hinoatarubasyo     人間のいろいろを書いていきます。記事は上に追加されます



<バッサリ>(2011年1月9日)


もう一つのサイト関連のメール、2006年から保存していました。
保存する理由は何かの連絡が有るかもしれない、必要が生じるかもしれない、ということで
数年間保存していたのです。
メールの内容を読み返すということはなく、アドレスが必要になる日があるかもしれない、というだけのことです。
ところが今年2011年に入ったら過去のメールを全部削除したくなりました。
惜しいとか、証拠にしようとか、そういう意識が無くなり、
実にアッサリとバッサリと全削除しました。
清々した・・・



それからもう一つのサイトをまた整理しています。
過去の記事はロクでも無いものや、どうでも良いもの、縁が切れた人へのリンクなどがあり、
それもまたバッサリと削除しました。
清々した・・・




もともと過去のものを大事に保存するという性格では無いので、今までしなかったのは時間が無かったから、です。
ようやく今年になってここ数日時間が有るので面倒臭いけれどやりました。
過去記事を読むと実にくだらないことを書いています。
私は某サイト運営を数年間やってきて、いつの間にか判断力とともに波動(セイシンの波動、気高さのこと)も
上がっていたようです。
人間は変化する生き物です。
数年間同じで居る人もいるでしょうが、殆どの人は波動を変えている。
それが高くなる人と低下する人とあるでしょうが。




去年までは過去のメールを削除しようと思わなかったのに
今年になった途端、何の躊躇もなく削除したのには自分でも驚きました。
世界(地球)の波動がどんどん変化しているからではないでしょうか。
私の波動が低かった時に縁が出来た人とは今は殆ど縁が有りません。
去年、ここを訪れてくださった人達との縁を大事にし、
これからも向上していきたいと思います。
向上と一口に言っても、自分では変化が分かりませんが、
数年の単位で見てみれば、向上の道を選んだ人は確実に向上しています。
半年や一年では自分では変化は感じないが、数年経つとその変化を自分でも分かります。

そのように生きて行きたいものです。



<人生を楽しむ>(2011年1月7日〜8日)


いろんなことがあるのが人生ですね。
閲覧者の方からこういうメールが来ました。


テレビをつけたら「アメリカンダンスアイドル」という
アメリカのダンスオーディション番組をやっていました。
男女でペアを組み、毎週違うテーマとスタイルで踊り、勝ち残っていく番組です。

あるペアは1週目に男女が出会い恋に落ちるテーマのダンス、
2週目は結婚をテーマにしたダンス、3週目は片方が浮気して喧嘩する
テーマのダンス、に挑戦していました。

ダンスの技術はもちろん、与えられた役にいかになりきるか、
テーマをうまく表現できるか、が評価されます。
批評家?が「どんなテーマであれダンスを楽しんで取り組め」と
ダンサーに言っていました。

 これを見て「あっ、そうか」と気付かされたんですが、
この世はゲームで、結婚も仕事もあらゆる日常も、すべて私たちは
ダンスを踊っているんだな。と思いました。
役」を演じる演者なんですね。

そして、人生ってそれほど深刻になることはない、という事。
上を目指す真剣さは必要だけど、何かネガティブな事象や分からない事に対して
必要以上に深刻になる事など何もない、んですよね。

何か妙な事をする他人がいたとしても、自分がヘマをして一時的に落ち込んでも
それに対して深刻に悩んだり憎んだり見下す必要などない。

そういうコトですね。

私は映画を見るたびに(ああ、この世は劇だな)と思います。
映画の撮影の時には敵と味方に分かれて熾烈な争い戦いを繰り広げている俳優同士が
休憩時間には仲良く冗談言い合ったりしている。
また私生活では仲良しだったりします。
その仲良しの仲間がこの作品(三次元地球)の中では
「今回は敵同士の役をやろう」とあの世で決め、人生を演じている。

嫌な奴は他の人のセイシンを鍛えているのかもしれない。
殺人犯は、殺される人のカルマを解消しているのかもしれない。
嫌な役目ですが他に適当な人が居ない場合があります。
(ゲリー・ボーネルの継父はゲリー兄弟にひどい仕打ちをしますが、インディアンだった前世
 ゲリーの弟が兄・・・これが今世の継父・・・を殺し、ゲリーはそのことを黙っていたそうです。
 他の家族もこの殺人については黙っていたそうで・・・
 ゲリーの本当の父は、前世、インディアン家族の父でしたが、
 弟が兄を殺した件を薄々気づき、最後には家を出てしまった。
 今世でもゲリーの父は家から出てしまいますが、これも前世を再現しているのです)




KRさんから。

800の人生を楽しむって記事、読みました。
この世はゲーム(劇、映画、ドラマetc)…という言葉は特に目新しくはないですし、多くの人はそう感じ、気づいているのだと思います。
が、私達はそのことをすぐ忘れてしまい、瑣末な事で一喜一憂し、役にのめり込みすぎる…。
なので、時々こうして人生はゲームだった!…と我に返る機会をもらえるのって、ありがたいです。
どんなシチュエーションにも動じず、楽しめるようになりたいものです。



<某県に何かを召喚した人?>(2010年12月26日〜27日)


さてさて。
これから書くことは特にトンデモです。

某チャネラーさんから。



先日、12日にある方がとんでもない場所に繋がっているように思えたので
イメージとして私に残されたエネルギー全部つかって日本全体に保護膜を張りました。
あの状態ではもう外を切ることができなかったようです。
ウェブカメラが故障し新しいものを購入したほど。
でも1日でまたカメラは普通につかえるようになりました。

ある方って誰!教えて♪

ブログで上位の人。
今は大丈夫だと思います。
〜〜〜とか言います。

*****************************************************
実は先日(12/11)晴天なのに宇宙船を感じさせるような、
かなり大きな重たくて平たい雲がたったひとつだけ南に浮かんでいました。
気になりつつもそのあと雲のことはすっかり忘れていましたら、
11日夜からPCのwebカメラに雑音が入るようになって使えなくなりました。
12日の朝に再度試してみると状態はカメラ映像に波がある感じで
時折横に強く光る横帯がバシッバシッとやたらに入っていました。
どうしてもダメで断線してしまったのかと思い新しいものを注文したぐらいです。


ところが12日夜から翌日にかけては
光ながらすさまじい横線が入っていた現象がすっかり治ってしまいました。
もとのように静かに映りますし録画もできます。
それで磁気嵐か何かと思って宇宙天気をみたら問題なかったように思います。
69さんはなにか変わったことありませんでしたでしょうか。

う〜〜〜ん、覚えてないけど、何も無かったと思います。

それとwebカメラの状態とは別にキレタ話を。
12日、うちの県一帯がゼロより下に落ちて外宇宙に繋がっていたように感じました。
そのときかなり大きなエネルギーパイプが出来ていたように思います。

思わず自分のハートを中心点に外にむけて放出し
光子エネルギーの膜を日本全体にかけるようイメージして
そのあと地球全体にエネルギーの帯で7回ほど締め上げました。
やりながら心で地球にも呼びかけていたようにも思います。
昼過ぎで、ふと時計をみたら12:22でした。
集中したのは10分ほどでたぶん12:12〜22 の間だと思います。

●●県が堕ちてしまったのか。
何が原因かな?


私は〜〜〜さんが召喚したと思ってます。
大勢の信者さんがいますよね。
(69注:これは、いせなんとかどう、という人ではありません)
それと××××の開催かな。
欲ばりの方々は不便な離島でほしがるようなものは見せないほうがよいです。

先日富士山から黒い粉(火山灰)が神奈川一帯に降りましたよね?
あの現象も不思議だった。


富士山が噴火する現実とそうではない現実があって、
召喚されたエネルギーは噴火するほうのエネルギーで、
地球と人類はその選択はしなかったということだと思う
んです。

チャネラーの困るのは集団になってまったく違ったエネルギーを召喚してしまうことかな。
A だと一度思い込むとA' になっていても気がつかない。
真面目であればあるほど。




固有名詞地名など伏せてあるので何がなんだか分からないと思いますが済みません。
ここで重要なことが有ります。
それは

富士山が噴火する現実とそうではない現実があって、
召喚されたエネルギーは噴火するほうのエネルギーで、
地球と人類はその選択はしなかったということだと思う
んです。
の部分です。

未来は一つでは無い、ということ。
これ、パラレル・ワールドにも関係しています。
パラレル世界について、書こうと思っています。

未来は選択出来る。
天災などは人類の意識が選択しますね。
個人の運命、未来、将来は個人の意識が選択しています。
最高の選択が出来るよう、考えつつ直感を働かせて進んで行くしかありません。




記事を読んだ方から。

11日!!実は嫌な感じだったんですよ!気分は悪くなるし
イライラするし、監視されてる感覚が強くなって頭も割れるように痛かったので、記事を見て驚きました。
何かあったって納得でした。

私は11日には何も感じませんでした。
敏感な人って居るんですね。



<チャネラーの意識の高低>(2010年12月15日)


下の記事<絵を読む人>に書いた文章について。

「心が安定したら途端にチャネリングが出来なくなった」方は、とても良い人でしたが、
その方の師匠が言うには「チャネリングが出来る人と言うのは、精神が不安定だから」だそうで、
絵を読んでいた方は心が安定してしまったので、チャネリングが出来なくなったそうです。
「チャネリング出来る人は心が不安定、苦しみの中に居るから」というその師匠さんの説は、
私は賛成も反対もしません。
そういう意見なのだなぁ、と思うだけです。
たしかに心が苦しく不安定な人にはナントカ霊が寄って来て、いろいろ教えるそうですが、
そうならその師匠さんがやっているチャネリングも怪しいのでは?
セイシンが危なくなくて安定していてもチャネリングは出来ると思いますよ。
つまり
◎チャネリング出来るようになる発端が苦しみや不幸である場合は有ると思う
◎しかしその後、苦しみを克服してもチャネリングが出来る人は居る
と、思います。
チャネリングする人にはいろいろ居ると思うんです。
最初は苦しみからチャネリング出来るようになっても、苦しみが去っても出来る人と、
出来なくなる人が居るのでは?
後者の例としてゲリー・ボーネルやジュネさんが居ると思います。
また、
◎最初から苦しみなどなくてチャネリング出来る人も居ると思います。
だから、この師匠のように、一部をもって全体を語ることは出来ないと思いますね。

だから私はチャネリングOKです。
ただし、本人が常に自分の意識を監視することが条件です。




普通の人がチャネリング出来るようになる切っ掛けは「不幸」「苦痛」「心労」「ショック」などである場合があるそうです。
これは或るチャネリング教室を主宰する人の言葉です。
たしかにそういうケースは有ると思います。
以前、こういう話をお客さんから聞きました。
「以前、自分の意識が低級だった時、ちょっとした未来予知や当てモノが出来た。
 自分も周囲も驚くほどだった。
 でも、その時の自分の意識は大変苦しく不幸だった」と。

その方は様々な精神世界グッズを買ったり、騙されてみたりしていました。
が、その件について相談に乗っていたら、次第に精神世界の変なモノとは縁が切れ、
次第に心は明るくなり、意識が上がって行ったようで、良い就職をし、
過去は振り返らず新しい人生を歩むことが出きたのです。
この方の体験談から思うに、心が暗くなるとTQ霊が来て(というか、本人の波動がTQだから同じものが来ただけ)
TQ霊だってあの世のことは分かるので、その方に未来とか見えないことを教えて(インスピレーションで)いた。
だから大抵の霊能者はこのレベルなのではないかと思います。

だからまず、チャネラーや霊能者の人格を見なくては(観察しなくては、調査しなくては)なりません。
ゲリー氏も8歳の頃から霊能力が有ったのですが、
彼も「虐待する父親を殺す」という選択もできたのですが、それをしませんでした。
これが意識の高さです。
誰でも12通りの未来が有るのだそうです。
ゲリー氏は選び易い未来を選ばず(父親を殺さず)、レベルの高い未来を選びながら生きて来たようです。



ゲリー氏のように最初はそのようなことが切っ掛けになろうと、
その後、自分で意識を立て直すことが出来る人も存在するのです。
これは例外と言えるほど少ないとは思いますが。
なので「チャネリング出来るようになる人は、不幸や苦痛から」というチャネリングの先生が言うことも当たっています。
チャネリングが出来る人で、意識が高く、マットウな世界と繋がっている人は稀であるが、
存在することはする、というので良いのではないかな。




チャネリング出来て、そのことについて特別意識を持たず、普通で居られる人は私はマットウだと思います。
たとえばジュネさんなどです。
ゲリー氏に関しては本でしか知らないので、確証は無いのですが・・・

チャネリング出来ても良いから、その前にまず、人間としてマットウで有って欲しい。
そういう人なら皆さんに紹介し、お勧めできます。
さて、下の記事を読んだMさんからメールが来ました。


こんにちは。
 
チャネリングする人の心が安定したらできなくなる・・・。
その傾向はあるのかもしれませんね。
以前、mixiでスピリチュアル系、チャネリングやヒーリングをしている人達と交流があった時、
偶然かもしれませんがチャネリングをしていた人はみな心の病気経験者のようでした。
 
自分の特殊技術!?に自信過剰気味になっているというか、特別意識を持っておられるようでした。
中には「自分がどうすれば良いか?チャネリングで聞いたら答えが分かる。
生きていくのに全て答えが分かった方が良いでしょ?」と言われ驚いたことも・・・。
自分で考え、自分で判断する行為を放棄しているからこそ病になってしまったのでは?
実際、常に周囲に不満があり心が地獄のようになっていたのだと思います。
 
そういう人達が繋がる先・・・考えるだけでも怖いです。
高い次元ではないと思いますから。
私はそういう人にチャネリングをお願いしたいとは思いません。
自然とすぐにその輪から外れました。
 
でも、世の中には実際に能力のある方もいらっしゃると思います。
高次元と繋がっている方は、心が安定していて物事に動じない方が多いように思います。

そうなんです。
実際にマットウな霊能者、チャネラーは居ます。
相手がチャネラーだからと、こちらが卑屈になるとか、相手を崇めてはいけない。
冷静に人柄を観察しましょう。
霊能が有ることより、チャネリング出来ることよりも、人間性が優れていることの方が重要ですよ。
それなのに世の中にはチャネラーや霊能者を相手にすると途端に崇めてしまう、信者タイプの人が多いのです。
そしてこういうコトはその霊能者やチャネラーの人間性をおかしくする、原因の一つになっています。
つまり闇雲に相手を崇めることは罪を犯しているとさえ、言えますよ。
相手の低級化に一役買っていることになるから。

私は相手が霊能者でもチャネラーでもおかしな人に対しては怒鳴ってますが?
あ、子供の頃から私はこの世で崇める人は一人も居ません。
崇めるのは神くらいね。

(まぁ、その崇め方もいまいちだけど・・・日月神にクレームつけたりしていますが)



チャネリング出来る人を崇めることと、自分がチャネリング出来るようになると途端に尊大になることとは同じレベルです。
立場が違うだけで同じなんですよ。
私達は地球人としてお互いに対等であることを忘れてはいけない。



<絵を読む人>(2010年12月13日)


私が描いた絵を”読む”人が何人も代替わりしました。
その理由は、
◆身体を壊した
◆他のことをやりたくなった
◆本業が忙しくなった
◆自分のサイトを閉鎖することになった
◆心が安定したら途端にチャネリングが出来なくなった
などです。
私が辞めてもらったのは二例しか有りません。

中には本当は「お客さんが殆ど来なくなった」なんてのもあったかもしれませんが、
私には把握できていませんので、全ては本人の申告通りに受け取っています。



「心が安定したら途端にチャネリングが出来なくなった」方は、とても良い人でしたが、
その方の師匠が言うには「チャネリングが出来る人と言うのは、精神が不安定だから」だそうで、
絵を読んでいた方は心が安定してしまったので、チャネリングが出来なくなったそうです。
「チャネリング出来る人は心が不安定、苦しみの中に居るから」というその師匠さんの説は、
私は賛成も反対もしません。
そういう意見なのだなぁ、と思うだけです。
たしかに心が苦しく不安定な人にはナントカ霊が寄って来て、いろいろ教えるそうですが、
そうならその師匠さんがやっているチャネリングも怪しいのでは?
セイシンが危なくなくて安定していてもチャネリングは出来ると思いますよ。
つまり
◎チャネリング出来るようになる発端が苦しみや不幸である場合は有ると思う
◎しかしその後、苦しみを克服してもチャネリングが出来る人は居る

と、思います。
チャネリングする人にはいろいろ居ると思うんです。
最初は苦しみからチャネリング出来るようになっても、苦しみが去っても出来る人と、
出来なくなる人が居るのでは?
後者の例としてゲリー・ボーネルやジュネさんが居ると思います。
また、
◎最初から苦しみなどなくてチャネリング出来る人も居ると思います。
だから、この師匠のように、一部をもって全体を語ることは出来ないと思いますね。

だから私はチャネリングOKです。
ただし、本人が常に自分の意識を監視することが条件です。



こういうのもありました。
初期の頃、とても性質の良い鑑定人の方がいましたが、その人が”師匠”と仰ぐ人はセイシン異常者でした。
で、その師匠が言うことは滅茶苦茶、支離滅裂なので、そのような人と繋がっていることは
その人にとっても良くないので
(妙なエネルギーで繋がっていたのです)
不味いことに、お客さんも絵を読む人を仲介して、そのセイシン異常者の方へ行くことが増えました。
これは不味いです。
なので私はその絵を読む人に、師匠か私かどちらかを選んでおくれ、と言ったら、その人は師匠を選びました。
別に私は腹は立ちません、本人の意志を尊重します。

何も知らないお客さんが絵を読む人を仲介して、異常者の方に行かないよう、
私はこの方へのリンクを切りました。

その人は表向きの理由を「身体を壊したから」としていたようです。

ところがこの件について、事情を知らない人(お客)が
その人が身体を壊したのは69のせいだ、と思い込んでいたのでした。
何の根拠があって?
当時はそういう人達
(或る、コブラのようなサイトの関係者です)が沢山居たのです。
(私がそのサイトのBBSにコメントしていたので、そこから沢山のお客が来ていました)
まぁ、そういうサイトの常連なので、そのような意識で居ることは分かります。
その人は私に対しては「良い態度」をしていましたが、
裏では根拠の無いことを言う、という二面性については私は汚らわしいと思うので、
その人がBBSにコメントした際に、皆に見えるよう注意をしました。
その後、その人は私の前から消えました。




次にやはりこのサイトに関係していた人に絵を読んでもらいました。
判断力は乏しかったが、やる気はあったので
「意識を高く」することを条件にお願いしました。
ところがこの人は意識を高くするどころか、
お客さんが下でに出ることから次第に尊大になり、自分が欠陥が有るにも関わらず
相手(お客)に対して、すぐキレてメールで怒る、ということを繰り返していました。
お客さんからの知らせで私はこの人に何度も注意しましたが、自分の何が悪いのか全く理解しない。
苦心惨憺して2年ほどかな?
最後まで殆ど何も理解しなかったので、申し訳ないが、絵を読むことは辞めてもらいました。
この間にお客さんに迷惑を掛けていたようで、済みません。
でもこの人を気に入るお客も居たのです。
同レベルなら気が合い、誤解も生じないのでしょうね、だからそういう人にとっては良い人なのでした。




もう一人辞めてもらったのは、お子さんが一人居る方です。
その人にさらに赤ちゃんが生まれたので、子育てで大変だろうから、辞めてもらいました。
赤ちゃんが居るのに他のことに気を取られると赤ちゃんが病気になったりするからです。
赤ん坊というものは、母親が赤ん坊以外のことに気を取られると途端に怪我をしたり病気になります。
幼児ならまだ良いが、赤ちゃんが病気になるととても心配です。
そうなれば絵を読むどころでは無いし、お客さんにも迷惑を掛けます。
なので仕事を減らす意味でも辞めてもらいました。




他の方は上にも書いた通り、本業が忙しくなったり、サイトを閉鎖した人達です。
本業が忙しくなった場合は、これが理想なのでおめでとう、と言います。
サイト閉鎖については、私は理由を知らないので、そうなんですか、と言います。

以前絵を読んでいた人も、今の絵を読む人達のレベルは以前と比べてかなり上がっているので
再度参加することは不可能です。
そこまで人材のレベルを上げるよう、私は意識して数年間運営して来ました。
お客に自分勝手な理由でキレる人などの件で、私も学習したので
絵を読む人の能力については厳しく監視しています。

物事を分かる能力の無い(乏しい)人に対して「意識を高く持ってね」と言っても
「はい、分かりました」とは言うが、実行などは出来ないものだなぁ、と、やっと私も学んだ。
私も日々学んでいます。
頭の働きが悪いので学ぶのに時間が掛かりますが、数年でやっとココまで来ました。
すると現在、絵を読む人は皆さんかなり質が良いです。
初期の頃と比べると意識の点でとても高くなっています。
私の意識に対応して上がって来たのです。

学びが早ければお客さんに嫌な思いをさせずに済んだのですが、なにしろ遅いものですから
迷惑を掛けて済みません。




と、いうワケで。
今、絵を読んでくれる人達は皆さんマットウな人達です。
中には判断力がやや乏しい人も居るようですが、それはあまり問題では有りません。
誰だって判断力は乏しいからです、私も乏しい。
「自分にはまだ分からないことが有る」と分かっている人ならOKです
不味いのはいい気になっている人です。
これは容認できないので、こういう人が居たら、辞めてもらう方向に動きます。
今のメンバーはとても良いのでこのまま行けたらいいなぁ、と思っています。



<言葉に余計な情報を付加する人>(2010年12月11日)


実はそういう人の方が多いと思いますね。
そうでは無い人の方が例外だと言えます。



昔、私と友人で会話しました。
友人のお母さんは孤児のよなもので、産みの親とは子供の頃離れてしまい、
芸者置屋に引き取られたそうです。
そこの女将から芸者にされそうになったのですが、お母さんはとてもおとなしいタイプだったためと、
真面目?な性格だったので、芸者になるのが嫌で、お手伝いのようなことをしていたそうです。
このお母さんは学校へ行かせてもらえなかったので、文字の読み書きがあまり出来ません。

と、こういう話を聞いたので私が
「でも、その女将さんは親代わりだったのにね」と言ったら、友人
「違うんだよ。親らしいことは全然してくれなかったんだよ」と言います。
「いや、親らしいことをする、しないではなく、
  自分の家に住まわせて着るもの、食べるものを用意してあげていたのだから
  保護者という意味で、親代わり、と言ってるんだけど」
「いや、違うんだよ。
 その女将さんは私のお母さんをコキ使っていただけだから」
「いや、そうじゃなくて・・・」
話が噛みあいません。




私が言う親代わりという言葉には
「優しい」「思いやりに満ち溢れている」「ちゃんと躾ける」などという意味は有りません。
ただ、客観的に見て「衣食住を与えている」「その子に対して保護する立場にある、大人である」
「その子に対して責任を持っている」という意味しかありません。

その違いはタイプの差から発生しているものでしょうか?
違います。
レベルの違いです。


友人が考えているところの「親代わり」という言葉は、申し訳ないが友人が頭の中で
自分勝手に考えている妄想です。
何故なら、世の中には本当の親であっても、
「優しくなく」「思いやりが無く」「躾けない」親は普通に存在するからです。
親代わりという言葉に、このような属性を勝手に付加するのは、実情に合いません。
このような属性を付加するのは、自己中心で物事が分からない低レベルの人である、と言います。

この件に関して私が何度も説明しましたが、友人は理解しませんでした。
これを理解するには、友人が「この件を理解出来るまでの知恵(波動量・判断力・レベル)を
獲得しなくてはなりませんが、それは説明してすぐつくものではありません。
時間が掛かります。
(※ちなみに友人は自分の子供を二人とも登校拒否にしてしまいました)
(※このレベルでは子供を普通に学校に行かせるのも難しいのです)
(※とは言え、このような思考回路の親の子全てが登校拒否するわけでは有りません。
   他の症状が出る場合も有りますよ)



上のようなことをする人、それはたとえ
◆知能が高くても
◆学歴が高くても
◆頭が良くても
◆世間と巧くやっているように見えても
言葉に余計な情報を付加するのです。
上記のようなことはあまり関係無いですね。

判断力、物事が分かる能力というのは、数値では測れないものです。
だから上記のようなことはクリアしている、一見マトモな人の子が登校を拒否ったりして
親が驚くのです。
親本人に「物事が分からない」という自覚が無いからです。

それは置いといて。
言葉に付加してしまうのは、その人の心に余計な感情、価値観が有り、判断力が無い(乏しい)場合です。




<言葉を感受すること、判断すること>(2010年12月7日)


「red-earth’s Diary」のred-earthさんが良いことを書いてます。
「ことば」(2010年12月5日)
同じ言葉でも使う人によって意味が違ってしまう、という話です。



閲覧者の方が或る管理人さんのことを

今日、久々に●●さんのブログを見たら、
まあ予想通り相変わらず
「独身貴族だから」「独身でも負けない!」
みたいな、どうでもいいウソ記事をやたらと書いて、
女のお客の気を引いてました。

最初から、そういうところがある人だなとは思ってましたが
「××歳にもなって」そういうバカなことを口走る自分の痛さがわかってないのが、
尚痛々しいです。

ウソの独身アピールや、無駄に異性の気を引きたがる事は、
営業とかキャラ付けだとか
いろいろ言い訳は出来るだろうけど、
どうしたって「嘘は嘘」なんですよね。

と書いて来ました。
この方は●●さんが同棲している、と知ってこのような感想を送ってくれたのですが、
ちょっと違うと思います。
同棲は結婚とは違うので、●●さんが自分を「独身だ」と言うのはウソでは無いのです。
法律的には「独身」なんだからブログで「自分は独身だ」と言うのはウソでは無い。

この方は実質的には独身では無いのだから、●●さんはウソを書いている、と言いたい気持ちは分かります。
しかし独身の意味を
◆実質的
◆法律的
のどちらの意味で使うか、それはブログ主の自由だと思います。



このように、人の感覚はそれぞれ違うので、自分の感覚で物事を裁断すれば「ウソ」になる。
この場合相手がどのような意志、意識で言葉を使っているかを、理解することが求められます。

相手の身になるか、自分の気持ち(我)を通すか、どちらのバージョンでやるのか、
それを自分で意識化してみましょう。
意識してやるならOKです。




記事を読んだ閲覧者の方から反省メールが届きました。

そうですね・・・
アレを見た私の感想は、正しくは、

「実質独身ではないのに、
 『独身』という言葉をわざわざミスリード出来るように書いていたのが
 小賢しくていやらしいと思った。」

ですね。


「独身ってウソじゃん!」

は大変な語弊がありました。というか、「誤り」ですね。

そうです。
単なる言葉なんだから額面通りに受け止めるべきです。
単なる単語に自分で「付加価値」を憑けてはいけません。
嫌だな〜、ズルいな〜と、感情を入れて受け取ると、このようなコトになるので気をつけましょう。


「独身って(実質独身じゃないのに、なんでわざわざ
 さも「相手がいなくて寂しい」みたいに書くんだろう。それって)ウソ(とも言えるレベル)じゃん!
 (それやっちゃったらあんた「ただの超ウザい男」じゃん!
  あああああ、私はそういう輩が一番嫌いなんだよ!
  生きて存在するのは勝手だけど、個人的には嫌いだから、私の見えないところで繁栄しろ!カス!)」

まで書かないといけませんでした。

!!!
ま、まぁ、そうです・・・(驚


言葉は正しく使わないといけませんね。

私のこの感じ方や、考え方が「絶対に正しい」とは思っていないし、
「独身」という単語に、そこまで感情的な意味を持ってはいないつもりです。(たぶん・・・)
そして、●●さんがそういう行動をとる理由もわからなくはないです。


ただ私は、言葉が足りなかったと思います。

以後気をつけます。


良かった(ほっ♪)



red-earthさんが友人と会話していたら、友人が単なる単語に付加価値を憑けてしまったので
会話が噛み合わなかったと、書いていますが、この閲覧者さんも同じ過ちに陥ってしまったようです。
この方は私の説明を読んで自分の過ちを理解しましたが、通常はこのような展開にはならないですね。
これは例外的だと言えます。




<もう騙されないぞっ>(2010年11月25日)


下の記事<理解について>の感想を送ってくれたUさん。
ついでに最近のUさんの心境を書いてくれました。




ところで最近、いろんなヒーラーと呼ばれる人達に免疫が出来てきて、
まともなヒーラーか、無能な?ヒーラーか判別できるようになって来ました。
おそらく800の閲覧者の方々はすでに判別能力はあるとかなり思います。
 
そうだと思います。
皆さんには既に鑑識眼が出来ていると思います。
悪徳ヒーラーやTQ霊ヒーラーの方には他のところで商売していただきたいです。
そして繁盛してもらいたいな、と思います。


無能なヒーラーは、ブログでも、話を聞いていても、やはり「自分だけが特別」意識が高いです。
「この人、どっちかな?」と思って聞いていたり、読んでいたりすると、ちょこちょこっと本性が出ます。
『こういうのは私ならでは』とか、『私だからこその』などというくだりになっていて、
「アハハ、この人ばかだな〜」なんて、こっそり思ってます。
 
恥ずかしいですよね?

逆にまともヒーラーは、「こんなもの、誰にだってできるんだよ」と書けたり、言える人ですね。
特殊能力とは思っていない。むしろ、誰にでも備わっていると説く人はまともだなぁとおもいます。
 
ジュネさんなどは「そのうち誰でもヒーラーになる、チャネラーになる」と言ってます。
マトモだなぁ、と思います。


あとは、やっぱり顔に出ますね。
無能なヒーラーは、悪魔っぽい、きつねっぽいような冷酷な感じを受けます。
 
これは私も体験しました。
ずっと前スピコンで自分が書いた本を販売していた人がいました。
良い感じでした。
その数年後、他の場所で再会しました。
(相手は私を知りませんが)
その時、顔を見て驚きました。
以前の顔とは違う、なんだか狐のような怖い顔になっていたのです。
その時、その人はチャネリングのようなことをしていたと思います。
以前より悪化してチャネリング・・・怖いのぅ・・・と思いました。


ちなみに以前投稿した勝■■代と繋がってるリコネのプラクティショナーは、完全にクロでした。
その人からリコネを受けた人は、ダークサイドに向かっているよねと、一緒に行っていた友人と話しました。
なぜかというと、受けた講座の内容が「誰かが書いた本の受け売り」で、「これ、本買ったほうが早いんじゃない?」と言う内容で、
脱線はするし、2時間まるまる関係のない話で終わるし、支払った代金には見合ったものではありませんでした。
スピビジネスって、ヤクザだわ〜とあらためて思った次第です。

そういう人からエネルギーを入れられたら不味いですね。
やたらなことはしない方がいいです。
こういう人にも繁盛して欲しいけど、私とは無縁のところで繁盛して欲しいですね。
その人と縁が出来る人はそれと同等の波長なんだろうから、仕方ないですかね。
冷静に相手の言動行動を観察すれば良いのですが、
それが出来る人は・・・・少ないでしょうね。
気の毒です。




また、このようなヒーラーと縁が出来ても、それを経験にして学び、
考える材料に出来るなら、良いと思いますよ。
誰だって最初は失敗するので。
ただ、その体験が失敗であると自覚出来ないのは問題なので
常に「自分の思考言動行動」を第三者の目で観察することが求められます。
それが出来るなら危ないことも、まぁ、面白いかな?
あははh!
私なんかしょっちゅうやってますよ、失敗談は沢山あります。
そういう経験を経て今日(こんにち)があるのです。
で、まだ失敗します。
でも、その都度(ああ、またヒドい目に遭って学んだな)と思うのです。




<理解について>(2010年11月24日)


他人の言動行動について
「なにこれ!理解できない!」と感情的になるのは簡単です。
それに引き換え他人の言動行動について
「多分コレコレこういうワケなんだろう」と、理解するのは難しい。
前者は誰でもやってますが、後者がやれる人は少ない。


相手を理解する際「相手の身になって考えろ」と言いますが
その時、相手の立場になるだけで自分の考えはそのままに
「アタシだったら、絶対こんなことはしない」と思うのが世の中の殆どです。
私もそうです。
相手の身になるのは大変難しい、何故なら私は相手では無いからです。



或る人が或るコトをした。
え?何それ===っ!信じらんない!バッカじゃないの!
と、思うのはとても簡単ですよね。
でも、そのバッカなことをした相手の身になる・・・・つまり、自分の考え(我)をちょっとそこへ置いといて
相手になりきるんです。
すると・・・見えて来る。
それが「理解」です。
理解には様々な段階が有ります。
相手の身になって考えることが出来ればかなり熟練していると思いますよ。
とは言え、そこまで相手のことを「思ってやる」という状況が少ないとも言えますが。




例を挙げましょう。

或る女性Aさんという既婚の人がいます。
Aさんはネットで知り合ったB氏に好意を持ちました。
友人としての好意です。
B氏も素敵な女性であるAさんを憎からず思っている様子。

AさんはB氏と個人的に会いたくなりました。
で、二人で会おうということになった。
でもAさんは既婚なので異性と二人だけで会うのはご主人の手前、不味い。
なのでCさんという独身女性を誘いました。
小さいoff会のようなものにすれば大丈夫。

三人で会ったところB氏は若い独身女性のCさんに夢中になってしまった。
それは良いのですが、Cさんが判断力が乏しいために、
何の関係も無いDさんがこの件に巻き込まれてしまいその結果、Dさんが不愉快になった。
そしてDさんはこのような会合を「何の考えも無しに企画したAさん」に対して
この件に関してきちんと説明しなさい、と迫ったのです。

Aさんは自分の考え無しを理解しました。
そして二人だけで会うのは不味いので出席し易いCさんを誘ったことも自覚しました。
Dさんの追及によりAさんは自分の行動の本当の理由を自覚することが出来た。
なのでDさんはそれでOKを出しました。




Dさんは考えました。
Aさんはもう分別がついて良い年齢である。
なのにこの体たらくはナンだ、と不愉快でしたが、Aさんが素直に釈明したのでまぁ、いいか、と思いました。
そしてAさんの気持ちを考えてみた。

Aさんはとても楽しかったんですと。
Aさんは早くに結婚したので、仲間で集まってバカをやる、大学生などがやるコンパのようなのを体験していません。
そのようなことは20代の前半に経験して、散々やって満足して皆卒業していくのですが
Aさんはそのような体験が無いのだなぁ・・・と理解した。
そしてAさんを厳しく追及したDさんでしたがここまで理解したら
(Aさん、可哀想だな)と思ったのでした。
この時のDさんの意識はAさんの体たらくを追及するのではなく
Aさんの気持ちを理解するというものに変化していました。




この例のように、相手の身になれば相手を裁く気持ちは起こりません。
(※DさんがAさんを追求したのは裁くのではなく、考えさせるためです。
   今いる所より前進してもらおうと考えてのことです)

Aさんの考え無しは事実ですが、そうなるに至ったのは若い時バカをやらなかったことも
原因の一つである、と理解したのです。
ただ理解しただけでそれが良いとも悪いとも言っていません。
若いときにやってないんだから、中年になってからやってよい、という理由は無い。
相手の身になるということは善悪を超えて(無視して)ただ「理解する」ことです。
Dさんはまた一つ経験値を積み、この件は終了したのでした。




上の記事を読んだ「**楽しく賢く**」のnonokaさんから。

800の「理解について」を読みました。
読みながら、激しくうなずいてしまいました(笑)

仕事でも似たようなことってあるなぁ、と思いまして。

例えば、時間がかかる大事な業務をかかえ、遅くまで残業している社員Aがいたとして。

その社員Aの担当している業務をやったことのない、仕事をそこそここなせる社員Bが、
Aのことを平気で「アイツは仕事ができないヤツだ」と、周囲に言いふらす。

自分が担当したことない仕事や、やったことのない業務ってのは、自分からは見えない、
苦労や大変さやさまざまな事情があると思うんです。

でもBのように、物事を表面上でしか見ず、相手の立場にも立たず、平気で批判しちゃう人がいる。

Bが、Aの仕事は見た目より大変なのかもしれない、なんて少しでも考えれば
そんな批判は出てこないと思うんですけどね。

相手の立場に立てない理由のひとつには、想像力の欠落ってのもあるかもしれません。

何事もそうですけど、自分にはほんの一部しか見えていない、ってことを自覚し、
人の言動にはその人なりの何かしらの理由や根拠があるってことを認識していれば、
無駄な感情はかなり減るんじゃないかな、なんて思います。

そうそう、想像力です。



<人を裁く”善い人”2>(2010年11月22日)


下の記事<人を裁く”善い人”1>を読んだ方から、考える材料になった、
考えさせられた、という感想が来ました。
下の記事をもうちょっと詳しく説明しましょう。

人を裁く善い人とは、自分が思うこと言うことやることは全て「間違ってない」「正しい」と、
無意識無自覚に思っている人のことです。
下の例で言えば
@老犬を拾ったもの好きな人
A「ったく気が知れないよ!」と吐き捨てた人
主義主張がハッキリしていて良いが
Aの人は@の人をやや批難しています。
自分の趣味や価値観と合わないからです。
勿論ここで、自分の価値観=「老犬なんぞ拾わないよ」という方が「正しい」と思っているのでしょうが
でも、あからさまに「老犬を拾うことは良くない」とは言ってません。
ただ「気が知れない」と言っているだけです。
軽く人を裁いていると言える。

ところがBの人は優しいので、自分の価値観に合う「老犬を拾った人」を批難した人を
「良くない」「正しくない」(思いやりが無い)と批難している。
Bの人は@の人に○をつけ、Aの人に×をつけています。




@からBの人の中で「良い人」なのはBの人。
@とAはきつくて主婦から敬遠されています。
最も良い性格のBの人が「他人を○×式に裁く」ので、私が問題にしているんです。

ハッキリ言って@やAなど、どうなろうといいです。
自分の好きな道を歩めばよろしい。
最も性格の良いBの人がこういう思考回路に陥っているのは、なんとも勿体無い、と思うし、
思考力判断力が乏しいと思うのです。
だから、こういうタイプの人はもうちょっと思考力判断力をつけた方が良い、と思います。




私は人はそれぞれ趣味が違うし、能力に差が有ると思ってます。
だから答えは「人生いろいろ」になります。
つまり、答えは○×式ではありません。
「○×式」が数学なら、「答えはいろいろ、レベルはピンからキリまである」とするのは社会科ですね。


二つのことを比べてどちらが「より正解に近いか」という感じで物事を見ます。
その際、どちらかに○か×をつけよ、と言うのなら、つけますが。
たとえば「民主党と自民党、どっちが○でどっちが×か?」という問題なら
「両方×」をつけます。ついでに「よとうもやとうも全員逝ってよし」と追加します。
(私が民主党をコキおろしていたら「69さんは自民党支持者なんですね」と言われましたが
  何をどう考えたらこのような結論に達するのでしょうね?不思議です)
(さらに過去において私が自民党をコキおろしていたら「共産党支持者」と思われました。
  いったい、何故このような思考回路に陥るのでしょうか?)

AじゃないならB。
恐ろしいまでの二者択一思考・・・何故なんでしょうね?

とは言え、このような思考回路に陥っていることについては「勝手にやってろ」と言うのが私の意見です。
そのような思考方法をしてもいいんですよ、ただし私の目の前から消えてね♪
です。

まぁ、それはヂョウダンですが、そういう人を相手に本気で付き合おうとか、
協力してあげようとかいう気持ちは持ち合わせていません。
ただただ、私の知らない世界で思う存分、楽しく生きて欲しいと切に願うばかりです。




<人を裁く”善い人”1>(2010年11月19日)


文句やクレーム、批判記事ばかり書いているので
「さぞかし69さんは他人を裁いているのだろう」と思われていると思いますが、その通りです(笑
しかし私が批判するのは、「この国でおかしなコトが起こっていること」を伝えるためと、
企業の体たらくを指摘して、企業が改善することを望んでいるからです。
(企業は99%、私の記事なんか読まないだろうが、1%の可能性に賭けています)
それからマスコミが仕掛ける流行などに乗らないことや、
自分以外のものを権威としてはいけない、ということを語るためです。
他意は御座いません。



なので日常生活においては、他人を批判することはあまり有りません。
日常生活・・・殆ど興味の無い分野なんですよ。
それから、普通の女性のように神経が細やかでは無いせいもあると思います。




たとえば・・・

昔、近所の知り合いの奥さんが迷い犬を拾った。
その犬はレトリバーの老犬だった。
既に一頭、大型犬を飼っているのに・・・
それを聞いた他の奥さん
「まったく、気が知れないよ!」と言ったそうで。
それを教えてくれたのは仲良しのK子です。
K子は犬を拾った人の行為を「善いこと」だと判定したのでしょう
「気が知れないよ!」と言った奥さんの言動をやや批難していました。
私は一連の話を聞いて「笑いました」。
だって、可笑しいですよね?実にバカバカしい。

@既に一頭飼っているのに新たに、老犬を拾って来た人
  モノ好きだな、と思います。
  賞賛はしません。
  批難もしません。
  好きにすれば良いと思います。
Aそれを知って「まったく気が知れないよ!」と、言った奥さん。
  正直でよろしい。
  笑える発言です。
Bその話を深刻そうに語る、優しいK子。
  優しくて良いが、ここで善悪の判定をしています。


K子の判断では「犬を拾った人=善」「それを批判した人=悪」みたいですが、
私から見たら「犬を拾った人=モノ好きで笑える」「それを批判した人=正直で笑える」のです。
私はこの二名に善悪の判定を下していません。
どちらも「自分の思う通りに行動している」ので「善し」とします。

早い話、「勝手にやれ」です。

私がこのようなコトで感情的にならず善悪の判定もしないのは、「人はそれぞれ趣味(考え、意見)が違う」と思うからです。
趣味に高尚も低俗も・・・・有るだろうが、この場合(老犬を飼った話の奥さん二名)は似たようなものですよね?
だから、どちらがどうということは出来ない。
似たようなものだと思いますよ。




さて、次にこんなケース。

ウチの前の狭い道路に隣の家が車を駐車しています。
引っ越して来た時から、その家はそこに車を停めている。
それを見てうちの主人は激怒しています。

ウチはその道路の突き当たりに有る。
ウチの駐車場は別の場所に有るので、ウチから車が出ることは無いので、いいのですが、
ウチに来る車が困ります。
たとえば・・・宅配便、クリーニング屋、郵便配達、新聞配達などです。
またウチから自転車で出かける子供も通れないほど、道路を塞いでいる。
もっと端に寄せて停めるのならいいんです。
少しは車を寄せてあります。
以前は隣の家は他に駐車スペースが無かったので、仕方ないのだな、と思い、
ある程度はこちらも譲歩していました。

しかしその後、隣の家は他に駐車スペースを確保しました。
だからウチの家の前に停めなくても良いのですが、
近いから楽だし・・・という感じで停めているようです。

こういう時。
私は腹が立ちません。
だって、隣の家の人は
「それを分かるほどの判断力が無いのだ」と、分かっているからです。
人並みの人なら当然分かって良いことを分からない人は世の中に沢山いますよね?

スーパー・マーケットでも郵便局でもどこでも妙な所に車を停める人。
変なところに立っている人。
やっていることが全くバカな人。
そういう場合私は(ああ、この人はそれが分からないんだな)と、判断します。
そりゃ良いか悪いかって言えば、悪い、皆に迷惑を掛けている。
でも、その時「悪いじゃないか!」と怒っても相手に通じない。
だって、相手はそれを「悪い」とは思ってないから。
今までの人生でそれを学習する機会が無かったのです。
「普通は分かるだろ!」
そうですよ、普通は分かりますよ。
でも、その人は「それを分からない」のです、判断力が普通では無いのでしょう。

と、私は判断します。
だから腹が立たないのです。

そういう時私は(ああ、分からないんだな)と思います。



さて、そう書くと私がまるで仏陀のように慈悲心が豊富なのだ、と誤解されそうですが、違います。
私は他の所で大いに裁いているので、そうねぇ・・・でも裁きの総量で言えば、「しょっちゅう小出しに裁く人に比べれば少ない」です。
優しく温厚なK子は
女の裁きの平均値からは大きく下回っていますが、
それでも日常の「善悪」に関することには上に書いたように反応してしまう。
そういう善人は「人の趣味にはいろいろ有る」「判断力の差が有る」ということを
頭に叩き込めば、裁きの量が減ることでしょう。

せっかくのきれいな心が勿体無い。
だって、犬の件はK子には関係の無いことだから。




また「裁く人」には真面目な人がいます。
自分が「良い」と思っている基準から数ミリでも外れたら、気分を害し相手を裁く。
勿論、本人の意識としては
「私(だけ)は善い(正しい)人である」ことになっています。
(で、自分はバカなことを平気で考えているのですが、本人には自覚が有りません)
私の叔母がそういう人で、実に面倒な善人です。
どうでも良いことにいちいち目くじら立てる・・・・・・・という人生を数十年送ったら
最後の方に来て「病気でも無いのに心臓発作を起こす」ようになりました。
裁きのエネルギーが自分に却って来たものと思われます。

私はそういう事実を見ても「ざまあミロ」とも「気の毒に」とも思いません。
感情が1ミリも動きません。
(ああ、法則通りだな)と、頭で考えるだけです。
本当なら叔母さんが心のことを勉強して他人を一日中毎日一年中一生裁いていることに気づけば良いのにな、
と思うだけです。
思うだけ。
何もしません。
誰も叔母さんを説得は出来ないでしょう。

(言語による説得が無理なので、こうやって身体を痛めつけて、自分で自分に思い知らせているのです)

自分が真面目であるために他人を裁いてしまうならいっそ不真面目な方がいいですね。
ただし、自分は不真面目なのに他人を裁く人も多いので、本人が真面目なだけ、まだいいか、ってところです。
それからこの場合の真面目、というのは叔母さんの場合は「見た目」「見かけ上」が真面目であって
「本質」が真面目ということではありません。
見掛けがどうあれ、本質、基本、土台が真面目であるなら良いのです。




さて、「裁く人」の全てを書くことはできませんでしたが、今はこのくらいにしておきます。

<精神が不自由な人>(2010年11月13日)


何度も記事にしている「発酵場の出来た人」私のようなおばさんは物事には動じない。
しかしおばさん、中年なら物事に動じないかと言うとそうでは有りません。
中年でも老人でも判断力が乏しければ、何にでも騙される。
自分の意見と言うものが無いために、簡単に騙される。
自分より「偉い」人の言うことを鵜呑みにし、自分より「偉くない」人の言うことはバカにして聞かない。
そういう大人が普通ですかね。




私は、どんな人ととも対等に付き合うことが出来ます。
老人でも子供でも、高学歴でも低学歴でも、どんな職種でも、
人種国籍、性別、それらは私にとっては何の障壁にもなりません。
私が問題にするのは「人間の中身」だけですから。

ただ、唯一「話が分からない人」と会話するのは不可能です。
やりたくないし。




或る霊能者が居ます。
その人はとてもよい人です。
会話したけど楽しかったですよ。
しかしその人のやっていることは、依頼者に憑いている霊を外したり、憑けたり、
パワーを注入したり、というものです。
私はこのようなこと自体を認めません。

変な霊に憑かれているのは、その人が「変」だからです。
詳しく言えば「TQだから」です。
TQ霊に憑かれたくないなら、他人に取ってもらうのでは無く、
自力で取りなさい・・・・つまり、波動を上げなさい、と言いたいです。
だから、変な霊(TQ霊)が憑いている人から安直に取ることには反対です。
だって、その本人の意識が変わらない限りは、何度でも本人と同波長のものが憑きます。
ではそのたびに高い料金を払って、霊を取ってもらうんですか?



或る霊能者は「他人に憑いたTQ霊を外して大金をもらっている」のです。
そういう商売です。
しかし、他人が霊を取っても、本人の意識が変わらないなら、瞬時にまた憑きますよね?
だから、こういう商売自体、意味の無いことですよ。
なので私はこういう商売を認めないのです。

(霊を外す必要が有る場合も勿論あります。
  でも、パワー注入とか、やっているのを見ると、どうかな、と思うし、
  何でもかんでも「外せば良い」のではなくて、憑かれた本人の意識を変えないとまずいのでは?)




でも、その商売をしている人、とても良い人です。
だから私はこの人が何をやろうと、私には関係無いし、いいんですよ。
お客さんだって「納得づくで」依頼しているんだろうし。
私はこの霊能者とは普通に付き合うことが出来ます。




ところが私がこの霊能者のことを皆さんに紹介すると、どうでしょうね?
皆さんの中の多くの人が、この霊能者を「先生」呼ばわりして崇め奉ります。
そして必要の無いこと=自分に憑いているTQ霊を取ってもらう=ようになります。
何故ここで考えないのか?
そういう人は「これをして良いのだろうか?それとも悪いのだろうか?」
「必要だろうか?それとも不必要だろうか?」とは考えない。
最初から何の疑いも持たずに「自分に憑いた霊を取ってもらおう」とするのです。
私が何度も言っていることを全く分かってない人達です。



このような人が居るので、上の霊能者の方のサイトにはリンクを貼れません。
私はどんな人とも平気で付き合いたいのですが、
お客さんの判断力、意識が低過ぎるためにそれが出来ません。
と、書いたが別にお客さんをバカにしていないし、恨んでもいません。
状況の説明をしているだけです。




必要の無いセッションをして、取ってもすぐ取り憑くTQ霊外しをしている人。
これは「悪」と言っても良いでしょう。
(この場合の「悪」とは、不必要なことをする、というような意味です)
でも、私はこの人のことは好きなんですよ。
相手が悪だろうが、ナンだろうが、自分が騙されなけりゃいいし、被害にあわなければ良いだけです。

日月神示には何度も
「悪、抱き参らせよ」と出て来ます。
悪だって会話して楽しいのなら、いいんです、一緒に楽しくやりましょう。
でも、それが出来ない人達のために、この方のサイトへはリンクしないし、
名前も伏せなくてはなりません。
私はこの状態を大変不自由で有ると感じています。



昔ナントカの科学というのが流行りました。
今でもまだやっています。
その当時、主宰の人が何冊も本を出していました。
或る奥さんがその本を買ってご主人と自分の妹に「読む?」と訊いたら
「そういうのを読むと、信じてしまう。信じたくないから読まない」という返事が返って来たと言ってました。
このご主人と妹も「精神が不自由な人」だと思います。

上の霊能者のサイトへ行って、TQ霊を外すことを知って、必要も無いのに行って外してもらった人が何人もいます。
こういう人も「すぐ信じてしまう」と言う点で「精神が不自由な人」だと思います。

障害者とか言って身体が不自由な人のことを、同情する人が居るが、私は彼等には同情しませんよ。
身体が不自由なのは、たしかに動きづらいし、不便だと思います。
だから、彼等のことは「不便だな」と思うだけです。
それに引き換え「精神が不自由な人」については
こちらとしては何もやりようが有りません。
ひたすら「ダメだ、こりゃ」と思うだけです。
こちらの方も私は同情しません。
身体の不自由さに比べて精神の不自由さの方がずっと困った事態なのですが、
当人が気づかないので却って始末に悪いのです。




理想を言えば「誰とでも付き合うが、相手の信者になったりしない」のが良いでしょう。
付き合う=影響受ける
のは自然ですが、信じ込んでしまうのは不味いです。
常に自分の意識をハッキリ保って、自主的に動きましょう。
付き合ったら感化されるから付き合わない、というのは自分がしっかりしていないからです。
しっかりしていない人はそうやって防ぐのでしょうが。


<心がきれいで、物事が分からない人>(2010年11月8日)


H子さんはあの年齢の人にしてはとても心がきれいです。
そして自分の子のために、一生懸命、やれることは極限までやる人です。
なのでH子さんは息子夫婦から頼まれてもいないのに、
毎月(だか月二回だか知らないが)米、野菜、食料、紙おむつ、孫の衣類などを届けてやってました。
しかしこれは相手から頼まれたわけではなく、自分がやりたいから、なのです。

こういう人いますよね?
相手が「これこれこういうことをして欲しい」「これが欲しい、アレが欲しい」という要請が無いのに
自分で気を利かして、自分で考えた品物を贈る人。
まさかこのことが「自己中心」「自己満足」であるとは夢にも思わない人。
多いと思いますよ。

せっかく心がきれいでも判断力が乏しいために、このような行動をするのです。




相手の好意を受けることはアワです。
強いて言えば「相手の好意、行為を受け入れてやっている」と言えるのです。
だから、これをすることは良いことだ、と自己中心に考えるのは間違い。
これ(相手に贈り物)をすることは良いことだと思うが、相手が受け入れてくれることは
相手がアワを発揮していることになるので、好意を示している方は相手のアワによって
「受け入れてもらっている」のだと、理解した方がいい。




H子さんの息子夫婦は、母親の好意を受け入れてあげていた。
それは勿論自分達の得にもなるからです。
だから双方はそれで良い。
ここに貸し借りは有りません。
物品と心のやりとりがイコールになった、という意味です。




しかし息子夫婦が一番欲しいのは、そんなモノでは無かったのです。
母親が自己満足で買って、押し付けて来る品物よりも、
もっと便利で必要なもの、それは「車」です。
今まで母親の好意を受けてやっていたのだし(だって、断らないでもらってあげたじゃんね?いいコトしたでしょう?)
今度は自分達が本当に必要としているモノを、どうせくれるならくれよ、って感じではないでしょうか?
それに月々沢山の品物を買う金が有るんだからさ。
金が無いわけじゃないでしょう?
だったら、車を寄越しなさいよ。
と、いうことを意識したのか、無意識にか、それは分かりません。
ただ嫁さんは大変金銭に関してはやり手である、と私は思います。
(子供が生まれて一年以上も経ってから結婚披露宴をしました。
  これはご祝儀目当てである、と私は思いました。
  それを悪いとは言いません、稼げるときに稼ぐ、賢い嫁さんだ、と思っただけです)




ひとの良い、というか、考え無しのH子さんは自己中心とお人よしを発揮し
そこにつけこまれてしまったのでした。
(目先のことは分かるが、物事を俯瞰して見ることの出来ない人なので、そういう結果になった)
H子さんの意識としては悪いのは全て嫁、ということになっているでしょうが、
そうではなく、真の原因は自分の意識、考え、判断力であるということを悟らない限り
一生愚痴と悪口を言って生きることになるでしょう。
H子さんは私などより、ずっと心がきれいなのに心がスカッと気持ちが良い時は殆ど無いようです。
生きていることがちっとも楽しくないようです。
心がきれいでも最低限の思考力と判断力が無いと、人生が楽しくないのだ、という事例です。




私がサイトで何度も「判断力を上げろ」と繰り返すのは、H子さんのように心がきれいな人が
判断力が乏しいために、常に愚痴を言い、問題の解決は出来ず、人生が思うようにならず
他人を憎み呪い、心を暗く黒くしている人に、ここらへんのことを分かって欲しいな、と思うからです。
せっかくのきれいな心がそんなことでは勿体無い。


<記事の感想>(2010年11月6日)


下の記事<「私そんなにバカじゃない」と言っていた人の顛末>と<登校拒否が治る時>を読んだFさんから。



親戚のH子さんの話読ませていただきました。
特に69さんのお金の使い方に関する話は本当に納得でした。
私の母は5人兄弟の長子で長女だったので
常日ごろから、自分さえ得したら良いという考えは
よくないと言っていました。
だから私もお金も出したら出した分以上かえってくることは
実感としてよくわかります。
 
私の周りの人のことでお金にまつわることでは
遺産相続の時に
自分だけ勝手なやり方で相続した場合
命までおしまいになってしまうことです。
やはり自分の行いが自分に戻ってくる
法則なんだなと思います。



話はかわりますが
登校拒否が直るときの記事も
実際に長男が学校に行きたがらない時期があり
今は毎日普通に学校に行っているので
記事の内容が本当に良くわかります。
私自身判断力もまだまだですが
自分が何もわかっていないことはよくわかりました。
69さんのコメントは自分が忘れていたことを思い出させてくれて
本当に助かりました。
自分がそうだったので記事を読んだ人の子供さんが
学校へ行けるようになったらいいなと思いました。
ありがとうございました。



書いても書いても今ひとつ伝わらないかなぁ、と思うこのごろですが、
そうではなくて分かる人には分かり、通じる人には通じ、響く人には響いているんだな、と思いました。
Fさん、感想をありがとう。


全員に同じように通じるとは思っていません。
人によって通じ方はそれぞれ違います。
その人なりに分かってくれれば良いと思います。


<「私そんなにバカじゃない」と言っていた人の顛末>(2010年11月5日〜6日)


親戚のH子さんのことを書きます。
私はH子さんが好きです。
正直で変なプライドが無く、善良だからです。
(欠点は気が利かな過ぎることと自己中心。物事が分からないことです)
でも、H子さんは物事が分からない面が多々あり、それが困ったことを引き起こしていますが、
当人にはその自覚は無く、常に「相手が悪い」ことになっています。
つまり、性格の良い、普通の奥さんです。




H子さんの息子の結婚相手は親がO県出身者。
O県の人は大変おおらかで、つまり適当でいい加減です。
そういう県民性である。
(そうでは無い人も居ると思いますが)

そのO県から、私達が住む県に親戚中で移住して来てン十年。
一人本県に移住したら、災害が無くて適当に住み易い本県を気に入ったものと思われます。
ところが親戚の殆どが某学会の信者。
そういう条件を頭に入れておいてください。




H子さんはお金の余裕の無い息子一家のために、米やその他の食料、孫の紙オムツなどを大量に買って
届けていました。
毎月なのか毎週なのかは知りません。

するとその後、息子が「車を買いたいが、ローンが組めない」と言って来た。
なのでH子さんは息子の代わりに自分夫婦がローンを組んで車を二台買いました。
代金は必ず払うから、ということだったそうです。
毎月、そのローン代を息子が親に払う、ということでした。
最初の数ヶ月は払っていたそうです。
ところが途中から払わなくなってしまった。
H子さんが催促しても払いません。




息子一家に金銭の余裕が無いならまだ分かるが、そうではなく、奥さんは大変派手好きで
友人知人にはおごりまくっているそうです。
生活そのものも派手というか、贅沢なのでしょう。
これにはH子さんも怒ってしまいました。
そしてH子さんのご主人がもうすぐ定年なのですが、息子夫婦がその退職金をあてにしているようだ、
と言うのです。
意味は一度の多額の金が親に入るので、息子夫婦にも何らかのおこぼれが有って当然と考えているようです。
H子さんはこれにも驚き腹が立つやらガッカリするやら・・・




この問題について考えてみました。
まず、H子さんが「良かれ」と思って息子夫婦を援助したのが間違いでした。
息子夫婦はこのことによって「親には金が有る。これからもどんどん出すだろう」という間違った観念を植えつけた。
H子さんが息子を思ってしたことが、裏目に出たのでした。

次に、息子夫婦が「車を買いたいが、ローンが組めないので、代わりに組んで欲しい」と言って来た時
断ればよかったのです。
「だったら、お金を貯めて買いなさい」とマットウな意見を言えば良かったのですが、
H子さんはまたもや息子のために、ローンを肩代わりしました。
私だったらそれはしませんが、H子さんは今までの人生で「子供が一番大事」と言って来たので
それをしました。
何故代わりにローンを組んだのか。
その心根を見てみれば
●息子から好かれたい
●息子から頼りにされたい
●良い親だと思われたい
●嫁から良い義母だと思われたい
などという、情緒的なものがあったと言わざるを得ません。




上の4項目をまとめればH子さんは「良い人と思われたい」と思ったのだ、と言えます。
こう言ってはナンですが、とても低次元の発想です。
低次元・・・つまり、自分の気持ちを優先し、周囲を理解しない、という意味です。

こういうコトを言うのは残酷ですが、一連の出来事は、H子さんに「物事を考えよ」ということを
教えるために起きたのだと言えます。
H子さんは嫁を悪者にして怒っていますが、そうでは無い、ということ。
真の原因は「H子さんが何も考えてないこと」です。
H子さんの口癖は「私そんなにバカじゃない」というものですが、
バカでは無い人が、このような愚かなことをするのです。




自分が乗るのでもない二台の車のローンが毎月いくらになるのか私は知りませんが
旦那がもうすぐ定年になるので、お正月に会ってもウチの子にお年玉もくれないH子さんは
毎月実に腹の立つ数万円の出費をしているのです。
(あ、ウチの子にお年玉をくれない件は呆れたけど、恨んではいませんよw
  そういう人なんだなぁ、小さいなぁと思っただけです)




このように思考力判断力の無い人が、節約をしようとしてもそうは行かず
大変理不尽な出費をしなくてはいけなくなる。
性格は良いんだけどなぁ・・・というのが私の感想です。
以上は義母からの情報でしたw
あははh!
義母がうちへ来て全部喋るのでね、私達は聞き役です。




もう一つ。
H子さんのご主人は銀行員です。
主人の父が定年退職した時、退職金を自分の銀行に定期預金だか何かで預けろと、
しつこく「退職金はいくら出たのか」「それは全部オレに預けろ」と言い、親を不愉快にさせていたそうです。
また家を改築した際には親の金を当てにして、少し借りられないか、と言って来たそうです。
義母が息子に「自分達はいくら持っているのか」訊いてもそれには答えない。
答えないので、こちらとしてもやりようが無いので、お金は出さなかったようですよ。
(お義母さんもやるね!)

これって、今、その息子が自分の息子からされていることと同じですよね?
親の金を当てにするところ、親から金をせびろうとするところが同じです。
自分がしたことは自分に帰って来ますね。
恐ろしいくらい正確に帰って来ています。




対して我家はボーナスが出るたびに親兄弟と親戚を呼んで料理屋でご馳走していました。
一回5万円ほどでしたが、たいした出費では有りません。
私は「金は大きく入るが大きく出る」「入っただけ使う」「金は天下の回りモノ」という、私の親のやり方をやっていました。
(これも問題ですが)
我家が家を持つ時は「うちはこれだけお金があります」
(ウチはこれしかお金が有りません)
正直に主人の親に言ったら1千万円近く出してくれました。
(※その前に、義母から主人の弟が家を改築する際に、自分達が持っている金のことを教えないので
   金を出さなかったと、聞いていたので、私はそれを教訓にし、弟夫婦とは逆のことをしました。
   私は情報戦が得意なのです)

頼んでないのに。
これには驚いた。
でも有りがたいです。

(私はこれについてはもらいっぱなしは嫌なのでいつか返したいと、その時から思っています)
(もらえてラッキー!では無いのです)

私は何をするにも見返りを求めたことが有りません。
その時自分が楽しめればいい、と思っています。
その結果却って得をしているような気がします。

そして私達が家を買う時義父母が何の見返りも求めないでポン!と一千万円出してくれたのは
多分、私の波長と同波長だったからだと思います。




自分と自分の子供のことしか考えないH子さん。
(ご主人のことは子供と犬の次・・・・というか、ご主人の健康にはとても気を使っています。
  理由は、ご主人が倒れたらお金が入らないからだと思いますよw)

しかしそれはやはり間違いで、だから理不尽な出費をし、
毎月この件について考えざるを得ない状況になっているのだと思います。
普通の主婦には通常はマトモな思考力は有りませんから、さぞかし大変(心がね)だろうと思います。
そうなった真の原因を分かるまで苦しみ続けるのでしょう。
H子さんは人生が楽しいように見えません。
会えば必ず何らかの愚痴を言っています。
そういう心の姿勢になっているのだと思います。




また、こうも言える。
自分と子供のことしか考えないH子さんの子供もまた「自分と子供のことしか考えない人間」に育ってしまたのだ、と。
そしてそういう息子の波長と同波長のお嫁さんが来たのだ、と。

ウチの主人と主人の弟は兄弟だから気質は良く似ています。
そりゃ本人ではないのだから性格は似ているけど、同じでは有りません。
気質、人間の深い部分が同じ、という意味です。
そしてそのちょっとした波動の違いによって、配偶者のタイプが全く違ってしまった。
私とH子さんも気質が同じです。サヌキタイプです。
でも性格の表面的な部分は全く違っていて、その結果結婚30年近く経った今は
生き方が大いに異なるものになりました。
(※H子さんには物事の本質が見えず、潜象勘が有りません。表面的なことしか分からないのです)



心がきれいで善良な夫婦ですが、思考力が乏しいためにこのような目に遭う。
仕方ないですね、法則通りです。

「私そんなにバカじゃない」と言う人に利口な人が居ないと思うのは私だけでしょうか?

<一日1ミリなんてとてもとても・・・>(2010年11月3日〜4日)


モノの分かった人(道徳?宗教家?)が書いたものに
「人は毎日少しづつ悟っていくのが良い。一日に畳の目一つ分、進むのが良い」とありました。
私もそうなら良いなぁ・・・と思ったが、自分のことを振り返ってみれば
「一日に1ミリ(畳の目一つを1ミリとした)なんてとても無理」だと、悟りました。
一日に畳の目一つ分進歩する、というのは理想であって、現実では無理です。




私がそうじじょうを初めて二十数年。
その間、どれだけ進歩したかと言えば・・・とりあえず1メートル、としておきましょう。
私の感触では人は一日に1ミリなんてとてもじゃないが、悟れません。
毎日考えてイマイマにキを入れようと努力して、
良くて「一週間に1ミリ」です。
これも「良くて」なので、そうでは無い場合は1週間に1ミリも進歩できないのではないか、というのが実感。

1週間に1ミリ進歩すれば、一ヶ月で4ミリ。
一年間で48ミリ・・・約5センチです。

それを二十年やった結果、1メートルという感じです。
一日に1ミリ、コンスタントに進歩できる人がいかに、素質が良いか分かります。
私が知らないだけでそういう人は居ると思いますが。




某サイトで約4年間そうじしょうについて語って来ました。
そこに書かれているのはあくまでも私なりのサトリであって、普遍的なものではありません。
本当の所は本を一冊買って読まなくては分からない。
それなのに本を買わないで私が書いたモノを基にして考える人がいます。
全く分かってない人です。


本を買わない、読まない人が、私にそうじしょうについて質問しても答えは
「私なりのサトリ」でしかないのですが、それを分からない。
これでは何年経とうと何も悟ることは無いでしょう。

私はただ単にそうじじょうを紹介しているだけである、と悟らなくてはならない。
それすら出来ない。
私はちゃんとそこらへんのことを注意書きとして書いてありますが、それを読んでも理解しないので、本を買わない。
それでもいいんです。
自分はそうじしょうを理解したくないのだ、という自覚があれば。
ところがそういう人もそうじしょうを理解したいらしい。

つまり分かりたいと言いつつ、思いつつ、ちっとも分かる方向に向かってない人。
こういう人が多いということに最近気づきました。




4年の間殆ど進歩していない人からのメールが来ました。
それも数人いました。
4年の間日々分かり続けていれば、今頃は20センチくらいは進歩していたと思います。
いや、素質が良い人は1メートルくらい進歩していたかもしれない。
私は素質は良い方ではなく、モノの分かりも悪いので20年間で1メートル進んだだけですが
頭と性格が良い人、素質の有る人が真剣になれは、20年間で1メートルなんてことはありません。
もっと先へ行けます。
だからこの文章は私の自慢では無いんです。

4年間で何も悟ってない人が居る。
と、いうことを知った、途中から参加して2年間でかなり進歩した人が驚いていました。
「何故そんなに古くから居るのに、そんな場所に居るんですか?」と。
私もこの件にはガッカリしていたので、この方の感想には頷きました。

※この場合の進歩とは、物事を知ることではなく、その境地(判断力と心の広さなど)に達することです。



その境地に達することは大変難しいのです。
頭が良く知恵が有り、殆どのことをソツなくこなす人が全く分かってない、ということが普通です。
最近、そういう人が自分の分からなさをとことん思い知ることがありました。
その人は自分では賢いとは思ってないが、バカでどうしようもない、
自分は何も分からない、とも思ってなかった。
それがそうではなく「自分はなんてバカで何も分かって無かったんだ」と運命によって思い知らされました。
勿論私もその件に関して「解説」をしました。
(説教とも言うw)
その人が自力で分かるには難しいのでお手伝いをしたのです。


頭がどんなに良い人でも「その境地に達すること」はまた別物なのです。
その境地に達しない限り、自分がその境地に達してないということが分かりません。
ではどんな境地なんだ?
それはその境地に達して初めて
(ああ、この境地(サトリ)だったのか!)と、分かることなのです。

頭が良い人は何でも分かってしまうので、自分には分からないことが有るということが分からない。
だって、その人が分からないことは意識にも上らないので、自分がそれを分かってないってことが
分かるわけが有りません。




世の中の賢い人の殆どがこのような状態です。
それに反して「自分には分からないことが有る」と、心から思っている人の方が
物事を分かることが出来ます。
自力では無理なのでちょっと手伝うとその境地に達することが出来る。
とは言え、教えてから悟るまで時間差が有ります。
(※或る人に「それでは苛められるのは当然だ」と指摘しました。
   それから半年後、その人は他人の言動、行動を見て(これでは職場で苛められるのは当然だ)と分かった。
   そしてさらに「では自分はどうなのか。自分もこの人と同様だ。だから職場で苛められたのだ」と悟った)


教えた時から半年経ってますが、それはその間、この方が必死で分かろうとしたからです。
私が提示した「解答」は、私がその方に教えた時点ではその方の理解力の10センチ上を行っていたとします。
その方は半年の間考え続けたので(意識的、無意識的に)
半年経って目の前に解答の実例が来た時、分かることが出来たのです。
半年で10センチ上がったことになります。
(※ここで長さの単位を出してますが、本当にそういうのがあるのではなく、あくまでもた喩え話です)



自力では一日1ミリも無理。
分かり方を分かっていたとしても、1週間で1ミリが良いところです。
なので分かり方が分からない、通常の場合は何年経とうと何も分からず悟らず、
同じ場所に居続けます。
自力では進歩できないし、こちらで解答を教えてもそこに達するほど素直では無い場合は
何年経とうと何も変わりません。
そういう人が私が分かっているだけで数人居るということを知ってガッカリしたのでした。




他の例では、或る人のサイトを見ていて混乱しているのが分かった。
しかし本人から何も相談を持ちかけられないので、こちらからは何もしませんでした。
サイトの混乱ぶりはその人の思考と生活の混乱ぶりを表していたようです。
私は事情を知らなかったのですが。

その後その方から或る件でメールが来てやっとその人の状況を知ることが出来ました。
その時こちらからちょっと働きかけをしてみました。
その方は何かを悟り、その状況から脱することが出来ました。
その方が混乱していた一年半の期間、その方は殆ど何も悟ることはなく、ひたすら混乱していたのです。
3ミリほどは進歩していたでしょうかね。
一年半で3ミリ。
こんなモンです。
その一年半の悪戦苦闘の期間は、「悪戦苦闘する」という体験を積むためだったと思います。
それをすれば人間分かることに対しては真剣になるので、分かることが出来ます。
(必ずでは有りません)
だから長い間分からずに生きるということも貴重な学びです。




と、いろいろ書きましたが、そうじしょうを紹介した記事を読んだ人が
以前よりたとえ数ミリでも進歩するならそれでも良いと思っています。
4年間で数ミリにはガッカリしましたが、それでも良いです。
その人なりに進歩すれば良いのだし、その人なりの進歩しかありません。



<登校拒否が治る時>(2010年10月31日)


登校拒否の真の原因は母親の分からずやです。
だから拒否っている子供をいくら鍛えても無駄です、治りません。
その代わり原因者である母親が「自分には分からないことが有る」と悟るだけで解決します。
そうでないと解決しません。

自分を分からずやであると悟ればいいのであって、
分からずやでなくなる必要は有りませんよ。
友人の子が小学校中学年から登校拒否を起こしました。
原因は母親の分からずやなので、私がなんとかそれを本人に悟ってもらおうと数年間、働きかけをしました。
別に私が嫌がる相手を追いかけて無理やり言い聞かせたのでは有りません。
相手の質問に答え、相手の言動行動をチェックしていただけです。

母親本人は無意識に「自分は良い」「自分は間違ってない」「自分は正しい」と思っているので
始末に悪い。
しかも無意識でw
無意識に意識しているものを意識化させるのは至難の技です。
教える方も大変ですが、本人はジゴクです。
でもそれをやらないと登校拒否は治りません。

大人になれば治るさ。

と、無責任な周囲の人が言います。
そしてこのような言葉は母親にとっては救いなのです。
だって、自分が原因であると非難されないし、自分は何もしなくて良いのだから。
しかし他人の言葉を真に受けて母親が「これで良い」という心の姿勢になれば
子供は大人になっても三十過ぎても家に閉じこもることになる。




私だったら、可愛い末っ子がそうなっても別にいいですよ。
いるだけで可愛いからペット代わりに可愛がります。
それにこの子は家事をよく手伝うのでOKです。
家事を手伝わない子供も一人居ますが、そういう奴が拒否ったら座敷牢に閉じ込めて楽しみますね。
想像するだけで楽しいです。

ところが私のような、学校へ行かなくても良いと考えたり、座敷牢に入れて楽しむぞ、なんて
思っている親の子は拒否りませんね。
却って
「子供は学校へ行くべき」
「それもなるべく偏差値の高い学校へ行くべき」
「大人は仕事をするべき」
「それもなるべく良い会社の正社員になるべき」

と思っていて、そうでは無い我が子を心で責めている親の子が拒否ります。
責めている間は登校拒否は治りません。
というか、そのような親の価値観を超えて生きている、我が子という他人を理解できない親、
それだけではなく、全てのことを理解できてないくせに自分ではマットウであると無意識に思っている親、
それは間違いでしょう。
だから、それを正すために子供は親から見て「問題行動」を止めません。



友人には何度も忠告助言しました。
友人は本気で分かろうとしましたが、やっと
「そうか、私は何も分かってなかったし、何も考えてなかったんだね」
悟るまでに数年かかっています。
こんな簡単なことですが、これは知識を得るのではなくて
その境地に達することなので、簡単では無いのです。

友人が徐々に悟っていくにつれ、子供はいつの間にか登校拒否が治りました。
友人は相変わらず思考力、判断力が乏しいです。
今でも会えば私から注意されています。
思考力、判断力は無くても良い。
ただ、自分に思考力と判断力が無い(乏しい)のだ、と悟るだけで登校拒否は治ります。




<スピおば、スピおやじ3>(2010年10月19日)


下の記事<スピおば、スピおやじ2>を読んだ方から
私もその条件に当てはまってます、というメールが来ました。
たしかに外的条件は合ってますが、問題は中身です。
その方はふわスピの人ではなく、物事をきちんと見ているので所謂「スピおば」とは違います。




<スピおば、スピおやじ2>(2010年10月14日)


下の記事<スピおば、スピおやじ1>に登場したAさんは職場でも地域でもどこでも適応能力が高い。
なので、わざわざスピリチュアルなんかやらなくたっていいでしょ?という話でしたが、
今度は適応できない人の話です。
スピリチュアルにはまる人は、学校、社会、職場、家庭に適応できなくて
スピリチュアルに救いを求めている人が多いのではないでしょうかね。
勿論私のように好奇心から始める人もいますが。




あともう一つ特徴が思い浮かんだんですが、私の友人のことなんですが彼女は45歳くらいなんです。
もう大人だからっていうのもあるけど、
何でも一人でやるのをヨシとしてて他人の意見が聞けないし取り入れる柔軟さがないんです。
私には聞くんだけど、意見を言って自分を擁護する意見でなかったり同意しなくて納得いかないと
「まぁいいわ。自分でしか決められないものだから」と言って
それについてどう思うのか?何か新しいアイディアは浮かんだのか?などは聞けません。
人の意見をそういう風に生かす(新たな刺激にする)という発想自体ないんです。

そういう人は所謂「普通の人」ですね。
45歳にもなると、無意識無自覚に
(自分は正しい)(自分は間違って無い)(これでいい)(悪いのはすべて周囲)(私は悪くない)(だって良い人だもん)
と、思っている。
これが普通です。
そこを自覚し、つまり自分が今(自分は正しいと思っている)ことに気づき、その次に(本当に自分は正しいのか?)と、
さらに突っ込んで考えられる人は殆どいません。
これが出来る人と出来ない人の差は大きく、歴然としています。
これは経験の量とは無関係に、ただ、「その境地に達しているか、いないか」の違いなのです。
これが出来る人は簡単に出来、出来ない人には、殆ど不可能なほど難しいことなのです。




当然みんな生まれて来る時は一人だから、答えを出すのも自分でしかないんですけど、
若い子は人の意見をもっと取り入れて自分の最終的な気持ちと照らし合わせて答えを出すことができるような傾向がありますよね。
「こんな答えが出たよ、ありがとう」って報告してくれるのは年下の子が多いです。
自分で考えるってそういうことだと思うし、それは人の言いなりになるのとは違うという柔軟な感覚が若い子にはある。
基本的に周囲と調和しててオープンハートで、いろいろなものを取り入れるのもうまいですね。

「全部自分の力だけで」なんて悲壮感ただよう発想がない。
 
(スポ根マンガが最近の世代では流行らないであろう理由その1)

そういう意識で生きていると、伴侶が要りませんから当然独身ですね。
ところが本人の表面意識では「結婚したい」と思っていたりする。
でも、心の奥底=潜在意識では、「一人が良い」ので、当然結婚出来ませんから、
表面意識の願いが叶わないことになり、本人は苦しみます。
心の底から結婚したくなくて、表面でも結婚したくないのなら、幸せなのに
何故か素直にいかなくて簡単なことを自分で拗らせている人はいます。
そこに気づくことが、他のことよりも重要だと思うのですがね。
本人にとっては、自分の心の表面と奥底が矛盾、分裂しているとは思ってないので、ややこしくなってますね。
当然満たされませんね。
そしてその満たされない心を何か特殊なことを身につけて、埋めようと・・・スピに走るのでしょう。
そのようなレベルの人が行う「スピリチュアル」は、本人がスピリチュアルからかけ離れているので
素直なものではなく、何か偏ったものになっているはずです。
こうなっている人、多いですね。


人と周囲と調和してるから、一人の力でなくみんなの力を借りて軽々最短でやってしまう。

自分以外の人間が存在してくれている理由って助け合いとか刺激し合いもあると思うんですが。。。
本来宇宙はホログラムで同じ物が魂の数だけ鏡のように存在すると唱えてる人がいますが、
それなら自分の宇宙には自分一人(私の友人もそれは自分でわかってる)。
それはそうなんだけど、それ以上の発想の進展が彼女にはない。

私だったら
「じゃあ、なんで自分以外の人が私の宇宙にいるの?例え映ってるだけだとしても何で関わり合わなきゃいけないの?」
っていう考えが浮かぶからそれについて考えるけど。。。。

彼女は自分一人しかいないから自分一人で全部やるっていう発想にしかならなくて、私から見ると古い。
自分より優れた人もいるのに、なんでそういう人と出会ったり、協力したり、学んだり、
そういう人に出会える自分になるために自分を磨こうとしないのかなと思う。

実は仕事のことで私が69さんにアドバイスもらったり助けられてることも
その友人は快く思ってなくて、焼きもちと自分一人でやれっていう私への苛立ちを送ってきました。
それを受けてるので私の胃がおかしくなってしまって。
ムカムカしてます。実際彼女にムカムカしてるのかもしれません。
そこは個人の自由で放っておけよ、っていう。
69さんとアドバイスもらいながら完成しつつあったものまで否定してきたりするのでね。



69さんは個人の自由を奪って言いなりにさせるのではなく良い方向に導いてやりたい、
知ってることを教えてあげたい、その方が最短だからっていうのがわかるし、それ以外の目的も感じないんですよね。

そうなんです。
何かやりたいことが有る人には、私が持っている情報でもモノでも知恵でも何でも出せるものは出します。
面白いからw
そして私のアドバイスを受け入れるもよし、受け入れないもよし。

(私は粗忽だから、しょっちゅう間違うし、適当だからねぇ・・・全部信じてもらっても困る。
  それにその件について考えるのは本人の仕事だから、本人に成り変わって考えてやるということもしません。
  あくまでも補助に徹しています。
  ただ一人で孤軍奮闘するよりも協力者が居た方が捗るんです。
  私は合理的な人間なので協力する目的は「合理的だから」「面白いから」で、それ以外にはありません。
  私に感謝してくれなくてもいいです。
  私の案を採用しなくてもいい。
  それから始めたことを完成できなくてもいいです。
  せっかく協力したのにぃ!って気持ちも有りません。
  私は協力した時点で楽しめたので、その後のことは本人任せです)


人のため、っていうことしか。
彼女の場合はなんだかんだ言って幼稚な独占欲が根底にあるのを感じる。

未熟ですね。
そういう人はスピリチュアルやる以前にクリアしなくてはならないことが有ると思いますよ。
まずは「人並み」になることです。




確かに友達だけど、その事実と私がやりたいこととは別なんですよ。
彼女と同じように考え、行動することも、彼女が一人でやってることを賞賛することも別。
彼女にも仕事を回したり助け合えることがあるかもしれないから、
その時突然ではなく今こんなことがやりたいと思っててここまで進んでるという話しをしたかったんですが、
伝わらず自分の焼きもちや私が先生を得たショックみたいなもので本来の話しの意味が消えてしまったんですよね。

私を先生と思っているのならとんだ間違いですね。
友人なので。


彼女は実際めんどくさいんですよ。
世間の情報を取り入れないで自分自身は古いくせに
新しいエネルギーのことばかり知ろうとしてそれをやろうとするから判断力がない。
世の中がどういう方向に変わっているのか知らない、興味ない。
他人のことも興味ない。でもエネルギーのことは知りたい、習いたい。

こういう独り善がりの人は自分が低級霊にやられて波動が下がってることにも気付けないので
体に不調が出たりヒドイ体験をしないとワカラナイ事の良い見本です。



彼女も8月からずっと週何度も整体やエネルギー注入してもらいに行ってます。
私にもエネルギー注入をすすめてくれたけど人から入れられるエネルギーは欲しくない気がするので私はそれは人に頼りたくない。

私が知らない知識や経験を持ってる賢い人から教えを乞うことは自分を高めることができるけど、
そういうエネルギー面での依存はしたくないし必要ない気分なんですよね。
ジュネさんにも
「あなたはもう人からヒーリング受けたりするのは卒業。必要ない」と言われましたが、
自分でもその前1年以上前から同じメッセージを瞑想で受け取り、
それでも受けると何も感じない、
自分で得た答えの方が正しかったということが続いたので
お金使うのがバカバカしくなりジュネさんを最後にやめました。
ジュネさんにお願いしたのは自分が感じてることが正しいか答え合わせをしたかったからです。
信頼できそうだったので。

こういうスピオバもいるという例でした。




彼女は典型的な筋金入りのスピオバだと思います。
それが長年一人暮らしの海外で自分の生活を支える仕事になってますから、私も口出しできないんです。
彼女には彼女の仕事のやり方があるし。

なので、趣味で愛だの光だの天使だの言ってるスピオバはまだいいんですが、
海外で一人、長年情報から遠ざかってるとこういう取り返しのつかない人もいるんですよね。

自分は年とって頭も硬くなってるのに日本を飛び出した25歳で止ってる。
情報も価値観もその時のまま成長なし。

彼女はサイキックヒーラーと名乗ってるけど私はジプシー(魔女というニュアンスも含め)だと思ってます。

40代後半ですか・・・
この年齢で結婚していなくて子供も居ない、職場で鍛えられることも無い人はそうなりがちかもしれませんね。
二十代はまだ子供なので知識が乏しいから仕方ないとして
三十代になったら少しづつ世の中のことが分かるようになって来て
それに相応する知恵をつけていかないとね。
でも、或る程度頭が柔らかくて知恵もついているとなると35歳くらいまでですかね。
私の感触では、35歳までならなんとかなると思います。



それを過ぎると物事が分からないのに、世の中の知識は増えるのでこの45歳スピおばさんのようになってしまう。
結婚して子供がいれば苦労するので知恵がつくはずですが、独身では難しい。
(当然職場では外れているか浮いているのに、本人は「悪いのは全て周囲」と思っている)
子供が居る場合、母親が分からずやだと登校拒否を起こしたりしてくれますから、
それをチャンスに自分の生き方を総点検することが出来るが、大抵の場合しませんね。
思考力が無いので子供が言うことをきかない・・・・という結論を出して終わり。
そして「いつか治るさ」と諦める道を選択し、治らないので子供は三十代になっても引きこもります。
この時点でもまだ分からない母親が普通です。



あ、話が逸れた。
45歳過ぎて女一人暮らし・・・仕事に生きがいを見出さないとやっていけない。
Aさんの友人の方は、Aさんという話し相手が居たからやって来られた感が有ります。
意識としては自分の方がずっと年上なので、Aさんに教えてやることが楽しく生きがいだったのでしょう。
それを依存と言います。
ところがAさんは実は忍耐をしていたのでした。
依存される方はたまりません。
で、Aさんは自分の好きなことを始めた。
それが45歳スピおばさんにとっては裏切りと感じたのでしょう。

この問題は45歳の方がもっと心のことを知り、判断力をつけて頭を大人にすることで解決しますが、
それは素質によるところが大きい上に、この環境(独身、子無し)ではさらに難しい。




<スピおば、スピおやじ1>(2010年10月13日)


私もおばさんですが、トンデモ暦は長いんです。
小学生時代から
「人間死んだらどうなるんだろう?」
「死んで意識がなくなって『何も無い(無)』になるのだろうか?」と疑問に思い、
不思議話大好きで不思議本、不思議番組、SFが好きで、オカルト話が好きで
ギリシア神話と日本神話は小学生時代にザッと読み、
ノストラダムスは高校時代、主婦になってからは「あなたの知らない世界」にはまって怖がり、
幾つもの宗教の教祖や道徳の「教祖」の本を読み
(あ、団体に入るのが嫌いなので信者にはならない、なれない、なりたくない)
心を学び
(主に高橋信次や心理学)歴史を学び、陰謀論にはまり、古代文明が大好きで、そうじしょうと出会い、
占いに凝り検証し、夢や前世を研究し、シンクロニシティと願望実現を体感し、
日月神示と出会いそれを使って様々なことをサニワし、その他ありとあらゆるモノに首を突っ込み
(伝授系はやっていません。それをやる必要は無い、と知識と経験から答えは出ていました)
今日に至ってます。
思えば実にくだらない半生でした。



私の人生不思議とトンデモと心のことが占める割合が90%は逝くかな。
素人ですが長年(心が)トンデモ世界に居たので、
トンデモやスピリチュアルに関しては、心に耐性が出来ているのです。
ちょっと何かの情報があっても、すぐ信じ込んでそっちへ逝ってしまう、ということがありません。
また、質の良いものを知っているので、低次元なものに惹かれるということもありません。
私の精神は自分が居る場所にデンと構えていられます。
そしておばさんですから、誰かのファンになって憑いて逝くということもありません。
ひたすら自分が居る(心の)位置に居て、冷静に観察することが出来ます。
この状態を
「発酵場の出来た人」と言います。
別に偉くもなんともありません。
酒蔵だって百年も普通に運営していれば自然とそこは発酵場になるのです。
(勿論管理がいい加減なら、何百年経とうとそこは発酵場にはならないでしょうが)



ところで、そういう趣味の無かった人が今、隠れた流行になっているスピリチュアルにはまっているようです。
主婦に人気のE腹氏や3輪様の本や番組を見てオーラや守護霊、パワースポットなどを知り
興味を持ち、楽しむ人が増えているようです。
それはそれで良いのですが、そのような情報を受け取る側の精神のレベルに対応するモノしか
受け取れないのです。
そういう人達は何故か信者になってしまう。
(昔、「あなたの知らない世界」のニイクラ氏が電車に乗ったら、そこにおばさんの団体が居て皆でニイクラ氏を拝んだそうです)
(占い師の●木●子女史の信者になっているおばさんや婆さんがいます)

それでも良いです。
この場合の「良い」というのは、それしかやりようがないから、仕方ないからそれで「良い」って意味です。



そういう人は「自分が受け取れるレベルを超えるモノが有る」ということについては
全く何も見えていませんから、ハワイ在住の人が困っているような事態
(スピおばがレイキをやるようになり、ハワイ在住の人を頼ってやってくる。
  スピリチュアルやる以前に、そういう人には常識が無いので、ハワイ在住のその人はウンザリしている)

が発生しています。
今まで普通に標準的に生きて来た人が精神世界に入っても(興味を持っても)
関り方は「今まで生きて来た方法のまま」なのです。
あくまでも「自分の生き方」を通します。

本当は精神世界に入ったら、今までの行き方を検証しそれではいけないことを悟り、
生き方を変えるのでは?と思うのですが、
そういう人達の精神世界への関り方はあくまでも「頭の先」の情報を取り込むレベルに留まってしまう。
それを超えるものは受け取れないし想像すらつかない。

世の中にはそういう人の興味をひくものが沢山用意されています。
そして用意しているほうは、お客さんの興味を満足させてお金を取っている。
お互いに嬉しい関係となっています。
それで良いと思います。
この場合の「良い」というのは、それしかやりようがないから、仕方ないからそれで「良い」って意味です。



オヤジの中にもスピリチュアルなことに興味を持つ人がいます。


オヤジでスピにハマれる心の美しさやロマンチックな部分はいいですね。純粋なのだと思う。

でも、感受性豊かで心も柔軟でなりたい自分に変われる年齢というのがあると思うんですよ、
それを自分で見極めてその時エイっと始めて何年かかけて浄化や体験や気づきを得て腑に落としてを繰り返して
やっとちょっと成長してる自分に気付くんじゃないかと思うんですよね,自分探しとかスピで向上とか。

でもスピも宗教と一緒で学んだら卒業していかないと、いつまでもそこに留まってるとおかしなことになると思う。
それこそ変な、人と違うパワー求め出したり。

「ひーりんぐるーむHarmony」のららさんもよくおっしゃってましたが、
ららさん達の世代が7?8年かけて気付いたり変わったり手放したりすることを、
ららさんの息子さんや私の世代は半年くらいでできてしまうのが素晴らしい、と。


世の中の情報の有り方が変わったから、というのも原因の一つです。
昔は欲しい情報は本屋で本を探して買う、無ければ注文して2、3週間待つ、図書館で探す・・・半日潰れました。
今は、情報が欲しければ数分で取り込めます。
情報を取り込む速さの違いが一つと、
若い人は生まれた時からそのような社会だったので、情報の取り込み方がとても巧い、これが一つ。
●情報を選ぶセンスが良い
●情報を処理する能力が高い

傾向が有ります。
今二十代の人は、四十代の人の数倍〜数十倍能力が高いように思えます。
五十代の人は・・・・(笑)・・・・・PC使えるだけ偉いです。




そういう生まれた年代による魂の進化具合
(69さんの息子さんの◎ちゃんなんかはそれすらもう済ませて生まれてきてるくらいだし)の違いもあるし、
或る程度年齢が行ったひとが変わるのは厳しいですよね。
中年男性は(女性もそうですが)自分を全部受け入れてみたらどうでしょうね?
スピで変わろうとするんじゃなくて変わらないでいいと自分を一度全部受け入れる方が早そうですね。
昔の人はそういうことしてこなかったと思うから。
スポ根アニメの世界というか、あれを私達の世代でやったらPTAで問題になるように、
世の中は変わるんですよね。
それは生まれて来る魂が変わるから当然ですけどね。
今の子供達なんか私の世代よりだいぶ一人の人間として尊重されて認められてますからね、
学校(幼稚園)でもそういう扱い受けて。



スピおやじとスピおばの問題は、スピリチュアルと言いながら(言ってない場合でも、やっていることはスピ)
それへの関り方が、自分が今まで生きて来たやり方そのままである、ということです。
だったらスピリチュアルなどやる必要は有りません。
こういう初心者は最初「目に見えるモノ」しか理解できないので、目に見えることをします。
そこに居ても良いでしょう。
通常の人が通る道です。
しかし、いつまでもそこに留まっていてはいけない。
あ、いいんですよ、一生そこに居ても。
しかしその場合は、私とは無縁の人ですから、どこかよそへ逝ってやって欲しいですね。



私の友人のAさんにも
「あなたはスピリチュアルをやっているようだけど、やっていることはオヤジ丸出しですよ。
 頭の先だけで関わっているだけの陶酔次元です。
 陶酔したいのならこの世界には沢山用意されているのでそっちへ逝ってください。
 何も私の所で叱られて苦労する必要は有りません」と言ったら、Aさんは
「陶酔は嫌です。こっちがいいです」ですと。

私としては陶酔に逝ってくれた方が貴重な時間を割いて相手をせずに済みますからそれでも良かったのですが・・・
Aさんは頭の先スピと自分を変えるスピとの違いが分からなかったようです。
両者は質的に違うのですが、その差が分からないほど、素人なのです。
(自分を変えるスピについて。
  頭の先の低レベルのものでも「自分を変える方法」とかうたっているのが普通です。
  だから良く分からない人はそういうところで「自分を変えましょう」と書いてあれば、それをそのまま受け取ってしまう。
  この時、質の良いものを知っていれば、このような低レベルのものに引っかからないのですが、
  スピに入りたてなので、知識も経験も乏しいので、その差が分かりません。
  つまり、「これは低次元である」と、差を取れない=悟れない=のです。
  しかし頭の先の情報が好きで満足出来るなら、それでいいんですよ。
  何もその上の世界、大変困難な道、を選ぶ必要は有りません)


「自分の意識を変える道」を選んだのならやること為すこと全て
思考発言行動全て矯正されなくてはならない。
やる方もやられる方も大変です。
Aさんはとても素直で良い性格なので(ま、いっか)ってとこです。
私の友人にはAさんのような素直で性格の良い人が多いんです。
しかし会うたびに相手の今の発言と行動についてダメ出しをするのは面倒なんですよ。
だから本当はしたくないですね。




しかし、オヤジとは言え、Aさんは最初の頃よりはだんだん分かって来たと思います。
初めの頃、Aさんが「面白い」と言って持って来た本を見てウンザリしていましたが、
最近はピントの合った本を持って来るようになりました。
若い人と比べて歩みは遅いが着実に進歩はしていると思います。




最近スピにはまり始めた、若くはない世代の方達は
スピから足を洗って自分の内面をひたすら見つめたらどうでしょう?
自分の周りで起きることを人間関係も含めて、なぜ起きるかひたすらひたすら自分の内面に問いかけるとか。


そうですよ。
まずは自分の意識を見ることが先決です。
それをしないで目の前のことを、本質を見る能力も無いまま追いかけている場合では有りません。
おばとオヤジの世代は本当に困りモノです。
(その上の世代は論外です)


<低波動にやられる人〜チャネリングについて>(2010年10月11日)


Aさんから↓

低波動にやられるヒーラー(チャネラーでもなんでもスピ系の人)って、
自分の力を過信したり調子に乗ってる人多いですよね?
自分以外の声を最大限信頼して採用する人。

パワー
(霊能力)だけを追い求め、人と違うことをして特別意識をもちたい欲が強い。
その未熟な精神の隙につけ込まれるのは霊に限らず人間関係も同じですね。
カルト宗教とか詐欺とか。

人間も、悪い大人が子供をコントロールするのは簡単なように、
大人としての年数を生きてきても何も経験から学ばず中身が子供という人も、
人間でも霊でも何か自分をコントロールする存在がいないと何もできない。
コントロールされることがむしろ心地いい。
起きた事すべての責任は自分が持つという厳しい側面も覚悟をしなければ自立もできないし
精神的な成長もないことを放棄して生温い中に浸かってる人達ですよね、自ら。

自分で責任を持つ、という意識で物事を見たり考えたりすることが
霊の干渉を受けたりコントロールされる隙を与えないことにもなるし、
未来も変わってくると思います。
起きることの責任は自分で持つ、ということは自分以外の他の誰かになる必要がないということなので、
特殊な霊能力を得ようとすることが無意味なことにも気付くはず。
自分自身に責任を持つという簡単なことだけなんですが、
それが意外とやることが多くて意識も無意識も大忙しで
そんなヨコシマな霊能力にまで興味がいかないと思う。
意識にインプットするだけなので、時間を作ってグラウンディングの瞑想に精を出すより簡単です。

人として一生懸命生きるって自分に起きたことに責任を持つ、
というシンプルなことではないかと思ったんですが・・・。



怪しいチャネリングをする人の話しですが、こちらが望んでないのに一方的に話しかけて来たり、
いつも何か要求されたり、真夜中に自分の都合だけで電話してきたり、
自分の考えを押し付けて上下関係を強いたり人間同士でされたら嫌ですよね?
友達でもそんなこと何度もされたら嫌になるかも。
何で霊だと喜んでつきあうんでしょうね?おかしいです。

私も上からああしろ、こうしろと言われたら嫌になりますね、きっと。
「るっせえ!黙ってろ!」とキレます。


子供の成長を見守らずすべてコントロールして子供が学ぶ機会を奪う親が低級霊だとしたら、
それに乗っ取られコントロールされてる人はその子供という図式が当てはまると思います

子供の成長に合せて見守って導くことができない親は
死ぬまで子供をコントロールして自分が死んだ後の子供が
一人で生きていけるかなどは頭にないんですよね。
自分の欲望を満たしたいだけなので。
子供の方は成長しても自分で何もできず人に迷惑かけたり人のせいにしたり依存したり、
精神的にバランスを崩したりっていうパターンも同じです。



高位の存在は人間一人一人の目覚めや魂の安らぎと成長を願い、
ただ必要な時に手をさしのべるためそっと見守り、導いてくれるように思います。
そして、それが彼らの最大の喜びなんだといつも感じます。
今まで何度か命の危機を見えない存在に救ってもらってきて
(当然名前などは名乗らないし、あとから見返りを要求することもなく)、
思いました。
結構厳しい時もありました。
何で助けてくれないの?と恨みごとを言いそうな。
でももっと深刻なときはそんな甘えさえ出ないんですよね。
ただ自分の目の前のことをやって進むのみ。



今は高次の存在にさえ「自分でできるから手出しは無用」という思いがあります。
人々がこれからは自分で全部ヒーリングもチャネリングもして
答えを自分で受け取っていくというレベルまで成長した証拠だと思います。
だからもう宗教では世の中は救えないんです。


今、スピな講座や本などから知識だけは簡単に得られるけど、
経験から魂自体が学ばなければ偽物の光が増すので低級霊にしてみれば見つけやすいのかもしれません。
太陽や星など本当の光には近づけなくても夜の街灯の周りには虫がたくさん集まるように。
それが今、おかしな人が浮き彫りになってる世の中の理由なのかもしれないですね。
地球にふりそそぐ光が強くなり、偽物でも変に光るから低級霊が見つけやすい。



霊能力は魂が成長する過程での単なる副産物とさんざん過去のマスターが言ってても、
そのパワーにしか価値を見出せない人がヤバイということは良くわかってきました。
地球は物質の世界なので、生活するだけならある物(目に見える物)を利用するだけなので
特別な霊能力は使わなくても肉体と生命は維持できます。
そこで魂を磨くとか精神の成長を促したり試される場所が地球だから、
学びのためにここへ来たい魂が多いのだと思います。

金星では、必要なものを自分の想念で作り出さなければなりませんでしたし、
こちらから聞かなければ答えることはありませんでした。
そういったことからも、やはり相手からコンタクトを取ってくる見えない存在はおかしい、とわかります。



すべて私に委ねられていた世界です。
金星の私の家に帰りドアを開けて人としての姿を取らない無数の魂だけの存在に歓迎された後、
彼らは私がずっとここにいると思ってることが想念で伝わったので
「私はまた地球に戻らなければならない」と伝えると、
地球の場合久しぶりの再会だと「行かないで」とか悲しい思いを発したり引き止める所を、
快く歓迎してくれた喜びの気持ちのまま送り出してくれました。
本当に一切のネガティブがない世界です。

金星や宇宙の進化した他の惑星では、自分に合う想念の場所に留まるだけらしいですね。
地球のように試練から学んだり悲しんだり怒ったりを通して感情を動かすことができない。



なので、もし自分が見えない存在から働きかけられてそれをチャネリングしてると思ってる方がいたら
それは低級霊の可能性も宇宙人の可能性もあるけど、
宇宙人だとしたら私が行った星では勝手にこちらに働きかけてくる存在はいなかった、ということは共通してました。
想念を使って自分で必要なものや答えを得たり作る場所です。

低い霊は人のエネルギーを自分のいる波動世界から感知するだけだと思うから、
映像として見えるわけではなく、行動として何を自分がしてるかわかってないと思います

だから常にコンタクトを取って来たり、サポートと称して常にくっついてるような存在が多いようだしウザイ。
そしてそのサポートやアドバイスは人間の魂の成長にとってとんでもなく逆方向だったりトンチンカンだったりする。

逆に、高位の存在は映像としてもこちらが見えてるから、必要な時のみ適切な手助けができるのかもしれません。
もしくは、高位の存在=上にいる本当の自分だから自分が見える、わかるのかもしれません。



あの、瞑想で金星に行った友人が嬉しい、面白いなどのエネルギーは感知できても
私が見た映像の説明がないと状況や登場人物がわからない、自分がどこで何をしてるかわからないように、
もし低級霊は映像が見えないのだとしたら
相手の状況もわからないからおかまいなしにくっつこうとするのではないかと推測しました。

それはウイックランド博士というアメリカ人が書いた著書にも書かれています。
あの世を彷徨う(さまよう)霊には、こちら(三次元)の世界は感受出来ないようです。


この場合は映像が見えない友人が低級なのではなく、
たまたま私が映像を見るのが得意という特徴があったからパートナーを頼まれただけなのですが。。。



昨日あの話しを69さんにメールして今朝ふと思いました。
あの瞑想でのことしかわからないのですが、映像も見えると、変に感情的に動かされることもなく
ただムービーを観てるかこの自分の日常と同じ中にいるだけの感覚なので、
気持ちも変に上下したり偏らず、平常心が保て冷静でいられる良さはあります。
友人は瞑想後、私が帰ってからも興奮と感動で涙が止まらず夜中過ぎても眠れなかったと言ってましたから。
私が情緒的にニブイだけかもしれませんが(笑)いろいろ想像してしまったんでしょうね、きっと。
でもそれもちょっと危ないと思います。影響受けやすいのは。
平常心が大事です。

私も無意識にチャネリングしてよく本で読んだか人から聞いたか夢で見たのか混同するので
私も気を引き締めてしっかり自分の中心にいないとヤバイです。




意見をありがとう、とても参考になりました。

Aさんは異次元が見えても感情が動かない。
Aさんの友人は異次元は見えないが感情が動く、という違いがありますね。
これについて考えてみました。

私が思うに、Aさんは感情レベルをクリアして論理、理性レベルに到達しているのだと思います。
友人の方は感情レベルに居ます。
それが良いとか悪いとかではありませんが
多分最も活発に動いているチャクラの差ではないかと思いますよ。

友人の方は下の方のチャクラが、他のチャクラよりも活発。
Aさんは感情レベルを超えたチャクラ、喉のチャクラより上の方が活発なのではないでしょうか?
だから異次元の捉え方にもかたや感情的になり、感動して泣いてしまうのと、
感情が動かず理性で理解するという差が生じている。

私も感情はありますが、大抵のことでは感情が動きません。
(女性の標準と比べています)
私もAさん同様喉から上のチャクラが活発に働いているのではないかと思います。

世界
(異次元も含めて)の感受の仕方が、人それぞれである、という話です。



下だから低次元で悪い、というのではありません。
下の方のチャクラが活発な人は、物事を具現化する力が強く
性格が良ければ他人にたいして明るく優しく親身になるので、とても良いと思います。

人によって最も働いているチャクラの場所が違うので、長所もあれば欠点もあります。
理想的なのは、Aさんと友人のように、お互いに活発なチャクラを補いあって協力してコトにあたることです。



<TQ化が進んでいるのだろうか>(2010年10月10日)


某男性歌手兼タレントが、某女性タレントと結婚するとかしないとか。。。
どっちだったかな。
その二人に関する意見がAさんから来ました。

今日見たネットニュースで●置浩2と結婚した青多凸子はカルト宗教のセミナーに昨年参加してて、
それからおかしくなって●置とくっついたという記事がありました。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/entertainment/n_noriko_aota__20101010_3/story/cyzo_10Oct2010_17977/
●置と青多も低級霊にやられてると思います。
おかしい人はどんどんおかしさが浮き彫りになる世の中ですね。


その女性タレント青多さんは前からあまりマトモでは無かったと思います。
売り方がいまいちでした。
人間は良いのだろうが、低い次元のところから売り出していた。
(これは売る戦略のことですよ)
しかしそのレベルを持続していればまだ良かったのですが、
たとえばテストの点で言えば50点なら50点をキープしていればまだ良かったのですが
(平均点は60点とする)
やはり何も考えないで生きていると向上することは難しく、現状維持も難しいので、悪化した、と。
Aさんが言う通りTQ化した。

いや、青多さんはカルト宗教に関係していたようなので、
自分なりに何かココロのことを知りたいとか、向上したいという気持ちが有ったのかもしれません。
単なる興味本位かもしれないけど。
しかしその縁が有った宗教の波動が悪く、却って波動が低下してしまった。
で、その後●置氏と結婚・・・



●置氏はずっと前に意志腹鞠子さんと恋愛していたが、やはり変な行動を取っていたようです。
その後彼は似たようなことを繰り返すだけで、自分の波動を上げることをしなかったのでしょう、
●置氏は自分のコンサートで変な行動を取り、お客からブーイングされたら怒ったそうで、異常でしたね。
(私はクスリでもやっているのかと思いました)
この二名に共通することは、以前から多少は変だったが、
変な部分が改善されるどころか悪化していることです。




向上という意味が一般の意味とそうじしょうとでは違います。
まず、そこから理解していかなくてはなりませんが、殆どの人はそうじしょうを知らず
従って向上するという言葉の意味も分かりません。
だから、通常、向上することは難しい。
(ところが、そうじしょうは秘密ではなく、当たり前のことなので、向上できる人もいるのです。
  が、そういう人は例外的に少ない、と言えます)


Aさんが言う通りおかしい人はどんどんおかしさが浮き彫りになっていると言えます。
少しだけTQだった人がどんどんTQ化を進めているように見えます。



http://news.www.infoseek.co.jp/topics/entertainment/n_noriko_aota__20101010_3/story/cyzo_10Oct2010_17977/

青田典子"乱心婚"の裏に、噂の自己啓発セミナーがあった!? (日刊サイゾー)

 度重なる奇行で騒動の渦中にあるミュージシャンの玉置浩二(52)だが、
"貞淑な妻"として常に寄り添い、従来のイメージとは裏腹な姿をメディアに晒しているのが
元C.C.ガールズの青田典子(42)である。

 元来複雑な気質の玉置はともかく、現在の彼女に驚いている業界関係者は少なくない。
昔から青田をよく知る知人も、
「繊細な人だから、こういった状況に平気で身を置ける性格ではない。
何かに取り憑かれているとしか思えない」と首を傾げる。

 そんな青田が一年前、「自己啓発セミナーに通っていた」という情報を入手した。
「そこで洗脳され、自我が崩壊したと見られている」というのである。
取材の結果、それは「ランドマークエデュケーション」なる自己啓発セミナーであることが判明した。

 この「ランドマーク──」は1991年にサンフランシスコで創設され
「世界規模で展開する企業家向けコンサルティング」という売り文句で活動する自己啓発セミナー。
欧米各国では多くの訴訟を抱え、フランスでは99年にフランス国民会議(日本の国会に該当)で
カルト認定されているいわくつきの団体であり、
ここ数年日本国内でも多数のトラブルを起こしているという。

(※たしか二本のソウカ学会もカルト指定されています)

 「『ランドマーク──』の勧誘方法は、マルチそのものですよ。
各業界の顔の広い人物を囲い込み、勧誘を依頼して、受講者を獲得するたびに報酬を支払うんです。
青田を勧誘したのは、ある大手出版社の女性重役です。
有名な編集者ですが、以前からキナ臭い噂の絶えない人物でもあります。
まだ会社に在籍しているはずですよ」(事情通)

 青田が受講したと見られるこのセミナーの一日のスケジュールは、
朝8時半から深夜11時までという超長丁場。
それが2日連続で行われ、3日目は実習形式。
「休憩や食事の時間はあるが、自己感覚が狂いマインドが壊れるのは時間の問題」(同)という。

 なおセミナーで培われる効果は、
主に「積極的な行動」「人間関係の充実」「自信の高まり」の3つなのだとか。

 青田と所属事務所であるオスカーの古賀社長との仲がぎくしゃくし始めたのは昨年の秋、
つまりセミナー受講直後のこと。
それまでは特にトラブルのなかった青田が突如豹変したのだから、周囲が戸惑うのも当然だ。

「この頃、古賀さんが『青田がどうかしちゃって』ってぼやいているのを聞いたことがあります」
(放送関係者)

「自己啓発セミナーとは"効果の出やすい人"と"そうでない人"にはっきり分かれます。
彼女は前者ですね。
この手の人は近親者や、周囲の友人、知人と深刻なトラブルを起こす傾向にあるんです」(前出の事情通)

 暴走する夫・玉置と"啓発"された妻・青田の迷走はまだまだ続きそうだ。
(文=伊藤律彦)




<若者の○○離れ>(2010年10月6日)


今の若者はいろんなモノから離れているそうです。
参考までにサイトを一つ紹介しておきます。
http://d.hatena.ne.jp/kokokubeta/20090206/1233919174
これによれば、若者はいろんなものから離れているらしい。
目に見える大きなものと言えば、車離れですかね。
新聞、テレビは見ない読まない、部屋に無い、買わない若者が増えていることは感心します。
オヤジおばさん世代より上の世代にとっては必需品だからです。




私は若者の○○離れには大いに共感&賛成しますよ。
私が若者を理解できるのは、私自身がこの世界に適応していないからです。
そんなモンには適応などしたくも無いので、いいんです。

でも私の世代から上の人にとっては、若者がいろんなものから離れていることが理解出来ない。
私の世代より下の世代でも若者を理解できないのだと思う。

もし、一家に若者と若者を理解できない世代が同居していたら、苦しいでしょうね。
以前、チャネラーのアンジュさんに言われました。
我家の末っ子の魂は普通の地球人とは違っているので、母親が私でなかったら、大変だったでしょう、と。
子供のセイシンがおかしくなっていただろう、という意味です。
良かった。
母親が私でw




と、まぁ、様々なものから離れている若者ですが、近づいているものもあるそうです。
「人は叶う夢を見る」のがちさんが記事を書いているので引用しますね。

若者はここにいる

October 06, 2010 09:57:56
テーマ:趣味 日常

先日 love the earth  という ライダーが主に集まって
海辺のゴミを拾うというイベントに出てきた
二輪車の市場はかつての10分の1らしいのだが
そんなことを感じさせない集まり方

何よりも驚いたのは
若い男性の参加が多かったこと
友達家族+男性
男性のツーリンググループ 友達同士で2〜3人
20代後半〜30代前半と見受けられる男性が多いのだ

ざっと見たところ6割りは男性(まバイクイベントだからというのもあるけれど)
そんなに特産物もない 水着のお姉さんもいない 海しかない
そんな場所に ゴミを拾いに 
彼らはきっと高い車は買わない ビールは飲まない テレビは観ない 
でもゴミは拾う 
そして 海を眺めながら バイクで帰っていく

何かから離れていても 
何かには近づいている
若者を見てそう思う


金のことしか頭に無い親父おばさん、爺いや婆あには理解出来ない精神世界を
若者は生きているのでしょう。




<怖れる人6>(2010年10月5日)


プライドの高い人について。
この場合のプライドは間違ったプライド、低次元なプライドのことです。
自分が大事で、自分が傷つけられたと誤解(だって、判断力無いから)するのが嫌で
そうなる前に怖れる人です。

つまり、間違ったプライドの持ち主も、下の判断力不足の人と同様
「判断力が無い、乏しい」のです。

判断力が乏しいので低次元に居る。

だったら、そこから上がればよいのですが、それには「我」を捨て「自分が分からない人であること」を
認めなくてはなりません。
しかし間違ったプライドの持ち主は、それが出来ないのです。
だから、いつまでもそこに居続ける。




要するに、どの場合でも原因は「判断力不足」にあるのだ、と言えます。



<怖れる人5>(2010年10月4日)


プライドは普通、他人に対して悪意も持ってないのに怖れる場合があります。
これは当人の判断力不足です。
「光の話」のBさんのような人です。




物事が分からないので、この事態を、相手の言動、行動をどう考えてよいか分からない場合。
分からなくても、怖がらない人はいますが、おとなしい人は怖がってしまうのではないかな。
それから若い人にもそういう傾向が有ります。

どう、対処してよいか、分からない。
だから怖い。

という場合です。
その場合は、判断力を増せば怖く無くなります。



しかし、単純に物事が分からないだけなら良いのですが、
判断力低い場合は、全員では無いが間違ったプライドを持つものだし、
相手を誤解しては自分の思いの通りに事態を解釈するものです。
なので、ハッキリと分類は出来ません。

やはり一にも二にも、判断力を増すことが求められます。




<怖れる人4>(2010年9月29日)


<怖れる人3>を読んだ方から感想が来ました。



「そういう人の心は常に他人からの攻撃が有る、と決定されていて、それへの対処で一杯になっています。
自分の考えから1ミリでも外れたことをする人を敵とみなすことは既に病気ですから
こういう人はしょっちゅうウツ状態になるか、本物のウツ病になるのです。
ウツ病の人に言語による説得は不可能。
何故なら原因は論理にはなく、自分の狂った感受性に有るからです。
感受性をマットウなものに直さない限り、どのように言葉を尽くして説得しても無駄です。」
 
今の職場で、こういう人が短期間だけ在籍していたのです。
まるで自分に起こる全ての悪い出来事が他人や環境の責任で、自分には非がないと
思っているかのようで、周囲のアドバイス(解決方法)は聞き流し(受け入れるつもりもなく
聞きたくもなかったのでしょう)自分に同情してくれる人を探すというか・・・。
 
その彼女、「うつ病かな?」と思ったんです。
たぶん病院に行ったらそう診断されたんじゃないかと思います。
彼女の思考は今に始まったわけではないようでしたし、ずっと昔から変わらないまま
だったようなので、家族関係も上手くいっていないようでしたし苦しそうでした。
(たぶん、彼女が気付くようにとどんどん状況も悪化していたのでしょう)
 
私も彼女から話を聞いていましたが、同情せず解決方法をアドバイスしていたので
そのうち相談されることも減ってきましたが、同情してくれる人への執着は凄かったようでした。
近くで彼女を見ていて思ったのは、彼女自身(彼女の心)が病を生んでいるなーと
いうことでした。
結局、辞め方もかなり自分勝手でしたし、周囲の人間に(お客様にも社内の人間にも)
かなり迷惑をかけたはずでしたが、自分の疲労した心のケアにしか関心はないようでした。
 
今の職場には100名以上の人間が働いているのですが、正直、彼女と同じような波動の
人はいないのだろうな〜と思いました。
仕事や人間関係という原因は表面的な問題で、あまりに波動が異なりすぎていたので
彼女が苦しくなったのかもしれない・・・なんて思います。
彼女の一番の問題は過度に怖れる心だったのですね。



上の赤い文字の部分ですが、さらに言うと「怖れる原因は間違ったプライドにある」と言えます。
無意識に
◆自分が大事
◆自分が一番大事
◆自分は脅かされたくない
◆自分だけは脅かされたくない
◆自分は間違ってない
◆自分だけは間違ってない
◆自分は正しい
◆自分だけが正しい
◆自分が可哀想
◆自分だけが可哀想
とかいう、間違ったプライドから発生する、間違った意識が原因ですね。


要するに普通の人と比べて我が強いのだと言えます。
これを昔風の言葉で言うと
「業が深い」(ごうがふかい)とも言います。
業というのはカルマのことです。
生まれる前に作ったのか、生まれた後で作ったのか、その両方か分かりませんが、
「現世の思い」(カルマ)の原因は「思い」ですから、それを変えるのは至難の業であろうと思います。

(※行動もカルマになりますが、そこに思いが付着しない場合は、ただ行動が発生するだけではないでしょうか?
   前世他人を不具者にしたので、今世自分が不具者に生まれてカルマを払っている。
   自分が現在不具者であることについては、特に感慨も無い、思いが暗くなりもしない、とかです)



<怖れる人3>(2010年9月27日)


こんばんは。
記事を読み、なるほどと思い、自己点検しました。


現代日本の息苦しさは、「怖れる人」があらゆるピラミッドの頂点にいること
=逆さまの時代なのだと思いました。

怖れ、というと、底辺でビクビクしているイメージですが、
その正体は、劣等感や不信感がベースのプライドかもしれない。

だからこそ、優位に立ち、他者を操り見下すのだろう、と。

そう思いました。


そうだと思います。



世界の中で最も怖れを抱いているのはどの国でしょう?
いや、国というよりは人種ですね。
それは白人です。

白人の歴史は征服されたり虐殺されたり、国が無くなったり支配されたり
疫病で大量に死んだり・・・凄まじい苦難の歴史です。
なので最初はアワな民族で森の精霊と共に平和に暮らしていた彼ら(ケルトなど)も
次第に変質していったのでしょう。
ここらへんのことも相似しょうに書いてあります。
民族は最初はどこもアワだった。
次第にサヌキ化して行った、とあります。

白人のやり方を見ていると、心根(根底)に怖れが有ることが分かります。
やられる前にやれ!
という考え方がその表れです。




個人の単位でも怖れを抱いている人の中には「やられる前にやってやる」となってしまっている人がいます。
自分が嫌な思いをしたくない
(嫌な思いへの怖れ)ので
相手が自分にやる前にやってやれ、と思ってしまう人は実際に居るのです。
何の根拠も無いのですが、当人にとっては相手はまごうことなき「敵」なので、
自分がそのように思うことは当然なので、それが良いのか悪いのか、適当なのか不適当なのか、思考しません。
そういう人は常に周囲に仮想の敵を作ります。
(これは国家の単位でも同じです。
  アメリカは常に仮想敵国を必要としていますが、怖れの表れです)


たとえば社共の先生2人もそうでしたね。
根拠も無く
(いや、本人達の意識の上では立派に根拠がある)特定の相手を敵とみなし、
相手が攻撃すると決めつけ、それならやられる前にやってやれ、という思考回路でした。
あんなに優しく温厚柔和なAさんまでが敵にされてしまうのですから、彼らの妄想は病的であると言えます。

しかし、この社共の2人のような人は例外ではなく、実際に居るのです。
そういう人の心は常に他人からの攻撃が有る、と決定されていて、それへの対処で一杯になっています。
自分の考えから1ミリでも外れたことをする人を敵とみなすことは既に病気ですから
こういう人はしょっちゅうウツ状態になるか、本物のウツ病になるのです。
ウツ病の人に言語による説得は不可能。
何故なら原因は論理にはなく、自分の狂った感受性に有るからです。
感受性をマットウなものに直さない限り、どのように言葉を尽くして説得しても無駄です。
(この人は自分の心が生んだ、周囲は敵である、という意識によって、
  今までの協力者を全員失いました。
  それでもまだ事態を理解できないのです。
  分からない人はとことん分からないのです。
  そしてこういう人が「アセンションとは」と説明しているのです)




怖れによって自滅する人、自滅する国が有るのでしょう。
既に波動は或る程度決定しているようです。
こういう人がこれから浮上する可能性は無いとは言いませんが高くは無いでしょう。




<怖れる人2>(2010年9月27日)


人間だもの怖いことが有っても当然と思います。
ライオンを目の前にして、怖くない人は居ないでしょう。
しかし、さしあたって危害は無いと思える状況下でも恐れている人がいます。
私が問題にするのはこのような人です。




そのことを怖いと思うには理由が有る。
それはその人の体験から生まれたのだと思います。
しかし同じ体験をしてもそれを怖いと思わない人も居るのです。
私などは何度ヒドい目に遭っても懲りません。
「塀の中の懲りない面々」という893が書いた小説がありましたが、
それと似たようなものです。

懲りないんです。

あはは!

懲りるには、懲りるための素質が必要だと思います。
その素質によって、一度で懲りてしまい、二度目からはちょっとしたことで
過去の嫌な記憶が呼び起こされて、今度はそのような体験はしたくない、と心が構えてしまうのでしょう。
それが「怖れ」ではないかと思っています。




そりゃ私だって何度もヒドい目に遭えば思いますよ。
(また同じ目に遭うかもしれないな)と。
しかし、そのことと「怖れること」は別物です。
同じ目に遭う可能性は有るな、と思うのは頭の作業ですね。
情報です。

しかし、怖れてしまうのは感情によります。

頭の作業と心の作業の違いです。

懲りる人は心でその件を処理するので感情が記憶され、それが怖れになるのだろうと思いますよ。

勿論頭人間でも心が全く動かないことはありません。
しかし心が動く、感情的になる人に比べたら、その度合いは少ないと言えます。




なので「ホ・オポノポノ」をヒューレン博士が広めているわけです。
今までの体験によって生成された怖れを「ゼロ」にするために。




怖れ易いタチの人は実際にいます。
何でこんなコトを怖れるのだろう?と驚き呆れます。
その人は何でも無いことを怖れることによって、さらに自分を窮地に陥らせているのですが、
自分ではそれを特に不味いとも変だともおかしいとも思っていないのです。
極めて当然のことだと思っているので始末に悪い。

こういう人を説得しようにも、その説得そのものを怖れてしまう。
自分への批判、攻撃と受け取るのです。
さらに拗れます。



しかしこのような態度は正しいものでは無いので(だって、根拠の無い怖れを元にしているのだから)

そのように思いことが間違いです。
なのでその人の運命は次第に本来の道からずれて行きます。
そういう人を知っていますよ。
その人はそれまでヒドい目に遭って来たため、他人の言葉は自分への批判、攻撃としか受け取れなくなっていました。

誤解の無いよう、書いておきますが、これらは低次元の人間が陥ることです。
判断力の有る人ならこのようなことにはなりません。
物事を見る目が暗く、正しく見られないことも常に自分が他人からヒドい目に遭っていると思い込んでしまった。
また他人を妬む気持ちが強く、それも自分を苦しめていたようです。


このような意識で生きること=心がヂゴク=地獄に生きている、ということではないでしょうか?



地獄から抜け出したいなら自分の意識を変えることしか有りません。
それしか方法が無いのです。

とは言ってみたものの、実はこの次元に居る人が多いと思います。
日月神が「世は八分通り獣の入れ物」と言ってます。
獣でもそれをすることが楽しい獣もいますよ。
(某国の政治家、船長などですね。彼らはそれをすることが楽しく得意になっているのです。
 獣の中にも苦しんでいる人と楽しんでいる人とが居る、という話)


その人には話しが通じなかったのですが、相手が縁を切って来ました。
そして自分と同波長の人と会話する方を選びました。
これは同波長の法則通りなので、良いと思います。
彼らは彼らの波長の中で、相手に対して「失礼の無いよう」気を使い、
自分はマットウだと思いながら生きていくのですが、それでよいのです。

同波長=天国
だから。




その天国内で誰かが愚痴を言うと、周囲がこぞって慰めます。
そういう世界が天国なのです。
そういう世界を天国では無いと思う人も居ます。
それが波長の違いです。




話が逸れました。

自分の人生の体験によって怖れの意識を作り出し、何を見ても正しく見ることが出来ず
心が防御姿勢になっている人。
こういう人がどうやら「世の8割」は居るようで、そうでは無い人にとっては大変生きづらい世界となっていますが、
それがこの時代の試練であると言えます。

怖れる人と遭遇して、言葉を誤解されたとしてもそういう場合は(ああ、怖れているんだな)と
冷静に頭で理解すれば良い。
というか、それしか方法がありません。
説得も不可能に近いからです。

少なくとも、自分は根拠の無いことで怖れる人にはならないでおこうと、意識することが大切です。




<怖れる人1>(2010年9月23日)


世の中には「怖れる人」が多いです。
怖れる人とは、
普段の意識が何ものかを怖れている状態の人
のこと。

「何もの」の内容は人だったり、コトだったりします。
人の場合は知人友人家族親戚など、自分が知っている人の場合と、
見ず知らずの不特定多数の人である場合があります。



怖れるコトの内容は様々です。

■自分自身を守れないことを怖れる
●自分が誤解されることを怖れる
●自分が非難されることを怖れる
●自分が攻撃されることを怖れる


■自分のプライドを損なうことへの怖れ
●自分が恥をかくことを怖れる
●自分がバカにされることを怖れる
●自分が失敗することを怖れる
●自分のプライドが傷つくことを怖れる

■自分が孤立することを怖れる
●自分が仲間外れになることを怖れる
●自分が周囲から浮くことを怖れる

■物質的に損をすることを怖れる
●自分が騙されることを怖れる
●自分が損をすることを怖れる
●お金が無くなることを怖れる
●貧乏になることを怖れる
●失業することを怖れる


など。

他にもあるかもしれません。
まだきちんと考えていないので、他にも項目があるだろうし、分類も適当です。



<恵まれてます>(2010年9月14日)


いつもお世話になっていますFです。
 
今しかない、と言う記事を読んで
過去も未来も今の自分の行動や思いに
影響されるんだと思うと
今で以上に毎日の生活を
ありふれた一日ではなくて
もっと意識して大切にすごしていかなくちゃと
思いました。
 
とはいえ
今年の夏は暑かったせいか
同居している義母はあちこち調子が悪くなり
内科、皮膚科、泌尿器科、歯科等
私は病院の送り迎えをしていました。
老人特有だと思うのですが
急に思い立って今から車に乗せて行って
と言うのが多くて
正直疲れていました。
 
息子の高校入試の合格祈願ために
お参りに行った神社があるのですが
入試の時だけの神頼みは
なんだか申し訳ない気がして
それ以来毎月1回お参りに行っています。
 
今日は義母の件で
もやもやいた気持ちを持ちながら
その神社へお参りに行きました。
そうしたらお参りをした帰りの参道で
ふと、自分が過不足なく暮らしていけるなら
人のことはどうでも良いじゃないか
と聞こえた気がしました。
 
そうなんですよね。
私の周りのママともたちは
家のローンのため、子供の学費のため
パート等長時間働いています。
私は現在専業主婦です。
自分のことは当たり前になってしまって
感謝がなくなっていたように思います。
 
何もなくても気づいていけるのが
ベストなんですが、まだまだです。
 
いつも記事ありがとうございます。



小学生が居ない主婦がパート仕事に出なくて済むなんて恵まれていますよ〜。
今は昔と違って共稼ぎじゃないとやっていけないような時代になっています。
お祖母ちゃんの送迎はたしかに面倒だけど、
病院の待合室で本が読めるし、細切れの時間を有効に使えば良いと思います。
 
恵まれていますね。
 
それはあなたの生き方がそれを可能にしているので、
自分のおかげでもあるんですけどねw

また、Fさんが大事なことに気づけたのは神社にお参りした後だそうで、
多分高次元の存在から、気づかされたのではないかな。
それは高次元に居るFさんの本体から気づかされた。



<「私、バカだから」>(2010年9月14日)


Rさんから。


話は変わりますが
800の「自分を利口だと思っている人」を読んでいて
思い出した人がいます。
 
その人はよく「私、バカだから…」と言っていました。
でも、とってもプライドが高い人だったんです。
周りも決して、その人を「バカ」とは見ないし。
 
私はその人の「私、バカだから」と聞くと
どこがどれだけバカなのか、その人に訊きたくなっていました。
 
とても屈折していることが何となく分かるので
面倒なことは避け、訊きはしませんでしたが。
 
「私はそんなにバカではない。」という人のことから
思い出した話でした。



だって、そんなの見れば分かるんだからさ、いちいち言わなくても良いと思う。
(勿論これは皮肉だけど)
Rさんの知り合いが「あたしバカだから」と言ったら「うんうん、言わなくても分かってるわよ♪」とか
「あんたのバカはここらへんじゃ有名よw」って言うのがいいね。



ここを読んで大笑いしました。
こんな風に言ってみたら、彼女はどんな顔をしたでしょう。
想像して笑ってしまいました。
 
とてもプライドが高く、他人と比べる人でした。
「私、バカだから…」とは実際には思っていませんよね。
 
付き合うのが面倒な感じの人でした。
 
いつも口癖のように言っていたのですが、
「いえいえ、あなたはバカなんかじゃないわよ」とでも
言われたかったのでしょうかね。
 
同じような感じことが最近もありました。
 
その彼女のことは実際には知りません。
時々ブログを読んでいました。
そのブログに、よく「私のぼけなすブログ…」という言い方が出てきます。
(※ぼけなす、というのは、私69が勝手に変更しました)
はじめは流して読んでいましたが
よく登場する言い方なので「ぼけなす」って何?
変な謙遜だなあと段々面倒になってきて
このブログをあまり読まなくなっています。
謙遜もほどほどに…とよく思います。



Rさんも書いている通り、その人はかなり面倒な人です。
関わらない方がいいでしょう。

自分で自分を貶(けな)し他人から
「そんなコトないわよ♪」と言われたいのは分かるので、
面倒だから、私だったら何も言わないか、二度とそのような発言をさせないために
「うん、相当なバカだよね、あんた、最低だね」と正直に言うしかないでしょう。
面倒だから言いませんが。

昔友人が子育てに失敗し、子供二人を登校拒否〜高校中退〜非行〜893登場〜家庭崩壊一歩手前
まで行ったことがあります。
私はその友人には十数年間
「それではダメだよ」と忠告したのですが、
言葉の意味が分からなかったようで、全然何も一つも理解しませんでした。
当時その人の息子がケイタイ料金一ヶ月で10万円以上、それを数ヶ月・・・とやっていて、家計を圧迫
「息子に死んで欲しい」とか言ってました。
私の言うことを何も理解しないのでこのような言葉が出ます。

とうとう或る日
「私、死んだ方がいいのかね」と私に訊くので「うん」と答えてやりました。
さっさと死ねばよいと思うんですよね。
人間一度は死ぬんだし・・・




私が「うん、そうだね♪」と答えたらその人は驚いていましたが、死んだ方が良いって言ったのは本人だし。
こういう人は頭の中ぐちゃぐちゃなんです。
全く整理が出来て無い。
なのでいっぺん死んで、ゼロからやり直した方が良いと思いますよ。




と、話が脱線しました。

誰でも或る面では利口、或る面ではバカなのです。
当たり前のことです。
だから、わざわざ「自分はバカ」と表明しなくても誰もがわかっているのだから、その発言は実に無用であります。
無用なことをする点が最もバカと言えますね。

本当に自分をバカだと思ったら、他人の意見に従順になれるはずなのでそれが出来なければ
自分をバカと思ってない、むしろ利口と思っている、ということになる。

また、本当に自分をバカと思っていれば賢くなりたいと、心から願うはずです。
バカだと様々なところで支障をきたしますからね。
バカなのに利口になりたくないのなら、それは自分をバカと思っていないことになる。
たとえその人に自覚が無くても、です。

私も若い頃からこの点では切実でした。
何故なら知能指数は高いのに、やっていることはまるでバカだったのです。
どうも親が原因なんですよ。
母は知能が高く頭が良いが、わからずや。
(この世代の人は殆どの人がわからずやです)
父は知能は低くは無いのだが、頭がとても悪く当然トンデモないわからずや。
なので、私は大変でした。
せめて人並みの家庭に生まれていれば良かった・・・とそればかり思っていました。
今でも思っています。
なので、どうにかして賢くなる方法はないか・・・と探していたら、そうじしょうと出合ったのでした。
本気で求めれば答えは来る・・・という事例です。



「私、バカだから」と発言する人は多い。
そういう時私は
「そんなコトないよ」とは言いません。
今自分のバカに気づいたのならそれを本気で直したいのなら、勉強しろ、って思いますが
大抵の場合は聞き流しています。
そういう発言をする人は本心で
「自分は利口である」と思っていることを、Rさん同様知っているからです。


<「私そんなにバカじゃないし」>(2010年9月12日)


下の記事<自分を利口だと思っている人1>と<2>を読んだKさんから。

69さん こんにちは

<自分を利口だと思っている人>を読んで
「私はそんなにバカじゃない」と言ってた人のことを思い出しました。
その時の話を聞いてもらいたくなってメールを書いています。

数年前の冬のことです。ある教室の夜間コースに通うことになりました。

最初に教室に入ったとき、広い教室に小さいエアコンがひとつしか
無いことに気づきました。これだと端っこの方の席は寒いだろうな、とすぐに想像できました。

席は、あらかじめ先生に決められていました。
先生からは10日に一度、席替えを行うと説明がありました。
決められた席で何か不都合がある人は個人間で交渉して席を移動するように、とのことでした。

いざ授業が始まると、思ったとおりです。エアコンがフル回転していても、
端っこの方の席の人たちは皆、寒がっていました。そして、その席の人たちは
翌日から服をたくさん着込んだりして自己防衛をしていました。



10日たって、最初の席替えがありました。
その席替えの翌日、寒い席から暖かい席に移動したはずの人が
「なぜか今日はとても寒い。エアコンが壊れたのでは」と発言。

先生がエアコンをチェックしに行きました。

先生「エアコンの風向きが変更されていますが…誰か触りましたか?」

そしたら席替えで暖かい席から寒い席に移動した人がにこにこして
「はーい。寒いのでエアコンの風向き変えましたぁ!」

あまりにもあっけらかんとした態度にあっけにとられる人、苦笑いの人。



それでも、その人に直接言う人もいました。

「また席替えがあるから、設定はずっと同じままの方がいいのでは。それだと寒いのも暖かいのもみんな公平だし」
「いままでそこにいた人は寒いのを我慢してたんだから。そこの席になったら服いっぱい着るとかして寒いの我慢するしかないよね」

その人は甘えたように笑いながら
「そんな事くらいわかってる〜。
私、そんなにバカじゃないし。でも、ここ、すっごく寒いの。私が風邪引いちゃうでしょ? わかる?」

その人はよくそんな感じで笑いながら「私そんなバカじゃないし」と言ってました
授業で先生に注意されても叱られても笑ってる人でした。

その人とは今はもう接点はありませんが、今も変わらず「私そんなバカじゃないし」と言ってるんでしょうか…。


それで先生は何て言ってましたか?

無邪気な子どもみたいなひとですね。と言ってましたね。

先生のその発言についてどう思いますか?

先生はそう言った後、宙を見て、小さくため息、という感じでしたので…。
子どもの相手は大変だぁと言う意味で、さりげなく皮肉も込めて言ってるのかと感じました。
もっとも、そういう意味で言っていても相手は察知しないだろうと思いましたが。
実際、言われた本人は言葉通り受け取ったのか嬉しそうにしてましたし。




Kさん、事例をありがとう。

その自己中な人はそのクラスでたった一人、理屈が分からず浮いていたんですね。
「私そんなにバカじゃない」と言うほどの人は、多分「クラスに一人」くらいの分からずやだと思います。
つまり相当な分からずやです。

そういう人に理屈を言っても仕方ないと、賢い先生は分かった。
判断力高いと思います。
クラスの中でその人に何故それをしてはいけないかと説明した数人はサヌキ性の強い人ですね。
サヌキであっても、反応するレベルがそれぞれ違うので、サヌキなら即文句を言うかといえばそうではありません。
この件に関して「黙っていられないサヌキ」の人が数人居た、ということ。

後の人達はサヌキでもこの件に関しては(ど=でもいいわ)という人か、
サヌキ性は強いのに発言が面倒な人、他の手段でやってやろうと言う人(たとえば、意地悪で返す、とか)
私のようなのは(こいつに言っても面倒だ)と、思います。
でも、我慢できなくなったらいきなり怒鳴りつける。
でも、それをするとクラスの皆さんが不快になるので、皆さんのため、全体のことを思って我慢するタイプ。

後の人達は不満に思いながらも発言するほどの勇気は無いので黙っている。
少数ながら「この件の何が悪いのか、分からない」人もいますよw
本当に人はそれぞれなので。




それはさておき。
この件から分かることは「私そんなにバカじゃないし」と言う人は決して利口ではなく、
むしろクラスに一人しか居ないくらいのバカである、ということですよね?

「私そんなにバカじゃない」という言葉をつい、使っちゃわないよう、気をつけて生きましょう。
(アタシも危ない)



<自分を利口だと思っている人2>(2010年9月9日)


下の方の記事<自分を利口だと思っている人1>を読んで閲覧者数人から意見が来ました。
まとめますと「でも、相手を最初からバカにして、相手がそれを知らないものだという前提で話をする人がいる」
というようなものでした。

たしかにそういう人は居ます。
どこにでも居ます。
しかし<自分を利口だと思っている人1>で私が述べたのは、そういう場合では有りません。
私は「他人を利口ではない」と思うよりも「このくらいは当然知っているだろう」という態度でいるからです。
私が「相手は何も知らない、無知である、アホである」という心の姿勢で何か発言して
それに対する返事が「私、そんなにバカじゃない」だったとしたら、分かるんですよ。

ところが、そうではなく、私は「こんな簡単なことは当然相手は知っているはずだから」という意識で
普通に発言(提案、質問)しただけなので、それに対して「私、そんなにバカじゃない」という返事が返って来ることが
理屈に合わないので、おかしい、と言っているのです。

具体例を挙げられれば良いのですが、それをド忘れしてしまったので、話が分かりにくいと思います、済みません。



それは別としても、主に職場でバカな上司などが、
相手がそれを知っているのか知らないのか、確認もせず、はなっから相手は「この件については何も知らないのだ」と
決め付けて、疑いもせずバカにする・・・というのは普通にあります。
私にメールをくれた方達の意見もそうでした。

そういう人はどこにでも居ます。
そしてそういう人に「確認もせず、相手が何も知らないと決めつけるのは止めてください」と正論を言っても
通じません。
だからそういう人が居た場合は(あ、バカだな)と、相手を理解すればよいのでは?

で、この時、相手をバカだと思うことがイコール、相手をバカにする、となってしまうレベルの人がいます。
@相手をバカであると理解する
A相手をバカにする
この二つが未分化のレベルの人は当然いますが、このサイトをご覧の皆さんは
それをクリアしていると思うので、書きました。




相手がそれを分かっているか居ないのか、確認もせずに相手がそれを知らない、分からないものと決め付けて
相手をバカにする人には、理屈は通じません。
だからそういう場合は感情的にならず、つまり心を使わず理解する、頭を使うのです。
一つも感情的になる必要がありません。


<自分を利口だと思っている人を読んで/Sさん>(2010年9月4日)


下の記事<自分を利口だと思っている人>を読んでSさんが感想を送ってくれました。

私が、随分長いこと、無自覚の間も自覚してからも苦しんでいる課題が、
ちょうど今回記事にしてくださった<自分を利口だと思っている人>に取り上げられていたことで、
非常に耳が痛いことではありますが、私にとっては、チャンスが来たような思いです。

私が取り組んでいる課題というのは、まさに【事例3】で言われているような「バカ」に関するもので、
「私、そんなにバカじゃない」「私はそこまでバカじゃない」なんて台詞も、
実際に言う機会は減ったものの、心の中では、まだまだそう思うことが多いのが今の私の状態で、
お恥ずかしい話ですが、このことが、かなり私の社会生活を脅かしています。

冷静に考えると、69さんが書かれているような整理の仕方をすれば、
バカにしている・されているという問題では無いのは明白で、
ここで(私はバカじゃない)という発想が出るのは明らかにオカシイと気付くのですが、
それを本当に「分かる」のは、本当に難しい…というのが、【事例3】の方と同じである私の実感です。

長年染み付いた癖・心の反応というのは凄まじく早く、咄嗟にそういう言葉が出てしまうんですね。

こういう人の心の反応は、

何か説明を受ける
→それは自分にとって周知の事だ
→なのに相手が「余計に」説明していると感じる
→自分が理解力が無いと思われているから「余計な」説明をするのだ
→私はバカだと思われている
→「私はバカじゃない」

…という感じでしょうか。

自分の事ながら実に面倒臭いですね…orz
ツッコミどころ満載です。



私の場合、さらにバカと恥、恥と失敗が結びついているので、
そのどれかに触れようものなら、もう気が気じゃないです。
結局、そこに自分の存在が脅かされるという無意識の強い思いがあるので、
過剰に反応するのでは?と考えています。
当然他人は、こんな心の反応を知る由も無く、
本人は自分で勝手に攻撃されたと思い込んで反応してしまうのですね。

気付いていない人が、年を重ねるごとに生き辛くなるのは明らかです。
病気になるのも頷けるし、たとえ長生きしても、幸せに人生を全うすることは出来ないでしょう。

修正しがたい性質ですが、気付けたということは治す機会が与えられたということ。
まだまだ、この性質から抜け出すのに時間が掛かりそうですが、この年で気付けたのは、ありがたいことです。

実は、以前から、この話題について69さんに聞いてみたかったのです。
69さんにとってバカというのは、どのような人のことを言いますか?と。

ブッチャケ言っちゃいますと「生きている人間なら皆、或る面ではバカである」と思っています。
全知全能は神だけ。
人間なら誰しもバカな部分が有る。
それを自覚して必要以上に卑下もせず、赤ん坊のように、偏りも変な意識も無い状態で生きて行きたいものですね。




Sさんのおかげで「私はそんなにバカじゃない」という発言の理由が分かりました。
私には理由が分からなかったので、ありがたいです。

忘れっぽいのでどういう状況で相手が「私はそんなにバカじゃない」と言ったのか
思い出せないって所がかなりバカな私なのですが(笑)人は皆、或る面ではバカで他の面では利口なのです。


しかし「自分はそれほどバカじゃない」という言葉はバカそのものですから、自覚して改めた方が良いと言えば良い。
この点を改めるならよし、改めなくてもそれなりに生きて行けるし、どちらを選んでも良いと思いますよ。


で、自分のことをここまで客観視できているSさんを誰がバカと思いましょうか?
かなり賢いと思うのではないでしょうか?
どのような行動を取っても発言をしてもそれを自覚して、客観視を忘れなければそれは既に「バカじゃない」のです。




こんばんは!
早速、掲載記事を読みました…!

あらためて、ありがとうございます…!

色々な意味で、とても意外なコメントでした。
というのは、

「生きている人間なら皆、或る面ではバカである」

これは…、
当たり前の事ですね…!!

ですが、全く分かってませんでした。



私は69さんと同じ事を随分前に別の人に言われていて、それを機会があるごとに思い出していました。

自分以外の人間が皆、大人に見える羨ましい。
自分もそうなりたいのに、いつまでも子どものようで嫌だ。とカウンセリングで相談していたのです。

そしたら、そこで
「皆、大人である面もあるし、そうでない面もある」
「優劣ではなく差異」
と言われたのです。

言いたいことは分かるけど、理解できませんでした。
でも、今回の69さんのコメントで「あぁ!!」となりました。

だって69さん、

>忘れっぽいのでどういう状況で相手が「私はそんなにバカじゃない」と言ったのか
>思い出せないって所がかなりバカな私なのですが(笑)
>人は皆、或る面ではバカなのですが他の面では利口なのです。

この言葉は、かなり説得力があります。
それに、「私はそんなにバカじゃない」という発言の理由が分からなかった、
という69さんの発言も私には意外で、ビックリだったのですが、
だからといって69さんのことをバカだなんて思いませんでした。

私はバカという言葉に余分な意味を込めていたようです。

なんてバカなんでしょう!

69さんの親切と優しさにいつも助けられています。
本当にありがとうございました。


こちらこそありがとうございました。
下の記事<自分を利口だと思っている人>が、より深く理解できました。
自分で書いた記事ですが、適当に書いてるもんで、皆さんが深く読み込んでくれたり、感想を送ってくれると助かります。




<自分を利口だと思っている人1>(2010年9月3日)


体験から「自分を利口だと思っている人ほどバカである」という教訓を得ました。
事例には事欠きませんので少しだけ書いてみます。



【事例1】

私がパート仕事をしていた時の社員(女性、年下、×イチ独身、ガン)。
とても良い人でした。
良いのですが、思考力が足りません。
通常よりは賢いと思いますが、それはその人が分かっている範囲内で賢いのであって、
分からないことについては分かることが出来ないという、所謂「普通に賢い人」です。
この人何が原因か離婚して一人暮らしをしていました。
良い人なんですが、他人の言葉が理解できない。
(自分が理解出来る範囲内の言葉しか理解できない=普通の人)

私が冗談を言っても本気に取って感情を拗らせる。
下手に冗談も言えません。
良い人なのに残念だな、と思っていました。

その人が私に言うには「69さんは損だ」と言うのです。
私が率直に言うのでその点で損をしている、と言ってました。
(ああ、この人にはこの程度までしか分からないんだな)と思いました。

その後、その人はガンが再発して死んでしまいました。

私は全然損をしていません。
何故なら私は率直にモノを言う点と、他人が誤解しないよう、コト細かく説明をしないので
誤解する人は誤解して嫌になって離れてくれます。
なのでそういう人と付き合う必要が有りません。
他人の話を誤解しては感情を拗らせて怒り、それを我慢するという無駄な作業もしません。
なのでガンにもなりません。
(いや、ガン細胞は誰にでもあるでしょう、毎日5000個出来てるそうです。でも、検査していないから見付からない。
  見付からないので、治療も受けない。だから元気です)


せっかく性質が良いのだから、勘違いを直せばガンを作って間違った治療を受ける必要も無かったのに。
ガンの治療は痛いし面倒だし金は掛かるし・・・良いこと一つも無いので、損ですわ。
この人天国から私を見ていたら、今頃何かを悟っていることでしょう。


【事例2】

私より若いが子供が4人いる主婦で、仕事もしています。
この人も何を勘違いしているのか、自分が主婦として有能だと思っているようです。

私は主婦仕事には全く興味が有りません。
近所付き合いもしないが、隣人とは巧くやっています。
それ以上親しくなろうと思わない。
子供の同級生の親とも、特に親しいのは友人のK子だけですが、それで足りています。
質の良い友人が少数居れば良いのです。

しかし、そういう私を見ると自分の方が主婦として有能である、と思ったのか
何かと言うと私に教えてくれるのですが、上から目線なんですよねw
「こんなことくらい知らなきゃダメだよ」みたいな?
私にとってはどうでも良いことなのですが、その人にとっては最重要事項なのでしょう。
価値観は人によって違いますからね。
ところが子育てに関して私が何かアドバイスすると、カチンと来ているようでした。
自分は教える人で教えられるのは苦痛、というタイプなのかな。

さて、この賢い奥さんのご主人がガンになり、胃を全摘したそうです。
あ〜〜〜あ。
です。
手術する前に相談してくれれば手術してはいけないこと、
抗がん剤も放射線もダメだってことを教えてあげたのに、一度でもガン治療をしたら後は拗らせて
治るものも治らずいつか再発して苦しみ抜いて死ぬのでしょう。

日常のこと、主婦仕事に関しては博識を誇っていた奥さんが
もっと大事なそんなことも知らなかった、という事例です。


【事例3】

何かする時、質問された時
「私、そんなにバカじゃない」「私はそこまでバカじゃない」と言う人がいます。
そういう時(ああ、バカだなぁ)と思います。

何故ならその会話の中で、その人がバカなのか違うのか、なんて話題にしていないからです。
どこからそのようなアイディア(私はバカじゃない)というのが生まれて来るのか理解に苦しみます。
何でこの話題からそのような結論が出るのか?
おそらくバカだからだと思いますよ。
実際そういう人には知恵が足りず物事には気づかず悟らないのです。


本当に賢い人は脈絡もなく「私はそこまでバカじゃない」なんて唐突なことは言わないものです。

【事例4】

若い頃の同僚で私より一歳年上の女性。
この人も我がままで物事が分からないのに、何故か分かっていると勘違いをしていました。
事情も分からず見等外れな説教をしたり、説明するといったことが多かった人です。
一歳といえども年上だったので、人生の先輩だと思っていたのかもしれません。

その後結婚してから、今度は姑がその嫁に食べ物を「食べろ、食べろ」と勧めるので泣いていたそうです。
その人は身体が細く、食も細かったので食べられなかったのだろうが、何も泣くことはありませんよね?
「いえ、もう食べられません」と言えば済むことです。

その人から「姑に食べろと言われて泣いちゃったわ」と聞かされて呆れた私。
その後、子供を二人産んでから40歳くらいで死んでしまいました。
原因は分かりませんがこの若さで死ぬのはガンなのではないかな。

自分に分かっていることは誰だって分かるんですよ。
自分が分かっていることを相手が分からない場合もあるだろうが、
それは自分と相手が分かっている事柄が違う。
また、同じ事柄に対しても分かり方のレベル
(高さと言ってもいいし、深さと言ってもいい)も違う。

なので、自分が分かっていることを相手が分からない場合しか分からない人。
相手が分かっていることを自分が分からないことを分からない人。
自己中心の人ですが、こういう人も生きれば生きるほど周囲と摩擦が生じ、
起こってくるのは不愉快なこと、感情的になってしまうことばかりになるのではないか?
それがガンを発生させ早期発見なんかしてしまって治療をしてしまい、
拗らせてしまうのではないでしょうか?




とりあえずこんな感じですが、自分を利口だと思っている人に賢い人は居ないものだ、という話でした。
そういう人にその考え違いを指摘してあげたいが、「自分は利口」と思っている人は
他人が何を言ってもバカにして受け入れないので、こちらとしては何も言えません。
面倒だし。

「自分を利口だと思っている人」・・・おかげさまで今、私の周囲にはそういう人は殆ど居ません。
皆さん普通に謙虚な人ばかりです。
あ、親戚に一人居るが(笑)その人も家族のゴタゴタで苦しい目にあいました。
なので少しは学習したかもしれません。



<レイキやる人の勘違い>(2010年9月1日)


レイキ創始者の人は、ちゃんと相手を見てその人にレイキを伝授して良いか確認してから伝授したようです。
なので創始者とその直弟子、直弟子が選んで伝授した人までは良いと思う。
(確認は取ってません。理詰めで考えているだけ)

しかしその後、その弟子達が相手をきちんと見ることが出来なくなったのかどうなのか分かりませんが
次第に変なことになって行ったのだろうと思います。
多分伝授した際は大丈夫だったのだろうが、伝授された後おかしくなった人が出て来たのではないか?

伝授する際には、相手の人が「その時マットウだった」のでしょう。
しかし一瞬で思いは三千世界に通じるといいます(高橋信次)。
一瞬でも低次元な思いを持てばその世界に通じる。
その後、思いなおして(反省や客観視して)その世界(幽界)から抜け出せば(思いを変えること)良いのですが
その思いに留まってしまうと、その世界(幽界)に通じ、そこからの影響を受けるようになる。

なので伝授の際には「その時波動が良い」ことだけではなく、
「長いことその波動を保っていられるか」を確認しなくてはいけない。
それをしなかったのではないか。
それ(長期間の観察)をすると時間が掛かる。

で、レイキは次第に低波動に堕ちて行った。
勿論中にはマットウな人かたマットウな人へ伝授されたケースも有ると思います。
しかし数から見たらそれはそれは例外的に少ないのでは?
そうでなければレイキやる人が殆ど変、というこの状況の説明がつきません。
(これは私の感触です。レイキやっている本人達はそれを「普通」「正常」と思っているのでしょう)

閲覧者の方から体験談が来たので掲載します。



さて、今日の二極化のお話、
わたしもこの夏、二極化をとても実感しました。
 
この「二極化」の話をしても、通じる相手と通じない相手もいて、そこでも二極化だなぁと感じています。
 
わたしは以前レイキにはまって極めようと思っていましたが、「800」に出会い、その後そのティーチャーと決別する事態が起きました。
今考えても、わたしのハイヤーセルフが、気づかせるために「800」を検索でひっかからせ、
800にのっていた「人格のまずい人」そのものだったため、導かれたとしか思えないような展開でした。
 
そのときのレイキ仲間たちは、いまでもそのティーチャーの教えを守っているようで、
わたしが何を言っても、耳を貸そうとしません。
「わたし達は、ヒーラー」「ティーチャーは、霊感もあるしすごい人」という考えから抜け出せないようです。
そのティ−チャー、どうみても低級霊と繋がってる「金」と「権力」が好きなひとなんですけどね。
 
そんな風に考えている時点で低級です。
低級な人は「生きている低級霊」です。

思いあがるくらいならレイキはやってはいけない。
なのに、そういう人達は「思いあがりたいから」レイキをするのでしょう。


この春、その中の1人の仕事を手伝うことになり、
短期間お手伝いをしていたのですが、
とても要領が悪く、客商売をやるにはまずいなぁ〜というレベルなのです。
気も配れないですし、そういう人はまず気もつかないんですよね。
 
その程度の判断力の人は多分会社でも地域でも子供の親との関係でも巧くやれず
浮いてしまうのではないか。
なのに謙虚さが無いので、そういう無能な自分のプライドを満足させるためにレイキをする、のでは?
レイキする人の中には始めた切っ掛けが「不幸」という人が多いように思える。
不幸の中身は「離婚」「旦那の浮気」「夫婦仲悪い」「自分がウツ病」「子供の問題行動」「子供の病気」
などです。
これらは素直になって日々判断力を上げていかなければ、心情的にも解決はしません。
(※実際にその問題が解決しなくても、心が平静になることを「心情的に解決」としました)

しかし、レイキやる人の多くが素直でも謙虚でも無いので、それが出来ない。
物事を解決するために自分の能力(物事が分かること)をつけるのではなく
自分の才能(技術や知識)をつける方を選ぶ。
ところがこれが世の中では「普通」なのです。
普通という意味は「世の殆どがこのタイプ、レベルである」という意味です。

ただし、レイキやる人の中にも「物事を分かっていけるタイプ」の人がいます。
そういう人は最初はレイキをやっていても、次第にそこから離れます。
このメールを送ってくれた人もそのタイプです。
この方のような人が800の閲覧者には大変多く、沢山の情報が寄せられています。

私はレイキを悪いとは言っていません。
良く読めば分かるのですが、この文を読んでも分からないレベル(判断力のレベル)の人では不味い。




なにより、彼女にお願いされ、他に人がいないとのことだったので、
彼女を助ける意味でも何か役に立てれば、とお手伝いしたわけですが、
なんと、交通費や駐車場代などの経費は自分持ちでした。
 
交通費・駐車場代・食費・日当を払うのが筋ですね。
それって当たり前だと思うのですが、人によって当たり前のレベルが違うのだ、ということですね。

当たり前であると感じる、思うレベルが違う場合は付き合っても苦痛が増すだけなので
そのような交友関係は解消した方が良い。
とは言え、そういうことを体験するために、そのような成り行きになったのだと思います。
自分の潜在意識がやっています。

(※他には「笑うところ」「怒るところ」が不一致だと付き合うのが困難です)

自分が彼女の立場でしたら、自分の仕事を手伝ってもらうわけですから、
交通費や駐車場などは「必要経費」として、きちんと払います。
しかし、こういう人ですから、気がつかないわけです。
 
レイキを学習するその前に普通のことを学習して欲しいですね。

わたしは、自分も人がいいな〜と思いながらも、
まぁ自分も好きで手伝った部分もあるわけですし、
これはある意味勉強代になったなと思うわけです。
 
なにより面白いのは、こういう彼女が周りから評価されています。
わたしは縁を切っていますから、周りからみると自分達の仲間ではない、どうでもいい人なんですよね。
傍で見ているとまずいと思うんですけど、いずれレイキも霊感商法だと叩かれるようになるのではないでしょうか。
まぁ●●のように、マルチ商法だとわかっていてもやる人が多いので、
同じような形になるのだと思いますけど。
 
前でしたら落ち込みましたけど、
今は逆にそういう人たちの意識がわからないので(笑)、接点もなくなってきました。
波動の違う人たちとはかかわりがなくなってきていますね。
 
レイキエネルギーを伝授された人は、とても凝り固まっている印象がありますが、どう思われますか?

凝り固まってますね。
低級という意味の中には「凝り固まる」という意味も入っています。
面白い体験をしましたね。



はい^^
面白い経験でした。
 
さきほど書き忘れましたが、
わたし、このときはお手伝いでしたので、お礼はランチ一回分だけでした。
何日間も、何時間も、お手伝いしたのですけれど、感謝に値しなかったのでしょうね。
 
気づかないし感じて無いですね。

短期のそのお手伝いが終わると、
彼女からは「ありがとう」ではなくて、
「やっぱり、幼稚園だとお互いに子どもを預けるのが大変だから、今度は小学生のママにおねがいするわ〜」でした。
空いてる時間はすべて欲しいと、さんざん付き合わせておいて、言われた言葉がこれでした。
 
ほかのレイキ仲間は、遠隔していただけですよ。
その遠隔も彼女はありがたがっていました。
わたしは受け取りを拒否しました。
それなら、一緒にレイキをされているお仲間さんが、身を削って応援してあげたらいいのになぁ〜と思った出来事です。
 
その人、思考方法が滅茶苦茶ですね。

遠隔は、やるほうも「お手軽、お気楽」で、カンタンですからね。
「大事なものは、目に見えないんだよ」って、こういうことにも当てはまると思いました。
 
 
わたしが抜け出ることが出来たのは、69さんが書いてるとおり、態度を豹変させたり、
うわべだけのHさんみたいなことを言っていたり、おかしい見本をこちらで知ることが出来たからです。
 
一番最初に69さんに依頼をしたときは、フラフラしていて、
そりゃあひどいものでした。



自分の中に考える基準(価値判断)が無いと、人はフラフラします。
そこから抜け出さない限り周囲には不味い状況が発生して「一刻も早く考えよ」と迫りますね、運命が。

しかし、まぁ、このような体験をするのも悪くありません。
勉強になります。



<硬い人>(2010年8月31日〜9月1日)


心が硬いという意味です。
Mさんから報告があったので載せますね。




69さんが不妊について書かれますよね。
そこで私も色々分析しました。
 
不妊の方の特徴って、ひたすら頑固だと思うんです。
人の話を聞かない。
 
で、医者の言いなりにはなるので、色々な注射や薬だけを頼る。で、ますます出来ない。
 
もっと他人の忠告を聞けばいいのに・・・・とバカらしく思い、いい事を教えてあげようと思えません。
 
69さんの言うように、子どもがいる人を妬むんですよね。
 
子どもを産めば、痛いし、余計なストレスもあり、いい事悪いこと色々あることをわからず、
ただひたすら子どものいる生活に憧れる。
「私の夢はいつまでたっても若くてかわいいお母さん、と呼ばれるのが夢!!」
と10年前に言っていた友人は未だ不妊症で悩んでいます。
そもそも、子どもをもつのに安易すぎるから出来ないんじゃない?とツッコミたくなりますが、
わからず屋で頑固な彼女はキレるので言いません。
 
私だってとても生理不順だし、冷え性だし、二十歳には婦人科の病で手術しました。
でもすぐに子どもが出来ました。だから彼女と私を比較してみますが、心の違いが大きいのです。
もし彼女が素直なら、800でも教えてあげて、
自分の夢を叶えれる方向に向けてあげようとずっと思っていましたが、
今日彼女に会い、ますます心がガチガチになっているのを見てやめました。
 
800の閲覧者の方が妊娠したというような記事を読むと、本当によかったなと思います。
心の変化があって手に入れたんだなと思うと69さんありがとう!!!と思うのです。
しかし800も縁の問題で
いくら紹介しようと思っても
その人がその高さに来ていないとどう説明しても無理ですね。
 
本当に心の時代だと思います。心のレベルは幸せレベルと同じだと思います。
 
もう友人は駄目だなと見切りをつけたのでした。
すみません。長々と・・・



不妊の人は心がガチガチです。
それから子宮の辺りがとても冷たいように感じる。
私は霊能者では無いのに、初対面の、不妊の人を見て一瞬でそう感じました。
これも或る意味チャネリングですかね。
で、この直感は当たっていると思うんですよ。
 
 
子宮が冷たく、硬ければ子供は出来ないでしょう。
出来てもすぐさま流れてしまうのではないか?
受精しても着床できないか、しても、知らないうちに、ほんの初期のうちに
流れてしまうのではないかと睨んでいます。
 
 
着床って言葉にはトコって意味がありますよね。漢字から。
それは赤ちゃんが眠る床(とこ)=布団、のことでは?
敷き布団と掛け布団がありますよね。
それ、子宮のことですよね?
子宮は赤ちゃんの大きさに合わせて大きくなるんだから、
赤ちゃんは子宮という布団にくるまれていることになる。
 
ところが、心が硬くて冷たい人は、子宮も固くて冷たく、
誰もそんな寝心地の悪い布団では寝たくないと思うように赤ちゃんだって嫌ですよ。
 
あなたがその人に見切りをつけたように、赤ちゃんもその人に見切りをつけたのでしょう。



彼女は学生の頃、生理不順の為に毎月注射をしていました。(ホルモン剤です)
私は注射をやめるように言いました。まだ学生だったので不順であっても問題ないと思ったからです。
でも聞いてくれませんでした。
 
また、過激なダイエットをしており、それも将来が不安に感じたので、ダイエットをやめるように言いました。
もともと痩せているのになぜダイエットをするのか不思議でしたから。
またまた聞いてはくれませんでした。
 
そして現在不妊です。
当然だと思っています。しかし心を変えれば何とかなると思い、800を紹介しようと思ったわけです。
 
心がガチガチの意味が本当にわかります。
融通が利かない上に頑固。
将来頑固から癌になるだろうなと心配しています



その人、そんな若い時から身体のことを心配しすぎ。
不自然なほど身体に注意を向け過ぎです。
自然でよいのにね。
 
また、友人の話は聞かないが、医師の言うことなら聞くんですね。
なるほど。
それって、友人をバカにしていますよね。
そして権威が好きなんだな。
私が知っている不妊の人もそうです。
似ていますね。
 
 
 
あなたにお子さんが居るのを見ると妬ましいでしょうねぇ。
地獄ですね。
自分でそうなっているとは言え、気の毒です。



彼女の家系は皆不幸なんです。
家族が難病に指定され大学病院で薬漬けや早死になど。
 
どうも家系的に他人の話を聞かないですね。幼馴染だから沢山助言はしました。
私が彼女に子どもを産んでほしかったのは、主人の知人を紹介し結婚へと結んでしまったので
何とか子どもが出来れば!!!と思っていました。
しかし、今日の彼女をみて今後付き合いはやめようと決めました。
二極化と言われますが、次元が違うと本当にもう交わらない時代になってしまったようです。
 
私自身、不思議なことに、素晴らしい人たちの出会いが増えました。
だからその方々に置いて行かれないよう、私もどんどん波動をあげたい。
そして周りのみんなが幸せになってほしい。心から思います。
今日は彼女から貴重な体験をもらいました。
きっと数年前の私は同じ次元にいたと思います。
800を知ったお蔭で魂が上昇をしています。
69さんが相手が理解しない場合に「ガッカリした」と言われる意味とてもよくわかります。
決して高い位置からの話ではなく、相手の事を思う気持ち、ただそれだけなのに伝わらない辛さ、痛いですね。
子どもがいるから幸せかどうかは分かりませんが、人並みに子どもを持つ経験はとても大切だと思います。
子どもがいるから成長することって大きいので。
でもきっとその位置まできていないのですね。
 
すみません。愚痴っぽくなりました。
不妊は病院で治さず、心を治すべし!!!
それにつきると思います。



Mさんのような体験をして、Mさんのような気持ちになっている人は多いようです。
昔からの知り合い、友人が「判断力乏しい」「考え方・心の姿勢悪い」と、親切心から助言してあげたくなります。
が、相手は
「判断力が乏しい」ので言葉を理解しないし、
「考え方・心の姿勢が悪く」助言を聞くと感情的になるだけ。
相手が素直で謙虚である場合のみ、助言を受け入れますが、そういう場合は殆どありません。

分からない人はどんな目に遭ってもなかなか分からない。
本人の潜在意識(ハイヤーセルフ・守護霊)は、日々本人(自分)に分からせようとしているので
そういう人は困難な人生を歩むようになる。

学生時代には似たようなもの(同波長)だったMさんと友人は
卒業後10年以上経ったら
●環境的にも(方や子供居て健康。方や子無しで病気)
●心情的にも(方や日々何事かを悟る方向に生きているので、困難の前に気づくことが出来、
          困難は無いか軽くなり、毎日充実。
          方や自分には分からないことは無いと無意識に思っているので、
          自分と同等の相手=Mさん、が言うことは耳に入らない。
          自分が権威と認める人の言葉だけは受け入れる。
          しかし根本的な解決にはならない、従って日々苦悩)
ここまで差が開いてしまいました。



10年、というのは人が変わる目安のようです。
刑務所にも、10年入れておかないと犯罪する癖・心の姿勢は改善されないそうです。
10年の歳月は人を大きく変えますね。
まぁ、10年経たなくてもMさんはサイトへ来たのは数年前だそうで、
たった数年でもここまで変われます。
意識すれば短期間でもかなり向上する。
意識しなければ何年経っても同じ場所(心の位置が同じところに居る、という意味)は変わらない。

人類の二極化(大きく分けて二種類、細分化すれば沢山)が進んでいるそうですが、
その証拠のようなものを毎日のように目にします。




追記。

不妊の人や赤ちゃんが居ない人の中でも、そのことに関して感情が拗れていない人もいます。
こういう人は
@今世は子育てをしない生き方を選んだ
A魂が地球に生まれるのが初めてか、回数が少ない宇宙人
B子育てをしなくても良いほど、魂が向上している

などが考えられます。
@の場合は、前世一生を子育てをして終わった人が居て今世は子育てをしたくないと魂が決めた、という場合がある。
  子育てをすると楽しい反面、面倒だし大変だし自分の好きなことをやれない、などマイナス面も沢山あります。
A宇宙人は子供を持つと魂の縁やカルマ(カルマには良いのも悪いのもある)を作るので子供要らない。
  魂の質は高い。
Bの場合は過去世で子供を育て学習が終わっている場合。魂の質は高い。

この他にもあるでしょうが。




<懇願する人>(2010年8月27日)


お母さんが入院しているので、付き添っていたYさんが病院内で目撃しました。

病院内でエレベーターに乗っている時に、
ボケたおじいちゃんが車椅子で乗ってきました。
おじいちゃんは「神様、入れてください。神様、入れてください。神様、入れてください」
とレコードの針が飛んだようにずっと繰り返してまして。

何とも悲愴感が漂う、必死なお願い、という感じなんですよ。
顔を見たら完全にボケて正気じゃないんですけど、
魂は何か見えていて、どこかに入りたいのに入れないのかなぁ…と思いました。
気の毒でしたが、あんなに必死に懇願する人を
初めて見たのでちょっとびっくりしました。


お爺さんは呆けてしまったので顕在意識が邪魔をしないので
潜在意識が表面に出ているのでしょう。
潜在意識では皆、人は神様から離れて(神の教えを無視して)は生きていけないことを知っている。
だから、必死で神様に「入れてくれ」と頼んでいるのでしょう。

老人は子供のようになると言いますが、子供も顕在意識が発達していないので
潜在意識で生きているのです。
だから願いは叶い易い。
「七つ前は神の内」というのは、子供は潜在意識で生きていること=神の領域で生きていること、
だからですね。
このような言葉が有るのは日本くらいではないか。
(東南アジアでは子供の頭の上に神が居るので、日本人が現地の子供の頭をなでると怒られます)
(ネパールでは少女を神の化身のように扱う風習があります)

通常の正常な大人は顕在意識が活発に働いていますから、
潜在意識が前面に出ることはあまりありませんが、リラックスしている時には「ふと」出て来るそうです。
◆トイレの中
◆乗り物の中
◆寝入りばな、寝起き寸前
だったかな。
これらの時が顕在意識が邪魔しない時です。




それにしても神様に「入れてください」と懇願するお爺さん。
そこに入れるといいですねw




<後の者が先になる>(2010年8月7日)


「後生畏るべし」という言葉が論語の中にあります。
http://koyomi8.com/doc/mlko/200702010.htm
【後生畏るべし】 (こうせいおそるべし)    
自分より後から生まれてくるものは、年が若く気力もあり、将来への可能性をもっているから、
一生懸命学問に励んだら、その進歩は畏敬するべきもの  があると言うこと。 出典は『論語』。




「後の者が先になる」という言葉の前に「先の者が後になる」という言葉がくるらしい。
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/tarita/page40.htm


イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。
すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。
イエスは一同に言われた。
「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。
家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、
『御主人様、開けてください』と言っても、
『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。
そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、
また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。
しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。
不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。

あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、
自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。
そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。
そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。




心を進歩させるためには素直さが必要です。
頭が良いことよりも重要。

若い人は大人よりも素直です。
(あくまでも平均値の話。個人差は大きい)

大人の中にも素直な人は多いが、なかなか分かることが出来ないのは
その人が生きて来た過程で沢山の余分な情報や感情が溜まってしまっているから。
これが分かることを邪魔します。
人は無意識に「自分は間違って無い」「自分は正しい」と思い込んでいるもので、
それを意識化させ、「何故そう思うのか」「それは正しいことか」と、考えさせなくてはなりません。
そうじゃないと、既に「自分はコレで良い」と思っているところへ「新しい情報」「新しい概念」は入らない。

若い人は大人と比べると、余分な知識、情報が無いので、心が素直なら
どんどん新しい知識と情報を吸収することが出来、概念の方もすんなりと理解することが出来ます。




若い人=後生
若い人=後の者(人)
と、言えますから古代中国の賢人や古代イスラエルの聖人が言った言葉は今も通用するのです。




私がしょっちゅう占いを(無料で)依頼しているPさんはウチの倅よりも年下です。
記事の素材の選び方、料理の仕方、占いの腕、文章の切れ味の良さ・・・どれを取ってもかなり高度です。

(ウチに何度か遊びに来たことがあり、半月ほど滞在していたこともあります。
  その間、ビシバシ訓練するわけですよ、私がw
  この時「だって」とか「でも」とか言って、自分の波動を上げずに今の自分の波動で受け答えをしていたら
  決して波動は上がらない。
  その時、自分には理解出来ないことは、波動が低いから理解できないのであって、分かりたいなら波動を上げて
  そのことが理解出来るまでに、自分が向上すればいいんです。
  ところが多くの人にはこれが出来ない。
  でも、若い人の中で素直な人なら歯を食いしばってやれます。
  一度に分かることは出来ないので、毎日自分で自分を訓練することも必要ですが
  たまには合宿して特訓を受け、脳に刺激を与えることも効率化の面から言えば、良いアイディアです。
  人間は急には変われません。
  毎日真剣に訓練をして一年経てば自分で自分が「変わった」「前より良くなった」ことが分かります)

  
先日若い方からメールが来ました。
年齢を聞いたらPさんと同級生だったので「Pさんはあなたと同学年ですよ」と書いたら驚いていました。
「ずっと年上だと思ってました」と。
しかしこの方だって訓練次第ではPさんのようになれます。
「やる」と決めれば良いのです。



そうじしょうの先生(女)は著書の中で「私は若い人しか期待しない」と、何度も書いてますが、
多分上に書いたような理由からでしょう。


今、先を歩いている人も油断、慢心すればすぐ追い越されます。
本当に
「後生畏るべし」「後の者が先になる」のです。


<無駄な笑いを笑う人>(2010年7月31日)


「無駄な笑いを笑う人」とは「不必要な笑いを笑う人」のことです。



ユニバーサルロー通信があるサイトの他のページ。
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/tomokop/uranai.html
ここに、「無駄な笑いを笑う人」のことが書かれています。
この管理人さんは、ダウジングなどで鑑定をする人ですが、
対面鑑定の際に

申し訳ありませんが安いからという理由で、軽い気持ちや興味半分の方はお断りしております
笑ってばかりの方は、真剣に聞きたい気持ちがないと判断し、
疲労するのでお断りします。
チャネリングとダウジングでハイアーセルフからのメッセージを伝えるのがメインです。
占いは参考程度にしか使わないので、占い鑑定だけを御希望の方は受付できません。
だそうです。



実はワケも無いのに笑う人がいます。
多分「私はあなたに敵意は持っていません」「この場をなごませよう、明るくしよう」
「相手から私を明るい人であると認識してもらおう」「笑っていれば相手は敵意は抱かないだろう」とか
そのようなことを無意識無自覚に思っているのでしょう。
無意識無自覚に思っているので、笑う人には自分が笑う理由は分かっていません。
でも、何となく経験から「この場は笑っておこう」という心の姿勢になっているのでしょう。

このような、無駄な笑いを笑う人はどこにでもいます。
私の地元にも居て、子供会の役員をその人と一緒にやった時、大事な報告があるので会ったら
何が可笑しいのか、最初から最後まで笑っていました。
この方は判断力が大変低く、性格は良いのに周囲は常に面倒が生じていました。
そして悪いのは常に周囲であると、思っていました。

また、私では無い人が主催したOFF会に参加したら、そこに笑う人がいまして
その人は他人の発言の内容が良く理解出来て無いようで変なところで笑いまくっていました。
その様子を見て申し訳ないが(お客さん相手の商売をするのはこのレベルでは無理)と判断しました。
その後、やはり大変不都合なことがこの方に生じましたが、上の方同様、悪いのは周囲であると思っているようです。

また私とは面識の無い方と電話で会話したことがありますが、この方も理由も無く笑っていました。
いろいろ不都合なことが生じているようですが、それはこの方のこのような心の姿勢が原因ですね。
この方も性格は良いのですが、判断力が乏しいために、いろいろ不都合なことが生じるのです。



女性には「この場は笑っておこう」と、無意識無自覚に思って、ひたすら笑う人がいます。

そのことが思考する機会を奪っていることに気づいていません。
笑っていれば相手は楽しくなるだろう、少なくとも自分に敵意(嫌悪)は抱かないだろうと
確認もせず思い込むことも、自己中心であり、考え無しです。
こういう人の意識は進歩することがなく、いつまで経っても何も悟ることはなく、その意識レベルの場所に心が居続けます。
「光の話」でいえばFさんのような人です。

最初に紹介した管理人さんは私のように細かく解説はしませんが、
多分私と似たようなことを思っているか、何となく感じているのだと思います。




しかし、このように無駄な笑いを笑う人は同じレベルの「無駄な笑いを笑う人」と同波長なので
同じ波長同士で仲良くやっていけるのだと思うので、それで良いと思いますよ。
そちらはそちらで楽しく笑って生きれば良いと思います。

私などは相手が無駄な笑いをしていると、嫌になり、これ以上親しくなりたくない、と思いますが。

無駄な笑いを笑うことが楽しい人とそうでは無い人とに分かれて行くことでしょう。
異質なものが一緒に居るのが苦痛なのであって、同質同士なら天国なのです。
人によって天国が違う、という話でした。




<インナー・チャイルドの定義>(2010年7月16日)


インナー・チャイルドの定義を私なりにしてみますと、
「子供時代に、自分の思いや感情を周囲の大人に受け止めてもらえなかった大人の心に存在する、
  子供だった当時の思いや感情」
です。


<異波長/Qさん>(2010年7月15日)


Qさんという方から、或る方についての問い合わせがありました。
Qさんはその方のサイトや動画を見ると気分が悪くなるそうです。
なので、「この人はマトモでしょうか?」という問い合わせでした。
(私がQさんの話を要約しました)

で、●●って知ってます?
 
私、物凄い違和感を感じるんです。
自己中というか、なにか精神世界とは違うような、何とも変な感じ。
69さん、唐突ですが、どう思われます?
 
youtube見ながら感じる違和感なんですが・・・



私はこの方のことを知らないので、第三者の意見を聞こうと
友人のPさんに占ってもらいました。
Pさんはコト細かに検証してくれました。


結果は「マトモ」でした。
私もこの方のサイトを見てみましたが、特に感銘を受けることもなく、
この方について行く人は陶酔次元であろうと、思いました。
Pさんがこの方について書いた記事を読んだQさん。


記事読みました。ありがとうございました。
 
私の感じていた違和感は、単なる波長の違いだったんですね。
 
てっきり、この方は偽物だと思ってました。
失礼しました。
この方を好むタイプはたくさんいるでしょうが、私は女性から程遠い性格なので、69さんのストレートな発言でないと楽しめません。
 
やはり2012年にむけてメッセージを伝えていく様々なタイプがいて、それを自分で選択し波動を上げていくのでしょうね。
マトモなようでよかったです。
ちなみにコメントにありました、「上をいっている
」ですが、
自分ではわかりませんが、きっと光の話やらで、成長した証だとしたならば、69さんありがとうございます。
 
しつこいですが、偽物だと思ってました・・・・・・(失礼)

うん、単なる波長の違いだと思う。
「未来からの生還」という本に書いてありますよ。
 


要約すれば、
自分より下の界の霊を見ると、おぞましくて気分が悪化。
自分より上の界の霊を見ると、眩しくて気分が悪化。
自分と同等の界の霊が最も心地よく、天国に思える、と。
 
これは読むと良い本です。

<お手軽スピ/Wさん>(2010年7月10日)


800(YAO)の『光の話感想』にある、お手軽スピについての記事を読んで思った事を書きます。
 
 
2年半ほど前、仕事や両親との関係に問題が続出、ストーカー騒ぎまであり、疲れ切った私はスピの世界に出会いました。
私はすっかりハマってしまい、ありとあらゆる、本やインターネット記事を読み漁りました。
中でも『お手軽スピ(ワクワク系)』は、即効性があり、嫌な事があってもすぐに良い気分になる事が出来るのです。
落ち込みやすい私は、この方法に依存しました。と、いうかこの方法を極めていけば、人生が開けると信じていました。
 
でも、ある日・・・なんか違う、という気がしたのです。
私にネガティブな思い込みがあって、それを消し去っていないからかも知れないのですが(笑)、
『私は何も考える事が出来なくなっている』事に気が付きました
嫌な事があると、ワクワクする事を考える・・・私の場合は思考を停止させていたようです。
 
以前に比べ、随分状況が良くなったのではないか、と思っていたのですが、何の事は無い。
以前と同じような問題が起こったときに、何も考えられない、思考停止した私が居ました。
 
某サイトも読んでいる、記事の意味も分かる(分かったつもり)、でも自分の生活に全く生かせない。
知識ばかり詰め込んで、何も考えていない私。
愕然としました。
 
会社で上司から「お前は何も考えていない」と言われ、ムカついていましたが、上司の言わんとしている意味がわかりました。
これからは、知識を仕入れるよりも、「思考する」事に注力します
 
『お手軽スピ』の良くない所は、楽だから依存する、精神が弱くなる。
だからもっと依存する・・・の循環にはまるところと思います。
腰痛用のゴムバンド、ってありますよね。
あれと同じで、バンドをつけている時には、すごく楽になりますが、腰痛を治してはくれない。
長期にわたって装着し続けると、体がゴムバンドに依存して、筋力が弱くなり、良くなるどころか腰痛自体が悪化します。
 
私の経験上、『お手軽スピ』は疲れ切った精神のリハビリ初期に向いているのではないかと思います。
精神が疲れ果てている、弱りきっている時、救われた気持ちになります。楽になります。
楽になったところで、「思考力をつける」努力を重ねる。自分自身に向き合い、人間力を高める。
結局、ここに向き合わないと、本当の意味で生きるのが楽にはならないと思う。努力なくしては結果は得られない。
 
以上です。



Wさん、報告ありがとう。
良い体験をしましたね。
お手軽スピはWさんが言う通り、精神が疲れてしまい思考力を無くしてしまった人には
優しく心地よいので効果があり、その意味では「良い」と思います。
でも、体力がついたらそこから出るのが良いと思う。
もう病気では無いのだから退院した方が、自然です。


<一般論と個人>(2010年7月8日)


Aさんはサイトに書かれていることを真面目に読んでも、それを自分のことに置き換えることが出来ない。
つまり「一般論」は理解出来るが、それを自分のこととして理解することができない。
しかしこれが普通なのです。
殆どの人はその状態です。

なので何を読んでも聞いても、それはあくまでも「一般論」であり、自分とは関係の無い話になってしまう。

でも、素直な人は「それはあなたのことですよ」と言われると、「ああ、そうか」と思います。
でも、指摘されないと「それが自分のことである」と、気づくことが出来ないのです。
これが盲点です。

人間は全て見えて全て分かる人はいないので、全部分かれ、気づけとは言いません。
それは無理です。
でも、一般論を知って「それが自分に当てはまるのではないか」と、常に客観視する心の姿勢が無いと
「常に他人のことを考え、他人のために生きている、自己中心の分からずや」のまま過ごす。
不味いことに本人には「良いことをしている」という自覚しかないので、決してそれを「悪い」と思わない。

そうやって数年〜十数年〜数十年が過ぎ、終わるのです。


そうならないためにも「イマイマにキを入れよう」と言われてもその言葉を受け取るだけで
本当に理解が出来ない人の方が多い。
これは学問ではなくて「当たり前のこと」を言っているだけなので、難しく無いのですが、
その難しく無いことが物凄く難しい。




出来るなら「一般論」を知って、次にそれを自分に当てはめて考えた方がいい。
これだけ「一般論」を語っているのだからその文章から理解した方が良いと思います。
そうじゃないと、一般論を散々読み、それでも意味が分からなくて、個人の問題として誰かに解説してもらなわなくてはなりません。
今、ここでAさんが私に解説してもらっているように。


Aさんを貶めようと言う気はなく、ここで解説しているだけです。
Aさんが自力で分からないようなので、解説しています。
これはサービス。
私は個人の世話とお守りはしないのです。
なので、する以上はそれを普遍的に、皆さんにも当てはまるような形にしています。

もし、個人が「個人の場合について、コト細かに教えて欲しい」と思うのなら、
しずさんやまはるださんが有料で行っているので、そちらへ問い合わせてみてください。



<鏡の法則2>(2010年7月7日)


<インナー・チャイルドが引きこすこと>を読んだ、私の地元の友人K子。
K子はAさんと何度も会っています。
Aさんの語り方を見てK子は
(自分と同じだな)と思っていたそうです。
自己中心だ、という意味です。
K子はアワ人間なので、思ったことをすぐ言いませんが、数年経って記事を読んでから感想を述べたのです。



K子は子供二人を登校拒否にしてしまい、始まってから半年ほど経ってから私の特訓を受けました。
凄く大変でした。
K子は私が言うことを頭では理解出来る。
しかしそれが腹に収まる
(ミの次元、身体の次元での理解、納得すること)のは大変困難でした。
なので子供の問題を解決するまでの波動量を獲得するまで、5年半ほど掛かりました。
その間、私は凄まじい特訓をしていたのです。

何を特訓したのか?
無意識無自覚で生きている、ということを本人に意識化させる特訓です。
これは大変苦しい。
私は出来るならこんな面倒なことはやりたくありません。
(※私レベルの人と付き合い、楽をしたいです)
なので問題が有る人については滅多に指摘をしません。
その結果は良いものになる確率は1〜5%くらいではないかと思っているからです。
なので大抵の場合、95〜99%は相手から恨まれて終わり、です。
私はそれでも良いので、分かる可能性の有る人には例外的に親切心を発揮します。



今回、Aさんにビシバシ指摘したのも同じ理由からで他意は有りません。

さて、そのAさんについてK子が
(自分と同じだと思った)と感じているのは鋭い。
その通りです。
二人とも凄い善人です。
でもわからずや。
或る程度までは人並み以上に頭が働き、世界に順応しているように「見える」からタチが悪い。
何故なら順応している人は「自分に問題が有る」などとは思わないからです。
頭が働いている次元そのものが物質世界の中だけなのですが、それ以上の世界を知らないので、
自分は頭が働いてないという自覚が無く、こういう人への対処が最も困難です。
(※物質世界、現実世界で生きるのが不器用な人はまだ良い。
   そういう人は問題を抱えているからです)


K子の場合は子供が登校を拒否ったので良かった。
もし、それが無ければ一生何も悟らなかったでしょう。
Aさんも同じです。
お兄さんがウツで無かったら、やはり何でも良く分かる(
それは物質世界、現実世界の次元に限定されているが)
ので、何も悟ることが無かったでしょう。

ということは、K子にとっての恩人は私では無く子供、Aさんの恩人はお兄さん、ということになります。

先日我家に遊びに来たK子に
「物事を考えて生きる方向に軌道修正してもらったこと」を感謝されましたが
本当の恩人は周囲に居る、困ったさんなのですよ、という話。



それはさておき。
似たような性格の二人ですが、
(Aさんと私は同じだ)(鏡の法則第一)と悟ったK子の洞察力は素晴らしいです。
現実世界ではAさんの方が頭が回りますが、感覚の正常さ、深い洞察力の点から言っても
K子の方が人生を深く生きているのだ、と分かる。
見掛け上の頭の良さより、心の頭の良さの方が重要です。
ただこの世界が心の頭の良さ(波動量)について、無知だし殆どの人には感受もされないために
この世界では評価されない。

それでも心豊かに生きて行きたい人だけに掃除像(当て字)が用意されています。



<鏡の法則1>(2010年7月7日〜16日)


「鏡の法則」について、ここ数ヶ月考えて来ました。
ようやく一つの結論が出たので書いておきます。
私が考えつくようなことなのでたいしたことではありませんが。

鏡の法則には二種類有る。
一つは「自分と同じ相手と出会う」。
これを私は
「鏡の法則第一(自分と同じ相手と出会う)」と名づけました。
二つ目は「自分の心のままに相手を見る」。
これを私は
「鏡の法則第二(自分の心のままに相手を見る)」と名づけました。



定義だけではつまらないので具体例を出して説明します。

下の記事<インナー・チャイルドが引き起こすこと>に登場したAさん。
Aさんは子供時代の”恩”を返すべく、お兄さんに対して「自分が良いと思うこと」を実行します。
多分5年以上は実行していると思います。

Aさんがお兄さんにしている”恩返し”の内容は
「自分が良いと思うことを相手に強要する」というものです。
つまり「お兄さんの考え違いを指摘し、説得する」こと。

それに対するお兄さんの態度は「全く相手の言うことを受け入れず、自分が言いたいこと=愚痴=を言う」というもの。
それに対するAさんの態度は「全く相手の言うことを受け入れず、自分が言いたいこと=説得=を言う」というもの。

Aさんは私に指摘され、自力で自分とお兄さんが「同じ」だと悟りました。
お互いに相手の言い分を聴かず、自分の言いたいことを主張し合っていた、ということを知った。
Aさんはそれが
「鏡の法則」だと分かりました。



そしてAさんはいくらお兄さんに尽くしても説得してもお兄さんが何も分かってくれない(アワ人間特有の感情)ので
その満たされない心を、赤の他人である、私に報告し続けていたのです。
私はといえば、お兄さんを素材にして何かそこから一般論や普遍的なことに繋げるのか、
或いは定義を導き出すのかと思って、毎回話を聞いていたわけですが、一向にそのような方向に向かうことは無く、
愚痴に終始していたのです。
それが分かったので、(これは不味いのでいつかAさんにこれを指摘しよう)と、
4年も前から思っていたのです。
ずいぶん気が長いが、私は意外と気が長いのです。

また、言っても理解しない相手である可能性が高いので、その点を見極めようという気もありました。
その間観察と分析を重ねて来たのです。




Aさんとお兄さんは「ほぼ同じ」で、お互いに自分が「正しい」と思うことを主張し合って来た。
これで数年が過ぎました。
その間何ら進展がありません。
あるわけがありません。
お互いの波動が向上しないので、そのレベルで会話が為されて来ただけです。
このままでいたら多分一生これ(お互いに自己主張)を続けたことでしょう。

幸いにもAさんは性格温厚で他人の話を一応は聴きます。
(※本気で聴いてないことはお分かりのことと思います。
   もし、本気で読み、本気で聴いていたのなら、とうの昔にこの件については悟っていたでしょう。
   たとえば某サイトの記事や、当サイトの記事を読み、自分のことに置き換えて考えてみれば分かる。
   ところがAさんの読み方は一般論として受け取るだけで、それを自分のことに置き換えない。
   だから何を読んでも見ても聞いても、何も分かることが出来ない。
   しかしこういう人が殆どですが)


本気で考えることが出来ない相手に対して、問題点を指摘することは自殺行為でありますが、
人柄の良いAさんを一生放置するのは気の毒なので、敢えて指摘しました。
それが下の記事<インナー・チャイルドが引き起こすこと>です。




Aさんは何のことは無い、お兄さん相手に自己主張を何年も続けそして相手が「全く理解しない」という体験を
続けていただけなのです。
Aさんがお兄さんに恩返しをしたいのなら、相手がウツ病なら、Aさんがとるべき態度は
「お兄さんの言い分を黙って聴いてやり、全部受け止めてやること」です。
それが出来ないで、反論するなら会話はしない方が良い。
反論しないでは居られないのなら会話しない方が良い。
実はAさん、それを何年もやっていたそうです。
それでもお兄さんは絶対自分の考えを変えない、曲げない。
実に我が強い。
我が強いからウツ病になっているのですが。。。

Aさんは何年もお兄さんの話相手をしてやったが、お兄さんが絶対自分の意見を変えないので、
それで、今度は説得に掛かったそうです。

でも、お兄さんは変わりません。
私はそういう我が強い人は自分で自分を苦しめているんだから、放っておけばいい、と何度も言いました。

一度言えば良いことですよね?
一度で了解しないとね。
でもAさんにはそれが出来ない。
これってお兄さんと同じですね。




中年のAさんですが、ここ数ヶ月間で気づかなくてはならないことを幾つも気づいたようです。
職場では並み外れて頭が回るAさんなので、精神世界などにクビを突っ込まなくても幸せで居られるのです。
職場の中で頭角を現し存分に自己実現出来るのだから、それでいいじゃありませんか。

と、以前Aさんに言ったらそれは嫌なんですと。
アワ量豊富な人は仕事で成功してもちっとも満たされないのです。
心が満足しない。
だから精神世界にクビを突っ込む。
そして突っ込み方が半端なので、私のようなのにビシバシ叱られるのです。
精神世界で陶酔してもいいのですよ。
好きな道を進めば良いんです。
別に私の所へ来て、怖い顔で叱られることはありません。
楽しい精神世界で生きれば良い。




でもAさんは一般的な陶酔の精神世界は嫌なようです。
陶酔の気がまだあるAさんですが
(最初は本当にド素人で陶酔とそうでは無いものとの区別がついてませんでした)
そこを自覚し、自力で悟る生き方を選び、真剣に見たり聞いたりして生きたいようなので
今回は思いやりから厳しく指摘しました。

Aさんのインナー・チャイルドが原因だったようなので、言いました。
「これはAさんのインナー・チャイルドが原因だね。
  ってことはAさんの子供の部分が私に喋っているってことだね。
  言っておくけど私は相手が子供なら(優しくするどころか)凄く厳しくするけど、いいかな?
  滅茶苦茶威張るけど?
  間違っても優しく「そうかいそうかい」なんて言わない。怒鳴りまくる」




Aさんが取るべき態度は「子供時代の自分の心を理解し自分が受け止めてやること。他人にその仕事をさせないこと。」ですね。
(※他人に優しく受け止めてもらったとしましょう。
    すると今度はそれが快感で、もっと愚痴を言い、もっと慰めてもらおうとするのです。
    そして愚痴ジゴクが始まります。
    これを私は「生きている低級霊」と呼びます)
(※このように考え無しでいると人間はすぐさま低級化します。
   本人は間違っても自分を低級霊であると自覚できません。
   だから低級霊なのです)


BSWやその他のモノも役に立つでしょうが、それはあくまでも補助的なものです。
本人が「解決する」と決意しなくてはならない。
水やモノが本人になり代わって問題を解決してはくれない。
そのことを頭(イ)で理解し、納得し心(ミ)の次元に落とさなくてはならない。
それには時間が掛かります。
数年掛かる。
それなのに、今まで数年間、同じ場所をグルグル回っていたのは実に勿体無い。



ブログなどにも愚痴を書き、それに対して慰めのコメントを書いてもらって喜んでいる人に
私は警告をしています。
「改める(愚痴を書くのを止める)か、こちらからのリンクを切るか選んでね♪」と。
これを残酷だと思う人は
「鏡の法則第二」により、自分の心のままに世界を見ているので、私はどのように思われようとOKです。


<インナー・チャイルドが引き起こすこと>(2010年7月6日)


私から或る件で散々叱られたAさんが、最近またこっぴどく叱られました。



Aさんと知り合ったのは今から4年半ほど前です。
それから二週間に1度は仕事帰りに我家へ遊びに来ています。

Aさんと知り合った最初の頃からAさんは自分のお兄さんの愚痴を言ってました。
その後、今日(こんにち)に至るまでお兄さんの愚痴を言わない日がありません。
お兄さんは優秀な頭脳の持ち主なのですが、ウツ病になってしまい、それを何とかしたいとAさんの体験談を語るのです。



Aさんは中学生の頃お母さんが病死し、その後すぐ来た継母(ままはは)によって
寮の有る高校に入れられ(当時お兄さんも入っていたので)、その後は夏休みでも冬休みでも帰省しようとしても
継母が家に入れてくれなかったのです。
なのでAさんはお兄さんと一緒に長い夏休みを過ごしたり、友人の家に泊まりに行ったりしていました。
お兄さんが卒業後は社会人となったお兄さんのアパートへ行ったり、学校に懸かる費用を出してくれたりと、大変世話になりました。

それからン十年経って、Aさんは結婚して一家を構えています。
お兄さんも結婚して一家を構えていますが、頭脳が優秀過ぎるのと、性格的な原因があるためにウツ病になってしまった。
Aさんは子供時代(15歳〜20歳)にお兄さんの世話になっていますから、
恩返しのために何とかウツ病を治してあげたいのです。

なのでAさんはお兄さんにとって良いと思うことは何でもやります。
相談相手にもなるし、お兄さんの自宅を訪ねたり、ありとあらゆる努力をしていますが、お兄さんは一向に良くなりません。
それどころか、自分には理解できないことを言うAさんが疎ましい。
でも、頼るのはAさんしか居ない。
なのでAさんを頼って何でも相談するが、Aさんから「こうした方がいいよ」と言われたことは理解しない。
そういう堂々巡りを何年も続けている。

それは良い。




問題はAさんが「お兄さんとは何の関係も無い私に対して、会えば必ず私の知らないお兄さんの話を延々と語り、
私の時間を奪っていることに気づかない」という点です。

私はこの点について、Aさんがいつか気づくだろう・・・と待っていました。
Aさんが「兄貴はもう死んだ方がいいのかもしれない」と言うので「お兄さんが死のうと生きようと関係無いのでは?」と言って
この問題の結論を強引に出すとAさんは「そうですよね」と答える。
ところが次に会うとまた「実は兄貴が・・・」と始まるのです。
(はああああ?)
Aさんは他人の話を聞いてないし、自分が語りたいことだけを語っているのでした。
それを何と4年半も続けました。




まず、私はAさんのお兄さんとは何の面識も無く、その人の生死は私にとって何も関係ありません。
相手にとって無関係な話題を続けるAさんの「分からなさ」について、困ったな、と思っていました。
でも悪気は無いし、まだ悟ることが出来ないのだろうからしばらく様子を見てみよう、そのうち悟るだろう・・・・と思い続けて4年半。
そう。
私は意外に気が長いのです。
子供を育てていますから、今の時点でダメでも、いずれは変わるだろし、いつかは悟るだろう・・・と待つことが出来ます。
別に苦痛ではありません。




先日Aさんが我家に来た際にまた聞いてもいないAさんのお兄さんの話を始めたので、とうとう私は説教しました。
(※実はその前にAさんは自分が今まで何も分かって無かった、考えて無かったということを悟る体験を何度かしています。
   なので、ようやくそのレベル=自分のことを分かることが出来るレベル=に達したな、と私は判断したのです)




私  「Aさん、悪いけど、お兄さんの話は私には何の関係も無いんだよね。
     これからは二度としないでくれる?
     今度兄貴の【あ】の字でも言ったら、即刻帰ってもらうけど?」

Aさんは驚いて承知しました。
ところがその直後からまた「兄貴が・・・」と語り始めるのです。


私   「Aさん!
     さっき私が言ったこと、分かった?」

するとAさんは素直に「分かりました」と答えるが、その直後また「兄貴が・・・」

私  「Aさん!!!
    さっき私は二度とその話をするなと言ったよね?そしてAさんは分かりました、と言ったよね?
    では何故その話をするの?
     Aさん、真剣になってください!真剣になってる?ねえ!」




Aさんが語ることは兄貴の話と或る種の競技の話です。
そのどちらも私には何ら関係がありません。
勿論話題の素材はそれでもいいんですよ。
お兄さんに纏わる不思議な話だったら大歓迎です。
また、お兄さんのことを素材にして、それが普遍的に言えるようなこと、たとえば教訓などになるのなら良い。
お兄さんを素材にしてそこから定義などを導けるのなら、面白い。

私  「お兄さんの話でもいいんですよ。或る夜寝てたらお兄さんの霊が枕元に立っていたとか、
    写真を撮ったらお兄さんの生霊が写っていたとかなら大歓迎です。
     でも、ただお兄さんがああしたこうした、などという話は不思議でも何でも無いので、私は興味がありません。
     それは分かる?」
Aさん「はい、分かります。済みません」


と言いつつ、さらにお兄さんの話をするのです。
これっていったい・・・




Aさんにとってお兄さんの話題は欠かせないものなのです。
それから或る競技の話題もです。

何故なのか?
考えてみました。
するとこういうことが分かった。
@Aさんが中学時代に生母は亡くなり、継母が来た。
Aその後入った高校で或る競技に夢中になった。
B上に書いた通り、高校時代はお兄さんが親代わりをしてくれた。
この三点です。

問題の核心は、Aさんが子供時代に生母が亡くなってしまったことにある。
Aさんの人並み外れたアワを理解し受け止める人が居なかった。
なので、その時期に自分を支えてくれた競技がAさんにとっては特別なものになった。
なのでそれを一生続けていこうとすら思う。
何故ならその競技は、自分がとても大変だった時に、支えてくれたから。

そして当時、お兄さんが世話をしてくれたので、その時のお兄さんへの恩を返している。

それを数十年抱えているのです。




Aさんがお兄さんにかける情熱は尋常では無い。
Aさんは当時の、自分の心を受け止めてくれる存在が居なかったことを知る人、
それがお兄さんですが、それと深く関わることで、当時の自分の気持ちを何度も再現している。
競技も同じです。
だから「一生やっていこう」と思うのです。
(※競技については最近、止めました)

当時の自分の気持ちを、当時世話になり、事情を知っているお兄さんと関わることで
満たされない心を共有したいのだ、と私は思います。
そのためにAさんはお兄さんに対して過剰な関わりを持とうとするのです。
ぶっちゃけ
「自分の気持ちを分かって欲しい」のです。

しかし当時の自分の気持ちを分かり、受け止めてくれるのは生母だけです。
ところが生母は居ないのです。
だから、Aさんの満たされない心は「満たされません」。
それは無理。だって生きてないんだから。
残酷なようですがそれが事実です。




私  「Aさん、当時の満たされない心は満たされないんですよ。だってお母さんは居ないんだから」

非情ですが事実です。
もし、この事実を理解しなければ、決して可能性の無いことを一生Aさんは求め続けるでしょう。
赤の他人にお兄さんとの関わりや競技に関する話を延々と会うたびにするのは
その二点がAさんにとっては、「本当は生母によって満たされるべきものだった」からです。
でも生母はこの世にいません。
だから、それは不可能なのです。




また、Aさんが赤の他人に対して延々と自分が語りたい話題を語る、その姿は子供そのもので、
これはインナー・チャイルドがさせているのだと分かったので、こうして記事にしています。
これをご覧の皆さんに少しでも参考になれば、と思って書いています。
Aさんを貶めようという気は有りません。

同じように子供時代に悲惨な目に遭っても私のようなサヌキ人間は「分かって欲しい」という欲求が無い。
思いつくのは「相手に報復すること」くらいですが、それも意味が無いのでやりません。
(※私がもうちょっと低次元なら実行しますが、スレスレのところでやらずに済んでいます)
(※しかし、実家には数年行ってないし、それで平気なので、報復事業の一環といえなくもありません。
   そして別に恨んでいるわけでも無いのです。
   ただ、父の存在を削除しただけなんです)

専ら家族のことは忘れて平然としています。
サヌキ人間は割り切れるし、問題の対象をスパっと切れるのです。
罪の意識は無くあれとこれとでチャラだ、と計算して終わり。
感情を引きづることもありません。

でもAさんのようなアワ人間は
「自分の気持ちを分かって欲しい、心を受け止めて欲しい」という欲求が強い。
そのことに無自覚でいると、「会うたびに身内と競技の話をしていて、それについて何の疑問も持たない人」になる。
(※インナー・チャイルドは様々な悪さを引き起こします。
   登校拒否などもコレでしょうね。
   当時の満たされない自分の思いを、今我が子が体現しているので、それと関わることによって再び自分が体験出来る。
   それによって、問題の原因を探すことが出来るからです)



今回もAさんに生贄になってもらいましたが、Aさんのような人は他にも居るのではないでしょうか?

4年半という期間を「いつか自力で分かるだろう」と待っていましたが、
自力では分からないようだし、Aさんが他人から指摘されたことはちゃんと受け止める人だ、ということが分かったこと、
最近別件に関して自力で悟ったようなので(それも多少お手伝いをしたが)、もういいだろうと頃合を見計らって厳しく指摘したわけです。
もし、私が何も言わなければAさんは多分一生そのこと(インナー・チャイルドが引き起こすこと)について
知ることも無かった可能性が高い。
なので今回、またサービスしました。




このようにいい年こいたオヤジになっても分からないことが多い。
しかし本人の意識としては通常よりも物事に良く気がつき分かるので、まさか自分が分からない人だとは思わないのです。
中年オヤジに説教をする人など通常は居ません。
まず問題を分かる人は殆どいないし、分かっても言いません。

アワなタイプの人。
本当に自分の意識を良く見てみることをお勧めしますよ。
アワな人はサヌキの人に比べて、心が抱える問題や葛藤の症状は重くなりますよ。
「分かって欲しい」「心を受け止めて欲しい」というような心が多すぎるからです。
そういう自分のタチを良く見極めて、何とか自分の心がきれいになるよう、努力する必要がある。
掃除像もそういうアワ人間のために書かれています。
(※私などは妹がどこに住んでいるのか知りませんが、多分生きているんだろうな、と平然としています。
   何故なら用があれば相手が連絡してくるだろう、と思うからです。
   妹は自分で勝手に拗れてしまいましが、それに関しては本人の素質からそうなったのだろうと思います)




私  「Aさん、『光の話』読んでる?」
Aさん「はい、読んでます。Aさんって私のことだと分かります」
私  「『光の話』の中に、『Aさんが相手が望んでもいないことを延々と語り、Eさんに叱られる』場面があったでしょ?」
Aさん「はい、読みました。自分のことだと思いました」
私  「それなのに、Aさんは実際には何も分かってないよね。読んでもそこから何も学ぶことが出来ない」
Aさん「はい、本当ですね」
私  「読んでも読んでない、ってことですね?」
Aさん「はい・・・・」


もう一つ言いたいことは、このように
「一般論なら分かるが自分のこととなると途端に分からなくなる人」のことです。
それでは何にもならないんですよ。
このタイプの人が殆どですが、これについても意識化して生きて行った方が良いでしょう。




実は「奇跡の日々2」を読んだ方から「Aさんがそうなったのにはそうなるような原因が有り、
多分生育暦に関係しています」と、要約すればそのようなことが書かれたメールが来ました。
その時は(へえ・・・)と思いましたが、その見立ては当たっていました。
このように閲覧者の方は物事を見抜く能力の高い人が多い。
凄いです。



<ボケ老人の介護>(2010年7月5日〜6日)


MSさんから。

こんにちは。
「死ねない老人」、大変興味深く読みました。
そのうちボケ老人についても記事になるかな、と思ってました。

はい、友人がウチに来てそんな話をしてくれたので、とても興味を持ち、記事にしました。

うちも2年間姑の認知症遠距離介護を経て、この春ありがたいことに
グループホームへの入所が決まり現在は姑も楽しくそこで生活し
ワタシと夫と義姉もひとまずほっと胸をなでおろしてます。
入所までは、片道2時間の道のりを月に2〜4回夫と交代で
姑の世話に実家へ通い、義姉やケアマネージャーさんやデイサービスや
ヘルパーさんの手も借りてなんとかやってきた2年間でした。
体が不自由になったりする他の病気とは違い体は健康で頭が
ボケていくというのはなんともへんてこりんな病気だなあ
と関わっていてつくづく思いました。

姑と同じ年頃で同じように独居なのに隣のおばあさんはボケません。
どこにボケる人とそうでない人の差があるのだろうか、とか
認知症は進行性で完治しないのでこのままあとはボケがひどくなり
寝たきりになって死んで行くわけで、そうした人は死んだら
どんな状態でどんなところへ行くのだろうか、とか
たくさんのことを考えました。



映画シックス・センスの主人公の少年が霊について
「彼らは自分の見たいものしか見ない」と言うセリフがありましたが
認知症になった姑は生きながら、まさにそんな状態。
普通の状態でも69さんが「光の話」で書いているように、人の言う事を
理解しない人がいますがその人達はそれでもまだ生きていれば
ひょっとしたら理解するチャンスがあるかもしれません。
怪我したり病気したりした時に、どうしてこうなったのかと
考えることもあるかもしれません。
ボケると理解するというチャンスは生きていてもかなり少なく
なるんじゃないかなあ。

姑がボケてしまったことはいただけませんでしたが、
介護スタッフさん達と出会えたことはいい経験でした。
本当にいいスタッフさん達で何度も助けられました。
看護士さんは白衣の天使ですが、介護従事者の方達も
ピンクの天使でした(ピンクの制服だった)。

以上、認知症の姑を持ったヨメである私の雑感でありました。




ボケ老人の家族はたとえ同居していなくても大変なんですね。
ボケていないお義父さんお義母さんがいる方は、そのことに感謝したくなります。
MSさんも書いてますが、同じ年齢でもボケる人とボケない人とがいます。
そうじしょうによれば、
ボケる人は「その長い人生において、心有る頭を使ったことが無い人」だそうです。
頭は良くても物事が分からない人のことです。


このような困難にありながら、そこから様々なことに気づき教訓を得ることが出来るMSさんは素晴らしいですね。



69さん

おはようございます。
掲載された800を読んで、ものすご〜く腑に落ちたので
今朝メールしてます。

結婚して姑とのつきあいが始まり数年経った頃から
姑はそのうちボケるんじゃないかなあと漠然と思っていて
某サイトを読み始めた頃から漠然が確信に変わって行きました。
理由は自分でもうまく説明できないんですけど、姑はいずれ
ボケるというのは私の中では確定した予定でした。
それでもうまく言葉では説明できません。
昨日の800を読んで膝を叩いちゃった。

『 そうじしょうによれば、ボケる人は「その長い人生において、心有る頭を使
ったことが無い人」だそうです。
頭は良くても物事が分からない人のことです。』



ああああ〜、そうそう、そうなんですよ。
姑は全くその通りの人でした。
善い人なんですよ。心がきれいで素直でかわいい人です。
意地悪されたこともありません。
世間的にみて「いいお姑さん」だと思います。
が、しかし。
「自分で考える、判断する」ということを全くしない人だったんですよ。
69さんの言う、物事を全く分らない善人の典型のような田舎の老人です。
考えるということを専ら自分以外に委ねたようで、結果カルトに入信して
有り金を使い果たすようなことになったりしました。
説明できないことを言葉にしてもらってなんだかスッキリしました。
カルマとか霊的に見てとかいろいろ説明方法はあるかもしれませんが
結局相似象で説明されるのが私には一番納得できるようです。
あ〜、スッキリ。
69さんありがとう。



うちは物理的にも同居が難しいのが幸いして別居介護でしたが
同居介護の人は大変さがうちの比ではないでしょう。
いい機会なので、介護機関や方法、ボケ老人についていろいろと
学び適切な時期に適切な方法で手を入れ、施設入所まで持って行く
にはどうするのがベターなのかを知りました。
私にもまだ年寄りとなった両親がいますので、彼らに何かあった時に
今回のことがきっと役に立つと思います。



姑の認知症で私と夫が一番思い知ったのは
「どんなに気持や言葉を尽くしても
わからない人はわからない」
ことです。
相手がわからないので、こちらが変わるしかありません。
認知症は特にそういう病気なので、もうどうしようもありません。
わかっていても変わるというのは大変難しいこともよくわかりました。
某サイトの人間の話と相似象を度々読み返していますが、
私にとっては生活していて一番役に立つので助かっています。
おかげで姑のことも暗くなることなく考えることができました。
ありがとうございます(°∀°)b

言葉にできなくてモヤッとしたものが適切な言葉になって
還ってくると大変スッキリしますねえ。
爽快です(笑)


MSさんが言う通り、問題点が分かれば・・・つまり、ちゃんと言語化できれば苦痛は軽減します。
場合にもよるでしょうが、半分くらいに減ることもあるのではないかな。
認知症の親族を抱えたら問題は解決は出来ませんが、理由や原因などが分かれば
介護する人達の心の負担が軽減することは確かなようです。


MSさんは賢い(判断力有る)ので、良かったのです。
賢くなくて感情的になると、親族と「誰が介護するのか」などということで要らぬ紛争を巻き起こしますからね。
その点からも思考力、判断力が有る人は心が楽になる方法を選ぶことが出来ます。
本当に皆さんは賢いです。



<充実した日々>(2010年7月1日)


「ふとのりと」の記事(下の記事も同じ)を読んだFYさんから。

こんばんは。

800の<ふとのりと><願望実現>のFさんのお話

(充実した1日をおくる)を読んで、

とても参考になり、ありがたいのでご報告します。

 

記事を読んで「これはイイ!私も真似してみよう」と思い、

私にとって「充実」とは?というのを考えました。

 

シンプルに、余計なお荷物(感情)を持たず

時間を有効に、その時その時の判断と行動を早くすること。

自分に出来る事をすること。

…って頭で考えれば当たり前なこと、なのに、

それがまるっきり出来てなかった自分を冷静に自覚できました。

 

以前だったら「出来ない自分」に感情的になり

堂々巡りをしていたでしょうが、

少しはマシになっているらしく、「じゃあやってみよー」と

良い意味で軽いです。

 

それを続けていると何が必要で何が余計なものか、

観察力もつくような気がします。

今までの盲目的な思い込み(無自覚な傲慢さやモロモロ)にも

気付けました。

まだまだ気付いてないものがたくさんあるでしょうが、

一つ一つ片付けていこうと思います。

 

ifさん、Fさん

ありがとうございます^^

<願望実現>(2010年6月29日)


こんにちは、お世話になっていますFです。
 
 
最近の話なんですが
5月の15日辺りだったと思うのですが
朝起きた時に何故だかわかりませんが急に
充実した1日をおくるという言葉が思い浮かびました。
起きてからゆっくり考えてみたのですが
私は今まで仕事をしてないからとか
コレがないから毎日が充実してないと思っていました。
でも充実って何だろう?と考えたら
一日の終わりに今日は一日がんばったなって
自分自身で思うことかなと考えました。
 
ただの主婦なので普通のことですが
天気の良い日は洗濯三昧
掃除と決めたら普段見たくない排水溝、換気扇などの掃除
お稽古の日は普段会話しないような方たち中で
お稽古の時間を楽しむ
ママともたちと会うときは思いっきり楽しむ
 
それから毎朝起きるときに充実した一日をおくると
心で宣言して起きています。
 
 
そんな風にすごしていたら
最近なんだかうまくことが運ぶようになってきました。
20日の父の日なんですが
まはるださんのキーワードをクリックしたら
臨時収入があります、と出たのですがまさか?と思っていたら
同居している主人の母が父の日なので
主人においしいものをと私にお金をくれました。
回るおすしをテイクアウトしてみんなでいただきました。
会いたいなと思っていた友人に友人から連絡があり
急に会えました。
800のキリ番を取れました。


それからこれは願望実現の話?なんですが
先日電車に乗ったのですが
あいにく混んでいて座れませんでした。
次の駅で座れるように願っていました。
そうしたら次の駅に着く少し前に座れました。
窓側の席だったので次の駅のホームに
たくさんの人が並んでるのが見えました。
何故かその列の真ん中あたりに並んでいる
おばあさんが気になったので
そのおばあさんが私の席の近くにきてくれたら
席を代わってあげようとおもいました。
そうしてドア開いたらが本当に私の席のところに立っていました。
私はすぐに席を立ち譲りました。
願望実現でしたのですが
なんだか自分がおかしくてニヤニヤしてる顔を
普通にもどすのが大変でした。
誰にも評価されないことですが
自分が満足して楽しく過ごすことの大切さを
少しわかった気がします。

テレビのニュースなどを見ていると、今、良い意識で居る人はどんどん良くなり、
悪い意識でいる人にはウソや今までの悪行がバレたり、
とんでもないことをしでかしたりして、意識が悪化しているのが分かると思います。
良く見ると人間の意識はどんどん二分化しています。

Fさんは今年の5/15から意識化を始めたようですが、良い傾向ですね。
Fさんは良い方向に進んでいます。
これは「ふとのりと」にも掲載しましょう。


<料理嫌い>(2010年6月28日)


最近も某サイトで、相変わらずカルチャーショックを受けているのですが、
69さんが料理をしない!というより、嫌いという話。
びっくりというか、自分の中で、主婦=料理をする=当たり前
というのがあって、周りの人でもしない人を、無意識に軽蔑していたという、発見がありました。
 
きちんとしてる自分を、褒めて欲しいみたいな気持ちですね。
なんか、自分って何様?って感じです。
確かに、あれだけの記事を更新しようと思うと、つくる時間はありませんよね。


いや、時間があっても多分私は料理しません。
時間が無いから料理をしないのでは無いのです。
料理しなくて済むような生活に、私が設定したのです。

だって料理嫌いなんだもん。

多くの主婦が「本当は料理嫌い」なのにも関わらず、状況が許さないので料理をしている。
それは良い。
しかしその際、料理が嫌いなのに、料理をしなくてはならないため「自分は料理が好き」であると
ウソの情報を自分に送っていませんか?
それ、無自覚無意識に多大なストレスを自分に与えています。

料理をする、しないは関係ないのです。

自分は料理が好きか、嫌いかを自覚しなさいよ、って話。

◎=優良個人