10 hinoatarubasyo     人間のいろいろを書いていきます。記事は上に追加されます




Mさんと禿オヤジのこと(1〜7と、感想)

1<マイナスの実績>(2013年4月29日)


言葉として正しいか正しくないかは別として
私が勝手に定義して使っている言葉に「マイナスの実績」というのが有ります。
意味は証拠や証人とも近い。

たとえば下の例。
アル中の禿親父で無能なくせに口だけは達者という絵に描いたような嫌な奴で、
皆が働いている中、自分は煙草吸いながら

この事例ではMさんが禿オヤジからの暴言暴力を自分に対する
「マイナスの実績」として周囲の人達に見てもらい(証人になってもらい)
Mさんのその後の行動が「当然のことである」という風に
シナリオを書いていたのではないか。
別に計画をしたわけでは無いがその時Mさんは咄嗟にそれをしたのだと思います。
すぐやり返さなかったのは
禿オヤジの暴言&暴力≒自分の武術の技
にするため。




自分がコレをする前に、これこれこのようなことが有った。
自分はそのマイナスに見合うだけのことを返しただけだ、という場合の
そのマイナスのこと。それがマイナスの実績。




2<怒ってはいけない>
(2013年4月29日)


世の中には上の事例の禿オヤジのように、理屈が全然分からない人間は居ます。
どのクラスにもどの職場にも必ず居るのです、不思議なことに。
この世界は自分を中心にした、自分の世界なのですが
(日月神示の○にゝというのは、このことも指していると思われる)
だから自分の周囲の理不尽なことは、自分が起こしているのだとも言えます。

自分が自分に理不尽なことを尽きつけているのです。


だったら周囲に怒ること無いじゃん?と思うかもしれませんが
実にその通りです。
だからどんなことをされても本当は怒ってはいけないのだそうです。
たとえ殺されても怒ってはいけないのだそうです。
(高橋信次師)



と、言っても私のような凡人にはとても怒らないで居られないわけが有りません。
上の事例のMさんの怒りは正当なものだと思います。
いや、Mさんは怒ってなかったのかもしれません。
Mさんは感情を動かすことなく、禿オヤジに制裁を加え、
禿オヤジの心得違いを気付かせ、この禿が少しは知恵をつけて
二度とそのような言動と行動をしないよう、導いたのかもしれないのです。

Mさんが怒ってなかったとしたら高橋師も文句は言わないでしょう。




3<それぞれの世界での回答>(2013年4月29日)


Mさんの世界に起こるマイナスなことへのMさんの回答は
相手を半殺しにすることでした。
客観的に見てもそれは仕方ないことだと思います。

そしてそれらを目撃したこの報告者の世界には
一つの情報という経験値が加えられらのでした。
この報告者の世界
(報告者が創る世界、そこには報告者だけが住んでいる心の世界)
この件に関する考察がこれから為されるわけです。
一生、折に触れこの件は思い出され、何度も復習することになるでしょう。



この報告者がMさんが取った行動に対して「それは良くない」「やってはいけない」と思えば
今度はこの報告者がMさんのような目に遭う確率が高まります。
何故ならこの報告者は自分の世界に「それはいけない」と発信したからです。
その反作用は来ますよ。
良いことも悪いことも来ます。
(「反作用」という言葉は高橋師が使う言葉)

報告者がもし「Mさんのやったことは良くない」「自分ならそんなことはしない」と思えば
それが回り回って今度は自分がそのような目に遭います。
報告者は耳が悪いわけでは無いし、禿オヤジにはもうそんな元気は無いだろうから(笑)
自分の時は
別の場所、別の人間、別の理由で
Mさんと似たような目、理不尽な目に遭う。




4<反作用は分かりにくい>(2013年4月29日)


たとえば、自分が外国人を差別したとする。
すると今度は自分が他の国の人間から差別されます。
別の場所、別の人間、別の理由で
同じ目に遭うのです。
それが反作用。

差別する人に「差別はいけない」と説教しても、それを聴いた側の人間が
理解するかしないかは別です。
で、差別するような人間は他人が一度説教したくらいで理解することは殆ど無い。
言葉で言って分からない人は実地で同じ目に遭うしかない。
その人の世界でw




また、同じ目と書いたが、実際は同じでは無いことが多い。
差別した人が差別されて、差別がいけないと分かるのは単純で分かり易いが
コトはそう単純でも無いのです。
AというマイナスなことをしたらBというマイナスなことが反作用として返って来たが
本人にはA≠Bなので関連が全然見えないからまさかそれが反作用とは思わない。
だから本人はAを止めない、とかね。




病気も反作用です。
自分が出したマイナスな想念の結果です。

それから反作用がすぐ返って来るとは限らず
時間が経ってから返ってくる場合の方が多い。
十年二十年経ってから返って来る場合も有る。
それが実現するのに相応しい時と処と登場人物で実現します。


5<理解と承認>(2013年4月29日)


最初に戻ります。
Mさんは理不尽な禿オヤジに対して、制裁を加えました。
その時報告者が凹凹にされた禿オヤジに対して
(ざまあみろ)と思えば、それがこの件に関する報告者の回答です。
そしてそれを報告者自身がが自分の世界に発したことになる。
するとその反作用がいずれやって来ます。

報告者は禿オヤジとは違うからそんな理不尽なことはしません。

でも、同じようなことが来るのです。

何故か?




禿オヤジは自分が理不尽なことをしている自覚が無いのです。
禿オヤジの世界では自分はマットウなのです。
客観的に見れば禿オヤジは理不尽でMさんがマットウですが
必ず、そうというわけでは無い。
ここが問題なのです。

報告者はMさん側に立っている人です。
報告者はMさんと同じ価値観、感覚を持っている。
職場の人達も禿以外はMさん側の立場に立っているのです。

でも、世のなかには禿の立場の人も居るのです。
それが良いとか悪いとかでは無くて、現実です。
「障害者が職場に居ることが不愉快な人」は居る。
それに対して間違っている、というのはMさんや報告者や職場の人だけ。
禿と同類同レベルの人にとっては禿こそ正義なのです。
職場に居る目障りな奴に説教
(ビールをかけることは、彼等にとっては説教であって暴力では無い)
して何が悪い、と思う。


そんなの、間違ってますよ。

と、思うかもしれないが、それはこちら側の言い分であって
あちら側からはそれが正解であり常識なのです。
正義というのはその程度のものなのです。
正義ほどあやふやでいい加減なものは有りません。
歴史が証明していますよ。



で、この報告者はその正義感のために禿オヤジに対して
ざまあみろ!と思ったとしたら
今度は自分の正義の言動と行動を相手に悪く取られて
自分が同じ目に遭います。
それは誤解だ!と言っても、相手はそれを理解しないんだからw




じゃどうしたらいいんだ!

その場合は理解することです。
禿をブチのめしたMさんを理解し
物事が分からなくてMさんにヒドいことをした挙句半殺しになった禿のことも
(ああ、分からないんだな)と理解する。

正義の観点から「正しい」「正しくない」「悪い」と裁く善人がとても多い。
だから善人は常に他人のあら捜しをしては眉間にシワを寄せて非難していますよねw
愚痴も多いしね。


6<幼稚な人と賢い人>(2013年4月29日)


物事が分からないんだ

バカなんだな

とその人のことを思うことについて、今度は「でもバカって言っちゃダメでしょ」とか言う
正義感の強い人が居そうですが、事実なんだから良いのでは?

上のようなことを言う人の頭は素朴で、
バカと思うこと=バカにすること
になっています。
差が取れない人です。
大変頭が幼稚に出来ている。

本当は
バカと思うこと≠バカにすること
です。


「本当は」と書いたが、「本当」には様々なレベルが有りました。
それぞれのレベル、世界で「本当」ですw


高レベル バカと思うこと≠バカにすること
低レベル バカと思うこと=バカにすること



相手がバカの場合、相手の思考力の足りない部分を補ってやる人もいます。
それは相手が知恵が足りない、知識が足りないと認識するから
ではやってあげようとか、やらなくてはこの仕事が廻っていかないなと思うからです。
相手が一人前に出来ればやる必要が無い。
(相手が一人前なのに余計な手出しをする人も頭が幼稚に出来ています)
(多くの姑が嫌われる原因です)




と書いたが世の多くの人がそのレベルに居ることはたしかです。
だから余計な誤解を招かないよう、下に揃えて
(下揃え)
相手に合わせて話しをする人が
本当に賢い人です。(高次元の人
ただこの場合、その幼稚な人がそれを学習する機会を失います。
まあ、機会が有っても学習はしませんがw



7<「仕方ない」はサトリ>(2013年4月29日)


さて、結論。
Mさんと禿オヤジの死闘を見た報告者は禿ざまあ!とは思っていないようです。
かなりマトモですね。

MさんにはMさんの言い分と立場がある。
禿には禿の言い分を立場がある。
それぞれ仕方ないことです。
だって自分の波動を短時間(数分、とか)で向上させるのは無理です。
だからその場合、こうなるのは仕方ないことなのです。



と、諦めるのが日本人だ、
日本人はすぐ諦める、と外国人からは呆れられたり不思議がられたりするが
諦めるとは「仕方ない」と理解することです。
たとえば死んでしまった人を生き返られるのは不可能なのだから
それを「生き返らせろ!」と言うことは理不尽です。

欧米人などは不可能に挑戦することに価値を見出していますが
それは日本人も同じです。
しかしどうしても不可能なことは不可能なのだ、と悟っているのです。
それが、そのレベルに達してない心があまり発達していない人から見ると
すぐ諦めるとか、努力を放棄している、と映る。
誤解ですが相手が理解できないのだから「仕方ない」w
(とは言っても努力しないで最善を尽くさないで、その前に簡単に諦める人も多いので
  その差が分からない人が多いから、諦めること=腰抜け、と思われても仕方ないかね)




Mさんの行動に対しては(ああ、怒るのも無理は無いな)(あ、Mさんは怒ってないかもな)と理解して
行動を承認する。
禿の言動行動は理解は出来るが承認は出来ないなあ、と自分の意思を確認する。
或いは禿は思考力が乏しいのだからああいう言動と行動をしてしまうことは理解した。
だからああいうことをしても仕方ないことだ、おおっぴらには勧めないが
禿としては仕方ないことだ、と消極的ではあるが一応承認する




ってことが大事かね。

と、思っているとそういう理不尽な目に遭うこと自体、無いのです。
自分の世界において、もう、それ
(理不尽な事件の当事者や目撃者になること)
必要ないからかもしれない。
いや、これから体験するかもしれない。

まだそこらへんの理解と体験が足りないかもしれない。
それは分からない。
でも、その時は感情的になって片方の側に立って相手を責めるのではなく
中庸の立場に居たいと思っています。
元々どちらかの肩を持つタイプでは無いが、意識化してやってみたいですね。
ま、これも別に真理であるとか、そういう堅苦しい、確固たるものでは有りません。
ただ、ネットの記事からこんなことを考えてみましたよ、というメモ程度のものです。
あまり本気にしないように。


<感想1>(2013年4月30日)


Kさんから。

こんにちは
Mさんと禿げ親父の話しでお釈迦様の「ノコギリの譬え」を思い出しました。

仏教で人の心を毒する根本的な三つの煩悩、貪瞋痴。
人間の諸悪・苦しみの根源とされています。「身は心の従」とされ、
心の持ちようが病気や不幸として身体に影響を及ぼすとして、
心持ちの善悪がその元となると教えて、大抵の説法では、
ここに「過去現在未来の三世にわたる因果応報が現れ」と続くのですが、まさに反作用の話しですよね。

実は高橋信次師は釈迦の生まれ変わりだそうです。
高橋師は生前それを自覚し本にも書き、古代インドの言葉を喋り、それを録音したものが有ります。
だから釈迦と同じことを言ってるんですね。




三毒のなかでも怒りにあたる瞋について仏陀が語った壮絶なお話

『ノコギリの譬え』

『恐ろしい盗賊がやってきて、何一つ悪いことをしていないあなたを捕まえて
「ちょっと面白いから、こいつを切り刻んでみよう」
その時でさえ、あなたは怒りの気持ちを持ってはならない。
ほんのわずかでもあなたの中に怒りの気持ちが現れたならば、
あなたは私の教えを実践することはできない。』


これを知った時、
感情的にならずにいつも平常心だから釈迦如来なんだな、思いました。


怒りは自分を傷つけます。
患者さんを見ていても、身体を害する大きな原因は怒りの感情だと思います。
実際に怒りが黒いモヤになって人を包んでいるのを見たこともあります。


しかし、怒らないことは容易ではありません。怒りには痛みが隠されています。
心が痛み、悲しみが生まれるから人は怒ります
10年前の出来事でも20年前の出来事でも、人は思い出して怒ることができます。


でも、盗賊や禿げ親父のような人もいるのだ、と認めることと、
感情的にならずに感想を伝えること、はできますよね。
イエス様も暴れたことがあるし、お釈迦様も確か「その言葉そっくりお返しします」と言っていた。
どちらも気づかせるために平常心でやっていたのでしょうが。

私もそう思います。
多分釈迦もイエスも怒らなかった。
そこが高次元である証拠ですね。




欧米人、特に69さんは仏人がお嫌いと書いていらっしゃいましたが、

仏人の店員(女)の態度が悪かったので嫌になりました。
でも警察官など男性の態度はとても良かったです。
(それって人種や国籍とは関係なく、私が女だから女に冷たくされ、男に親切にされただけか?)
ただ、私は仏人が嫌いでは無いのです。
「世界の国の中で嫌いな国を言わないと殺す」と言われたら仕方ないから仏と答える程度。


私はφや韓のようなアジア人や※人よりも、
大方のヨーロッパ人は日本人に近いと感じています。
いい加減で有名なイタリア人の口癖は
pazienza。英語のpatienceと同じで「仕方ないよねとか、我慢しよう」という意味です。
階級制度もあるし、政府はいい加減だし、
仕方ないからできる範囲で人生楽しもうという姿勢なのだと思います。
実際は違うのに可能性は無限大だ!と煽られている※や日本に比べて
ある意味、悟らざるを得ない面があるのでしょうね。

伊に住んでいた頃、伊人達は心情的に日本人に近いと感じたので聞いたところ、
血液型はA型が1番多いのだそうです。
これだけで似ているという根拠にはなりませんが、意外でした。
因みに猫もA型が多いそうです。
仏人も細部に神経を注ぐとか、気遣いの仕方など、
特に職人的な仕事・気質の面では日本人と似ているので付き合いはしやすいように思います


なるほど!
良い意見を沢山書いてくれて有難う。
伊人や仏人の感触はそんな感じですか、とても参考になります。
面白い情報ありがとう!



<感想2>(2013年4月30日)


Yさんから。


こんにちは。800*∞の「いろいろ10の1-7」読みました。
ホントにそーなんですよ!と思って思わずメールしました。
 
5-6の部分なんて『そー!そうなんですよ!』と心で叫んでました。
 
相手には相手の「普通と常識」があるので、相容れないことは多々あります。
それを「仕方ない」とか「そういう考えなんだな」と思えばいい
もちろんそう思う過程の中で「苛立ち・怒り」は生じますけど・・。
 
でも、「仕方ない」とくくると「なにもしないで逃げた」ととる人もいますし
相手の考えを尊重して「あなたはそうなのね」とくくると「馬鹿にしてる」と
とる人もいるんですよね。
 
こういうタイプと話をすると、別れた後で「めんどくせー」と出ちゃいます。
 
いろいろな考え方があって当然ですが、突き詰めると「こういう考えなんだな」
と思える人と「自分はこうだ!間違っていない」と押す人の2種類にわかれるな
と感じることが多いです。
 
相手次第では同類かそうでないかの表裏ですから、自分も同じ目に合う・・と
いうのも納得です。肝に命じておきます。
 
なぜか今日のサイトを見ていて、私も頭で思っているだけではなく、考えてること
や感じていること言葉にして具体化出来るようにならないと!と強く感じました。



いいことに気がつく人ですね!
特に参考になる箇所を赤い文字にしてみました。

それからYさんが書いている通り、なんとなくボンヤリと思っていることを
文章化すると良いです。
頭にボンヤリ浮んで終わらせると焦点がボヤけているんです。
その状態で何年経ってもそのままです。
そりゃ年齢とともに知恵はつきますが、それは生活の知恵で
人生経験であるが、感覚的なものに留まってしまうんです。
それでも良いならそれでも良いが
しかしやれる人は頭の中を整序する訓練にもなるので
ぜひとも文章化してみてください。



<感想3>(2013年4月30日)


Nさんから。

いろいろ文章化ありがとうございます。
善人が振りかざす正義ってあやふやなものなんですよね。

Yさんの感想で赤字の部分
私もそういうのわかるようになりました。
でも「自分はこうだ!間違っていない」と押す人しかまだ出会えていないよう
な‥こういう人の方が声がでかくて、
賢い人はよーく観察しないと探 せないのかもです。

「アセンション大予言」読み始めたばかりですが、「中庸」という言葉が出ていました。



私も中庸の立場意識したいと思います。




こちらに見る目が無ければ何も見えませんね。
高次元の人は目立たないので、心の目(波動量)を持って見ないと見えない。
高次元の人の言動行動はそれを分かるレベル(波動量)に達してないと見えない。
低次元の人が高次元の人を見ても、いくら見ても、毎日見ても、
見えないものです。




<老人(無意識無自覚人間)の末路>(2013年4月12日)


こういうコトは言いたくないが、今の老人って本当に無意識無自覚に生きていますね。
振込め詐欺に遭うとか。
どうやったらそんな詐欺に遭えるのか、その方が不思議なくらいですが
今の老人は子供の頃〜青年期には「大人の言うことを黙ってきけ」
「目上の者の言うことには素直に従え」と言われて育ったので
そうなってしまったのです。




優しいアワ社会なら、そんな人でも大丈夫・・・というか
いや、むしろそうあるべきだと推奨されていたはずです。
しかしこの現実世界はそうでは有りません。
だから老人達は学習する必要が有るのです。

が。

学習しませんね。



そんな老人達に対しても優しく相手をしてあげるアワ人間達が家族なら問題は無いが
低次元のサヌキ人間だったら・・・
老人は食い物にされてしまうのです。

私のようなアワ量多い低次のサヌキ人間は老人を食い物にはしませんが
老人に対しては「学べ」と言うしか有りません。
常に他人の親切や思いやりを期待して生きるのは不味いからです。
何を根拠に自分の周囲の人間が皆、優しくて黙っていても勝手に自分の面倒を見てくれる、
などと世迷言を抜かすのでしょうね?
それはありえないからありえないと言ってます。


実家の母と同居している弟夫婦について頭を痛めています。両親(父は入院中)は、...



この老人のような目に遭っている老人は実際にいます。
私の主人の母の近所に住んでいる老婆。
バカなことに年金手帳(通帳?)を同居している倅夫婦に渡してしまいました。
それからは毎日の昼食は嫁がお祖母さん用にコンビニで菓子パンを一個買って来るだけ。
多分十年以上続いているはずです。

この老人は年金手帳(通帳)を倅夫婦に渡せば
自分は何も考えなくても毎日自分の好物やご馳走が食卓に並ぶに違いないと
妄想したのでしょう。
その結果、毎日菓子パン一個を食わされる羽目になりました。




老人の考え無しと接するとかなりなストレスになります。
だから私はこの嫁を責める気は有りません。
同居してくれているだけでもいいと思った方が良いのではないか、この祖母さんは。
(倅一家にしてみれば家賃タダで住めるというメリットが有る)
(だからこの同居は倅一家にとって良い条件です)
(ただ一つ祖母さんが邪魔なだけですw)




考え無しがそれほど悪いのか?
と問われたら、善悪の尺度では善でも悪でも無い、と答えます。
ただし、今、そのような状況を招いた原因は老婆自身に有ることはたしかです。
だからその点では「祖母さんが悪い(祖母さんが原因)」であると言えます。




<人間の二つのタイプ>(2013年4月11日)


人を二種類に分ける方法は沢山有って
多分無限に有ると思うがその中の一つをここで記事にします。



@論理能力に長けている人
A具体的なことに長けている人

@は理屈に強く、話方は理路整然、話の筋道が通っている。
Aは理屈には弱いが具体的なことには長けている。

理屈一辺倒の人や理屈が殆ど通じない人は居ることは居るが
大抵は両者が程良くミックスされているか、程良く無いがミックスされている。
程良くミックスされているとこの世は生き易いですね。

(※両方の能力が高ければ理想的です。
   そういう人も居ると思います)




私の兄弟を見てみても
@=私長男三男
A=次男次女
です。

理屈に強いタイプは勉強が出来るが
具体的なことに強いタイプは身体を動かすことが得意です。
(※具体的なことに強いというか、論理に弱いので相対的に具体的なことに強いと言うしかない、
   という、本当はどちらも弱いタイプも居ます。
   次女などはそれで、その場合はひたすら愛嬌と他人の顔色伺いでやっていこうと
    無意識に思っているようです。
   が、そんなことで渡れるほど甘くない、世の中は本人の自己中心や我侭に合わせてくれません)




人と会話していて、伝えたい意図や定義などを語ることがあるが
その時、いまいち通じない場合が有ります、というかその場合の方が多い。
それはこちらが論理人間なのに相手が具体人間の場合。
その場合、何度も言えば通じるかと言うとそんなことはなく
相手の判断力(思考力)が増さないと通じないので
相手の判断力が増すのをこちらは待っていなくてはならない。

待つと言っても毎日(まだかまだか)と期待して待つのではなく
放置、に近いです。
それしかやりようが無いからです。




<女脳(おんなのう)3>(2013年3月19日)


女が理屈に弱いなんて認めたくないが、実際にそういうのが居るので
認めざるを得ません。
勿論男にも理屈が通じない阿呆は沢山いますが
女の場合は、阿呆では無いのに「理屈が通じない」という点で惜しい。
そんな女脳の事例。




或るサイト。
モノが分かっているなあ、と感心していました。
ところが或る日の記事を読んでびっくり。
おいおいおいおいおい・・・と思ってしまった。


その記事のタイトルは「パズル」だった。
で、記事を読んだらどうもジグソーパズルについて語っていて
他のパズルについては語っていません。

これのどこが問題なんだ?と思った人は居ると思う。
問題がすぐ分かった人も居ると思う。
そういう話。




記事を読んだPさんから感想が来ました。

800の最新記事ですが。

日月神はよく「立体で物事を考えろ」と言っていますが、
「○○」の人のジグソーパズルの話はまさしく、
日月神のいうところの「平面的な考え方」だと私は思いました。

しかもピースが崩れたり、はがれたりする…って、
「おま、それジグソーパズルの前提が崩れとるがな…!」と言いたくなりますよね。笑

「最後に完成したパズルの絵を見れば、
 『全てのピース(出来事)が必要だった』とわかる」とかいう話なら、わかるんですが。

69さんが言いたかったのって、たぶんそういうことですよね?



頭の良い感想だ!
凄いや。


う、うれぴー…!


でも私が言いたいのは超簡単、単純なことなんだ。


あ…でも外してるのか…orz

パズルにもいろいろあるのに
「ジグソーパズル」という固有名詞を出さずに
勝手に限定して話していることですか?




そういうこと。



つまり、こういうことなんです。

タイトルに「パズル」と書いてある。
だけど本文を読むと「ジグゾーパスル」のことです。

で、良く考えてみる。

ジグソーパズルはパズルです。

でも、パズルはジグソーパズルですか?

違いますね?

実に単純なことです。

このサイトの管理人さんの普段の主義主張はとてもマトモで生活の知恵、
人生の知恵が有ります。
なのでなかなか良いと思っていたのに、この「論理の破綻」を見てガッカリした、というわけですよ。


とても頭が良い。
なのにこんな簡単な論理が出来てない。
私はこの原因は「女脳」に有るのではないかと思ったのでした。




生活の知恵、年齢的な知恵が有るので一応は賢く見えるし
多分本人もそのつもりで居るのだと思う。
世のなかの大抵のことはそれでも解決出来るのでね。
でも、精神世界で仕事をしていくのなら
そこ(そのレベル、判断力、思考力)に甘んじていては先が無いと思う。


この「先が無い」ということに関しては、某人(ぼうひと)が数年前に
どうもお客さんへの対応で滅茶苦茶をしたようで、その件をネットに晒されてしまいました。
某人は所謂良い人なのですが、女に多いタイプでして
感性と感覚、感情で生きているようなところがある。
それは悪いことでは無い。
愛嬌が有って、私のように愛嬌無しから見ると「いいな」と微笑ましくなるものです。
しかし、コト仕事になるとそれは違ってくる。
愛嬌だけでは仕事は出来ないのです。
最低限の論理性を持たないと、仕事は破綻します。


今、世のなかの人、精神世界に興味が有る人の目がだんだん肥えて来ている。
物事が分かるようになっている。モノが見えるようになっているのです。
なので判断力が低い人(管理人)からダメになっていきます。
お客の方が上になったら、その時点でお終いだからです。
まあ、全員が同じように向上していくことは無いので「まだ良い」と言えば良い。
しかし、越えられたらお客にはなってもらえない。



せっかく頭が良いのに感性、感覚、感情でモノを言ったり書いたりしていると
これからは不味いのではないか、という話。
物凄く簡単な論理も無いようでは、「これだから女は」と男に言われてしまう。
(男にもバカは沢山居ますが、それは除外ね。
  そういうのはこの際論外なので)


返す返すも惜しい「女脳」の人でした。



<女脳(おんなのう)2>(2013年3月1日)


男性脳か女性脳か、わかる画像らしい

しかし、男とか女、では無さそうです。
効き目の違いとか、他に理由が有りそうです。




<女脳(おんなのう)1>(2013年2月24日)


「女脳」という内容で記事を書こうと思って延び延びになっていたら
或るサイトのコメント欄にこのような書き込みを発見しました。
これはまさに「女脳」の見本とも言うべき文章なのでここに掲載します。
伏字、当て字、フェイク入れて変形してありますが主旨は変えていません。




3 ■ちょと心酉己・・・

○さんが先日の私のコメントに対して、「嫌われたかと思った」と書いてありましたが、、

それは全くなくて、私もそのときどきの○さんの記事を読んで反応するのではなく、
少し静観しながら全体像を掴むようにしたほうが良いかな・・・と思ったのです。

なので、逆に○さんからすると、私が言うことが耳障りに聞こえることもあるかもしれませんが、
決して嫌っているとかではなく、むしろ心配しているので、、そこんところよろしく。

○さんもそうですが、○さんのような能力者とか純粋な魂を持ち向上心を持つ人々、
また影響力のある方々は、闇からも狙われ易いということはご存知かと思います。

闇のほうは本当に巧妙で、当初素晴らしい方向を見せながらやんわりと闇方向に導いていくなど、
よくやるやり方だと思います。

最近出てくるこの有名な「シ才ン」や「ザイ才ン」という名前が出てきたのもかなり気になりますし、
バシャ一ルがいう「音により遺伝子を操作している。」というのも・・・。

???

上の文章の末尾が「というのも・・・。」で終わっていて
「というのも」続きは何?と突っ込みたくなります。

この人の文章は全体的に何が言いたいのか、主旨が分からなくて思わせぶり。
後はご想像に任せる、みたいな書き方ですね。
このクソ忙しい時代に、他人が書いた、結論を濁したような分かりづらい文章を読んで
「想像する」暇な人が居るのだ、と思っているとしか言えないです。
いや、思ってないのです、多分。
何も思って無いと思う。


誰か自分以外のものに何かを操作されるっていうのは、危険なので気をつけたほうがいいと思います。
信用させてから、今回のように何かをして依存させていくように仕向けている可能性もあります。

いや、それは「自分が他人に操作されたら」かなり不味いですよ。
これは一般論ですね。
でも、その前に「この○さんと言う人が操作されたのだ」ということが確実なのでしょうか?
○さんが誰かに操作されているかもしれない。
それはナンピトたりとも否定は出来ない。
万人が誰かに操作されている可能性は否定できない。

だとしたら、この文章を書いている本人の方も当然「操作されている可能性を持っている」のではないでしょうか?
だったら「誰かに操作されることは誰にとっても危険であり、勿論この人も誰かに操作されているはずだから
○さん同様、毎日その危険性を感じて生きていることだろうと思う。
いや、ほんとうはここでは「はずだから」なんて書くのは変ですよ。
でも、この人は○さんという人には、誰かに操作されたら危険だ、と心配しているわけです。
操作されているのは○さんだけである、という前提も確証も無いのだから
○さんほどの人が操作されるとしたら、当然この人も操作されている、と考えるのが普通ではないか。
このコメントをしている人は操作されてないことが確実なのでしょうか?
それを確認せず、憶測でこの○さんが誰かに操作されているのだ、とここで勝手に心配しているわけです。
ワケが分かりません。



と、ややボケてみましたが、要するにこの人が言いたいのは
この○さんという人は、
「○さんのような能力者とか純粋な魂を持ち向上心を持つ人々、
 また影響力のある方々は、闇からも狙われ易い」
と書いているわけです。

○さんは
「○さんのような能力者とか純粋な魂を持ち向上心を持つ人々、
また影響力のある方々は、闇からも狙われ易い」
として、このコメントしている人はそうでは無いのでしょうか。
そこらへんが不明です。




まぁ、○さんはバシャールを信頼しているということなのですが。

私は○さんという方は色んな記事を読んでいて人間として信頼出来るなぁ、と思っていますが、
バシャ一ルやその他、出てくる宇宙人に関しては信用出来るかどうか?は判断出来ません。

バシャ一ルを信用できるか出来ないか、結論付けて無いのはこの○さんも同じだと思います。
○さんはバシャールを信頼している、と書いてあるが「信用している」とは書いてないのでは?
だって、この人も「信頼している」とは書いてあるが「信用している」とは書いてないからです。
信頼と信用がごちゃごちゃになっています。

マットウな人なら何でもかんでも信じ込んだりはしないものです。
○さんがバシャールを信頼している、と書いても、その信頼の度合いは
他人と比べたら「かなり疑っている」レベルかもしれません。
感覚と定義は人によって全然違うからです。

この人は○さんのことを「○さんという方は色んな記事を読んでいて人間として信頼出来るなぁ、と思っています」
と書いているのだから、このバシャ一ルの件についても○さんを信頼すれば良いのではないだろうか。
○さんがバシャ一ルを信頼しているということを、この人は○さんを信頼して○さんに任せておけばよいと思う。
こういうこと(趣味)は、本人の好きなようにしてもらうしかないのではないか?

ていうか、もし、この人が○さんを信頼していたら、○さんが何をしようと「信頼している」のではないでしょうか?

「信頼している」

と書いておきながら、では、何故

「心配する」

のでしょう?

この人の文章の突っ込みどころは沢山ありますが、
最も妙なのはこの矛盾です。
もし人を「信頼する」なら、何をしようと「安心して任せる」のではないでしょうか?
他人がすることを「心配する」なら「信頼していない」のではないだろうか。




というよりも、自分でこのことをどう考えたらいいのか?について自分でカードに聞いて訪ねてみたのですが
私がどちらか?という風にジャッジしないほうがいい。
ジャッジすることに意味がない・・というようなかんじだったです・・・。

この人が思考したことより、カードの方がこの「問題」を的確に見ているようです。
カードは誰がやっても当たります。
この人は自分が引いたカードから「ジャッジするな」というアドバイスをもらったのだから
それに従えば良いわけですよ。
つまり、この件に関しては「思考力が乏しく、論理が目茶区茶であるから」「ジャッジするな」「つまり黙っていろ」
ということなのです。
それなのに、せっかくカードが警告してくれたのに、それを無視してコメントしているのです。
だとしたら、自分でせっかく引いたカードの警告を無視しているのだから
それはこのコメント内では書かない方が良いのではないか、と思いますよ。
カードのアドバイスを無視してコメントしているということまで書いている、
内幕を暴露しているその理由、目的が分かりません。


今回は操作という言葉が気になったので思い切って書きましたが、私からすると○さんが心配なのです。

ええええええええええええええと。
この「操作」という言葉、○さんが「自分は何ものかに操作されいる」と書いたのではなくて
この人が勝手に想像した産物ですよね?
この人は或る日突然「操作」という言葉が浮び、気になったのでしょう。
勿論それは○さん関連で、です。
決して「自分が操作されている」のでは無く
「信頼出来る○さんが」「操作されていること」が「心配」だというのです。

この人の文章は、想像、妄想、思い込み、独断、論理性欠如・・・で
いったい何が言いたいのか分からない文章となっています。


長くなりましたが・・・
とにかく、その能力や魂を利用されたり操作されたりしないように気をつけてほしいという老婆心だと捉えてくださいませ〜

最後に結論が書いてありました。
今までの文章はこの結論に辿りつくまでの論理だったようです。
しかし、○さんを信頼している、と書いているのだから
その○さんを心配するのは矛盾している、ということに、この人は気付かないのでしょう。
このコメントは全体的に思い込み(確証無しの想像)で書かれているので
まずは「前提」からして変なので、どこをどう読んで良いものやら途方に暮れます。
が。
この人が一番言いたいことは

とにかく、その能力や魂を利用されたり操作されたりしないように気をつけてほしい
と、いうことなのは良く分かる。

でも、だから〜
そういうあなた自身は大丈夫なんですか?
と突っ込みたくなります。
だって、この人がこんなにも信頼している○さんが心配なら
当人はもっと心配だと思うんですよ。




根拠の無い思い込みを前提に、到底他人から理解されないような「論理」を展開している人の
「脳」を、私は「女脳」と呼んでいます。
こういう人がたまに2ちゃんなどに書き込むと、周囲の男性から
軽蔑&罵倒の目に遭ってますが、仕方ないかな。
そういう目に遭いたくないのなら、最低限の論理力を身につけないとね。

で、こういう女脳の人が占い師やチャネラーやっているんです。
不味いと思います。




<五十代>(2013年2月23日)


【DQ返し】「気づいてくれないからあやうく膀胱炎になるとこだったわよ。」

この記事の姑は今なら56歳ですね。
これはヒドい。


五十数年間、いったい何をして来たのだろうと不思議です。

モノの分かった人は年齢に関係無く居ます。
30代でも40代でも居ます。
50代女性に風当たりが強いのは
◆職場に居るから(60歳以上は通常、定年で居なくなる)
◆姑の世代(勿論60歳以上の姑も批判されています。
         姑になる年代は50代ですから、姑として批判される。
         40代の姑は数が少ないが、それでもたまに批判されています)
と、いう事情は分かるが、それにしても分からずやが際立っていますね。




<嫉妬する人>(2013年2月19日)


自分の友人Aと、友人Bが居る。
自分を通してAとBが知り合う。
AとBは意気投合してとても仲良しである。



さて。



あなたはどんな反応をしますか?



@Aを紹介したのは自分だ。それなのに自分を差し置いて仲間はずれにしたAとB。
  気に入らない。自分は疎外された。悔しい。

Aそれはいいことだ。
  二人は気が合いそうな気がしていたが、自分の見立ては当たっていたな。
  凄いな自分。
  AとBよ、これからも仲良くしておくれ。
  用事が有る時は自分が関係ない場合は、
  私を介さずにAとBとで直接やり取りしておくれ。




上の実例は実際に有ったことです。

Aは私です。
私は非常に想念が悪く、暇さえ有れば国の裏に居る連中や
凶悪犯などを○○して○○してやろうと思っているのですが
そんな想念の悪い私でも、他人同士が仲良くしているのを見て嫉妬することは有りません。
AさんとBさんが二人で何かしたいのならいちいち私を仲介役にするなよ、
面倒臭いなあ!と思います。




@の実例。
或る人がAさんという凄腕の霊能者をBさんに紹介した。
BさんはAさんの霊視を受けたら素晴らしかった(人間性も素晴らしかったのでしょう)
Bさんの複数の知り合いに紹介した。
その後、皆はAさんの人柄に惹かれてファンになり、
皆でお金を出し合ってAさんを会合に呼ぼう、ということになった。

で、皆でAさんを呼ぼうということになり、
その時は最初に紹介をした人、或る人とはもう無関係ですよね。
だからBさんは最初の或る人には何も言わなかった。

私はこれ、当たり前だと思うんですよ。

でも、最初の或る人は、Bさんのこの行いに対して怒った。
「自分をないがしろにした」という理由で。
私は「そうじゃない。だって既にBさんはAさんと直接の知り合いなんだから、
あなたは関係無い」と言ったのですが、その人にはその言葉は理解出来なかった。




う〜〜〜ん。
Bさんも、その最初の人がこういう面倒臭い人なのだ、ということを知ったから
何も声を掛けなかった可能性も有るなあ、と思います。
しかし、そうでなくてもBさんは直接Aさんと知り合いなんだから
最初のその人はもう関係無い、と思うのが普通ではないか。
そこに「自分が紹介したのだから」と割り込むような考え方をしていたら
そういう人って不味いことになりますよね。
事実、他の面でも不味いことだらけになったようです。
つまり「一度縁の有った人達から、だんだん疎まれて相手にされなくなった」のです。
当然です。

私もその「相手にしなくなった」一人です。
仕方ないですね。
ここまで分からずやなのに、自分こそが正しいと思っている人と
誰が付き合いたいと思うでしょう?
居ませんね。




<本当の気持ちが分からない人>(2013年2月14日)


殆どの人がそうなんだと思います。
殆どの人が自分の本当の気持ちが分からなくなっています。
多くの人は自分の本当の気持ちを意識化することが無い。
自分の本当の気持ちに気付かず生きていて、様々な齟齬を生じさせています。




セイシンセカイのあれこれやいろいろは、この「自分の本当の気持ち」を
探るために有るのだ、と言っても過言では無い。

多くの人の中でこの状態をなんとかしたいと思った人が
セイシンセカイでお金を使って、自分の本当の気持ちを他人に探ってもらったり
自分が探る手伝いをしてもらっているわけです。
中には高額なお金を払う人も居ます。




実例を挙げてみましょう。
セイシンセカイとは無縁な人の例です。


何度も話題にしている主人の母、私から見たら義母。
義母が去年我が家に同居したいと言い出した。
泣きながら訴えていました。
でも、その心根を見てみれば・・・

自由にやりたいのです。
義母の自由とは、私から見たら自分勝手。
なので義母に「お義母さんは自分勝手」と言いました。
それを自覚した上で我が家の厳しいルール内で自立して生活するなら私は同居OKです。
お義母さんは覚悟している、と言ってましたが
多分、厳しい訓練に耐えられないと思う。
想定出来ないので、その時のお義母さんの我侭=同居したい=そのために
「覚悟している」と発言したのだ、と私は解釈しています。

で、義母の娘は義母と価値観が同じなので
厳しい思いなど全然しないで同居できるのです。
だから「お義母さん●子ちゃんと同居するのが一番幸せですよ」と提案した。
すると義母は「でも、アタシは(苗字が)××だから(違う苗字の家には)住めない」と答える。
なので「はあああああああ?」と言ってしまいました。




つまり義母世代(80代)の人間は
「違う苗字の人と同居は出来ない、するものでは無い、
それは変なことだ、恥ずかしいことだ」と思っているのです。

私の世代ではそんなことを言うバカは居ませんが
義母の世代ではそれが「普通」なのです。

しかしね。

子供の世代の人間と同居するということは、子供の世代の人間が持っている
価値観に従う、ってことなんですよ。
それが嫌なら一人で生きれば良いのです。
それが「独居老人」です。

お義母さんはそれ(独居)が嫌だから子供と同居したいんでしょう?

だったら子供世代の価値観に従うべきです。
そしてその場合は、お義母さんにとって最も幸せなのが「娘と同居すること」なんですよ。

はああああああああ・・・疲れる。




私は何も「婆あ、来んじゃねーよ!」と言ってるのではない。
お義母さんにとって一番幸せで自然な生き方を提案しているのです。
でも当のお義母さんが世間体、自分の価値観、昔の慣習などで自分の思考に制限を作り
それに縛られて、それを突破して思考しないのです。

多くの人がこのレベルにいます。

たとえば「嫁は舅姑に仕えるものだ」と舅姑世代は思っている。
でも嫁の世代はそんなこと微塵も思っちゃいません。
そんなことは「想像すらしない」のでした。
なのでネットに「武勇伝」が載るのです。




お義母さんが「それをしたい」(我が家に住みたい)と言ってるんだから、それを
受け入れてあげれば良いのでは?

と、思うかもしれませんね。

それをしたとしましょう。

お義母さんの表面意識では「長男と同居したい」のです。
でも本心は「娘と同居するのが一番楽だから、一番良い」のです。
でも当人は自分の本心に気付いていません。
それで問題を起こしているのです。

当人の意識が混乱しているのだから、たとえ我が家に同居をしたとしても
毎日他人(娘、親戚、友人、知人)に愚痴電話を掛ける、ということになる。
だったら「独居でいいんじゃね?」と私は思うのです。
どこに住んでいようとやること(だから愚痴電話)は同じなんだから
それだったら独居でいいんじゃね?と思うのです。




上の実例、老人の例ですが、若い人だって同じことをしています。
年齢に関係無く、思考力判断力が無ければ、同じことをするのです。
つまり
本心とは違うことをやりたがる
ということです。
そしてそれが叶わないと知って苦しむのです。
これは年齢に関係有りません。




今義母は自分勝手に生活出来る独居をしていて多分気楽ではないかと思います。
そりゃ寂しいだろうが
一人で気楽>独りで寂しい
という式が浮ぶ。
今は一人で気楽、の方が重要なのだと思います。
そのうち「独りで寂しい」の方が勝れば
また事情が違ってくることでしょう。

老人になって子と孫に囲まれて悠々自適・・・それを叶えるためには
最低限の思考力は必要です。
義母はどうも「自分は何も考えないで皆に良くしてもらって生活する」のが望みだったようです。
しかしそれは義母が勝手に夢を見ていたことで我が家には何ら関係も責任も有りません。
(※我が家には誰一人義母の愚痴を聞いてあげる人は居ない。
   私は「聞かない」と宣言し、娘も「愚痴は聞かないから」と宣言したそうです)




その人にとって一番幸せなのは「自分が思う通りに生きること」。
義母がこれだけ悟ってくれればいいのですが、なかなか・・・
口で説明をすれば分かるかと言うとそんなことは無い。
説明して分かるなら簡単です。




多くの人は自分が一番好きなことを知らないし、自分がどうしたら一番気持ち良いか知らない。
その通りに生きている人は少ない。
過去記事のカスオなどは自分が思う通りに生きていて幸せですが
奥さんが居ません。
自分が好きに生きると配偶者が居なくなる。

だから。

自分やりたいように生きる>配偶者居ない

配偶者居る>自分がやりたいように生きる

ということになります。

どちらを優先させるのかどちらが大事なのか、それは人によって価値観や事情が異なりますが。


ネットの相談ごとを見ていても相談者が一番大事なのは何か、を質問するコメンテーターが居ます。
それを訊かれて相談者が、初めてその件(自分は何を一番大事にしているか)を考える。
そしてその件が解決の方向に向かうことが有る。

何も考えずただ感覚だけで生きていることはたとえ今は良くても
先々支障が生じる可能性は高いでしょう。




<口先男>(2013年2月6日)


くちさきおとこ

と読みます。

口裂け女は怖いが口先男は呆れます。




主人の弟は次男だからなのか、何なのか、生まれた順は関係無いのか
素質なのか分からないが、とにかく何も考えてなくていい加減。
調子だけは良い。
宴会の時は一人で喋って盛り上げている。
それはいいが、責任感が無くて出来もしないことを軽く約束する。


奥さんのH子さんが常に般若顔をして愚痴を言っているのも分かる気がする。



去年の春に主人の母が手術のために入院したが
その前に、医師との話し合いに「平日、子供の誰かが付き添ってくれ」と言う。
うちの主人は仕事だから行けないとハッキリ言った。
主人の弟も「仕事だから行けない」と断った。
主人の妹は県外に住んでいて何かコトが有れば駆けつけるので
妹がやれば良いと兄二人は言ったらしいが、妹は「男性が行かないとダメ」だと言う。

しかし、大人の男性が身内に居ない婆さんだって世間には沢山いるのではないだろうか?

と、理屈を言う私は思う。
私はその話し会いに居なかったのだが。




息子二人が手術前の付き添いには行けないということで主人の母は困ってしまった。
すると主人の弟が「俺が行くよ」と口約束。
それで解決した・・・はずなのだが、直前になってから「やっぱり行けない」とうちに電話が来た。
それを受けたうちの主人は怒って「嫁に行かせろ」と言ったのだが
嫁は「自分の孫が生まれそうなので」行けないのだそうだ。

しかしいつ生まれるか分からないものを「待つ」ってのも変だし
そんなところに姑なんか居ないほうが私は良いと思うが、
その電話には私は出ないで最初から最後まで主人が応対していたので
意見を言うことが出来なかった。

で、うちの主人は「行く」と約束をしていた弟に代わって、母の付き添いに行くことになった。
かなり怒っていたが、私なら怒らない。
そして「行かない」。
あくまでも弟に「自分の発言に責任を持ってもらう」けどね。
それでも弟がグダグダ言うなら電話ガチャ切りしますが。




出来もしない口約束を平気でしてそれを簡単に破る弟も弟だが
それをやらせてしまう兄も兄ってことで。
よく家族でも職場でも一人非常識で依存したり我侭を通すのが居るが
それをさせる周囲の人も問題だ、という実例でした。




<鬼畜>(2013年1月25日)


ネットの「まとめサイト」を見ると様々な鬼畜の事例が載っていて
大変参考になります。


世の中には、自分の子では無いことが明らかになった後でも
育てているうちに愛情が湧き、
不倫女房を離縁しても血の繋がらない子供を引き取って育てる父親が居るというのに
世の中にはこういう人がいるんですね↓
「修羅場速報→の子供(女10才)が兄のことを「汚い」「触らないで」「喋りたくない」と毎日罵る

この兄嫁は鬼畜なのは良いとして、自分の子供を鬼畜に育ててしまった。
ここまでひどい鬼畜も珍しい。



見掛け上は人間だが中身は人間とは言わないのではないか、上の事例のような鬼畜は。
私の周囲、友人知人には居ないのですが、いったいどこにこういうのが居るのでしょうね?

鬼畜=ケモノの入れ物=ケモノ次元=低級霊

のことです。

ケモノに申し訳ないのですが、人間に生まれながら獣にも劣る輩をケモノ次元と言います。
何故このようなのがこの世に存在するのでしょう?
参考になるサイトを発見したので紹介します。




「空を見上げて」→「2013年1月24日 低級霊の転生」

あの世からこの世に生まれ出て来ることは、どんな霊にとっても大変リスキーで、かなりの勇気が必要になります。

ですが大抵の霊は、少しでも高級霊に近づこう、自分の霊格を上げようと、前向きな気持ちで生まれ変わりを決意するのですよね。

しかし低級霊はそういう場でも卑怯で、何とか自分が有利になるように色々と工作をしたり、アレコレ条件を持ち出すのですね。

善霊も生まれる先の家を選んだりはしますが、そういう基本的なこと以外にも、低級霊は事細かく要求を突きつけるのです。

よくあるのは「高級霊の家族に生まれる」「高級霊との婚姻を望む」「高級霊の子供を授かる」など、高級霊との濃い関係ですね。

例えばこの世で言えば、遠い外国に留学する場合、「お金持ちで良い人の家にホームステイしたい」と希望するようなものです。


更に低級霊は弱い霊ですから、苦労の量も予め低めに設定することが多いです。

ただ正直カルマも多いので、どうしてもやらなければいけない苦労もあるのですが。

ちなみに高級霊はカルマが少ないので苦労しないのではないか、
と思われるかも知れませんが、全くの逆で、むしろ色々な経験をしようと盛りだくさんな課題を持って生まれてくるのですね。

なので元々大変な人生になりがちなのですが、その上に高級霊だった人は、
虐待やいじめの対象になりやすいので、何かと苦労が絶えないものです。

つまり苦労の量だけで霊格を判断することはできませんが、
ただ「幸せ自慢」をするような人、または幸せそうな人に群がるのは、低級霊が多いです。


よく「親友」とか言いつつ、本当は軽蔑しあっているような人たちがいますよね。

子供の頃ならまだしも、いい大人が何年もズルズルとそのような付き合いを続けている場合、
どちらかが低級霊か、お互いに低級霊のことがほとんどです。

そういう関係は大抵、あの世で申し合わせて一緒に生まれてきた霊なのですね。

つまりソウルメイトの一種ですが、ただ低級霊の場合は助け合ったり、
切磋琢磨して高めあうような関係ではなく、いやらしい結託や腐れ縁みたいなパターンばかりです。

新しいお店に一人で行く勇気がないから、好きではないけどそういう話には乗ってくれる知り合いを誘うようなものですね。


低級霊はそんな風に、色々と脇を固めて生まれてくるのですが、それでも不平不満は凄まじいものがあります。

元々魂が貧しいので、社会的地位を手にいれようと、財産を得ようと、どこまでいっても豊かさを感じられないのですよね。

まあ必要以上に自慢はしますから、表面しか見ない人からしたら、大変な幸せ者なのですが。

更に生まれる前からの約束である高級霊の家族も従えて、妙にいい気になっているような側面もあります。


そう、低級霊は高級霊に縁があり、大変に恵まれているのですが、大抵はそれを「悪用」しているのですよね。

低級霊は高級霊に対して、尋常ではない嫉妬心と憎悪を持っていますから、
高級霊が身近にいる幸福を、本当には享受できないのです。

むしろ高級霊を虐げることで、歪んだ優越感、特別感、快感を味わっているのです。

いくら高級霊を貶めたところで、自分の霊格が上がるわけではない、という簡単なことが分からないのですね。




なるほど、分かったような気がします。
この管理人さんは正直なので好きです。


それから「世は八分通り獣の入れ物」と日月神も言ってますから
ケモノ次元では無い人の方が少ないわけです。
ケモノと言ってもその症状、段階には様々なものがあり
軽いケモノから重症なケモノまで各種取り揃えているわけです。

ネットの「復讐もの」はそういうケモノにヒドい目に遭った善人が
弱い善人を辞めて強い善人になる話です。
まるでハリウッド映画のようで、だから面白い。
主人公に「頑張れ!」と応援したくなります。

と、いうわけで。
どんなに良い人でもケモノの攻撃
(嫌がらせ、依存、悪口、中傷、仲間外れ、苛めなど)から
逃れることは出来ません。
だからそういう時は
(ああ、ケモノってこれのことかあ!)とサトるしかないのです。
出来たら相手のレベルにまで下がって行って、相手より柄を悪く装って復讐まとめサイトの事例のように
行動を起こすのもまた一興かと存ずる。




しかしそれって考えただけで疲れるので
やはり放置〜逃亡〜縁切り〜(復讐する日を楽しみに待つ)が良いと思います。
復讐と言っても殴る蹴るは下級者のすること。
上級者は
「幸せになる」これだけでケモノは地団駄踏んで悔しがり、病気になりますから
その手が一番良いと思いますよ。

今日も低級霊に囲まれている皆さん、ご苦労様です。
負けないでね♪



<苦痛から学ぶ人>(2013年1月22日)


たとえば結婚相手を選ぶ時、相手の人柄を見るよりも
「この相手を選んだ場合、自分が周囲からどのような目で見られるか」を
優先させてしまう人って居るんですね。

そのような考えを「余計な考え」と言います。
女には余計なことを考える人が多くて
日月神は
「女のメグリ怖いのぞ」と言ってます。
素直では無い人。
虚栄心が強い人。
常にあれこれと過ぎたことやまだ起きてもいないことを思い悩む。
頭の中には余計な情報が整理されずに入っていて、物事を筋道立てて考えることが出来ない。

それでは幸せにはなれないと思うのですが、その通りの事例を発見したので紹介します。

「修羅場速報 幼馴染2人にアプローチされたので玉の輿コースを選んだ」



この事例の女性は
「しっかりと自分を持つこと」「意志を持つこと」という必要なことをせず
「周囲から羨ましがられたい」=認められたい
という意識しか無かったために、このような体験をして
「しっかりと自分を持つこと」「意志を持つこと」の重要さを思い知ったのでした。

運命は何事かを悟る方向に動きます。

悟る、学ぶ、分かるということは非常な苦痛を伴う。
「苦しみてこれを知る」(論語)のレベルに有る人は苦痛から学ばなくてはならない。




通常、人は何もかもが巧く行っている時には悟りませんが
巧く行っている時、喜び、幸せの中でも学べるレベルになればもう苦痛は必要無い。
そのレベルに達することが人生の目標の一つだと思います。
苦痛なんて感じたくないもんね。




<感覚の違い>(2013年1月15日)


人と人は皆感覚が違う。

感覚も合わないものは合わないのだから
その場合は
(ああ、感覚が違うな)と、分かれば良い。

一方が一方の感覚よりも正しい場合も有るが(人生相談サイトなどに事例が沢山ある)
単に感覚が違っているだけの場合も有る。
つまり正しい、正しくないという基準に当てはめることが出来ない場合が有る。
後者の場合はただ(違うんだな)で終了するしかない。




と書いたが
感覚の違いなんだから仕方ないと思う人と
感覚が違うところが問題だと思う人が居るので
面倒です。




<自分を認めて欲しい人は不幸>(2013年1月3日)


他人から認めてもらいたい、認めて欲しいと思う意識のレベルが低いのだから
その結果、当然他人からは認められない。

なので他人に認めて欲しい人は認められない。

本人の願いが叶えられないので本人は苦しい。

苦しいから不幸だと感じる。

よって「他人から認められたいと思っている人は常に不幸である」




<嫌な人がどんどん居なくなった2・・・相手の話を聞く態度>(2012年12月28日)


嫌な人がどんどん居なくなった、と言っても自分の周囲に居ないだけです。
世の中にはまだまだ嫌な奴はいます。
私もたま〜に、嫌な思いをしています。
通りすがりの人の中に、波動が低い人は居るものです。
全然、一人も出会わない、ということは有りません。



波動の高い低い、相手よりマシ、劣る、ということは抜きにして
「嫌だな」と感じるのは波動の違いから来ているので
こっちが「嫌だ」と思ったら相手も「嫌だ」と思っているんですよ。

この世界には「善」や「正義」に特化した人が多くて(笑)
無意識に「自分は正しい」「相手より自分のほうが正しい」と思って
他人を裁いているものですが、これは無意識でやるのが悪い。
やるなら思いっきり意識してやれよ、と思います。

つまり(ああ、今私はこの野郎のことを、バッカ野郎、と思っているな。
自分のほうがずっとマシだと思っているんだな)と意識すれば良い。

まあ、最初から「このバッカ野郎!」と思わないほうが良いのですが
魂がそこまで清らかで無い人は難しいだろうから
せめて「他人を評価している自分」を意識化すれば良いと思う。

何事も無意識でやっているので、それが一番「悪い」のです。



また「良い、悪い」ですが、良いとか悪いとか評価出来ることは世の中に有ります。
したっていいと思う。
でも善や正義に特化する人は、その時に感情が入り
相手を責める意識になる。
これが悪い。
感情を入れないでただ淡々と評価すれば良いものを
自分が善で正義だと思うことが多いレベルは低いので
そういう低いレベルの人がやりガチなのが
「相手を感情的に責める」ということ。

これが「悪い」と思う。

あ、悪いと書いたが別に責めているわけでは無いんです。



たとえば日常的に「それはお母さんが悪い」とか言いますよね。
子供が問題を起こした場合などです。
その場合の「悪い」というのは「原因を作った」という意味で
別に善悪のことを言ってはいません。

でも、受け取り方は意識レベル、感受性によるので
「問題の原因はお母さんです」という意味の「お母さんが悪い」を
自分が悪いと責められていると感じる場合が多いのではないか。
というか、そのレベルのお母さんだから問題の原因を作っているわけで。



だったら最初から「この問題の原因を作ったのはお母さんです」と言えば良い。




と、思うかもしれないが、日常の会話でそこまで緻密に考えて発言する人は稀です。
カウンセラーならやれると思うが、一般人は大抵カウンセラーでは無いので
そういう語り方はしない。
その場合は、相手が言いたいことを汲み取る能力が無いとならない。



しかし、その汲み取る能力が無い人が多いw



これは学歴学力知能頭の良さとは関係が無いのです。
ただ、分かるか分からないかの違いによります。



自分の価値観、価値判断、判断力、知識などに照らし合わせて
相手の言葉を理解するわけですが
自分と相手は別人なので、同じ価値観感受性であることは滅多に無い。
友人同士ならそこらへんは似通っているが
他人の場合、年齢が離れている場合、学力に差が有る場合などは
話しが通じないのが普通です。

その時に自分の価値観に固執していたら相手の話は理解できない。
自分が相手より上でも下でも理解は出来ない。
その場合は相手が言いたいことを分かろうとする態度が無いと分かることが出来ない。

これが出来ない人がいますね。
理屈で分かっていても、それがどういうことなのか分からない人は普通にいます。




話しを最初に戻します。
嫌な奴が居たら(ああ、分からないんだな)とこちらが分かれば良いだけのこと。
それ以外のことをぐじぐじ考える暇があったら他の、もっと建設的なことを考えたほうが良い。




<嫌な人がどんどん居なくなった1>(2012年12月25日)


Kさんから。


以前書いたパートさんの他に、きちんとした接客ができず頻繁に
お客さんを怒らせておきながら、接客技術を身につけようともせず
怒った客は他の店員に押し付けて後は知らぬ振り、というパートさんも
いました。はい、私、しっかりターゲットになっちゃってましたw
800の<カスオの何が問題か/感想2>の書店にいたパートさん達でした。
(野菜や果物をくれたのは他のテナント店の店長や店員さんでしたw)

確かに彼らはいい教材であり先生でした。
転職するにつれてそんな人達が回りからどんどんいなくなっていったのは
彼らからきちんと学べたということなんでしょう、きっと。
ありがたいことです。




きちんと学べたので「この課題は合格。はい、次行ってみよう♪」なんだと思います。
私の周囲にも嫌な奴は一人も居ません。
まあ、居るっちゃあ居るが、ちょっと嫌なくらいだし
普段顔を合わせる必要が無いし、殆ど「居ない」のと同じ。




ところで某Pさんがバイト先の従業員からヒドい扱いを受けたことは記憶に新しいw
あはっは!
あ、笑っちゃいけなかった。

あれには意味が有ります。
Pさんは若いのでそこらへんのサトリが足りなかったのです。
どんなに悪い人でも「言えば分かる」「分かってもらえる」
「努力すればなんとかなる」と意識的にせよ、無意識にせよ、思っていたフシがある。
だから運命のほうが「そうじゃないんだよ」と教えてくれたのです。
文章(言語)で教えるのではなくて体験させて身体に教え込ませた、のです。
体験するのが一番の学びですからね。




何を学んだかというと
◎人の喜びはその人の波動なりのものである
◎人の天国はその人固有の波動である
◎異質なものに対しては嫌悪感を感じる
◎正義とか正誤の問題では無い、波動の違い(差)の問題である
◎他人の天国(つまり、こっちから見たらヂゴク)は放っておけ
ということ。

さらに
◎そういう手合いは今回のアセンションの波には乗れないが
◎それはその人達が選んだものなので
◎それを他人がどうこう出来るものではない
◎その人達はこれからまた数十万年だか数億年だかの転生を再開する必要が有り
◎それが可哀想とかの問題では無い
◎それがその人達の学びにとっては最適なのだ
と、悟ることが必要です。




全人類は漏れなく「アセンションするため」に生まれて来ているのですが
そのアセンションとは「今回のアセンションでは無い」ってことです。
それを心から悟ることが大事。

それを分からないでいて、そういう人達に「もっと良いやり方」を示しても
それはその人達にとっては「良いやり方」では無いのだ、ということ。
それなのに自分が思っている「良いやり方」を押し付けるのは
「我」なんです。
そういうことを分かっている人は、その課題はクリアしたので
周囲に分からせてくれる人は必要無いので、
その結果「周囲に嫌な人が居ません」という状態
つまりKさんのようになります。




<とても良い人が受ける”天罰”>(2012年12月14日)


頭の病気、怪我は天からの痛〜いメッセージ。
何か天(宇宙の法則、先祖など)からの警告です。
虐待親は別として、普通の親が下す子供への頭頂部への鉄拳(拳骨げんこつ)も
上からの痛〜いメッセージ、つまり罰です。
×なことをしているから罰を食らうわけで。




主人の妹のご主人。
とても性格が良い。
私は好きですよ。
でもその人が10年ほど前のお正月に主人の実家に来た際に
或る店に行こうとして何かをくぐったら途中で頭を上げたので
その金属で頭頂部を切り、何針が縫ったらしい。

この人はとても良い人ですが何か考え違いをしていて
誰も説教をする人が居ないため、サインから感受する能力も無いため
無意識無自覚で(これで良い)と思い続けてン十年生きた結果が
この怪我なのだ、と私は思いました。

どんなに性格が良くても考え違い心得違いはするものです。
それに気付くことが、普通の人には難しい。
気付く訓練などしていないからです。




と、いうことがあって10年ほど経ったら、今度はこの人の兄が頭を強打したようです。
それも酔っ払って駅のホームで、入って来た電車に後頭部を強打した、と言うのです。
意識不明の重態だそうです。
兄弟は似たような性格なので、そうなってしまったのだろうか?

この人とは一度会ったことが有ります。
主人の妹の結婚式で一度会った。
同じタクシーに、この人と私と主人とが乗り合わせた。
うちの主人は内気だしこの人は主人と同じ年齢(60代)なので同じような感じなのか
二人は殆ど会話しなかったことが印象に残っています。
私は気さくで誰とでも対等に会話するのですが主人とこの人には出来ないようです。




別に気さくじゃなくたって生きられるからいいんですけど
この人の場合も弟同様、良い人ではあるが天から痛いメッセージを受けてしまうような
心の姿勢で生きているのだと思う。
おとなしいが傲慢なタイプではないかな。
見掛けがいくら低姿勢であろうと肝心なのは心のほう。
心が傲慢ならたちどころに天から痛いメッセージが来ますよね。
それに気付こうと気付くまいと。




<認められたい人=不幸な人>(2012年12月14日)


他人(家族も含む。自分以外の人=他人)から認められたい人、というのがいる。
これ、不幸への近道ですね。
当人の意識としては「自分が他人から認められたいと思っているなんて夢にも思わない」ので
厄介です。
自覚すれば、この症状は改善するのですが、それはかなり難しい。



主人の母がそうです。
何故か認められたい。
過去にも記事にしましたが。

そしてその息子である主人も「人から認められたい人」なのです。
で、女房の私は
「他人から認められたいなどと思うような低次元の人間は、決して認めない」ので
主人は面白く無さそうです。
改善すればいいのですが、当人にその自覚(他人から認められたい)が無いので
全く改善しません。




また、主人の母は何故か話題の中心になりたがるのですが、これは頭が子供だからです。
関係ないのにしゃしゃり出るとか。
非常に面倒臭い。
その息子である主人もまた、話題の中心になりたがる。
たとえば・・・
某国のスケート選手(♀)は日本では人気が無いというか、そのゴリ押しで嫌われている。
それだったら日本の選手の○○ちゃんの方が良い。
しかし主人は某国のその選手が良いんですと。
良いなら良いで構わないんですよ。
勝手に好きになれば。
でも、主人がその選手をことさら「良い」と騒ぎたて
日本の選手である○○ちゃんを貶す。
貶すと他の家族が「お父さんは」と言って相手をするからです。

それを数年続けているので途中から面倒になり
主人が××選手推しをしても、家族は無視するようになりました。
反対意見を述べてそれへの反対意見でもいいから反応を得たいという
実に面倒な屈折した心理に、付き合う暇人はウチには居ない。

だから主人と義母が一緒に暮らせば良いと思います。
お互いに自分が話題の中心になりたがるんだから交替でやってれば良いと思いますよ。



話題の中心になりたい、などという低次元なことを考えている人は
他人から認められたいと、低次元なことを考える。
低次元な人のことは通常他人は認めないので、
他人から認められたい、話題の中心になりたいと言う人は
誰からも認められず、面倒なので相手にもされなくなる。
(こういうのを相手する人も居るんです。詐欺師とか、下心有る人です)



他人から認められたい人は通常他人から認められず、
話題の中心になりたい人は、なれない。



それってその人にとっては不幸な状態では無いですかね。
苦しくないですかあ?
そういう人は早急に自分の意識、心の姿勢を変えた方が苦痛も消え
幸せになるのですが、当人には「自分は他人から認められたいと思っていること」や
「話題の中心になりたがっていること」は自覚出来ないので
自覚出来ないことは改善出来ませんから、
何年でも何十年でも一生、それを続けるのです。
実に不毛な人生で有ります。




なんとか改善したい、と私のような他人が思っても
分かるのはあくまでも本人で、他人が分からせることは不可能。
気の毒ですが。



<本物の馬鹿発見>(2012年12月10日)


「母親の言葉を嫁に伝えたら、嫁は泣き母は怒った。俺、悪くないよね?」
なんかこの人の母はこの人をエリートのように思っているようなので
一応名の知れた大学とか出ているかもしれないが
ここまでの馬鹿はあまり居ないかな、いくら男が女より知恵が足りないと言っても。
この男性、皆さんから厳しいレスを頂いているが
全然理解していない、ということはお分かりいただけたことと思う。



もう一丁。
「俺母が嫁を叩いたら嫁がキレ、もう実家とは付き合わないと言っている」
この「年賀氏」も阿呆で頭カラッポだが
皆さんのレスを読んでだんだん自分の問題に気付いて行っているようで良かった。
男って阿呆ですが女と比べて余計な感情や情緒が少ないし
社会性も訓練されているので、分かる人はこのように感情の妨害が無いので
どんどん分かっていける。



事例は探せばいくらでもありますがここらへんで止めておきます。

今、このようにネットで沢山の人、経験者が知恵や情報を出してくれるので
問題を解決し易い。
見ず知らずの多くの人が「支援」してくれて情報提供してくれる。
心強い。
だから今はネットで繋がった者同士が心と心、同波長の縁で
助け合って行く時代なんですね。



人生相談というと、昔は新聞などで有識者が回答していたが
今では一般人の方が賢いのが分かって来たし
ネットという環境も整った。
最近の事件では上野なんたれっつう(馬鹿)女が飛んでも無い回答をしたそうで
ネットで話題になっていますね。
ああいうのって、出たがりやだから世間に出ていただけなのだ
マスゴミに乗るような奴って偉くも無いし賢くも無いんだ、
ただ、出たがりやで、そのチャンスに乗っただけなんだ、と分かる。

人の意識レベル(人間性)も何もかも、どんどん明るみに出る。
大変良い傾向ですw




<周囲に甘える人>(2012年12月7日)


人間だもの、絶対甘えるな、とは言わないし
絶対甘えないで生きるのは不可能だから
或る程度甘えるのは仕方ない。
しかしモノには限度がある。

甘えだけじゃなくて何事にも限度があるので
限度未満なら仕方ないかな、と思う。
しかし限度を越えたら困ったことになる。
ではその限度ってナンだ?
というと、限度に関しては人によって様々であり
コレが限度ですとは言えない。
だから人間のことは難しい。

その場合、なによりもまず自分の判断力を上げることです。
それをしてから「では限度って?」と考えるのが良い。




相手の限度と自分の限度が違うこと、つまり異波長から
ヂゴク的な状況が生じます。
同波長なら問題無し。
(しかしさらに言うとたとえ同波長であったとしても、低波動の場合は
  その後同波長同士でいがみ合いになる可能性が高いから
  同じ波長なら良いとは言えない。
  やはり一にも二にも波動を上げるしかない)


ここに低波動で自己中心、何の関係も無い赤の他人に甘えた人の話しを載せます。
「確かに頭は下げたけど、それはただの挨拶だよ・・・」(キチガイママまとめ保管庫)



こういう人の実数が増えているのか、今ネットによって公になっているから
人の目に触れる数が増えているだけなのか分からないが
沢山の事例をネットで見ることが出来ます。

こういう人を見て自分はこの人よりはマシだ、と思うでしょうが
でもそういう自分も自分を遥かに越える人から見たら
私達がこういうキチママを見るのと同様溜息をつかれているのかもしれないな
その可能性は有るな、とそこまで思い至った方が良い。


また、下から上の言うことやることは理解出来ない。
理解できたときは自分の波動がその相手と同等になった時。
つまり自分が今の波動で居る限りは上の人のことは理解出来ない。
理解できないということは非常に不愉快なことが有ります。
例えば上の事例のベビーカーを押して他人の家に来た母親は
何故この家の人が自分に食べ物をくれないのか、私は小さい子を抱えているのに!と
憤慨しているわけですが、これほどの低次元でなくても
もっとマシなレベルの人でも、同じことです。
自分よりも上の波動の人の言うことやることが理解できず
ヒドいと思ってしまうものです。

上の人は下の人に教えてやりたいが言葉でいくら説明をしても
それを受け取る側の波動がその言葉を理解するまでに達してないので
説明のしようが無いのです。




ベビーカーを押している母親に「それは甘えだ」と説明しても
当人がそれを甘えだと分からない。
分かるようならそんなコト(他人の家に食べ物をくれと押しかけること)はしない。

これほど低いレベルでなくても多かれ少なかれこういう状態に陥るものです。
その時に
分かる方を選ぶか
分からない方を選ぶか
心が決める。
心で決めても分かるわけでは無いが、分かろうとするか
分からないままで良いと思うかによってその後が違って来るのだ、という話し。




「甘え」の定義は人それぞれ。
その他の定義も人それぞれ。
そのままで良いと思えばそういう人生を生きればいいし
これではいけないと思えばそういう人生を生きれば良い。
全ては本人の自由であり、責任です。




「シリーズカスオ」はこちらを最初にお読みください




<カスオの何が問題か3>(2012年12月6日)


カスオ=無意識に他人に甘えて利用する人
うちの旦那=無意識に他人に利用されるが、本人も甘えている人


両方、無意識に生きていて他人に甘えている。
ウチの旦那などは無意識に他人に甘えるような子育てをされてしまい
そのまま成長したので、還暦過ぎた今でもそのように生きています。
私と結婚してから、旦那は無意識の甘えを発揮してはその都度私から
ヒドい目に遭っているのですが、まさかそれが自分が原因だと思わない。
私が悪いのだ、と思っていますw
なので非常に不愉快な毎日を送っているのです。




このような息子に育てたのは旦那の母ですが、今80代後半。
この世代の人に「意識化せよ」というのは殆ど無理です。
だからたとえそのような無意識人間に育てられたとしても
自分で無意識を止めれば良いのですが、これもまた殆どの人には出来ない。
ここから抜け出るのは至難の業です。



ちなみにウチの旦那の意識レベルはしずさん鑑定では411と出ました。
旦那母はnaoさん鑑定では460でした。
旦那母は今から17年ほど前に旦那父が死んだ時
私がいろいろと心や精神のことを教えたら真剣に聞いていたので
それで数値が上がったのだと思います。

しかし旦那の場合は、真剣に他人の話を聴く能力がそもそも無い。
これはウチの旦那に限ったことではなく、
大抵の500未満の人はそうなのではないかと思います。
よほどヒドい目に遭い、真剣にならないと他人の話しはただ耳で音声として聴くだけ、になってしまう。



さて、そのような他人に甘える旦那はやはり似たようなカスオとたまに会っています。
似たもの同志なのです。
ただ、ウチの旦那の方がカスオよりちょっと別な意味では賢い。
数ポイントは境地が上なのだと思う。
しかしその分カスオはこの世のことに詳しく
そのレベル(次元、物質レベル)で才能を発揮している。
どっちもどっちです。



ウチの旦那は自分より上のものと一緒に居ても何も問題は感じない。
何故なら周囲は旦那に対して文句は言うが、それを本気に受け取らなければ良いからです。
ちなみにウチの家族は皆旦那よりレベルが高い。
旦那を抜かして全員500越えしている。

その場合、家族が我慢して旦那を甘やかす立場にもなれるが
家族はそれをしない。
何故なら母である私がそれをしないからですw
その家の方針は母親で決まるのです。
(アワはサヌキに前駆する)



家族が自分を越えていることは本人は分からない。
見掛け上金を稼いでいるのは自分ですから
自分が今まで生きてきたとおり(つまり自分の親がやっていた通り)を
やれば何の問題も無いのだ、とこれまた無意識に思っている。
それを家族は上から見下ろして溜息をついている状態です。



さて、家族から見放されている旦那ですが、では自分と似たようなものと付き合えば楽しいかというと
今回の旅行のように、カスオと旅行をしても全然楽しくないわけです。
それで何かを悟れば良いのですが
いかんせん、500未満の人は悟るということは出来ないようです。

こういうレベルの人は自覚としては「自分は賢い」「自分はちゃんとやっている」
というものなので、それなのに結果は不愉快なことばかり。
違うレベルの人と居ても同じレベルの人と居ても
どっちも不愉快w

では問題は何でしょう?

意識レベルが低く、判断力が乏しいからです。

これを解決しない限り、この不愉快さは一生続く。
いくら年をとってもただ爺いになるだけ、年相応の知恵はなく
皆から疎まれ、最後には孤独になります。
(カスオが既に孤独になっている。
  女房に逃げられ再婚もできない。
  自分の母親が死んだら孤独になる。
  あのお母さんが生きているのか死んだのか知らないが)


或る程度のレベルの人は孤独が苦にならない。
精神が充実しているので一人でも楽しいことが沢山あって困る。
しかし或るレベル未満の人は自分を中心にして
皆に認められたり褒められたりしたい。
それが楽しみである。
しかしそういう人に限ってそれは叶わない。
それを叶えようとすれば、病気になって親族から心配してもらうとか、
いろいろ有りますが、親族も心配しないとなれば、どうしたら良いのでしょうね?
何も打つ手は無い。

個人が自分の意識をしっかり保ち、一人で楽しく生きていけるような人になれば
そういう人の周囲には自然に人が集まってくる。
そしてそういう人は別に周囲に人が居ても居なくてもかまわないのです。
孤独を感じないから。




周囲に人が集まってくれて自分を持ち上げてくれるような環境を
無意識に望んでいる人は反対の結果が待っている。
(どんどん孤独になる。
  誰も相手をしない。独居老人になる)

話しが分かり、物事が分かる人は周囲に人が居なくても平気ですが
そういう人の周囲には常に人が集まる。
最近亡くなった歌舞伎役者などはこのタイプですね。
彼は頭も性格も良いのだと思う。
こういう人は周囲に慕われて中心人物になりますね。


何も分からないくせに他人の言うことを聴かない人の元へ誰が近寄るでしょうか。
モノゴトが分からない人は近寄るだろうが、そういう人は
カスオのような無意識に他人を利用する人に利用されるか
うちの旦那のように無意識に他人に甘える人に尻拭いをさせられて何かを学んで
嫌になり、去って行く。
が、本人たちには何故自分が一人なのか理解できない。
本人の自覚としては決して他人を利用してはいないし、他人に甘えても居ないのだから。




<カスオの何が問題か/感想3>(2012年12月6日)


こんにちは。Yです。
カスオシリーズを読んで、私の中にずっとあったモヤッとしたものが
一つ解消したので聞いてください。
 
私は今まで「人のために何かをする」ということに対して
それをしたいと思う反面どこか抵抗があったのですが、
どうも「人のために何かする(能動)」と「人に利用される(受動)」を
一緒くたにしていたようです。
小学〜高校生くらいまでの、自分の考えなしによって人に利用された苦い思い出が
「また人のために何かしたら、そのままどんどん利用されるんじゃないか…」
といった疑心暗鬼に繋がり、人のためにこれをしてもいいと思える場面でも
うまくそれができないことが多々ありました。
 
自分から人のために何かをすることと
人が自分を利用してくることは違うものであること。
自分にできないことはきちんと断ること、
そのためには、自分はどこまでできるか?を把握しておくこと。
意識してみようと思います。
 
また、自分も他人に甘えて当たり前〜で過ごしてきたので
めっちゃくちゃ反省してます…。
10代の頃よりは大分マシではありますが、まだまだ
無意識のうちに甘えてる面が絶対あると確信してます。
(確信したくない事項ですけど、今の私を見たら確信せざるを得ないw)
無意識な部分を自覚しつつ、自分と他人の境界線をキッチリつけられるようになりたいです。


<カスオの何が問題か/感想2>(2012年12月6日)


カスオやウチの旦那のような人間は無意識に甘えているのです。
甘えるのが悪いのではない。
無意識なのが悪い。
また他人を甘えさせる人も無意識なのです。
甘えさせるのが悪いのではない。
無意識なのが悪い。
下に、「無意識に他人に甘える人を、これまた無意識に甘えさせていた★さん」の体験談を載せます。




<カスオの何が問題か/感想>(2012年12月5日)にあった、
>「当然のように」当てにされ、頼られて「当たり前」としか思ってもらえなければ
虚しいですよね。
>優しい人、考えの無い人はこういう目に遭いますね。


考えのない人は私ですw いまは少しはましになっていると思いたいのですが…。
あまりにも酷く考えの無かった、若かりし頃の話を聞いて欲しくなりました。



20代はじめの頃、有る人の紹介で地元の書店に勤務することになりました。
本店の他に支店が3店あり、私は全国に店がある某ショッピングセンター内の
テナント店に勤務することになりました。そこの店長は30代半ばで保育園に
預けている子どもと生まれたばかりの子どもがいる男性でした。

その店は店長と結婚したばかりの女性と私の三人が正社員。他にパートが数人いました。
女性と私は同じ年。私は一人で風呂なしボロアパートで貧乏暮らししていました。

その店長と女性はしょっちゅう「家庭のある人は大変、一人暮らしはいいねぇ」
といいつつ、いろいろと私に仕事を回してきました。
で、私、少しでも私が役にたつなら…、確かに私は一人暮らしだし…、と思って、
できるかぎりのことをしていたんですね。



店長と女性は調子に乗ってきて、早番、遅番を私におしつけるようになりました。
私の久しぶりの休みの朝にいきなり私の部屋の呼び鈴を鳴らし、出てきた私に、
「あ、いる。暇だからいるんだよね。だったら仕事にいけるよね。午後から家族で遊
びに
行くことになったんだよね。午後で店早退するから代わりに午後から店に行ってね」
などと一方的に言って、走って行ってしまうなんてこともありました。

「一人暮らしって大変なんでしょー、たくさん働かせてあげる。稼げるから嬉しいでしょ」と
二人からはよく笑って言われました。
わたしは考えなしなので、「ありがとう助かるわ」なんて言ってました。
そう答えれば相手が私に気を使わずに済むだろう、なんて思ってました(馬鹿…)
でも、少しぐらいは感謝してもらえてるのかな、なんて思ってました。

当然どんどんその二人は調子にのりました。そのうち女性は旦那さんの仕事の都合で
退職し、一人残った私は店長にかなり酷い目にあわされていましたが、やっぱり私は
考えのない人だったので、その状況を受け入れてました。
それどころか、私が我慢すれば店長は楽できるなんて思ってました(私の大馬鹿め!)
一度、20日ぶりの休みでぐったりしているときに電話で呼び出されたときはさすがに
身体がもたず断ったのですが、翌日出勤したときの私を睨みつけた顔が凄かったで
す、

それでもそこで働き続けました。一文無しで家を出て、給料も少なく、どれだけ
切り詰めても貯金は微々たる額しかできず、身動きがとれませんでした。



ある日、いきなり社長の身内という若い女性がその店に配置されてきました。
人員が増えたのに私の仕事量は減りませんでした。休日も増えませんでした。
店長のその女性と私との態度の格差に私はやっと自分の馬鹿さに気付きました。

女性が来て半月後、業績不振でその店はそのショッピングセンターから三ヶ月後に
撤退することが決まったと社長から聞かされました。社長からは他の支店へ
行ってもらうと言われましたが、人員が余るので辞めて欲しそうなのが判りました。
いい機会だと思い、私はその場で店をやめることを決めて、社長に伝えました。
社長はほっとした顔をして、「残念ですねぇ」と言いながら嬉しそうに笑いました。
お金はないけれどなんとかなると思いました。(実際、なんとかなりました)

そして、その書店はそのショッピングセンターから撤退しました。
撤退の工事中、店があった所には幕が張ってあり、その幕にはそのショッピングセンター
直営の書店が出店すると張り紙がありました。

どんな書店なんだろうとその書店がオープンしたときに行ってみたら、その店長が
いるではないですか…。驚いてたら、その店長は私を見つけて満面の笑みで
近づいてきて言いました。
「俺、ここに店長で引き抜かれてさー。さすが直営、あのクソみたいな店と違って
給料いいんだぜ。休みも多いんだぜ。あちこち遊びに行けるし車もでかいのに買い換えた
んだぜ。あんな給料の低いまともに休みもとれない店でよく我慢して働いていたもんだ」
…店長は私に出勤させて私の倍の休日をとっていたはずなのですが。
とりあえず、良かったですね、と答えておきました。



その数年後、私が働いていた地元の書店は倒産しました。
そして、数年、業績悪化でそのショッピングセンターは地元から撤退することに
なりました。その時、その店長は40代後半、子どもさんは多分高校生と中学生くらい。
転勤するにしても転職するにしても難しいでしょう。あの性格なら計画的に貯金も
していなかったでしょうし。その後、どうされたことやら。

私はそれ以後の職場ではきっちりとした態度をとるようになりました。
私のことを怖い人とか、冷たい人とかいう人もいましたが。いいんですw 怖くて。




そう、怖くていいんです。
怖いというのは、★さんのその態度を見た人が勝手に抱く感想であり
★さんにはなんら原因も責任も無い。
もし、モノを知った人が★さんを見たら(★さんは普通だ)と思うし
★さんを怖がる人に対しては(この人は何も分かってない)と思うでしょう。

★さんは店長夫妻、主に店長によってヒドい目に遭ったが
これが無ければ★さんは何かに気付くことが無かった。
だから店長は★さんにとって教材であり、恩人でも有るのです。



世の中にはこの店長のように無意識に他人に甘え、利用する人が居ます。
だから自衛手段を取らなくては餌食にされます。
餌食になりたいのならそのままで良いが
餌食になりたくないのなら自衛しましょう。

また何故このように易々と他人に利用されてしまったのか、そこらへんを
自分で分析しなくてはならない。
それをしなければ何度でも同じことを繰り返します。
店長だけが悪いのではないのです。
それ(他人を利用)をさせる側にも原因が有るわけです。

×店長他から良い人と思われたい
×人の役に立って褒められたい、喜んでもらいたい
×店長から褒められおだてられて嬉しくなった
×出来ない奴と思われたくない
×平気で他人を利用する人がこの世に居ることを知らない
などが考えられますが、
それ以前にやはり
×何も考えて無い
ことが根本原因
です。



★さんは悟るまでに数年間かかっていますが
悟るには時間が掛かるのでこんなモンでしょう。

知識や情報を入手するのは簡単です。
モノを覚えるのも簡単。
難しいのは「分かること」です。
分かるレベルに達してない人、意識レベルが500未満(私の考えでは)の人には
分かるということが出来ないようです。
というか、分かることが出来るようになった時点で
意識レベルが500を超えるのではないかと思う。
それ(500越え)が出来る人と出来ない人とはあるように見えます。




<カスオの何が問題か/感想1>(2012年12月5日)


◎さんから感想が来ました。

<カスオの何か問題か2>を読みました。

>こういう風に考えている妊婦や母親が居たら、親子ともども死んでもらったほうが良いと思うのは私だけですかね。
>こんな阿呆母にはマットウな子育ては出来ないから、そのガキが長じれば
>クソガキになって同級生を苛めたり非行をしたりロクなことにはなりませんから
>早めにあの世に帰還してもらうのが世のため人のためです。
>参考までに→「ふあlみそく!皆が少しづつ助けてくれなきゃ、働きながらこどもを育てられない」

カスオさんの話ではないのですが、
この「皆が少しづつ助けてくれなきゃ、働きながらこどもを育てられない」のような人が、
うちの近所に住んでいます。しかも親戚です。夫の姉です。



この姉は教師で、とても忙しく、学童や保育園に預けている子供のお迎えに間に合わないことが
しょっちゅうあります。
近所に住んでいる、弟夫婦(私からすると義弟)や母親(私からすると義母)にお迎えを頼みます。
(私も近所に住んでいるのですが、私は1,2回行ったことはあるのですが、ほとんど頼まれません。)

この姉(小姑)は、一見こころがきれいそうで、悪気はないのですが、
やはり判断力がないのか、いろいろなことに無意識なようです。

私も、この姉の家庭の下の子のお迎えなどの世話を頼まれそうになりましたが、
ちょうど姉がそれを頼みにやってきたそのとき、私は妊娠初期で、つわりでちょっと気持ち悪かったので、
義母が「K子さんは、今それどころじゃないのよ」、といってくれて、世話を頼まれなくてすみました。
つわりの期間はほんの1週間くらいだったので、これは助かりました。幸運でした。

ラッキー!
それ偶然のようだけど、全ては偶然ではなく必然らしいから
あなたが妊娠中で具合が悪いとき、義姉が最初に頼むよう、天(あなたの潜在意識他)が仕組んだ。
その時、お義母さんが居てくれたのも必然。
あなたと義母他、姉もか!が仕組んだ。
そのおかげであなたはそれ以後、頼まれることが無くなった。

もし、一度でも子供を預かっていれば「出来るんでしょ」と思われてしまい以後、当てにされます。
それが好き(他人から頼られること)が好きな人なら良い。
ていうか、他人から頼られたり、他人の助けをすることが好きな人でも
「当然のように」当てにされ、頼られて「当たり前」としか思ってもらえなければ虚しいですよね。
優しい人、考えの無い人はこういう目に遭いますね。
(だからウチの主人とかね!)

してあげるだけが「良いこと」「他人のためになること」では無いのですが
してあげる人にとってはそれを越える境地(レベル・感受性・思考力・判断力)は無いのでそれが上限ですね。
それを越えてしまえば、他人から必要以上に頼られることはなくなります。
(つまり、即座に断れるということ)
これが出来ないってことは「そのレベルに居るのだ」ということなんです。
一見冷たいように見えるがそれはそう見える人にはそう見えるだけで
それを越えてしまえば必要以上に面倒を見ないことが「当たり前」であり
決して冷たいわけでは無い、と分かる。




しかし、甥や姪がかわいそうなので、
少しは助けた方がよいかな、とも思うのですが、
姉夫婦のためにならないし、甥や姪が将来グレて、
姉夫婦が気づいてくれたほうが、いいかな、と思います。
甥や姪がこのままいくと、グレそうなのをほっておくのもどうかな、とも思うのですが、
甥や姪が大人になった時に、あまりにも分からず屋な親たちにてこずらされるよりは、
甥や姪のためにも、彼ら自身がグレたりして、姉夫婦が気づく方がいいかな、と思います。

それが良いと思う。
多くの人は「困ったこと」を予想して前もって手を打とうとするが
人間は経験しないと分からない生き物なので
不味いことを不味いと知るには経験したほうが良い。
だから或る程度になるまで放置するのも良いとおもう。

当人(両親)が困って助けや助言を求めてきたら、その時説明してあげれば
その時だけは聴く耳を持つだろうし、真剣になっているだろうから。

多くの人が何も起こらない前に予防しようとするが
それはむしろモノゴトの解決を遅らせるか不可能にする。


姉が教師をやめないのも、夫が或る会社に勤めていて、
行く先が不安定なので、安定した公務員を辞めないでほしい、と夫に頼まれているからなのです。
(姉は、夫のいいなりです。)

十分収入は安定しているとは思うのですが、うーん、やはり
お金>心 なんでしょうね。

当人は意識していないが、そういうことです。
金か心か、なんて考えたことが無い。
何も考えて無いので、結果的に「金>心」になってしまっている。
よほど特殊な人で無い限りは、そこらへんのサトリは通常有りませんから。


彼女は、身体を動かすことが好きで、
今は私に会うたびに、身体を動かす或るコトを教えてほしい、と言ってきますが、忙しくて無理なようです。

もし私が教えることになったら、それを通していろいろ教えてあげられるのでは、と思うのですが。
(学び取ってくれるかは別ですが。)
健康診断で毎回ひっかかるくらい、心身を壊しかけているので、気の毒になります。


69さんだったら、このような場合、小姑に何か助言したりしますか?
もしよかったら、教えてください。


私は何か他のことをしているついでに、ちょっとだけ言ってみて反応を見て
興味を示すようならさらに教える。
そんなこと聴きたくもない興味が無い、という態度や言動をしたら言わない。
勿論本気の付き合いは終了する。
そういう人には本当のことは言わず、以後適当に相手をする。




<カスオの何が問題か2>(2012年12月2日〜3日)


次に問題なのは恐ろしいまでに低次元な自己中心
人間性の良さと自己中心とは無関係です。



自己中心って「悪い」と思うかもしれないが、違うんですよ。
たとえば生まれたばかりの赤ん坊、自己中心ですよね?
無意識だしw
で、だんだん成長するわけですが、幼稚園保育園の園児って「他人を思いやる」ことが出来ますか?
出来ませんよね。
悪気は全く無いのですが、自己中心です。
悪いことなど微塵も思いつかないが、それでも自己中心です。

さて、だんだん成長すると小学生。
この時代は自己中心の権化のような時代ですね。
でもそのうち「自我」が目覚めてくる。
モノゴトが分かってくる。
世の中のことが見えてくる。

まず自己中心を止めるには自己中心を自覚しないとならない。
大抵の人は小学校高学年から遅くても高校生までには
「自分と他人は違うのだ」と学習するが
その学習の仕方には個人差があります。

早い遅いの差はあるが、深さや正確さにも違いがある。
人の数だけ違いがある、千差万別である、と言えます。




じゃあ他人を思いやればいいんだね?

違うんですよ。
そういうことを言いたいのでは無いのです。
カスオだってひと一倍「他人を思いやっている」んですよ、アレでも。
そこが問題なのだ、と分かると思う。

モノゴトが分からない人でも常に他人のためになろうとしている人は多い。
そういう人が私から叱られているのです。
(※他人のためになろうとしない、利己主義のズルい人は私から叱られません。
   論外だからね)
(※カスオ?  叱る必要はありませんよ、縁を切ればいいんだから)




精神が順調に成長すれば年齢が上がるにつれてだんだんモノゴトが分かるのですが
今の社会はそうではない。
成長すればするほどおかしくなっていきます。
自己中心が治らない。
むしろ成長するにつれていろいろなことをやれるようになるので
どんどん自己中心を発揮するようになる。
きついサヌキ人間も優しいアワ人間も同じです。
サヌキもアワも関係なく、モノゴトが分からない人は自己中心を発揮するのです。




自己中心の発揮の仕方には様々あります。
カスオの例で言うと
「オレは女房に逃げられた可哀想な男だから、飲み代を奢ってもらって当然だ」
「オレは家を新築して金が無いんだから、飲み代を奢ってもらって当然だ」

という
自分に都合の良い解釈をする
点。

これ女に多いですね。
たとえば
「アタシは妊婦なんだから席を譲ってもらって当然」
「アタシは幼児を連れているんだから、周囲の大人はアタシ達親子を大事にして当然」
とか。
こういう風に考えている妊婦や母親が居たら、親子ともども死んでもらったほうが良いと思うのは私だけですかね。
こんな阿呆母にはマットウな子育ては出来ないから、そのガキが長じれば
クソガキになって同級生を苛めたり非行をしたりロクなことにはなりませんから
早めにあの世に帰還してもらうのが世のため人のためです。

参考までに→「ふあlみそく!皆が少しづつ助けてくれなきゃ、働きながらこどもを育てられない」



男は女に比べて社会性の能力が高いのですが、たまにはカスオのような勘違い人間が居ます。

世の中のこと殆どのを自分を中心にして考え
自分に都合よく解釈して生きている人


そういう人はクラスにもご近所にも職場にもどこにでも必ず居ます。
そういう人が今、どれほど良い状態であろうと時間が経てば
だんだんその人の波動(実に低級)に見合った状況が出現して
そこ(その境地、レベル、環境)に落ち着く。

たとえばカスオが結婚後数年で女房に逃げられてから
どんなに再婚の意志が有ろうといまだに再婚出来ない、とかね。




カスオはとても素直な良い人ですが
ここまで思考力が乏しくて自己中心では幸せになるのは難しい。
しかし!
カスオの幸せは物質的なこと、見て分かることに限定されているので
それなりに幸せなのだろうとも思います。




<カスオの何が問題か1>


カスオは決して嫌な奴ではなくむしろとても良い人です。
初対面の人でも旧知の仲でもいつもニコニコと笑顔を絶やさず
相手の嫌がる言動(本当のこととかw)は言わない。
よく笑う。
それにとても素直なのです。




私が思うにカスオの問題の一つは「悪を抱き参らせることが出来ない」ことだと思う。
実はこれ、とても重要です。
多くの人がこれを理解できないと思うが、ここで説明してみましょう。




カスオの意識としては「良いことをしたい」「良いことをしている」です。
しかしそれは無意識なのです。
無意識にそう思っている。
ここまでは分かりますね?




その良いことと言うのは世間が基準になっている。
自分が生まれてからこんにちまで無意識で生きてきて
その間に身につけた、無意識の産物です。
これも分かりますね?




カスオの頭の中には勿論今までの人生で学習した「良いこと悪いこと」が入っている。
しかしそのレベルがいかんせん、低すぎる。
その低い価値判断と思考力から導き出した結論である「良いこと」「悪いこと」は
非常に低いものです。

そしてカスオは善人ですから決して悪いことはしないのです。
アポイント無しで■ちゃんの家に押しかけて招かれてもいないのに
家に上がろうとする。
普通ならここで「招かれても居ないのだから、相手も迷惑だろう」という「悪な考え」が浮ぶ。
それは自分が■ちゃんの立場ならそう思うからです。
でもカスオは「善の塊」なのでまさか、■ちゃんが迷惑に思うなどということは想像だにしません。

普通の人はここで「上がられたら迷惑だよね」という小さな「悪」を自分も持っていますから
相手の家に押しかけて上がろうとは思わない。
これが「悪抱き参らせて」いる姿です。
普通の大人です。
これ、当たり前のことだから普通の大人には出来るのですが
カスオには出来ない。




カスオは人生のどこかでこの当たり前のことを学ぶべきだったのですが
親がそれをしなかった、出来なかった、やろうと思ったら大学生になってしまい
家から出ていた、、、ということでしょうかね。
これは想像ですが。




カスオは60歳です。
女房に愛想を尽かされてから再婚も出来ず
ワケの分からないまま、自分なりの人生を楽しんでいる。
それは良かった。
しかし私としてはカスオとは関わりたくないと思う。
ウチの旦那も今回のことで思い知ったようだし、
これからはカスオと一緒に飲もうとかましてや旅行をしようとかは思わないでしょう。




<カスオ感想>(2012年11月29日)


下の記事<カスオ1,2>と<カスさん1〜11>を読んだ方から感想が来ました。



「カスオ」をどうしても「カオス」と読んでしまうw

ある意味「カオス」ですが‥

あはは〜♪



カスさんの話興味深かったです。
そこまで徹底した物質主義は凄いです。

そう、カスオは物質主義の権化(ごんげ)のようです。
人はこの世界に生きている以上、物質と無縁には生きられない。
だから最低限の物質、生存に必要な物質を求めて得ることは当然としても
それを遥かに越える物質を得たいと願うとか
得てもまだ欲しがるとか
頭の中は物質次元のコトしか無いとか・・・これは行き過ぎていますよね。

私はカスオは賢いと思う。
でも行き過ぎている点が問題だと思います。
ではどこまで求めて良いのか?
それは人によって違う。
価値観や感覚、感受性が皆違うからです。
答えは簡単には出ない・・・というか、人は本当にそれぞれ違うので
その人なりの物質の限界、天国を求めるしかない。

他人がどうだろうと良いと言える。
肝心なのは自分です。
価値観が違い過ぎる場合はウチの主人のように
遠いところに住んでいて滅多に遭えないイトコに遭うというせっかくのチャンスを
つまらないものにしてしまう。

しかしウチの主人がカスオを理解していれば、このような目に遭うことは無かった。
今までン十年の知り合いなのだから途中で気づくべきだったのです。
気付かない人はこのように、実際にヒドい目に遭うのだ、ということ。


自分が家を欲しければ、なんとしても手に入れる。
妻の意見なぞ聞かずに母親の家を売り頭金にし、同居した。

妻は義母がアレなので嫌がっていたと思う。
それをカスオには訴えていたはずです。
でもカスオは妻がどれほど自分の母親を嫌っているのか真剣に考えなかったのでしょう。
だから軽い気持ちで、経済のことを一番に考えて
駅から近くて通勤に便利な場所に家を買ったのです。


嫁としゅうとがうまくいくかとか全然考えていない。

考えてなかったんでしょうね。
それは妻のわがままだ、くらいにしか思っていなかったのでしょう。
心よりも物質を優先させて自宅を購入したのでしょう。


同波長の嫁だから、こどもの心なんぞに配慮もないから
浮気し子供をおいてでていく‥

それも言える。
デパートの階段の踊り場に二人の幼児を妻に置き去りにされたカスオは
電話か何かで妻から「そこに居るから」と連絡を受けて二人を探して保護したそうで
その時に泣いたそうです。
しかし、妻はそれ以前に多分カスオが一度泣くよりももっと泣いていたのではないか?
この妻も利己主義で自己中心な女ですが、それでもカスオとその母親のコンビに対しては
非常に嫌な思いをしていたのでしょう。
カスオはそれを想像出来なかったんですね。
常に考えるのは「自分のこと」「自分の気持ち」「自分の利益」
それは嫁のえぐ子も同じです。


物≫≫こころ
同波長の人ばかりで家庭崩壊

その通りです。

けっきょく自分のことしか考えていないってことですね。
我が強い。

そうなんでしょうね。
嫁のほうはハッキリ我が強かったが、カスオは非常に物腰が柔らかくていつも笑顔を絶やさない「良い人」ですが
そういう人ほど本当は我が強いものです。
だって「自分は良い人だ」「自分は良いことしかしていない」と無意識に思っているのだから
自分の考えや行動の後ろには「良いこと」という強力な背景が有るのだと
無意識に思ってしまうからです。
だから善人は始末に悪いのです。


自分以外の人の心のうちが読めない人ですか。

潜象勘など全く無いでしょうね。

同波長以外の人はうんざりして離れていきますよね。

いや、ここが一番重要ですが、嫁のえぐ子とカスオは同波長なんですよ。
だからこそ、一緒に居られなくてサッサと(結婚後数年)で離婚したのです。
低レベルで同波長であるということは、こういう結果になる。
同波長同士は盛り上がるがその二人が同じく自己中心で利己主義だったら
付き合っていられない。
結婚していたら離婚するしかないですよね。







<カスオ1>


下のシリーズ<カスさん1〜11>までの記事のまとめです。



人は皆「良い人」です。
どんな極悪人でも嫌な奴でも
「家族には良い人」「ご近所には良い人」「友人には良い人」「赤の他人には良い人」です。
だから「あの人は良い人だ」という言葉にはあまり意味が無いのです。
以前OFF会をやりました。
その時幹事が「●●さんは良い人だから」と誘ったようだ。
で、その●●さんはモノゴトが分からず私の説明を理解せず、拗れに拗れて去って行った。
その●●さんも「良い人」には違い無い。
しかしそのレベルの「良い人」など、正直言うと私は必要ない。
そしてこの幹事さんもこう言っては悪いが何も分からない人だった、と思う。

(その後この幹事をした人は大変な苦労をして波動を上げたようです)



それと同様に人は皆「或る意味賢い」のです。
その賢さのレベルが違うだけです。
そして当然のことながら、下のレベルの賢さを有する人からは上のレベルの賢さを有する人の
「賢さは見えない」のです。




カスオ(面倒なのでカスオと呼びますね)は物質次元(レベル)のことには
とても賢いと言える。
しかしそれを越えた境地に属することは全く見えない。
ウチの旦那のようなモノゴトが分からない奴よりもさらに下を行っている。

しかし本人には自分のレベルを超えたものなど見えない(感受出来ない)から
何ら不都合を感じないわけです。
そしてこういう人は世間から見たら賢く見える。

世間の人の多くはこう言ってはナンですがケモノ次元で思考力が乏しい。
その乏しい思考力を使って見るには「目に見えるもの」でないと無理です。
カスオは旅行の企画は出来るし(旦那は出来ない)
金を節約する手段を知っている。
だから賢いと言える。

しかしせっかく旅行に行ったのだからそこで
「本土では食えないものを食って満足し旅の思い出にする」という境地には達してない。
この点ではウチの旦那の方がまだカスオよりマシなのでしょう。




またレンタカーを借りて運転し目的地まで行く能力は有る。
しかしその目的地である■ちゃんの家へ
◆アポント無しでいきなり押しかけようとすることは不味いと知らない
これはカスオからしたら何の疑問も生じないことですが
一応常識人であるうちの旦那から見たら非常識だと分かる。
だから慌ててケイタイから電話して「これから行く」と連絡した。
さらに
◆招かれても居ないのだから玄関先でお別れの挨拶だけすれば良いのに
  靴を脱いで上がろうとした
これもやはり常識人であるうちの旦那から見たらびっくり仰天する行動です。
しかしカスオはそれをやろうとしたので止めたそうです。




カスオが賢いのは物質次元三次元でのあれやこれやだけなのだ、ということ。
それを越えるものは感受すら出来ないのだ、ということ。
想像すらしない。
想像を絶しているのでしょう。

カスオはカスオと同レベルの人と旅行すれば何の問題もなく楽しかったでしょう。
ウチの旦那もそうです。
カスオはカスオで最低限の「常識」の基に行動している。
うちの旦那も最低限の「常識」の基に行動している。
問題はこの二名の「最低限の常識」のレベルが「違う」ことなのです。




死んでからは自分の波動の世界に逝くようで、そこは間違い無く天国でしょう。
だって同波長の魂しか居ないのだから。
この世は異波長のものが殆どなので、だからこの世こそが「地獄」であります。

キリスト教で言うところの「地上天国」とは
生きたまま私達があの世に入り(五次元突入、五次元移行)
この世に居ながら(つまり死んで無いのに)周囲には同波長のものしか居なくなる現象のことではないかと
私は思っているのです。
だから私は未来についてはとても明るい予想をしています。
だって自分の波動がどうあれ(高くても低くても)周囲が同波長ならそこは「天国」ですからね。


<カスオ2>(2012年11月29日)


さて、<カスさん1〜11>を読んで
「ただの悪口じゃねえか」と思った人はその程度の人です。
その人の判断力の程度、意識レベルの程度によってしかモノゴトは見られないのだから当然です。
実はそのレベルが圧倒的に多いのは分かっていますが
そうでは無い人、それを越える人達を対象に記事を書いています。
それ以外の人は申し訳ないが読まないほうが身のためであります。




三次元的、物質的には大変賢いカスオですが
それを越える世界に関しては何も感受できず従って
そのレベルにおいては大変阿呆であります。
その逆も然りでありまして、三次元物質レベルにおいては
大変な阿呆である、ウチの旦那(と、私。だから同波長)。

ひとは誰でも賢い
人はそれぞれのレベルにおいて賢い

と、いうことはお分かりいただけましたね。




<カスさん>記事においてさらに様々な教訓を得ることが出来ます。
出来る人には出来るし、出来ない人には出来ない。
出来ない人は物事を「良い悪い」という視点でしか見ることが出来ないので
これらの記事についても「良い」「悪い」としか思えない。
記事は一見「悪口」ですからそういう人にとっては
「悪口」=悪
なのであって、それ以上では無い。

従ってこれらの文章(記事)からは何の教訓も得ることが出来ない、と言える。



教訓を得ることが出来るレベルに達した人は
<カスさん1〜11>の記事から幾つかの教訓を得ることが出来ます。
教訓を得てみてくださいw
答えは記事にはしません。
それぞれが自力で答えを出してみてください。


<カスさん1〜11>

<カスさん1>


この話し、何かの参考になれば幸いです。



主人の元同僚にカスさんという人が居る。
本名はカズオですがあまりにもカスなので、最近、彼のことをカスさんと呼ぶことにした。
カスと言っても、平均値から見たらかなり良い部類に入るのではないかと思う。
人によっては「この人が何故カスなんだ?マトモじゃないか」と思うかもしれない。
人はそれぞれなのでそれでもいい。



カスさん、どういう人かというと、一言(ひとこと)で言えば
「自分の得になることばかり考えている人」です。
私の友人にはそういうのは居ない。
私の友人は相手や他人の得になることばかり考えているし
常に相手や他人の助けになろうと待機している人ばかり。
そのやり方が悪いので常に私から「もっと考えろ」と注意されてはいるが。
(※後先考えずに自分の気持ちだけで「良いこと」をするのは不味い)


<カスさん2>


主人の友人にもカスさんのような人は居ない。
カスさんだけがそういうタイプだ。
まあ、あまり世間にも居ないタイプかもしれないが。

主人が入社したとき、同期で入ったのだと思う。
主人は大学を一年浪人一年留年しているので二歳年下のカスさんと同期入社となったわけだ。
ちょうど同じ頃、同じ部門で働いていたので親しくなったようだ。

さらに主人と私、カスさんと奥さんが結婚したのも同じ頃で
その上同じアパートに入居したのだった。
同じ棟の違う階にそれぞれ住んだ。
主人同士が同じ会社に勤務しているので自然と私とその奥さんは親しくなった。
奥さんの名前を本名をちょっと文字って「えぐ子」とする。



<カスさん3>


結婚後の2年ほどをそのアパートで暮らした。
その後、我が家は主人は転勤が決まったのでそこを引っ越した。
カスさんは家を買って引っ越した。




我が家は遠い町の支店に転勤になったのでアパート時代の友人とは疎遠になった。
家を買ったカスさんだったが、親が住んでいた家を売ってその金を頭金にしたのだろう
遠いところに住んでいた自分の母親と同居することになった。
二世帯住宅を建てた。
田舎の農家なら広くていいが狭い町なかの二世帯住宅。

ところがカスさんは県外に転勤になり、その家には母親を住まわせた。
県外では借家を借りて住んだ。
当時幼児を二人抱えていた。
我が家も同じだったが。

で、嫁のえぐ子は義母と同居が嫌でその土地で浮気相手と出会ったようだ。
男と一緒に住めば義母と同居しなくて済む。
えぐ子はその男を選んだようだ。
幼児が二人居たが育児を放棄してデパートの階段の踊り場に二人を置いて
カスさんに電話して「ここに置いておくから」と言って
男の所へ行ってしまうとか。
とにかくえぐ子はカスと別れたくて仕方なかったのだろう。

この期間がどのくらい続いたのか知らない。
上の話はカスから聞いた話です。

で、とうとうカスとえぐ子は離婚した。
えぐ子は嬉しかったろうな。


<カスさん4>


その後カスは借家から引っ越して自宅に来た。
自分の母親と同居するためだ。
幼児が二人いたし鉄道を使えば通勤も簡単だったので
最初から自宅から通う気なら出来たのだが
えぐ子の願いで別居していたのだった。
それが仇(あだ)となったのだ。

義母は普通の婆さんだった。
つまり「嫁が悪い」としか考えられない普通の人。
普通に良い人だ。
この義母はかなり怒っていた、当たり前だが。




さて、カスがまだえぐ子と離婚する前、拗れているときのことだと思う。
カスがうちの主人を飲みに誘った。
苦しい状況をうちの主人に聞いて欲しかったのだろう。

カスが誘うので主人はつきあったが、お勘定の時に
カスはウチの主人に「あいにく持ち合わせが無い」と言う。
カスが誘ったのに変だが、まあいいか、と主人が払った。

私はそれを聞いて「カスが誘ったんだからカスが払えよ」と思い、主人にも言った。
その後またカスが「飲みましょう」と誘う。
私は「今度は奢るんじゃないよ」と主人に言ったが帰宅した主人が言うには
「相手が上手だ」
え?
今度はカスが「今、大きいの(万札)しか無いので、◎◎さん、済みませんw」だと。
で、うちのバカ夫はまた二人分払ったそうだ。


<カスさん5>


で、さらにその前のことだが、カスが家を買った時は
我が家に来てご馳走になったりしていた。

どうもカスは
「自分は家を買ったので金が無いのだから、金が有る◎◎さんが金を出すのは当然だ」と
思っているのだ、と気付いた。
そしてこちらは女房に逃げられた話しを聞いてあげているのだが
「オレは女房に逃げられた気の毒な男だから、◎◎さんが酒を奢るのは当たり前だ」
と思っている、というのが私に分かったw




その後我が家は家を買ったので
カス同様家を持っていてローンが苦しいのは同じ。

もうカスはウチの主人の同僚では無いのだから
関係無いのだがウチに来たがる。
そして酒や料理をご馳走になって喜んで帰る。
手土産は「賞味期限ギリギリか或いは既に切れた食品」など。

こちらとしては
こっちが一回ご馳走したんだから、そっちも一回ご馳走しろ
などという細かいことは言わない。
しかしカスには最初から同等の付き合いをすると言う気が無い。

私が主人に「一度くらいカスの家で飲めや」と言ったら
「あの家は決まった食材を買っている。
  だから家族の分以外の料理は出来ない」と言う。
阿呆である。
「だったら寿司の出前でも取れや(怒」
と、私は思う。




奢った分はすぐ奢り返せ、と言うのでは無い。
普通の感覚を持てや、コラ、という話しだ。
「ウチは○○の宅配食材だからお客が来てももてなせないんです〜w」と
言わないが、そう思っているとしか言いようが無い態度は異常だ。
これだけでなく、他の面から見ても異常である。

カスさんと言う人は大変人当たりが良く「良い人」です。


<カスさん6>


3回くらい我が家に呼んでご馳走したがカスのズルさが見えてきたので
もう二度と呼ばない、と私は宣言した。
カスに人並みの感受性を期待していた私が未熟だったのだ。
阿呆、ってことです。




その後何度かカスが6キロくらい離れた我が家に自転車で来るようになった。
きょうぎ用自転車に乗っているそうだ。
楽しいのでウチの主人にもやれ、と誘っているが主人はそういうのは嫌いなので
ニヤニヤしながら聞き流す。

私はだんだんカスの本性が分かって来たので
ウチに来ても玄関まで。
靴を脱いで家に上がらせないようにした。

本当はもっと厳しい措置を取っても良かったがそのくらいにしておいた。

説教しても何をしても何も感じないし分からない人だからだ。
もうどうでもいい。



その後もたまにカスから「また◎◎さんの家に行きたい(そして無料でご馳走になりたい)」と
いう電話が主人にかかって来たようだが、私が「カスは家に入れない」と宣言したので
家に呼ぶことは無かった。



<カスさん7>


それが最近またカスが主人に連絡したらしい。
で、カスはまだ定年前なのにサッサと定年して
今は旅行を企画しているそうだ。
旅行社の社員では無いが提携しているそうだ。

で、ウチの主人のイトコが沖縄に住んでいるので
そこへ行きたい(行ってご馳走になりたい)ので、「◎◎さん、一緒に行きましょう」と
また誘った。
ウチの主人は旅行の企画など立てられない。
(以前、国内の旅行ツアーに参加した際にも何もワケが分からずに
  大変な思いをした前科がある。
  私は基本、勝手にやらせるので、もし私の手を煩わせるのなら
  「やるな」と厳命する。
  しかしそれに逆らってやる以上は自力でやれ、と突き放す。
  女房に面倒を見てもらおうなどとたわけたことを考えていたとしたら
  (しているんだけど)
  こちらとしては次の段階に進む覚悟でいる)
(次の段階とはレベル3からレベル4に進む、ということ。
  つまり「危険!今すぐ退避せよ!」ってこと)




で、主人は仕方なくカスの企画に乗った。
前から一度はイトコの家を尋ねなくてはな、と半ば義理のように思っていたし
単純にイトコに会いたいしで、カスに企画を任すことにした。


<カスさん8>


主人のイトコの■ちゃんはうちの地元の▲▲漬けが好きだと言うので
私が買いに行った。
今年の夏にも■ちゃんには大量の漬物を持って行ったが義母がしゃしゃり出たので
行き違いになり、私達は何のもてなしもしてもらえなかった。
まあそれはいいとする。
で、今回はおみやげの漬物は最小限にしたのだ、重いから。



で、旅行に行く前。
通常なら主人には最大限小遣いを持たせたい。
しかし同行するのがカスなので主人が金を持っているのが分かれば
またたかられる。
だから計算をした。
食事一回=1000円
みやげ物=◎◎円
とかw
ギリギリにせざるを得ないのはウチの主人が阿呆で
相手の言うがままに金を出させられ、せびられ、たかられるからだ。
もし主人がしっかりしていればこのようなことは私はしない。

で、ギリギリ計算させて小遣いは35000円とした。
正直この金額では可哀想だが、持っていけば行くほどハイエナかはげたかのようなカスに
騙し取られるので、それで我慢してもらった。


<カスさん9>


で、心配しながら送り出したが(小学生の母親かっ)
帰宅したらなんと!1万円も残していた。
沖縄のみやげ物は今はネットで買えるし、とくに欲しいものも無い。

で、主人が言うには「懲りた」そうだ。
カスは観光旅行で行ったのに、島で酒の量販店を探して安い酒を買うために
レンタカーで奔走。
観光のパンフレットに載っているクーポン券を使うために
わざわざその店を捜索。
せっかく旅行しているのに宿(一流ホテル)のレストランで夕食を食べれば良いのに
「高いので」コンビニで酒の肴やおにぎりなどを買おうとする。
(買ったのかもしれないが知らない)




イトコの■ちゃんは夏の無礼を詫びて、主人とカスを歓待してくれた。
大盤振る舞いしてくれた。
それに便乗するカタチのカス。
でもそれはいいとしましょう。

さて、島を出る日にカスは■ちゃんの家に行くと言う。
電話でアポイントも取らず。
主人は携帯から電話したようだが、家に着いたらカスは■ちゃんの家に上がりこもうとしていたそうだ。
多分、お茶や菓子、或いは昼食などをご馳走になろうとしたのではないか。
主人は呆れてしまった。




イトコの■ちゃんに会えたのは嬉しいがカスのせいで
全く面白くない旅になったらしい。
でもカスは多分とても楽しい旅だったと思う。
安く買えたり豪華な夕飯をご馳走になったり。
自分は手土産も無しで、とても得をした、それが嬉しく楽しい・・・のだと思う。

楽しさ面白さと言うのは人によって全然違う。
価値観や感覚感受性が違い過ぎる者同士で旅行するのは
せっかくの旅が台無しになるのだ。

ウチの主人がもっとモノゴトが分かっていれば決してこのようなことにはならないのだが
なんたって「殆どモノゴトが分からない奴」なのでこういう目に遭うのです。


<カスさん10>


主人が言うには
「アレじゃあ女房に逃げられるわけだぜ」
ああ、主人は知らないんだな、と思った。
カスの嫁のえぐ子もカスと全く同じだったことを。
凄かったです。
でも私は愚痴や他人の噂など家庭では言わないから、主人は何も知らない。




えぐ子も常に自分の得になることを考えていた。
だからカス=えぐ子なのです。
同波長の法則です。


ウチの主人とカスは友人でも無いがカスが主人を利用するために
付き合いたがっているのだろう。

こういう奴には言っても理解しないから放置して終了する。




と、思ったがちょっとくらいしっぺ返ししてやるのもいいな、と思う。
つまり、いつかまた■ちゃんが住んでいる沖縄の島に旅行しよう。
で、カスは旅行の企画のようなことしているのでカスに相談する。
あくまでも相談するだけ。
「あ、カスさん、同行者の●●さんが勝手に企画しちゃったのでそっちにしたわ〜
 済みませんねw」
と言ってやる、とか。

カスが「また◎◎さんの家に行きたい(そしてご馳走になりたい)」と言って来たら
「今度はカスさんの家に呼んでよ。
  ウチはもう3回も呼んだよw」と笑って言う、とか。

自転車でウチに来ても絶対玄関から先には行かせないがこれは既にやっていたか。

<カスさん11>


何度も言いますが私は何も「一度奢ったら今度はそっちが返せ」なんてみみっちいコト言わない、思わない。
うちの主人も私と同じです。
相手のためにいろいろするのは好きな方だし、やれる立場に有るのなら
喜んで楽しんでやりますよ。

でも相手が何を勘違いしているのか「相手がやってくれて当然だ、だって自分はコレコレだから」と
自己中心、利己主義なことを考えていたとしたら、
相手に対しての思いやりや親切も虚しいだけだし
むしろ、相手が何かを学習する機会を奪っていると言えるので
敢えて「やれてもやらない」ことにしたのだ。




鈍いうちの旦那もこれでとことん、思い知ったことだろうから
今回の旅行は良い教材になったことだろう。
良かった良かったw


<意識レベル/私は正しいと思う境地=500未満>(2012年11月8日)


「私は正しいと思う境地」って多分400台以下だと思う。
確証は有りません、感覚で書いてます。
500未満の人達は多分「私は正しい」と思っているのだ、と私はおもう。




Aさんという方から体験談が来たので掲載します。

返信ありがとうございました。
確かに自分がやっていることに自信があったり、
正しいと思っているとなかなか意識レベルは上がらないでしょうね。

 数年前、今回辞めた職場に就職する前は、
たぶん私も意識レベルはすごく低かったと思うのです。
なぜなら、「自分は正しい」というのがいつもある人間だったので。

 

そして、10月末に辞めた職場の上司(女性)は
私よりもっと「自分は正しい」人でした。
友達に「正しいと思っている人と仕事するのは大変だよ」と言われたことがあるのですが、
その時は「正しいことをしているのに、何が悪いのか」と思っていました。

でも、予想以上に「正しい」と思っている上司と仕事をするのはとても大変でした。
その上司が自分は正しいを振りまき怒っている時に
「私も同僚たちから見たらこの人と同じにしか見えないだろうな」と

気が付きました。

 

そして思いました。とってもみっともないと。
昔私も同僚や上司にこれをやっていたのかと思うと、顔から火が出る思いでした。
立ち位置が自分しかなく、ほかの人の立ち位置で見るということができないのですよね。
それまで、私の仕事の基準は正しいだったのですが、
自分勝手ではないかという考えが入るようになりました。

 おかげで意識レベルも上がったのでしょうか。

 次の職場と自分の店(当面自宅ですが)では、明るい先生として頑張りたいと思います。
ありがとうございました。


それはとても参考になるので記事にさせてね。

こんばんは。

こんなのでお役に立てるのでしたらどうぞお使いください。

 

元上司は53歳。50の坂を越えられませんでしたね。
一緒に働いている時は本当に嫌だったんですが、辞めた今となってはもう何とも思わないどころか、
開業するためのお金を貯めさせてくれてありがとうです。



その「50の坂を越えられなかった上司(女)」のおかげで
この方は波動が上がったようで、良かったです。
勿論、その「嫌な上司(女)」が居ても
腹が立つだけで決して自分にも非が有るなんて考えないですよね。
私はそうです(おいおいおいおいおいおいおい!)
だってそうでしょう?


しかし、そこでひと考え出来る人は次の境地へ進めるということかな。
まあ、私を始め、コレ(だから自分にも非が有った点を自覚すること)が
出来る人は殆ど居ないので、500を越えられる人があまり居ないのではないか?


だからそこ(だから、相手だけが悪いのではなくて、自分にも至らない点が有ったかもしれない、と
考えること)をクリアするかしないかによって
その後の人生の展開が違って来るのだと思う。
そしてこの方が体験した「50の坂が越えられなかったおばはん」を
客観視出来るということは、この方はその境地(レベル)を越えたからです。
もし、このおばはんと同じ土俵に居たら、今でも(あのクッソ婆あ!)と、
恨んでいるだけだと思います。




それから何度も記事にしていますが、若い人から見て50過ぎのおばはんがど=しようも無いように見えるのは
そのおばはんは若い頃からそういう人間だっただけで、50歳までマットウだったのに
50過ぎてからおかしくなったのでは無い。
そのおばはんは若い頃からそういう人間だったのです。
人生において何も学ぶことが無かったので、50歳を過ぎた今でも
その状態なのです。