yoake     「ふとのりとごと」とは・・・


ブログ「日月神示とともに」の2009年4月12日の記事より。


補巻 月光の巻 第二十五帖(抜粋)

高い心境に入ったら、神を拝む形式ではなくともよいぞ。
為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。


【ひとこと】
神道の祭祀に用いられる祝詞の一つに、大祓詞というのあがります。
この大祓詞は、内容的に前段と後段の二つに大別され、前段の最後には、
「天津祝詞の太祝詞言(フトノリトゴト)を詔(の)れ」と記されているのだそうです。
しかし、この「天津祝詞の太祝詞言」の内容はどこにも書かれておらず、
これが何を意味するのか国学が興った江戸時代以降ずっと議論されてきているそうです。
これに対して、4月1日の記事で紹介した橘流写経というものを天から降ろされた橘香道氏は、
その著書の中で次のように述べています。


「宮司などはフトノリトゴトは一二三(ひふみ)を唱えるなどというが、
フトノリトゴト定まったコトバがある筈はない。
その時その場で自分の立場でフトいうだけである。
大祓詞の後段は、フトいったことを実行すれば罪という罪は雲散霧消するのである。」

日月の神が仰っている「為すこと、心に浮かぶこと」というのは、まさにフトした行動、
フトした思い・閃きのことをいっているのではないでしょうか。
「フト」ということばには、
急に思いつく、何かの拍子に、偶然に、ハカラズ、 思いがけなく、不意に、などの意味がありますが、
言い換えれば、これらの「フト・・・」というのは、
本当の自分(魂・潜在意識)から降りてくるものだと思うのです。