう、ということね。
苦しいですよ。
サヌキだって何も考えて無い人は(普通そうですが)あちこちぶつかっては痛い目に遭います。
が、その時(痛ええ!ちくしょう!)で終わる場合が有ります。
バカなサヌキの場合はそうです。
私などはそのくちです。
これも悪いけどねw



<運が良い人3>(2011年4月11日)


先々月かな?友人のK子とS子がウチに遊びに来た時のこと。

S子は宝くじを販売している店へ行くことが多いので私とK子は宝くじを買っておいて、と頼みました。
S子は快く引き受けてくれました。
○K子=3枚
○私=1枚

私は「宝くじなんてどうせ当たりゃしないんだから1枚でいい」と1枚だけ頼んだ。

その後・・・
○K子=3枚のうち2枚が当たり!900円の出費で3300円が当たり、差し引き2400円の儲け。
○私=1枚外れ。300円の損・・・


明るく楽しく優しい人は運が良いですね!



<運が良い人2>(2011年4月7日)


うちの旦那。
商人の子供として商店街で育ち、友人は皆商店主の子供、という環境で育った私とは違い、
公務員の倅として育った旦那には、仕事の勘というものが殆どありません。
とうとう会社で出世しませんでした。

途中までは才能が有るので良かったが、いかんせん経営というものが分かってない。
と、いう以前に物事が殆ど分からない。
だから途中から失速しました。
学歴は高いし教養も人並み以上にあるが物事が分からないんです。
この分からなさはオヤジであることを差し引いてもヒドかった。
今もヒドいが。
なので私は(もし、旦那が出世して経営する側になったら大変だぞ)と思っていました。
結局出世しなかたのでその心配は(してねえけど)杞憂に終わりました。




居ると思いますよ、高学歴でしかも有名大学を出ている人。
で、そういう人が会社員になっても肝心なことが分からないので
途中まではいいが途中から失速する。
これは事実です。


出世しない人の条件をここで書きたいが止めておきます。
秘密では無いがおおっぴらにすることでもないし。
また、こういうことはちょっと気が利いた人が書いた本に載ってますよ。
本屋の自己啓発コーナーに行って探してみると良いです。




ところでうちの旦那がいよいよ定年になる去年のことです。
うちの旦那は政治力ゼロなので、定年になってから「ウチへ来い」と引きがあるのか無いのか
私には分かりませんでした。
多分「無い」ほうだと思っていた。
だって付き合う人達が殆ど「売れない芸術家」とか「伝統なんとかの師匠」とかで
会社経営者とかがいないのです。
政治力が無いので企業の社長とか自治体関係とか、そっち方面にツテを作っておけなかった。
あ〜〜〜あ。
と、思ったが旦那のことなので放置しておきました。

定年になってから、就職できなければ我家は貯金など有りませんから大変だったのですが、
私が騒いでも本人がワケが分からなければどうしようも有りません。
そのくらい政治力が無い、何も無い人なのです。
勉強が出来て学力があって学歴と偏差値が高いだけ。
はあああ・・・

定年が間近に迫った去年の暮れのこと。



で、そんな或る日旦那が言うんです。
会社に残ることになった、と。
何でも会社は毎年残って欲しい社員(例年0人〜1人)に、「会社に勤務したいですか?」と訊くそうで
うちの旦那は会社に残って欲しいと言われたそうです。
ほっ。
良かった。
旦那には経営や商売の才能は無いが、自分の専門分野の才能は有るので
会社から残留を打診されたそうで、良かった。
これが無ければ政治力ゼロだからどこからも引きが無く、定年になってから何もやることが無い。
貯金も無いし子供にはまだ金が掛かる・・・とヂゴクが待っていたのですが
寸でのところで助けられました。


引きが無ければ自分で再就職先を探さなくてはならないが、それは大変な苦労です。

60過ぎて自分が全く知らない分野の場所に、運良く再就職出来ても
勝手が分からず、若い連中にはバカにされ、のけ者にされることを思えば
自分が慣れ親しんだ会社に居られるのはラッキーです。




旦那が勤務している会社には未来が有りません。
どんどん業績が落ちています。
そういう業種なのです。
そういう所で出世して経営陣になっていたら経営が大変で大変で
それなら役づきでは無いほうがずっと良かった、という感じです。
元々旦那には経営の才能は無いので、そういう苦労をせずに済んだけど
間違って経営側になっていたら大変過ぎました。
(適性が有っても大変なのに、適性が無いのに、その立場だったら、滅茶苦茶苦労です)



と、いうワケで。
適当に自分の才能を活かして責任は最小限に留めることが出来て
うちの旦那は幸せだな、と思います。
週二回(一回数時間)仕事をして月給をもらえるなんて夢のようです。
ま、それしか出来ないからだけど、それしか出来ないということがラッキーな結果を呼んだとも言える。
今まで他人を陥れることも脅かすこともなく、何も分かって無いが善良に生きて来て
自分の得、利益を考えず、自分が楽しいと思うこと正しいと思うことをやり、
今日(こんにち)まで来たがそれが「正解」だったんだよ、と運命から言われたようで
ま、いっか、ってところ。


こういうのも「運が良い」って言うんだろうなぁ、と思うので記事にしました。

<運が良い人1>(2011年4月5日)


閲覧者の皆さんは運が良い人が多いです。
運が良い人ばかりだ・・・と言っても過言では無いでしょう。

私が聞いた身近な例を挙げますね。

先日友人のS子とK子がうちに遊びに来ました。
遊びに来たのだけど、ちょうど良いのでチャーム作りを手伝ってもらいました。
お喋りは作業しながらでもやれます。
私は時間を無駄にしないのです。




大震災後の原発事故により計画停電が始まりました。
この必要は全く無いと思います。
やっていることはおかしい。
東京23区が最も電気を消費すると思うのですが、
23区のうちの21区は計画停電をしていないのです。
(荒川区と足立区だけが計画停電されてしまいました)
このような欺瞞がまかり通る国って・・・来た挑戦のことを誰も非難出来ないと思いますね。



それはともかくとして。


S子が勤める会社も計画停電のために、休業することになりました。
S子は指導員として各店舗を廻るのが仕事ですが、
停電のせいでお店も休業なので勤務できません。
月の半分も勤務できない状況になってしまい、パートなので
(月収が半分になっちゃうわ、困ったわ)と思っていたら・・・
「停電のために臨時休業することになったのは会社の都合なので
 たとえ出勤しなくても時給は全額払う」
と言われたそうです。
う、羨ましい!

K子のほうは停電があるのだから施設を休館にするかと思ったら
施設の長が
「いや、営業する!」と宣言したので停電でも営業することに・・・
トイレの水は流れないのでバケツに水を汲んでおいて、
それを使用後に柄杓(ひしゃく)で汲んで流しているそうですw
でもお陰で給料は普段通り出るそうです。
これもラッキーですね。




心優しく温厚な人にはこのようにラッキーなことが起こりますね。

私のほうはウチのすぐ近所は停電になっているのに、うちは一度も停電していません。
主人の母の所も一度も停電していません。
不思議なことです。
ラッキーだと思います。




ウチはともかく、普段の心がけが良い人はいざという時、ラッキーなことが起こるし
天の助けが有ります。
これは本当ですよ。
だから一見、嫌な奴が良い思いをしているように見えても
そういう人はいざという時に助けが来ず、ヒドい目に遭います。
それはそれまでその人が出していた低波動が、いざという時にちょうど良いときに帰って来ただけなのです。

気の毒です。
でも、そうでもしないとその人は何事かを分からないのでね。
しかしそうなってもまだ、そういう人は分からないんですけどね。


まぁ、他人のことはどうでもよろしい。
肝心なのは自分の心です。
いざという時天の助け(見えない存在の助けや、不思議ななりゆき、偶然など)が有るよう、
意識を明るく前向きにして生きたほうが良さそう
です。AKS=悪銭回収システム
  KJS=金融浄化システム