hinoatarubasyo       Aさんのエジプト旅行記

Aさんが11月始めから10日間ほどエジプトへ行きました。
いつかエジプトへ行きたい、という方が多いので、参考までに旅行記を載せますね。
Aさんが送ってくれた写真の中から選んで載せています。
記事は下に追加されます   


このサイトを立ち上げた理由の一つに
「皆さんに吉方位に旅行してもらってその報告を載せたい」というのがありました。
立ち上げる前にカモワンで訊いてみたら「吉方位旅行記」のサイトという性格ではダメ、と出ていました。
当時はその理由が分かりませんでしたが、立ち上げた後で「吉方位」という
考え方そのものに根拠が無く、従ってそれを基にした旅行に意味が無いと結論が出たのです。
(カモワンは当たりますね!)
では方位は関係無しに・・・とサイトを運営していたら今回Aさんから詳細な旅行記が届き
それを使わせてもらうことが出来ました。
これは私の当初のアイディア「旅行してもらってその報告を載せる」という計画が実現したことになります。
願いは知らないうちにひょんなことから叶いますね。

皆さんも国内、海外に旅行したら「知っておくと良いこと」をぜひ、知らせてください。
ブログを持っている方は自分のブログに記事を書いてください、こちらからリンクします。




<一日目>(2010年11月28日)


今回も、最初にルクソールに入りました。
ホテルもいつも同じ、シュタイゲンベルガー・ナイル・パレスです。
5つ☆ですが、私たちは一番下の一番安い部屋ですw
実は、去年の「地○の歩き方」に、私たちのコメントが載り、本をタダでもらいました。
今年出た最新版には載りませんでした。残念。


エジプト1

荷物を部屋に置いたら、ホテルの前の道を渡って、セルビスに乗って出かけます。
この水色と白の小さいワンボックスがセルビス。
タクシーよりも安くて早いです。
路線バスのようですが、停留所などは無く、どこからでも乗り降り自由で、1人1回0.5ポンド。
本当はもうちょっと安いのですが、運転手が細かいお釣りを持っていないことが多いので、
エジプト人でもだいたい半ポンド払っています。
ごくたま〜に、お釣りが出ますw


エジプト2

セルビスが通りかかったら、運転手に行きたい場所を叫んで、止まってくれたら乗ります。
たとえば、ルクソール神殿に行きたかったら、英語で「ルクソール・テンプル!!」
エジプト訛りの英語で「ルッソル・テンベル!!」、アラビア語で「マアバト・ウッソル!!」と
次々に叫べば良いわけです。どれかは通じます。

たまに、行きたい場所まで行かないヤツも止まって乗せてくれるのですが、
運転手や乗客が「ここで降りて道路を渡って別のに乗り換えたらいい」とか
「ここからあっちに向かって歩いて500メートルだ」とか親切に教えてくれます。
満員だと乗車拒否されますが、バンバン走ってくるので問題無し。
ドアはいつも開けっ放しなので、気をつけましょう。
あと、女性の隣は女性が座るように席を譲りあったりしています。

乗ったら、運転手に人数を告げてお金を渡しますが、
後ろの席になったときは、前に座ってる乗客に人数を言いながらお金を渡し、
パスして運転手まで回してもらいます。
たまにお釣りも前からパスして回ってきます。見事な連携プレー。


乗客や運転手から「どっから来たの?」とか「エジプトは初めて?」とか色々きかれます。
「エジプトは4回目で、友達の家に遊びに来た」と言えば、大抵の人は喜びます。
商人はボッタクリが多いですが、普通の人はとてもフレンドリーです。



まず、ルクソールのサラーフッディーン広場の近くにあるコシャリ屋に行きました。
いつも必ず行ってます。「地○の歩き方」にも載っている店ですが、
ここは友達が通っている学校に近いので、待ち合わせによく使います。
学生に人気があるということは、安くておいしい店なのだと思います。

「歩き方」にはコシャリしか載っていませんが、私たちはハワウシーも好きです。
ハワウシーというのは、パンの中にハーブとスパイスで味付けされたミンチが入っていて、
揚げパンみたいになっている食べ物です。
これにトルシーという、エジプトのピクルスがついてきます。
今日のトルシーは、カブと人参と、小さなレモンです。ピリ辛です。

コシャリは、ごはん、パスタ、ひよこ豆、フライドオニオンにトマトソースをかけてまぜて食べる、
チープな庶民の食べ物です。


エジプト3

こっちはハワウシー。ピロシキのようにも見えなくもない。
地域によって、かなり味が違います。
ルクソールのハワウシーはちょっとピリ辛です。
カイロのハワウシーは、甘いですね。

エジプト4

今回は腹ごしらえをしてから、カレンダーを買いに行くことにしました。
カレンダーは本屋さんに売っています。
この本屋、去年までは超高級ホテル、ウィンター・パレスの隣にあったのですが、
ホテル増築のために本屋や小さなスーパーなどが全て取り壊され、今の場所に移転しました。

店舗が広くなり、値札も付いていて明朗会計です。
置いている商品もセンスが良いです。
その代わり、ちょっと割高だし、去年と同じ商品が全て値上がりしていました。
しかたないですね。
ルクソール神殿の前の通りに面している、マクドナルドの隣なので、すぐにわかります。

ハガキもここで買いました。
初日に郵便局も行きたかったのですが、金曜だったので郵便局が休みで、
郵便局は別の日に行くことにしました。イスラム教では金曜が休みなのです。

エジプト5

さて、夜はルクソール西岸にローカルフェリーで渡り、友達の家に行きました。
クルナ村です。王家の谷や貴族の墓のすぐ近くです。

一番右端の、赤いシャツを着ている子が友達です。
日本語を学んでいる22歳の若者です。

去年彼に声をかけられて、家にノコノコついていき、夕食をごちそうになり、
家族の写真を撮って、今年プリントしたものと日本のお菓子をプレゼントしました。
ここで今回初めてオーブらしきものがうつりました。
友達の首に白いのがうつってますが、これはレンズの汚れですw
同じ部屋で同じ条件で撮った他の写真にはオーブはうつりませんでした。
私の隣にいるおじさんは、友達のお父さんで、他の男の子たちは兄弟です。
エジプト人は兄弟が多いです。5人ぐらいは当たり前です。

実は、友達のお祖父さんが12歳の頃、ツタンカーメンの墓を発見した
イギリス人考古学者、ハワード・カーターと働いていたそうです。
カーターは地元の村人を雇って、発掘作業をさせていたのでしょうね。
彼らはそれを誇りに思っているようでした。

エジプト6

一日目はこうして終わりました。



<二日目>


エジプト2日目。

朝から友達とルクソール西岸で待ち合わせをしました。
西岸に渡るために、ローカルフェリーに乗ります。

今日は王家の谷を見学するので、フェリーに乗る前に、街中のパン屋さんで
お弁当用にパンをいくつか買っておきました。
あちこちにパン屋がありますが、私たちはいつも同じパン屋で買っています。
馴染みの店を作って仲良くなっていくと、ちょっとオマケしてくれるようになります。

ルクソール神殿のすぐ前に、フェリー乗り場があります。
朝のルクソール神殿。爽やかで気持ちの良い場所です。


エジプト7

今日は友達が地元民専用の朝市を見せてくれるというのです。
イタリア語学生のハニ君がバイクで迎えに来てくれました。
これに3人乗りします。
ハニ君が前、私が真ん中、主人がうしろ。
私たち日本人は小柄なので問題無し。
東洋人二人を乗せたハニ君のバイクは、大注目を浴びました。

エジプトでは小さな子供でも勝手にバイクに乗っています。
免許は一応あるらしいのですが、警察に見つからなければオッケー。
見つかっても、警官の機嫌が良ければ、お金を渡せば見逃してくれるとか。
ところでハニ君の免許は・・・聞かなかったことにしておきました。


エジプト8

ハニ君は、今夜自宅に招待してくれます。
私たちに食べさせてくれる料理の材料を吟味して買ってくれました。
何でもキロ単位の量り売りです。

これはトマトを選んでるハニ君。
エジプトのトマトは小振りですが、真っ赤でとても濃厚な味です。

エジプト9

キュウリや茄子など、野菜がゴロゴロと積み上げられています。
この市場は火曜と土曜の朝6時から9時まで開かれます。
クルナ村の人はいつもここで買い物をするそうです。

エジプト10

パスタなども大きな袋に入って、無造作に売られています。
果物も、服も、おおよそ何でもこの市で揃うようです。



市場を見学させてもらった後、私たちは西岸の観光に出かけました。
友達が西岸のセルビス運転手の人に、1日貸し切ってくれるように話をしておいてくれたので、
私たち夫婦だけでセルビスに乗り、王家の谷、ラムセス3世葬祭殿、ラムセス2世葬祭殿の
3カ所を回ってもらうことにしました。


王家の谷では荷物検査をされて、とても警備が厳しくなっています。
年々厳しくなっている印象です。
3年前は墓の外なら撮影できたのですが、墓内部に携帯を持ち込んで撮影する不届き者のせいで
墓の外でも撮影禁止になってしまったのだと思います。残念ですね。

私たちは、王家の谷の駐車場へ入るためだけの入場料がもったいないので、
観光警察が警備している入り口の手前で降ろしてもらって、歩いて入りました。
他の観光客は、大型観光バス、小型のツアーバス、個人で回ってる人もタクシーで来るので、
地元の小さな路線バスを借り切って来た私たちは警察に怪しまれました。
というか、バスの運転手さんが、不審な目で見られた。
「お人好しな日本人を騙している悪いヤツじゃないだろうな」って目で見られた。
これは可哀想だなと思いました。
やはり日本人のイメージはお人好しで騙されやすく、お金持ちなんです。
そして、そんな日本人をカモにする悪いヤツも多いということです。

運転手さんには、「3時間見るけど、終わる頃に電話するから迎えに来て」と言って、
一旦帰ってもらいました。炎天下の車の中で3時間も待たせるのは気の毒です。
彼の家まで車で10分程度らしいので、帰ってもらうほうが気楽で良いと思いました。

王家の谷に続く道。観光客と王家の谷で働く人以外は来ません。

エジプト11

王家の谷では、「トトメス3世」「トトメス4世」「ラムセス7世」の墓を見学しました。
王家の谷は広く、とてつもなく暑いので、無駄に歩き回ると軽く死ねます。
ちょっとのんびりしすぎなぐらいに休憩を取りながら、体力を温存しつつ回りました。
エアコンの効いたツアーバスが待っていてくれるとラクなのですが、
個人で行くなら体力を温存することが最優先です。
ですが、気をつけていても、ここで主人は軽い熱中症になりました。
ゆったりと時間を取っていて良かったです。


王家の谷の次は、ラムセス3世葬祭殿。通称「メディネト・ハーブー」です。
ツアーではあまり来ないので有名ではありませんが、とても立派な葬祭殿です。
私たちは2度目です。


エジプト12

ラムセス3世は男前に描かれています。

天井のレリーフと色彩もきれいに残っています。

エジプト13

列柱も立派です。

エジプト14



メディネト・ハーブー(ラムセス3世葬祭殿)を見学し終え、
次はラムセウム(ラムセス2世葬祭殿)へ。

ここは私たち夫婦が大好きな場所で、お互い自由に行動します。
かなり崩れているので、道路からでも見えるのですが、やはり中に入ります。

大きなラムセス2世の足。


エジプト15

崩れてしまっているラムセス2世のオシリス柱。

ここで、1日遅れではあるけれど、11月5日にお誕生日を迎えられた2名のお客様のために
ラムセス2世の頭と一緒にハッピーバースデーを歌わせていただきました。
後で聞いたら、私が音痴すぎてお客さんが気の毒すぎるから、
写真だけのほうが夢を壊さなくていいのではないかと主人に言われました。
動画をアップすると言っておきながら、すみません、音痴をすっかり忘れていましたw


エジプト16

抜けるような青い空。

エジプト17

ちょっとだけ屋根が残っている列柱室。

私たちはここで別行動になり、それぞれ水と食べ物を持って、
思い思いに列柱の土台に座って、しばし休憩。

暑いので、日陰に座ります。
自分の呼吸と足音以外、何も聞こえません。
ここでも何枚か、お客さんに出すハガキの言葉を書きました。


エジプト18

ゆっくり休憩した後、セルビスに迎えに来てもらいました。
この後友達の家まで送ってもらいました。
1日貸し切りで、運転手さんへのチップも大盤振る舞いして、55ポンド払いました。
運転手さんは大喜びしてました。

後でエジプト人の日本語ガイドに言うと、「それは1人の値段?」と言われるほど格安でした。
普通、外国人が路線バスをチャーターすると、100ポンドはするみたいです。

一昨年は東岸からタクシーを1日150ポンドでチャーターしました。
昨年は西岸でタクシーを拾い、半日50ポンドで貸し切りました。
今年はバス1日チャーターで55ポンド、チップ込み。
年々安く動けるようになってきています。


エジプト19

友達の家では、お母さんの手料理を振る舞ってもらいました。
中央は白身魚のからあげ、これはナイルの川魚。
その左上の小さいのは、ひよこ豆のペースト。ホンモスというもので、パンに付けて食べます。
トマトは今朝買ったやつ。
ごはんは日本のと同じジャポニカ米。ちょっとシナモン風味。
左の赤いのは、オクラのトマト煮込みスープ。その下の白いのは、タヒーナ。
ゴマのペーストで、これもパンにつけて食べます。
きゅうりは日本のと全く同じ味です。

エジプトのごはんは、床にあぐらをかいて座って食べます。
応接間にソファはあるのですが、ごはんの時は床に座ります。

エジプト20

夕食後は家の前のベンチに座ってお喋りをします。
涼しくて気持ち良いから、エジプト人は皆、夜型です。
彼の家の玄関を出ると、ハワード・カーターの家が近くに見えます。
彼のお祖父さんも、カーターと働いていたのだと言います。

この村の人はみんなカーターに雇われて、一緒にツタンカーメンの墓を掘っていたのだと思います。
夜にバイクの3人乗りは危ないので(道路に突然穴があいてたりするからw)、
ハニ君はバスを拾ってフェリー乗り場まで送ってくれました。
(私たちは東岸のホテルに泊まっているので、フェリーでナイルを渡るのです)



<三日目>


エジプト3日目。まだルクソールにいます。
今日の予定は、郵便局へ行き、ナインの店で買い物をし、友達の学校を見学すること。



郵便局は混雑していました。
エジプト人は列に並びませんが、東洋人の女は私1人だけで目立っていたので、
近くにいたおじさんやお兄さんが列に入れてくれました。
ここで切手を50セット買いました。
一昨年は日本までハガキ一枚1.5ポンドだったのですが、去年からは2.5ポンドになってます。
50買うと言うとびっくりされて、15の間違いじゃないのかと言われました。

〒:英語 「フィフティーン?」
私:アラ語「ラッ、ハムシーン(違う、50)」
     「ミシュ・ハマスターシャル(15じゃないよ)」
     「ヌッス・ミーヤ(100の半分)」

英語だと「15」と「50」の発音が私には難しいので、
アラビア語で言うほうが通りが良かったです。

エジプト21

郵便局の前の道路を渡ると、すぐに観光客用の商店街、通商ツーリスト・スークです。
ルクソール神殿の目の前です。
ここに毎年行ってる小物屋さんがあります。

初回、この店はボッタクリでした。
それでも懲りずに翌年行ったら、今度はいっぱいオマケしてくれました。
更に今年、去年撮った写真をプリントして持って行ってあげたら、すごく喜んでくれました。

お店のオヤジ、名前はナイン。名前からわかるように、彼はムスリムではなく、コプト教徒です。
手首に青でコプト十字の入れ墨が入っています。コプト教徒は皆、手首に十字の入れ墨をしています。

クレオパトラのコスプレ?をさせられ、写真を撮って、ナイン大喜び。
いつも紅茶を飲ませてくれて、私にネックレスを一本プレゼントしてくれます。
ものすごく安くしてくれるのですが、ちょっとスケベなところもありまして、
どさくさに紛れて尻をぺろーんと触ってきたりします。
怒ったら「あっ、ごめんごめん、ぶつかっただけだよー」と謝ってきますw
毎年同じ手なので、私も慣れてます。


エジプト22

アラバスターの器をランプの下に被せて、光が透けるのを見せてくれました。
これはとても素敵だったので、買ってお客さんに送りました。

エジプト23

正直言って、ナインのセンスはイマイチですw
どーしようもないガラクタの山の中から、マグネット付きの小皿と写真立てを選んで買いました。
文房具やトランプも、マシなのを見つけていくつか買って、お客さんに送りました。

エジプト24

ナインの店を出て、またコシャリ屋に行き、コシャリとハワウシーを食べてから
友達の学校に行きました。



学校に行くと、日本語の授業を見学させてくれるとの申し出があり、
図々しくも教室に入れてもらいました。

海外青年協力隊で日本語教師をしている日本人女性と知り合いました。
この学校で日本人は彼女1人だけで、任期は2年、エジプトに来て2ヶ月だそうです。
彼女は上級生の3,4年生を教え、1,2年生はエジプト人の先生です。
私たちは3年生の授業を見学しましたが、授業は全部日本語だけで行われていました。
彼らは来年4年生になるので、また来年、成長した彼らを見に来て欲しいと言われました。



学校は、ルクソール観光ホテル専門学校です。
彼らは観光ガイドを目指していて、日本語の検定試験とガイドの試験に向けて勉強をしています。
ですが、ガイドの試験はとても難しいので、学校を出てもガイドになれる子は少ないようです。
みんなの夢が実現すればいいなと思いました。


学校が終わった後、夕食をごちそうになったお礼に、日本語学生のモハンマド君(通称ミド)と
イタリア語学生のハニ君に、ホテルのレバノン料理をごちそうしてあげることにしました。
ミド君とハニ君、まだ2人とも、ちょっと緊張した顔です。

ナイル・パレス・ホテルの中庭にあるレバノン料理レストラン「タルブーシュ」の、いい席です。
夜8時から、中庭でベリーダンスのショーが始まるので、見やすい席を取りました。

ここは美味しいので、本当にオススメです。
予算はディナーで1人150ポンドぐらいです。
お酒も置いてますが、私たちは飲みません。お酒を飲むと、もうちょっと高いと思います。



エジプト25

将来、彼らが観光ガイドになったら、こういう場所に観光客を連れてくることになります。
ですが、普通のエジプト人は外国人が泊まる高級ホテルに単独で入ることは、ほぼ不可能です。
なぜだか、ドアマンに追い返されます。

私たちはこのホテルに泊まるのが3度目で、ドアマンとも守衛さんとも顔見知りになっているので、
「友達連れてきたよ。レストランで食事するの」と言えば通してもらえました。
最初のうち、彼らはとても怖がっていましたが、すんなり入れてホッとしたようです。
ただ、客室に入るのはダメでした。


私はミックスグリルを注文しました。
コフタやケバブなど、色々なおかずがちょっとずつ乗っています。

エジプト26

他にも、マハシーとケッパを頼みました。
奥のがマハシー。これはブドウの葉で味付けごはんを包んだ前菜です。
ケッパは、コロッケに近いような、お肉料理です。
他にも、タッブーラという、パセリのサラダを頼みました。
飲み物は、私はシャーイ・ビ・ナァナァ。
ミントティーですが、アラビア語で言うと面白がられます。
エジプト人はフレッシュミントを紅茶に入れて飲みます。

エジプト27

デザートは、オム・アリ。アリ君のお母さんという意味のお菓子で、パンプディングです。
これはミドがとても気に入っていました。シナモン風味のココナツミルク味で、とても美味しいです。

エジプト28



8時過ぎから、ベリーダンスのショーが始まりました。
エジプトのベリーダンサーは、迫力があります。

エジプト29

ところが、日本語学生のモミドは、ベリーダンスは見てはいけないと言って顔を背けてしまいました。

ミド「私は、見ることができません(涙目)」
私 「なんで?」
ミド「私が見てもいいのは、妻になる人だけです。見たい気持ちはあります。でも、ダメです」

もう1人の、イタリア語学生のハニ君は、しっかり見て写メまで撮っています。

私 「ハニ君は見てるけど?」
ミド「見るかどうかは、その人によります。私は、ダメです〜」
ハニ「僕は、将来ガイドになって仕事で見ることになるから、練習として見るよ」
ミド「他のガイドは、どうしていますか? 友達のアメリさんは、どうしていますか?」
私 「アメリ(友達のガイド)も、仕事だから見てたよ」
ミド「そうですか・・・私は、やっぱりダメです。・・・私は、ガイドになりたくありません」
私 「ええっ!!」
ミド「私は、日本語の先生になります!」

聞けば、彼らは今日初めて高級ホテルに入って、外国人観光客がどのように過ごしているかを知り、
ナイフとフォークも初めて使ったのだという。
高級ホテルにエジプト人は入れないので、就職してから実地で学んでいくしかないようです。

彼らが学生のうちに現場を見る機会を作ることができて、良かったかもしれません。



<4日目>(2010年11月29日)


4日目。なんだか風邪気味みたい。
今日は午前中ゆっくり寝て、昼過ぎにカルナック神殿へ行こう。


午前中ゆっくり寝て元気になったので、カルナック神殿に向かいます。
高級ホテルのすぐ前では、タクシーの客引きがホテルから出てくる観光客を待ち構えていますが、
私たちはいつもセルビスを拾うので、客引きも寄ってこなくなりました。

ホテルを出てカルナック神殿に向かう前に、いつものコシャリ屋でコシャリを買います。
お弁当にするためです。
ちなみにコシャリはテイクアウェイのほうが安くなります。
昨日のお弁当はパンだったので、今日はコシャリです。
どうせなら、カルナック神殿の大列柱室で食べようと思ったのです。
到着してすぐ食べるつもりだから、暑さで傷む前にお腹の中に入るでしょう。

お弁当をゲットしたら、また大通りでセルビスを拾います。

私「カルナック?」
運転手「オーケー!」

すんなり拾えたらラッキー。
エジプト人も交差点などのバスがたくさん通るところで片っ端から声をかけています。
今回は20分ぐらいバスを待ちました。
たくさん通り過ぎて行きますが、満員だったり、行き先が違ったりするので、
通勤・通学時間帯はエジプト人でも苦労しています。
エジプトの公立学校は午前中だけで終わるので、お昼頃のバスはとても混んでいます。

ようやくカルナック神殿前に到着。
大型観光バスがずらりと並んでいる広大な駐車場を横切って、
ビジターセンターに入り、チケットを買い、神殿に向かいます。

エジプト30

ビジターセンターを出てからも、また遠いです。
そして暑い。
暑いというより、熱い。ていうか痛い。
日差しが痛いです。日焼けを通り越して火傷しそうです。
だから私はなるべく長袖を着ています。寒いからではなく、日よけです。

エジプト31

さて、このカルナック神殿、表にスフィンクス参道がありますが、これは昔、
3キロほど離れたルクソール神殿とつながっていました。
今、このスフィンクス参道を発掘、復活させようという計画があります。

後になってからスフィンクス参道の上にできた家、商店、道路、教会やモスクに至るまで
全て取り壊され、最優先でスフィンクス参道発掘中。
同時に新しい図書館や学校も同時に建設されてはいるものの、
ルクソール神殿とカルナック神殿の間に住んでいた人たちは家を失い、
道路もあちこちで寸断されていて、とても不便なことになっています。
工事が終われば、以前よりも住みよい町になることを期待しています。


カルナック神殿はとても広いです。
隅々まで見ようと思ったら、どれだけかかるのか・・・
毎年来ていますので、お気に入りの場所が出てきています。

エジプト33

私はお気に入りの大列柱室でコシャリをいただきます。
セティ1世とラムセス2世に護られている感じがして、とても落ち着く場所です。

エジプト34

主人のお気に入りは、断然、オベリスク。
ハトシェプスト女王のオベリスクが一番美しく見える場所を探して放浪します。


(35)

聖なる池も捨てがたい。

聖なる池のほとりに鎮座している、巨大なスカラベも拝んでおきたいです。

奥のほうにある、トトメス3世神殿にある、「トトメス3世の植物園」と呼ばれている
動植物のレリーフも大好きです。
時代が古いので、繊細な浮き彫りになっています。
ここは入り口からとても遠いので、日本のツアーではまず来ないでしょう。

広すぎて、大きすぎて、写真ではうまくお伝えできません。

結局お昼過ぎから夕方までずっと、カルナック神殿にいました。
体調が良ければ朝から入り浸っているつもりでしたが、
それはまた来年の楽しみにとっておくことにしましょう。インシャ・アッラー。



<5日目>(2010年12月1日)


エジプト5日目。今日でルクソールは最後。
だけど風邪気味。しかたないから部屋で音楽を聞きながら寝ていよう。
生活パターンがエジプト人化してきた気がする。



午前中は、おでこに「ン令えピタ」を貼って、携帯でアラブのアイドル
ナンシー・アジュラムを聞きながらベッドでおとなしく寝ていました。
ここで体調を整えておかないと、明日は車でアスワンに移動するからツライのです。

のんびりしていたら、友達から主人に電話が。
午後から学校で待ち合わせて、一緒に遊ぼうと誘われました。

そうそう、携帯ですが、毎年一番にボーダフォンショップへ行き、
エジプト国内専用にプリペイド式のsimカードを買います。
外国人が買えるのは「ホリデーライン」とかいう高いプランしか無いと言われました。
いつもこれを買います。高いですが、日本の携帯を使うよりは安い。
メールと自動音声案内で残高照会できるのですが、アラビア語なのでさっぱりわからず、
滞在中はチャージが切れるたびに何度もボーダフォンショップへ足を運ぶことになります。
けっこう面倒なのですが、携帯があると便利すぎるのでやめられません。


出かけるとき、ホテルのドアマンのおじさんに「今日で最後なの」と言って記念撮影しました。

おじさん「また来年も来る?」
私 「アイワ。インシャ・アッラー!(うん。神が望むならね!)」

エジプト36

セルビスでサラーフッディーン広場まで行きます。
友達の学校はこの広場に面しています。
ところで、エジプトで広場というと、大きな交差点という意味です。
公園やら空き地があるというわけではありません。

学校の近くに、コシャリ屋もあるし、パン屋もあります。
一通りなんでも揃っています。
昨夜のお礼にと、コシャリをおごってもらいました。

「コシャリだけでいいの? 他に何か食べたいものない?」
「んー、じゃあ、コックテール飲みたい!ヤッラ・ビーナ!(さあ、行こう!)」

コックテールというのは、エジプト版ミックスジュースのことです。
カクテルという混ぜモノのお酒がありますね、あれを気分だけでもマネて、
ミックスジュースのことをコックテール(カクテル)と呼んだのが定着したのです。

またサラーフッディーン広場に戻り、交差点に面したジューススタンドに行きました。
ここでは、イチゴジュースとココナツミルク味のジュースの中に、
ゴロゴロと角切りになった桃、バナナ、りんご、マンゴー、メロンが入っています。
パフェ的な食べ物と言えるかな。果物は季節によって変わります。
イスラム教徒はお酒を飲みませんから、みんな甘い物が大好きです。

他にも、生搾りオレンジジュースや、レモンジュース、サトウキビなんてのもあります。
ジュースは目の前で絞ってくれます。大きなグラスと小さなグラスが選べます。
その場で立ち飲みして、お金を払います。
フレッシュジュースやコックテールは、滞在中の貴重なビタミン源です。
甘い物は精神力も呼び覚ましてくれますし、気に入ったジューススタンドを見つけると
エジプト滞在が豊かになると思います。

エジプト37

コックテールを飲んだ後、みんなでルクソール神殿に行くことにしました。
ところが、彼らはエジプト人学生、私たちは外国人旅行者。
やはり一緒に入るのは気まずい、と言われたので、別に入って中で待ち合わせました。
実は、料金もエジプト人学生と外国人では50倍ぐらい違います。
彼らは1〜2ポンドぐらいで入れると思いますが、外国人は50ポンドです。

ルクソール神殿は、夜のほうがロマンチックな雰囲気です。
涼しいし、比較的空いているし、見学しやすいと思います。

※下の写真には無数のオーブが写っています。
   不思議ですね。



(38)

エジプト39

エジプト40
(40)
エジプト41

主人の身体の一部が背景に溶けたような写真が撮れました。
光の加減なのでしょうが、本当に時空を超えたような気がして面白いです。

エジプト42
(42)
右上のほう、青いオーブがありますね。主人と青いのが一緒にうつってるのが多いような。
これは主人を守護している存在なのでしょうか。

エジプト43
(43)



ルクソール神殿を見学している間、ミド君は日本語で、習ったばかりのガイドをしてくれました。
本物のガイドが近くにいるときは黙っていましたが。
無免許でガイドをすると逮捕されるのです。
モグリのガイドが不当な料金を観光客に請求するトラブルが多いので、
ガイドは免許制、しかも更新制です。
ガイドになるのもガイドの免許を維持するのも難しいのですが、収入も保証されています。

ハニ君もガイドをしてくれました。でも、イタリア語でw
彼はアラビア語の次にイタリア語が得意なので、
私たちがイタリア語を理解できなくてとても残念がっていました。



ルクソール神殿を見学した後、またセルビスに乗って学校の近くまで戻りました。
学生専用フラット(アパート)があるので、そこで遊ぼうと言うのです。
ベッドがあるだけの質素な部屋で、2〜3人が一緒に寝泊まりしているそうです。
簡単な共同キッチンもありました。
学校のすぐ近くなのでちょっと高いらしいのですが、ここで生活している学生は
皆成績優秀者ばかり。
そう言えば、ミド君は日本語トップ、ハニ君もイタリア語トップ、
とても頭の良い子たちです。

オーディオ機器なんかありませんが、みんな携帯に音楽を入れているので、
それぞれ順番に、お気に入りの音楽を鳴らして踊りました。

最初は部屋の住人だけだったのに、歌って踊っている物音を聞きつけて学生が集まってきました。
主人はみんなの倍ぐらいの年齢ですがw 私も相当年上ですがw
夜遅くまで、歌って踊って大騒ぎ。 エジプト人は普段から酔っ払っているみたいですw
でも、お酒を飲まないから酔いつぶれることもないし、ふざけていても頭ははっきりしています。
ここにいる学生たちは、皆陽気で、とても礼儀正しくて紳士的です。

エジプト44
(44)

ルクソール最後の夜は、こうして終わりました。



<6日目>(2010年12月3日)


今日は車でアスワンに移動。途中でコムオンボ神殿を見学する予定。
アスワンのホテルに入る前に、香油屋につれて行ってもらう。


聞くところによると、ルクソールからアスワンまでのコンボイがなくなったので
アスワンへの移動がより自由になりました。
もう決められた時間に道路を封鎖して、武装警官と他の観光客と一緒に
隊列を組んで走る必要がなくなったのです。
だから朝は比較的ゆっくり、8時にホテルを出発します。

迎えに来てくれた車は、2年前にデンデラのハトホル神殿、アビドスのセティ1世葬祭殿と、
エドフのホルス神殿に連れて行ってくれたアリさんでした。
2年ぶりの再会で、やっと彼に2年前撮影した写真を渡すことができました。
エジプトは郵便がいいかげんなので、一度送ったものの、彼には届かなかったのです。

ナイル川沿いの道を、ひたすら南下します。






ルクソールから3時間ほど南下したところで、コムオンボ神殿に到着。
4年ぶりです。4年前はクルーズ船に乗ってきました。
日差しが熱いです。そして痛い!!
持っていたストールを首に巻いて日よけにします。
とても暑いけど、痛いのよりマシです。

チケットを買って、中に入ります。
水もしっかり持ち込みましょう。飲食禁止などとは言われません。
水がなければ人が死にます。それぐらい暑いです。


(47)

RKさんが作ってくれた渦巻きの巾着袋を持って、自分で縫った服を着ているので、
もはや私が外見では、東アジアのどこ出身かわかりませんが、これが良かった。

バクシーシ(お恵み)目当ての不良ポリスやオヤジたちは観光客に
「どこから来たの?」と聞いてきます。
出身地で観光客を値踏みするのです。
日本人だと言うと、お人好しでお金持ちだから、タカられます。
中国人、韓国人も観光客は日本人より金持ちです。

私たちはいつも、
「モンゴリアン!」
と答えていました。

モンゴルなんて、どこにあるのかエジプト人は見たことも聞いたこともないので、
金をタカろうとしていた輩はビックリして、思考停止するみたいです。

可能な限り、アラビア語で答えます。
「アナ・ミシュ・シーニー。(私、中国人じゃないよ)」
「ミシュ・クーリー、ミシュ・ヤバーニー。(韓国人でもないし、日本人でもないよ)」
「アナ・モンゴリアン!(私はモンゴル人だよ!)」

エジプトにモンゴル人が観光で来てることはあまり無いと思うので、
しばらくはモンゴリアンが使えるかなと思います。
これもエジプト滞在を面白く快適にするための工夫です。



主人もエジプトのボーダフォンショップの袋に財布や水を入れて持ち歩いてますw
とても金持ちそうには見えません。
ちなみに私は4年前もエジプト人から5ポンド恵んでもらいました。
よほど貧乏そうに見えたのでしょうかw
でもこれぐらいがエジプトを歩くのにちょうど良いです。



コムオンボ神殿は、2柱の神様のための神殿で、入り口が2つ仲良く並んでいるのが特徴。
ワニの姿をしたソベク神と、下エジプトのホルス神を祀っています。
プトレマイオス時代に建てられたものなので、建物はギリシャ調です。

ここの必見レリーフは、何と言っても古代の医療器具を描いたもの。
現代で使う器具と変わらないものがいくつもあります。
ミイラを作るときに体内のものを取り出したりしていたので、
外科手術の技法は確立されていたのかもしれないなと思いました。
私も一時期手術室に勤務していたことがあるので、これは興味深いです。
ここは観光客が必ず来るので、混雑しています。
狭い通路にさりげなくあるので、空いた頃合いを見計らってサッと見学します。


(50)



コムオンボ神殿を1時間見学して、また車に戻り、アスワンの香油屋に向かいます。
コムオンボからアスワンまでは1時間程度です。


さて、香油屋では1時間ほどかけて、じっくりと交渉をしました。
ここはツアーの観光客が来る店です。
ツアーガイドの友達の紹介で連れてきてもらいました。
友達の紹介と、営業担当のモハンマドさんと個人的に仲良くなっておいたのが功を奏し、
かなり良い値段で香油と香水瓶を買うことができました。
ここの香水瓶、値段はスーク(市場)に売ってるヤツの100倍はしますが、上質です。

それにしても、香油屋のモハンマドさん、顔が小さいです。
身体は鍛えているらしく、マッチョです。
彼は日本語ガイドの試験に通ったので、今頃はカイロに帰ってガイドの仕事をしているでしょう。



香油を買って、アリさんにホテルまで送ってもらいました。
彼は友達の紹介ですが、チップは大盤振る舞いしてあげました。
彼はこれから4時間かけて、ルクソールに1人で帰らなければならないからです。
150ポンド払いました。友達には120ポンドでいい、と言われていましたが、
途中で水を買ってくれたり、あれこれ気遣ってくれたので、多めにあげました。

私たち、決してケチなわけではありません。
正当だと思われる対価を支払いたいだけです。
でも、バクシーシくれ、と言われると途端に払いたくなくなります。


アスワンでは、ピラミサ・イシス・コルニーシュ・ホテルに泊まりました。
ナイル川沿いにある4つ☆ホテルです。
普通、日本人のツアーでは4つ☆クラスには泊まりません。全部5つ☆クラスです。
が、アスワンの5つ☆は静かな場所(=ダウンタウンから遠い)か、島にしか無いので、
フラフラと夜に出歩きたい身の上としては、アスワンで5つ☆は不便でしかありません。
それに、何よりも、アスワンはエジプト人でもリゾート地だと思っているので、高い!
ネットで探して、安くて便利な場所にあって、水回りがそこそこ期待できそうなホテル、
ということで、イシス・コルニーシュにしました。

夕食は、アスワン駅のすぐ近くにある、シーフードレストランで焼き魚定食を食べました。
2人でチップ込み80ポンド弱でした。
中級ぐらいのお店ですが、周囲の店よりはるかに高級感があります。
「地●の歩き方」にも載ってる、Sheikh Khalil (シェイフ・ハリール)という店です。
英国版「歩き方」のロンリー・プラネットにも載っているので、西洋人観光客が多いです。


(52)

夜、ホテルに戻ったら結婚式をしていました。
エジプトの結婚式は夜スタートして明け方まで続きます。

私たちは明日、アブシンベルに日帰りツアーを予約しているので、早めに寝ることにしました。



<7日目>(2010年12月4日)


朝2時半に起きて、アブシンベルツアーに出かける準備をしました。
3時15分出発です。

夜明け前は寒いですが、11月にコートは必要ありません。
長袖のシャツと巻きモノがあれば良いでしょう。
私はTシャツの上に長袖のシャツを着て、ストールを肩からかけました。
主人もTシャツの上から長袖のシャツを着ています。
アブシンベルは北回帰線を越えます。
太陽からの放射を良く受けるため、とても暑く乾燥する地域です。
日中と夜間の気温差が大きいので、重ね着して調整します。

ホテルのロビーで、朝食を箱に詰めてもらったものを受け取りました。
朝食付きで予約してあるので、言っておけばやってくれます。

アブシンベルに陸路で向かうためには、コンボイで行かなければなりません。
武装警官が全ての車に同乗する必要はないのですが、
観光客が乗ったバスや車はナンバーを記録され、
乗客の国籍と人数も全て記録され、行きと帰りで一致していなければなりません。
エジプト軍と警察の護衛付きで、みんながまとまって走ります。
アブシンベルは、政情不安なスーダンとの国境に近いので、警戒しています。
また、アスワンとアブシンベルの間の砂漠には、大きな軍の施設もあります。

途中に何度か検問もあります。
道路、特に橋はテロリストの標的にされやすいらしく、
軍が24時間体勢で監視していて、ちょっとピリピリした雰囲気です。
それ以外の途中の砂漠の中の一本道は、どの車やバスも、びゅんびゅん飛ばしています。
アスワンに限らず、エジプト国内は運転が乱暴で皆飛ばしています。
信号はほとんど無いし、あっても誰も守りません。
たまに大きな事故を起こしてニュースになってますが、
本当にこれではいつ事故が起こってもおかしくないなと思います。
もう、神に祈るしか無いですね。インシャ・アッラー。

見渡す限りの荒野(サハラ砂漠)の一本道で、夜が明けてきました。


(53)

途中で道路工事中だったり、検問があったりして、アブシンベルまで4時間ほどかかりました。
到着したのが7時頃。
見学するのは1時間半です。
9時のコンボイで帰るので、8時半には車に戻って軍のチェックを受けます。

一度にとてつもない人数の観光客がトイレを利用するので、行列を覚悟しましょう。
どこも洋式で水洗ですが、流れないことも多いです。
ツアー客はお腹を壊していることも多いので、色々残っていることがあります。
いちいち気にしていられませんw
トイレットペーパーは流さず、備え付けのくずかごに捨てます。
紙を詰めてしまうと、水が乏しいのに、掃除で大量に水を使うことになります。

さて、トイレに並ぶときは、あらかじめチップ用に1ポンドを持っておきます。
コインも紙幣もありますが、最近はコインのほうが流通してきています。

トイレットペーパーをちぎって渡してくれる人がトイレの前にいます。
だから、1ポンドでトイレットペーパーを買う、という感覚です。
紙を使わない男性とか、自分で持っている人は、本来は支払う必要がありません。
ですが、トイレ掃除をしているのもその人なので、半ポンドでもあげると喜びます。

彼らは小銭を持っているので、私はいつもトイレで両替してもらいます。
たまに相手からも、ユーロをエジプトポンドに両替してほしい、とか
人民元をエジプトポンドに両替してくれ、とか頼まれます。
一度だけ、500円玉を両替してあげたことがあります。
ちょっとだけ両替手数料を取って25ポンドに両替してあげたら、
こんな大金だと思わなかったらしく、とても感謝されました。
エジプトでは中級程度の定食1回食べられる金額です。
エジプト人価格なら、一ヶ月近く家族全員分のパンを買える金額です。
日本人価格でも、パン50個買えます。

ついでに両替の手順をもう少し。
エジプトポンド→エジプトポンドの両替は、遺跡とトイレが便利です。
少額紙幣をコインに替えるのはトイレでだいたい行けますし、
高額紙幣を少額紙幣に替えるのは、遺跡のチケット売り場で頼んでます。
銀行では少ししか少額紙幣をくれませんが、遺跡には観光客が大勢来るので、
毎日大量にお金が集まっています。

私「アッサラーム・アレイコム(こんにちは=あなたの上に平安あれ)」
相手「ワレーコム・ッサラーム(こんにちは=あなたの上にも平安あれ)」
私「ムムキン・ファッカ?(小銭ある?)」
相手「マーシ(オーケー)」

だいたいいつもこんな感じです。
ムムキン=可能、ファッカ=小銭、という意味です。
ダメな場合は断られますので、また別の機会に。

エジプト人は人懐っこいし、アラビア語を話す観光客はほとんどいないので
お金を数えながら、英語とアラビア語混じりで話しかけられます。

相手「インティ・スピーク・アラビック・クワイーッサ(君、アラビア語うまいね)」
私「シュワイヤ。ショックラン!(ちょっとだけだよ。ありがと!)」

きちんとお金を一緒に数えましょう。
相手の目の前でお金を数えるのは失礼にあたりません。

私「マアッサラーマ!(さようなら)」

アラビア語は挨拶の言葉がとても多いです。
挨拶が多いということは、礼儀を重んじるということだと思います。
日本人は礼儀正しいので、エジプト人から好感を持たれていると肌で感じます。
カモにされているな、と感じることも多いですがw


アブシンベル、4年ぶりです。
やっぱり大きいです。ラムセス2世、俺様感炸裂です。
よほど自分と奥さん(ネフェルタリ)が大好きだったんだろうな、としみじみ感じ入ります。


(54)

近くに寄ったら、もう、ワケわかんない写真しか撮れません。
写真で見るよりも、ものすごく大きいです。
内部は撮影禁止ですが、内部もまた凄いです。もちろん人も多いです。

隣にある、王妃ネフェルタリのための小神殿も、「小」と言いながら大きいです。
大神殿の勇壮で壮大な雰囲気とは対照的に、小神殿はとても優美で華麗です。

隣にある、王妃ネフェルタリのための小神殿も、「小」と言いながら大きいです。
大神殿の勇壮で壮大な雰囲気とは対照的に、小神殿はとても優美で華麗です。

神殿の前は、ナセル湖。
アスワンハイダムが出来る前は、ナイル川だったのですね。


(55)

8時半に車に戻り、9時頃出発、元来た道を3時間かけて帰りました。
朝食は車の中で食べました。
パンとチーズと紙パック入りのジュースです。

12時半にホテルに到着しました。
運転手さんには、最初100ポンドのチップを渡す予定でしたが、
エジプト人ガイドの友達から電話がかかってきて、80で良いと言われました。
友達は私たちのために大きなバンを用意しておくよう頼んでおいてくれたのですが、
実際はタクシーと同じサイズの車だったので、約束が違うと言って友達が怒ったのです。

部屋に帰った後、早起きした分、昼寝することにしました。
外を歩き回るには暑すぎるし、夕方涼しくなってから出かけるほうがラクです。
ところが、部屋の掃除は終わっていたものの、タオルが補充されていませんでした。

「マフィーシュ・フータ!(タオルがありません)」

これでオッケーです。
マフィーシュ=無い、フータ=タオル、です。

水が出ないときは「マフィーシュ・マイヤ」(マイヤ=水)だし、
おつりや小銭が無いときは「マフィーシュ・ファッカ」(ファッカ=小銭)です。
カバンが無いときは「マフィーシュ・シャンタ」(シャンタ=かばん)です。

このホテル、毎日タオルが無かったので、私は毎日「マフィーシュ・フータ!」と
フロントに言いに行きました。
部屋番号もアラビア語で言っていたのでフロント係の人も私の顔を一発で覚え、
「マフィーシュ・フータ?」と挨拶代わりに笑って聞いてくれるようになりました。
タオルがちゃんと補充されてたら、
「マフィーシュ・ムシュケラ!(問題無い!)」と答えていました。

イスラム圏では詩がとても盛んで、詩人はとても尊敬されています。
だから言葉遊びや語呂合わせなどのダジャレが多いし、
普通の会話でも韻を踏んで答えると面白がられます。



昼寝を終えて、夕方3時半頃から、アスワンのスーク通りをうろつくことにしました。
スークは夕方以降のほうが活気があります。
観光客も多いし、お店の人も昼寝から起きて、夕方にお店を開け始めます。
朝から夕方にかけての昼間は、観光客は遺跡見学に出かけているので、
スーク通りは閑散としています。

このスークですが、地元の人も大勢買い物に訪れているので、写真が撮れませんでした。
イスラム教徒の女性は写真を嫌うので、勝手に撮っては失礼だと思ったからです。
今までのエジプト旅行全てに言えることですが、街中の普通の写真がほとんど無いのは、
どうしても地元の女性が写り込んでしまうので、カメラを出すことすらできなかったからです。
カメラを向けて何度か実際に怒られたり嫌な顔をされたこともあります。
やはりイスラームの戒律は、この国では絶対的なものなのだと感じました。

スークでは、シャワルマ・サンドを屋台で買って食べました。
シャワルマというのは、お肉を大きな串に刺して塊にしたものを、
グルグルと回しながら火であぶり、
周りの焼けたところから薄くそぎ落として食べるものです。
羊肉、牛肉、鶏肉など、お店によってお肉の種類が違います。
これに玉ねぎやトマトを一緒に炒めたものを混ぜて、パンに挟んでくれたり、
スパイスをかけてくれたり、お店によって味が全く違います。
高い店の外国人価格(英語メニュー)で1個10ポンドぐらいですが、
私たちは1個でじゅうぶんでした。

アスワン駅のすぐ横に、スーク通りがあります。
飲食店はルクソールに比べると格段に少ないです。
大きなスーパーもありません。水は小さな商店で買いました。
今年は、1.5リットルのペットボトル1本が3ポンドです。
年々値上がりしています。



ホテルからはナイル川の夕暮れが見えました。
個人的に、ナイルの景色はアスワンが一番美しいと思います。


(56)


(57)

私たちが泊まったイシス・コルニーシュホテルは、全室コテージタイプで、
とても気楽に過ごせました。
暑すぎる昼間は部屋で寝て、夕方にモッサリ起きて、
エジプト人のように夜型で過ごすと身体への負担も少ないです。



夕方以降は買い食いをしながらスーク通りや裏通りをぶらぶらして過ごしました。
こうしてエジプト7日目は終わりました。


(59)



<8日目>(2010年12月8日)


今日の予定は、日本のネット経由であらかじめ購入しておいた
カイロ行きの寝台列車のチケットが届く予定。
明日の夜出発だから、アスワンで丸一日使えるのは今日でおしまい。
午前中にイシス神殿を見学して、午後はヌビア博物館に行こうかな。



朝食は、ナイル川に面したホテルのレストランでした。
ツアーのお客さんも個人のお客さんも、皆同じレストランです。
4つ☆以上なら温かい料理が出るので、オムレツバーがあります。
卵の数と調理法を伝え、中に入れる具も自分で選びます。
アラビア語で注文すると、ちょっとだけ丁寧に焼いてくれますw

「サバー・ホル・ヒール(善の朝=おはよう)」
「サバー・フン・ヌール(光の朝=おはよう、上記への返事)」

「アナ・アイザ・オムレツ、ミン・ファドリカ(オムレツお願いします)」
「イトネーン・ベダ、トメート、フェルフェル…(卵2個で、トマトとピーマンと…)」
「ワ・ケティール・ジュブナ、ミン・ファドリカ(それからチーズたっぷりでお願い)」

日本語に無い発音が多いので、カタカナだとうまく表現できないのですが、
だいたいこんな雰囲気です。
わからない単語は英語でオッケー。
焼きながら、シェフがアラビア語を教えてくれます。
こういうのも、旅行の楽しみの一つです。

目玉焼きやポーチドエッグにも対応してくれる人もいます。
ベーコンをを持ってきて「これと一緒に目玉焼きにしてくれ」と言っていた西洋人もいました。
あまり混雑してなかったら、柔軟に対応してくれます。

生野菜とフルーツもたっぷり食べます。
今までに野菜や果物でお腹を壊したことは一度もありません。
コーヒーか紅茶を注ぎにきてくれる人もいますので、やはりアラビア語で。
男性形と女性形がありますが、サービス業で働いている人は
宗教上の理由か、圧倒的に男性が多いので、男性に話す言葉で平気です。
女性形も語尾が変化するだけだから簡単ですが。

「シャーイ、ミン・ファドリカ(紅茶、お願いします)」
「アホワ、ミン・ファドリカ(コーヒー、お願いします)」
「シュクラン(ありがとう)」
「アフワン(どうしたしまして)」


(60)

時間がたっぷりあるので、何度かおかわりします。
エジプト観光は体力勝負なので、がっつり食べて体力をつけておきます。



さあ出かけようと気合いを入れていたら、ホテルのロビーに呼び出されました。
カイロ行きのチケットが届いたようです。
受け取りに行ってみたら、旅行代理店の人が私たちを待っていました。

「チケット持ってきたから、お金払ってね」
「ハァ?何言ってんの?日本でカード決済で支払い済みだけど?」
「いや、金はもらってない。とにかく払ってよ」
「払ってあるってば。会社に電話して聞いてみてよ」

アスワンのオフィスに電話してみたら、よくわからないらしい。
そこで、カイロのオフィスにも電話してみたけど、さっぱり要領を得ない。
払え、払ってある、の押し問答でどんどん時間が経過していきます。
いつまで経っても埒があかない・・・イライラしてきた主人が遂にキレました。

「この野郎、いいからそのチケット寄越せ!」
「金払えよ!」
「あっ、テメー、これアメリカ人のチケットじゃないか!」

チケットには乗客の国籍を記す場所があるのですが、確かにUSAと書いてある。
列車は同じだけど、どうやら別の乗客のものを持ってきたらしい。

「今日中に必ず、俺たちのチケットを持って来い。
 持ってくるまでアメリカ人のチケットは俺が預かっておく。
 もちろん俺たちは金も払わない。なぜなら支払い済みだからだ。
 文句があるなら、お前の会社のボスに言え。
 わかったらとっとと帰って俺たちのチケット持って来い!!」

もうお昼近くになっています。
毎年、何らかの理由でエジプト人と一度は戦ってきましたが、
今年はかなり時間がかかってしまいました。



さて、お昼前なので、スークの商店でジュースとポテトチップを買って、
パンも買ってお弁当を用意します。

今日の服装は、ユニ黒のブラトップの上に、ユニ黒の長袖シャツを着て、デニムを履いています。
デニムは重くてかさばるから旅行には不向きと言われていますが、慣れている服装が一番です。
頭は日焼け防止のためにバンダナを巻いています。
シャツのポケットに「歩き方」を丸めて入れて、メモも入れます。
デニムのポケットにデジカメをねじこんでいます。
巾着袋には財布、パスポート、水、ティッシュ、小さなポテトチップ、紙パックのジュースも入っています。

主人の持ち物は、エコバッグに「ロンリー・プラネット」と水、財布とパスポート、携帯、
小さくなったトイレットペーパー一巻き、除菌ウェットティッシュ、お菓子とパンも入れてます。

タクシーを拾って、イシス神殿の船着き場まで行くことにしました。
船着き場の駐車場に入るには、5ポンドの税金がいるので、私たちは手前で降ります。
3時間後に迎えに来てもらう約束をして、タクシーには一旦帰ってもらいました。



4年前に私はツアーで来ましたから、待っていてくれた船に乗れば良かったのです。
主人は4年前にお腹を壊していたので、イシス神殿は見学せず、
一人でクルーズ船の部屋で寝て過ごしていました。
だからどうしても今回はイシス神殿に行ってみたいのです。

イシス神殿には船でしか行けませんから、ボートのキャプテンもこちらの足元を見て
なかなか値下げに応じてくれません。
他に個人で来ている旅行者が居れば相乗りできるのでしょうが、
私たちは超スローペースで見学するので、ペースが合う人が見つかるとも思えません。
しかし、それ以前に、個人で来ている客が私たち以外に誰もいない・・・


(61)

何人かと交渉をして、結局ヌビア人のキャプテンが残りました。
3時間200ポンドというボッタクリ料金ですが、それでも他のヤツらより少し安い。
絶対こいつら結託してるよな、と思うのですが、ボートが必要なのでしかたありません。

帰りに彼の自宅で紅茶とお菓子をもらうことにしました。
彼の自宅はイシス神殿の隣にある島で、ヌビア村だと言います。

イシス神殿の船着き場に着いたら、待ち合わせの時間を約束して一旦彼と別れました。


(62)
イシス神殿の一角に、進入禁止の場所があり、写真を撮っていたら、ポリスに手招きされました。
ルクソールではかなり減りましたが、アスワンにはバクシーシをねだる不良ポリスが居るようです。
せっかくなので、タダかどうかを確認してからついていってみることにしました。

「マッジャーニー?(タダ?)」
「ワッラーヒ?(本当?)」
「ハッカン?(本当?)」



地下通路のようなところを通ると、ナイル川が綺麗に見える場所があると言われ、ついて行きました。
ただし私が1人であれば、当たり前ですが、ノコノコついて行ったりしません。
後で写真を見てみたら、オーブもついてきてくれていました。
これは多分、毎年私にくっついて回っているオーブだと思います。
暗いところだとオーブが写りやすいのでしょうか。


(63)

ポリスとも仲良くなると、写真を撮ってくれたりするので使えます。
ただし、ポリス本人の写真はダメみたいです。
彼らは武装しているので、警備上の都合でしょうか。


(64)

ヌビア人の船乗りと約束の時間になったので、またボートに戻りました。
今度は彼の自宅に行きます。
予定外でしたが、まあいいでしょう。



ヌビア村の島の周辺では、子どもたちがナイル川で泳いで遊んでいました。
みんな裸で泳いでいました。

彼の家は、ヌビア村で一番立派な家でした。
ボートで荒稼ぎしているのだなとすぐにわかりましたが、これが彼の生きる道なのでしょう。
家の中央に屋根のない部屋があり、そこをぐるっと囲むように他の部屋があります。
ナイル川沿いには風を採り入れる窓があります。涼しく過ごすための工夫でしょう。

彼はガスコンロでお茶を沸かしてくれました。
家にはお母さんと2人の妹が住んでいます。
どうやら彼が1人で働いて、母親と妹たちを養っているようです。

中庭の日陰でお茶とお菓子をいただきながら、彼はシーシャ(水タバコ)で一服しています。
暑いところで待ってたから休憩したかったんだな、と私もここでやっと気付きました。
休憩しながら、ヌビア語を教わって過ごしました。
話しているうちに、ヌビア人は人種差別を受けているようだとわかりました。



東岸の船着き場まで送ってもらい、200ポンド渡して別れました。
バクシーシ(お恵み)くれ、と言われましたが、言われるとあげたくなくなるので
最初の料金通りしか払いませんでした。十分儲かっているはずです。
黙ってたら、お茶代ぐらいあげたのにな。

タクシーに電話して迎えに来てもらって、アスワンの駅で降ろしてもらいました。
スークでカルカデを買ってからホテルに帰ろうと思ったからです。
まだ明るいうちは、スーク通りはがらんとしています。


(65)


(66)

カルカデ1キロ買って、オマケを半キロ以上付けてもらうことに成功しました。
上等のカルカデは花が崩れていないので、とてもかさばります。
一旦ホテルに戻って、花が崩れてしまわないようにカバンに片付けて、
昼寝して、夜になってからスークに出かけることにします。

夕食も露店で買い食いをしました。
今日は別の店で、シャワルマ・サンドとマカロニを買いました。
マカロニというのは、ペンネにミートソースをかけたものを焼いてある料理で、
ラザニアに近いものです。
シャワルマ・サンドとマカロニを2つずつ、合計4つ買って10ポンドでした。
これは言われた値段ではなく、私が決めた料金です。
言われるのを待たずにお金を出して、足りない場合だけ文句を言われます。

いつも少なめに出して、文句を言われるたびに1ポンドずつ渡していくようにすると、
だんだんわかってきます。だからコインや少額紙幣が大量に必要なのです。
財布を出さず、ポケットからお金を出すようにしました。
エジプト人はとても目が良いので、あまり財布は出さないほうがいいです。
一瞬で観光客がいくら持っているかを観察して見抜きます。

遺跡の入場券は高いので、チケット売り場では財布を出しますが、
商店や露店ではなるべく財布は出さず、ポケットの中の小銭だけで済ませるようにします。
大金を見せないように注意して過ごすのも、快適に過ごすための工夫です。

買い物と買い食いを終えてホテルに戻ると、列車のチケットが届いていました。
そこでアメリカ人のチケットを返してあげて、自分たちのと交換しました。
今日は朝から戦って疲れたので、早く寝ることにします。



<9日目>(2010年12月9日)


今日でアスワンはおしまい。
今夜の列車でカイロに向かいます。



朝食を終え、まずは荷造りをしました。
寝台列車の中でスーツケースを開ける空間的余裕は無いので、
別のバッグに一泊分の着替えと洗面用具と水を入れておきます。
スーツケースとかばんはフロントで預かってもらい、チェックアウトしました。

まずはタクシーでヌビア博物館へ向かいます。
とても近代的な博物館で、ヌビア地方の出土品が多く収蔵されているので
時間があるなら、是非とも訪れておきたいところです。
個人的に、古代エジプト文明以前の展示品が、特に面白いと思いました。
展示品は全て本物ですが、ここは珍しく撮影可でした。


(67)


(68)


(69)

ヌビア博物館で3時間以上過ごした私たちは、博物館の庭でおやつを食べた後、
またタクシーを拾って、ヌビアン・カフェに行くことにしました。
4年前にそこから見たナイルの景色がとても綺麗だったので、
お腹を壊して寝ていた主人に見せてあげたかったのです。

ツアーの観光客が行く店ですから、日没の時間には満員になります。
だから私たちは、夕方4時までの間だけ、カルカデでも飲みながら景色を見ようと思いました。

小高い丘の上にあり、ナイルの中州や島がたくさん見えます。
中州にあるピンクの建物は、イシス・アイランドホテルで、日本のツアーでよく利用されます。


(70)


(71)

まだ日が高いので、日向の席は遠慮しておきます。
日向にいると、じりじりと肌が焦げていく感じで、痛くてたまらないのです。
日陰の席でカルカデを飲みながら休憩していたら、猫がすり寄ってきました。
猫アレルギーの主人がくしゃみをしたら、ナイルから心地良いそよ風が吹いてきて、
主人が風上になり、くしゃみと鼻水が収まりました。
猫は私にもたれて、しばらくそのままじっとしていました。


(72)

夕方4時頃、私たちは猫にさようならをして、会計を済ませてタクシーを呼びました。
タクシーを待っていたら大型観光バスがやってきて、お客が50人ぐらいやって来ました。
日没を見ながらお茶をする、アスワンでは定番のコースなのです。
というか、景色以外に何も無い。
でも、ナイルではこのあたりの景色が一番綺麗で好きです。



タクシーでスークまで送ってもらい、最後に食べたいものを食べることにしました。
私はまた同じ屋台でマカロニを買いました。
本当はシャワルマ・サンドも欲しかったのですが、シャワルマは準備中だったので
代わりにハワウシーを買い、ジュースと水も買って、ナイル沿いのベンチに座って
日没を見ながら食べることにします。

食事を終え、ホテルに戻って荷物を引き取り、タクシーで駅まで行きました。

列車は、アスワンの駅が始発なので、時間ギリギリに行っても良さそうなのですが、
エジプトではそうも言ってられません。
だいたい2時間前には駅に入っているのが無難です。
早く出発することがあるからです。

列車は2度目なので、正直今回は飛行機にしようかとも思ったのですが、
やはり寝台列車というと旅してる感じがぐっと盛り上がるし、
夜にルクソールの町を通過するのが見えるのも魅力的だったので、列車にしました。

列車を提供している会社はいくつかあるらしいのですが、
外国人はアベラ寝台特急の一等個室2人部屋しか買えません。
各車両に車掌さんがいて、部屋に夕食と朝食を運んできてくれます。
座席を畳んでベッドにもしてくれます。2段ベッドです。
トイレも各車両の先頭に2つずつあります。

洗面所は各個室にありますが、水があまり出ないので、
うがいと洗面用に、あらかじめペットボトルに水道水をくんで持ってきます。
私たちは朝のうちにホテルで準備しておきました。
間違えて飲んでしまわないように、ペットボトルのラベルをはがして
一目見てわかるようにしておきます。

ツアーで利用する場合は、列車を降りるときに車掌さんに5ドルのチップをあげれば
それで良いはずですが、私たちは個人なので、何かサービスを受けたら
その都度、車掌さんにチップをあげていました。
だからこちらから頼まなくても、ギザ駅が近付いてきたら教えてあげるから
安心して休んでね、と言われました。

夕食は、ごはん、鶏肉料理、何かわからない肉料理、お菓子、パン、オレンジ丸ごと一個、
タヒーナ(ゴマペースト)でした。
去年よりちょっとショボイ内容になってました。


(73)

食事を終えるとベッドメイクしに来てくれますが、
アリババと40人の盗賊の呪文を唱えると盛り上がります。

「イフタフィヤー・シムシム!!(開け、ゴマ!!)」


ベッドメイクしてもらったら、部屋の明かりを落としてパジャマに着替えました。
汗だくになっているので、タオルで身体も拭いて清潔にします。
11月の夜はちょっと冷えるので、長袖のパジャマ(Tシャツ)がちょうど良いです。



10時頃、ルクソール駅に到着したとき、言いようのない懐かしさがこみ上げてきました。
まだ3日しか経っていないのに、この街に居たのはもう遠い昔のような感覚です。
駅では10分ほど停車していたでしょうか。
列車が動き出したとき、部屋の明かりを消して外を眺めました。
ライトアップされた王家の谷が、段々遠ざかっていきます。

私たちは声を出さずに、ただボロボロ泣いていました。
主人共々、どうして王家の谷を見たら涙が出るのか、全然わかりませんが、
どうしようもなく涙があふれてきて、王家の谷が見えなくなるまで泣き続けました。
(今これを書いていて、思い出しただけでも涙が溢れてきます)

こうして、エジプト9日目は終わりました。



<10日目>(2010年12月10日)


朝6時頃、目覚めました。
まだ列車は動いています。
ナイル川沿いの、なつめやし畑の中を進んでいます。
しかし、川沿いにゴミが増えてきました。
生ゴミを食べている羊の群れも見えました。
病気にならなきゃいいけどな。

7時半頃に、車掌さんがベッドを片付けにきてくれました。
そこで「閉じろ、ゴマ!」の呪文も教えてもらったのですが、
メモするのを忘れてしまい、思い出せません。
朝食は、アベラ寝台列車で悪名高い、パンのフルコースです。
メニューは去年と同じ。
前菜も主食も副食もデザートも、パン、パン、パン。全部パン!
ただし今年は紅茶とはちみつが付いてきました。
去年は飲み物だけ有料だったので、自分たちで持っていた水を飲んだのですが、
ちょっと改心したのでしょうか。


(74)

ギザ駅には8時半頃到着しました。時間通りです。
ちなみに去年は3時間以上遅れました。

ところで、このギザ駅、というか、エジプトの駅全部に言えることですが、
エスカレーターやエレベーターの類は一切ありません。
スーツケースなどの荷物は全て自分で持ち上げて、階段を上り下りします。
団体ツアーでは高齢者のお客さんも多いので、助け合って移動します。
私も自分の荷物を持ちながら、誰かのスーツケースの半分を持ってあげました。
そうしないと、人の流れに乗れず、事故になるかもしれないと思ったからです。
ギザ駅で降りる観光客は多いし、皆急いでいるので、立ち止まっていると踏まれそうでした。
せめてスロープがあれば良いのですが、今のところそういう配慮は全くありません。



ギザ駅を出ると、友達の友達が待っていてくれました。
友達は仕事でルクソールに行ってしまったので、代わりの人を迎えによこしてくれたのです。
友達の友達、ラマダンさんも日本語ガイドです。
メータータクシーをチャーターしてくれていたようで、車に荷物を積み込んで、
オールド・カイロ地区をガイドしてもらいました。

私たちがエジプト4度目で、イスラム教徒の友達が多く、
去年もイスラームのお祭りに参加したことも知っているので、
もうガイドすることは何も無いんだけど・・と恐縮されました。
恐縮するエジプト人は初めて見ました。

エジプトで最初のモスク、アムルモスクを訪れ、
そこでイスラームの歴史について色々と講義してもらいました。
エジプト4度目だし、イスラム教徒の友達も多いから、という理由で
専門的なことや、ラマダンさん個人の考えなども教わりました。


(75)
次にコプト教会を訪れたのですが、日曜礼拝中だったので見学できず、外から写真だけ撮りました。


(76)

次はユダヤ教のシナゴーグ、ここは撮影禁止でしたが、ラマダンさんは
「あれ?一昨日は写真オッケーだったのに?!」と驚いていました。
ラマダンさんは、シナゴーグの中で周囲に日本語を理解する人が私たち以外に誰も居ないことを確認した上で、
ユダヤ教とイスラム教の確執について、歴史的な背景を教えてくれました。
そもそもの発端は、何百年も前に溯る確執なので、今さらどうしようもないらしいです。

「ユダヤ教もキリスト教も、元々の聖典は失われてしまっていて、
 後から人間が書いたものを、現在も信じています。
 だから彼らはとても可哀想です。人間の言葉には限界があります。
 それに、翻訳されるうちに意味が違ってきてしまいます。
 信者たちは一部の為政者によって騙されているかもしれないのです。
 イスラムの聖典は、コーランです。これは一字一句、当初のままです。
 これは神の言葉です。今の生活と合わない部分も出てきていますが、
 神の言葉のまま、アラビア語以外への翻訳は認められていません。」

そして、教育がいかに恐ろしいものかを語りながら、
ギリシャ正教会の聖ジョージ修道院を訪れました。
ラマダンさんは、僕は外で待ってるから、と言って入ってきませんでした。


(77)

聖ジョージ修道院の内部も撮影禁止でした。とても古い修道院です。
半分地下に埋もれたような形で残っていて、無料で一般公開されています。

2階の一部に、岩をくり抜いただけのような小部屋があり、
ここだけ周囲の部屋とは違う異質な雰囲気でした。
その中で修道士がこもってお祈りでもしていたのでしょうか。
興味本位でノコノコ入ってみました。
そしたら地震?!と思うような感じで地面がぐらぐら揺れて、
ものっっっっすごい目眩がして気持ち悪くなりました。
小部屋を出たらおさまりましたけど、あれは一体何だったのか、謎です。
ちなみに一緒に入った主人は何ともなかったようです。

とにかく、気味が悪いので外に出て、隣の礼拝堂を見学することにしました。
礼拝堂では日曜礼拝の真っ最中でしたが、撮影させてもらえました。


(78)

すぐ隣にはコプト教会。こちらは礼拝中で入場不可。ドアだけ撮影しました。
コプト十字は末広がりの形です。


(79)

他にも、様々なモスクを見学しました。


(80)

アラベスク模様と象眼細工の美しさに目を奪われます。
昔のエジプト人は、とてつもない芸術性と素晴らしい技術を持っていたのに、
現在の有様は・・・とラマダンさんが嘆いていました。
現在の政治家が教育をきちんとしないからダメだと。
名前を出すと逮捕されるから言わないけれど、今の政治家に失望していると。



エジプトでは、大卒者はわずか2%に過ぎないのだそうです。
道路にゴミが落ちていても誰も気にしない、信号を守らなくても誰も気にしない。
なぜ道路にゴミを捨ててはいけないのか、なぜ信号を守らなければならないのか、
理解している人がほとんどいないのが現状なのです。

だから、日本人のような完璧な民族と付き合わなければならない日本語ガイドは、
とても大変なのだそうです。
今までに、2000人の日本語ガイドが誕生しました。
でも、今は200人しかいません。
日本語ガイドは続かないのだそうです。
とても優秀な人でも、言葉ができるだけではダメで、
日本人の性質や文化をよく理解して、常に完璧でなければ務まらないのです。

日本人は、たった一つの過ちを許してくれない。
常に時間通り、常に完璧を求められる。
人間は完璧なものではないのに、完璧であり続けなければならない。
それがとてつもない精神的ストレスをもたらすので、
せっかく日本語ガイドになっても、辞める人が後を絶たず、
今は空前絶後の日本語ガイド不足なのだそうです。
今日本語ガイドをしている人は、エジプトでも特に優秀な人材で、
最高のガイドで、一番給料の良い人たちなのです。


イタリア語やスペイン語ガイドは、とても楽しそうに仕事をしています。
彼らは完璧を求めないからだそうです。
その代わり、給料もそれほど高くはありません。

ハンハリ市場の中にある、エジプトで一番古いカフェでお茶を飲みながら、
ガイドの悩みやプライドなどを聞いて過ごしました。
ここでシルバーショップの人と待ち合わせをしているのです。


(81)

お茶を飲み終わる頃にシルバーショップのモハンマド・サイードさんが現れ、
私たちだけでお店に行きました。
ラマダンさんには、カフェでそのまま休憩していてもらいます。

あまり商品を選んでいる時間が無いなと思っていたのですが、
あらかじめ予算を伝えておいたので、商品を見繕って出しておいてくれました。
写真を撮って日本に持ち帰って友達に見せてあげて、
気に入ったものがあれば来年また買ってね、とも言われました。
そしてたくさん買ってくれたから、と小さなスカラベを一つずつプレゼントしてくれました。
この人は商売がうまいな、と思いました。

お客さんに送るシルバーのペンダントトップを買って、今日のツアーはおしまいです。
これから友達のアパートまで送ってもらいます。



友達のアパートは、カイロ郊外にあります。
チェコ語ガイドをしている妹と二人で住んでいますが、
今日は私たちを迎えるために、田舎からもう一人来ています。


(82)

エジプトのアパートは、エレベーターがありません。
だから、高層階ほど安いです。
友達は日本語ガイドなので給料は良いのですが、結婚資金を貯めなきゃいけないし
親と妹たちに仕送りをしているので、決して金持ちではありません。
だから5階の最上階です。
日本のマンションよりも天井が高いので、余分に階段があるような気がします。

ドアを開けるとすぐリビングです。
ピンクの壁は、妹さんの趣味でしょうか。賃貸住宅でも壁を好きに塗って良いらしいです。
床はタイルで、靴を脱いでスリッパに履き替えます。
靴は玄関ドアの脇に脱いでおくだけで、靴箱のようなものはありません。
というか、モノが非常に少ない。


(83)

私たちのために、友達のベッドルームを開放してくれました。
友達は、妹の部屋で寝るようです。妹の部屋にはベッドが2つありました。


(84)

このベッド、かわいい見た目とは裏腹に、マットがデコボコです。
平らではなくて、とても寝にくい・・・一体何でできているのか・・・

ベランダに出てみたら、カフェが見えました。
暇ができたら行ってみよう。


(85)

夕食は妹たちが作ってくれました。
パスタ入りごはん、ポテトとチキンのトマト焼き、サラダ、パン。
どうやらごはんは主食というよりも付け合わせ的な感覚のようです。
床に新聞紙を敷いて、その上に料理を乗せて、床に座って食べます。


(86)

チェコ語ガイド1年目の23歳の妹、セルワーンと、
高校生の妹、アリエーがもてなしてくれました。
彼女らに会うのは2度目、ちょうど1年ぶりです。
去年の写真や日本の写真などを見せながら、お喋りして過ごしました。


(87)

こうして、エジプト10日目が終わりました。



<11日目>(2010年12月12日)


今日は、友達抜きで、田舎に里帰りします。
妹たちが私たちの面倒を見てくれます。

朝、セルワーンがパウンドケーキと紅茶を部屋に運んでくれました。
彼女らは日の出前に朝食を済ませていました。
明日は犠牲祭なので、今日の日中は皆が断食をするのです。
妊婦と老人と子ども以外は、全員断食です。
私たちは異教徒の旅人なので、大目に見てもらっているだけです。
が、街中で昼間に水を飲むのは遠慮しておこうと思いました。
唾液も吐き出すぐらい徹底した断食をする人もいるからです。


(88)

朝食後、お洗濯をさせてもらいました。
2層式の洗濯機がありました。
洗濯物は、ベランダの外にあるヒモに吊します。
下を見ると落としそうで怖いですが、アリエーが手伝ってくれました。
でも、彼女も洗濯ばさみを1つ落としてしまいました。
下に人がいなくて良かった。



(89)

今夜は田舎に一泊するので、また荷造りします。
カイロから北に100キロほど行ったところにある小さな農村です。
田舎に日本のお菓子をたくさんお土産に持って行くので、ちょっと大荷物ですが、
まあ何とかなるでしょう。
バスが通っている大通りに出ると、クフ王のピラミッドが見えました。



(90)

バス、タクシー、乗り合い中距離バスなど、たくさんの交通機関を乗り継ぎました。
どうやって行けば良いのか、私たちにはさっぱりわかりません。
私たちがくっついていると、高い値段を言われたりしているようでちょっと気の毒でした。
でも、エジプト人の女の子はみんな強いので、きちんと言い返します。


(91)


ようやく中継点のザガジグに到着。
携帯電話をかけるフリをして、街の様子を撮影しました。
去年はこの街の、友達の叔父さんの家に泊まりました。
今日は素通りして、田舎に直行します。



ザガジグはそこそこ都会です。そしてカイロよりもゴミだらけです。
掃除をしているらしい人もいるのですが、店や家のゴミを外に掃き出しているだけで
出したゴミを片付ける人は誰1人として見あたりません。
街中にはゴミ箱のような巨大なコンテナもあるにはあるのですが、
ゴミがあふれて既に地面と一体化しているような有様です。
そしてものすごい交通渋滞。
エジプトからゴミと渋滞がなくなれば、もっと良い国になるのになあ。


(92)

結局、田舎に到着するまでに6時間かかりました。
もうすっかり夜になっていたので、到着したら夕食ができていました。
サラダ、マカロニ、パスタ入りスープ、焼き魚です。
ネギのように見える青いのは、玉ねぎです。
葉っぱの部分は残して、白い部分だけ食べるようです。


(93)

食事の後、コナファという伝統菓子が振る舞われました。
ナッツとシロップがたっぷりのサクッとした食感で、ココナツが散らしてあります。


(94)

去年結婚したばかりのもう1人の妹が、赤ちゃんを連れて帰ってきました。
(友達は長男で、5人の妹がいます)
みんなでかわるがわる、甥っ子を取り合いして抱っこします。
私たちは、写真撮って!と言われ、ずっと撮影係をしていました。


(95)

赤ちゃんは、みんなに小突き回され、近くで大騒ぎされても、みんなにかわるがわる
ブチューッとキスをされても、ぴくりともせずにすやすやと寝ています。
お腹が空いた時と、オムツが汚れた時しか泣かないみたいです。
お母さんもとても身軽で、赤ちゃんとオムツの替えとタオルぐらいしか持っていません。
日本のお母さんたちは引っ越しでもしているのかと思うぐらい大荷物なのに、
国が違えば随分と違うものだなあと驚きました。

赤ちゃんが寝ている上の部屋で、独身女だけで食後のベリーダンス大会をしましたが、
30分ほどでお開きにしました。
明日は早朝からお祈りをするので、皆は早起きをしなければならないのです。
私たちも早めに休ませてもらうことにしました。
さすがにカイロ以北の夜は冷えるので、カシミヤのストールが役に立ちました。



<12日目>(2010年12月15日)


今日は犠牲祭。
朝のお祈りが終わったら、お父さんが山羊を屠ります。

4時頃から村のモスクでお祈りが行われています。
男性は身体を清めてから出かけて行き、
女性も身体を清めて、家の中でお祈りをします。
家にいる女性にもお説教が聞こえるように、
モスクのスピーカーから何やら聞こえてきます。
まるで歌うようにコーランを詠唱する男性の声が
うるさくもあり、心地良くもあり。

しばらくすると、末の妹が朝食だよ、と教えてくれました。
朝食はパンとチーズとミルクティーです。
パンもチーズも自家製。
温めただけの山羊ミルクはとても甘くて濃厚でした。

朝食が終わると、お父さんが皆を納屋に集めました。
山羊を殺す儀式が始まります。
普通は羊なのですが、この家では山羊です。
お金持ちの家では牛を殺すそうです。

この儀式、異教徒が入るのはあまり良くないみたいだし、
本当は写真を撮ったりしてもいけないはずですが、
お父さんが許可してくれました。
私たちは山羊を殺すところを見るのはこれで2度目になりますが、
やはりちょっと緊張します。


殺すときはお祈りをしながら、動物を苦しませないように
よく切れるナイフで頸動脈を一息に切って失血死させます。
勢いよく鮮血が吹き出し、はじめのうちは喘ぐような呼吸をしていますが
3分もしないうちに息を引き取ります。
絶命したのを確認したら、足の皮にちょっと切れ目を入れて
自転車の空気入れで空気を送り込み、空気圧で皮をはがします。
血で毛皮を汚さないためです。
毛皮も全て利用されるので、山羊の身体は丁寧に扱われます。
皮をはいで解体するときは、後ろ足を縛って天井から吊して作業します。

私たちはこうやって、動物の命をいただいているのだ、と実感する瞬間です。
自然と感謝の気持ちが湧いてきます。
自分たちの身体を、命を、決して粗末にしてはいけないとしみじみ思います。
命を犠牲にしてくれた山羊に、動物たちに、申し訳が立ちません。
肉食は残酷であるとか、動物を殺すなんて可哀想、と言う人にこそ、
是非とも見ていただきたい儀式だと思います。
ここでは誰も動物を残酷に扱っていません。
敬意を払って、丁重に扱って、感謝して食べ物をいただいています。
私たち人間も動物なのだ、という謙虚な気持ちです。



(96)

山羊を屠る儀式が終わった後、私たちは裏庭でロバに乗せてもらったり、
牛に草をやったり、干し草の上で転がったりして遊びました。


(97)

一通り遊んだら、新しい服を着て、親戚の家や近所の家を回ります。
子ども達はお年玉をもらうようです。日本と同じですね。
訪問先の家々で、お菓子と紅茶を振る舞われます。
行く先々に子どもがどんどんついてくるので、大所帯になってきて、
アラビア語の数え歌など教えてもらい、かくれんぼをして遊びました。
これで数字の聞き取りと発音を徹底的に訓練してもらえました。



遊び疲れたら、家に帰ってみんなでお昼寝をします。
今日は特に、皆夜明け前からお祈りをして早起きをしているので疲れています。
私も一緒に昼寝をします。
エジプト人の生活パターンがすっかり板についてきました。

昼寝が済んだら、お母さんがごちそうを作っていてくれました。
サラダ、マカロニ、山羊の丸焼き、トマトスープ、パスタ入りスープ、パン、ミートパイ。


(98)



お昼のごちそうを食べた後、女は部屋にこもってベリーダンス大会です。
親戚の女の子も大勢やってきたので、もう写真が撮れません。
男性が見ているとダンスもできないので、部屋を閉め切って踊ります。
さすがに蒸し暑いです。
顔もベールで覆っている女性は、部屋を閉め切って女だけになると、
ベールを取って「あ〜、暑かった!」と笑っています。
目だけしか出さない、真っ黒の衣装、あれは相当暑いようです。
彼女は黒の手袋までしているほど用心深いのですが、ダンスが抜群に巧い。
ただし、踊るときは彼女の息子さえも追い出して、女同士でしか踊りません。
お母さんやお祖母ちゃんも一緒になってみんなでクネクネ踊りました。

ベリーダンス大会がお開きになると、
友達の従兄弟、マハムッドが村を案内してくれました。
といっても、見るところは何もなくて、大きな建物は学校ぐらいなものです。
この村の人はみんな同じ学校なので、みんな学校が大好きみたいでした。


(99)


(100)

日が傾いてくると、途端に冷え込みます。
そろそろカイロへ戻る時間だよ、とセルワーンが呼びに来ました。
お母さんは、お土産にクッキーをたくさん焼いてくれていました。

この村にはガスがありません。水道もありません。電気はあります。
火は庭のかまどで起こします。水は井戸水です。とても不便です。
この村の主婦は大変です。休む暇がありません。
それなのに、お母さんは庭のかまどで何度も何度も、
せっせとクッキーを焼いてくれたのです。
ワラの燃えかすの匂いがする、なつめやし入りのクッキーです。



カイロに戻るときは、末の妹が一緒についてきました。
まだ11歳のヘバちゃんです。
セルワーンが、ヘバと私たちを連れて、またカイロまで帰ります。
途中で何度も車やバスを乗り継いで、夜の9時過ぎにアパートに戻りました。

カイロとあの村とは、まるで別の国のような雰囲気です。
全てがのんびりしていた、空気の綺麗な田舎と、
このゴミゴミした都会が同じ国だとは、にわかに信じがたいような、
不思議な気分です。

目まぐるしい12日目は、こうして終わりました。



<13日目>(2010年12月16日)


今日は犠牲祭2日目でどこもお休み。
セルワーンだけは夜明けのお祈りのために早起きしたみたいだけど、
私たちはのんびり寝ていました。

そうそう、ずっと書き忘れていましたが、
私たちはカイロに入ってから、一日2食の生活になっています。
お昼前頃に朝食を食べて、夕方頃にお昼を食べます。
お腹が空いたら、おやつに果物やナッツ類をたくさん食べます。
こっちに来てから、ちょっと太ったかもしれません。

セルワーンはお祈りの時間になると、お風呂で身体を清めて
お祈り用のじゅうたんを持って部屋にこもります。
お祈りしている姿を男性に見られるのは良くないみたいです。
跪いてお辞儀をしている無防備な姿になってしまうからだと思います。

末の妹のヘバは、テレビを見て過ごしています。
私たちも、意味はわからないけれど、一緒になって見ます。
お祈りの時間になると、モスクからお祈りを呼びかけるアザーンが聞こえてきます。
その時だけはテレビのボリュームを落として、ちょっと静かに過ごします。

それにしても、エジプトはテレビのチャンネルが多いです。
衛星放送のチャンネル数は400を超えています。
お笑い系のタレントがとても多いみたいで、コメディが大半です。
あと多いのが歌番組。
外国の番組や映画も数多く放送されています。

今は巡礼の時期なので、サウジアラビアのメッカの様子を
24時間中継し続けているだけのチャンネルもありました。
ひたすらコーランを詠唱し続けているチャンネルもあります。
歌うようなコーランの詠唱は独特のゆらぎがあって、何だか落ち着くような、
心地良いような気分さえしてきます。
アラビア語の字幕も出ていますが、見慣れると何文字かは判読できるようになってきて、
最初はみみずがのたくったような文字だと思っていたのに、美しいと思えてきました。



セルワーンがお祈りを終えたので、私は家事を手伝うことにしました。

床はタイル張りの上にじゅうたんが敷いてあるのですが、掃除機はありませんから
まずは箒でごみを取り除き、その後で床にモップをかけていきます。
乾燥しているので、から拭きしなくてもどんどん乾いていきます。
分担して部屋の掃除をしたので、あっと言う間に終了です。
私があまりにも素早く動くので、セルワーンとヘバが驚いていました。

家具がほとんど無いので、この部屋の掃除はとてもラクなのです。
リビングにあるのはソファとテレビだけ。
ベッドルームにはベッドと洋服タンスしかありません。
バスルームにはバスタブとトイレと洗面台と洗濯機が置いてありますが、
床が全てタイル張りなので、モップでサーッと拭いて、
ゴミを一カ所に集めて拾って捨てるだけで綺麗になります。
台所も同じようにタイル張りなので、やはりモップで拭いて
ゴミを集めて捨てるだけで終了。
実に簡単です。

掃除が終わる頃、ヘバが朝食を用意しました。
パンとチーズとちょっとしたお菓子だけの簡単な食事です。
チーズは3種類。青カビチーズと、ドライフルーツ入りチーズと、クリームチーズ。
全てキロ単位の量り売りで、とても安い。


(101)

食事を終えたら、ヘバと遊びます。
部屋の中でかくれんぼ。
そして、数字を100まで数えさせられ、間違うと最初からやり直し。
徹底的に発音を直されました。
おかげで100までだけはエジプト人のように発音できるようになりました。

しばらく遊んだ後は、夕方までの間、昼寝をしますw
私たちはあまり眠くないのですが、エジプト人は昼寝する習慣がついているので
眠くてたまらないみたいです。
ヘバは、私と一緒に寝てほしい、と甘えてきて、
「パパとママの写真見せて」とデジカメを要求してきます。
もうホームシックになってしまったのでしょうか。
しばらく添い寝していたら、彼女は眠ってしまいました。



夕方近くなって、セルワーンが台所で何かを始める音が聞こえました。
そこで私はヘバを起こさないようにベッドから抜け出して、
サラダ作りを担当することにしました。

ところが、エジプトではまな板を使いません。
包丁も、反ったナイフを使うので、切りにくい。
やたらめったら時間がかかる。
トマトとキュウリとピーマンをさいの目に切って混ぜただけの、
エジプトで一般的な「サラダ・バラディ」を作るのに30分以上かかりました。
こんなのまな板があれば3分でできるのに。
来年は包丁とまな板を持って来よう。

トマトスープ、パスタ入りスープ、ジャガイモと玉ねぎとトマトの重ね焼きもできました。
味付けは、塩コショウとクミンぐらいで、とてもシンプルです。
調理法も、ただ材料を一つの鍋に入れて煮るだけ、焼くだけです。
全く凝ったことをしないのにやたらと時間がかかります。
まな板が無いから、材料の下処理に時間がかかっているのです。


(102)

食事を終えると、すっかり暗くなっていました。
これからがエジプト人の活動時間です。私たちは皆で買い物に行くことにしました。
と言うのも、お客さんに頼まれているスカーフをまだ買えていなかったので、
若い女の子に人気のあるスカーフショップに連れて行ってもらう約束をしていたのです。
出かける準備をしていたら、友達から電話がかかってきました。

「明日の夜、僕の婚約パーティーすることになったから、来てね!」



どうやら、私たちが参加できるように婚約者のご両親に頼んで日程をずらしたようです。
あまりに突然でセルワーンは怒っていましたが、決まったものはしかたありません。
エジプトの女性は、家長であるお父さんや、兄、或いは夫の意見には絶対服従なのです。

私が主人にあれこれ指図をしたり、意見をしたり、話し合って決める、というのは
まだまだエジプトでは珍しいことなのだそうです。
若い世代の夫婦は何でも話し合って決めているようですが、
ちょっと上の世代では「女は黙って男に従うもの」という認識です。
そもそも結婚相手も、田舎のほうでは父親同士が決めていることが多いです。
友達は、自分で好きになった相手を選んでいますが、相手が決まるまでは、
親戚からお見合いの話がいくつも持ち込まれて、断るのが大変だったようです。

さて、私たちはスカーフショップへ行き、何枚か素敵なスカーフを買いました。
セルワーンとヘバにも、パーティー用のスカーフをプレゼントすることにしました。
何でも好きなのを選んでいいよ、と言うと、ヘバもセルワーンも真剣になってました。
変に遠慮せず、素直に喜んで受け取ってもらえると嬉しいものだなぁと感じました。

その後、彼女らは靴を買い、マニキュアを買い、バッグを選び・・・
どこの国でも女の子は同じだなーと思って微笑ましくなりました。
ちなみに主人もお買い物やお洋服が大好きなので、どこでも楽しそうについてきます。
私たちは日本に居るのとあまり違わない感覚で、買い物を楽しみました。



ところで、カイロの女の子の服は、とてもかわいいです。
肌こそ見せませんが、身体のラインを強調するファッションが流行していて
日本でも通用しそうなデザインの服がたくさんあります。
ただ、質が良くありません。
新品でも既に縫い目がほつれていたりします。

夜の街や服屋さんの写真を撮りたいのですが、女性が多すぎて撮影できません。
本当に、残念です。
2.5ポンドショップの看板だけ、辛うじて撮れました。
日本で言うところの100円ショップみたいな感じで何でもあります。
ただ、日本のように商品が綺麗に陳列されていないし、
お客さんも商品を勝手に見て元の場所に戻さなかったりするので、散らかっています。


(103)

買い物も済んだので、部屋に戻ることにしました。
もう12時近いです。しかし、街はまだまだ人だらけで、女性と子どもが多いです。
私たちは、部屋から見えているカフェに入ってみたかったので、
セルワーンとヘバだけ先に帰っていきました。
彼女らも一緒にお茶を飲もう、と誘ったのですが、こういう街中のオープンカフェには
エジプト人の女性は入りにくいのだそうです。

私は外国人だから平気ですが、普通のカフェは、おじさんの社交場なのです。
そう言えば、周囲ではおじさん同士がチェスをしたり、バックギャモンをしたり、
シーシャを吸ったり、サッカーのテレビ中継を見たりしています。
私の後ろの席でも、おじさんがチェスをしていますね。
女性客は私1人だけです。

ティーバッグの紅茶はちょっと高くて、一杯2.5ポンドです。
ミネラルウォーターも勝手に出てきますが、高いので手を付けずに置いておきます。
紅茶やコーヒーしか頼んでいない他のお客にも水を出していますが、水を飲むお客はいません。
水は全て勝手に出てきますが、有料です。
うっかり飲んでしまったお客さんは、きっちり請求されていました。


(104)

ついでに服装について説明しておきます。
11月中旬のカイロの夜、天気は快晴。
タンクトップの上に薄手の長袖シャツを羽織ってちょうどでした。
早足で歩くと、少し汗ばむぐらいに感じました。
しかし、胸元のボタンを開けると目立ち過ぎるので我慢しています。
寒がりな人は、薄手のスカーフのような巻物で調節すると良いと思います。
スカーフはその辺にたくさん売っているので、いつでも入手できます。

主人も、半袖Tシャツの上に、薄手の長袖シャツを羽織っています。
周囲のエジプト人も、皆似たような恰好をしています。
エジプト人のほうが寒がりなので、彼らより一段階薄着をしても、日本人なら平気です。


(105)

夜中過ぎに紅茶を飲んで、街の喧噪を聞きながら、13日目は終わりました。



<14日目>(2010年12月21日)


今夜は友達の婚約パーティー。
何時から始まるのか、全く予測できません。
朝からセルワーンはひっきりなしに電話の応対に終われて忙しそうです。
ヘバと私たちだけで簡単に朝食をして、部屋の掃除もしておきました。
ついでにお洗濯もしちゃえ。

私たちは明日の夕方の飛行機で帰るので、ベッドルームも片付けて
軽く荷造りしておくことにします。

どうやら、田舎からかなりの人数がパーティーにやってくるらしい。
友達は「20人ぐらいだよ」って言ってたけど、よくわかりません。
もういいや。インシャ・アッラー。

夕方5時頃からパーティーだとセルワーンに聞いたので、
とりあえず私たちだけで出かけてみることにしました。
クフ王のピラミッドが見えたバス通りまでなら、迷子にならずに行けそうです。
ピラミッドエリアに入るには、入場料がいるし、多分時間までに帰れないので
今年は遠くから見るだけにしておきます。

それにしても、通りの両側はものすごい路上駐車です。
歩道もデコボコで穴だらけで、とても歩きにくい。
道路を渡るときは、車がビュンビュン走っている間をすり抜けて渡ります。


(106)

カイロは都会なので(ここはギザ市だけど)、見慣れたファーストフード店がたくさんあります。
この辺りの物価水準で考えると、とても高いみたいです。


(107)

アパートから10分ほど歩いていたら、見えてきました。
てっぺんがちょっと欠けている、クフ王のピラミッドです。


(108)

ちょうどピラミッドが見えるところに小さなカフェとジュース屋があったので、
ピラミッドを拝みながらコックテールを飲むことにしました。


(109)

ココナツミルク味のベースに、イチゴジュースとマンゴージュースが入っていて、
メロンとザクロとリンゴとバナナがゴロゴロ入っています。
とても美味しい。2人前で5ポンドで、ここはとても安いです。

隣に居た見知らぬお兄ちゃんが、メロンジュースを分けてくれました。
エジプト人は、平気で回し飲みをします。
水や食料を他人と分かち合うことに全く抵抗感が無いようです。
私たちも素直に受け取って、メロンジュースを飲ませてもらいました。


(110)

のんびりしていたら日が傾いてきました。
裏道に入ると迷子になりそうなので、同じ道を引き返して帰ります。
途中にあったスーパーマーケットで、コフタの素を大量に買いました。

部屋に戻ると、田舎から大勢の親戚が来ていました。
親戚だけで最初に聞いていた20人を軽く超えていますが、大丈夫なのでしょうか。
もういいや。インシャ・アッラー。

一昨日山羊を殺していたマハムッドが、今日はスーツを着ています。
花婿の介添え役でもするのでしょうか。


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花婿の友達、アメリもスーツを着ています。
ちなみにアメリは、苗字です。名前はモハンマド。
エジプトでは苗字がある人のほうが珍しいのですが、苗字があるから偉いというわけでもなく、
ただ昔からあるだけだそうです。
普通は「お父さんの名前・お祖父さんの名前・ひいお祖父さんの名前・・・」と5つぐらい続きます。
だからエジプト人のフルネームはとても長いし、同じ名前ばっかりです。

全員揃ったので、パーティー会場に移動します。
パーティー会場は、奥さんになる人の家です。
25人乗りのバスでは席が足りず、私たちはセルワーンの友達の車に乗せてもらいました。
奥さんの実家は、カイロ市内のマンションです。
とてもこれだけの人数が入れる余裕はありません。
だから、マンションの屋上がパーティー会場になったみたいです。



渋滞がひどくて会場まで1時間以上かかり、到着したら夜9時を過ぎていました。
既に奥さんの親戚や近所の人まで集まっていて、100人ぐらい居ます。
もう、誰が誰か全然わかりません。
この日ばかりは写真を自由に撮っても良いようで、主人は撮影係に任命されてしまいました。

アメリが「哲也、撮って!」と言うのを周囲の人たちも覚えてしまって、
あちこちから「哲也、撮って!」と聞こえてきますw
エジプト人は携帯を使って撮っているので、日本のデジカメで撮ったほうが
綺麗に撮れるはずだ、とみんな信じ込んでいるのです。



このパーティーのメインは、指輪をはめること。右手の薬指にはめます。
結婚式の時に、左手にするようです。
指輪の交換はしません。結婚に必要なものは、全て男性側が準備します。
だからアメリは結婚資金を貯めるために休み返上で働いているのです。

イスラム教では、男性は金を身につけてはいけない決まりになっています。
だから、アメリの指輪はシルバー。
その代わり、女性は金でなければなりません。

指輪をはめたら、ベリーダンス大会です。
夜中を過ぎても大音量で音楽をかけています。
近所の人もどんどんやってきます。
エジプトの結婚関連のパーティーは、基本的に誰でも参加できるのです。
招待状などありませんし、御祝儀なども必要ありません。
街中でやってるところに出くわしたら、乱入しても良いのだそうです。

婚約パーティーと結婚式の時だけ、女性が人前で踊ります。
男性も一緒になって踊ります。
ただし、手をつないだり身体に触れたりはしません。
触ってもいいのは奥さんと身内の女性だけです。



去年お家に泊めて下さった叔父さんとも再会できました。
明日帰国すると言うと、飛行機をキャンセルして明日泊まりに来い、と言われました。
ごめん!また来年、インシャ・アッラー。

花嫁さんと踊っていると、今度は花嫁さんの友達や従姉妹たちに手を引っ張られ、
そのまま1人1人と踊ることになりました。
上手にクネクネ踊れませんが、みんな手取り足取り、ダンスを教えてくれます。
頭は動かさず、腰とお腹だけをクネクネさせるのですが、これがとても難しい。

大人の女性の相手が終わると、今度は小さな女の子たちが私を引っ張り回します。
どうやら私は珍獣扱いされている模様w
また、ストレートの髪をみんな順番に触ってきます。
女の子のお母さんらしき女性が「コラ!勝手に触っちゃダメでしょ!」と叱った後で
「私もちょっと触らせてもらっていい?」と聞いてきたのには笑えました。
エジプト人の髪は縮れているので、サラサラが羨ましいのだそうです。
そう言えば、エジプトのテレビタレントや歌手はみんな縮毛矯正しています。

「どんなシャンプー使ってるの?」
「ルクソールのスーパーで買ったパンテーンだよ」
「でも、他にも何か使ってるでしょ?」
「ううん、パンテーンだけだよ」
「いーや、絶対違う! …もしかして、油塗ってる?」
「そんなもの塗ってないよーw」


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女の子たちに捕まっていると、セルワーンが私を呼びにきてくれました。
救出してくれたのかと思ったら、友達のアハマド・モーガと踊ってくれというお誘いでした。
奥さん以外の女性と踊れないので、独身男性は私でダンスの練習したいのだそうです。
私は異教徒の外国人だから、手をつないでも良いのです。

オールド・カイロをガイドしてくれたラマダンさんも来ていました。
彼は小さな女の子たちが私を追いかけてきたのを見て、通訳してくれました。

「あの子たちは、Aさんと踊りたいと言っています。
 だけど、僕は一つ不思議なことがあります。
 どうして綾乃さんは子どもに人気があるのですか?
 言葉が通じないのに、どうして子どもたちは綾乃さんが好きなのですか?」

そんなの私にもわかりません。

また子どもたちと一通り踊った後、今度は男性に引っ張り回されました。
もはやアメリ家の親戚として認定されているようで、遠慮がなくなってきてます。
あちこちから「哲也、撮って!」と聞こえてくるしw

シルバーショップのモハンマド・サイードさんも来てくれました。
とても良い品が買えたので、きっとお客さんに満足してもらえるはずだとお礼を言いました。
セルワーンの友達は、みんな良い人ばかりです。
セルワーンが良い人だから、良い人ばかり集まってくるんだと思います。


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12時頃、田舎から来ていたお父さんとお母さん、妹たちは帰りました。
ここから田舎まで帰るとなると、到着は明け方になるかもしれません。
末の妹のヘバちゃんも、一緒に帰っていきました。
ちょうど思春期にさしかかる年頃なので、恥ずかしがって写真に入ってくれませんでしたが、
来年ぐらい、自分の写真が無いことを残念がるかもしれませんw

アメリのご両親が帰って行ったのをきっかけに、パーティーはお開きになりました。
こうして、エジプト14日目が終わりました。



<15日目>(2011年1月6日)


今日でエジプト旅行も終了です。
夕方の飛行機に間に合えば良いので、ちょっとゆっくりできます。

まず、荷造りをしました。
お土産に壊れ物があるので、機内持ち込み用に丁寧に梱包しました。
飛行機の中で使うものは必要最低限にしておきます。
どうせ帰りは寝ているだけなので、気楽なものです。

荷造りが終わった頃、セルワーンがピラミッドを見に行こうと誘ってくれました。
昨夜一緒にダンスした、アハマド・モーガが自宅に招待してくれたのです。
ベランダに出ると、ピラミッドが見えるのだとか。
セルワーンのアパートから歩いて10分程度なので、歩いて行くことにします。

部屋に上がらせてもらい、ベランダに通してもらいました。
おお、クフ王のピラミッドがすぐ目の前です。


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セルワーンは、アハマド・モーガのことが好きみたいです。
彼のことを話すときは、とても嬉しそうです。
しかし、2人だけで写真に写ったりはしません。
必ず間に何か挟みます。
私とか、彼の妹とか、クッションとか。
2人とも満更でもない様子なのですが、2人きりで会うことができないので、
いつもアハマドの妹が引っ張り出されています。
今日は私たちをダシに使って堂々とセルワーンを招待できたので、アハマドも嬉しそうです。


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お昼近くなった頃、アメリから電話がかかってきました。
セルワーンの部屋に私たちを迎えに行ったら留守だから心配しているとの電話でした。
私たちが男の部屋にいると聞いて、アメリは明らかに機嫌が悪くなりました。
セルワーンが男の部屋に上がっていることが問題なのです。
私たちがピラミッドを見たいと言って、無理矢理連れてきてもらったのだと説明して
何とか機嫌を直してもらい、帰ることにします。

帰る途中、アメリの好きなパンとクッキーを買って、ご機嫌取り用のお土産にしますw
エジプトにはあちこちにパン屋さんがあるので、焼きたてを買います。


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部屋に戻り、焼きたてパンとチーズで簡単な食事をします。
アメリはセルワーンをこき使います。
さっきまでお喋りだったセルワーンも、アメリの前では黙々と家事をしています。
やはり兄には逆らえないということでしょうか。

空港までの道が渋滞しているかもしれないので、1時に部屋を出ます。
5時半の飛行機なので、3時に空港に到着すれば良いでしょう。
セルワーンに世話になったお礼と、別れの挨拶をして、歩いてタクシーの多い通りまで行きます。
大通りに出ると、クフ王のピラミッドと、カフラー王のピラミッドが見えました。

やはり綺麗です。
来年はまたピラミッドエリアに入ってもいいなと思いました。
メンカウラー王のピラミッドだけは入っていないので、是非とも次は入ってみたい。
実現するかどうかわかりませんが、インシャ・アッラー。


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タクシーを拾って、空港まで送ってもらいます。
途中、パピルス屋さんに寄って、友達に頼まれていた絵を買いました。
パピルスは高いので、ここでエジプトポンドがほとんどなくなりました。
綺麗に使い切れて良かった。ハムドリッラー(おかげさまで)。

ナイル川にかかる橋の上で堂々と路上駐車して記念撮影して、
ああ、こんなことができるのもエジプトだからなんだなぁ、と思ったら、
急に寂しくなってきます。


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今日のアメリはガイドの免許証を家に忘れてきたので、空港の中には入れません。
入り口のところでアメリと抱き合って別れの挨拶をしていると、
見知らぬツアーガイドのエジプト人が寄ってきました。

「マダ〜ム、俺もハグして〜(はぁと)」
「イムシ!(あっち行け!)」

周囲のエジプト人が私たちを見てゲラゲラ笑います。
どうも、東洋人の女がエジプト方言のアラビア語を話すと面白いみたいです。
日本で例えるなら、外国人が大阪弁を喋っているように聞こえるのでしょう。
こんなことばかり起こるので、しんみりしてる暇なんかありませんw

カイロの空港は、チェックインカウンターがとても混雑しています。
順番通りに行かないからです。
特に今は巡礼の時期なので、メッカに行く人や、休暇が終わって出稼ぎ先へ戻る人がとても多い。
私たちは割り込まれないように、協力しあってしっかりと周囲に睨みを利かせながら
注意深く列に並びました。
おかげで割り込まれずに無事チェックインできました。やれやれ。
慣れてきたつもりではあるけれど、やはり最後まで気を抜けません。
でも、無事に飛行機に乗れました。
ハムドリッラー。



こうして、今年も目まぐるしいエジプト旅行が終わってしまいました。
毎回、毎回、「もうこんな所、二度と来るもんか」と一度は思います。
エジプト人とのバトルも疲れます。
道路を渡るのも命懸けです。
予定通りに進まず、イライラすることもあります。
暑苦しい国の、暑苦しい人たちにウンザリすることもあります。
でも、出国した途端に寂しくなってしまいます。
そして、次はもっと賢くエジプトを歩こう、と思うのです。

最後まで読んで下さってありがとうございました。


あやにゃん



あやにゃんさん、詳細な旅行記をありがとう御座いました。
エジプトへ行く皆さんに参考になります。






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